《 9月26日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月26日、昨夜は鼻が詰まって良く眠れなかったので体調は今一つだ。 早朝は陽射しもあったが、間もなく小雪が舞い始めた。 予定どおりであれば今日が第一次隊の山頂アタック日だったので、5日前の天気予報は全く外れたことになる。 もはや頼りになるものがない。 今の天気予報は変わり易くて不安定ということなので、アタックステージには一番悪いパターンになってしまった。 長期戦になりそうなので、スタッフ達は全員サマ村に下山し、食糧や埋まってしまったフィックスロープの調達をすることになった。 

   明日の出発もないと決まったので、朝食後はAG隊のテントに遊びに行く。 ちょうどダイニングテントでトランプをやっていたので、その輪に加えてもらう。 腕を骨折したMさんが添え木をしていて痛々しかった。 隣のテントではAG隊のスタッフ達が気合の入ったバクチをやっていた。 昼前に埼玉岳連隊の大山さんがAG隊のテントを訪れた。 埼玉岳連隊は私達の隊の第一次隊と同じようにC.2に泊まっていたが、早めに見切りをつけて午前中に私達が停滞していたC.1を通過してB.Cに下ったとのことだった。 昼食はAG隊で焼きそばとハンバーグを御馳走になる。 雪はその後も降り続き、3時のティータイムをはさんで夕方までAG隊のメンバーとお喋りをして過ごした。 天気が悪くてヘリがサマ村に飛べなかったため、スタッフ達もサマ村から戻ってこなかった。 

   夕食後にラッセルから、雪で埋もれてしまった上部キャンプ間のルートの修復を短期間で済ませるため、各登山隊からスタッフの応援をもらい、明後日から共同で修復作業を行うという話しがあった。 一方、私は登頂へのモチベーションを維持するため、“マナスルは登れなかった”という自己暗示をかけることにした。 不安定な天候と当たらない天気予報、そして大雪により、再度アタックに出発しても今回のようなことがあれば、今度こそ時間切れで終わってしまうので、最後まで登頂出来ると期待していると、登れなかった場合の精神的なダメージが大きく、今回のみならず次の山への挑戦にも影響しそうな気がしたからだ。 結果は別として、マナスル登山は終了し、今は別の山を目指して準備を進めていると強く念じた。 人一倍往生際が悪い自分にとってこれが一番良い方法だと思った。


B.Cは一日中小雪やみぞれが降っていた


AG隊のテントでトランプに興じる


バクチに興じるAG隊のスタッフ


夕方までAG隊のメンバーとお喋りをして過ごす


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マ ナ ス ル