《 16日 〜 17日 》 笹山
奈良田湖 〜 2320mの窪地(テント泊) 〜 笹山南峰 〜 笹山北峰 (往復)
2月に20年ぶりに老平から笊ケ岳に登る計画を立てたが、土日とも安定した天気予報とならず、計画は先送りされていた。 その機会を窺っている間に、白峰南嶺の笹山(黒河内岳)へまだ辿ったことのない奈良田からのルートで登ってみたいという発想が芽生えてきた。 笹山へは5年前の秋に大門沢経由で往復したのが最初で最後で、この時はまだ奈良田からの登山道は開削中だった。 前回は白峰南嶺の核心部とも言える広河内岳から笹山までを踏破することが目標だったが、今回は笹山だけをじっくり楽しむため、静かな冬場の時期に山中1泊で奈良田からのルートを往復することにした。 道の駅『とよとみ』に前泊し、翌朝登山口の奈良田温泉に向かう。 奈良田湖のバス停付近にある駐車場に車を停めて7時半前に出発。 良い天気予報のはずだったが、冷たい風が吹き、空の色は冴えない。 久々の20キロ超の荷物が肩に食い込む。 奈良田湖を200mほどの長さの吊り橋で渡り、未舗装の道を左折して5分ほど歩いた先の発電用の送水管の施設の傍らから登山道に取り付く。 取り付きまで『笹山』と記された小さなプレートが所々にあるものの、暗いうちだと取り付きまで迷わずに辿り着くのはむずかしい感じがする。 奈良田温泉の標高は830mで笹山の標高は2733mなので、単純標高差は1900mもあるが、他のルートから日帰りで笹山に登るのは困難なため、通称“ダイレクト尾根”と呼ばれるこのルートは、日帰りやエスケープルートとしての利用価値を含め貴重な存在だ。 取り付きから先は送水管の施設への巡視路を兼ねているようで、鉄パイプの手摺が付けられたジグザグに切られた道を登る。 送水管の施設からは広い尾根どおしにやや急な斜面の踏み跡を辿って行く。 植林の林は間もなくアセビの混じった雑木へと変わり勾配が徐々に増してくる。 風は強くはないが相変わらず止まない。 風邪か花粉症か私も妻も鼻水が止まらない。 1300m付近からようやく登山道に雪が見られるようになり、1344m地点で右手からの支尾根と合わさると、その先の所々で雪が吹き溜まっていた。 人のものとも獣のものとも判別出来ない古いトレースが雪の上に見られた。 1344m地点からは傾斜が緩み、徐々に陽射しに恵まれた明るく広い尾根となった。 樹間からは白峰南嶺の稜線一部や大唐松山、そして先週破天荒で辿り着けなかった辻山も見えた。 再び傾斜がきつくなり、雪の無い所を選びながら登って行くと、ブナの木に『水場入口(標高1603m)』と記された標識が打ち付けられていて、木の根元には非常用のものかビニール袋に入ったペットボトルの水が置かれていた。 ここまで登山口からちょうど3時間で、予定よりも1時間ほど早く着いた。 今日の幕場がどこになるかは、この先のルートや雪の状態で決まるが、このペースなら一番理想的な2320m付近の窪地まで行けそうな感じがした。 水場入口から先も尾根は顕著で、所々に見られるテープ類にも助けられルーファンは全く必要なかった。 1700m付近から一面が雪で覆われるようになると、先ほどと同じような古いトレースが再び見られるようになり、同好の士の存在に再び興味が湧いてきた。 アイゼンを着けるかスノーシューを履くか迷いながら登り続けたが、時間と共に雪が柔らかくなってしまったので、傾斜が緩んだ所でスノーシュー(妻はワカン)を履く。 高度計を見ると、図らずもそこが幕場の候補地の一つで一番標高の低い1932m地点だった。 この辺りから葉の落ちた広葉樹から鬱蒼とした針葉樹に植生が変わり、樹林の密集度が高くなった。 いつの間にか古いトレースは消え、以後そのかけらも見ることは無かった。 スノーシューを履いてからしばらくは緩やかな傾斜の痩せ尾根だったが、2000mを超えてからは登山道の道型が全く無くなってしまったので、傾斜のきつい斜面を直登気味にラッセルしながら登らなければならなかった。 積雪も一段と増してきたので登高ペースは一気に落ち、1時間で100mほどしか登れなくなった。 特にワカンの妻は深雪の急斜面との相性が悪く苦戦していた。 意外にも2200mぐらいから雪が締まってきたので、ようやくスノーシューが沈まなくなった。 