《 3日 〜 5日 》 烏帽子ケ岳 ・ 池ノ平山 ・ 念丈岳 ・ 奥念丈岳 ・ 南越百山 ・ 越百山 ・ 仙涯嶺
鳩打峠 〜 烏帽子ケ岳 〜 池ノ平山 〜 念丈岳(テント泊) 〜 奥念丈岳 〜 南越百山 〜 越百山 〜 仙涯嶺 〜 念丈岳(テント泊) 〜 2230m峰 〜 念丈岳 〜 池ノ平山 〜 烏帽子ケ岳 〜 鳩打峠 (往復)
今年もGWに山仲間の西さん&セッちゃんとネコブ山から巻機山への縦走を計画したが、天気予報では新潟方面の晴天が3日続かず、急遽中央アルプスの南部の山に行くことにした。 まだ未踏破の南越百山(2569m)から安平路山(2361m)間の縦走も候補に挙がったが、車の回収の煩雑さがネックとなり、昨年の4月に鳩打峠から池ノ平山をベースに奥念丈岳を往復した経験を活かして、念丈岳をベースに奥念丈岳から南越百山を経て仙涯嶺を登ることにした。 帰路は念丈岳から地元の岳人に愛好されている大島山(2143m)・本高森山(1889m)を縦走して高森CCの裏の登山口に下る計画だ。
中央道の『小黒川PA』で前泊し、翌朝松川IC付近のコンビニで西さん&セッちゃんと合流して高森CCの裏の登山口に車を1台デポしてから鳩打峠へ向かう。 さすがにGWの初日で天気も良いので、鳩打峠の駐車場には車が5台も停まっていた。 恐らく殆どが展望の良い烏帽子ケ岳(2194m)への日帰り登山だろう。 7時過ぎに駐車場を出発。 すぐ先の登山口には昨年は無かった新しい標識が立っていた。 南アルプスの山々の展望は烏帽子ケ岳でのお楽しみにして、展望の良い前山の小八郎岳(1475m)のピークは踏まずに山頂直下を巻いていく。 昨年往復したばかりのルートなので登山道の記憶は新しい。 入山者が少ないので、タラの芽やコシアブラが登山道の脇に見られた。 天気は良いが予報以上に風が強く、癒し系の登山道も何となく落ち着かない。 七合目付近となる飯島町からの登山道との分岐(1849m)までは残雪が全くなかったので、予定どおり9時半に着いた。
セキナギと呼ばれる崩壊地を過ぎた8合目の手前からようやく残雪が登山道を覆うようになったが、先週末辺りからの登山者により階段状のトレースが出来ていたので、アイゼンは要らなかった。 すでに烏帽子ケ岳を登り、下ってくる登山者とすれ違う。 烏帽子ケ岳の山頂直下の烏帽子岩へのルートを右に分け、左のロープや鎖が張られた巻き道を通って11時過ぎに山頂に立つ。 あいにく上空に寒気が流れ込んでいるようで天気が一時的に崩れ、山頂からの展望を楽しむことは出来なかった。 山頂には日帰りの登山者が数名と、空木岳の山頂直下の『駒峰ヒュッテ』を管理するK山岳会のメンバー4人が寛いでいた。 K山岳会は私達と同様に念丈岳付近に幕営し、明日は大島山と本高森山を経て高森CCの裏の登山口に下るとのことだった。 烏帽子ケ岳からは先に出発したK山岳会のメンバーと抜きつ抜かれつしながら進む。 稜線上の残雪は3週間ほど早い時期だった昨年よりも明らかに少なく、一部は登山道が露出していて全般的に歩き易かった。
昨年幕場とした池ノ平山(2327m)へは烏帽子ケ岳から1時間、池ノ平山から念丈岳(2290m)までは1時間半ほどを要しただけで、登山口の鳩打峠を出発してからちょうど7時間後の2時過ぎに念丈岳の山頂に着いた。 風は収まらず、相変らず展望も冴えなかった。 山頂から先の尾根を少し下って幕場を探したが、平らなスペースはあるものの風が強いので断念し、私達の後から山頂に着いたK山岳会のメンバーを労い、頂上稜線を僅かに戻った奥念丈岳への分岐付近に幕を張った。 西さん&セッちゃんは今回から私達と同じテント(トレックライズ)に新調していた。
