《 7月26日 》

   バルソレイ小屋(3030m) 〜 コンバン・ド・バルソレイ(4184m) 〜 グラン・コンバン(4314m) 〜 バルソレイ小屋(3030m) ⇒ ブール・サン・ピエール(1632m) ⇒ フィスプ(660m) ⇒ ツェルマット(1600m)

   7月26日、順応不足と緊張感、慣れない環境で殆ど眠れず朝食時間の3時の30分ほど前に起床して外のトイレに行く。 快晴ではないが月明かりで周囲の山々のシルエットが見えていたので安堵する。 気温は0度以上あるように思えた。 グラン・コンバンに登る登山者が多かったためか、スタッフの一人が朝食の準備をしてくれ、熱いお湯をタップリ貰えた。 朝食はパンにハチミツとチョコレートのペーストだけの簡素なものだったので、持参したチーズを食べた。

   3時半にドイツ人夫婦のパーティーと同時に慌ただしく山小屋を出発。 フランス人のパーティーは10分ほど前に出発していった。 今日は殆どがやや難しい岩のルートなのでガイドレシオは1対1だ。 ケルンが積まれた踏み跡をしばらく登ると氷河の取り付きがあり、アイゼンを着けてロープを結ぶ。 傾斜の緩い氷河をストックのみで登っていくと、温暖化の影響か氷河が後退したような岩屑の斜面となった。 凍った部分もあるのでアイゼンは着けたままだ。 ダビッドの登高スピードはついていけないほど速くはなかったが、スピードを抑え気味にして登ることは微塵もなかった。 間もなく先行していたフランス人のパーティーをさり気なく追い抜いた。 朝焼けが始まり、予報どおりの良い天気になりそうで安堵した。 先行したドイツ人夫婦のパーティーが休憩していた場所に着くと、そこが前衛峰のコンバン・ド・バルソレイに突き上げる西稜の岩場の取り付きだった。

   ドイツ人夫婦のパーティーに続いて岩稜の登攀に入る。 岩の程度はマッターホルンと同じくらいの2〜3級で難しくないが、所々で凍っている岩や剥がれる岩があるので一瞬たりとも気が抜けない。 ダビッドのクライミング技術の素晴らしさは一目で分かった。 時々ある4級の岩には確保用のピトンが打ってあり、そこが正しいルートであることが分かった。 ここ何年もクライミングをやっていないので、先行したいダビッドの心境とは逆に、所々で順番待ちをしながら登れて良かった。 背後には懐かしいモン・ブランやヴェルトを中心とする針峰群が見えるようになり心が弾んだ。 クライミングのセンスや技術は確実に衰えているが、昨年の白内障の手術で良く見えるようになった目がそれを補ってくれた。 

   岩稜の間に何度か短い急斜面の氷河があり、その都度駆け上がるようにして登ると、酸欠で雪面が黄色く見え指も少し痺れてきたので、その先の岩場は意識的にペースを落として登ったが、ダビットからは何も言われることはなかった。 西稜の終了点となるコンバン・ド・バルソレイの山頂が見えてくると凍った岩が無くなったのでアイゼンを外す。 山小屋から仰ぎ見ていたモン・ヴェラン(3726m)の頂はすでに眼下となった。 頭上に木製の十字架が見え、7時45分に雪に覆われた前衛峰のコンバン・ド・バルソレイ(4184m)の山頂に着いた。 意外にもここで休憩していたドイツ人夫婦のパーティーから「コングラチュレーション!」と祝福を受けた。 眼前にはこれから向かうグラン・コンバンの巨大な雪のドームが鎮座していたが、核心部の岩稜の登攀を終えたので、その頂に辿り着くのは訳もないということだろう。 風もなく穏やかな山頂からはモン・ブランやヴェルトを中心とする針峰群が一望出来た。


3時半にドイツ人夫婦のパーティーと同時に慌ただしく山小屋を出発する


氷河の取り付き


ドイツ人夫婦のパーティー


岩稜の取り付き


先行するドイツ人夫婦のパーティー


朝焼けのモン・ブラン(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


西稜の核心部


時々ある4級の岩には確保用のピトンが打ってあった


雪のクーロワールには固定ロープがあった


西稜から見たコルバシエール氷河


西稜から見たモン・ヴェラン(3726m)


西稜から見たモン・ブラン(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


コンバン・ド・バルソレイの山頂直下


コンバン・ド・バルソレイの山頂の木製の十字架


   ドイツ人夫婦のパーティーは再び私達と入れ違いに山頂を発ち、颯爽とグラン・コンバンの山頂に向かっていった。 私達は初めてまともな休憩を取り、ヘルメットを脱いで身軽になった。 新しいトレースを踏んで標高差で100m近くコルまで下り、本峰への最後の登りに入る。 登頂はもう確実だが、ダビットはなぜかペースを落とさずグイグイと私を引っ張っていく。 意外にもドイツ人夫婦のパーティーは山頂で長居はせず、コンバン・ド・バルソレイへの登り返しや岩稜の下降を嫌ったのか、反対方向に下っていった。 

