2 0 1 1 年 1 2 月  

《 23日 〜 24日 》    プロローグ

成田 〜 シカゴ 〜 マイアミ 〜 キト

   エクアドルの国名はスペイン語で赤道を意味する。 面積は日本の約4分の3、人口は約1300万人で、南米の国の中では人口密度が一番高い。 標高4000m〜6000m級の山々を擁するアンデス山脈が国の中央を南北に走る一方、その東側は高温多湿の熱帯のジャングルとなっているため、赤道直下でありながら山々には一年を通して降雪があり氷河も発達している。

   6年ぶりのエクアドルの山への再訪はマナスルのB.C滞在中にエクアドル人のガイドのハイメとの会話に端を発したものだった。 ハイメによれば同国の最高峰のチンボラソ(6310m)は年々氷河の状態が悪くなっている西稜ルート(ノーマルルート)に代わり、最近では北面からH.Cを5600m辺りの所に出して(テント泊)登られているとのことで、もし希望すればガイドを買って出るとのことだった。 6年前に未曾有の大雪のため同峰及び二番目に高いコトパクシ(5897m)への登頂が叶わなかった私にとっては願ってもないチャンスが訪れたとその時は思ったが、ネパールからの帰国後にその計画と手配を依頼したガイドの平岡さんから、ハイメの都合がつかなくなったことと、その新しいルートは実際には殆ど登られていないということが伝えられ、計画は暗礁に乗り上げた。 前回エクアドルの山にご一緒してから親しくなった山仲間の哉恵さんとは両峰へのリベンジを固く誓い合っていたので、哉恵さんにもこの計画を強く勧めていたが、登頂の可能性が一段と低くなった現状を冷静に受け止めて計画を見送るか否かを思い悩んだ。 しかしながら一度火がついてしまった山への情熱を冷ますことが出来ず、再度哉恵さんを強引に説き伏せてノーマルルートでの計画の実行を平岡さんに打診した。 

   当初は年始にチリの最高峰のオホス・デル・サラド(6893m)に登られるという平岡さん夫妻と哉恵さんそして私達夫妻の5人だけの山行にしようという話もあったが、結局手配や予算の都合上他のメンバー2人(OさんとIさん)を加えた公募ツアー形式による18日間の山行となった。 赤道直下にあるエクアドルの山はアマゾン側からの雲の発生により気象が安定しないため、日程にやや余裕を持たせ、国内に8座ある5000m峰のうちの一峰のカヤンベ(5790m)にも高所順応目的で登ることにした。 出発の3週間前の12月初旬には参加メンバーの親睦を図るために平岡さんが阿弥陀岳にメンバー全員を案内してくれ、その前後に哉恵さんと富士山を2回登り、訓練や装備の点検を行った。 尚、OさんとIさんはお友達同士で、Oさんは以前チンボラソの西峰(6267m)まで、Iさんも西峰の直下まで登られたことがあるとのことで、妻と平岡さんの奥さんの朋子さんを除く他のメンバーは全て同峰へのリベンジであることが分かった。 

   一般的には知られてないが、西稜ルート(ノーマルルート)は5000mの高さに建つ山小屋(ウインパー小屋・・・この名前はマッターホルンの初登頂者でもあるエドワード・ウインパーが1880年にチンボラソを初登頂したことを記念して付けられたものである)からアタックするが、山小屋から山頂までの標高差が1300m以上あることに加え、氷河の状態が悪く気象条件も厳しいため、先に辿り着く西峰で時間切れ、又はガイドの判断により最高点のウインパー峰まで行かれないことが多々ある。 ウインパー峰まで登るためには、天気に恵まれかつ高所に充分順応していなければならない。 今回は“南米五大峰”(アルゼンチンのアコンカグア・チリのオホス・デル・サラド・ボリビアのサハマ・ペルーのワスカラン・エクアドルのチンボラソ)の完登という別の目標もあったので、あくまで最高点のウインパー峰にこだわりたい旨を平岡さんには伝えた。 今回の計画で唯一誤算だったのは、エクアドルでは新年を自宅で迎える習慣があるため、元旦にガイドが山に入らないということだった。 それゆえ二番目に登る予定のコトパクシはアタックの予備日がなくなってしまった。


リオバンバから見たチンボラソ(2005年12月撮影)


イリニサ山麓から見たコトパクシ(2005年12月撮影)


イリニサ(5120m) (2005年12月登頂)


   12月23日、早朝に自宅を出発し成田空港で哉恵さんと落ち合う。 直前に参加が決まったOさんとIさんは飛行機の手配が間に合わず、午後の便で今日の宿泊先であるマイアミの空港内のホテルで合流することになっている。 南米の国へは直行便がないので、必ずアメリカでの乗り継ぎとなる。 2年更新のエスタ(電子渡航認証システム)は今回から有料(14ドル)となり、直前にネットで申込んだ。 今回の乗継地はシカゴで、成田からは11時間半掛かった。 シカゴの上空からはミシガン湖がまるで海のように見えた。 シカゴから国内線に乗り換えて3時間ほどでマイアミへ。 マイアミを夕方発ってキト(エクアドルの首都)に深夜に到着する便もあるが、哉恵さんの希望でマイアミに1泊することになった。

   12月24日、ホテルのロビーでOさんとIさんに合流し、マイアミを午後出発するラン航空の飛行機でエクアドルの首都のキトに向かう。 キトのマリスカル・スークレ空港は住宅街の真ん中にあり、マイアミからは時差はなく4時間少々で着いた。 着陸寸前に機内アナウンスがあり、ボリビアのラパスと同様にキトの標高の2850mに機内の気圧が調整された。 クリスマス・イブに帰国する人でごった返す空港にはエージェントの『アンディアンフェイス』のチーフガイドのセバスチャンと平岡さん夫妻が出迎えてくれた。 エージェントが用意した大型バスでホテルに向かったが、意外にも翌日からもずっと同じバスでの移動となった。 夕食はホテルのすぐ近くにあったこじゃれたレストランで食べたが、安くて美味しかったのでのっけから食べ過ぎてしまった。


エージェントが用意した大型バスでホテルに向かう


キトのホテル『レイナ・イサベル』のロビー


ホテルの部屋


レストラン『マジック・ビーン』での夕食


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