《 9月18日 》

A.B.C ( 5 7 0 0 m ) ⇒ C.1手前 ( 6 2 0 0 m ) ⇒  A.B.C ( 5 7 0 0 m )

   9月18日、昨夜は軽い頭痛で何度か目が覚めたが、起床前のSPO2と脈拍は71と58で体調は悪くない。 夜中にまた雪が降ったが次第に晴れてきた。 今日は順応登山で6400mのC.1まで往復する。 6時前にC.1の建設場所を確保するためにシェルパ達がC.1に向かった。 私達も後から出発する倉岡隊に見送られて7時過ぎにA.B.Cを出発する。 前方にはA.B.Cの一番C.1寄りに居を構えていた中国隊の団体がC.1に向かっていく姿が見えた。 モレーンの中の踏み跡はあまり明瞭ではなく、ケルンや所々に立てられた赤旗を目印に進む。 見た目どおり踏み跡は小さなアップダウンの繰り返しで標高が稼げず、1時間ほど歩いた丘の上でA.B.Cからの標高差が僅か50mだった。 

   天気はまずまずで風も弱いが、喉が貼りつくような症状が再発して辛い。 A.B.Cから2時間半ほどでC.1から戻ってきたシェルパ達とすれ違い、大きな氷河湖の脇を過ぎると、ようやく前方にC.1へ突き上げるガレ場の急斜面が見えた。 勾配が次第に増してくると踏み跡は明瞭になり、A.B.Cから3時間40分でガレ場の取り付きに着いた。 A.B.Cとの標高差は320mで、ようやく6000mを超えた。 取り付きで休憩していると、C.1から下ってきたビリーとすれ違った。 ここまで予想以上に時間が掛かったためか、平岡さんからC.1まで行くかは各人の選択で良いという指示があった。 柴田さんとるみちゃんはここで終了することにしたが、私は少しでも順応したかったことと、ガレ場の状態が知りたかったので、高度計の数字が6200mになるまでガレ場を登ることにした。

 

夜中に雪が降ったが次第に晴れてきた


朝食の羊肉のスープとペンネ


後から出発する倉岡隊に見送られて7時にA.B.Cを出発する


前方には中国隊の団体がC.1に向かっていく姿が見えた


踏み跡は小さなアップダウンの繰り返しで標高が稼げなかった


大きな氷河湖の脇を通る


勾配が次第に増してくると踏み跡は明瞭になった


6000mを超えたガレ場の取り付き


ガレ場の取り付きでC.1から下ってきたビリーとすれ違った


   ガレ場の取り付き付近は浮石が多くて歩きにくく、下山してくる人が落とす落石もあったが、徐々に踏み跡の状態は良くなり、短時間で標高が稼げるジグザグの道となった。 頭上には氷河が見え、あと1時間足らずでC.1に着きそうだったが、予定どおり高度計の数字が6200mとなった所でC.1の建設場所を見に行くという平岡さんと別れて引き返すことにした。 ガレ場の取り付きを過ぎると、後からA.B.Cを出発した倉岡隊とすれ違った。 昼過ぎから天気は下り坂となり小雪が舞ってきた。 氷河湖を過ぎると霧で周囲が見辛くなり、ケルンや赤旗に助けられながら休まずに進む。 ようやく後ろから追いついてきた平岡さんと一緒に3時にA.B.Cに戻り、ドゥルゲに作ってもらった暖かいラーメンを食べて生き返った。 

   夜食は野菜のてんぷらと手巻き寿司で、思わずお腹一杯に食べてしまった。 夕食後のSPO2と脈拍は74と72で、昨日と全く同じだった。


ガレ場の取り付き付近は浮石が多くて歩きにくかった


C.1まで登らず高度計の数字が6200mとなった所で引き返した


後からA.B.Cを出発した倉岡隊とすれ違う


平岡さんと一緒に3時にA.B.Cに戻った


夕食の野菜のてんぷら


夕食の手巻き寿司


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