《 11月1日 》

カトマンドゥ ( 1 3 5 0 m ) ⇒ デリー ⇒ 成田

   11月1日、悔しさや悲しさ、そして指の痛さで眠れないかと思ったが、痛み止めの薬と濃い酸素のおかげでそれなりに眠ることが出来た。 何事もなければ今日は登頂の余韻に浸りながらC.1から意気揚々とB.Cに戻る予定だったので、カトマンドゥのホテルのベッドで朝を迎えたことに違和感を覚える。 朝食のバイキングにレストランに行くと、中庭には先に下山したスイス隊のメンバーがいて思いがけない再会となった。 包帯の巻かれた指を見せながら手短にここに至った経緯をメンバーに話すと皆も驚いていた。 間もなくレストランに現れた倉岡さんから、スバシの手腕で変更出来ない格安航空券が470ドル(邦貨で約53,000円)で今日の午後の便に変更出来たことを聞いて驚いた。 また、倉岡さんの知り合いの国際山岳医の大城和恵さんの紹介で、帰国後の11月6日に千葉西総合病院で倉岡さんと共に手指の専門医による指の手術を受けられることになったので安堵した。

   朝食後は部屋に戻って荷物のパッキングを済ませてから、出発までの僅かな時間を割いてホテルの斜向かいのコスモトレックの事務所を訪ね、併設されているモンベルの店にも行ってみたが、店の品揃えは他の店とは比べものにならないほど少なかった。 昼過ぎに諸々の精算と空港への送迎のためホテルに来たスバシと共に、明日の便で帰国する倉岡さんに見送られてホテルを後にした。 サミット・ディの翌日にネパールを発つという離れ業は、エージェントのヒマラヤン・ビジョンの優秀なスタッフのお蔭だ。


ホテルの中庭でスイス隊のメンバーと再会した


ホテルのレストラン


朝食のバイキング


コスモトレックの事務所


モンベルの店内


明日の便で帰国する倉岡さんに見送られてホテルを後にした


   帰路もインドのデリー経由で成田には翌日の午前中に着いたので、午後はとりあえず自宅近くの病院に行って外傷の消毒をお願いしてからレントゲンを撮ってもらい、整形外科の医師から骨折の状態についての説明を受けた。 医師の診断はネパールの病院での診断と同じで、右手の甲はかなり腫れていて痛かったが、骨折しているのは人差し指の真ん中の骨だけということだった。


カトマンドゥのトリブヴァン空港


デリーのインディラ・ガンディー空港


   今回のアマ・ダブラムは、5年前に最初にチャレンジした時の経験と、その後の高所登山での経験を最大限に生かし、またガイドの倉岡さんとのマンツーマンというこれ以上ない好条件で臨んだが、運悪くサミット・ディに落石に遭ってしまい、結果的には登頂を目前にして涙を飲んだ。 また、落石による右手の人差し指の骨折の手術は成功したものの、受傷してから2か月を経過した時点でも未だに指が思うように曲がらず、登山活動はもちろん日常生活でも支障をきたしている。 今でもネパールで一番登りたい山はアマ・ダブラムに変わりはないが、今後この山にもう一度チャレンジすることは難しいかもしれない。


B A C K  ←  《 10月31日 》

アマ・ダブラム