2008年8月

《3日〜4日》    ラ・パス

成田 ⇒ ダラス ⇒ マイアミ ⇒ ラ・パス

  南米ペルーの『ブランカ山群』 ・ ・ ・ スペイン語で“ブランカ”は白を意味する。 何がきっかけでこの山域の山々に特別の興味を抱くようになったのか、正確な記憶は不思議と無い。 ただ、天候に恵まれたとは言え、2007年の夏にマッキンリーという色々な意味で大きな山に登れたことがその背景にあったことは間違いないような気がする。 日本ではあまり知られていないこの山群の魅力や登山事情を知り得たのは、昨今では当たり前となっているインターネットからの情報に他ならなかった。 2000年の夏から8シーズン連続して通ったヨーロッパアルプスにはまだ登りたい山はいくつかあるが、未知への興味が優先し、ブランカ山群への憧れはそれを凌駕したようだった。

  ところで『ブランカ山群』とは、南米大陸の西部を南北に約4000kmにわたって縦断するアンデス山脈の一部で、ペルーの北西部を南北に約185kmの長さで連なり、最高峰のワスカラン(6768m)を筆頭に6000m峰を27座、5000m峰を80座ほど擁する大きな山群である。 尚、ペルーには他にイェルパハ(6515m)・ヒリシャンカ(6094m)・シウラ(6344m)等の名峰(難峰)を擁する『ワイワッシュ山群』というアルピニスト垂涎の山群や、サルカンタイ(6271m)の聳える『ビルカバンバ山群』、霊峰アウサンガテ(6384m)・ピコ・トレス(6093m)等の聳える『ビルカノータ山群』がある。 以前はペルーの山といって思いつくのは、最高峰のワスカランと“世界で最も美しい山”と称えられているアルパマヨ(5947m)、そしてウニオン峠から見上げる怪峰タウリラフ(5830m)くらいしかなかったが、インターネットからの情報により他の多くの山の存在やペルーの登山事情などを知ることが出来た。 中でも一番客観的かつ有益だったのは、15年もの長期に亘って南米の各国ヘ仕事で滞在された傍らその国の山々を足繁く登られ、最後は馴染みのペルーの山岳ガイドとブランカ山群の麓で山荘を共同経営するに至った三井孝夫さんのHP『コフップ山荘』であった。 このHPにはブランカ山群における三井さんご自身の登攀記録が多数掲載されており、登る山を選ぶのにとても役に立った。 三井さんは『ブランカ山脈・ワイワッシュ山脈』というタイトルのスペイン語のガイドブックの翻訳もされていたので、早速同書とブランカ山群の山の地図を三井さんから譲り受け、ペルーの山の研究に取り掛かった。 その後は三井さんと直にお会いして、ペルーの山の魅力や気象条件、主としてガイドの雇用方法などの登山事情について詳しくお話しを伺うことが出来た。

  三井さんの話によると、ブランカ山群の登山のベストシーズンはペルーの乾期にあたる6月中旬から7月中旬であり、8月に入ると一部の山を除きクレバスが開いてしまうので、あまりお勧め出来ないとのことであった。 6000m峰といっても登山口の標高が高いため、ワスカランなど一部の高い山を除いては山中に1〜2泊するくらいで頂上アタックが出来るとのことであったが、これは入山前に麓の町(ワラス/3090m)等で充分高所に順応していくことが前提条件であり、またこのスタイルが一番良いと教えてくれた。 また、スペイン語が公用語のため英語を充分話せるガイド(スペイン語で“ギア”)は少なく、またスイスのガイド組合のように組織化されたものが無いので、スペイン語が不自由だと現地でのガイドの手配や予約は難しそうであった。 三井さんは今後も夏の間、ご自身の登山と山荘の管理のため毎年ペルーに滞在されるとのことであり、時期が合えばガイドの手配のお手伝いをしてくださるとのことであった。 また、ペルーやその他の南米の国のガイドは欧米のガイドのように趣味の延長ではなく、あくまで生活するための手段としてやっているため、多くのガイドは決して無理はしないということだった。

