《 9月27日 》

A.B.C ( 5 7 0 0 m ) ⇒ C.1 ( 6 4 0 0 m )

   9月27日、ようやく熟睡出来るようになったが、まだ鼻が少し詰まっていた。 起床前のSPO2と脈拍は77と57でようやく脈が下がった。 天気は予報どおり良く、チョ・オユーの山頂が良く見えた。 強い陽射しでテントの周りの雪が溶け始めると、テントの脇にネズミのような小動物が動いた。 良く見ると何とそれは私の大好きなナキウサギだったので驚いた。 しばらく愛くるしく動き回る姿を観察していたが、なぜ全く鳴かないのか不思議だった。 また、この高度と環境の下で動物がいたということがそれ以上に不思議だった。

   今回のアタックステージではC.3(7400m)を建設せずC.2(7000m)から一気に山頂を目指すという倉岡隊のメンバーとキッチンスタッフ達に見送られ、8時半にA.B.Cを出発する。 モンスーン明けが近いのか、空の青さが今までになく濃くなってきた。 C.1からA.B.Cに戻ってきてから全く歩いていなかったので、体が動くかどうか心配だったが、出発してから2時間ほどは足取りも軽く絶好調だった。 ガレ場の取り付きが近づくにつれて足が次第に重くなったが、今までで一番早い3時間半足らずで取り付きに着いた。 ガレ場の斜面の雪はすっかり溶けていた。 天気が安定していたので、取り付きでおにぎりを食べながらゆっくり寛ぐ。

 

天気は予報どおり良かった


テントの脇にナキウサギがいた


8時半にA.B.Cを出発する


倉岡隊はC.3を建設せずC.2から一気に山頂を目指すため、明日A.B.Cを出発することになった


モレーン帯から見たチョ・オユー


モレーン帯から見たチョ・アウイ


ガレ場の取り付きでゆっくり寛ぐ


ガレ場の斜面の雪はすっかり溶けていた


   正午過ぎにガレ場の急斜面を登り始める。 今日は今までで一番天気が良く、三度目にして初めて登りながらヒマラヤンブルーの空を背景にチョ・オユーの山頂が見えた。 中間点で一休みしてからC.1直下のフィックスロープに取り付くと、上から団体のパーティーが下ってきた。 意外にもそのパーティーのメンバーは日本人で、私達よりも1週間ほど遅くチベット入りしたAG隊だった。 AG隊の情報は入っていたものの、広いA.B.Cのどこに居を構えているのかも分からずにいたが、図らずもこのタイミングで出会うことになった。 AG隊のメンバーの中には9年前にデナリを一緒に登った徳田さんがいたので嬉しい再会となった。 徳田さんとしばらく雑談を交わしてから、アタック後にA.B.Cでの再会を誓って見送った。 間もなくC.1を見下ろすガレ場の終了点で、AG隊のガイドでデナリを一緒に登った梶山さんともマナスルのB.C以来5年ぶりに再会した。 

   C.1のテントサイトは前回と殆ど同じ場所だったが、中国隊の大きなダイニングテントが無くなったので、とてもすっきりしていた。 今回のアタックステージでもテントは柴田さんと一緒になった。 テントは張り替えられ、前回のように斜めに傾いていることもなく快適だった。 風も今日は殆どなくて良かった。 テントに入るとすぐにスタッフから酸素ボンベが届けられた。 水作りは今日も柴田さんが積極的にやってくれたので助かった。 一休みしてから練習も兼ねて酸素を吸ってみると、すぐにSPO2は95まで上がり、酸素の絶大な効果を実感した。 この酸素ボンベ1本は毎分1リッター吸っても20時間使えるため、明日のC.2までの行動用のみならず、今日の睡眠用からも吸うことが出来る。 450ドルの出費はこの土壇場の状況下においてはむしろ安いくらいだと思えた。 夕食はフリーズドライの味噌汁に親子丼と白米で、一人前を美味しく食べられた。 夕食後のSPO2と脈拍は78と86で脈が予想以上に高かった。


ガレ場の急斜面を登りながらヒマラヤンブルーの空を背景にチョ・オユーの山頂が見えた


C.1直下のフィックスロープに取り付く


デナリを一緒に登った徳田さんと9年前ぶりに再会した


AG隊のガイドの梶山さんと5年ぶりに再会した


C.1のテントサイトは前回と殆ど同じ場所だった


アタックでコンビを組むシェルパ    私とペンバ・ヌル(左) ・ 柴田さんとテンジン(右)


練習も兼ねて酸素ボンベの酸素を吸う


夕食のフリーズドライの親子丼と白米


C.1でも食欲旺盛な柴田さん


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