《 4日 〜 6日 》 天狗原山 ・ 金山 ・ 焼山 ・ 火打山 ・ 妙高山
小谷温泉 〜 天狗原山 〜 金山 〜 金山直下(テント泊) 〜 富士見峠 〜 焼山 〜 火打山 〜 高谷池ヒュッテ(テント泊) 〜 大倉乗越 〜 妙高山 〜 燕温泉 (縦走)
GW後半の山行は前半と同様、 山仲間の西さん&セッちゃんとご一緒することになったが、寒気の影響により部分的に不安定な天気となるようで、出発直前まで行き先が決まらず、計画の細かい部分が欠落したことで、最後の最後で大変な目に遭うことになった。 焼山・火打山・妙高山の頸城三山の縦走は、今回計画したいくつかの山行の中でも一番行動時間が短く、最終日の妙高山は天気の状況によってはパスすることも出来るため、GW後半の天気予報には一番相応しいと判断した。 連休初日の交通渋滞を避けながら長野道の信濃町IC付近の道の駅『信濃町』に前泊し、翌朝今回の計画で下山口とした燕温泉の駐車場に車を1台デポし、北陸道の糸魚川IC経由で登山口の小谷温泉へ向かう。 小谷温泉から天狗原山へのアプローチに使う『妙高小谷林道』は淡い期待に反して全く除雪されておらず、雨飾荘前の駐車場に車を停めて7時前に出発する。 林道は所々で雪から出ているものの、一部では雪崩による大量の土砂が道を塞いでいた。 初めのうち見られた足跡もいつの間にか消え、ここ数日は誰もここを歩いていないことが分かった。 振り返ると雨飾山や大渚山、そしてまだ雲が取れない白馬方面の山々が見え、足元には沢山のフキノトウも見られた。 林道の雪は次第に多くなり、そのうちただの雪道となった。 雨飾荘からコースタイムどおり1時間半ほど歩くと、登山地図上に『金山登山口』と記された所に着いたが、登山口を示す道標やテープの類は雪に埋もれているのか、一切見当たらなかった。 取り付く斜面は道型も不明瞭だが、高度計の標高を地形図の1230mに合わせ、アイゼンを着けて登山道がありそうな所に当たりをつけて登り始める。 間もなくほんの僅かだが登山道が出ている所があり、登山口は間違っていなかったことが分かったが、それも長続きせず、少しでも斜面の傾斜が緩い所を選んでアイゼンの爪を利かせながら左方向に斜上する。 藪の支尾根を一つ乗越し、その先の急斜面を強引に直登すると傾斜が緩み、ようやく左手に登山道があるブナタテ尾根の輪郭が見えるようになった。 標高1500m付近でブナタテ尾根に取り付くと木々も疎らになり、再び目線の高さになった大渚山(1563m)とその向こうに白馬・雪倉・朝日などの山々が見えてきた。 取り付きさえ分かれば、小谷温泉の裏からこの尾根を登った方が早いのかも知れない。 ブナタテ尾根は明瞭で単純な尾根をイメージしていたが、意外にも地形は複雑で緩急の変化もあり、次の目標の1741m地点までは再び試行錯誤しながら進む。 結果的には無駄のない正しいルートを辿り、11時に南側が明るく開けた1741m地点に着くことが出来た。 天気は予報よりも少し悪く雲も多いが、高妻山や戸隠方面の山が良く見渡せた。 意外にも1741m地点から先で、数日前のものと思われるスキーの新しいトレースが突然現れた。 山スキー天国のこの界隈では圧倒的にスキーヤーの方が多いが、この時期にツボ足でも地形が複雑でやっかいなこの尾根をスキーで滑るのは珍しいと思った。 スキーのトレースをしばらく辿って行くと、1949mのピークが眼前に見え始め、トレースはこれを登らずに左の斜面に消えていった。 急峻な1949mのピークは左から巻くように登る。 山頂は藪に見えたので、深雪の斜面をトラバース気味に山頂を巻きながら進むと、運良く東側が大きく開けた天狗原山(2197m)直下のコルに飛び出した。 視界の先には最終目標の妙高山がいつもと違った穏やかな面持ちで望まれ、純白の火打山の尖った頂稜部も僅かに望まれた。 