   山小屋を発ってから5時間後の8時半に、11年ぶりのアルプスのピークとなるグラン・コンバン(4314m)の山頂に辿り着いた。 ドイツ人夫婦のパーティーはすでに見えなくなり、後続のフランス人のパーティーの姿はまだ見えず、図らずも山頂は私達で貸し切りとなった。 ダビッドと固い握手を交わし登頂のお礼を言う。 ダビッドも仕事とは言え初登頂なので喜んでいた。 周囲の写真を撮ろうとすると急速に霧が山頂を覆い始め、それまで遠目に見えていたマッターホルンを隠してしまったのが玉にキズだ。 独立峰らしい雄大な展望で、この山を登りたいと思うきっかけとなったアオスタの町も眼下に望まれた。 山頂で霧が晴れるのを少し待ちたかったが、ダビッドに「まだここで半分ですから」と下山を促されたので、僅か5分ほどで憧れの山頂を辞した。 下りは私が先頭だ。 コル付近でフランス人のパーティーとすれ違い、お互いの登頂を讃え合った。 コルからの登り返しでは陽光に照らされた雪がすでに柔らかくなり、安全性に対するダビッドの認識も高いことがあらためて分かった。

   コンバン・ド・バルソレイの山頂でグラン・コンバンに最後の別れを告げアイゼンを着けたま往路と同じ西稜の岩場を下る。 ダビッドは初見ながらルートを良く覚えていて、寸分の狂いもなく登ってきたルートを後ろから私に指示する。 何でもない所で足を滑らせれば、ダビッドでも止めようがないので、一瞬たりとも気が抜けない。 何箇所かある4級の岩は全て懸垂で下ったが、ダビッドの発する「スィート・ユア・アーネス!」(Seat your harness)という“上品な?”言葉の意味が理解出来ず、何度も彼に言わせてしまった。 それでも当初の目論見どおり、次のダン・ブランシュに向けてクライミングの良い練習となった。 

   岩稜を全て下り終えると二人とも緊張感から解放され、最後は氷河の取り付きまで腐った雪の斜面をアイゼンを外して転がるように駆け下り、ロープを解いて12時45分に山小屋に着いた。 女性スタッフ達が登頂を祝福してくれ、すぐに昼食の準備に取り掛かってくれた。 ダビッドとコーラで乾杯し、登頂の余韻に浸りながら注文した昼食のパスタを食べた。

   居心地の良い山小屋でゆっくりしていきたかったが、ツェルマットへの帰りの時間が気になり、ダビッドも明日の仕事のため早く帰りたいだろうから、女性スタッフ達に別れを告げて想い出深い山小屋を後にする。 帰路は一部で地図にない破線ルートを辿り、疲れてはいたが登山口の駐車場まで休まず2時間ほど歩き続けた。

   マルティーニの手前でレストランに寄り、ダビッドにサミットボーナスを手渡す。 タイミング良く田村さんからダビッドに電話が入ったので登頂の喜びを伝えた。 妻にもSMSで登頂と下山の報告をした。 今日のスイスは猛暑となったようで、途中のシオン付近での車の温度計は35度を示していた。 車窓から見えたビーチホルン(3934m)の登頂の可能性についてダビッドに尋ねると、意外にも一般ルートなら全く問題ないとのことで嬉しかった。 4日後のダン・ブランシュでの再会を約し、フィスプの駅でダビッドと別れる。 5時37分発の電車に乗って妻の待つツェルマットに向かった。

 

コンバン・ド・バルソレイの山頂から見たグラン・コンバン


ドイツ人夫婦のパーティーは山頂の反対方向に下っていった


グラン・コンバンの山頂


グラン・コンバンの山頂


グラン・コンバンの山頂から見たモン・ブラン(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


グラン・コンバンとコンバン・ド・バルソレイのコルから見たコンバン・ド・バルソレイ


二度目のコンバン・ド・バルソレイの山頂


コンバン・ド・バルソレイの山頂から見たグラン・コンバン


往路と同じ西稜の岩場を下る


氷河の取り付きから見た西稜の岩場


バルソレイ小屋


バルソレイ小屋付近から見たモン・ヴェラン


山小屋のテラスで昼食のパスタを食べる


女性スタッフ達に別れを告げて想い出深い山小屋を後にする


帰路は一部で地図にない破線ルートを辿った


登山口の駐車場まで休まず2時間ほど歩き続けた


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