2 0 1 2 年  1 月  

《 5日 〜 7日 》    チンボラソ ( 6 3 1 0 m )

ウルビナ村 〜 カレル小屋 〜 ウインパー小屋 〜 チンボラソ 〜 ウインパー小屋 〜 カレル小屋 〜 キト

   1月5日、上空には青空が僅かに覗いていたが、今朝も宿からチンボラソは見えない。 無用な期待はしていなかった(しないように努めていた)ので、気持ちの落胆は少ない。 いずれにしても今日はスケジュールどおり最終目標のチンボラソに向けてベースとなるウインパー小屋(5000m)に行き、夜中からアタックを開始する。 起床後のSPO2と脈拍は93と76で脈が少し高いが体調は相変わらず良い。 

   9時過ぎに宿を発ち、今日から合流する3人目のガイドのマウリシオをウルビナ村の入口でピ ックアップする。 マウリシオは地元在住のチンボラソに精通しているガイドとのことだった。 バスは宿からチンボラソの裾野を時計回りに進んで緩やかに高度を上げていく。 車道の終点にあるカレル小屋(4800m)までの道路は最後の一部を除いて舗装されているので、今までと違いバスでも快適だった。 車道の両側は牧草地となっていてリャマやアルパカが放牧されている。 国立公園内にあるコトパクシとは違い所々に人家があり、山裾には生活感がある。 標高が上がるにつれて天気は悪くなり、皆の表情も一様に冴えない。 カレル小屋から8キロ手前のゲートは工事中で、前回のように入山手続きはしなかった。 カレル小屋から車で下りてきたガイドにマウリシオがすかさず山の情報を聞いたところ、意外にも今日登頂したパーティーがいることが分かり、一同にわかに活気づいたが、一方で後悔の念に苛まれることにもなった。

   間もなく周囲はモノトーンの雪景色となり、野生のビクーニャの姿も見られた。 道路も一部が雪に覆われていたが、ウルビナ村から2時間ほどで車道の終点に建つカレル小屋に無事着いた。 人気のコトパクシとは比べようがないが、車が4〜5台停まっていた。 カレル小屋で先日タンボパクシ小屋で談笑したオーストラリア人ガイドと偶然再会し、彼のパーティーも今日登頂したことが分かった。 11時にここまで下りてきたということは、相当早い時間帯に山頂に着けたということだ。 意外にもルートの状態は良かったとのことだった。 西峰までだったのかもしれないが。 カレル小屋で昼食のサンドイッチを作って食べ、出発の準備をしていると、それまでの悪天が嘘のように急速に青空が広がり、眼前にチンボラソの西峰が姿を現した。 昨日からの沈滞ムードも一気に吹き飛び、皆で大はしゃぎだ。 すでに心の中では諦めていた(諦めようとしていた)山頂への期待感がむくむくと頭を持ち上げてきた。 

   雪混じりの登山道を標高差で200mほど上にあるウインパー小屋へゆっくりと1時間近くかけて登る。 コトパクシほどではないが、一般の観光客の姿も散見された。 運転手のハビエルもドメニカの荷物を担いで登っていた。 次第に霧が濃くなり、ウインパー小屋に着く頃には再び山は見えなくなってしまった。 前回の滞在時の最終到達地点となった想い出深い山小屋に、リベンジを誓った哉恵さんと一緒に帰ってきた。 今日登ったパーティーは全て皆下山してしまったのか、山小屋の食堂は閑散としていた。 2階の二段ベッドの寝室も余裕があり、16人が泊まれる部屋の下の段のベッドを私達7人で独占した。 単に天気が悪いという理由だけなのか、コトパクシのホセ・リバス小屋の喧噪が嘘のように、その後も登山者は殆ど来なかった。

   コトパクシと同じように夜の10時に起床して11時に出発することとなり、夕方の4時にドメニカが作ってくれた具沢山のスープとパンを食べて5時にベッドに入った。 明日のアタックは2〜3パーティーだけかと思ったが、間もなく次々と登山者が山小屋にやってきた。