コル付近の木に初めて目印のテープが巻かれているのが見え、ようやくこれで天狗原山に登れそうになって安堵した。 正午を過ぎたのでここで長めの休憩を取る。 天狗原山への登りでは10センチほどの新雪を踏んで登るようになったが、無駄のない登りで確実に高度が稼げる。 いつの間にか雨飾山が目線より低くなっていた。 下から見えていたのは天狗原山の肩の部分で、さらにそこから緩やかな長い雪稜が山頂に向けて延びていた。 午後からは天気が不安定になるという予報どおり、上空には白い雲が急速に広がり始め、風も強くなってきた。 幸い山頂に近づくにつれて風は収まり、焼山(2400m)と火打山(2461m)が並んで大きく見え始めた。 1時半に待望の天狗原山の山頂に着く。 GWの前半にはスキーで訪れた人もいただろうが、その後の降雪によりリセットされた山頂は純白無垢で気持ちが良い。 あいにく寒気の影響による雲で展望は今一つだが、メンバー全員が初登頂で気分は最高だ。 今回のメインは頸城三山だが、それを凌駕するほどの魅力がこの頂にはあった。 予定よりも少し遅れているため、写真だけ撮って指呼の間の金山(2245m)に向かう。 コルまで65m下って一息入れ、110m登り返す。 天狗原山同様に稜線の残雪や新雪が多く、GW後半の山としては本当に綺麗だ。 山頂直下で昨日のものと思われる新しいスキーのトレースが1本見られた。 どこが山頂だか分からないような広い雪原のような金山の山頂に、天狗原山から休憩込みで40分ほどで着いた。 天狗原山同様ここもメンバー全員初めての山だ。 焼山が眼前に大きく迫り、上越の秘峰昼闇山(1840m)や怪峰阿彌陀山(1511m)・烏帽子岳(1450m)が見えた。 再び風が出てきたので、山頂で休むことなく先へ進む。 計画では最悪の場合、天狗原山か金山付近を幕場にする予定だったが、まだもうしばらく天気が持ちそうなので、スキーのトレースを目で追いながら目標の富士見峠に向かって下る。 なだらかに思えた金山からの下りは、雪の付き方が悪いためか一部が急斜面になっていて難儀する。 スキーのトレースは富士見峠方面から来ているようで、良い目印になったと同時に、気温の上昇で柔らかくなった雪面の歩行を楽にしてくれた。 尾根が直角に折れる2106m地点の手前の平坦地に3時前に着いた。 初日の幕場に予定していた富士見峠まではまだ1時間ほど掛かりそうで、天気も怪しくなってきたので、ここを幕場にすることにした。 再び風が吹き始めたので、スコップで斜面を削って壁を作ったり、ブロックを積んだりしながらテントの設営をする。 設営が終わる頃には天気はかなり悪くなり、小雪が舞うようになった。 今日はセッちゃんの誕生日なので、妻が霜降りの牛肉をボッカしたが、天気は回復せず風も強かったので、お誕生日祝いの宴をすることは出来なかった。
昨日の夕方から吹いていた強い風は夜中には収まり、早朝テントから外に出ると、昨日は幕場から見えなかった頸城三山が朝焼けに淡く染まっていた。 朝食を食べていると火打山の山頂からのご来光となり、予報どおりの快晴の天気に嬉しくなる。 テントを撤収し、6時半に幕場を出発。 眼下の雨飾山が朝陽に輝いている。 ありがたいことに昨夜は雪が降らなかったようで、スキーのトレースはまだ残っていた。 雪庇が小さくなった稜線は雪が締まっているので歩き易い。 振り返ると、昨日越えてきた純白の金山が大きい。 最初のピークのなだらかな裏金山(2122m)は左から巻き、富士見峠へ向かう。 富士見峠からは笹ケ峰に通じる登山道もあるようだが、道標も登山道も今は深い雪の下だ。 稜線の最低コルが峠ということだろう。 スキーのトレースは峠を下らずなおも続いていたが、焼山の頂稜部への登りの起点となる泊岩と呼ばれる岩場付近で左の笹倉温泉方面に消えていった。 