【メキシコの山々】
イスタ(イスタシワトル)・ポポ(ポポカテペトル)・オリサバ(ピコ・デ・オリサバ)はメキシコの5000m級の火山で、愛読書の後藤 純著『異境に楽しむ山旅』を読んで以来、いつかこの本に記された3座を登ってみたいと思っていたが、2012年にポポが大噴火して以降登れなくなってしまい、コロナの影響も手伝って計画は先送りされていた。 図らずも昨年大雪のため登り損ねたネパールのパルチャモの登山ツアーで同行した石塚さんが私と同じような境遇であったことが分り、ツアー中にガイドの平岡さんにメキシコの山のツアーの企画をお願いした。 但し、ポポは依然として登れない状況なので、代わりに高所順応を兼ねて幾つかの山を加えてもらうことにした。 また、時差ボケの解消と休養のため一般的な日程よりも期間を2〜3日多くしてもらったため、予想はしていたものの、山のネームヴァリューと超円安に加え、5000m峰の登頂に2週間の日程では参加希望者が集まらず、私と石塚さんのみのプライベートツアーになってしまった。
今回のメキシコの山の登山ツアーでは、最高峰のピコ・デ・オリサバ(5630m)と第3位のイスタシワトル(5286m)の登頂を目的とし、これに順応を兼ねて第4位のトルーカ(4860m)、第5位のマリンチェ(4420m)、そしてメキシコ・シティの最高峰のアフスコ(3930m)の5座を登ることになり、登山時期については私の希望で晴天率が一番高い乾期の終盤の3月上旬にしてもらったが、現地のガイドの話しでは10月から2月が一番登り易く、この期間がハイシーズンとのことだった。

【メキシコ・シティ】
2024年2月29日、成田からメキシコ・シティのベニート・ファレス国際空港へのANAの直行便は出発が1時間半ほど遅れたが、所要時間は12時間ほどで予想以上に楽だった。 空港の施設は全般的に古く地方空港という感じで、預託荷物の受取にも時間が掛ったが、入国審査はパスポートを読取り機にかざすだけでとてもスムースだった。 空港内の両替所で通貨のペソへ両替したが、両替は米ドルとユーロのみで日本円は使えず、為替レートは100米ドルで1600ペソだった。 タクシーで空港近くのホテルに向かうが、渋滞が酷くて1時間近く掛かった。





旧市街に位置するホテル『Hotel Catedral』は周囲の景観に溶け込んだ古い建物だったが、シャワーのお湯の量も十分で良かった。 シャワーを浴びてからホテルの近くの観光名所『メトロポリタン・カテドラル』を見に行き、夕食はツーリスト向けのレストランでメキシコのソウルフードのタコスを食べた。 町中は暗くなっても車や人が多く、メスティソが多いためか、北米というよりは南米に近い感じがして寛げる。 ベッドには布団はなく毛布のみだったが、日本の5月くらいの気候で暖かかった。










【テオティワカン】
3月1日、予想どおり時差ボケと2250mの標高で眠りが浅かったが、直行便の恩恵か疲労感はいつもより無かった。 朝食のバイキングを控え目に食べ、ホテルで予約してもらった観光用のハイヤーでメキシコ有数の観光地のテオティワカン(遺跡)に向かう。 朝方は交通渋滞もなく、ホテルから50キロほどの道のりをハイウェイ主体に走って1時間ほどで着いた。 遺跡の入場料は95ペソ(邦貨で約900円)だった。 駐車場には観光バスも多く、遺跡内にはすでに多くの観光客の姿が見られた。
テオティワカンは紀元前2世紀頃に建造された宗教都市国家で、その中心に建つ『ケツァルコアトルの神殿』・『太陽のピラミッド』・『月のピラミッド』を幅の広い『死者の道』を延々と歩いて進む。 世界で3番目の大きさを誇る太陽のピラミッドは以前は階段で上まで登れたらしいが、今は何らかの理由で登れなかったことが惜しまれた。


