カレル小屋から車で下りてきたガイドにマウリシオが山の情報を聞く


野生のビクーニャ


車道の終点に建つカレル小屋


カレル小屋で昼食のサンドイッチを作って食べる


カレル小屋から見たチンボラソ西峰


カレル小屋からウインパー小屋に登る


ウインパー小屋(中央)の手前付近


ウインパー小屋


2階の二段ベッドの寝室


食堂は私達だけで閑散としていた


キッチンでスープを作るドメニカ


3人目のガイドのマウリシオ


   1月6日、順応している証か、起床時間の10時少し前まで熟睡してしまった。 屋外にあるトイレに行くと、あいにく雪がしんしんと降っていた。 今日は厳しい登山を強いられそうだ。 昨日は一瞬山頂への期待が持てたが、この現実は受け止めなければならない。 山頂まで届くかどうかは神のみぞ知るところだ。 慌しく準備をしながら朝食を食べている傍らで、セバスチャンやマウリシオが他のパーティーのガイド達と話し合っている光景に違和感を覚えたが、間もなく平岡さんから「天気が悪いのでしばらく出発を見合わせます」との指示があったので、セバスチャン達の行動が理解出来た。 時間に余裕があるわけではないので、待つ時間はせいぜい30分から1時間ぐらいと思っていたが、1時間を過ぎても出発する気配は全くなかった。 どうやら他のパーティーも一緒に行動するようで、出発するパーティーは無かった。 平岡さんから「2時くらいまでに出発出来れば、ぎりぎりですが登れる可能性はあります」という説明があったが、昨日からすでに心の準備は出来ていたので、この時点でもう山頂は諦めることにした。 仮に何とか西峰まで登れたとしても、私の心の中ではチンボラソに登ったことにならないからだ。 外に出てみると、雪はまだ降り続いているが月は見えていた。  

   意外にもリミットとして考えていた2時を待たずにセバスチャンはアタックの中止を決めた。 例え駄目でも行ける所まで行きたかったが、セバスチャンや他の地元のガイド達が合議して下した決断を覆すことは出来ない。 私達が想像しているよりも上の状況は厳しいということだろう。 アタックの中止が決まったので、しばらくすると皆三々五々2階の寝室に上がって行ったが、私は未練がましく妻と2時頃まで食堂に居残っていた。 もうチンボラソには当分の間訪れることはないだろうし、目標にしていた南米五大峰の完登の夢もついえた。 平岡さんも私達以上に悔しがっていて、すぐには寝ないで私達と傷を舐め合うことになった。 数日前、平岡さんに「チンボラソにアタックした翌日の帰国日にカヤンベにリベンジすることは可能ですか?」と聞いたところ、「カヤンベなら空港のあるキトにも近いので時間的には可能だと思います」という話だったので、再度その話を切り出したところ、2階の寝室から哉恵さんが下りてきて話の輪に加わった。 意外にも平岡さんから「現時点ではまだ何も決まってませんが、ガイドの延長や車の手配が出来れば、下山後に空港に直行することを前提に明日もう一度チンボラソにアタックすることは可能だと思います」との願ってもない話があった。 但しガイドは平岡さんを含めて2人となってしまうので、アタック出来るのは4人までという条件付きだった。 さらに帰国の飛行機の時間に間に合うよう、遅くとも11時にはウインパー小屋に下山する必要があるとのことだった。 エアチケットがオープン(変更可能なもの)なら帰国を一日遅らせるということも選択肢としてあるので、明朝の天気の様子を見てからエージェントに相談した上で、皆さんにあらためて相談しますということになった。 登頂請負人の平岡さんからの甘い囁きに、地獄の底から呼び戻されたような感じで気持ちが落ち着かず、朝までなかなか寝付けなかった。

