《 20日 〜 21日 》 本高森山 ・ 大島山 ・ 念丈岳
高森 〜 本高森山 〜 大島山 〜 2158m峰(テント泊) 〜 念丈岳 (往復)
春の3連休だが快晴の天気は望めず、天気がまずまずなのは2日間だけで冬型も緩まず、行き先は甲信南部の山に限られた。 2年前のGWに痛恨のルートミスで踏破出来なかった中央アルプス前衛の念丈岳から大島山へのリベンジは紅葉の時期にと考えていたが、妻の腰痛が治らず行程が長い山には行けないので、奇しくも同じ積雪期に再訪することになった。 結果的には前回道に迷って徘徊した所で今回もルーファンに苦労したが、同じ積雪期に行ったことで前回のルートミスの原因が概ね分かり、この時期に再訪して本当に良かったと思った。
高森CCの先の道幅の狭い未舗装の林道の路肩に車を停めて出発の準備をしていると、意外にも神戸ナンバーの車がやってきた。 車から降りた方と雑談を交わすと、例年この時期は山スキーをやっているが、今年は雪が少ないので連休中は山を登ることにしたという。 今日は日帰りで念丈岳を目指すとのことだった。 7時半前に登山口を出発。 直前に登山口の手前に車を停めていた単独者が先行していった。 日陰の地味な登山口から数分ジグザグの急坂を登ると、そこから先は赤松林の良く踏まれた幅の広い道となり、地形図に記された登山道の終点となる本高森山(1889m)の山頂までずっと続いていた。 これは地元の山岳会の『念丈倶楽部』が定期的に行っている笹の刈り払いのお蔭に他ならない。 すぐに先ほどの神戸の方が足早に追いついてきたので道を譲る。 朝晩は曇るという天気予報どおりの冴えない天気だ。 腰痛の妻のペースに合わせ、こまめに休憩しながらゆっくり登る。 予想どおり登山道に雪はなく、本高森山の山頂の手前からようやく残雪を踏んで歩くようになった。
山頂直下で先行していた単独者とすれ違い、11時前に誰もいない本高森山の山頂に着いた。 展望は無いと思っていたが、南東方向が明るく開け、天気が良ければ南アルプスの山々が一望出来そうだった。 静かな山頂で一息入れ、ここから先は『念丈倶楽部』の故上澤さんが開削したという“上澤新道” を辿って大島山に向かう。 例年のこの時期ならここからラッセルとルーファンが必要になるだろうが、今年はもうGWくらいの感じで、時々登山道を覆う残雪には先行している神戸の方の新しいトレースだけが見られた。 意外にも大島山の手前で神戸の方とすれ違った。 予想どおり大島山から先では雪が急に深くなり、次のピークの2158m峰で引き返したとのことだった。 2158m峰は展望も得られ、平らで良い幕場だと教えていただいた。 この神戸の方を見送ると、下山するまで誰とも出会うことは無かった。
明るい笹原の斜面を登り詰め、予定より少し遅く2時前に大島山(2143m)の山頂に着いた。 とりあえず大島山の頂を踏めたことで最低限の目標は叶った。 この山もそこそこ展望が良く、曇りがちな天気ではあるが、目標の念丈岳や池ノ平山・安平路山などが良く見えた。 ここも幕場にするには良い場所だが、まだ時間も早く先ほどの神戸の方から2158m峰の情報を得ていたので迷わず先に進むことにした。 山頂から先では予想どおり雪が深くなり、神戸の方のトレースがなければワカンを履こうかどうか迷うところだ。 トレースは所々の木の枝に見られる古いピンクのテープを忠実に辿っていたが、大島山と2158m峰の間にある小さなピークは左から巻いていた。
神戸の方のトレースに助けられ、2時半過ぎに今日の幕場と決めた2158m峰の山頂に着いた。 池ノ平山にも似た雰囲気のある広くて平らな山頂は、無雪期であればただの藪山で一瞥もせずに通り過ぎてしまうだろう。 山頂からは念丈岳が指呼の間に見えた。 予報どおり風は殆どなく暖かい。 テントを設営し、水作りを妻に任せて、明日のルートの下見に行く。 古いトレースのかけらもなく、まだ今シーズンは誰も歩いていないように思えた。 山頂から先は樹間が狭くなり歩きにくくなったが、雪が良く締まっていたのでラッセルはせずに済んだ。 それまでと同じ種類の古いピンクのテープが続いていたが、やはりここから先の登山道は尾根を行かずに、無雪期には沢が流れているという鞍部に向けて尾根を左から巻くように下っていた。 鞍部までは概ね登山道に沿って下れそうだったので、後は明日のお楽しみということで引き返す。 予想どおり静かな寂峰の頂は貸し切りだった。
