2010年7月

《 12日 〜 17日 》    アルパマヨ( 5 9 4 7 m )

    ワラス( 3 0 9 0 m ) 〜 カシャパンパ( 3 0 0 0 m ) 〜 イチ・コーチャ( 3 8 5 0 m ) 〜 アルパマヨB.C( 4 3 3 0 m ) 〜 キャンプ・モレーナ( 4 9 0 0 m ) 〜 H.C( 5 4 0 0 m ) 〜 アルパマヨ( 5 9 4 7 0 m ) 〜 H.C( 5 4 0 0 m )

    アルパマヨ(5947m)は一昔前にドイツの山岳雑誌社が世界中の著名な登山家に行ったアンケートで“世界一美しい山”に選ばれたブランカ山群のシンボル的な山であり、深田久弥氏もこの山を「鋭い三角錐のまことに胸のすくような美しい姿」と描写し、未完に終わった『世界百名山』の一峰に選んでいた山である。 残念ながら今回は世界一美しいと称された北西壁(アルパマヨ谷)からの雄姿を見ることなく、反対側のサンタクルス谷からアプロチーチしたが、ヒマラヤ襞の発達した南西壁やB.Cから眺めた山容は充分芸術的かつ魅力的でした。 H.Cから山頂へは『フェラーリ・ルート』という急傾斜の氷雪壁を登るのが一般的でしたが、数年前に頂上稜線の雪庇が崩れてからは、より難易度の高い『フレンチダイレクト・ルート』が一般的となり、今回はこの50度〜60度の氷雪壁を現地ガイドとのマンツーマンで登りました。 ダブルアックスによる8ピッチの登攀です。 以前はベテランのみが立ち入れる山域でしたが、ブランカ山群の山を熟知したガイドの平岡さんとペルー随一の技術を誇る現地ガイドチームとの連携により登頂が叶いました。 

  7月11日、天気は下り坂だと思われたが、嬉しいことに晴れていた。 朝食のバイキングの内容も良く、三ツ星ホテルにしては上等だった。 8時半に帰国する中山さん・鈴木さん・林ガイドをホテルの玄関で見送ると、電子辞書のお礼か、ベロニカがお土産用にエクスプロランデス社のロゴが入ったトレーナーを持ってホテルにやってきた。 

  今日は丸一日休養日だ。 3人を見送った後、ホテルで休養されるという島田さんを残して、予定どおり平岡さんと妻と3人でモンテレー温泉に遊びに行く。 ワラスのダウンタウンのほぼ真ん中にあるホテルから、町外れにあるモンテレー温泉までタクシーで10分ほどだった。 車窓からはワスカランも良く見えた。 昨年行った山間のチャンコス温泉とは違い、とても垢抜けた感じで、客層もやや上品な人が多かった。 湯舟がある個室の風呂と、大きなプールがあり、入場料は2.5ソーレス(約100円)だった。 

  昼食は島田さんを誘い、4人で昨年も行ったお目当てのフランス料理の店など数軒を回ったが、日曜日のためかどの店もお休みで、カサ・デ・ギア(ガイド組合)近くの庶民的なイタリア料理の店に落ち着いた。 ダウンタウンのメインストリートの人通りも少なめだった。 午後はホテルのロビーに置かれていた無料のPCでネットを見たり、明日からの後半戦に備えて装備の点検と荷物の整理をして過ごす。 突然「ワーッ!」という歓声が上がり、花火の音がした。 どうやらワールドカップでスペインが優勝したようだった。 

  日本語の習得に余念がないマックスとアグリに、昨夏ワスカランで亡くなられた三井孝夫さん(マックスがご遺体を収容した)の遺作となった『西和用語集』のコピーをあげようと思いつき、ワラス大学の近くのコピーサービスの店に行く。 その足で夕食を食べに平岡さんと妻と3人で再びお目当ての店に行くと、そのうちの一軒がやっていたが、お昼が休みだったせいかワールドカップが終わったためか、店が非常に混んでいてなかなか注文した料理が出てこなかった。 平岡さんがクレームをつけに席を立つと、エイドリアンというエベレストなどで活躍している知り合いの若いガイドと店内でバッタリ出会った。 彼が率いる複数のパーティーも私達とほぼ同時期にアルパマヨに入山するとのことだった。


