2 0 0 8 年 8 月

《 7日 〜 8日 》    ワイナポトシ(6088m)

   ラ・パス(3600m) ⇒ ゾンゴ峠(4700m/T.B.C) 〜 H.C(5130m) 〜 ワイナポトシ(6088m)  (往復)

   8月7日、夜中の3時頃だろうか、突然激しい腹痛に襲われて目が覚めた。 昨夜は少し食べ過ぎたかなと思ってトイレに行くとすでに下痢の症状だった。 少し悪寒もしたためフリースを着込んで再び寝たが、腹痛はなかなか治まらず、朝まで何度もトイレを往復することになってしまった。 昨日までなら問題ないが、今日はこれからワイナポトシの登山でそのH.C(5130m)まで行くので、何とか出発時間までに下痢を治さなければならない。 昨日までの体調の良さが嘘のようだが、この現実は受け容れなければならない。 とりあえず朝食はキャンセルし、レストランから妻が運んでくれたホットケーキを一口だけ無理矢理お湯で流し込んで征露丸を4錠飲んだ。

   歩くのがやっとの位のほうほうの体で出発時間にロビーに下りていくと、平岡さんや隊員の皆が心配してくれたが、造り笑顔で挨拶するのが精一杯だった。 ボリビアン・ジャーニーの代表のマルコの他、4〜5名の現地ガイド達の顔も見えたが、自己紹介する余裕すらなかった。 私の体調以外は全て順調に事が運んでいるようで、予定どおり9時過ぎにホテルを出発した。 本来であれば憧れのワイナポトシに向けて気持ちが昂揚するところだが、山に向かうというよりは、このまま病院に直行したい心境だった。 お腹のために高度は1mでも下げてもらいたいが、無情にも車はすり鉢状のラ・パスの町の底から坂道をぐんぐん登っていく。 昨日まで全く感じなかったワゴン車の乗り心地の悪さも過剰に感じ、今度は車酔いが始まった。 もうこうなると悪循環だ。 不安と緊張から過呼吸となり、手先から顔にかけてビリビリと痺れが走った。 このままでは登山口までも行けないだろう。 どうしようもなくなった時、図らずも食料の調達のためエル・アルトの市場で車が停まった。 下痢は嫌だが脱水症状は高山病の引き金になるので、開き直って水をがぶ飲みし、何度も深呼吸を繰り返した。 どうやら下痢を止めたい一心で征露丸を多目に飲んだことが悪かったようだ。 高所では薬にも要注意だ。 しばらくすると色々な悪い症状は少し治まり安堵したが、下痢による体力の消耗で体に力が入らず、これからの登山活動に対する不安は募るばかりだった。

   ラ・パスの郊外からは昨日と同じ未舗装の道をチャカルタヤ方面に車は登っていく。 気が付くと今日は昨日以上に天気が悪く、ワイナポトシは雲や霧で見えなかった。 乾期でもこういう日があるのかと思った。 先日見た標識のある分岐で登山口のゾンゴ峠方面へと左折する。 間もなく眼下に輝きを失ったミルーニ湖が見えたが、天気は悪くなる一方でワイナポトシはおろか対岸の景色すらも見えない。 国立公園の管理事務所で簡単な入山手続きを行い、ラ・パスから2時間半ほどで標高約4800mのゾンゴ峠の登山口(T.B.C)に着いた。

   今にも雨(雪)が降り出しそうな曇天で、体も衰弱しているためとても寒く感じる。 ガイド達が昼食を充分に用意してくれたが、もちろん食欲は全くないので、バナナを半分だけ食べる。 先に現地に集合していたポルタドール(ポーター)達が私達の荷物の仕分けをして次々とH.Cへと荷上げしていく。 まさに“大名登山”だ。 先ほどまで進退について真剣に悩んでいたが、とりあえず歩くことは出来るので、過去の経験を活かしてH.Cまで行くことにした。