   7時過ぎに起きて外に出てみると、雪は止んでチンボラソが見えていた。 天気が悪ければ諦めもつくが、私達の感情を逆なでするかのように青空も覗いていた。 朝食後に平岡さんから、明日もう一度チンボラソにアタックするかどうかについての相談があり、すでに諸々の手配をするため下山せざるを得ない朋子さんを除くメンバー5人に先ほどの条件を提示して意見を求めた。 私と哉恵さんはもちろん二つ返事でアタックを希望したが、妻は時間的な制約(特に下りでのスピードが要求されること)があることと、平岡さんも登ることをあまり勧めなかったので、アタックを辞退した。 以前西峰に登頂しているOさんはしばらく悩んでいたが、山に取り付かずに下山するのも嫌だということでアタックを希望した。 Iさんは妻と同様に時間的な制約があるのでアタックを辞退した。 妻は私よりも順応が出来ているので全く問題なく登れると思い、再度登ることを勧めたが、本人の意思は固くやむなく下山することになった。 結局アタックを希望したのは私と哉恵さんとOさん、下山するのは妻と朋子さんとIさんということになった。 

   ウインパー小屋から携帯電話がつながらずエージェントと連絡が取れないため、諸々の手配の都合上チーフガイドのセバスチャンが下山し、“助っ人”のマウリシオが残ることになった。 最後はそれまで苦楽を共にしてきたメンバー全員でアタックすることが出来なくなり、本当に残念な形になってしまったが、この土壇場の状況では仕方がないと割り切らざるを得なかった。 特に私達3人のアタック組をサポートするために下山される朋子さんには申し訳ない気持ちで一杯だった。 もっとも明日は天気が良くなり、アタック出来るという保証は全くなく、もしアタック出来なければ精神的なダメージはさらに大きくなるだろう。

   明日の行動予定が決まったので、荷物を整理して下のカレル小屋に向けて下る。 20分足らずでハビエルが運転してきたバスの待つカレル小屋に着き、下山する妻と朋子さんとIさんの3人とセバスチャン達を断腸の思いで見送った。 カレル小屋で気分転換に日本から持参したカップラーメンを食べて再度ウインパー小屋に登る。 先ほどまでの青空はいつのまにか消え、再びチンボラソは深い霧に包まれてしまった。 

   正午前にウインパー小屋に着くと、2階の寝室のベッドの上に置いてあった哉恵さんのダウンジャケットが無くなっていて大騒ぎとなったが、マウリシオの機転で一階にいた観光客を装った泥棒から無事ダウンジャケットを回収することが出来た。 ベッドで少し横になってから食堂でコーヒーを飲みながら皆でお喋りをしたりして時間をつぶす。 すっかり高所に順応したようで、5000mの山小屋でも普通にいられることがありがたい。 今日も食堂は私達だけで閑散としていた。 ガイドのマウリシオはどちらかというと口数の少ないタイプだと思っていたが、話しかけてみると全くの思い違いで、ウィットに富んだ話を連発するとても面白い人だった。 年齢は39歳で、家族は奥さんとお嬢さんが3人とのこと。 チンボラソには何と100回ほど登ったことがあるという。 エクアドルの山のシーズンは今の時期と6月〜8月なので、春と秋には自動車の教習所で教官として働いているらしい。 大柄な平岡さんのことを終始“ビッグ・ボス”と呼んでいた。 

   明日は11時までにウインパー小屋に戻ってこなければならないので、夜の9時に起床し10時に出発することになった。 パーティーの編成は予想どおりマウリシオに哉恵さんと私、及川さんは平岡さんとマンツーマンとなった。 夕方の3時にマウリシオが作ってくれたラビオリを食べ、4時過ぎにベッドに入った。 寝る直前に外に出てみると、再び青空の下にチンボラソが見えていた。