帰国する中山さん・鈴木さん・林ガイドをホテルの玄関で見送る


モンテレー温泉に向かうタクシーの車窓から見たワスカラン


モンテレー温泉


モンテレー温泉のプール


湯舟がある個室の風呂


人通りの少ないワラスのダウンタウンのメインストリート


カサ・デ・ギア(ガイド組合)


イタリア料理の店でランチを食べる


ホテルの中庭


  7月12日、天気は生憎の曇天だった。 今日は昼過ぎにホテルを出発し、エージェントのマイクロバスで明日からのアルパマヨとキタラフの登山に向けて登山口のカシャパンパ(3000m)という小さな集落に向かう予定だ。 正午にホテルでチェックアウトを済ませてから、昨日行き損なったフランス料理の店で、牛肉・鶏肉・魚介、そしてアイスクリームをクレープの生地で包んだ料理に舌鼓を打つ。 

  2時にガイドのマックスとアグリ、そしてロナウとホテルのフロントで落ち合い、いよいよ後半戦のスタートだ。 マックスとアグリに昨夜コピーした三井孝夫さんの『西和用語集』を手渡すと、意外なプレゼントにとても喜び、途中のカラツの町の商店に立ち寄って、いとも簡単に製本してしまった。 こんなことが出来る店がこの小さな町にあるのかと驚いたが、聞けば意外にもカラツの方がカルアスよりも大きな町とのことだった。 

  カラツの町外れから未舗装の山道に入る。 道の状態は今までの山道の中で一番良い。 途中にゲートはあったが、無人で開いていた。 ゆるやかな勾配で徐々に標高を稼ぎ、ワラスから正味2時間ほどで登山口のカシャパンパに着いた。 カシャパンパはブランカ山群で一番メジャーなトレッキングコースであるサンタクルス谷への入山口でもあるため、水洗トイレのある有料のキャンプ場があり、今日はそこで泊まる。 天気は回復せず、テントを設営していると小雨が降ってきた。 キャンプ場の周囲の集落には犬やニワトリ、ガチョウといった家畜が多く、夜中じゅう鳴き声がうるさかった。


色鮮やかなケーキ店のケーキ


牛肉をクレープの生地で包んだ料理


アイスクリームをクレープの生地で包んだデザート


登山口のカシャパンパ


サンタクルス谷の案内版


カシャパンパのキャンプ場


  7月13日、入山1日目はカシャパンパ(3000m)から今日の目的地のイチコーチャ(3850m)のキャンプ地までサンタクルス谷のトレッキングコースを辿った。 今日から私と妻と島田さんと平岡さんの4人のこぢんまりとした隊となる。 トレッキングコースの入口の国立公園の管理事務所(詰所)で入山手続きを行い、8時に出発する。 

  入山者の多くは今朝ワラスの町を発ってくるので、私達の前後に他のパーティーの姿はない。 先頭を歩くマックスは私達の歩みが遅いので、『西和用語集』を片手に見ながら歩いていた。 最初は暗く狭隘で勾配のあったトレイルも、谷を流れる沢と合流してからはほぼ平らとなった。 谷は上流にいくほど広くなり、明るく開放的になってきた。 

  カシャパンパから昼食を挟んで5時間ほどで、次のキャンプ指定地のヤマコラル(3760m)に着いた。 ヤマコラルには小さな臨時の売店もあった。 生憎の曇天で谷の両側に聳えているカラツ(6025m)やサンタクルス(6529m)の頂稜部は見えなかったが、ここからようやく待望のタウリラフ(5830m)の雄姿を谷の奥に望むことが出来た。 標識には『カシャパンパから9.2キロ/イチコーチャまで3.7キロ』と記されていた。 

  ヤマコラルから沢沿いにほぼ平らなトレイルを1時間ほど歩き、今日の目的地のイチコーチャの湖畔のキャンプ地に着く。 “コーチャ”とはケチュア語で湖のことであるが、水量は少なく一部が湿原化していた。 水辺にはカモやその他の水鳥の姿も見られ、癒される風景だった。 メジャーなトレッキングコースなので途中何組ものパーティーとすれ違ったが、先ほど通過したヤマコラルとこの先にタウリパンパという広いキャンプ指定地があるため、他にここで泊まるパーティーはなかった。