明日は今日以上に好天の予報だったが、夕方から風が一段と強くなった。 夕焼けショーは僅かばかりに楽しめたが、夜中じゅうずっと強い風がテントを叩き、殆ど眠れなかった。
今日はセッちゃんの誕生日だ。 起きる直前まで吹いていた強い風は不思議と止み、幕場から素晴らしい朝焼けも見られた。 4時半過ぎに幕場を出発し、樹林帯を与田切乗越(念丈岳と奥念丈岳の間の鞍部)へと下る。 トレースはないが、昨年の記憶は新しく、ほぼ同じラインでスムースに下れた。 乗越から先では笹の斜面に刻まれた登山道が出ていたが、登り易い右側の残雪の斜面を登る。 間もなく池ノ平山の肩からのご来光となった。 奥念丈岳のピークは帰路に踏むことにして、山頂直下を右に巻いて稜線に上がる。 御嶽山が目に飛び込んできた。 ありがたいことに稜線上は無風で、藪もまだ完全に雪の下だった。 テープ類は一切見えないが、雪庇となっている尾根は見通しが良く、また昨夜からの強風により雪が良く締まっていたので、これ以上望めないほどルートの状態は良かった。 天気も予報以上の快晴となり、足取りも軽くボリューム感のある南越百山を目指して進む。
稜線上の起伏は緩やかで、また小さなピーク毎のギャップも小さく、昨日の烏帽子ケ岳から念丈岳の間の稜線よりも歩き易かった。 奥念丈岳と南越百山の中間点にある2454mのピークへの取り付きは荒々しいガレ場となって一面雪が禿げていた。 砂礫の鞍部からやや急斜面の笹原の僅かな切り裂きを登るが、昨日の強風で巻き上げられた細かい土が新雪のように笹に被っていて閉口した。 笹薮を抜けて雪庇の尾根をしばらく登ると、細長い2454mのピークに着いた。 図らずもピークからは360度の展望が得られたが、無雪期は藪の中なのだろうか。 眼前には南越百山が大きく鎮座していたが、見た目よりも楽に登れそうだった。 天気は相変わらず安定していたので、仙涯嶺まで行けることを確信した。 右手に見える池ノ平山が次第に眼下となっていく。
ルートの状態が非常に良かったので、予定よりもだいぶ早く7時半に南越百山(2569m)の山頂に着いた。 今まで見えなかった越百山が眼前に大きく望まれ、日本離れした仙涯嶺と南駒ケ岳の景観に思わず皆で歓声を上げる。 予想どおり山頂には誰もいなかったが、越百山とその先の仙涯嶺への稜線にも人影は見られなかった。 スタート地点の念丈岳もすでに遠くなっていた。 麓から眺めた南越百山は平凡で目立たないが、存在感のあるおおらかな頂はとても印象的だった。 快晴無風の山頂で大展望を満喫し、指呼の間の越百山(2613m)へ向かう。 大きな雪庇の尾根を緩やかに下って登り返すと、僅か15分ほどで越百山に着いた。 伊奈川ダムから越百小屋を経て登ってくる登山者で山頂は大賑わいだと思っていたが、意外にも山頂付近のトレースは少なく、周囲に人影は全く見られなかった。
図らずも貸し切りとなった爽やかな稜線を仙涯嶺へと向かう。 南駒ケ岳の肩に三ノ沢岳が見えた。 相変わらず稜線は歩き易く、僅かに残るトレースのありがたみは全く感じない。 穂高や乗鞍岳が良く見える。 仙涯嶺の山頂が近づくと岩場とのミックスとなり、登山道も出てくるようになった。 山頂直下の雪の急斜面を登り岩場をへつっていくと、仙涯嶺と記された山名板が一番高い岩峰の上ではなく、向こう側に一段下がった雪の禿げた所に置かれているのが見えた。 予定よりもだいぶ早く、9時半に仙涯嶺(2734m)の山頂に着いた。 無理すれば南駒ケ岳まで行けそうだったが、度重なる大展望にもうお腹いっぱいだ。 出発した念丈岳は遥かに遠い。 次第に山肌の色や輪郭が鮮明になってきた南アルプスの山々を眺めながら至福の時を過ごす。