昼食はハイヤーの運転手が勧める洞窟レストラン『La Gruta』でメキシコ料理を堪能し、帰路に『グアダルーペ寺院(教会)』に立ち寄った。 古い教会は地盤沈下で傾いてしまったので観光用として残され、近代的で大きな教会が隣に建っていた。
メキシコ・シティの中心部に入ると、ホテルの近くの旧市街は一番人出が多いという金曜日の夕方で大渋滞していて難儀した。 夕食はホテルのレストランでハンバーガーを食べたが、これもなかなか美味しかった。










【アフスコ】
3月2日、6時半にホテルに迎えに来たエージェントの車でアフスコ(3930m)の登山口に向かう。 外はまだ薄暗く、7時になってようやく明るくなってきた。 朝食は日本から持参したおにぎりを車内で食べた。 土曜日の早朝なので道路は空いていたが、メキシコ・シティの最高峰のアフスコの麓は週末の市民の憩いの場所になっているようで、キャンプ場や遊園地などの施設が多く、アフスコに近づくと車がやや渋滞するようになってきた。
ホテルから1時間ほどで登山口に着くと、意外にも登山口には駐車場が幾つもあり、すでに半分以上が車で埋まっていた。 メキシコもカナダと同じように登山ブームとなっているようだ。 間もなくガイドのイボンヌが到着し、簡単な挨拶を交わす。 イボンヌは30台の小柄な女性で、ランチパックを貰って歩き始める。
登山口には標識のようなものはなく、途中にも一切無かったが、日本の実線の登山道と同じ程度の踏み跡は明瞭だった。 山の植生は日本の山と似ていて森林限界も高かった。 順応が目的なので、途中で3回ほど休憩しながら急斜面が断続するルートをゆっくり登り、3時間ほどで大きな十字架が立つ明るい山頂に着いた。 山頂には相前後しながら登った多くの登山者で賑わっていた。 あいにくの春霞で明日登るトルーカはすっきり望めなかったが、入国3日目で4000m近くまでハイクアップ出来て良かった。













下山はイボンヌの提案で人が少なく傾斜が緩い別のルートを下ったが、周回ルート特有の登山口まで戻る道がとても長く、結果的に登りと同じ時間を要して登山口に戻った。 明日のトルーカもイボンヌがガイドするということだった。 帰路はエージェントの車でホテルに戻ったが、昨日のような酷い渋滞がなくて助かった。 明日の出発は今日よりも早いということで、夕食は今日もホテルのレストランでステーキを食べた。







【トルーカ】
3月3日、石塚さんの体調が優れず、5時半にホテルに迎えに来たイボンヌと私と平岡さんでトルーカ(4680m)に向かう。 日曜日の早朝なので昨日以上に道路は空いていた。 車窓からトルーカが見えてくると、何回か車を路肩に停めてもらい写真を撮る。 予想よりも絵になる山で登高意欲が湧いてくる。 2時間半ほどでホテルから100キロほど離れたの登山口の駐車場に着くと、既に何台もの車が停まっていた。




林道を少し歩いてから破線程度の踏み跡に入る。 道は少し藪っぽかったが、イボンヌはこの山を熟知しているようで迷うことなく進む。 2回目の休憩を終えて顕著な尾根に取り付くと森林限界となった。 麓から見えたのは外輪山で、尖ったトルーカの山頂が右奥に初めて見えた。 昨日ほどではないが登山者が多く、すでに下ってくるパーティーも散見された。
ザレた岩場に入った所でイボンヌの指示でヘルメットを被る。 昨今のメキシコでは易しいルートでも岩場ではヘルメットを被ることが必須のようだった。 昨日の順応登山のお陰で予想よりも足の運びは良い。 山頂手前の外輪山の縁に着くと、眼下の広い火口に青い水を湛えた大小二つの湖が見えて心が弾んだ。
外輪山の縁からは大小の岩が堆積する痩せ尾根を登り、大勢の登山者で賑わう山頂へ登山口から4時間ほどで着いた。 山頂は一人がやっと立てるくらいの狭い岩の上で高度感があり、周囲には幾つもの外輪山が、眼下の火口には火口丘や火口湖が俯瞰された。 火口湖は大きな方が太陽、小さな方が月だとイボンヌが教えてくれた。



