幕場付近からは簡単そうに見えた焼山への登りは、反対側の火打山方面からとは違い、山頂付近に岩場があるので登るルートの見極めが難しかった。 とりあえず地形図に従って泊岩と思われる岩場を左手に見ながら30度ほどのやや急な斜面を登り始める。 振り返ると、頸城駒ケ岳や雨飾山の背後に朝日岳から続く栂海新道の山々が白く並んで見えた。 泊岩から標高差で200m、時間にして40分ほど登った所に荒々しい岩塔に囲まれた小さなカール状の窪地があったので一息入れる。 微かに硫黄の臭いがする。 窪地からは偵察を兼ねて岩塔を右手に見ながら僅かに登ると、突然眼前が明るく開け、山頂北側の広いカールと、そこに印された明瞭なトレースが見えた。 トレースは笹倉温泉(北面台地)からのスキーヤーのものだ。 カールの底には下らず、トラバース気味にトレースに合流する。 カールの上部の雪の急斜面を僅かに登り、その先のミックスの易しい岩場を登って行くと、岩にペンキマークが見えた。 そこから僅かに登った所が待望の焼山(2400m)の山頂で、9時ちょうどに着いた。 西さん&セッちゃんは初登頂、私達は5年ぶりの登頂だ。 山頂は360度の大展望だが、気温の上昇による春霞で周囲の山々がぼやけて見えるのが玉にキズだ。 これから辿る火打山や妙高山方面と比べて、辿ってきた天狗原山と金山の残雪が明らかに多いことがあらためて分かった。 ここから先はルートも分かるので、今日のハイライトの山頂で40分ほどゆっくり寛ぐ。 焼山から火打山の間は5年前のGWに往復しているのでルートの記憶は新しいが、前回に比べて今回の方が残雪が多い。 火打山方面へ新しいトレースがあったので、これを辿って下り始める。 良いトレースにつられて標高差が400m以上ある火打山とのコル(胴抜切戸)に下っていくと、途中からトレースは左の笹倉温泉方面に向かっていった。 トレースはこちらのサイドから焼山を登ったスキーヤーのものだと分かり、少し引き返してから右方向へトラバースして軌道修正する。 下るにつれて傾斜がきつくなり、雪は柔らかく傾斜も40度近くなってきたので、後ろ向きにキックステップしながら延々と標高差で100m以上下る。 顔が雪面に近くなり、強烈な照り返しで暑い。 笹ヶ峰から点々と3人のスキーヤーが登ってくるのが見えた。 山頂から1時間ほどかかって平らな胴抜切戸に着いたが、登りよりも下りの方が大変だった。 風もなく暑いので下着を脱ぎ、長袖のシャツ1枚になる。 胴抜切戸から小さな登り下りを繰り返し、ようやく影火打山への痩せ尾根の登りに入る。 トレースは無く、連休後半には(恐らく前半にも)火打山から焼山へ縦走した人がいなかったことが分かった。 前回は灌木の藪で難儀した痩せ尾根は、雪で藪が埋まって登り易くなっていた。 また良く見ると藪も鉈で切られた跡があり、近年登山道の整備が行われたようだった。 それでも焼山から向こう側と比べて雪は少なく、時々登山道の一部が露出している所があった。 気温の上昇で柔らかくなった雪でアイゼンは利かず登高スピードは遅いが、ルーファンの心配は全く無いので、少しずつ変わる周囲の景色を愛でながら雪庇となっている痩せ尾根を登り続ける。 風が少し出てきたので、ジャケットを羽織る。 足元にハイマツが見られ、越えてきた焼山がようやく目線の高さになると、影火打山手前の偽ピークに着き、眼前に大きく影火打山(2384m)と火打山(2461m)が並んで見えた。 偽ピークから指呼の間の影火打山に着くと、山頂で2人のスキーヤーと出会った。 雑談を交わすと、この先にある高谷池ヒュッテのスタッフの方だった。 連休の宿泊者も今朝までで殆どいなくなり、山小屋は空いているとのことだった。 山頂で大休止してから、端正な容姿の火打山に向かう。 傾斜は緩くトレースもあるので登り易い。 2時前に待望の火打山の山頂に着く。 焼山はもちろんのこと、辿ってきた天狗原山や金山はすでに遠く、ここまで無事辿り着くことが出来て感激もひとしおだ。 