《 9日 〜 10日 》 餓鬼岳 ・ 東沢岳 ・ 燕岳
白沢三股 〜 餓鬼岳(テント泊) 〜 東沢岳 〜 燕岳 〜 中房温泉 (縦走)
梅雨の真っただ中の週末で山行の計画は決まってなかったが、金曜日の夕方に天気予報が良い方に急変したので、会社帰りの電車の中で色々と計画を練り、これに賛同してくれた山仲間のハイジさんと急遽ご一緒することになった。 行き先は車2台を有効に使え、かつ、梅雨前線の動向で天気の読めない日曜日にエスケープルートのある餓鬼岳から燕岳への縦走となった。 長野道の筑北PAで前泊し、翌朝5時半にハイジさんと落ち合って下山口とした中房温泉に車をデポしに行く。 予想どおり中房温泉は燕岳へ登る多くの人で賑わっていた。 中房温泉の登山者用の駐車場にハイジさんの車をデポし、餓鬼岳の登山口となる白沢三股に向かう。 こちらは登山口付近の駐車スペースに3台車が停まっていただけで、8時前に到着した私達が最後のパーティーとなった。 高度計の標高を950mに合わせ、8時過ぎに登山口を出発。 北アルプスの中ではマイナーなピークの餓鬼岳に登るのは今回で4度目だ。 最初は95年8月に白沢三股から餓鬼岳を登り(テント泊)、翌日は唐沢岳を往復して白沢三股へ下山、2回目は05年6月に前回と同じルートをヨーロッパアルプスの山に登る訓練で山仲間の西さん&セッちゃんと唐沢岳まで日帰りで登り、3回目は09年6月に日帰りで中房温泉から燕岳を経て餓鬼岳へ縦走し、東沢乗越まで戻って中房温泉へ下山、そして今回はそのいずれでもないルートとして白沢三股から餓鬼岳を登り(テント泊)、燕岳へ縦走して中房温泉へ下山する予定だ。 白沢三股から餓鬼岳への登山道の最初の3分の1は沢沿いなので涼しいだろうと目論んでいたが、湿度が異常に高く、30分ほど歩いただけで体がオーバーヒート気味になってくる。 夕立の心配はあるが、今日は餓鬼岳まで登るだけなので、休憩をこまめにとりながらゆっくり登る。 沢沿いの登山道は緩やかであるものの、高巻きによる無駄な登下降もあり、標高が稼げないのが誤算だった。 逆に虫に悩まされることを危惧していたが、ハッカ油を皆で付けていたせいか、殆ど気にならないレベルだった。 登山道が沢から離れるようになると間もなく『最後の水場』と記された標識があり、冷たい沢の水で頭を冷やして大休止とする。 ここから先は稜線も含めて水場が全くないので、冷たい沢の水をタップリ汲む。 『最後の水場』を過ぎると大凪山までは急登が続いたが、不思議と過去の記憶は全くなかった。 山頂方面はすでに雲で覆われていたが、この時間帯では晴れると暑いので、このまま晴れずにいて欲しいと願う。 青空山岳会も看板倒れだ。 展望もなく、標識が無ければ気が付かずに通り過ぎてしまう地味な大凪山を午後の1時に通過すると、そこから先は緩やかな登りとなった。 標高もようやく2000mを超えたので、空気が少し涼しく感じられるようになった。 ダケカンバや足元にシナノキンバイが見られるようになると、『百曲り』と名付けられた細かいジグザグの登りとなったが、登山道は歩き易く餓鬼岳小屋が近づいてきたことを実感する。 『餓鬼岳小屋まであと10分』の標識を過ぎると、意外にも上空に青空が見えてきた。 4時前にようやく餓鬼岳小屋に到着すると、雲が多いながらも裏銀座の山々が一望され、暑さや疲れも吹っ飛んだ。 餓鬼岳小屋のテント場は登山道が真ん中を通っている狭い凹地にあり、平らでない部分があるため実質5〜6張しか設営出来ない広さだった。 結局この日は私達(2張)を含めて4張でちょうど上手く収まった。 テントを設営し、山小屋で受付を済ませてから、指呼の間の餓鬼岳の山頂に向かう。 コマクサの咲く餓鬼岳の山頂から唐沢岳は霧で見えなかったが、中沢岳への稜線の奥に槍ケ岳の穂先が見えたのが感動的だった。 山小屋で買ったビールとコーラで乾杯し、当初は絶望的と思われた周囲の山々の展望を楽しむ。 涼しくていつまでも佇んでいたい山頂だったが、いつの間にか5時を過ぎてしまったのでテント場に戻る。 ハイジさんも1人用のテントを設営していたが、夕食は私達の3人用のテントで一緒にすることにした。 7時過ぎに突然雨が降り出したが、ものの数分で降り止んだ。 久々に山にご一緒したハイジさんとの話は尽きなかったが、周囲が暗くなった8時前にはお開きとした。