下山は外輪山の縁から火口湖に向けて砂走のような道を一気に下る。 湖に近づくとドライフラワーが黄金色に輝いて幻想的だった。 順応を兼ねて湖畔でゆっくり寛いでいると、反対側から湖畔を歩いてくる家族連れのハイカーの姿が散見された。 湖畔を半周して一番低い火口の縁に登り返すと、そこは車道の終点の駐車場から登ってくる遊歩道の終点で、眼下の湖やトルーカを眺める絶景スポットとして多くの観光客で賑わっていた。
















火口の縁から緩やかな遊歩道をしばらく下ると車道の終点の駐車場に着き、待機していた乗合いタクシー(トラック)に乗って登山口の駐車場に戻った。 車道の終点と登山口の駐車場の間は10キロほどあり、料金は50ペソ(邦貨で約450円)だった。







日曜日だったので帰路も車の渋滞はなく、明るいうちにホテルに戻れた。 残念ながらイボンヌは今日でガイドは終わりとのことだった。 石塚さんの体調は良くなったようで安堵したが、夕食は今日もホテルのレストランでチキンステーキを食べた。



【マリンチェ】
3月4日、今日は山や観光の予定はなく、明後日登るマリンチェ(4420m)の登山口に建つロッジへ移動するだけなので、実質的に休養日となる。 朝食のバイキングをゆっくり堪能し、午前中は一人でホテルの近くに建つ『メトロポリタン・カテドラル』などの旧市街の観光名所を散策する。









正午に4泊したホテルをチェックアウトし、エージェントの車でマリンチェの登山口に建つロッジ『Resort IMSS Malintzi』へ向かう。 マリンチェもメキシコ・シティのホテルから日帰りで登れるが、今回は順応が目的で3000m台のロッジに泊まる。 昼食はコンビニでサンドウィッチを買って車中で食べた。 山麓から見たマリンチェはマッチョな山容で立派だった。 意外にも登山口の近くにゲートがあり、通行時間は朝の7時から夕方の5時までだった。 メキシコシティーから3時間ほどで登山口に建つロッジに着いた。
ロッジはコテージタイプで幾つもあり、予想よりも小さくて簡素だった。 間もなくガイドのアレックスとアシスタントのミゲロが到着して簡単な自己紹介をする。 意外にも明日は正午までにロッジをチェックアウトしなければならないので、2時に起床して3時に出発するとのこと。 昼食が遅かったので夕食が進まないが、ミゲロが作った料理は美味しかった。 順応は順調に進んでいると思ったが、時間が早かったせいか殆ど熟睡することが出来なかった。











3月5日、2時前からアレックスとミゲロが朝食を作ってくれ、予定どおり3時にロッジを出発する。 予想よりも暖かく、手袋をしなくて良いほどだ。 すぐに車止めのゲートがあり、その先にももう一つゲートがあった。 山の中に何か施設があるのか、舗装された立派な林道が続き、それをショートカットするような形で登山道があった。 ロッジの周囲にいた野良犬が前を歩いている。 登山道は緩やかな勾配で単調だが、順応登山にはちょうど良い。 2時間ほどで標高4000m付近の森林限界となり、夜が明けてきた。






森林限界から先も登山道は明瞭で日本の実線の山を登っているような感覚だ。 ご来光を終えると顕著な尾根に取付き、アレックスの指示でヘルメットを被る。 イスタとポポが並んで見えた。 岩混じりの尾根は凍っている所もあったが登り易かった。 風が強くなって寒かったが、陽射しの強さが優っていた。 山頂直下のニセピークを右から巻くと、指呼の間に岩の積み重なった山頂が見えた。
ほぼ予定どおり6時間弱で山頂に着くと、途中で追い越していったメキシコ人のパーティーが寛いでいた。 気が付けば、ロッジから前後を歩きながらついてきた犬も山頂まで登ってきていた。 一昨日のトルーカとは趣を異にするが、眼下には深い火口壁が見られ、あらためてこの山が火山であることを実感した。 あいにくオリサバは高い雲海の上に頭だけを見せているだけだったが、イスタとポポは距離も近いせいかその各々の個性的な山容を披露していた。















