2  0  1  4  年  1  0  月  

《 11日 》    男鹿岳

深山園地 〜 男鹿岳  (往復)

   諸事情で三連休中に山行の予定は無かったが、急遽山に行けるようになったので、連休初日に日帰りで男鹿岳に登ることにした。 道の駅『湯の香しおばら』で前泊し、翌朝登山口となる塩那スカイラインの深山園地へ向かう。 以前はゲートがあって車が通れなかった板室温泉手前から分岐する塩那スカイラインの車道は新しく舗装され、分岐から8キロほど先の深山園地の駐車場に労せずして着いた。 車が6台停められる駐車場には他の車は無かった。 駐車場の先には新しいゲートがあり、廃道となっている未舗装の林道(塩那スカイライン)が続いていた。 駐車場の脇には新しい深山園地の案内板があり、標高が1096mと記してあったので、高度計をこれに合わせる。 駐車場からは朝陽を浴びた大佐飛山の長大な稜線が眼前に見えた。 

   6時に駐車場を出発。 ゲートの脇から林道に入り10分ほど歩くと、新しいテーブルとベンチが置かれた『休憩広場』があり、その先の林道は立入禁止になっていて、柵が二重に設置されていた。 地形図からも抹消されている林道は全く補修されていないだろうから、登山道としても認可されないことは頷ける。 もちろん、男鹿岳の存在をほのめかすような表示は一切無かった。 柵の脇から簡単に入れる林道をさらに進んでいくと、5分ほどで『本部跡』と表示された古い案内板があり、そのすぐ先に昔の古いゲートがあった。 今度はゲートの下をくぐって先に進む。 林道は緩やかな登り基調だが、所々に下りもあり、往時を偲ばせる『三度坂』、『ダルマ石』、『見晴台』、『石楠花岩』、『貫通広場』、『笹の沢』、『月見曲』と表示された案内板が点々と見られた。 案内板には両起点の塩原と板室からの距離が併記され、塩那スカイラインの総延長は51キロほどあることが分かった。 廃道化した林道は所々で倒木や落石が道を塞ぎ、事実上車が通れない状態だった。 深山園地から登山道の取り付きまでは12キロほどこの林道を歩かなければならないが、林道の周囲は紅葉がちょうど見頃になっていたので、全く退屈することはなかった。 明後日に上陸が予想されている大型台風の影響も全くなく、雲一つない快晴無風の登山日和で気持ち良い。 気持ちが緩み始めと、猿の群れが前方に現れたので、笛を吹いて追い払った。

   深山園地の駐車場から2時間半ほど林道を歩いた所に『植生回復経過観察小屋』と外壁に書かれた新しい小さな小屋があった。 6畳ほどの広さの小屋は、鍵が掛けられておらず、避難小屋として使えそうだった。 小屋から先ではやや勾配が増し、9時半過ぎに待望の登山道の取り付きに着いた。 取り付きには木々の枝に色々なテープが付けられ、足元にはピンクのテープで矢印が引かれていた。 取り付きの手前には大きな落石が道の真ん中にあり、取り付きの先には90度右に折れるヘアピンカーブがあるので、これらの三点が頭に入っていれば、全く問題なく登山道に取り付くことが出来る。 高度計の標高は1623mだったので、登山口の深山園地から取り付きまでの単純標高差は627mということになり、取り付きから1777mの山頂までの標高差は150mほどとなる。 

   取り付き付近は背丈ほどの笹薮に覆われていたが、足元はかなり踏まれていたので助かった。 両脇の笹を掴んで5分ほど急坂を登って顕著な尾根に上がると、笹薮の背丈は低くなり、全く問題なく歩けるようになった。 相変らず足元の踏み跡は明瞭で、比較的新しいビニールテープや紐がベタ張りされていたので、ルーファンの必要は全く無かった。 取り付きからは終始藪漕ぎの世界だと刷り込まれていたが、意外にも尾根からの展望は良く、眼前の大佐飛山や鹿又山はもちろんのこと、燧ケ岳・七ケ岳・荒海山などの南会津の山々や、日光方面の山々が一望出来た。 林道から見えていたのは前衛の1754m峰で、そこを通過して初めて男鹿岳のピークらしき所が見えた。 短い頂上稜線は展望が良く、那須連峰から裏那須の山々が一幅の絵のように望まれ、それまで抱いていた男鹿岳の暗いイメージは払拭された。 