   H.Cへのトレイルは起伏も緩く明瞭で歩き易かったが、体に力が入らず全くのスローペースでもどかしい。 登山口のゾンゴ峠からH.Cまでの標高差は300mほどしかないので、それほど大変ではないと思われたが、登り下りの連続で標高が全く稼げず嫌になる。 そればかりか1時間ほど過ぎると小雪が舞い始め、体調の悪さにさらに拍車を掛けた。 当初H.Cにはゾンゴ峠から2時間ほどで着くと思われたが、新雪が岩に積って登りにくく、途中2回の短い休憩をして3時間ほどでようやくH.Cに着いた。 頭上には避難小屋が朧げに見えた。 立っているのがやっとの状態だったので、先行していたガイドやポーター達がテントを設営してくれたので助かった。 人気のある山なので天気に関係なく私達の隊の他にも数パーティーのテントが見られた。 当初の予定では2人で一つのテントを使用することになっていたが、何らかの事情により3人で一つのテントを使用することになった。 白井さん、伊丹さん、妻と女性陣が3人いたので、妻とは別に鈴木さん、宗宮さんと一緒のテントに収まった。

   ポーター達に担いでもらった荷物を搬入し、早速用便の場所を探しに行く。 雪が降り止まないので、装備と寝具で足の踏み場もない狭いテントの中はとても不自由だ。 初めて5000m以上の所に泊まる妻は今のところ元気なようで安堵する。 情けないが今は私が妻の“扶養家族”だ。 テントの外では一旦降り止んだ雪が再びしんしんと降り始めた。 この状況が明日まで続けば、登山は中止となってしまうだろう。 日程の都合上、ワイナポトシのアタックのチャンスは明日しかないが、今の自分の体調を考えると中止となってもそれほど悔しくないとさえ思えた。

   夕方になると、マリオが作ってくれたスープや鶏肉を添えたパスタをガイド達がテントまで届けてくれたが、相変わらず食欲がないので鶏肉は潔くパスし、スープとパスタを義務的に半分ずつ食べた。 夕食後に平岡さんが明日のアタックのスケジュールを伝えにきた。 明朝は午前零時に起床し、テントの外で朝食を食べてから2時頃に出発するとのことで、なるべく熟睡しないで意識的な呼吸を励行するようアドバイスがあった。 鈴木さんと宗宮さんは横になって寝ていたが、私は平岡さんに言われるまでもなく殆ど寝ずに半身起き上がり、こまめな水分補給と腹式呼吸に努めた。 妻のことが心配だったが、ベテランの白井さんが一緒なので大丈夫だろう。 3回の低酸素室での夜間睡眠トレーニングと一昨日のチャカルタヤ登山で高所にはそれなりに順応しているはずなので、下痢の症状さえ治れば一晩くらい寝なくても大丈夫と自らに檄を飛ばす。 その甲斐あってか、起床時間の午前零時近くにはようやく下痢も峠を越えたようだった。


霧に煙るワイナポトシ


登山口のゾンゴ峠


ゾンゴ峠からH.Cへ


ゾンゴ峠からH.Cへ


ゾンゴ峠からH.Cへ


   8月8日、狭いテントの中で順番に身支度を整えて外に出ると、パラパラと降り続いていた雪も止んで空には星も見えていた。 風も無く予想以上に暖かい。 テントの傍らに暖かい飲み物とビスケット等の朝食が用意されていたので立ち食いする。 高所への順応には個人差があるが、妻を始めメンバー全員の体調は良さそうだ。 平岡さんからあらためてガイド達の紹介があり、こちらも呼んでもらいたい愛称を申し出る。 チーフガイドは唯一英語が話せるエロイで、他にロッキー、ラミーロ、ロベルト、ガイド見習いのアントニオ、そしてコシロネ(コック)のマリオということで、皆20台後半から30台後半のような若さだった。 意外にもロッキーとアントニオ以外は背が低く、私と殆ど同じくらいだった。

   出発予定の午前2時前にH.Cを出発し、テント場を見下ろすモレーンの上に建つ避難小屋の傍らを通り、少し下った氷河の取り付きでアイゼンを着ける。 ここからガイド達とアンザイレンすることになり、平岡さんからガイドとの組み合わせを指示される。 ガイドレシオは1対2なので、8人のメンバーはここで4組のパーティーとなる。 私と妻はエロイと組むことになった。 今回のボリビアの山旅について色々とアドバイスをしていただいた知人の三宅さんが、以前ワイナポトシを登られた時のガイドも確かエロイという名前だった。 エロイは小柄で、体格はまるで日本人のようだ。 エロイからクライミングの経験はあるかと訊かれたので、「イエス」と答えると、ザイルの末端を自分でハーネスに結ぶよう指示があった。