国立公園の管理事務所(詰所)で入山手続きを行う


サンタクルス谷のトレッキングコースの起点


最初は勾配のあったトレイルも谷を流れる沢と合流してからはほぼ平らとなる


小さな臨時の売店もあるキャンプ指定地のヤマコラル


ヤマコラルから見たタウリラフ(5830m)


イチコーチャは水量が少なく一部が湿原化していた


イチコーチャのキャンプ地


  7月14日、入山2日目はイチコーチャ(3850m)のキャンプ地からアルアイコーチャ谷にあるB.C(4300m)に向かう。 残念ながら今日は昨日よりもさらに天気が悪く、山は霧に煙っている。 島田さんはマックスと二人で先行し、私達は予定どおり8時に出発する。

  昨日に引き続き勾配の殆どないトレイルを歩く。 陽射しがなく涼しいので歩くにはとても快適だ。 30分足らずでハトゥンコーチャという湖が見えてきた。 イチコーチャとは違い水量は豊富だが、曇天なので湖面の色は全く冴えない。 思ったよりも大きかったハトゥンコーチャを過ぎると、ようやく青空も少しだけ覗くようになった。 サンタクルス谷はますます広くなり、谷の入口からは想像も出来ないほどの平らな牧草地となった。

  イチコーチャから2時間ほどで、B.Cのあるアルアイコーチャ谷へのトレイルとサンタクルス谷のハイライトであるウニオン峠(4750m)へのトレイルとの分岐に着く。 B.Cから下りてきたパーティーからの情報では、数日前から悪い天気が続き、一昨日はH.Cで停滞していた20名ほどの登山者が(アルパマヨに)一斉に登ったため、落氷で顔などに怪我をした人もいたようだった。 

  分岐でしばらく休憩してからサンタクルス谷を離れ、B.Cに向かってジグザグに切られた登山道をゆっくり登る。 分岐から標高差で250mほど一気に登るとアルアイコーチャ谷に入り、再び平らな草原となった。 晴れていればここからアルパマヨとキタラフが一望出来るとのことだったが、今日はどちらも終始雲の帽子を被っていた。 

  正午前にイチコーチャから3時間半ほどで広く平らな牧草地の片隅にあるB.Cに着いた。  もう少し先にも快適なテントサイトがあるらしいが、湿っぽくて蚊が多いとのことで、こちらにテントが設営されていた。 今日は歩行距離も9キロと、昨日の3分の2くらいの労力で済んだので楽だったが、B.Cに着いたとたん小雨が降り出し、不安定な天気が今日も続いた。

  B.Cのキッチンテントで昼食を食べる。 順応もだいぶ進んできたので、食欲が旺盛になっているが、今日からはまた腹八分目にしておく。 午後は雨(山は雪)が降ったり止んだりしていた。 新雪が積もった状態ではアタック当日の天気が良くてもアルパマヨは登れないので、明日以降は天気が続いてくれることを祈る。 夕食前にH.Cで食べるアルファー米とカレー等のレトルト食品の配給があった。


ハトゥンコーチャ


ハトゥンコーチャを過ぎても谷は広かった


B.Cへ荷物を運ぶロバ


サンタクルス谷を離れ、アルアイコーチャ谷をアルパマヨB.Cへ登る


眼前に見えるはずのアルパマヨの頂は終始雲の帽子を被っていた


B.Cに着いたとたん雨が降り出し、不安定な天気が今日も続いた


食べ始めると止まらない炒ったトウモロコシ


夕食のチキンのクリームソース和え


  7月15日、入山3日目はB.C(4300m)から氷河の取り付きの手前にある通称『キャンプ・モレーナ』(4900m)に登る。 今日は久々の快晴で、早朝から山を眺めて興奮しながら写真を撮りまくる。 眼前には憧れのアルパマヨとキタラフが並んでその雄姿を惜しみなく披露し、サンタクルス谷を挟んでアルテソンラフ(6025m)やパロン(5600m)の尖峰も見えた。 