山頂は穏やかで風も無かったが、正午の門限に向けて下山する。 下りは尾根の途中からショートカットするような形で火口壁の砂走りを下ったが、細かい砂が目に入ってしまい難儀した。 若いアレックスは英語がとても上手でフレンドリーだが、次のイスタやオリサバのガイドは今回は予定していないとのことで残念だった。 イスタには40回、オリサバには15回ほど登っているが難易度は同じで、イスタはメキシコの山の中で体力的には一番大変で、オリサバは高さと長い氷河歩きが特徴とのことだった。










ロッジには正午を少し過ぎて着いたが特に問題はなく、着替えだけしてアレックスの車と2台でチョルーラのホテル『Hotel Villas Arqueologicas』に向かう。 ホテルは観光名所の『トラチウアルテペトル(遺跡)』の近くにある洒落た建物で静かで落ち着いていた。 夕食はホテルのレストランでステーキを食べた。








【イスタシワトル】
3月6日、今日は昼過ぎに明日登るイスタの登山口にエージェントの車で向かう。 予想どおりホテルの朝食はバイキングではなく簡素な料理だった。 朝食後は目と鼻の先にある世界遺産の『トラチウアルテペトル(遺跡)』の上に建つ教会へ。 何段もの階段を登っていく丘の上のレメディオス教会は、明日登るイスタや噴煙を上げるポポの雄姿が良く見える展望台になっていた。
教会を拝観してからホテルと反対方向に階段を下って行くと昔の鉄道駅の跡地があり、その先がトラチウアルテペトル遺跡の地下道の入口になっていたが、コロナのパンデミックが原因で閉鎖されていた。 遺跡からの出土品が展示されている博物館に寄ってから、その少し先の新しい大きな美術館でプエブラやチョルーラで作られた美術工芸品を鑑賞した。 ツーリスト向けのレストランで昼食を食べ、ホテルで登山用品とデポ品の選別をしていると、ホテルに迎えに来たのは何とガイドのアレックスだった。

























チョルーラの町外れまで30分ほど舗装路を走り、イスタの登山口にある駐車場への山道に入る。 道幅は車がすれ違えるほど広いが、予想以上の悪路で車高の高い四駆以外の車では厳しそうだ。 1時間ほど走ると展望台にもなっている広い駐車場と管理事務所があった。 駐車場からはイスタとポポが良く見えた。
事務所でアレックスが入山手続きを済ませ、ゲートを開けてもらってさらに先に進む。 道は更に悪くなり、ゲートから1時間ほどでようやく山道の終点の駐車場に着いた。 広い駐車場の隅のテントサイトには既にエージェントのスタッフのベティがテントを設営して私達を迎えてくれた。 駐車場からは眼前に幾つものピークから成るイスタの全容が望まれたが、アレックスの説明では山頂はここからは見えないとのことで、その頂の遠さを改めて実感した。 駐車場には週末だけ使えるトイレと幾つかの自炊棟があり、テーブルと椅子も置かれていた。
日没前に食べた夕食はベティが腕を振るってくれたが、中でもタラのピカタはとても美味しく、明日の登山がなければお腹一杯になるまで食べたかった。 明日の起床は零時、出発は1時とのことで、日没と同時にシュラフに入る。 順応は進んでいるので高度障害はないが、慣れない環境で予想どおり熟睡出来なかった。
















3月7日、零時前に起床して炊事棟に行くと、ベティが朝食とランチ用のサンドウィッチを手際よく作っていた。 意外にも石塚さんが体調が優れないとのことで、アレックスと私と平岡さんで1時過ぎに出発する。 しっかりとした明瞭な踏み跡のある登山道を登るが、この山のルールとして出発時からヘルメットを被らなければならないのが煩わしい。 しばらくは眼下の町の夜景だけを愛でながら傾斜の緩い道を黙々と登る。 先行した団体パーティーと相前後しながら十字架の立つチェックポイントを経て4800mに建つ避難小屋に入る。










避難小屋から先は急峻な岩場になるとのことで、アレックスからハーネスを着けるように指示があった。 岩場の登りは簡単だったが、5000m近い標高のため登高スピードが上がらなくなった。 最初の峠に着くと山頂方面がようやく見え、そのあまりの遠さに一瞬唖然としたが、それを凌駕するほどの素晴らしい景観に心が弾んだ。