まだ縦走は終わっていないが、ここから先は不確定要素の少ない“安全地帯”なので、肩の荷が下りた。 山頂にはスキーヤーが2人いたので写真を撮ってもらう。 だんだんと人臭くなってきたことをメンバー一同実感した。 眼前の妙高山に思いを馳せながら高谷池ヒュッテに向けて下る。 明日は連休最終日ということで、さすがに人気の山域も人影は無かったが、トレースやスキーのシュプールがいたるところに見られた。 まだ陽も高く天気も良いので、その先の黒沢池ヒュッテ、あるいは頑張って当初の予定どおり大倉乗越まで行けそうだったが、メンバー一同の足取りが重くなり、高谷池ヒュッテに幕を下ろすムードが漂い始めた。 3時過ぎに高谷池ヒュッテに着く。 意外にもテントは1張しかなく、山小屋の宿泊者も7〜8名ほどだったので、ロケーションの良いヒュッテの傍らを幕場にすることにした。 まだ水源も掘り出せず、幕場の整備もしていないので、使用料は1人100円だった。 山小屋から少し離れた本来の幕場ではなく、小屋の脇で前のパーティーが使ったスペースにテントを設営する。 風が全く無かったので、小屋の前のテーブルで水を作りながら、一日遅れのセッちゃんのお誕生日祝いの宴の準備をする。 今日はカニとアスパラのカナッペに定番の焼きソーセージだ。 セッちゃんがいつものようにデザートのプリンを作ってくれた。 焼山の肩に陽が沈み、天狗原山と金山の上空が淡く染まった。 もう何も言うことは無い。 昨日とはまるで違い、夜は全くの無風だった。
縦走3日目、入山前の天気予報では今日は午後から天気が崩れるとの予報だったので、場合によっては妙高山には登らずに燕温泉に下山することも考えていたが、運良く昨日の良い天気がまだ続いているようで、雲一つない爽やかな快晴の朝を迎えた。 6時に高谷池ヒュッテを出発し、黒沢池ヒュッテに向かう。 トレースと締った雪のお蔭でコースタイムよりも速く歩ける。 白馬や後立山の山々が一望され、足取りはさらに軽くなる。 間もなく雪原となっている黒沢湿原を眼下に望む茶臼山付近から、妙高山(2446m)と外輪山の三田原山が間近に見えた。 湿原の端に建つ黒沢池ヒュッテを目指してトラバース気味に下って行く。 高谷池ヒュッテのスタッフからは黒沢池ヒュッテは未だ営業していないという話を聞いていたが、小屋の周囲にはスタッフらしい数人の人影が見えた。 ヒュッテには立寄らず、大倉乗越への斜面を登り返す。 トレースを辿ってヒュッテからダケカンバの木々の間を20分ほど登ると、そこだけ雪の禿げた大倉乗越に着いた。 再び眼前に雪原となっているカルデラを挟んで屹立する妙高山が望まれ、その大きさと迫力に圧倒される。 大倉乗越から雪原へは45度近い急斜面で、傾斜が少しでも緩い所を探して後ろ向きで延々と下る。 20年ほど前のGWにこの急斜面を尻セードで下った記憶が蘇ってきた。 若い頃は無茶をしたものだ。 雪は硬くも柔らかくもなくて助かった。 雪原には下りずに、平らな雪原の端の長助池分岐付近に向けてトラバース気味に下る。 当初はここからコースタイムで1時間半ほどの妙高山に登り、そのまま縦走して下山口の燕温泉に下る計画だったが、ここに荷物をデポして空身で妙高山を往復し、燕温泉に下った方が効率良いという提案が西さんからあり、私以外は空身で山頂に向かうことにした。 外輪山の三田原山方面に向かって幅の広い無木立の緩やかなカルデラの斜面を登っていくと、真新しい熊の足跡がトレースを横切っていた。 20分ほどカルデラの斜面を登ってから、ダケカンバの茂る左手のやや急な斜面に取り付く。 斜面の傾斜は次第に増してくるが、雪の状態も良くザックも軽いのでコースタイムよりも速く登れる。 西さんの提案が功を奏し、荷物をデポした所から1時間ほどで山頂直下の火口の縁に着いた。 