2010年1月  

《 9日 〜 10日 》    プロローグ

  2006年の年末に妻と初めてニュージーランド(NZ)を訪れた。 NZは面積が日本の約4分の3、人口は約400万人で、北島と南島という二つの大きな島からなる国である。 人口の4分の3が北島(赤道に近い方)の都市部に集中しているため、南島(南極に近い方)では都市部以外は殆ど人が住んでいない。 この旅ではNZに11日間滞在し、いつか登ってみたいという漠然とした憧れを持っていた最高峰のアオラキ/Mt.クック(3754m)とNZのマッターホルンと呼ばれる名峰Mt.アスパイアリング(3033m)への登頂の可能性を探りながら、同峰が聳える南島の山岳地帯を中心にレンタカーを使って移動し、1500m〜2000m前後の山を日帰りで5座登った。 しかしながら、滞在期間中の天気はずっと悪く、一日中快晴という日は一日もなかった。

  NZは歴史の浅い国なので、日本のような昔ながらの峠道や古道はなく、また(登山)人口も少ないため必然的に山頂まで登山道がある山は殆どない。 また、緯度が高いため森林限界は1000mほどの高さで、1500m以上の山には夏でも残雪が見られた。 南島にはサザンアルプスという大きな山脈に3000mを超す山が23座ほどあり、2000m以上の山には氷河がある。 スイスのように観光用のロープウェイや登山電車はないので、3000mを超す山の登山には観光用のヘリコプターやスキープレーンをアプローチに使うことが主流になっている。 NZの氷河の山への登山はベースとなる無人の山小屋に泊まり、日帰りでアタックするのが一般的だ。 このうちクックとアスパイアリングについては『ニュージーランドハイキング案内』という本邦で唯一のNZの山のガイドブックにその詳細が記されているが、この旅を計画した当時はネット上にこれらの山を登頂した記録は殆どなく、クックについては登山愛好家で医師の故脇坂順一氏がその著書の中で“これまでに登った山の中で最も危険きわまりないスリル満点の山”と評していたことが、また、アスパイアリングについては以前キリマンジャロ登山でご一緒した方が“氷壁をダブルアックスで登る山”と語っていたことが記憶に新しく、そのイメージがネットの情報に勝っていた。 それゆえ、この旅ではクックの登山拠点となるマウントクック村に3泊、アスパイアリングの登山拠点となるワナカに2泊し、登山やハイキングの合間に現地のエージェントであるアルパインガイズ社(AGL)や国立公園の管理事務所(DOC)を訪ねて情報の収集に精を出した。 当時たまたまAGLの事務所にこれからクックに登るという日本人の登山者がいたので、その方からも色々と貴重な話を伺うことが出来た。 また帰国後にその方から届いたメールでは、ベースの山小屋へは入れたものの、大雪と天候不良のため核心部の岩稜登攀をすることなく、氷河をラッセルしただけで(滞在期間も含めて)時間切れとなり、登頂は叶えられなかったということだった。 尚、AGLには不定期だが、山岳ガイドの平岡さんが年末年始の前後1〜2ヶ月間その所属ガイドとして働いていることも分かった(この年は不在だった)。 一方、ワナカでも曇天が続き、3日間の滞在中一度もアスパイアリングの姿さえ見ることが出来なかった。 たまたま私達がNZに滞在した時の天候が悪かったのかも知れないが、NZの氷河の山を登ることの難しさを体感し、その中でも特にクックはルート上の危険性もあり、お気楽な私には敷居が高いように思えた。

  帰国後私の頭の中ではクックは潔く諦め、アスパイアリングだけは登りたいという気持ちに変わっていったが、2008年の夏に当の平岡さんと南米のボリビアの山に一緒に行く機会に恵まれたことがきっかけで、再びNZの山への情熱に火が付いた。 そのことを平岡さんに相談すると、プライベートガイドとしてではなく、私のスケジュールに合わせてAGLの所属ガイドとして私をガイドすることが出来るとのことであり、またその方が何かとメリットが多いということだった。 外国人のガイドに負けない資質と力量のある平岡さんがガイドをしてくれれば、登頂の可能性はより一層高まり、またもし天候などが悪くて希望の山に登れない時でも、柔軟に他の山をガイドしてもらえるという自由がきくのも魅力だ。 登山の適期は、平岡さんの経験では1月の中旬から下旬が一番良いとのことだった。 年末年始の方が長期休暇を取るには都合が良いが、この時期の天気はあまり安定せず、山も混雑するので避けた方が良いとのことだった。