最初の峠からは火口の中をトラバースしたりしながら最短距離で進む。 天気は悪くなかったが、ご来光は雲の上からで冴えなかった。 ペニテンテス(氷塔)の手前でアイゼンを着け、凍った急斜面をアイゼンの前爪を蹴り込んでバックステップで下る。 短いがここが一番の難所だった。 下りきった鞍部からはアイゼンを着けたままザレた急斜面を登る。 登り終えた二つ目の峠からはようやく山頂がはっきり見えた。









意外にも団体パーティーはここまでのようで、私達のパーティーのみで山頂に向かう。 アイゼンを外して外輪山の縁を登り下りしながら進む。 風もなく絶好の登山日和となったが、相変わらず登高スピードはアレックスが心配するほど遅くてもどかしい。 登りのコースタイムの上限の8時間ギリギリで誰もいないイスタの山頂に着いた。 山頂はやや広く、それまで見えなかった広大な火口を氷河が覆っている風景が見えた。 ポポはだいぶ遠くなり、マリンチェやオリサバが辛うじて遠望された。









下山は二つ目の峠から避難小屋を通らない下山専用のルートをケルンに導かれながら下る。 所々で踏み跡が薄かったり藪っぽかったりするが、アイゼンを着けるような所はなかった。 一方で長い登り返しが2回あったので、往路を戻った場合と比べて体力的にはそれほど変わらないように思えた。 出発してから12時間ほどで石塚さんが首を長くして待つ登山口の駐車場に戻った。











アレックスとはここで最後の別れとなり、ベティの車でチョルーラのホテルにデポした荷物をピックアップして、今日からしばらく滞在するプエブラのホテル『Marques del Angel Hotel Boutique』に向かう。 夕食はホテルの近くのレストランでチョコレートをソースに使ったモーレ料理を食べたが、味が個性的過ぎて私の舌には合わなかった。




【プエブラ】
3月8日、予想どおりホテルの朝食はバイキングではなく、スクランブルエッグとタコス、そしてフルーツの盛り合わせだけの簡素なものだった。 石塚さんはすっかり体調が回復したようで、平岡さんと付近の旧市街の観光に出掛けて行ったが、私は一日中ホテルに引きこもってゆっくり寛いだ。 ホテルの部屋の造りは古いが天井が高く、20畳ほどの広さがあるのでリラックス出来る。 昼食は日本から持参したカップ蕎麦を食べたが、何故かとても美味しく感じるから不思議だ。
プエブラは人口が150万人の観光都市で、昼過ぎから外が急にうるさくなり、国際女性デーのデモ行進がホテルの前の通りを通過した。 数千人の若い女性達が音楽の演奏に合わせて大声で叫んだり踊ったりする様はまるでお祭りのようだった。 夕食はホテルの近くの庶民的なチェーン店のレストランでタコスを食べたが、値段の割には美味しかった。






3月9日、朝食後に石塚さんとプエブラの歴史地区の観光に出掛ける。 ホテルから10分ほどのソカロ(アルマス広場)には昨日のデモ行進の痕跡が随所に見られた。 ソカロに隣接する二つの鐘楼を持つ『カテドラル・デ・プエブラ大聖堂』を皮切りに、『サント・ドミンゴ教会』、『サン・ジョアン・デ・ディロス寺院』、『セニョーラ・デ・ラ・マラビアス教会』、そしてサン・ホセ公園から『サン・フランシスコ教会』を歩いて観光した。 教会はどれも大きく立派で、内部の聖壇や壁や天井の装飾も重厚華麗だが、スペイン帝国による侵略の歴史的な背景を考えると複雑な気持ちにさせられる。 ツーリスト向けの民芸品の土産物店が所狭しと並ぶエル・パリアン市場を通り、遅い昼食をKFCで食べてからホテルに戻った。 歩き疲れた午後は迷わずシエスタを決め込んだ。
夕食は一昨日と同じメキシコ料理のレストランでエビのタコスを食べたが、これがとても美味しかった。 レストランからの帰りにセブンイレブンに寄り、明日の昼食用のおにぎりとサンドウィッチを買ってホテルに戻った。


























