《 9月14日 》

A.B.C ( 5 7 0 0 m ) ⇒ B.C ( 4 9 0 0 m )

   9月14日、6時に起床。 チベットに来てから一番の良い天気だ。 夜中は残念ながら予想どおり頭痛で1時間毎に目が覚め、SPO2は一時60台まで下がった。 起床後のSPO2と脈拍は82と69だったが、これは熟睡していないからだろう。 体調はベストではないが、お腹の調子は良く快便だった。 初めて5700mの高所に泊まった割にはまずまずだろう。 夜中の降雪でテントサイトの周囲は薄っすらと雪化粧していた。 A.B.Cは予想以上に周囲の山々の景観が素晴らしく、逆光ながら待望のチョ・オユーの頂が神々しく望まれた。 朝食はカップそばだったが、美味しく食べられた。 

   朝食後は少しでも順応の足しにしようと、C.1へ向かうモレーンの中の踏み跡を30分ほど歩いた。 犬も歩けば何とやらで、C.1から下ってきたパサン・カミ(2013年のアマ・ダブラム登山のシェルパ)とすれ違ったり、無酸素で挑みに来ていたビリー(2011年のマナスル登山の登山隊のメンバー)と再会したりしてとても嬉しかった。


A.B.Cから見たチョ・オユー


A.B.Cから見た氷河の山


A.B.Cから見た氷河の山


A.B.Cから見た氷河の山


A.B.Cから見た氷河の山


C.1へ向かうモレーンの中の踏み跡を30分ほど歩く


C.1から下ってきたパサン・カミとすれ違う


無酸素で挑みに来ていたビリーと再会した


   ダイニングテントでのティータイムの後、10時にB.Cに向かって歩き始める。 それまでは順調だったが、しばらくすると頭痛がしてきたので、皆よりもだいぶ遅れて殿を務めるペンバと一緒にゆっくり下る。 サイドモレーンの背を下ってからのダートの車道は、昨日登ってきた時以上に長く感じ、歩いても歩いても標高が下がらないばかりか、登り返しの方が多いような錯覚すら覚えた。 悪いことに喉の痛みもぶり返してきた。 

   A.B.Cから3時間半ほどゆっくりだが殆ど休まずに歩き続けると、工事中の車道の終点のギャブルンに着いた。 付近には1台のランクルが停まっていたが、意外にもペンバから、これが帰りのタクシーだと言われて嬉しかった。 先行して車道を歩いて下っていたるみちゃんとその先で休憩していた柴田さんと平岡さんをピックアップしてB.Cに戻った。 B.Cでは倉岡隊のメンバーに労われたが、体はヘトヘトに疲れていて、土産話をする気力もなかった。 B.Cは相変わらず風が強く、喉が痛い私には辛かった。

   昼食後は昼寝をして体力や風邪の回復に努めたが、夕食前のSPO2と脈拍は82と70で、A.B.Cとあまり変わらなかった。 夕食は標高が下がったので美味しく食べられたが、腹八分目にしておいた。 疲れと睡眠不足で今夜は熟睡出来ると思ったが、咳や淡が止まらず、昨日に続いて殆ど眠れなかった。 それでも5700mのA.B.Cに泊まったことで、高度に対する不安が払拭されたことは間違いなかった。


B.Cに向かって歩き始める


サイドモレーンの背の末端から見たダートの車道


ダートの車道は昨日登ってきた時以上に長く感じた


ギャブルンからランクルのタクシーに乗れた


昼食の焼きそば


夕食の酢豚


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