《 プロローグ 》

   2011年の秋に初めてネパールを訪れ、憧れの8000m峰であるマナスル(8163m)に運良く登ることが出来た。 図らずも当初その使用を危惧していた酸素マスクやボンベに逆に助けられたということが登頂の最大の要因でもあった。 今年はマナスルを優先させたため昨年行かなかったアマ・ダブラム(6856m)かチョ・オユー(8201m)のどちらかに行くことを考えていたが、やはり血管年齢が若いうちにより高い山に行っておいた方が良いと思い、ガイドの倉岡裕之さんが秋に企画していたチョ・オユーのツアーに参加することにした。 ところが出発直前の7月になってゲートウェイとなるチベットが突然外国人入域禁止令を出し、ビザがおりずに入国出来なくなってしまった。 そこで第二候補のアマ・ダブラムに変更することにしたが、今度は直前すぎてか倉岡さんの隊では参加者が集まらない。 昨年お世話になったラッセル・ブライスの率いるHIMEXも秋にアマ・ダブラムのツアーを企画していたが、チーフガイドのエイドリアンとラッセルが仲違いするという珍事があり、今年は登山期間が通常の半月遅れとなるとのことで、このツアーには少々無理があるように思えた。 しばらくの間はアマ・ダブラムに行くか行かないか悩んでいたが、ガイドの平岡さんが同時期に募集しているヒムルン・ヒマール(7126m)のツアーにも触手が伸び始めた。 ヒムルン・ヒマールは昨年マナスルで一緒だったドイツの女性登山家のビリーが絶賛していた山で、今回の平岡さんの企画もこれに端を発したものだった。 

   ヒムルン・ヒマールはマナスルの北西約25キロほどのチベットとの国境付近に聳える寂峰で、周囲にはネムジュン(7139m)、ヒムジュン(7092m)、ギャジカン(7038m)、ラトナチュリ(7035m)といった7000m峰が同峰を含め5座ある通称ペリ山群に聳える山だ。 意外にもマナスルと同様に初登頂は日本の北海道大学隊で、また登山許可の関係からそれは1992年という最近のことだった。 第2登は2009年の信州大学隊であるが、その他の登頂記録は見つけられなかった。 最近では国の最高峰や世界百名山、その他の名峰ばかりに目が向いていたが、知らない山に対する興味というよりは、このチャンスを逃したら生涯この山を登ることは出来ないという気持ちが芽生えてきて、結局このツアーに参加することに決めた。 平岡さんの話では、サーダー以下今回の登山隊のスタッフの誰もまだ同峰に登った(行った)ことがないとのことで、総合的にも昨年のマナスルより1ランク上の山であることは間違いなさそうだ。 最初は同じような理由から参加者も昨年マナスルでご一緒した齋藤さん(るみちゃん)だけだったが、最終的には私を含めて6人となり、初顔合わせの泉さん以外の隊員は図らずも皆知り合いだった。 6人の隊員のうち、藤田さんと滝口さんとは5年前にチリのオホス・デル・サラードでご一緒し、割石さんとは3年前にペルーのワスカラン・トクヤラフでご一緒し、るみちゃんとは昨年マナスルを登った仲だ。 泉さん以外は全員マナスルの経験者というのも何かの縁だろう。 事前の小淵沢で行われた説明会の夜は泉さんの八ケ岳の別荘に皆で押しかけ、朝まで飲み明かして親睦を深めた。 

   今回の装備品は基本的に昨年のマナスルと同じ物を使うことにしたので、準備にはそれほど時間が掛からなかった。 逆に食料や前回不要だった嗜好品などはだいぶ削ったので、装備品の総重量は42キロほどで収まり、EMS(国際郵便)で事前にエージェントのマウンテン・エクスペリエンスのカトマンズ事務所に送ったのは16キロ、帰路はEMSを使わず全て飛行機にて持ち帰った。


ヒムルン・ヒマール(Himlung Himal)の位置(左上)


C.3直下から見たヒムルン・ヒマールの山頂


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ヒムルン・ヒマール