2009年7月

《 18日 〜 19日 》    プロローグ

成田 ⇒ リマ ⇒ ワラス ⇒ カルアス

  2009年の7月に憧れのペルーのブランカ山群に行く機会を得た。 “ブランカ”はスペイン語で白を意味する。 ブランカ山群とは、南米大陸の西部を南北に約4000kmにわたって縦断するアンデス山脈の一部で、ペルーの北西部を南北に約185kmの長さで連なり、最高峰のワスカラン(6768m)を筆頭に6000m峰を27座、5000m峰を80座ほど擁する大きな山群である。 尚、ペルーには他にイェルパハ(6617m) ・ ヒリシャンカ(6094m) ・ シウラ(6344m)等の名峰(難峰)を擁する『ワイワッシュ山群』というアルピニスト垂涎の山群や、サルカンタイ(6271m)の聳える『ビルカバンバ山群』、霊峰アウサンガテ(6384m) ・ ピコ・トレス(6093m)等の聳える『ビルカノータ山群』がある。

  前年の2008年の8月に南米の山のガイドとしては第一人者である平岡竜石さんとボリビアの山を登った時に、「来年の夏は是非ペルーの山に連れて行ってください」とお願いしておいたところ、年明けに平岡さんから最高峰のワスカラン(6768m)をメインとしたブランカ山群の登山ツアーを計画中であるとの連絡があった。 一昔前までワスカランはとても難しい山というイメージがあったが、インターネットの情報やブランカ山群のガイドブック(洋書)、そしてブランカ山群の山を数多く登られている知人の三井孝夫さんの話によると、高さを除けばブランカ山群の6000m峰の中では技術的に易しい山であることが分かった。 ボリビアで6000m峰を2座登り、また登頂こそ出来なかったものの、同国のサハマ(6542m)、そしてオホス・デル・サラド(6893m)というチリの最高峰にもチャレンジした妻にも充分登頂の可能性があったので、ボリビア、チリに続いて今回のペルーも妻を無理矢理誘い、私自身5度目、妻も3度目の南米行となった。 また、嬉しいことにエクアドルとボリビアの山にご一緒した友人の伊丹さんとマッキンリーにご一緒した栗本さんも平岡さんが主催するこの登山ツアーに参加することになり、ますます期待に胸が膨らんだ。

  その後平岡さんの計画も煮詰まり、日本からの山行の期間は7月18日から8月10日までの24日間、プレ登山としてイシンカ(5530m)とトクヤラフ(6032m)の2座を登ることが決まった。 イシンカは高所順応やガイドレスなどで良く登られている穏やかな容姿の山であるが、一方のトクヤラフは6000m峰の中では標高こそ低いものの、山頂付近の氷河の状態が複雑で不安定な難しい山である。 最高峰のワスカランはもちろんであるが、個人的にはこの山にチャレンジ出来ることの方が嬉しく、万が一メインのワスカランに登れなくても、トクヤラフに登れたらその方が嬉しいとさえ思った。

  図らずも今回は平岡さんが契約先のAG社から独立してフリーとなった最初の登山ツアーとなり、それ故か結果的に参加したメンバーの8名(男性5名・女性3名)は全て平岡さんの過去の登山ツアーの参加者となった。 出発の2ヶ月前の5月に秩父の小川山の麓の廻り目平(金峰山荘泊)で参加者の親睦会を兼ねたツアー全般の説明会とクライミングの無料講習会も行われ、今回のプライベートツアーは事実上始まった。

  今回の登山ツアー『ワスカラン登山隊2009』はリマのホルヘ・チャベス空港で集合・解散することになっていたが、直前のガイドの研修でシャモニから帰国されたばかりの平岡さんも同じ日に日本から出発することになり、7月18日に成田空港で参加者全員と平岡さんが顔を合わせた。 出発ロビーで各々簡単に自己紹介を行う。 今日初めてお会いしたのは、廻り目平での説明会に参加されなかった近藤さん、田路さん、三栗野さんの3人であり、他は説明会でお会いした割石さんと友人の伊丹さんと栗本さん、そして私達夫婦である。 近藤さんはマッキンリー、田路さんと割石さんはマナスル、三栗野さんはNZの山で平岡さんとご一緒されたとのことであった。

  午後3時半発のデルタ航空のアメリカでの乗り継ぎ地はアトランタであったが、成田からアトランタまでの所要時間は約12時間、アトランタでのトランジットは2時間半、アトランタからリマまでの所要時間は約6時間だったので、今までの南米への渡航中では一番楽だった。 アメリカでの入国審査も事前のESTA申請が功を奏したのか、非常にスムースに短時間で終わった。 春先にあれほど大騒ぎとなった新型インフルエンザであったが、成田・アトランタ・リマの各空港では何ら警戒も検査もしていなかった。 リマのホルヘ・チャベス空港には深夜に到着し、空港に併設された豪華な4ツ星のホテル『ラマダ・コスタ・デル・ソル』に泊まった。 ウエルカムドリンクのピスコサワーで一同賑やかに乾杯したが、私はいつもどおりのジンクスで下山するまでアルコールは控えることにした。