  ガイドブックやインターネットの情報を総合すると、ブランカ山群の中で素人の私がガイドを雇って何とか登れそうな山(6000m峰)は、最高峰のワスカラン(6768m)を始め、キタラフ(6036m)・トクヤラフ(6034m)・コパ(6188m)・チョピカルキ(6354m)といった山であり、その他是非登ってみたい山(5000m峰)はアルパマヨ(5947m)・ピスコ(5752m)・ピラミデ(5885m)といった山である。 ブランカ山群には他にチャクララフ(6112m)・ワンドイ(6395m)・サンタクルス(6259m)等の秀峰が沢山あるが、これらの山は一般ルートでも素人の私にはとても無理だろう。 三井さんは当然のことながら前者の山には全て登られており、高所順応が充分に出来ていてルートのコンディションが悪くなければ、登頂は可能であるとのことであり、未知の山々に対する扉が少し開かれたような嬉しい気持ちになった。

  以前ヨーロッパアルプス(海外)の登山を志した時は“ガイドレスで易しい山に登ろう”という発想から始めたが、その後はガイド登山の安全性・確実性というメリットがガイドレスでの達成感を上回ることもあることを体験したため、南米の山も現地のガイドを雇用して登ることに全く迷いは無かった。 但し、三井さんの話を聞く限りでは、私の希望する英語を充分話せるガイドの手配は難しそうな感じであった。 6000m峰という高さゆえ、現在の限られた休暇の範囲で確実にこれらの山に登頂するためには、個人手配ではなく日本の旅行会社を介した現地手配か、日本からの登山ツアーを利用するのが経済的な理由を除けば最も効率的である。 しかしインターネットで調べた限りでは、ブランカ山群の山のうち日本からの登山ツアーで通常催行されているのは最高峰のワスカラン以外にはなかった。 近年、海外登山をする人もかなり多くなったが、南米の山は日本人にとってはまだまだマイナーなようだ。

  ネットでの情報収集を続けていると、2003年の年末年始にアコンカグアの山中でお会いした南米の山のガイドの第一人者である平岡竜石さんのブログが目に止まった。 早速平岡さんに白羽の矢を立て、メールでのやりとりをすると、平岡さんから今後はご自身のライフワークとして南米の山(特にペルー)のガイドに力を注いでいきたいという願ってもない意思表示があったのみならず、今年の夏に所属先のAG(アドベンチャーガイズ)社を介してブランカ山群の山(ピスコ・アルパマヨ・キタラフの三山)を3週間で登るという登山ツアーを現在計画されているとのことだった。 ダブルアックスでの氷壁の登攀となるアルパマヨに登山ツアーが催行されるという画期的な企画に胸が躍ったが、その後この登山ツアーの出発は最も休暇の取りにくい7月上旬に決まり、この垂涎の登山ツアーへの参加は諦めざるを得なかった。 ただ、それに続いて隣国のボリビアの6000m峰(ワイナポトシ・イリマニ・サハマの三山)を3週間で登るというこれまた画期的な登山ツアーも同時に計画されているとのことであり、いつかは是非ボリビアの山にも登りたいという思いがあったので、ブランカ山群の山を登るという当初の目論見どおりにはならなかったが、今回は潔くこのボリビアの登山ツアーに参加してみようと思った。 尚、この登山ツアーは、9日間でワイナポトシだけを登るもの、15日間でワイナポトシとイリマニを登るものが同時に企画され、参加する人の都合に合わせて選択できるシステムになっていた。

  以前エクアドルに行った時に現地で買った南米の山のガイドブック(洋書)『THE ANDES』や最近ワイナポトシとイリマニを登られた知人の三宅さんからお借りしたボリビアの山のガイドブック(洋書)『THE ANDES OF BOLIVIA』、そして『地球の歩き方』などによると、ボリビアは南米大陸のほぼ中央に位置し、周囲をペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの5つの国に囲まれた山国で、隣国のパラグアイと共に南米の国の中では珍しく海を持たない国であることが分かった。 また国土の3分の1近くをアンデス山脈の高地が占め、その中で最大の山脈は北西部の『レアル(スペイン語で“帝王”)山脈』と呼ばれ、国内に14座ある6000m峰の半分以上が、また今回計画されているワイナポトシ(6088m)やイリマニ(6438m)を始め、アンコーマ(6427m)、イリャンプー(6382m)、コンドリリ(5648m)といったボリビア国内では有名な山の大半がこの山脈に属している。