  今日こそは乾期らしい快晴の天気が一日中続くと思われたが、まだまだ天気は安定していないのか、8時半にB.Cを出発した時は早くも少し雲が広がり始めていた。 B.Cの外れに古い避難小屋があり、そこからジグザグの登山道となった。 良く踏まれた登り易い登山道1時間ほど登ると思いがけずプカフィルカ(6039m)やリンリフィルカ(5810m)、そしてその懐に抱かれたエメラルドグリーンの氷河湖(アルアイコーチャ)が見えるようになり、酸欠で重たい足取りが急に軽くなった。 

  登山道は終始とても登り易く、最後は大小の岩が積み重なったモレーン帯を少し登り、B.Cから2時間半ほどで今日の目的地のキャンプ・モレーナに着いた。 高所に順応していれば一日で楽にイチコーチャからB.Cを経てここまで登れるだろう。 キャンプ・モレーナには岩盤上の僅かな平らなスペースを巧みに利用したテントサイトが所々に見られた。 アルパマヨの頂稜部が頭上に大きく迫り、ロケーションは素晴らしい。 もちろん、キタラフやアルテソンラフも見える。 何組ものパーティーが次々と下山してきたが、果たして皆登頂出来たのだろうか?。

  早朝の青空が嘘のように今日も午後から次第に天気が崩れ始め、昼食を食べ終わると間もなく小粒の霰が降ってきた。 マックスとアグリ、そしてエルセリオがスノーバー等を使ってテントサイトを巧みに整地していたが、毎度のことながら彼らの土木技術には驚かされる。 キャンプ・モレーナは実質的にはH.Cだが、メンバーが4人なのでB.Cと同様にテントは2人で使え、風もなく快適に過ごせた。 夕方になると少し天気が回復し、夕食はペルーの伝統的な家庭料理のダルバートを外の石のテーブルで食べる。 夕食後は素晴らしい夕焼けの景色を堪能出来た。  夜中に動悸と軽い頭痛で4〜5回目が覚めた。 B.Cとは僅か600mの標高差しかないが体は正直だ。 まだ順応が出来ていないのかと嫌になる。


B.Cから見たアルパマヨ(右)とキタラフ(左)


B.Cから見たアルパマヨ


B.Cから見たキタラフ


B.Cから見たアルテソンラフ(右)とパロン(左)


B.Cの外れにあった古い避難小屋


アルアイコーチャ谷


プカフィルカ(左)とリンリフィルカ(右) 氷河湖(アルアイコーチャ)


キャンプ・モレーナから見たアルテソンラフ


キャンプ・モレーナから見たキタラフ


キャンプ・モレーナから見たアルパマヨ


キャンプ・モレーナのテントサイト


スノーバー等を使ってテントサイトを巧みに整地する


ペルーの伝統的な家庭料理のダルバート


素晴らしい夕焼けの景色を堪能する


  7月16日、入山4日目はキャンプ・モレーナ(4900m)から氷河上のH.C(5400m)に登る。 昨夜の夕焼け空はあてにならず、早朝から小雪が舞っていた。 テント内の気温も3度と冷え込んでいた。 この分では明日のアタックも天気に悩まされそうだ。

  天気は少し良くなり、キャンプ・モレーナを8時過ぎに出発する。 氷河の取り付きまで僅かに岩場を登り、取り付きからアイゼンを着け、アグリに島田さんと平岡さん、マックスに妻と私がそれぞれアンザイレンして明瞭に印されたトレースを辿る。 勾配の緩い斜面をトラバース気味に登るが、島田さんのペースが遅いので疲れる。 最初は暑いくらいの陽射しがあったが、次第に再び曇りがちの天気となった。 今日も不思議と風は全くない。 氷河の取り付きから2時間ほど登ったセラック帯直下の平坦地で休憩し、アルパマヨとキタラフを繋ぐ稜線上のコルに向けてセラックの間を縫うように登る。 最後にコルの直下の急斜面をスタカットで1ピッチ登ると、眼前に写真で見たアルパマヨの南西壁が神々しく望まれた。 明日はあの雪壁の真ん中を直登するということか。 そのあまりの迫力に、気後れするというよりも現実味が湧かなかった。 以前はこのコルがH.Cとして使われていたが、今は氷河の状態が不安定なので、コルを越えて少し下った平坦地がH.Cになっているとのことだった。