   チーフガイドのエロイを先頭に私達のパーティーから順次取り付きを出発する。 1年ぶりの6000m峰のアタックに期待と不安で胸が一杯だ。 昨夜はそれなりの降雪があったが、すでに出発したパーティーが沢山いるようで、雪の上には明瞭なトレイルが刻まれていた。 空港あるいはチャカルタヤの山頂から見た急峻な山容のイメージとは違い、トレイルの勾配は緩やかで、エロイのペースも遅くて安堵する。 下痢は治まり、昨日のように体に全く力が入らないという状態ではなくなったが、まだまだ体調には不安が残る。 だがそれ以上に、再び降雪があることや、昨日の雪で頂稜部のコンディションが悪く、山頂には辿り着けないのではないかということが心配だった。 もともと今回の平岡さんの計画では、ワイナポトシは本命のイリマニやサハマのための高所順応という位置付けだったので、そのような状況になった場合には登頂にこだわらないだろう。

   氷河の取り付きから1時間ほど緩やかに登ると平らな雪原となり、最初の休憩となった。 ここが標高5400m地点のアルゼンチン・キャンプだろうか?。 暗いので定かではないが、周囲にテントは見られなかった。 風も無く今のところ山は穏やかだ。 先行パーティーのヘッドランプの灯りが前方の暗闇のなかに点々と灯り、ここから先のルートの状況が良く分かる。 雪原から先もしばらく単調な緩い勾配が続き、下痢による体力の消耗と睡眠不足で睡魔が襲ってくる。 呼吸が自然と浅くなり、足元の雪が黄色く見えてきた。 高山病(視野狭窄)の前兆だろうか?。 慌てて深呼吸を意識的に繰り返す。 前を登る妻は意外にも今のところ順調のようだ。 逆に高所にしてはペースが速すぎるので、何度か後から声を掛けてペースダウンを促す。 エロイのペースは速くないが、1時間を過ぎても休憩する気配が全く感じられなかったので、こちらから休憩をリクエストする。 ここでラミーロに率いられた白井さんと伊丹さんのパーティーが先行したが、平岡さんや他の男性パーティーはまだ追いついてこない。

   休憩後はガイドブックに記されていた唯一の難所の高さ数10mの急な雪壁を登る。 基部には大きなクレバスが口を開けていた。 クーロワール状の急斜面の雪壁には先行パーティーによりバケツのような足場が出来ていて、登りでは上から確保されることはなかった。 雪壁を登りきると再び緩やかな広い尾根の登りとなったが、少し風が出てきた。 振り返るとラ・パスの町の明かりがオレンジ色に輝いていた。

   間もなく周囲が白み始めると、風がさらに強まってきた。 いよいよ6000m峰が本性をあらわすのだろうか?。 他のパーティーの姿はいつの間にか見えなくなっていたが、白井さんと伊丹さんのパーティーだけが唯一前方に見えていた。 後ろには少し間をおいて平岡さんの姿が見えた。 傾斜が緩くなった所で最後の厳しい登高に備えて再びエロイに休憩をリクエストする。 休憩している最中に突然エロイが、山頂まであと1時間半ほどかかるので、ペースの遅い妻はここでリタイアした方が良いのではと言い出した。 意外なエロイの発言に驚きを禁じえなかったが、間もなく後ろから追いついてきた平岡さんに事情を説明すると、平岡さんがエロイを説得してくれたが、ボリビアのガイドの資質をあらためて痛感した。

   休憩後は予想どおり風が一段と強まり、再び小雪が舞い始めた。 手や足の指先が冷たく感じられ、これから先は厳しい登高を強いられそうだが、ありがたいことに私の体調は悪化することなく、初めての6000m峰を経験する妻も普段と変わりない足取りで登れている。 間もなく先行していた白井さんと伊丹さんのパーティーに追いついた。 天気が悪いため山頂方面は全く見えず、頼みの高度計も電池の容量不足で高度が計測出来なくなっていた。 ガイドブックによれば、この辺りから山頂までは広い尾根を直登するルートと、右からトラバース気味に回り込んで登るルートがあるが、その後も傾斜は緩やかだったので、後者のルートを辿っていると想われた。 しばらくすると下山してくるパーティーとすれ違ったので、登頂の有無について訊ねると、無事登頂されたようだったので嬉しくなった。

