《 5日 〜 6日 》 大門沢小屋
奈良田第一発電所 〜 大門沢小屋(泊) 〜 大門沢下降点手前 (往復)
土曜日は快晴だが冬型で風が強いという予報だったので、ピークハントはやめ、今シーズン最後のチャンスを狙って農鳥岳へのB.Cとなる大門沢小屋に行った。 10時半に登山口の奈良田第一発電所の先の林道のゲートを出発したが、意外にも大門沢小屋のだいぶ手前から登山道に雪が見られた。 大門沢小屋直下のヨモギ沢には立派な丸太の橋が架かっていたので、大門沢小屋には労せずして3時前に着いた。 山小屋の周囲には5センチほどの積雪があり、予想どおり小屋は私達だけで貸し切りだった。 明日のために30分ほどトレースを付けに行くと、山小屋から先では積雪が10センチほどとなったが、先日の大雪以来誰も歩いていないことが分かった。 下見の結果、翌朝は遅くとも2時半には出発したかったが、半ば登頂を諦めた妻からの要望で3時の出発となったが、この僅か30分の違いが登頂の有無に影響することになるとは知る由もなかった。
大門沢小屋を3時に出発。 夜の初めごろ吹いていた風はやんだが、空は少し曇っていて暖かかった。 昨日付けたトレースの先で、昨年の残雪期にルートミスをした南沢を立派な木の橋で渡る。 南沢の渡渉点は無雪期であれば間違えようがないことがあらためて分かった。 南沢を渡り、ヨモギ沢の沢音を右手に聞きながら登っていくと、積雪が20センチほどとなったのでアイゼンを着ける。 登山道は窪んでいて道型は分かりやすいが、逆にテープ類は殆ど無いので、ルーファンは常に怠れない。 暗闇の中のラッセルなので、1時間に標高差で200mほどしか登れなかった。 予定よりも少し遅く、標高2500m辺りでご来光となった。 標高2600m辺りで雪を被ったハイマツが登山道を塞ぎ、ここから先が核心部となることが予見された。 残念ながら天気は予報よりも少し悪く、東の空には寒気の影響による白い雲が、南の空には湿った黒い雲が浮かんでいた。
ハイマツの間を縫っていくと間もなく道型が不明瞭になり、雪が吹き溜まった斜面の細い木の枝に色褪せた古い赤テープが見られた。 ここまでは数少ないテープ類を忠実に拾ってきたが、その古い赤テープ付近の雪の付き方が悪かったので、右上の木々の疎らな斜面を登っていくと、その先には雪が付いていない登り易そうなガラ場が見えた。 すでに時間は8時近くになり、予想していた時間より30分ほど遅れていたので、この気持ちの焦りがルーファンにも影響を与え、その赤テープは冬道のもので、今登っている所が登山道に違いないと思った。 一方、後続の妻はその古い赤テープに未練があり、周囲をつぶさに観察しながら登っていると、その延長線上にペンキマークが印された岩を見つけた。 すでに古い赤テープがあった所からはだいぶ登ってしまい、その付近の雪の付き方が悪いことに変わりはないので、深雪のやや急な斜面をトラバースしながらペンキマークが印された岩の少し先に降り立った。 意外にもその付近では登山道の道型がはっきりし、カモシカの足跡も見られた。 そこから少し進むと、すぐにまた黄色のペンキマークが印された岩があったので、ここが間違いなく登山道であることが分かった。 その先には見覚えのある凹地と、その方向へ緩やかで明瞭なバンドが続いていたので、周囲を全く見渡すことなく先に進んでしまった。 凹地はちょっとした広場になっていたので、地形図どおりここから大門沢下降点に向けて登り易い所を登れば良いと思った。 広場から先は幅の広い尾根になっていたが、沢状の地形を登った6年前の記憶は全くなく、安易にその尾根に取り付いてしまった。
広場までの明瞭な道型が嘘のように、取り付いた尾根には登山道の道型は全くなく、古いテープの一つも見当たらなかった。 しかしながら、雪の下のどこかに登山道があることについては全く疑問に思わなかったので、背丈の低い木々の間を縫いながら登り易い所を選んで登ることにした。 積雪は一段と増して膝丈のラッセルとなり、登高スピードはさらに落ちた。 また、上に行けば行くほどハイマツの占める割合が多くなり、最後はハイマツの密藪に阻まれて登ることが困難になってしまった。 仕方なく一旦広場まで戻り、今度は尾根の左側を少し回り込んだ所から、次は尾根の右側を少し回り込んだ所からそれぞれ登ってみたが、結局どのルートも最後は同じハイマツの密藪に出てしまい万事窮すだ。 高度計の標高は2750mと、あと僅か80mで大門沢下降点のある稜線に届くのだが、絶望的なハイマツの密藪になす術がなかった。
時間はすでに10時近くとなり、断腸の思いで登頂を諦め、ラッセルに疲れ果てた体を労りながら一息入れる。 広場に下り、さらにそこから最後に見た黄色のペンキマークが印された岩の所まで下って愕然とした。 そこにはその岩の僅か数メートル右にも同じような黄色のペンキマークが印された岩があり、登山道は明瞭な道型がある凹地の方ではなく、そこから地形図に記された登山道のとおり右へ曲がっていたのだった。 その先は幅の広い沢状の地形になっていたが、登りではそのペンキマークの手前でルートミスをしたため、私も妻もその沢状の地形が全く視野に入らず、数メートル先の足元にある黄色のペンキマークが印された岩すら見落としていたのだった。 沢状の地形を仰ぎ見ていると、6年前の記憶が朧げに蘇ってきたが、その時は雲や霧で視界が閉ざされていたので、その沢状の地形をどのように大門沢下降点に登ったのかは定かではなかった。 今回は計画が性急だったことで、過去の自分の記録や写真などを詳しく見てこなかったこともルートミスの原因だった。
もう時間的にも大門沢下降点まで登るのは無意味だが、テープの一つでも付けようとそこを登ってみたが、見た目以上に雪が深く股まで埋もれてしまった。 この先も同じような状態が続けば、ルーファンが上手くいっても果たして山頂まで、あるいは大門沢下降点までも登れたかどうかは疑問だった。 ちょっとした不注意でルートミスをしてしまった悔しさと情けなさ、そして謎を残したまま6年前と同じように失意の下山となった。 天気が予報よりも悪かったことが唯一の救いだ。 帰路もカモシカ以外とは出会うことはなかった。 早めに登頂を諦めたので、大門沢小屋には予定よりも早く1時に着いた。 脱力感も手伝い下山の準備に時間が掛かり、大門沢小屋を発つのが2時になってしまったので、登山口の奈良田第一発電所には日没寸前の4時半過ぎに着いた。