《 プロローグ 》

成田 ⇒ アトランタ ⇒ リマ

   2014年の夏はカザフスタンにある天山山脈の名峰ハン・テングリ(7010m)に登る予定でいたが、同行するガイドの平岡さんの日程が調整出来ず、ボリビアのアンコーマ(6427m)とイリャンプー(6368m)の可能性を模索していた山仲間の伊丹さんと共に、以前から行ってみたかったペルーのワイワッシュ山群を一周するトレッキング(アルパイン・サーキット)と、この山群の6000m峰で唯一登頂の可能性があるラサック(6017m)の登山を組み合わせたツアーの企画をガイドの平岡さんにお願いし、4年ぶりにペルーの山を登ることになった。 最終的な計画は5月にまとまったが、計画の段階で来年同じペルーのブランカ山群に行くことを検討していた山仲間の西廣さん夫妻を誘い、またツアーの募集直後に2年前のエクアドルの山にご一緒したOさんが参加されることになり、図らずも私から見ると“プライベートツアー”のような感じになった。 伊丹さんの休暇の関係でこのツアーの期間は2週間ほどで計画されたため、私達と西廣さん夫妻はツアー終了後にブランカ山群に移動し、引き続きこのツアーのチーフガイドを務めるアグリピーノ(通称アグリ)とチョピカルキ(6345m)を登り、さらにその後もアグリと私達だけでチンチェイ(6222m)に登ることにした。

   ワイワッシュ山群はブランカ山群に次いでペルーでは2番目に大きな山群で、実話に基づく映画『運命を分けたザイル』の舞台となったシウラ・グランデ(6344m)や、世界百名山のイェルパハ(6634m)、そして“ハチドリの嘴(くちばし)”を意味するヒリシャンカ(6094m)などの名峰を擁するアルピニスト垂涎の山群であるが、どの山も急峻で登頂が困難なため、ブランカ山群に比べて訪れる登山者やトレッカーは桁違いに少ない。 この山群を一周するトレッキングルート(アルパイン・サーキット)として今回平岡さんがガイドのアグリと煮詰めた計画は、いくつかあるルートの選択肢の中から最も山の際を歩く“オート・ルート”で、入山してからは一度も標高が4000mを下回ることは無く、5000mを超える峠を3回越えるというハードなものだった。 おそらくこのルートを辿ったことのある邦人はいないだろう。 日程の都合上、入山前に山麓の町をベースにした順応が出来ないため、6月に参加するメンバー全員で高所順応と親睦を兼ねて富士山の山頂に泊まったり、個々に日帰りで登ったりして体を慣らした。 

   7月11日、直前に上陸した台風の影響で成田空港への集合が危ぶまれたが、私と妻、西廣さん夫妻、伊丹さん、Oさんの6名のメンバーは全員無事午後4時前に成田空港を出発し、約12時間のフライトで乗継地のアトランタ空港に到着した。 アトランタ空港の施設はリニューアルされ、とても綺麗になっていた。 トランジットの時間は2時間ほどだったが、入国審査は拍子抜けするほどスムースだった。 今回利用したデルタ航空では、日本から米国間の便について、預託荷物の1個(重量は23キロまで)までが無料で、それ以外は1個につき100ドルが課金されることに変更されていた。 アトランタ空港からリマのホルヘ・チャベス空港へは約7時間のフライトで深夜に到着し、一月以上前からペルーに滞在している平岡さんに出迎えられて、前回と同じ空港に併設されたホテル『ラマダ・コスタ・デル・ソル』に泊まった。


ペルーの山群


ワイワッシュ山群


リニューアルされたアトランタ空港


リマの空港内のホテル『ラマダ・コスタ・デル・ソル』


N E X T  ⇒  《 7月12日 》


ワイワッシュ山群        2 0 1 4 年    ・    山 行 の 報 告    ・    T O P