  平岡さんが計画した今回のボリビアの登山ツアーの対象となっているワイナポトシ(6088m)・イリマニ(6438m)・サハマ(6542m)の三山はいずれもその頂から麓まで見事な標高差を落とす雪(氷河)を戴いた独立峰であり、それぞれボリビアを代表する名山である。 一つ目のワイナポトシは、レアル山脈の山塊の中心から少し東に外れた所に聳えている双耳峰で、首都のラ・パスから近くアプローチも容易なため、ボリビアでは一番登山者の多い6000m峰である。 山容はこれらの三山の中で最もストイックで登攀も難しそうであるが、一般ルートの難易度はヨーロピアングレードでF+(簡単の上)となっている。 二つ目のイリマニは、ボリビアでは2番目に高い山であり、またレアル山脈の最高峰として同山脈の一番東端に少し離れて孤高を誇り、南峰・中央峰・北峰の三つのピークを連ねたユニークな山容の山である。 ワイナポトシ同様ラ・パスから近く、ラ・パスの町を見下ろすように聳えている山であり、“ボリビアのシンボル”ともいわれている。 最高点は南峰にあり、一般ルートの難易度はヨーロピアングレードでPD(やや困難)となっている。 三つ目のサハマはボリビアの最高峰であり、チリとの国境付近の砂漠地帯に聳えている。 近くにはパリナコタ(6330m)という富士山のような秀麗な山容の山があり、日本ではむしろこちらの方が知られている。 意外にも最高峰のサハマはこれらの山の中で最も登山者の少ない山であり、平岡さんも登られたことはないとのことだった。 見た目の山容は穏やかそうであるが、一般ルートの難易度はヨーロピアングレードでAD+(ある程度困難の上)となっており、三山の中では一番難しい山である。

  3週間で以上の三つの6000m峰を登るため、高所順応を短期間で効率的に行う必要があり、平岡さんから冒険家の三浦雄一郎さんが経営している『ミウラドルフィンズ』の低酸素室での夜間の睡眠訓練を出発前に行うことを勧められた。 夜間の睡眠訓練は1日(1泊)で15000円であったが、3泊すれば1日(1泊)あたり10000円となる特別な割引料金があるとのことで、今回はこれを利用してみることにした。

  出発の2週間前と1週間前に多くの登山者で賑わう盛夏の富士山に妻と共に登り、直前の平日の夜に代々木にある同社の低酸素室で夜間の睡眠訓練を行った。 インストラクターからの簡単な問診の後、指先に血中酸素飽和度を測るパルスオキシメーターをつけ、心電図を測定する簡単な器具を身につけて、夜の9時から朝の6時まで低圧ならぬ低酸素の室で寝るだけの至ってシンプルなトレーニングである。 初日は3700m、2日目は4000m、3日目は4300m位の高度設定であった。 今回のツアーに参加される白井さん、宗宮さん、鈴木さんともここで初めてお会いした。 前日には友人の伊丹さんも来られ、すでにボリビアへの旅は始まったようだった。

  8月3日、ミウラドルフィンズの低酸素室での最後の夜間睡眠訓練を終え、代々木駅前の喫茶店で朝食を食べながら山の話に花が咲く。 白井さんと宗宮さんは海外登山の経験が豊富で、チョ・オユーやマッキンリーを始め多くの名峰に登られていることが分かったが、話しを伺っていくうちに、2003年の年末年始に行ったアコンカグアで、お二人とも違う登山隊で私と同じ日にB.Cに滞在されていたことが分かり、その偶然さに驚かされた。

  日本もこれからが夏本番で朝からとても蒸し暑い。 成田空港での再会を約して一同解散し、私達は一旦自宅に戻り車で成田空港へと向かう。 空港の集合場所には参加メンバー全員が時間よりも早めに到着し、平岡さんより正式にメンバー各人の紹介があったが、すでに私達は説明会やミウラドルフィンズの低酸素室で全ての方々と事前に顔見知りになっていた。 男性は最高齢の鈴木さんを筆頭に、内田さん、宗宮さん、中村さん、私の5人、女性は白井さん、伊丹さん、そして妻の3人である。