天候の回復を祈りながら食堂で出発を待つ


朝には雪が止んでチンボラソが見えていた


失意の朝


ガイド達にスケジュールの相談をする平岡さん


ウインパー小屋の屋根に積もった新雪


カレル小屋に向けて下る


カレル小屋


断腸の思いで下山するメンバーを見送る


再度ウインパー小屋に登る


今日も食堂は私達だけで閑散としていた


寝る直前に外に出てみると、再び青空の下にチンボラソが見えていた


   1月7日、興奮していて殆ど眠れなかったが、起床時間の9時直前に熟睡してしまい、哉恵さんに起こされる。 外に出てみると、星空に満月に近い月がこうこうと輝き、チンボラソのシルエットが見えていた。 嬉しいことに風もなく穏やかで、ここ数日では一番の天気になった。 再び山頂への淡い期待が芽生えてくる。 他のパーティーよりも一足早く予定どおり10時にウインパー小屋を出発する。 氷河の取り付き付近は融雪による落石が頻繁にあるとのことで、ヘルメットを被っていく。 足元の雪は10センチほどだ。 昨日誰かが下見に行ったようで新しいトレースがあったが、この山の主とも言えるマウリシオにはそれは無用のようで、所々にケルンが積まれた正しいルートを無駄なく辿って行く。 体を温めるためだろうか、最初のペースはかなり速かったが、次第にそれも落ち着いてきた。 振り返ると、下から次々と登ってくる後続のパーティーのヘッドランプの灯りが見えた。

   ウインパー小屋から1時間ほど登った所でアイゼンを着ける。 マウリシオから、ここから先は落石地帯となるので、スピーディーに行動することを優先してロープは結ばないという説明があった。 30分ほど岩の混じった雪の斜面を前の人との間隔を空けずに登る。 落石地帯を脱したと思われる所でロープを結ぶ。 先程の打ち合わせどおり、マウリシオに哉恵さんと私、Oさんは平岡さんとマンツーマンだ。 哉恵さんと二人揃って登頂しなければリベンジしたことにならないとエクアドルに誘った時から心に決めていたので、図らずもそれに相応しいペアとなった。 

   さすがにチンボラソを狙う外国人のパーティーは健脚揃いで、いつの間にか数パーティーが追い着き、追い越して行った。 平岡さんから、朧げに頭上に見える“カスティージョ”(スペイン語で城という意味)と呼ばれる岩塔の基部まであと1時間くらいですよと励まされる。 先行パーティーのトレースのみならず、古いトレースも残っている感じで、昨日までの降雪量は思ったより少なく、また元旦前後の入山者が多かったことが分かった。

   予想よりも早く零時半前に西稜のコル(5400m)に着き、そこから90度右に折れて西峰(6267m)に突き上げている長大な西稜をひたすら登る。 尾根は顕著でルートとしては分かりやすい。 ありがたいことに風は殆ど感じなかったが、いつの間にか小雪が舞い始めた。 本当にこの山の天気は安定しない。 先ほどまでの淡い期待に少し翳りが見えた。 間もなく何ら特徴のない場所で休憩となったが、意外にもマウリシオはピッケルで哉恵さんのみならず私の分まで足場を作ってくれ、テルモスの温かい紅茶とチョコレートを勧めてくれた。 また、頼んでもいないのにわざわざ私の写真まで撮ってくれた。 予期せぬマウリシオのサービスに好感が持てたが、一方で今日は西峰までしか行けないことが予見されたためではないかとさえ思えた。  

   西稜の勾配はウインパー小屋から見たよりも急で、もし降雪直後でトレースがなければラッセルは相当厳しいものとなるに違いない。 少なくとも大晦日から2日までの3日間は天気が良かったので、足元の立派なトレースが出来たのだろう。 クレバスは殆ど見られず、トレースはひたすら真っ直ぐ上に向かっていて無駄がなかった。 上方で揺れている先行パーティーのヘッドランプの灯がどんどん先へ行ってくれることを願い続けた。

   登頂の目処が立ったのか、マウリシオは1時間おき位に休憩を取るようになり、平岡さんとOさんのパーティーが途中から先行することになった。 風はまだ弱く寒くはなかったが、ここから先のことを考えて薄手のダウンジャケットを着込む。 その後も先行パーティーのヘッドランプの灯との間隔が縮まることはなかったので、このまま西峰までトレースが続いているという期待が持てた。 あとは西峰から山頂までのトレースがあるかどうかだ。 ひたすら変化のない真っ直ぐなトレースを辿って行くと、次第に傾斜が緩み始め、西峰の頂が近づいてきたことが分かった。 すでに下ってくるパーティーがあった。 私達よりも厳しいタイムリミットがあるのだろうか。 いずれにしても時間から推して西峰までで、山頂まで行ってないことは確かだ。 それまで殆ど感じなかった風が次第に強まり、また刺すように冷たかった。 