雪庇の発達した火口の縁をひと登りし、9時半に今回の最後のピークとなる妙高山の頂を踏んだ。 妙高山に登ったというよりは、天狗原山からの縦走が終わったという感じで感無量だ。 快晴の天気にも恵まれ、もう何も言うことは無い。 ここは北峰で、立派な山頂標識と一等三角点があるが、100mほど先に最高点の南峰があるので、そちらにも足を延ばす。 妙高山大神が祀られた狭い南峰は360度の大展望で、辿ってきた天狗原山、金山、焼山、影火打山、そして火打山が一望された。 眼下には黒姫山、指呼の間に高妻山、そして北アルプスの山並みも遠望され、この3日間で期待していた風景の展望の全てが叶った。 連休最終日の今日は周囲に登山者の影はなく、他に誰もこの頂を訪れることはないだろう。 40分ほどゆっくり山頂に滞在し、しばらくは訪れることのない山頂を辞する。 空の色が次第に薄くなり、天気は予報どおり下り坂に向かっていくような感じがした。 山頂から40分ほどで荷物をデポした長助池分岐付近に戻る。 眼前に屹立する大倉乗越への雪壁はどこから見ても急で、良くここを下りられたものだとつくづく思った。
ほぼ予定どおりの11時に荷物をピックアップして下山口の燕温泉に向けて下る。 意外にもトレースは見当たらず、少なくともここ数日はこのルートを通った人がいなかったことが分かった。 唯一の目印となる左手の神奈山(1909m)の位置を確認しながら、登山道と思われる所を進む。 連休中、あるいはそれ以前から妙高山への入山者は多く、トレースはうるさいほど付いていると思い、妙高山周辺の地形図を持ってこなかったので、高度計と登山地図だけが頼りだ。 積雪が多く道型がはっきりしないが、一番のポイントとなる大倉沢と登山道が交差する渡渉点を探し当てながら下っていく。 残雪期には燕温泉から登るルート(燕新道)は一般的でないのか、テープ類は一切見られなかった。 途中から燕温泉の位置が分かるようになり、その方向に下り易い所を選んで下って行くと、目標の大倉沢に出合った。 沢はまだ雪の下だったので、沢に沿ってしばらく下る。 登山地図に記された登山道の道型を右手の斜面に探すが、適当なものが見当たらないまま、惣滝という名瀑付近まで下ってしまった。 その先は急な崖になっていて下ることは出来ない。 惣滝の位置から見て、大倉沢と出合った所が登山道だったと確信が持てたが、引き返すのも面倒なので、強引に背後の斜面を登って登山道と合流することにした。 あいにく小さな支尾根がいくつもある地形だったので、何度か支尾根の登り下りを強いられたが、ようやく木に付けられた比較的新しいピンクのテープが見られた。 図らずもそこは妙高山へ反対側から登るルート(燕登山道)との合流(分岐)点で、燕温泉までコースタイムで30分の所だった。 そこからはピンクのテープが頻繁に見られるようになり、高度計の標高も燕温泉まであと僅か150mほどになったので安堵した。 ところが、テープに導かれて広い尾根を僅かに進むと、また崖の淵で行き詰まってしまった。 足元には同じ色のテープがあるので崖を覗いてみると、急斜面に土留めの工事をした跡が見られ、容易に下れそうになかった。 左は滝が出ているので、右方向に活路を求めて藪と腐った雪のミックスした急斜面をしばらく下ってみたが、とても登山道と思えるような代物ではなく、危険を感じて引き返す。 もしかしたら登山道が災害で崩壊したのではないかという考えが頭をよぎった。 眼下の深い谷を挟んで燕温泉の建物らしきものが見えるが、登山地図では燕温泉までの距離が短いことが災いし、登山道のイメージが正確に掴めない。 30分というコースタイムから考えて、谷に下りてから登り返すことは無いだろうし、雪解けが進む谷は非常に危険で、歩くことがはばかられた。 活路を失い“絶望”の二文字が頭にちらつく。 