《 エピローグ 》

   今回のヒムルン・ヒマール(7126m)の登山は、自らその頂に憧れ、目標とし、計画した山ではなかったが、結果的に天候に恵まれ、無酸素で7000mをオーバーし、登頂することが出来た。 登った時の年齢や経験にも左右されるため一概には言えないが、過去に登った二つの7000mに迫る山のアコンカグア(6959m)とオホス・デル・サラド(6893m)は、いずれも山頂直下での登りが苦しく、ヒムルン・ヒマールでも同様の状況になることを危惧していた。 今回は順応があまり上手くいかず、体調も決して万全ではなかったこともあるが、予想以上に山頂直下での登りが苦しかった。 先天的に高所に強い人と弱い人がいることが経験上分かってきたが、私は残念ながらやや弱い人の部類に入ることが、今回のヒムルン・ヒマールで証明された。 高所に強くなるようなトレーニング方法はないので、後はいかに高所へ行く機会を増やし、その経験値を積み上げていくしかないだろう。 そういう意味でも今回7000mオーバーのヒムルン・ヒマールに行けて良かった。 また、エベレストを何度も経験している現地のスタッフでさえ誰も登ったことがなかった寂峰に登れたことも、今振り返ると本当に良かったと思う。 一方、参加したメンバーに知り合いが多く、滞在期間中は楽しく過ごすことが出来たが、一番元気だった藤田さんと割石さんが相次いで手の指に凍傷を負ってしまい、最後までご一緒出来なかったことが本当に残念だった。 

   今回は昨年に続いて二度目のネパールでの登山だったが、昨年のマナスル(8163m)ではヘリでB.C手前のサマ村(3530m)まで飛んでしまったので、B.Cへアプローチするネパールでの一般的なトレッキングルートの様子や途中の村々の雰囲気が全く分からなかったが、今回はカトマンドゥよりも標高の低いジャガット(1300m)から歩き始めたので、それらのことも良く分かるようになり、ようやくネパールの山を登ったという実感が湧いた。 ヒムルン・ヒマールは登山口から山頂までの単純標高差が6000m近くあり、これはエベレストとほぼ同じだ。 また、マナスルは酸素を使ったことでアタック日の苦しさは皆無だったのに対し、ヒムルン・ヒマールでは、山登りを始めて以来一番の苦しさと長時間行動(約20時間)を経験したことにより、図らずもマナスル以上に記憶に残るサミットとなった。 B.Cの手前にあったプー村(プーガオン)というチベット民族が暮らす秘境の村を訪れることが出来たことも大変想い出に残った。


登頂証明書


ヒムルン・ヒマール (右)   (藤田弘基氏写真集『ヒマラヤ百高峰』より)


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ヒムルン・ヒマール    ・    T O P