【ピコ・デ・オリサバ】
3月10日、今日は日曜日なので閑静なホテルのレストランにも週末の観光客の姿が多く見られた。 朝食のメニューは3日間同じで飽き飽きする。 10時になるとミサが始まるため周囲の教会の鐘が一斉に鳴った。 午前中はオリサバに向けての準備と装備の点検などを行なう。

正午にガイドのメッシとアシスタントのアフメがホテルに現れ、オリサバの麓のイダルゴの集落へ車で向かう。 有料のハイウェイを1時間ほど走ってから小さな町が点在する一般道に入る。 オリサバの登山基地となるトラチチュカの町を通り、2時間半ほどでイダルゴの集落の外れの民宿に着いた。 意外にもメッシから、今日ここに泊まって体を慣らし、明日登山口の山小屋(ピエドラ・グランデ小屋)に行くことを勧められたが、予定どおり民宿から大型の四駆のバンに乗り換えて山小屋に向かう。 道の状態は予想よりも酷く登山道のような所もあり、1時間近くを要して山小屋に着いた。











日曜日ということで山小屋は幾つかのパーティーで賑わっていたが、間もなく三々五々下山していった。 当初は山小屋の周辺でテント泊する予定だったが、明日登るパーティーは私達だけになったので、山小屋に泊まることになった。 山小屋は窓が大きいので予想以上に明るく暖かで快適だったが、中にも外にもトイレがないのが玉にキズだった。 夕食はアフメが作ってくれたパスタ入りのトマトスープと鶏肉のステーキを食べた。 予想どおり山小屋は私達だけで貸し切りとなり、ネズミの出没で悪名高い小屋だが、夜中に枕元まで来ることはなかった。




3月11日、イスタシワトルの時と同じスケジュールで、零時に起床して1時に出発する。 昨夜も予想どおり熟睡には至らなかったが、前日の暖かさが残る山小屋の中でゆっくり朝食を食べられることがありがたい。
コンクリート製の排水路の上をしばらく歩いてから右手の登山道に入る。 特に目印のようなものはないが、登山道の踏み跡は明瞭で、ハイシーズンには国内外の登山者が多いことが頷ける。 予想よりも勾配は緩かったが、逆にメッシはとてもゆっくり歩いてくれたので助かった。
最初の休憩場所ではネズミが足元に纏わり付き、山小屋のみならずこの辺りに生息していることが分かった。 一昔前は氷河に覆われていたと思われる埃ぽいザレた岩の上を黙々と登り続ける。 踏み跡は次第に薄くなっていったが、メッシは全く迷うことなく機械のように同じペースで先導する。 燃えるような朝焼けが始まり、山頂方面が頭上に見えてくると間もなく氷河の舌端に着いた。 GPSでの標高は5100mで、山小屋からここまで5時間以上を要した。














氷河の舌端から少し登った所でアイゼンを着け、メッシと石塚さん、私、平岡さんが1本のロープで繋がる。 氷河に雪が積もった乾期の序盤から中盤(10月〜1月)であれば登り易そうな斜面だが、乾期の終盤の今は温暖化も手伝って残雪のみならず氷河も溶け、ペニテンテスと氷だけになっているので登りにくい。 途中からは更に氷河の状態が悪くなってきたので、メッシと私、石塚さんと平岡さんの二組に分かれて、それぞれショートロープで登ることになった。 先頭のメッシがペニテンテスを足で蹴って崩しながら登るが後続の私も決して楽ではない。 頭上に見えているニセピークは登っても登ってもなかなか近づかず、高度の影響で登高スピードがあきらかに落ちてしまいもどかしい。 氷河の舌端から3時間半を要してようやく火口の縁に這い上がったが、指呼の間と思われた山頂は疲れているせいもあってまだ遠そうに見えた。
火口の縁からは緩やかに少し下ってから何らかの人工物が見える山頂へ登り返す。 ペニテンテスが無くなったので歩き易くなり、労せずしてピコ・デ・オリサバの山頂に着いた。 人工物は以前あったという気象観測機器ではなくマリア像だった。 山小屋から9時間以上を要し、達成感や昂揚感よりも疲労感と安堵感が先行していた。 山頂からはそれまで見えなかった荒涼とした爆裂火口が見え、独立峰らしくイスタシワトルとポポカテペトル、マリンチェなどお馴染みの山々が遠望された。












