2  0  1  1  年     5  月  

《 14日 〜 15日 》    大ノマ岳

    新穂高温泉 〜 左俣林道 〜 笠新道2000m地点(テント泊) 〜 左俣林道 〜 シシウドが原 〜 大ノマ乗越 〜 大ノマ岳 〜 新穂高温泉  (往復)

    残雪期の笠ケ岳は訪れる人が少ない孤高の頂だ。 一昨年のGW明けに新穂高温泉から鷲羽岳を歩いた時に、次は大ノマ乗越から稜線を反対に縦走し、抜戸岳を経て笠ケ岳に登りたいと思った。 但し、この山域の稜線は広くたおやかである故に積雪が多く、雪庇やシュルント、そして踏み抜きなどミックスの岩稜帯とは違った雪山特有の難しさがある。 もちろんトレースなどは期待出来ない。 今シーズンは冬が寒冷だったため、標高の高い所ほど残雪が多い傾向があり、登頂の成否はルートの状況に左右されそうだ。 直前に相棒の妻が用事で行かれなくなってしまったので、より安全・確実に登頂するために『笠新道』を利用することにしたが、これは大きな誤りだった。 笠新道は15年前の夏に初めて笠ケ岳を登った時に辿ったことがあったが、当時の記憶は全く残っていない。 ネットの情報でもGWに笠新道を登ったという記録は見つからなかったが、笠新道は笠ケ岳への最もポピュラーな登山道だから残雪期でも登り易いだろうし、6年前のGWに新穂高温泉から穴毛谷をスキーで登り、杓子平を経て抜戸岳まで日帰りで往復出来たので、杓子平まで上がれれば登頂はそれほど難しくないと思われた。 中央道の梓川SAで前泊して翌朝登山口の新穂高温泉に向かう。 無料駐車場には15台ほど車が停まっていたが、すでにみな出発してしまったのか、登山者の姿はなかった。 8時に駐車場を出発。 天気は予報よりも悪く、笠ケ岳はぶ厚い雲の中だ。 左俣林道のゲートの脇には山スキーヤーのものと思われる運動靴が置いてあった。 間もなく大きな土砂崩れで林道が塞がっていたが、この先は何か所かデブリで林道が塞がっているので、あまり違和感はなかった。 駐車場から1時間ほどで笠新道の入口に到着。 高度計を1350mに合わせる。 南斜面となる登山道の入口には雪のかけらもなかったが、30分ほど登ると登山道は雪に覆われ始めた。 さらに最初は短い間隔で木々に付けられていたビニールテープが登山口から1時間も経たないうちにパッタリと無くなってしまった。 やはり残雪期に笠新道は登られていないようだ。 登山道は急な斜面をジグザグに登っていくが、1700mを超えた辺りからはほぼ全面的に雪に覆われ、ルートファインディングが難しくなった。 所々で雪から出ている登山道やハシゴ、鉄板などの人工物を探し当てながら登らなければならないので登高は遅々として捗らない。 ようやく道形がはっきりしてきたと思ったら今度は急斜面のトラバースなどがあり、早くもアイゼンを着ける。 1700mから1800mの僅か100mを登るのに1時間以上を要してしまった。 1800mを超えると登山道は完全に雪に覆われた。 急斜面の樹林帯なので登り易い所を選んで登っても、最後はどこかで岩や藪で行き詰る。 試行錯誤を繰り返しながらようやく周囲が開けた所に這い上がった。 標高は2000m少々だったので、ここがガイドブックに記された『草付』の所だろう。 すでに笠新道の入口を出発してから4時間半も経っていたが、上を見上げるとまだこの先にはルートファインディングが必要な急斜面が続いていて、短時間では登ることが困難そうに思えた。 もちろんこの急斜面を登らないと杓子平には着かないが、天気も曇りがちで余り気乗りがしなかった。 ここからどのラインで登ろうかと思案しながら比較的登り易い尾根筋を登って行くと、幸運にも登山道が10mほどの長さで露出していた。 現在地が分かったことがとても嬉しく、活路が見出せたので、さらに上へと登ってみることにした。 登山道をイメージしながらその尾根筋をさら登っていくと傾斜が一段ときつくなった(40度ほど)ので、2本のピッケルで確保しながら足場を作って慎重に登る。 登山道から標高差で50mほど直登すると、岩と密集した灌木に行く手を阻まれた。 落胆する間もなく、いきなり足元の雪が崩れ、胸まで落ちた。 冷や汗をかいたばかりか、斜面が急なので這い上がるのも一苦労だった。 気を取り直して周囲に登山道らしき所がないか探したが、残念ながら見つからなかった。  雪も舞ってきたので行動を中止し、一旦2000m地点まで引き返すことにした。 登山道を大きく外すと、杓子平まで重い荷物を背負っては行けそうな感じがしなかったので、やむなくここで幕営することにした。 テントを設営していると雪はやんだので、明日の下見にと再び登山道が露出している所まで空身で登り、今度はそこから右方向へトラバース気味に登ってみた。 先ほどと同じ高さまで登ると、その先は沢状地形となっていて、見通すことが出来なかった。 逆に足下は遥か800m下の左俣谷まで一気に切れ落ちている。 スタカットで行ければ活路はあるが、スノーバーを使った自己確保システムでは時間が掛かり過ぎるので、曇天ということを差し置いても、不確実性要素が大きく気乗りがしなかった。 再びテン場まで戻り、杓子平までのルートを模索したが、やはり核心部は下からは見えないので、後ろ髪を引かれつつも今回は笠ケ岳に登るのを断念することにした。 気持ちを切り替えて、今度は下山ルートの下見をする。 1800m地点からこのテン場に至ったルートは複雑で、下るにも時間が掛かりそうだったからだ。 登ってきたトレースとは反対方向に少し下ると、運良く雪から僅かに露出していた登山道の階段部分を見つけ、その先の登山道らしき道形にトレースを付ける。 テントに戻るとすでに5時を過ぎていた。 夕食の準備をしながら明日の計画を考える。 今日のような曇天だったら潔く新穂高温泉に下り、晴れたら笠新道の入口に荷物をデポして弓折岳か大ノマ岳(あるいは両方)に登ることにした。 生憎の曇天で夕焼けに染まる槍・穂高の景色は叶わず、7時過ぎにシュラフに潜りこんだ。 その瞬間“ドカン!”という音が響き渡った。 その音が何だかすぐに分かったので、慌ててシュラフから飛び出してテントの外に出る。 畳ほどの大きさの雪のブロックが100mほど先の斜面を次々と転がって行く。 テントの上の斜面を見上げるが、こちらはとりあえず大丈夫なようで安堵した。 デブリの写真を撮っていると、先ほどよりも規模は小さいが第二弾、三弾が続けて起きた。 予知能力が働いたのか、雪崩のあった斜面の上は先ほど下見に行った先のブラインドコーナーであり、結果的に行かなくて良かったと思うと同時に、明日の下山に何の未練も無くなった。