  成田からはアメリカン航空で米国のダラスに飛び、国内線でマイアミに乗り継いだ後、ボリビアの地方都市であるサンタクルス行きに乗り、合計20時間以上のフライトで首都のラ・パス郊外にあるエル・アルト空港に8月4日の未明に到着した。 国際空港としては世界最高所にある標高4082mの空港は何か独特の雰囲気と緊張感が感じられる。 長旅の末にようやく辿り着いたのも束の間、私の登山用品を入れたダッフルバックの一つが機内預かりの荷物の受け取り台に見当たらなかった。 平岡さんを介してアメリカン航空の係員に宿泊先のホテルを教え、遅(誤)配となっているダッフルバックの捜索とホテルまでの配送を依頼したが、のっけからのトラブルにすっかり気分が滅入ってしまった。

  平岡さんが今回の登山ツアーで現地のエージェントとして選んだ『ボリビアン・ジャーニー』社の代表のマルコがロビーに出迎えてくれた。 空港の外に出ると、まだ日の出前であったが、憧れのワイナポトシとイリマニの山のシルエットがはっきりと見えた。 南半球にあるボリビアはこの時期は冬(乾期)なので、この時間帯の気温は恐らく零下であるが、憧れの山を見て気持ちが昂揚したせいか寒さはそれほど感じなかった。 エージェントが用意したワゴン車(中古のハイエース)の屋根に登山用品が詰まった沢山の荷物を巧みにくくりつけ、運転手以下総勢11名が乗り込んでラパス市内のホテルへと向かう。 間もなくワイナポトシの山肌に朝陽が当り始めたので、車を停めてもらい早速“撮影大会”となる。 生憎イリマニは逆光だったが、のっけから今回の目標の山が見えたことで気分は一気に盛り上がる。

  車は巨大なすり鉢状となっているラ・パスの町の中心部に向けて坂道を下っていく。 ガイドブックの写真では見たが、実際に自分の目で間近に見ると、何かとても異様な感じがする。 ボリビアの国土は日本の約3倍で人口は約900万人、そのうち4分の1がこのラ・パスに居住しているというから驚きだ。 また、この大都市は標高の低い(気圧が高い)所ほど住人の生活レベルが高いらしい。 すり鉢の最上部では廃墟のような住居も散見されたが、下るにつれて面白いように建物も低層から高層に変わっていく。 滞在先のホテル『マドーレ・ティエラ』の標高は約3600mであり、ほぼ町の底辺の所に位置していた。

  ホテルにチェックインし、平岡さんから割り振られた部屋に荷物を搬入する。 今回は妻と部屋が一緒なので気が楽だ。 陽射しはあるものの季節は冬なので部屋の中は寒々としていた。 暖房の設備は誠に貧祖で、窓の下に小さなパイプ式の暖房器があるだけであり、それもスイッチがなく夜間のみしか入らない構造になっていた。 また風呂場はとても狭く、上部に吹き出し口が固定されたタイプのシャワーのみであり、とても使い勝手が悪かった。 日本のホテルであれば全く問題ないが、低圧で体に負荷がかかっているので、ホテルとはいえ快適な住環境ではなかった。 朝食はバイキング形式であったが、アメリカンスタイルの至ってシンプルなものであり、これもまたガッカリさせられた。 朝食後はレストランの隅で平岡さんから腹式呼吸のレクチャーがあり、皆で真剣に練習に取り組んだ。 パルスオキシメーターによる血中酸素飽和度の測定を行うと93%であり、今のところ低酸素室での効果が現われているようだ。