翌朝は3時過ぎに起床。 朝食を食べていると、東の空が茜色に染まり始めた。 テントを撤収し、山小屋で水を買ってから一人餓鬼岳の山頂へ登る。 昨日は見えなかった唐沢岳が立山を背景に見えた。 天気は予想以上の快晴で、餓鬼岳小屋の前からご来光を拝むことが出来たが、梅雨明けしていたとは知る由もなかった。 4時半過ぎにテント場を出発。 他のパーティーは唐沢岳へ向かうようで、燕岳方面に縦走するのは私達と山小屋に泊まっていた単独の方(山小屋の宿泊客も一人)だけだった。 荒々しい中沢岳への縦走路には残雪もなくなり、木の梯子が随所に架かる快適な岩稜歩きとなる。 早朝の涼しい時間帯なのでなおさら足取りは軽い。 山肌に残雪が僅かに残る表銀座(燕岳・大天井・常念)や裏銀座(烏帽子・野口五郎・鷲羽・水晶)の山々、立山・剱・針ノ木・鹿島槍、そして遠く笠ケ岳までもがすっきりと望まれ、まさに至福の時を過ごす。 中沢岳の山頂は踏まずに、右から大きく高度を落としながら巻いて行く。 鬱蒼とした樹林帯の中をどんどん下り、中沢岳の基部を巻き終わった地点から次の2508mの無名峰に向けて登り返す。 無名峰は360度の展望に恵まれ、眼下には高瀬湖も見えた。 無名峰から東沢岳の間は、次々と現れる花崗岩のユニークな岩塔の間を縫うようにして進む変化に富んだ縦走路だ。 稜線の左(東側)は陽も当たって暑いが、右(西側)は日陰ということもあって涼しくその差がとても極端だ。 8時に人待ち顔の東沢岳の山頂に着く。 ここも360度の展望に恵まれ、餓鬼岳と中沢岳、そして辿ってきた縦走路が良く見える一方、東沢乗越の大ギャップを挟んでこれから辿る燕岳の山塊が屏風のように立ちはだかっていた。 中房温泉への下降点でもある東沢乗越まで標高差250mを一気に下り、そこから奥北燕方面へ標高差450mを登り返す。 途中、東沢乗越から中房温泉へ下ると思われる軽装のパーティーやトレランの人とすれ違う。 みずみずしい新緑のダケカンバが見えてくると、その先に痩せた雪渓が現れた。 6月だとアイゼンやピッケルが必要な所だが、登山道は途中から露出していた。 雪が溶けたばかりの斜面にはイワカガミ・ハクサンイチゲ・チングルマ・シナノキンバイ・サンカヨウ・キヌガサソウなどが見られ、その都度足が止まる。 既に10時を過ぎ、上空には雲が浮いていたので、稜線からの展望は期待していなかったが、奥北燕との分岐となる稜線に出ると視界が一気に広がり、眼前に槍ケ岳が大きく望まれ、思わず皆で歓声を上げた。 奥北燕との分岐付近の白地の斜面にはコマクサが多く、稜線から外れた奥北燕の山頂に向かえば、もっと沢山のコマクサが見られそうだったが、これ以上自然破壊をする必要はないだろう。 ちょうど燕岳方面から来たパーティーがいたので写真を撮ってもらう。 奥北燕から先では雪渓はさらに小さくなり、残雪を踏むこともなかった。 この辺りは花が多い所だが、図らずも正にその最盛期に来たようで、いたる所にお花畑が見られた。 もちろん皆で撮影大会となったが、特に鮮やかな紫のハクサンコザクラが印象的だった。 気温の上昇で稜線には夏の雲が湧き、既に槍や裏銀座の山々も見えなくなったが、未明からクリアーな展望に恵まれたので、全く気にはならなかった。 猿の群れが山肌に僅かに残る雪渓を登り、稜線を越えて反対側の谷へ下っていく。 北燕から燕岳を経て燕山荘までは再びコマクサが多く見られた。 燕岳から中房温泉への下りは消化試合的な感じが強かったが、燕岳の山頂直下で砂浴びをする雷鳥を見ることが出来た。 4時前に中房温泉へ下山。 白沢三股へ車を回収し、いつもの『しゃくなげ荘』で汗を流した。 夕食は同荘の近くにある『富士尾山荘』で蕎麦を食べて解散した。