左俣林道の笠新道の入口


1700mを超えた辺りからルートファインディングが難しくなった


1800m地点から見た穂高連峰


1800mを超えた辺りから急斜面の樹林帯を登る


2000m地点の『草付』


2000m地点から見た杓子平方面


2000m地点で幕営する


ブロック雪崩の跡(中央の黒い筋)


幕場から見た日没直前の槍ケ岳方面


    翌朝は4時過ぎにテントを撤収し、未明の槍・穂高の景色を堪能する。 周囲が明るくなった4時半に笠新道の入口へと下る。 昨日の入念な下見が功を奏し、1800m地点まで迷うことなくスムースに下ることが出来た。 嬉しいことに天気は良いようで、間もなく樹間から朝陽に染まる焼岳や乗鞍が望まれた。 その後は自分のトレースを辿って難なく下ることが出来たが、トレースがなければ下山もままならず、当初から笠新道を下山路として選ばなくて良かったと思った。 予想よりもだいぶ早く6時過ぎに笠新道の入口に到着。 天気は相変わらず良いので、テントなどの荷物をデポして6時半にわさび平小屋方面に向かって左俣林道を歩き始める。 すぐに林道を巨大なデブリが覆っていたが、何とその上を見上げると、昨日雪崩のあった杓子平直下の斜面が見えた。 GWも営業していなかったわさび平小屋を過ぎると左俣林道も雪で覆われ、一昨年のGW明けよりも残雪が多かった。 昨日のものと思われるトレースが3つ4つあったが、今日のものはまだ無かった。 その先の林道の分岐までの2か所のデブリも一昨年より規模は大きかったが、荷物が軽かったせいか歩き易かった。 左俣谷に架かる橋の手前で左俣林道を右に分け、トレースを拾ってデブリで埋め尽くされた秩父沢方面へ入る。 正面にはまだ雪に覆われた弓折岳が鎮座している。 天気は曇天だった昨日とはまるで違う晴天で、GWらしい強烈な陽射しが容赦なく降り注ぐ。 周囲には人影が全くなく、天気の良い週末とは思えない静かさだ。 背後に穂高が、右手には槍が再び見え始めた。 秩父沢手前の広大なデブリ地帯の通過も、荷物が軽いので全く苦にならない。 左手の頭上に大ノマ乗越(稜線の鞍部)が見えてくると鏡平の入口となるシシウドが原だ。 辿ってきた秩父沢方面を見下ろすが、誰も登ってこない。 今日はこの広いフィールドを貸切りのようで気分が良い。 シシウドが原からトレースは全て鏡平方面に向かっていた。 鏡平経由でも、あるいは一昨年登った弓折岳への尾根を利用しても大ノマ岳や弓折岳に登れるが、以前は登山道があった大ノマ乗越への広い沢を登ることにした。 シシウドが原と大ノマ乗越の標高差は500mほどで、沢はデブリが少ない良い“ゲレンデ”だ。 一昨年は大ノマ乗越に雪庇が張り出していた記憶があるが、果たして今日はどうだろうか。 気温の上昇で雪面は柔らかくなってきたが、それほど登りにくくはなかった。 30分ほど登った所で少し傾斜がきつくなったのでアイゼンを着ける。 荷物が軽いので登高は捗り、シシウドが原から1時間少々で大ノマ乗越の直下に着いた。 そこには1週間前位に使ったと思われる確保用のバケツが掘られていた。 そこから指呼の間の乗越までは傾斜が一段ときつくなった(40度ほど)ので、2本のピッケルで確保しながら足場を作って慎重に登る。 乗越には雪庇の名残が見られたので乗越よりも少し左の稜線を目指して登る。 