静かな山頂で充分寛ぎ、10時に重い腰を上げて往路を戻る。 奥念丈岳までは下り基調の稜線漫歩だ。 今日はもう誰とも出会わないだろうと思ったが、仙涯嶺からの下りで南駒ケ岳へ向かう男女二人のパーティーとすれ違った。 越百山を経て南越百山に着くと、天気の崩れが早まる前兆なのか、上空に虹がかかり、太陽の暈も見られた。 往路と同じように奥念丈岳(2303m)の山頂は踏まずに与田切乗越に下れたが、敬意を表してその頂に登る。 昨年この山に登れたことが今日の仙涯嶺の登頂につながったことは間違いない。 まだ未踏破の安平路山(2361m)までの稜線を目に焼き付け、与田切乗越へと下る。 与田切乗越から念丈岳への登り返しは、再び吹き始めた風のお蔭で気持ち良く登ることが出来た。
2時過ぎに念丈岳の幕場に戻る。 数時間前の青空が嘘のように上空には至る所に雲が湧き始め、仙涯嶺方面の空もいつの間にか鉛色に濁っていた。 天気が良くないので、セッちゃんの誕生日を祝いながら、夕食は各々のテントの中で済ませた。 明日の天気予報を確認すると、入山前の天気予報より悪くなり、午前中の降水確率が40%となってしまった。
残念ながら朝焼けもなく、天気は予報どおり悪かったが、幕場からはまだ周囲の山々がはっきり見えていた。 5時前に幕場を出発し、目と鼻の先の念丈岳の山頂に向かう。 天候が悪化した場合には、往路を戻って鳩打峠に下山することも考えていたが、まだすぐには雨が降り出しそうになかったので、大島山(2143m)までの稜線の景色を目に焼き付け、指呼の間の無名峰(2230m)に向けて5時過ぎに山頂を発つ。 ここからは初めて辿るルートで、地形図にも登山道は記されていないが、昨日の会心の登山の満足感と先行者(K山岳会)がいるという安心感とで気が緩み、山頂で高度計の標高を合わせることを忘れ、また赤テープを付けていかなかったことが、今回の山行の失敗を招いてしまった。
一昨日幕場の下見に行った自分のトレースを辿って鞍部に下る。 鞍部の手前では尾根が痩せ、一部に雪が禿げている所があった。 鞍部から登り返すと、前方に長い雪庇の尾根が見えた。 雪庇の尾根は登り易そうに見えたが、トレースは間もなく右にあらわれた登山道に入ったので、それに追随して登山道に入った。 登山道をしばらく登ると倒木が道を塞ぎ、その傍らには念丈岳の山頂にあったもの同じピンクのテープがあった。 登山道はその先で不明瞭になっていたので、左上のトレースがある雪の上を登ると、先ほど離れた雪庇の尾根に再び出た。 尾根の前後にはそこよりも高い所はなかったので、この辺りが2230m峰の山頂だと思われた。 念丈岳や大島山もまだこの時は見えていた。
雪庇の緩やかな尾根が大島山方面に向かってなおも左方向に湾曲しながら伸びていたので、トレースに従ってしばらくこれを辿っていく。 小雪が舞い始めると視界が一気に悪くなり、あっという間に周囲の展望が閉ざされてしまった。 間もなくトレースは尾根から外れて右側の樹林帯に入っていった。 トレースに従って樹林帯をしばらく下ると、突然トレースが乱れて不明瞭になってしまった。 皆でトレースを探すと、トレースの代わりにピンクのテープがあったので、登山道からは外れていないことが分かった。 このテープを中心に再度四方八方にトレースを探すと、ようやくトレースが見つかったので、これを辿ってさらに緩やかに下ると、今度はトレースが左右に分かれていた。 どうやらこの辺りは迷い易い所らしい。 K山岳会が幕営した跡も不思議とまだ見当たらなかった。