イスタシワトルのような登り返しはないものの下山も決して楽ではなく、斜めや横向きに一歩一歩アイゼンの爪を氷の上に置かなければならないのですぐに腰が痛くなり、目標を失った身には単調な動作を繰り返すことが精神的にも苦痛だった。
氷河の舌端からはメッシと私が先行し、予定よりも2時間オーバーの3時に留守番役のアフメが首を長くして待つ山小屋に戻った。 諸事情により山小屋を出発する時間が遅くなり、プエブラのホテルに着いたのは9時になってしまった。













3月12日、今日はオリサバの登頂予備日だったが、予定どおりの日程で昨日登れたため自由行動日となった。 高度が下がり長時間熟睡したため体へのダメージは少なかったが、散歩や観光には行かず埃まみれになった登山用品の洗浄と明日の帰国に向けての荷物の整理を行なう。 昼食も外出せず、カップ蕎麦と余った行動食の煎餅で済ませた。 夕食は常連となったメキシコ料理のレストランで打ち上げを兼ねて舌鼓を打った。




3月13日、午前中はホテルから歩いて15分ほどの所にあるスーパー『MEGA』に土産物を買いに行く。 スーパーは家電製品も売られ、品揃えや品質は必要充分だったが、日本製の製品や食品などは殆ど無かった。 予想どおり魚介類は少なく、肉と果物の種類が豊富だった。 正午にホテルをチェックアウトし、フロントに荷物を預けて定番のメキシコ料理のレストランで最後のランチを食べた。






ホテルに迎えにきたエージェントの車でメキシコシティーのベニート・ファレス国際空港に向かう。 渋滞もなく2時間ほどで空港に着き、前日に予約した空港内のカプセルホテル『izzzleep』にチェックインする。 カプセルホテルの利用は初めてだったが、パスポートを提示して書類にサインするだけの簡単な手続きで、大きな遠征用のボストンバッグは無料でフロントが預かってくれた。 3uほどの室内はとても清潔で、専用のロッカーに清潔なシャワールームやトイレ・洗面台が複数あり、不満な要素は一切なかった。 空港内の銀行で手持ちのペソを米ドルに両替し、夕食は空港内のマックで簡単に済ませ早々に床に就いた。











3月14日、モーニングコールで2時に起床し、5時発のユナイテッド航空で乗り継ぎ地のサンフランシスコへ。 所要時間は5時間弱だったが、機材は国内便と同じサイズの小型機だった。 サンフランシスコでの入国審査はESTAのお陰で予想以上にスピーディーかつスムースだった。 サンフランシスコでの乗り継ぎは3時間、成田へは到着予定時刻よりも早く着いたので所要時間は11時間弱だった。



今回のメキシコの山旅では本命のイスタシワトルとピコ・デ・オリサバのみならず、高所順応で登ったアフスコ・トルーカ・マリンチェの全てについて好天の下での登頂が叶い、不確定要素が多い海外登山ではとても良い成果が得られた。 また、“百聞は一見にしかず”の諺どおり、山頂からの展望がどの山もユニークで印象に残った。 凄まじい噴煙を上げ続けるポポカテペトルは登れなくて残念だったが、眺めているだけでも迫力があり神々しくさえ思えた。
一方、メキシコでは予想よりも雨期と乾期がはっきりしていて、2週間のメキシコ滞在中に雨は一滴も降らず、温暖化の影響による氷河の後退に加え、乾期の末期ということで山に雪が無く、山としての美しさに欠けるのみならず、イスタとオリサバではその影響で登りにくかった。
政情や経済が安定しつつある昨今のメキシコでは他国と同じように登山(健康)ブームとなっていることは確かで、今回のエージェントの『3Summites Adventure』のガイドのスキルが総じて高かったのも、そうした背景があるからだと思えた。