  コルから標高差で100m近く下り、キャンプ・モレーナから5時間ほどで今日から4泊するH.Cに着いた。 アルパマヨとキタラフを登らない妻はここが今回の最終到達地点となる。 ハイシーズンなのでテントの数もそれなりにあり、アルパマヨの南西壁を下降している登山者が肉眼でもはっきり見える。 H.Cは広く平らで住環境も良いばかりか絶好のロケーションを誇っており、曇天ながらキタラフもその全容を現し、サンタクルスの頂稜部も初めて見えた。 アルパマヨから登頂者が下山してくると、敬意を表してテントサイトから自然と拍手や歓声が上がる。 登れた人の表情もちょっと誇らしげだ。 

  スタッフが作ってくれたスープを飲み終えると、平岡さんから登山者が意外と多いので、明日は渋滞を避けるために2時に出発するとの指示があった。 当初予定していたフィックスロープは張らずに、終始ダブルアックスで登るとのことで、にわかに緊張が走った。 パーティーの編成はアグリがトップで私と平岡さん、後続にマックス、島田さん、ロナウとなった。 セカンドは2本のロープで並行しながら同時に登攀する方式だ。 以前は『フェラーリ・ルート』という南西壁の中央左の一般ルートを直登したが、数年前に稜線の雪庇が崩壊してからはルートの状態が悪くなり、現在ではその当時上級グレードとされた『フレンチダイレクト・ルート』という南西壁の中央を真っ直ぐ山頂に突き上げるルートが一般ルートになっているとのこと。 天気は相変わらず不安定で、夕方から雪が舞い始めたが、一方で燃えるような夕焼けとアーベンロートに染まる妖艶なアルパマヨを見ることが出来た。 雪は小降りであるがなかなか降り止まず、たぶん明日のアタックは中止になるのではないかと(そうなれば次のキタラフのアタックも自動的になくなる)思った。


キャンプ・モレーナから見たアルパマヨ


氷河の取り付き付近の明瞭に印されたトレースを辿る


アルパマヨとキタラフの間のコルに向けて登る


キタラフを正面に見ながらトラバース気味に登る


アルテソンラフ(右奥はワスカラン)


アルパマヨとキタラフの間のコルの手前のセラック帯


コルの直前の急斜面をスタカットで1ピッチ登る


コルから見たアルパマヨの南西壁


H.Cから見たキタラフ


燃えるような夕焼け


アーベンロートに染まるアルパマヨの南西壁


  7月17日、予想どおり軽い頭痛と動悸で殆ど眠れないまま零時半に起床する。 当初からこの高度で4泊しなければならない妻のことが心配だったが、逆に私よりも体調は良さそうで安堵する。 アルファー米を少量ずつゆっくり食べ、無理やり用も足す。 雪は降り止んだが星は見えず、天気の予想は全くつかない。 今日は登攀に集中するためカメラをザックにしまった。

  留守番役の妻に見送られ、渋滞を避けるため予定どおり2時に出発したが、すでに先行パーティーのヘッドランプの灯りがいくつか上に見えた。 頂上に至る雪壁の基部にある巨大なシュルントまでは明瞭なトレースを辿る。 次第に勾配が急になり緊張感が高まってくるが、昨日の降雪の影響はなさそうで安堵する。 今日も不思議と風は全くない。 予想どおりシュルントの縁を越える所が非常に困難で、先行パーティーで渋滞していた。 核心部は僅か数メートルであるが、かぶり気味の雪壁に暗さが手伝って初見では正しいルートを見極めるのは大変だ。 30分以上も待たされ、寒さと高度の影響で足の指先が冷たくなってくる。 穏やかなアグリもしびれを切らして強引に割り込み、平岡さんがそれに続く。 私も上から確保されながら両手のバイルを頭上に深く打ち込み、垂壁を強引に乗り越える。 結局ここが今日一番の難所で、ここで敗退したパーティーもいた。 