   地面が広場のように平らになった所でマウリシオが足を止めた。 まだ夜明けは遠く周囲は暗くて何も見えないが、ここが西峰の頂ということだろう。 すでに山頂に向かっていることを期待していた先行パーティーの姿が傍らに見られた。 とりあえず西峰まで登れてホッとしたが、風雪が強過ぎて休憩することもままならない。 時計を見るとまだ5時前だったが、ウインパー小屋を出発してからすでに7時間近くが経っていた。 この強風の中を山頂まで往復するのは辛いが、そんな弱音は吐いてられない。 それ以前にマウリシオが山頂まで行く判断をするかどうかが心配だ。 とりあえず防寒のため羽毛のミトンをザックから出そうとした時、目が急に見えなくなった。 視野狭窄にでもなったかと思いヒヤリとしたが、刺すような冷たい風でメガネのレンズが結露して凍ってしまったことが分かった。 メガネのスペアもあるが、この状況下で取り替えるのは難しい。 オーバー手袋の滑り止めの突起でレンズに付いた氷をこすり落としながらあれこれ悩んでいると、山頂に向けて出発することになった。 皆を待たせるわけにはいかないので、その状況を哉恵さんだけに伝えた。

   足の疲れや呼吸の苦しさは無いが、目が急に不自由になってしまったことで、気持ちがブルーになる。 足元にトレースがあるかどうかも分からず、何度も足が雪に取られ転びそうになるが、その理由すら分からない状況だった。 横殴りの風が断続的に吹いているので、目を開くのもままならない。 自力ではまともに歩くことが出来ず、ロープを掴んで哉恵さんに引っ張っていってもらうようになる。 申し訳ないやら情けないやらの気持ちで一杯だが、あと僅かで待望の山頂に立てるという希望に救われる。 先頭のマウリシオがラッセルしているのか、ペースは遅くて助かった。 西峰から山頂へは一旦少し下ってから登り返すはずだが、なかなか登りに入らない。 30分近く歩いた所からようやく最後の登りに入った。 登る方が足元が安定しているので楽だ。 ようやく周囲が白み始め、風も山頂の陰に入ったので収まった。 不思議とメガネの結露もなくなり、足元が見えるようになってきた。 空がモルゲンロートに染まり、高い山ならではの荘厳な景色が見られた。 登頂を確信し、目頭が熱くなってくる。 

   両手を振り上げ歓喜の声を上げながら、6時過ぎに誰もいないチンボラソのたおやかな広い山頂(ウインパー峰)に辿り着く。 図らずもコトパクシの山頂に着いた時刻と全く同じで、まさに大海原のような雲海から太陽が上がってくる寸前だった。 すぐ後ろから平岡さんとOさんも心を弾ませながら山頂を踏んだ。 土壇場での登頂、そしてリベンジが叶った哉恵さんと抱き合うようにしてお互いの登頂を称え合い、夢を叶えてくれた百戦錬磨のマウリシオ、登頂請負人の平岡さん、そして私達と同様リベンジを果たしたOさんとも肩を叩き合って登頂を喜び合う。 何度も諦めた頂だっただけに、喜びはその何倍も大きかった。 その反面、妻や朋子さん、そしてIさんがいないことが本当に悔やまれる。 皆で写真を撮り合っていると、私達を祝福するかのように大きな太陽が力強く雲海から姿を現した。 身に着けているものは全て風雪でバリバリに凍り、ヘッドランプのスイッチも凍って消せないほど気温は低かったが、太陽の光に照らされて身も心も暖まった。 コトパクシとチンボラソの両方の頂でご来光を拝むことになるとは、全く想像もしてなかった。 おびただしい雲海が周囲を埋め尽くし、山頂からは唯一辿ってきた西峰が見えるだけだったが、エクアドルの最高峰に相応しいスケールの大きな山だった。 

   予定より1時間ほど早く山頂に着いたが、今日は時間制限があるので早々に山頂を辞する。 興奮のあまり山頂でストックを足で踏んで折ってしまったので、下りもバランスが悪く苦労する。 西峰までのトレースは薄く、雪の締まった早い時間帯に登っておいて正解だった。 全てはマウリシオの計算どおりなのだろう。 西峰まで30分ほどで戻れたが、相変わらず風が強かったので、休むことなく西稜を下る。 時間が早かったので西稜にはまだ陽が当たらず、雪が腐ってなかったので、ストックなしでも何とか転ばずに下れた。 西稜のコルの手前まで1時間足らずで一気に駆け下り、ようやく行動食を口にして一服する。 西稜のコルから少し下った所から氷河の取り付きまでの間は、気温がまだ低かったので落石の兆候は全くなかった。 