  7月19日、今日は空港から約400km離れたカルアス(2650m)という小さな町までエージェントが用意したバスで移動する。 8時にホテルを出発するので、折角の快適な4ツ星のホテルであったが、長旅の疲れを癒すほどの充分な睡眠は取れなかった。 朝食のバイキングはさすがに4ツ星のホテルに相応しくとても美味しかった。 現地のエージェントは平岡さんが長年利用しているエクスプロランデス社で、同社が手配したスイスの旅行会社との合弁会社であるスイザペルアナ社の立派な20人乗りのベンツのマイクロバスが迎えに来てくれた。 今にも雨が降り出しそうな空模様であったが、この時期のリマは『ガルーア』と呼ばれる濃霧が毎日のように発生し曇天が続くとのことであり、逆に山岳地帯はこの時期は乾期で澄みきった晴天の日が続くらしい。

  人口約800万人という首都のリマは空港から少し離れた場所にあり、これから向かう山岳地帯とは正反対の方向なので今日は通らない。 パンアメリカンハイウエイを海岸線に沿って北上する。 沿線には市街地や外国資本の工場のような建物は殆どなく、チリと同様に鉱物資源が豊富に埋蔵されているのか、乾燥した荒野に鉱山関連の施設が散見された。 寝不足と時差ボケで居眠りをしているうちにバランカという町に着き、海岸のレストランで昼食を食べる。 『セビッチェ』という白身魚やイカ・タコなどの魚介類と玉葱をあえたペルーを代表する料理などに舌鼓を打つ。 チリだけでなく、ペルーも魚料理はとても美味しいことを実感する。

  浜辺でさざ波と戯れ、高度計の数字を0mに合わせる。 バランカの町を過ぎると、間もなく『ワラス200km/リマ207km』と記された道路標識のある三叉路があり、ここを右折して山岳地帯に入る。 大きな谷を遡るように緩やかな勾配の道を、登り一本調子で標高4050mのコノコーチャ峠を目指す。 山肌は乾燥が進み、所々にサボテンが生えている。 収穫された色々な種類のイモが、大地に整然と並べられている不思議な光景がいたるところで見られた。 単調な景色と時差ボケで再び居眠りをしているうちにコノコーチャ峠は通過してしまい、道路はワラスの町(3090m)に向かって緩やかに下っていく。 曇天ながら雪を戴いたブランカ山群の名も知らぬ山々が草原の向こうに聳え立ち、峠から少し下った所で車を停めてもらい、早速写真タイムとなる。

  午後4時過ぎにコノコーチャ峠から1時間ほどで着いたワラスは、アンカシュ県の県庁所在地でブランカ山群の登山やトレッキングの拠点となる人口8万人の市であるが、繁華街から少し外れた辺りの町並みは想像していたよりも地味だった。 いつもなら見えるワスカランも今日は残念ながら雲の中だ。 エージェントの事務所に立ち寄り、責任者のベロニカさんと会う。 ベロニカさんは小柄だが、以前ガイドとして田部井さんをワスカランに案内したという経歴があり、今回のチーフガイドはこのベロニカさんの弟のマキシミアーノ氏(通称マックス)とのことだった。

  ワラスから30km離れたカルアス(2650m)へは30分ほどで着いた。 人口4500人の町はワラスよりもさらに一回り地味で田舎臭かったが、宿泊先のホテル『エル・アブエロ』は三井孝夫さんが翻訳された『ブランカ山脈・ワイワッシュ山脈』の著者でもあるフェリッペ・ディアスさんが経営しており、調度品などのセンスも良く、こぢんまりとしたペンションのようだった。 部屋割りは私と妻、近藤さんと伊丹さん、割石さんと田路さん、栗本さんと三栗野さんのペアで、これは以後B.Cでのテントでも同じだった。 今日の宿泊客は私達だけとのことで、食堂でお茶を飲んで寛ぎながら平岡さんより高所順応のレクチャーを受ける。 パルスオキシメーターによる血中酸素飽和度はすでに89%であった。 夕食はホテルで食べたが、ディアスさんの奥さんや娘さんが作った料理は盛り合わせがとても丁寧で、味付けも良くとても美味しかった。


ホルヘ・チャベス空港から出発するワスカラン登山隊2009のメンバー


バランカの海岸


海岸からコノコーチャ峠までは乾燥した大地が続く(所々にイモなどの野菜が整然と並べられている)


コノコーチャ峠付近から見たブランカ山群の最南端の5000m峰


地味な印象を受けたワラスの町並み


エクスプロランデス社ワラス支店の責任者のベロニカさん


カルアスで滞在したホテル エル・アブエロ


ホテルの経営者のフェリッペ・ディアスさん


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