   11時前に笹薮と木々に囲まれた待望の男鹿岳の山頂に着いた。 意外にも山頂では大川林道から登ってきたという地元の単独の男性とハチ合わせになった。 大川林道の終点を7時に出発したとのことで、所要時間は私達よりも1時間短かったようだ。 大川林道からのルートは残雪期に歩かれることが多いためか、全般的に藪っぽくて苦労したとのことだった。 山頂には三角点と割れた立派な木のプレートが置かれていた。 山頂は展望がないので往路を引き返し、1754m峰の手前で那須の山々を眺めながらランチタイムとする。 もう誰とも出会うことはないと思ったが、林道に下る手前で茨城からの単独の男性とすれ違った。

   帰路は紅葉を愛でながら明日登る山の計画を練る。 もし明日も天気が続くようであれば、連休中の混雑 や移動時間、紅葉が見頃な標高などを考えて会津朝日岳に行くことを決めた。 まだ陽の高い3時過ぎに立入禁止の柵が設置されたゲートがある『休憩広場』に着いたので、案内板に従って『展望広場』への新しく整備された遊歩道を登ってみたが、樹間から深山湖が僅かに見える程度で展望は得られず、全くの意期待外れだった。

   5時発表の天気予報では、明日も良い天気とのことだったので、甲子トンネルを通り田島を経由して会津朝日岳の登山口となる只見方面へ向かった。 17年前に登った時の記憶を辿りながら黒谷の集落の外れの登山口近くまで行くと、災害により林道が崩壊しているため登山禁止という看板があり、会津朝日岳に登れなくなってしまった。 仕方なく再度手許の道路地図で明日登る山を探す。 ここからだと浅草岳が一番近いが、連休の中日なので混雑は必至だ。 少し遠いが御神楽岳に登ることに決め、只見を経由して登山口の本名方面へと向かう。 本名ダムから未舗装の林道を10キロほど入った登山口手前の駐車場に11時前にようやく着いた。


深山園地の入口の新しいゲート


深山園地の入口の案内板


深山園地の駐車場から見た大佐飛山の長大な稜線


『休憩広場』の先の林道は立入禁止になっていて、柵が二重に設置されていた


『本部跡』と表示された案内板のすぐ先にある昔の古いゲート


林道には往時を偲ばせる案内板が点々と見られた


案内板に表示された林道の概要図


林道の周囲は紅葉がちょうど見頃になっていた


林道の紅葉


『植生回復経過観察小屋』と外壁に書かれた新しい小さな小屋


小屋の内部


小屋から先では林道の勾配がやや増した


登山道の取り付きの手前には大きな落石が道の真ん中にある


取り付きには木々の枝に色々なテープが付けられ、足元にはピンクのテープで矢印が引かれていた


取り付きから見た男鹿岳の前衛の1754m峰(右端)


取り付き付近は背丈ほどの笹薮に覆われていたが、足元はかなり踏まれていた


顕著な尾根に上がると、笹薮の背丈は低くなり、全く問題なく歩けるようになった


展望の良い尾根からは会津の山々が一望された


1754m峰を通過すると男鹿岳のピークらしき所が見えた


1754m峰の先の頂上稜線から見た那須連峰と裏那須の山々


1754m峰の先の頂上稜線から見た大佐飛山


男鹿岳の山頂直下


男鹿岳の山頂


男鹿岳の山頂の三角点と割れた木のプレート


林道に向けて下る


帰路も紅葉を愛でながら林道を歩く


『展望広場』の樹間から見た深山湖


会津朝日岳の登山口の手前の看板


   情報が乏しかった一昔前の男鹿岳は、三百名山の中でも最も登頂が困難な山だった。 先人は色々な知恵を絞りながら長い林道歩きに耐え、ルーファンや藪漕ぎを強いられ、時には時間切れや道迷いで敗退していた。 私も20年ほど前から登頂の機会を窺ってはいたものの、三百名山というネームバリューが無ければ登らないだろうということで先送りしていた。 近年では残雪期に福島県側の大川林道から尾根伝いに日帰りで登ることが一般的になり、登る人も増えてきたようだったが、この時期は他の山への登山やスキーに一番良い季節ということもあり、何度も計画倒れになっていた。 深山園地やそこまでの車道が整備され、車が通れるようになったことも知らなかった。 今回の山行では、過去に収集した情報には一切触れずに、山仲間のハイジさん&ちー隊長が先月男鹿岳に登られた時の山行記録のみを参考にさせていただいた。 幸か不幸か、労せずして日帰りでこの寂峰への登頂が叶い、この山を登るための計画に費やした時間の方が遥かに長かった。


大佐飛山の山頂から見た男鹿岳


2 0 1 4 年    ・    山 行 の 報 告    ・    T O P