2  0  1  2  年     5  月  

《 4日 〜 5日 》    大唐松山

奈良田第一発電所 〜 雨池山 〜 2130m地点(テント泊) 〜 大唐松山 〜 奈良田第一発電所  (往復)

   農鳥岳から東に延びる長大な大唐松尾根は、積雪期に雪崩の危険がある大門沢の代わりの下降路として利用されているという話を聞いたことがあったが、ネットの記録では無雪期のものが多く、また辿っている記録そのものも少なかった。 当初は残雪期であれば1泊2日、あるいは2泊3日で奈良田からこの尾根を辿り、農鳥岳まで登れると思ったが、ネットの記録を見る限りではとても無理そうだったので、今回は1泊2日でとりあえず大唐松岳まで登ってみることにした。 GWでもこの山であれば静かな山行が出来そうなのも魅力だ。 中央道の甲府南ICを出てすぐの道の駅『とよとみ』で前泊し、翌朝登山口の奈良田第一発電所に向かう。 天気は予報よりも悪く、空には灰色の湿った雲が見られ低い山でも山頂は霧に包まれていた。 途中で目印用のビニールテープを忘れたことに気が付き愕然とする。 8時半に登山口の駐車場に着いたが、他に車は停まっていなかった。 大門沢から農鳥岳を登る人もいないのだろうか。 準備を整え9時前に駐車場を出発。 高度計を900mに合わせる。 地形図の縮尺は5000分の1だ。 稜線はまだ荒れ模様だが上空の雲は白くなり、青空も少し覗くようになった。 5分ほど大門沢方面に車道を歩いた先のゲートの前には地元ナンバーの車が2台停まっていた。 果たして先行者はいるのだろうか。 ゲートのすぐ先の右手に奉られた山の神から発電所の施設に通じる巡視路に入る。 朝方までの雨で滑りやすい杉林の中を5分ほど緩やかに登って行くと、鉄パイプで作られた手摺が現れ、傾斜の増した斜面をジグザクに登って行く。 手摺は延々と標高差で150mほど続き、重荷でも面白いほど短時間で高度が稼げた。 発電用の太い導水管を越えて数分登ると、巡視路の分岐があった。 分岐からまだ続く手摺に騙されて右へ行ってしまったが、次第に道は下りとなり、違う巡視路に入ってしまったことに気が付いた。 分岐まで戻り左の道を登ると、すぐに発電所の施設があり、その傍らを通ってその上に見える送電線の鉄塔の下まで労せずに達することが出来た。 道に迷わなければ、山の神からちょうど30分くらいでここまで来れただろう。 鉄塔の真下で一服し、ここからは急な斜面をルートファインディングしながら進む。 下の発電所の施設から数10mおきに6〜7mほどの高さの金属製の地味な電柱が木々の間に埋もれるように立っていて電線も張られていたので、これに従って登ることにした。 傾斜は次第にきつくなり、帰路での下りが危惧されるほどとなった。 電柱(電線)が目印となるためか、赤テープの類は殆ど無い。 標高差で100mほどの急登を終えると次第に傾斜は普通になり、最初の目標となる1542m地点に向けて真北に進むようになる。 尾根の幅が広がり傾斜の緩む1370m辺りで最後の電柱(高さ10mほどのものと併せて2本)とアンテナと小さな物置のような小屋が右手に見られた。 