翌朝は念丈岳の一つ手前の2230m峰までのルーファンがメインなので、周囲が明るくなってから幕場を発つ予定でいたが、未明からの雲で視界が悪かったのでご来光直後の6時半の出発となった。 昨日つけたトレースの終点から先は鞍部に向けてどこからでも下れそうだったが、地形図と木々の微妙な間隔をつぶさに観察しながら基本的に古いピンクのテープを繋ぎ合わせて下った。 ピンクのテープはかなり頻繁に付けられていることが分かった一方、これらは全て無雪期に付けられたもので、2m超す積雪で半分くらいが雪に埋もれていると思われた。 山頂から標高差で60m下った所の木に『上沢泉』と記されたプレートが見られ、そこが沢の渡渉点であることが分かった。
そのプレートから先も沢の縁に沿ってピンクのテープが見られたので、先ほどと同じようにそれを繋ぎ合わせて登り始めたが、積雪が一段と増したことでテープが雪に埋もれ、登山道どおりに登ることが難しくなってきた。 斜面の傾斜はそれほどきつくなく、雪もまだ締まっていたので、高度計と地形図を頼りに上に向かって登っていけば、2230m峰手前の尾根に乗れそうだったが、前回なぜここでルートミスをしたかを検証したかったので、時間を掛けて丁寧に周囲を観察しながら登った。 間もなく前回進行方向の判断を間違えた場所に着き、2年前の記憶が昨日のことのように鮮明に蘇ってきた。 記憶どおりそこを登っていくと、間もなく2230m峰手前の無木立の小ピークに着いた。 霧に煙るこのピークから眺めた景色も、まるで昨日のことのように良く覚えていた。 そこから目と鼻の先の2230m峰の山頂に着くと、ようやく天気の回復の兆しが見られ、前回は大島山だと思っていたピークは、今回の幕場とした2158m峰であることも分かった。
2230m峰から先の雪庇はすでに小さく、また雪が締まっていたので歩き易かったが、鞍部からの痩せ尾根を登る手前でアイゼンを着ける。 ありがたいことにルーファンを除いては一番の核心と思われた痩せ尾根の雪は殆どが落ち、ルートも良く分かっていたので、全く問題なく通過することが出来た。 痩せ尾根の先からは山頂に向けてやや緩やかな雪のスロープを直登し、9時半前に待望の念丈岳(2290m)の山頂に着いた。 さすがに3連休だけのことはあり、池ノ平山方面からの新しい複数のアイゼンの爪跡があった。 前回のリベンジは叶ったが、主脈を覆っている雲がなかなか取れなかったので、計画していた奥念丈岳は断念することにした。
10時前に念丈岳の山頂を発ち、指呼の間の2230m峰から先の下りでは、再び前回のルートミスを検証しながら下る。 登っている時は気が付かなかったが、前回最初に道を失った場所も分かった。 そこから先では樹間が急に狭くなり、雪があちこちで吹き溜まっているので、必然的に登山道を外れてしまい、逆にその後は鞍部の沢までどこでも下って行けそうな斜面になっていた。 前回は鞍部の沢まで下りたこと、そして私が見た“方向があまりにも外れていた単独者の明瞭なトレース”が正に今日2158m峰から下ってきたルートだったことを確信した。 断片的ではあるものの、前回のルートミスの原因が概ね分かったことで、胸のつかえが取れたような気がした。
11時過ぎに2158m峰の幕場に戻ると天気が急速に回復し、ようやく南越百山、仙涯嶺、南駒ケ岳などが良く見えるようになった。 のんびりと撤収作業をして正午過ぎに2158m峰の山頂を発つ。 トレースのある下りは速く、30分足らずで大島山に着いてしまった。 新しいトレースはなく、私達の後からは誰も登っていないことが分かった。 時折樹間から見える南アルプスの山々を眺めながら、心地よい達成感に満たされて本高森山への道を下る。 次回は右手に見える安平路山から奥念丈岳へ残雪を踏んで歩きたいと思った。 埼玉からは少し遠い南信のこの地味な山域に、自分の居場所が見つかったような気がした。