《 4日 》
B.C(4600m) 〜 C.1(5150m)
8月4日、地形の関係かB.Cは無風で暖かく、テントの結露も無かった。 昨夜からの快晴の天気は続き、早朝から良い天気となった。 昨夜は熟睡し、夜中に目が覚めることもなかった。 起床前のSPO2と脈拍は86と56で、数値も体も絶好調だ。 温かいパンとソーセージ入りの玉子焼きを食べ、後発のマヌエル達のパーティーより一足先に8時半前にアグリと三人でH.Cへ向かう。 B.Cから先へはロバは上がらないので踏み跡は薄い。 出発してすぐにコパの山頂方面からのご来光となった。 小さな池の傍らを通りモレーンの背に上がると、眼下にヒスイ色をしたレヒアコーチャ(湖)が見えた。 登山口からも見えていた荒々しい特徴のある岩塔の基部にある氷河の末端に近づくと、後ろからマヌエル達のパーティーが追いついてきた。
B.Cからゆっくり時間をかけて登り、2時間半ほどで氷河の末端に着くと、沢状となっている雪の斜面には昨日出会ったパーティーのトレースが残っていた。 ハーネスとアイゼンを着け、ヘルメットを被って一息入れる。 アグリの話では、氷河の後退によりシーズン中ここには雪が少なく、いつもは氷化した雪とボロボロの岩とのミックスになっているとのことだった。 コパは易しい山だとガイドブックには記されているが、この取り付きの登りに関しては決して容易ではないことが分かった。
アグリ、妻そして私の順にロープを結び、岩塔の側壁に沿った急斜面の氷河を登り始める。 最初はコンテで登ったが、途中に溶けて薄くなった雪が凍っている箇所があり、所々でスタカットで登る。 しばらく登るとアグリがスノーバーを打ち込んで支点を作り、取り付きで待機しているマヌエル達のパーティーに向かってロープを投げた。 マヌエル達のパーティーが登り始めるのを見てから、アグリはさらに急になった斜面をジグザグに登っていった。 上部での傾斜は45度ほどになり、重荷を背負ったマヌエル達が登ってこられるか心配になった。 取付きから1時間近くを要して、山頂に向かって伸びる長大な西稜の末端に着いた。 陽射しに恵まれた展望の良い尾根の末端で後続のマヌエル達のパーティーを待つ。 しばらくすると、ようやく先頭を登ってくるマヌエルの姿が見えた。 再びアグリがロープをマヌエルに向かって投げ、最後の急斜面での安全対策に気を配っていた。
西稜の末端からは傾斜が緩くなり、右手に見えてきたランラパルカなどを眺めながらの快適な登りとなった。 天気も良く順応も充分なので、このまま山頂まで登ってしまいたいような感じさえした。 間もなく傾斜が無くなると、眼前に広大な雪のスロープが出現した。 スロープの末端には陽光に温められた岩が露出し、そこが今回のH.Cということだった。 この山頂直下の広大な雪のスロープは麓のマルカラやB.Cからは見えず、そのスケールの大きさに圧倒された。 山としては特徴のないコパの真髄は、正にこの氷河の大きさにあるのかもしれない。 予想よりもだいぶ早く、1時前に貸し切りの静かなH.Cに着いた。 私の高度計は5100mだったが、アグリのGPSでは5200m近くあるとのことだった。 早速風の当たらない大岩の下でランチタイムとなったが、アグリは双眼鏡でずっと明日の登攀ルートをつぶさに観察していた。 ランチが終わるとメシアスとノルベルトが雪の上に私達の個人用テントを設営してくれたが、スタッフ達は雪の上ではなく少し凹凸がある岩の上にテントを立てていた。
2時になると、アグリがメシアスとノルベルトを連れて明日のルートの偵察に出掛けていった。 やはり、昨日のもぐりのガイドからの情報が気になったのだろうか。 三人の後ろ姿を目で追いながら、明日のルートを目に焼き付ける。 ノーマルルートの西稜は緩やかで登り易そうに見えた。 間もなく三人の姿が見えなくなったので、個人用テントで休養することにした。 SPO2と脈拍は86と70だが、数値以上に体は楽だった。 H.Cに着いた時は殆どなかった風が次第に強くなり、テントがバタついてきたので、雪や石を積んでテントを補強する。 山頂方面から吹き下ろしてくる風は刺すように冷たかった。 日没前の5時半を過ぎてようやくアグリ達が偵察から帰ってきた。 アグリの話では、やはりクレヴァスの状態が悪いので、明日は予定よりも早く1時に出発するとのことだった。 夕食は日本から持参したフリーズドライの赤飯とスープを食べ、7時前には横になった。