ここから上では作業用の錆びたワイヤーケ−ブル、空の一升瓶や一斗缶などが所々に見られたものの、雑木の茂る尾根には原始に近い雰囲気が漂っていた。 目印の電柱が無くなったので木々にはテープ類が要所要所に見られるようになったが、必要最低限しかなく、また皆古かった。 一番新しいのは白いビニールテープだったが、これも半年以上前の物のように思えた。 この先の1542m地点までがテープ類が最も少なく、下りでは迷う所もあった。 11時過ぎにヒメシャラの木々に覆われた展望のない1542m地点に到着。 テントがいくつか張れるほどの平らなスペースがあったが、まだ山頂は遠いので幕場としての利用価値は少ないだろう。 1542m地点からは90度近く左方向に折れる感じで尾根が伸びている。 しばらく休憩し次の目標の雨池山(1936m)に向かう。 尾根も顕著で藪や倒木が殆ど無かったので、途中の1704m地点は1542m地点から30分ほどで通過することが出来た。 1704m地点からは傾斜が増したものの、尾根は相変わらず顕著で迷う所はなく1時に三角点のある雨池山に着いた。 ここも木々に覆われていて展望は無く、未だに大唐松山は見えない。 ここまでは予想以上に順調に来ていたが、唯一の誤算は尾根が痩せているので残雪が全く見られないことだった。 当初残雪は2000m付近から現れると思っていたので少しヤキモキする。 雨池山から先ではそれまでとは違い小さな登り下りを繰り返すようになった。 1つ目の小ピークを越えて下って行くと笹原の藪となり、鞍部の所々に残雪が見られた。 まだ時間も早いが、ここから先でまた尾根が痩せて雪がないと水が取れないので、ここを幕場にしようか迷っていると偶然右手から沢の音が聞こえてきた。 改めて周囲を見渡すと“水場”を示すものなのか、ピンクのテープが二重に木に巻かれていた。 沢の音がする東の方角に急な笹原の藪を下って行くと、雪解け水でかなりの水量となっている沢が眼下に見えた。 沢の源頭へはそれなりに足場も悪かったが、ここで水を汲めればとてもありがたいので、迷わずにそこをめがけて下った。 沢の源頭はピンクのテープから標高差40mほどで、ゴミ一つない美味しい水が豊富に出ていた。 4リッターほどの水を汲んだので、もうこの先どこでも幕営が可能となり、荷物は重いが気持ちは軽くなった。 笹原はしばらく続き、ようやく樹間から大唐松山を見ることが出来た。 3つ目の小ピークとなる1934m地点を越えると笹原の藪から再び登り一本調子の尾根となったが、尾根の幅が広くなりどこでも登って行けそうなので、テープ類を丹念に確認しながらゆっくり登る。 図らずも幕場としては第3候補くらいに考えていた2130m辺りの平坦地には残雪が見られ、水の心配は杞憂に終わった。 時間はまだ3時前と早いが、夕立の予報があるのでここで幕営することにした。 明日のルートの下見をしてからテントを張り終えたとたんに夕立があり、とても運が良かった。 夕立は30分ほどで止んだが、夕方になると再び小雨が降り出し、まだ天候は不安定なようだった。 ここから大唐松山の山頂までの単純標高差は430m(累積は500m)ほどなので、大唐松山をピストンするだけなら、水(雪)さえあればここが一番理想的な幕場だと思えた。


