《 10月4日 》

A.B.C ( 5 7 0 0 m ) ⇒ B.C ( 4 9 0 0 m ) ⇒ ティンリ ( 4 3 2 0 m )

   10月4日、今日はいよいよA.B.Cを発ち、B.Cから陸路で帰国するスタッフ達と別れ、下界のティンリのホテルに泊まる。 倉岡隊よりも少し早くA.B.Cを発ってAG隊のテントに寄り、本隊よりも一日遅れで今日からC.1に上がる徳田さんに会う。 午後から出発する予定の徳田さんとの歓談中にC.1の梶山さんから無線が入り、登頂日が一日早まったので、これからC.2まで登ってくるようにとの指令があり、慌ただしく見送ることになった。 

   今日は車道の終点のギャブルン(5450m)までタクシーが来ることが確実なので気は楽だが、歩いても歩いても標高が下がらない登り返しの多い道は、3度目となる今回も同じように楽ではなく、今日もA.B.Cから3時間半掛かってようやくギャブルンに着いた。 ギャブルンでタクシーを待っているとナキウサギが現れ、間もなく到着した倉岡隊と共にタクシーに乗ってB.Cに下った。


朝のチョ・オユー


A.B.Cを撤収するスタッフ達


倉岡隊よりも少し早くA.B.Cを発つ


AG隊のテントに寄り、今日からC.1に上がる徳田さんに会う


モレーンの背を歩く


途中の小さな氷河湖の傍らで休憩する


歩いても歩いても標高が下がらない登り返しの多い道


歩いても歩いても標高が下がらない登り返しの多い道


ギャブルン付近から見たチョ・オユー


車道の終点のギャブルン


ナキウサギ


ギャブルンからタクシーに乗ってB.Cに下る


   工事現場の資材置場のような埃っぽいB.C(4900m)にはすでにどの隊のテントもなかったが、中国登山協会の常設テントに立ち寄って登山終了の手続きを行うと、意外にも予期していなかった登頂証明書を頂くことになった。 間もなくA.B.Cからヤクで運ばれた私達の荷物が、ギャブルンからは工事用のダンプカーで運ばれてきた。 陸路でネパールに帰国するスタッフ達は荷物を整理するため、今日はこのB.Cに泊まるとのことで、平岡さんの音頭でお世話になったスタッフ達にチップ(登頂ボーナス)を手渡すセレモニーを行った。 もちろん私はペンバ・ヌルだ。 最近はシェルパへの登頂ボーナスの額について、エージェント側から隊員一人当たり500ドルくらい出して欲しいという要望があるようだ。 それとは別に、いつも美味しい料理を作ってくれたドゥルゲらのキッチンスタッフにも100ドルのチップを手渡した。 ボーナスを貰うスタッフ達はもちろん、手渡す私達も本当に嬉しい瞬間だ。 やはり大きな山は全員が登頂しなければ駄目だとつくづく思った。

   スタッフ達とは数日後にカトマンドゥで再会することを約し、私達は更にタクシーで快適なティンリ(4320m)に下った。 B.Cからは1時間足らずでティンリ着くと、ホテルは前回と同じだったが、1階の古いタイプの部屋だった。 今日の宿代はエキストラなので1泊100ドルと高いが、これはホテルではなく手配したリエゾンに支払うため、そのお金の行方については想像に容易い。 何はともあれ、1か月ぶりに潤沢なお湯の出るシャワーを浴びることが出来て嬉しかった。


B.Cから見たチョ・オユー


登頂証明書


A.B.Cからヤクで運んだ私達の荷物が、ギャブルンからは工事用のダンプカーで運ばれてきた


平岡さんの音頭でお世話になったスタッフ達にチップ(登頂ボーナス)を手渡すセレモニーを行う


ペンバ・ヌルへチップを手渡す


数日後にカトマンドゥで再会することを約し、B.Cでスタッフ達と別れる


B.Cから1時間足らずでティンリのホテルに着いた


1階の古いタイプの部屋


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チ ョ ・ オ ユ ー    ・    山 行 の 報 告    ・    T O P