《 プロローグ 》

   チョ・オユー(中国名は卓奥友峰/8201m)は、世界に14座ある8000m峰のうちの1座で、そのうちの6番目の標高を誇り、中国(チベット)とネパールの国境に聳えている穏やかな山容の山である。 同峰はマナスル(8163m)が商業登山隊によって大衆化される以前は“最も登り易い8000m峰”と言われていた(今も言われている)が、その実質的なB.CとなるA.B.C(アドバンス・ベース・キャンプ)は標高5700mの所にあり、ネパール側のエベレストのB.C(5350m)よりも高く、高所に弱い私が果たしてこの高さに順応出来るかどうかは全く想像も出来なかった。

   今回のチョ・オユー登山は一年前から決めていたが、十数年前に日本の商業登山隊の草分けとも言えるAG社が主催するチョ・オユーの公募登山隊の説明会に故坪山淑子さんと共に足を運び、その帰り道の居酒屋で8000m峰への夢を語り合ったことは今でも記憶に新しい。 そして2003年に淑子さんは見事そのチョ・オユーの頂に立ってその夢を実現され、次の目標へと繋げたが、志半ばで亡くなられてしまった。 2009年には岳友の栗本さんや中村さんも登頂されたが、その後チベットへの外国人の入域が禁止されてしまったため、商業登山隊の殆どがマナスルへ転向していったことにより、私も2011年の初めての8000m峰へのチャレンジがチョ・オユーではなくマナスルになった。 最近になってようやくチベットへの外国人の入域が許可されるようになり、今回ようやく2度目の8000m峰へのチャレンジとなった。

   今回の登山隊のメンバーは、ガイドの平岡さんとマナスルやヒムルン・ヒマールでご一緒した京都の齋藤さん(るみちゃん)、そして初顔合わせの福岡の柴田さんの4人というこぢんまりとした隊だったが、ガイドの倉岡裕之さんの登山隊の4人と行動を共にする形をとったので、結果的には総勢8人ということになった。 現地のエージェントはいつもと同じマウンテン・エクスペリエンス社だ。

   ネパール人のスタッフ達と共にカトマンドゥから中国(チベット)に行くには、陸路でネパール側の国境の町コダリと中国側の国境の町ザンムーを経て行くのが一番早く効率的だが、昨年4月の大地震で峠越えの道路が崩壊し、未だに復旧の目処が立ってないとのことで、今回はこれに代わって利用されるようになったネパール側のシャブルベンシから中国側のケーロンに抜ける国境の峠越えをすることになったが、出発の数日前になって中国政府からそのルートで入国するビザの許可が下りず、一番費用が掛かって遠回りとなるラサ(チベット自治区の首府)経由の空路で行くことになってしまった。

   カトマンドゥ空港での集合・解散のため、航空券はクアラルンプールを経由するマレーシア航空を選んだが、最近ではエコノミーでも預託荷物が30キロまで無料となったため、40キロほどになった荷物のうち10キロ(規約では7キロ)をザックに背負って機内に持ち込むことで、以前のようにEMS(国際郵便)を使わずに済んだ。 この航空券は諸費用込みで約10万円と安かったが、カトマンドゥとラサの往復航空券は諸費用込みで8万円と割高だった。


ネパールと中国(チベット)の国境


A.B.Cから見たチョ・オユー


チョ・オユーの山頂  (背景はエベレストとその周辺の山々)


N E X T  ⇒  《 9月1日 》


チ ョ ・ オ ユ ー    ・    山 行 の 報 告    ・    T O P