山の神から発電所の施設に通じる巡視路を辿る


鉄パイプで作られた手摺に沿ってジグザクに登る


発電用の太い導水管を越える


発電用の太い導水管


発電所の施設


送電線の鉄塔


6〜7mほどの高さの金属製の地味な電柱が木々の間に埋もれるように立っている


帰路での下りが危惧されるほどの急登


1370m辺りの最後の電柱とアンテナと小さな物置のような小屋


1542m地点への登り


ヒメシャラの木々に覆われた展望のない1542m地点


1542m地点から尾根は顕著になった


雨池山直下の登り


三角点のある雨池山の山頂


笹原の藪の所々に残雪が見られた


水場を示すピンクの二重のテープ


ゴミ一つない美味しい水が豊富に出ていた沢の源頭


笹原の藪から樹間越しに見た大唐松山


1934m地点を越えると笹原の藪から登り一本調子の幅の広い尾根となる


2130m辺りの平坦地には残雪が見られた


2130m辺りの平坦地で幕営する


   夜中に風がテントを叩くことは無かったが、かなり強い風の音が夜半から断続的に聞こえていた。 翌朝は暗いとルートファインディングが大変なので、周囲が充分明るくなった5時に出発した。 樹間から見える笊ケ岳が淡く染まっている。 尾根の幅は広いが、明瞭な踏み跡とビニールテープが雪の無い尾根の左側に続いていたので快適な登高となった。 間もなくご来光となったが、木々が密集しているため写真は撮れなかった。 20分ほど登ると一度途切れた雪が再び尾根上に現れた。 その辺りから今度は尾根の真ん中がルートになっていた。 積雪は30センチほどで、気温も高かったので軽いラッセルとなったが、明瞭なトレースがつくのでむしろありがたかった。 周囲にはトレースの名残らしきものも見られず、GW中の入山者は私達だけだったことが推測された。 雪の斜面をしばらく登ると再び尾根は狭くなり雪が途切れるようになった。 湯ノ沢頭山との分岐となる大唐松尾根の末端のピーク(2320m辺り)から僅かに下って登り返し、幕場から1時間で最初の目標の2346m地点に着いた。 ここからは風が急に強まりジャケットを着る。 再び尾根は痩せて顕著になり、足元の雪もなくなったが、一方で稜線の風の強さを物語るかのように倒木が多くなった。 間もなく右手の樹間から北岳が見えたが、山頂は寒々しい白い雲に覆われていた。 正面には大唐松山が指呼の間に屹立し、地図を見るまでもなく急登が予想された。 2346m地点と大唐松山の間の最低コルは僅か数メートルしかなく、残雪が吹き溜まっていた。 このコルを最後に尾根は山頂まで登り一本調子となった。 所々で溶けた雪が凍っていて難儀する。 この先の雪の量を考えてワカンをデポした。 間もなく雪の剥がれかかった登りにくそうな急斜面が行く手を塞いでいた。 苔むした急斜面の基部の木の枝には古いテープが巻かれていたが、その先を直登すべきなのか巻くのか分からない。 しばらく右往左往しながらルートを模索していると、古いビニール紐が右に見られたので右から巻いて登ることにした。 アイゼンを着け、登り易そうなところを選んで右から回り込みながら尾根に戻るような感じで登る。 難所と思えたのはここだけで、再び尾根は明瞭となり迷う所はなかった。 いつの間にか風も収まり、鬱蒼とした樹間の詰まった尾根から突然明るく開けた所に飛び出し、7時半過ぎに人待ち顔の大唐松山の山頂に着いた。 当初は幕場から2時間ほどで着くと思われたが、結局2時間半以上かかってしまった。 山頂からは、残雪を戴いた北岳・間ノ岳・農鳥岳の三山が大きく、またこの山頂からならではのユニークなアングルで望まれ、期待以上の展望の良さに興奮が覚めやらない。 愛好家の手作りの山名板はかすれて読めないほどで、逆にそれが心地良かった。 標高2500m以上の山だが、『三百名山』や『山梨百名山』とは無縁であることも嬉しい。 この山がいつまでも静かであることを願うばかりだ。 山頂の少し先にある2561m地点まで足を延ばしたが、展望は山頂の方が良かった。 その先の稜線も鬱蒼とした木々に覆われ、残雪期に大唐松尾根から農鳥岳を登ることは意外と困難であるように思えた。 富士山・鳳凰三山・白峰南嶺などの展望を愛でながら1時間近く山頂に滞在し、8時半にもう訪れることはないかもしれない山頂を後にした。 幕場までの下りはルートファインディングの必要が無かったので、労せずして1時間半ほどで着いた。 登頂の余韻に浸りながら1時間ほどかけてゆっくりテントを撤収し、11時前に幕場を出発する。 道型の記憶やテープ類を頼りに笹原の藪まで下り、鮮烈な清水を汲んで一服する。 上空には寒気がまだ残っているようで、好天の日のGWらしい暑さがなくて助かった。 1370m辺りの最後の電柱まで下り安堵したのも束の間、その先の急坂は雪の斜面のように転ぶと止まらないので、部分的に補助ロープを使って下った。 ムラサキヤシオの咲く登山道付近は新緑が眩しく、初夏の爽やかな雰囲気が漂っていた。 登山ブームやGWには無縁の静かな山行を終え、まだ陽の高い3時に登山口の駐車場に戻った。


2130m辺りからは明瞭な踏み跡が広い尾根の左側に続いていた


樹間から見た大唐松山


2130m辺りから20分ほど登ると再び尾根上に雪が現れた


湯ノ沢頭山との分岐となる大唐松尾根の末端のピーク(2320m辺り)


2320m辺りから2346m地点への尾根


2346m地点


樹間から見た北岳


樹間から見た大唐松山


2346m地点と大唐松山の間の最低コル


2346m地点から大唐松山の間は倒木が多い


大唐松山直下の雪の斜面


大唐松山の山頂


山頂から見た北岳


山頂から見た間ノ岳


山頂から見た農鳥岳


大唐松尾根を下る


大唐松尾根から見た鳳凰三山


幕場付近の樹間から見た大唐松山


幕場直下の下り


1600m付近の緩やかな尾根道


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