  シュルントから先では常に傾斜が50度を超え、山頂まで終始ダブルアックスでの登攀となった。 トップのアグリが60mのダブルロープ一杯で登り、私と平岡さんが各々1本ずつのロープで確保されながら同時に登攀する。 アグリの待つビレイポイントに着くと、セルフを取り、休む間もなくアグリを確保するために2本のロープを繰り出す。 足場が不安定なこともあり、6000m近い高度ではこの作業だけでも大変だった。 酸素の供給が追いつかず、足の指先の冷たさが治らない。 先行パーティーとアグリが落とす雪や氷の塊が容赦なく頭や肩、そして腕や足に断続的に当たる。 ヘルメットを被っていても頭にたんこぶができ、ムチ打ち症になるほどの衝撃だ。 間もなく先行している2パーティーのうち、男女のペアのパーティーを追い抜く。 周囲が明るくなり朝焼けが始まったが、落雪(氷)はますますひどくなり、写真を撮るどころではない。 平岡さんも右手首を痛烈に打撲した。 天気はあまり良くないが、相変わらず風がないのが幸いだ。 気温も少し上昇したのか、ようやく足の指先の冷たさからも解放された。 頂上稜線が見え始めた頃に先行パーティーを追い抜いてトップに立つ。 最終ピッチでアグリがあと20分で山頂だと励ましてくれ、ようやく登頂を確信した。

  合計8ピッチの刺激的な登攀を終えると、『フレンチダイレクト・ルート』の名称どおり終了点がそのまま猫の額ほどの狭い山頂だった。 陽射しは感じるが霧が山頂付近を覆い、楽しみにしていた大展望は叶えられなかったが、世界一美しい山の頂に辿り着けただけで充分満足だった。 山頂には9時少し前に着いたので、H.Cからは7時間弱を要した。 アグリと平岡さんに喜びと感謝の気持ちを体全身で伝え、仁王立ちして登頂の余韻に浸る。 無線でH.Cいる妻に登頂の喜びを伝えると、妻も下から双眼鏡で登攀の様子を眺めていたとのこと。 間もなく山頂に着いたアメリカ人のパーティーと登頂を称え合い、お互いの写真を撮り合った。 風もなく穏やかだったので、霧が晴れることを願いながら山頂で後続の島田さんのパーティーを待つ。 10時半過ぎになってようやく島田さん達が到着し、皆で記念写真を撮って早々に下山する。 ようやく少し霧が晴れてキタラフや足元のH.Cが見えた。 下りはバイルをザックにしまい、全て懸垂下降で下る。 相変わらず下りも落雪(氷)に悩まされ、最後の最後で手の甲を痛烈に打撲し、もうこれでキタラフは駄目かなと思った。 島田さんもスネをやられたらしい。 

  午後の1時半過ぎに留守番役の妻に出迎えられ、テント村からの熱い視線を感じながら誇らしげにH.Cに下山する。 結局私達以外に今日山頂まで登ったのは2パーティーだけだった。 妻も相変わらず元気な様子で安堵した。 装備を解いてから早速妻に今日の出来事を詳しく報告する。 夕方になるとまた雪が舞い始め、日没後はかなりの降雪があった。 夜半にはスタッフ達がテントの周りの雪かきをしてくれた。


H.Cを2時に出発する


H.Cから見たアルパマヨの南西壁(中央上の黒い点々が登山者)    <妻の撮影>


H.Cから見たアルパマヨの南西壁    <妻の撮影>


アルパマヨの山頂


アルパマヨの山頂    アグリ(左)と平岡さん(右)


アルパマヨの山頂に辿り着いた島田さん


アルパマヨの山頂    右からマックス ・ 私 ・ 島田さん ・ アグリ ・ ロナウ


下りは全て懸垂下降で下る


アルパマヨの山頂から見たキタラフ


核心となった雪壁の基部にある巨大なシュルント


キタラフを眺めながら誇らしげにH.Cに下る


H.Cのテント村


妻に出迎えられH.Cに下山する


アグリと喜びを分かち合う


2 0 1 0 年    ・    山 行 の 報 告    ・    T O P