《 9月15日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月15日、昨日の雨でモンスーンらしい気候に戻ったのか、今日は久しぶりに早朝から小雨が降っていた。 昨夜は9時間ほど寝たが、まだ寝足りないような感じで、4日前の筋肉痛がうっすらと残っている。 高所で負荷をかけるような行動は厳禁だとあらためて肝に銘じる。 起床前のSPO2と脈拍は83と58で起床後は90と65と非常に良くなったが、もしかするとSPO2の向上が眠さを助長しているのかもしれない。

   朝食後のガイドミーティングで、ラッセルから待望の登頂予定日についての伝達があった。 天気予報では明日から1週間天気が良く、その後モンスーンが明けるということなので、今日から(私達は明日から)の高所順応の第3ステージの終了後に3日間(軍人チームは2日間)B.Cで休養し、9月27日(軍人チームは26日)をアタック日とすることが決まった。 この計画は門外不出であることは言うまでもない。

   昼前に少し晴れ間が見えてきたので、AG隊のテントに今日の夕食に使う鰹節や粉ワサビなどの食材を貰いにいく。 あいにくAG隊のメンバーは梶山さんとC.1タッチに出掛けていて不在で、これから追いかける近藤さんしかいなかった。 AG隊では前回まで上部キャンプはC.1〜C.3の3か所だったが、今回は私達と同じC.4まで建設する計画なので、C.1の場所は私達の隊と同じ場所にしたとのことだった。 B.Cのテントサイトには各国の登山隊が集結し、沢山のテントの花が咲いていた。 現在約19隊でスタッフを含めると200人くらいの人がいるらしい。 パーミッションの関係から少人数の国際隊もあるようだ。 

   昼食後も小雨が降っていたが、1時過ぎから外国人隊員達は三々五々C.1に向けて出発していった。 女医のモニカだけラッセルと共に残ったが、どうやら今回モニカは登山パーミッションを取っておらず、そのことを前回の高所順応の時に他の隊から指摘されたとのことだった。 この狭い世界でそんなつまらないことをやり玉にあげる人がいるのかと驚いた。 外国人隊員達が 全員出発してから、ダイニングテントで今回の順応ステージ(3泊4日)の時のアルファー米やフリーズドライの食糧を次回のアタックステージ(5泊6日)のことも考えながらチョイスする。 自分で荷上げする10日分の食糧計画を決めるというのは意外と難しく、一品一品ノートに書き込んで整理しながら無駄なくかつ必要なものだけを選んだ。 

   食糧計画が決まったので次は上部キャンプで使う衣類や携行品の入念なチェックを行う。 これもアイテム毎にどこからどこまで使いどこにデポするか(あるいはすでにデポしてあるか)を一つ一つノートに書き込んで整理する。 例えば登山用のエアーマットは前回C.1にデポしてきたが、今回の順応ステージではC.2に荷上げしてデポし、次回のアタックステージではその代用品としてテントマットをB.CからC.1に荷上げして使い、C.2ではデポしたエアーマットを使ってから順次C.3・C.4に荷上げして使い、これにより少しでも体力を温存したいアタックステージではC.1からC.2への荷上げを省くという作戦だ。 この点がH.Cからのワンプッシュで登れる6000m峰と8000m峰の決定的な違いということだろう。 

   夕方になると料理が趣味というるみちゃんと平岡さんが夕食を作り始めた。 メインディシュはチキンカツで、チーズ用のおろし金で古いパンをすりおろしてパン粉を作り、ご飯は圧力鍋で炊くという入れ込みようだった。 今晩は外国人隊員達がいないので、私達と留守番のモニカとラッセルで夕食を食べることになった。 ナスの素揚げ(味噌ダレ)、オクラのおひたし、キャベツの千切り、それに味噌汁が加わった和定食に皆で舌鼓を打った。 もちろんモニカとラッセルも非常に美味しいと喜んでいた。 今日は最後まで冷たい雨となり、気温は昨日よりも下がって初めて吐く息が白くなった。


今日の朝食


丘の上のテントサイトから見たHIMEX隊のテント


2回目の高所順応でC.1に向けて出発する外国人隊員を見送る


今回の順応ステージ(3泊4日)の食糧を次回のアタックステージ(5泊6日)のことを考えながらチョイスする


ミーティングをするスタッフ


キッチンテントで夕食の準備をする


出来上がった夕食のおかず


久々の和定食に舌鼓を打つ


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