   前方に先行パーティーの人影が沢山見えてきた。 どうやらそこから上が頂上直下の核心部の登りとなっているようで、これから山頂に向かうパーティーと下ってきたパーティーとで賑わっていた。 風雪は相変わらず続いていたが、先ほどよりは少し収まってきたので、どうやら登頂は叶いそうになってきたが、こればかりはまだ確信出来ない。 結んだザイルを短くし、ピッケルを深く打ち込みながら、凍てついた急斜面を斜上する。 今までになく体に負荷がかかり、息が上がって足が思うように上がらなくなる。 久々に味わう高所特有の感覚だ。 ラストスパートなので、目一杯の呼吸で対処する。 視界は悪くなる一方で数10メートル先しか見えないが、足元のトレイルはしっかりしているので、ひたむきに登ることだけに集中する。

   突然、目の前に白井さんと伊丹さんが並んで座っている姿が見えた。 山頂への順番待ちをしているのかと思ったが、どうやらそこが山頂とのことであった。 おそらく雪の状態が悪いので猫の額ほどの最高点には近づけないのだろう。 あっけない幕切れだった。 ホアイトアウトで周囲の景色が全く見えないことが残念だったが、すでにそれは登りながら分かっていたことなので、悔しさはそれほど感じなかった。 むしろ昨日の体調の悪さを考えると、6000m峰の頂に辿り着けただけで充分過ぎるほどで、嬉しさよりも達成感や安堵感が先行していた。 初の6000m峰のサミッターとなった妻を抱擁し、登頂の喜びを分かち合う。 エロイとも力強く握手を交わし、白井さんや伊丹さんとお互いの登頂を称えあった。

   時刻はすでに9時半で、氷河の取り付きから7時間以上を要していた。 間もなく中村さんと宗宮さんもロベルトと共に登ってきたが、中村さんは初めての高所の経験で相当消耗している様子だった。 皆で再度喜びと労いの握手を交わし、移動もままならない狭い山頂でお互いの記念写真を撮り合った。 晴れていれば隣に聳えるコンドリリを始めとするレアル山脈の山々やチチカカ湖も見えるはずだが、雪の降り続く山頂からはそれらを望むべくもなかった。 しかしながら、日本を発ってから僅か5日後に予定どおり最初の6000m峰を登れた喜びと感激でメンバー一同の心は充分満たされていた。 最後に平岡さんと内田さんを山頂に迎え、入れ替わりに山頂を辞した。 残念ながら最高齢の鈴木さんだけは山頂に届かなかった。

   頂上直下の核心部の下りを無事終え、傾斜の緩い尾根に入ったところで、登山者というよりはポーターのような身なりの女性がトレイルの傍らに重苦しい表情で座り込み、先行していたラミーロと話をしていた。 どうやら高山病で動けなくなってしまったようだった。 体力を消耗した妻が寒気を訴えていたので一刻も早く下山したかったが、エロイは私に貴重なテルモスのお湯を彼女に分け与えることを懇願し、ラミーロと共に彼女をサポートして下山することになった。 後続の平岡さんが下ってくるのを待ってパーティーを組み直し、私と妻は見習いのアントニオとアンザイレンすることとなった。

   アントニオの指示で私を先頭に下り始めたが、降り続く雪のためトレイルはかき消され、微かに残るアイゼンの爪跡を目で追いながら下る。 そのうちアイゼンの爪跡も見失いがちになり、眼下に朧げに見えている見覚えのある場所に向かって急斜面を下ろうとすると、アントニオはルートが違うと後から引き止めたが、先頭に立ってルートを探すような素振りは見せなかった。 私が下にトレイルらしきものが見えているから大丈夫だと主張すると、アントニオはスノーバーを雪面に打ち込み始めた。 斜面は少し急だが確保をするほどではなく、そんな悠長なことはやってられないので、早く下ろうと大声で叫んだが英語が通じないため全く要領を得なかった。 しばらく押し問答をしているうちに、ようやく後続の平岡さんのパーティーが下ってきたので、先頭を平岡さんに譲ることにした。 視界は相変わらず悪く、地元のガイドですら手を焼くような状況だったが、平岡さんの巧みなルートファインディングで難所の高さ数10mの急な雪壁の取り付きを探し当てることが出来た。