間もなく前方の視界が開け、尾根が崩れたガレ場の淵から白峰南嶺のたおやかな白河内岳(2813m)と大籠岳(2767m)、そして遠くにそれとは対照的な北岳の尖った山頂が目に飛び込んできた。 ガレ場の淵に沿って急坂をひと登りすると傾斜が緩み、『標高2256m』と記された大きな道標が木に打ち付けられていた。 この付近も幕場の候補地だったが、あと少しで一番理想的な2320m付近の窪地にまで行けそうなのでこれを見送って先に進む。 再び急斜面の登りとなったが、前半の良いペースに助けられ、後半は運良く雪が締まり、道に迷うことも無かったので、予定より1時間以上早い2時半前に2320mの窪地に着いた。 細長く凹んだ窪地の手前の平らな場所にテントを設営する。 今日は4月の陽気なので、陽射しがあるとテントの中は暖かい。 設営後は早速水作りを始めるが、雪がとても綺麗でゴミは無く、予想外に美味しい水が出来た。 好事魔多しの諺どおり、最後に作った1リッターのお湯を不覚にもテントの中で鍋からこぼしてしまったが、幸いにもやけどをしないで済んだ。 夕方から再び強まった風は夜に入ると一層強くなり、先週の夜叉神峠と同じように夜中じゅうずっと上空で吹き荒れていた。
4時半に起床し6時に出発の予定だったが、風が収まるのを待って6時半に出発。 急斜面が続くのでスノーシューとワカンを背負ってアイゼンを着けて行く。 すでに陽は昇り周囲は明るい。 先ほどまであれほど強く吹いていた風は嘘のように無くなった。 昨日少しだけルートの下見をしておいたが、尾根の幅が一旦広くなった窪地から先では、樹林の密度が高いことが災いして、すぐに登山道が分からなくなった。 テープ類は少なく、また雪に埋もれたりしているので、登山道を正確に探し当てるのは難しい。 雪はやや締まっているが歩く度に10センチほど沈むので、ルーファンしながらでは俊敏な行動がとれない。 反面、トレースがしっかり付くので道迷いの心配は無い。 少しでも樹間の空いている所を選んで山頂の方向に登って行くと、目ざとい妻がようやく赤テープを見つけてくれた。 同じようなことを2〜3度繰り返しているとようやく尾根が顕著になり、テープなしでも登れるようになった。 樹間から初めて笊ケ岳方面の山々が見えるようになり、山頂での展望に期待が膨らむ。 急斜面の登りが続くが、幕場から山頂までの標高差は僅か400mほどなので、ルートさえ分かればラッセルもさほど苦にならない。 幕場から1時間20分ほどで、木々の切れた2560m地点に着く。 指呼の間に笹山南峰の肩が青空の下に望まれ、笊ケ岳のみならず悪沢岳も見えるようになった。 風も無く絶好の登山日和だ。 2560m地点からは昨夜の強風でモナカ雪になっていた。 振り返れば富士山が墨絵のように淡く浮んでいる。 南峰の肩付近からは雪が硬く締まって快適な登高となった。 幕場からちょうど2時間で快晴無風の笹山南峰(2717m)の頂に着く。 北峰(2733m)よりも僅かに低い南峰には前回タッチしなかったので初登頂だ。 登ってきた奈良田からのルートのみならず、転付峠からの稜線にもトレースは無かった。 無雪期には展望が優れないという南峰の頂も今日は360度の大展望だ。 だだっ広い純白の頂には、山梨百名山の標柱が唯一顔を出していた。 歓声を上げながら白河内岳、白峰三山、鳳凰三山、塩見岳、蝙蝠岳、荒川岳、そして富士山と、周囲の写真を撮りまくり、足取りも軽く指呼の間の北峰に向かう。 雪が締まっているので、登山道ではなく最短距離の稜線上を歩く。 南峰よりも僅かに高い北峰の頂は雪が禿げ、仙塩尾根越しに中央アルプスや乗鞍なども遠望された。 快晴無風の山頂からは南峰と同じように、そこから見えるべく山は全て見え、予想していた以上に素晴らしい展望だった。 地図を広げ、大唐松尾根など次の計画を頭に描きながら1時間ほどのんびりと周囲の山々の展望を楽しむ。 登ってくる人は誰一人いない。 至福の時とは正にこのことを言うのだろう。 9時半過ぎにようやく重い腰を上げ、去りがたい山頂を辞する。 下りは労せずして1時間足らずで幕場に戻れた。 日溜りとなっていた幕場でゆっくりテントを撤収し、昨日スノーシューやワカンで登った急斜面をアイゼンを着けて下る。 気温の上昇で雪が緩み、所々で股まで埋まる。 それでもトレースのある下りは早く、ほぼコースタイムどおりのスピードで下れる。 結局2日間誰とも出会うことなく、3時前に奈良田湖のバス停付近にある駐車場に戻った。