まだ陽も高いので、潔く黒沢池ヒュッテまで戻り、暗闇の中を笹ケ峰へ下りようかとさえ思った。 途方に暮れていると、直線距離で500mほど先の雪原に動く人影が見えたので、そこが燕温泉であることに確信が持てた。 逆にそんなに近くても容易に辿り着くことが出来ない今の状況に苛立ちを覚えた。 尾根を少し戻って皆で右方向に登山道を探す。 妻が同じピンクのテープを見つけて歓声を上げたが、このテープはあまり信用出来ない。 それでも登山道のような道型が見られたので、藁にもすがる気持ちでテープを辿って行くと、ほんの僅かだが雪から露出した登山道が見つかり、その先にはトラロープが張ってあった。 これでようやく下山出来ると喜んだのも束の間、その先でテープは再び無くなり、足元には谷へ下る雪の急斜面だけが残った。 引き返すか谷へ下るか決断を迫られたが、答えは出ない。 西さんから、谷へ下りましょうとの提案があり、腹を決めて谷(その名も北地獄谷)へ下る。 意外にも上からは見えなかったが、谷底の沢を渡る吊り橋が見えた。 しかしながら、近づいてみると橋の板は外されていて、渡るのはかなり危い感じだった。 橋を渡った先は崖になっていたので、崖を無理やり攀じ登るか、そのまま残雪に覆われた沢の上を歩いてさらに下流に向かうか、再び選択を迫られることになってしまった。 もう退路は断たれたので、とりあえず下れる所まで下ってみると、辛うじて谷底の沢は吊り橋を渡らずにスノーブリッジで渡ることが出来そうだった。 吊り橋の先を観察すると、登山道と思われる水平の道が崖の下をへつるように延びていたが、そこには脆い残雪が覆い被さっていて、4人がスタカットでトラバースするには相当な時間と労力、そして何よりも危険な雰囲気がした。 やや傾斜の緩い右側の崖を残雪を利用して攀じ登る方が色々な面でリスクが少ない(腐った雪でのトラバースでは行き詰った時に戻るのが大変)と思えたので決断は早かった。 運悪く小雨が降り始めたので、急いでスノーブリッジで北地獄谷の沢を渡り、吊り橋の下からコンクリート製の橋の基部に登る。 遠くからは見えなかったが、崖にへばり付いている残雪には藪が出ていて登りにくかったので、残雪のない藪の急斜面を登ってみたが、融雪と降り始めた雨で藪が濡れていて、安全に登ることが出来なかった。 一旦橋の基部に戻り、当初考えていた残雪の斜面に取り付く。 想像どおり崖にへばり付いている雪は脆く、力強く靴を蹴り込むと崩れてしまう。 ザックが藪に引っ掛かり最悪の状態だが、残された道はここしか無いので、火事場の馬鹿力で攀じ登る。 最初の7〜8mの急な脆い雪壁を登りきると傾斜が緩み、雪の下の藪も無くなった。 一番最後に崖を詰め上がる所までは意外とスムースに行けそうな感じがしたので、補助ロープで確保しながら下の3人を引き上げる。 幸い雨が止んでくれたので助かった。 見た目通り崖の中間部は全く問題なく登れた。 あと10mほど藪を登れば先ほど人影が見えた雪原に出られるはずだ。 残雪が禿げ落ちた藪の急斜面にピッケルを突き刺して強引に攀じ登る。 アイゼンの前爪とピッケルが藪漕ぎに役立つとは思わなかった。 頭上が明るくなり、待望の雪原に飛び出した。 最後はあっけない幕切れだったが、数時間前の妙高山の山頂での縦走の達成感もどこかに吹っ飛び、無事下山出来た喜びを皆で分かち合った。 放心状態のまま緩い傾斜の雪原を下っていくと、こぢんまりとした燕温泉の温泉宿が見え、そこが妙高山への登山口になっていた。 アイゼンを外して狭い車道を僅かに下り、3時半前に車をデポした駐車場に着いた。 燕温泉から少し麓に下った関温泉の『休暇村妙高』で入浴したが、妙高山を望む大きなガラス張りの風呂で優雅に温泉に浸かっていることが不思議でならなかった。 入浴後は北陸道の糸魚川IC経由で小谷温泉へデポした車を回収し、白馬の『ガスト』で反省会とGWの山行の打ち上げをして帰途についた。