   予想よりも早く西峰から1時間半ほどで氷河の取り付きまで下り、ロープを解いてアイゼンも外す。 もうあとはウインパー小屋まで30分とかからないだろう。 ジャケットに付いた雪はまだ凍ったままで、カメラのレンズも結露により曇ってしまったが、それも忘れられない想い出となるだろう。 マウリシオには先に行ってもらい、登頂の余韻に浸りながら最後はのんびりと三々五々ウインパー小屋に下る。 西峰の頂には相変わらず雪煙が舞っていた。 タイムリミットとしていた11時よりもだいぶ早い9時半前にウインパー小屋に着いたので、荷物の整理をしてから食堂で軽めのランチを食べる。 

   10時過ぎに想い出深いウインパー小屋を後にする。 チンボラソはもう深い霧に包まれ見えなくなってしまった。 カレル小屋に下り、エージェントが手配したアメ車のロングバンに乗って一路キトに向かう。 途中のアンバトで再会を誓ってマウリシオを見送る。 彼の存在なしではチンボラソには登れなかっただろう。 週末だったが車は渋滞にも遭わず順調に移動出来たので、空港に直行することなく滞在先のキトのホテルで皆と合流することになった。 

   カレル小屋から4時間足らずでキトのホテルに着くと、ランチに出掛けていた妻達も帰ってきたので、控えめながら登頂報告をする。 特にアタックした私達のサポートをするために下山しなければならなかった朋子さんには感謝の気持ちで一杯だった。 ホテルで着替えをしていると、ハビエルの運転するバスでセバスチャン夫妻が現れ、チリの最高峰のオホス・デル・サラド(6893m)に登るため帰国しない平岡さんと朋子さんと一緒に空港で私達を見送ってくれた。 

   6年ぶりのエクアドルの山への再訪は、目標にしていたカヤンベ・コトパクシ・チンボラソの三山について、それぞれ全く違った形での結果を残すこととなり、チンボラソに登れたことで達成出来た南米五大峰の完登も霞んでしまうほど想い出深い山行となった。


他のパーティーよりも一足早く10時にウインパー小屋を出発する


昨日誰かが下見に行ったようで新しいトレースがあった


マウリシオに哉恵さんと私がロープで繋がる


Oさんは平岡さんとマンツーマンで登る


西稜のコル(5400m)から西峰(6267m)に突き上げている長大な西稜を登る


西稜の登りの最初の休憩でマウリシオが私の写真を撮ってくれた


足元の立派なトレースは西峰まで続いているという期待が持てた


平岡さんとOさんのパーティーが途中から先行する


ひたすら変化のない真っ直ぐなトレースを辿る


凍てつく風雪のチンボラソ西峰の山頂


周囲が白み始めると風も収まり、メガネの結露もなくなった


空がモルゲンロートに染まり、高い山ならではの荘厳な景色が見られた


心を弾ませながらチンボラソの山頂を踏む (右が西峰)


日の出前のチンボラソの山頂


チンボラソの山頂でのご来光


チンボラソの山頂 (右からマウリシオ・哉恵さん・平岡さん・Oさん)


チンボラソの山頂


たおやかな広いチンボラソの山頂


チンボラソの山頂から見た西峰


山頂から西峰へ登り返す


西稜のコル


西稜のコルから氷河の取り付きへ下る


“カスティージョ”(スペイン語で城という意味)と呼ばれる岩塔(左上)直下の落石地帯    


登頂の余韻に浸りながらウインパー小屋に下る


西峰の頂には相変わらず雪煙が舞っていた


食堂で軽めのランチを食べる


カレル小屋に下る


アンバトで再会を誓ってマウリシオを見送る


セバスチャンや平岡さん達に見送られて帰国の途につく


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