トレースは相変わらず薄く、時々現れる新しい単独者のトレースは迷走しているようにも思えた。 尾根筋の薄いトレースを辿るようにしたが、ホワイトアウトした単調な樹林帯の中だったのでこの辺りの風景の記憶は曖昧だ。 ピンクのテープはその後一つも見つけられず、目の前にやや急な広い斜面が現れたところで再びトレースは消えた。 周囲にトレースを探すと、新しい単独者の明瞭なトレースがあったので、これを50mほど辿ってみたが、あまりにも方向が外れていたので、一旦トレースの消えた場所まで引き返した。 この時点で完全に道を失い、現在位置も分からなくなってしまった。 高度計は2070mだったが、標高を合わせたのは気圧の高い昨日だったので、実際にはこれよりも高いと思われた。 天気が悪くなければ、面倒でも最後に見たピンクのテープの所まで引き返すが、天気がさらに悪化しつつある今の状況ではそれも出来ず、皆で協議した結果、目の前のやや急な広い斜面を一番高い所まで登り、尾根上かその途中にトレースやピンクのテープを探し当てることにした。
やや急な広い斜面を直登気味に登っていくと、運良く途中にピンクのテープが一つだけあったので安堵したが、その前後にはトレースがなかった。 注意深くさらに登っていくと、ピンクのテープからそれほど離れていない所で、明瞭なトレースと交差した。 先ほど決めた目標どおり、高い方に向かってそのトレースを左に辿ると、すぐに無木立の狭いピークに出た。 高度計の標高は2150mだったので、道を失なった地点からは標高差で80mほど登ったことになる。 念丈岳の山頂を発ってから1時間40分が経過していた。 ホワイトアウトで周囲の展望は得られなかったが、地形図を見ると大島山の手前には2158m峰と同じ位の高さのなだらかな中間峰があったので、この場所がいずれかのピークだったら良いなと思った。 明瞭なトレースは尾根の先へと続いていたので、この尾根とトレースを忠実に辿って行けば大島山に行けると思った。
狭いピークで一息入れてから先に進むと、数分先にもう少し広いピークがあり、立木にはこの登山道(上澤新道)を開削した地元の山岳会(念丈倶楽部)の故人の功績を讃えたプレートが括り付けられていた。 先ほどまでとは反対に右手に雪庇が張り出している尾根を緩やかに下る。 間もなくトレースの脇にK山岳会が幕営した跡が見られた。 彼らがなぜここまで進んだのか不思議に思えたが、先ほど見た上澤新道のプレートとこの幕営跡を続けて見たことで、大島山が近いのではないかという考えが強まった。
雪庇の尾根をさらに緩やかに下り、鞍部からようやく登りに転じた。 すぐに急な痩せ尾根が現れたが、左に登山道が露出していたのでこれを辿る。 登山道にはトラロープが張られ、『岡戸頭』と記されたプレートが枯れ木に括り付けられていた。 付近にはガレた斜面が見えたので、大島山を登っていることを確信した。 急な痩せ尾根を過ぎると再び尾根が広くなり、残雪に印された明瞭なトレースに従って直登気味に登って行く。 木々の間隔が広くなり風が強まってきたが、もうじき大島山を越えられるという安堵感で足取りは軽かった。 頭上に霧に煙る山頂の標柱が微かに見えた。 先頭の妻が山頂に着いた時、山頂の脇に見覚えのあるピンクのテープが見えた。 “そんなはずはない・・・”と言い聞かせながら山頂に駆け上がる。 そこは念丈岳の山頂だった。
時間はまだ7時半だったので、リベンジすることは可能だったが、すでに風雨が強まり始めた稜線での決断は早く、断腸の思いで池ノ平山・烏帽子ケ岳を経て往路を戻ることにした。 体力的なことよりも、精神的なダメージが大きく、歩きながらずっと自分のミスを責め続けた。 天気が悪いので烏帽子ケ岳へ登ってくる人は誰もいなかった。 往路では5分咲きだった小八郎岳付近のミツバツツジが満開になり、敗残兵を慰めてくれた。 休憩もそこそこに足早に下ったので、正午に登山口の鳩打峠に着いた。 空しい気持ちで高森CCの裏の登山口にデポした車を回収し、帰宅後に西さん&セッちゃんとあらためてリベンジを誓った。