登りながら右手の乗越を見ると、悔しいことにそちらの方が簡単に登れそうだった。 逆に左の稜線には下からは分からなかった垂直に近い3mほどの雪壁があり、そこを這い上がるには(自己)確保が必要な状態だった。 急がば回れで、一旦バケツ付近まで後戻りし、乗越へと登り返した。 辿り着いた乗越からは槍や穂高の展望は言うに及ばず、反対側には双六岳が大きく望まれ、まるで山頂に着いたかのように嬉しかった。 乗越からは大ノマ岳と弓折岳のどちらでも登れたが、少しでも笠ケ岳に近づきたいという思いから大ノマ岳に向かう。 幅の広い稜線を登るが、予想どおり稜線にはトレースはなかった。 登るにつれて、黒部五郎、鷲羽、薬師などの山々が見えるようになり、疲れてはいるものの足取りは軽くなった。 大ノマ乗越から30分ほど登り、正午前に大ノマ岳の広い山頂に着く。 意外にも山頂からは笠ケ岳が抜戸岳に隠されて見えなかった。 山頂は風もなく穏やかで、30分ほどのんびりと寛ぐ。 頭上には珍しい光の輪(太陽の暈)が見られた。 笠ケ岳への登頂は叶わなかったが、槍や穂高の展望も申し分なく、マイナーなピークながらも展望には充分満足出来た。 12時半前に山頂を辞して往路を戻る。 大ノマ乗越へはフィルムクラストした斜面が続き、喉から手が出るほどスキーが欲しかった。 乗越からの広い沢の雪はほどよく腐り、スキーが無くても10分ほどで一気にシシウドが原まで駆け下りてしまった。 運良くちょうど薄い雲が湧き始め、照り返しの暑さと踏み抜きが辛いと思われた秩父沢付近のデブリ地帯も全く快適に下ることが出来た。 左俣林道にはそこらじゅうにフキノトウが芽吹いていたので、とびっきり新鮮なものを少しだけ収穫した。 笠新道の入口でデポした荷物をピックアップする。 林道の残雪は昨日よりも明らかに少なくなり、雪解けが確実に進んでいることを実感した。 目標を失った身には退屈な林道歩きが堪える。 4時半前に新穂高温泉の駐車場に戻ったが、まだ震災の影響が続いているのか、2日間とも山中では誰にも出会うことはなかった。


幕場から見た早朝の槍ケ岳方面


幕場から見た早朝の穂高連峰


幕場付近から見た早朝の焼岳(左)と乗鞍(右)


左俣林道を覆っていたデブリを見上げると、杓子平直下の斜面が見えた


GWも営業していなかったわさび平小屋


左俣谷に架かる橋の手前からトレースを拾って秩父沢方面へ入る


秩父沢手前の広大なデブリ地帯


秩父沢出合付近から見た弓折岳


秩父沢出合付近から見た大ノマ岳


シシウドが原から見た大ノマ乗越への広い沢


沢の中間部から見た大ノマ乗越


沢の上部から見た大ノマ乗越


沢の上部から見た穂高連峰


乗越には雪庇が無いことが分かったので、一旦後戻りして登り返す


大ノマ乗越から見た双六岳


大ノマ乗越から大ノマ岳への広い稜線


大ノマ岳への登りから見た弓折岳


雪庇の発達した大ノマ岳の頂稜部


大ノマ岳の山頂から見た槍ケ岳


大ノマ岳の山頂から見た抜戸岳(左端)


大ノマ岳の山頂から見た黒部五郎岳


大ノマ岳の山頂から見た鷲羽岳(中央奥)


山頂で見られた光の輪(太陽の暈)


大ノマ乗越からの広い沢を一気にシシウドが原まで駆け下りる


左俣林道にはそこらじゅうにフキノトウが芽吹いていた


2 0 1 1 年    ・    山 行 の 報 告    ・    T O P