  部屋に戻り荷物の整理をした後、早速平岡さんの案内によりメンバー全員で町の散策と両替に出掛ける。 ラ・パスの昼間の気温は東京の冬と同じくらいであったが、とにかく陽射しが強い。 すり鉢状という特異な町の地形ゆえ、周りはどこを見ても全て坂道である。 また裏通りにはツルツルに磨かれた石畳の急坂が多く、車の交通量がとても多いため、排気ガスの臭いが鼻につく。 車は日本車(現地生産の左ハンドル)の中古が大半であり、一昔前の日本の風景を見ているようで面白い。 人通りも多いが、何故か信号機は殆どなく、怒涛のように押し寄せる車と車、そして車と人とが巧みに行き交い、まるで芝居を見ているようだったが、走っている車と車の間をすり抜けるように人々が横断していく“技”は一朝一夕で出来るものではなかった。 坂道を登ると面白いように息が切れる。 現地の人と同じペースではとても歩けないので、意識的にゆっくり歩くように心掛ける。 メインストリートは住民や観光客で賑わい、明後日の独立記念日のパレードの練習をしている様々な団体の姿が見られた。 両替商で米ドルをこちらの通貨であるボリビアーノに交換する。 レートは7分の1位であった。

  坂道の多いラ・パスの町は必然的にタクシーが多く、普通の乗用車タイプの他に、ワゴン車の“乗り合いタクシー”が走行中も横のスライドドアを開けっ放しにして盛んに呼び込みをしている。 とりあえず無難そうなレストランを見つけて昼食を食べる。 予想どおりメニューは全てスペイン語であり、店員も英語は全く分からないようであった。 ここで牛肉=カルネ、鶏肉=ポジョ、鱒=トゥルーチャを覚える。 『サルティーニャ』と呼ばれるこちらではポピュラーな肉のパイ包みのようなものを皆で味見したが、独特の甘い味付けが口に合わなかった。

  昼食後にホテルに戻ると、エージェントが手配した日本人の添乗員(宮原さん)がワゴン車で市内の観光案内をしてくれた。 山が良く見える場所をリクエストすると、中心部から少し外れた高台の公園に連れて行ってくれた。 生憎ワイナポトシは見えなかったが、すり鉢状の特異なラ・パスの市街と、その背後にラ・パスの町を見下ろすかのように聳え立つ雪を冠したイリマニの3つのピークが良く見えた。 憧れの山の頂に思いを馳せて、何枚も同じような構図の写真を撮ったが、同峰が“ボリビアのシンボル”と言われる理由が良く分かるような気がした。 ストイックな高峰が隣り合わせに林立するブランカ山群とは趣が異なるが、あらためて今回ボリビアの山を訪れて良かったと思った。 高台の公園からはラ・パスの市街も良く見渡せたが、すり鉢の底となる町の中心部には20〜30階建てのビルも乱立し、近代的なサッカースタジアムなども見られたが、その上にマッチ箱のように所狭しと建ち並んでいるレンガ造りの民家とその背後にある鉱山の採掘場の風景とのミスマッチがとても印象的だった。 宮原さんの話ではラ・パスに立派な家を持つ住民の殆どが、スペインに出稼ぎに行っているとのことだった。 また、ラ・パスとはスペイン語で“平和”を意味するとのことだった。 最後に外国人向けの土産物屋が狭い路地に立ち並ぶ『サガルナガ通り』を散策してからホテルに戻る。 冬なので6時過ぎには暗くなった。 陽が落ちると、とたんに真冬の寒さとなる。

  夕食はメンバー全員でラ・パスの夜景が良く見えることで有名らしい『ラジソン』という高級ホテルの最上階の展望レストランへと勇んで向かったが、正装が礼儀のお店の雰囲気に一蹴され、入口で夜景だけを楽しんでから早々に退散した。 結局、滞在先のホテルに近い中華料理店に入り、大皿の料理を皆で取り合って食べたが、味付けは日本で食べるものとは大分違う独特なものであり、時差ボケの疲れや高度の影響もあってか、あまり箸が進まなかった。


成田空港に集合したボリビアの山旅のメンバー


早朝のエル・アルト空港付近から見たワイナポトシ


早朝のエル・アルト空港付近から見たイリマニ


巨大なすり鉢状となっているラ・パスの町の中心部に向けて坂道を下る


ワゴン車の“乗り合いタクシー”


高台の公園から見たラ・パスの市街と背後に聳えるイリマニ


すり鉢の底に建つ高層ビルと、上部に所狭しと建ち並んでいるレンガ造りの民家


外国人向けの土産物屋が狭い路地に立ち並ぶ『サガルナガ通り』


N E X T  ⇒  チャカルタヤ


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