   クーロワール状の急斜面の雪壁の下りではアントニオが確保してくれたが、支点の位置が悪く理に適っていなかったので、妻と二人で声を掛け合いながらスタカットで下る。 突然雪の塊が頭に落ちてきたので驚いて上を見上げると、何とロベルトがアントニオよりも先行して宗宮さんと内田さんを上から確保して下ろしていた。 下りでは雪壁に足を蹴り込むため必然的に雪が下に落ちるので、大声でガイドの指示に従わないようにと宗宮さんと内田さんに向かって叫ぶ。 急ぐ必要がない場面でなぜ割り込むのか、ボリビアのガイドの行動は全く理解し難い。 平岡さんにこの件について後で報告すると、平岡さんもボリビアのガイドを初めて雇用したが、ペルーのガイドと比べてレベルは低いという認識だった。 アルゼンチン・キャンプの平らな雪原まで下ってくるとようやく視界が良くなり、登りでは暗くて全く見えなかった巨大なセラックなどが見えた。

   午後1時半に氷河の取り付きに到着。 ザイルが解かれ、雪があるがアイゼンも外す。 アントニオと握手を交わし、「グラシアス!」と笑顔で御礼を言う。 避難小屋まで僅かに登り返し、テント場に下る。 テントは降り積もった雪で真っ白だった。 テントの中では鈴木さんが静かに横になっていたが、声を掛けると体調は悪くないとのことで安堵した。 このまま昼寝でもしていきたい心境だったが、明るいうちにT.B.Cのゾンゴ峠まで下山しなければならないので、疲れた体にムチ打って荷物の整理とパッキングをする。 留守番役のマリオが暖かいスープをテントの中に差し入れてくれた。

   午後3時過ぎにメンバー全員で下山を始める。 下りもポーター達に荷物を担いでもらう大名登山だ。 相変わらず上の方の景色は全く見えないが、ヒスイ色をしたゾンゴ湖など足下の景色はモノトーンの世界ながらも少し見えるようになった。 降雪によりトレイルは昨日以上に状態が悪くなり、疲れた足には堪える。 小さな登り返しが記憶していた以上に多く、登山口までの距離と時間がとても長く感じる。 途中で休憩することもなく歩き続け、2時間以上かかってようやく登山口のゾンゴ峠に着いたが、先行していたガイドから道路に雪が積っているため車が峠まで上がれないとの話しがあり、さらに車道を20分ほど歩いて下ることになってしまった。

   お世話になったガイドやポーター達と記念写真を撮り、チップを手渡してワゴン車に乗り込む。 あとはラ・パスに下るだけだと安堵したのも束の間、何故か車が出発する気配がない。 どうやら前方でバスが道路を塞いでいるため車が通れず、その運転手も見当たらないようだった。 私達の車以外にも下る車はいたが、皆のんびりとその運転手が戻ってくるのを待っているようで、その運転手を探そうという動きが全く感じられなかった。 辺りは暗くなり始め車内も冷え切ってきたが、車に暖房装置が付いていないとのことでエンジンもかけずにただ時間が経過していくのを待っているだけだった。 ただでさえ高所にいたくないばかりか、疲れてお腹も空いているので、一刻も早くラ・パスに着きたいという気持ちでメンバー全員が苛立っていた。 今日で登山の日程を終えた鈴木さんは、明日の未明にはラ・パスを発たなければならない。 1時間半以上も待ってようやくバスの運転手が戻ってきたのでラ・パスに下ることが出来たが、一歩間違ったらここで夜を明かすことにもなりかねず、明日以降の登山活動にも影響が出るところだった。 午後9時半にようやくホテルに着いたが、外食に行こうという気力もなくなり、フロントでお湯を貰ってアルファー米を食べ、シャワーを浴びてからベッドに倒れ込んだ。


H.Cでの朝食


ワイナポトシの山頂直下


ワイナポトシの山頂


ワイナポトシの山頂


ワイナポトシの山頂


雪の舞うH.C


H.Cからの風景


H.Cからゾンゴ峠へ


B A C K  ←  チャカルタヤ

N E X T  ⇒  イリマニ


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