  AGLのクック登山のプログラムは6日間(以前は7日間)で費用は4850NZ$(今回は1NZ$が約75円だったので、邦貨で360000円)、アスパイアリング登山のプログラムは5日間で費用は3760NZ$(邦貨で280000円)である。 尚、アスパイアリング登山では1対2のガイドが可能で、その場合の費用は2人分で5380NZ$(邦貨で400000円)である。 この料金には、期間中のガイド料、食料費、山小屋及びマウントクック村やワナカでの宿泊費、入山時のヘリコプター代、登攀具のレンタル料金などが含まれている。 また登山期間の延長料金は1日あたり575NZ$(邦貨で42000円)である。 この金額はプライベートガイド以上に高いようにも見えるが、この山ならではの特異なヘリの手配や食事、レスキュー体制、そして何よりもAGLの持つ各種のネットワークとタイムリーな情報を利用出来ることが最大の魅力である。 

  クック登山のプログラムは6日間の日程だが、ベースとなる山小屋への入下山には最低2日掛かる(悪天候でヘリが飛べない時はさらに日数が掛かる)ので、アタックが可能な日は4日間しかない。 夏でも1日で数10センチの降雪が度々あるクックの気象条件の厳しさを考えると、確実に登頂するためには最低でも10日間くらいの日程が必要だと思われた。 一方、場合によっては半月待っても登れないことがこの山では充分あり得る。 休暇との兼ね合いもあったが、前回の下見の経験を活かして今回はクック(私のみ)とアスパイアリング(私と妻)の登山のプログラムに2日間の予備日を加えた13日間の登山日程で臨むことにした。 すなわち、この方法では最初にどちらかの山にプログラムの期間よりも早く登れた場合には、その分だけ次の山の予備日が増えるということであり、また、運が良ければ最初の山から下山する日に次の山に入山することも可能である。 さらに運良くプログラムの期間よりも早く二つの山に登れた場合には、追加料金なしで予備日に他の山にも登ることも出来る。 登る山の順番については現地入りしてから天気の状況を見て決めることになったが、私の希望は最初に少しでも登頂の可能性が高いアスパイアリングに妻と登り、その後は天候待ちをしながら運が良ければクックにも登るということだった。 尚、クックへ登るのは私のみなので、この間の妻の宿泊費と食料費は本来自己負担になるが、平岡さんがAGLに交渉してくれて無料になった。 尚、NZでは国内に山岳ガイドが少なく、他の国からのガイドで運営しているAGLの登山のプログラム(延長を含む)の予約は直前では難しく、数ヶ月前からした方が良い。

  2010年1月9日の夕方6時半、NZ航空のクライストチャーチ行きの直行便で成田を出発する。 他の航空会社でさらに安いチケットもあったが、この便は翌日の午前10時にクライストチャーチに着き、帰りは朝の5時40分にクライストチャーチを発って、オークランド経由でその日の夕方4時半に成田に着くので、日程を最大限効率的に使え、また航空券単体の価格は@151000円とこの時期にしては安かった。 尚、予約したのは9月下旬だが、年末年始の出発では10月以降の予約では難しいかもしれない。 NZはサマータイムで夏は時差が4時間あり、成田からクライストチャーチまでの所要時間は11時間半だった。 NZの税関は持ち込まれる食品や靴底の汚れに大変厳しく、前回はかなり入念に調べられたが、今回は形だけの検査で拍子抜けした。

  3日前に就労ビザの申請などで先にNZ入りした平岡さんと11時過ぎに無事出国ロビーで落ち合い、空港のパーキングからレンタカーに乗る。 平岡さんがネットで地元の業者に予約した右ハンドルのフォードのステーションワゴンは2000CCで、損害保険料込みのレンタル料は邦貨で1日約3800円と大手のレンタカー会社に比べて3割ほど割安だった。 平岡さんの運転でメスベンにある知人宅の倉庫に預けた山道具を取りに行きながらマウントクック村へ向かう。 前回と比較しても意味がないことだが、NZは今日も曇天だった。 車中では昨年の夏のペルーや秋のアマ・ダブラムの話に花が咲き、今後の海外の山の予定や方向性についてお互い語り合った。 ジェラルディンの『SUBWAY』で昼食を食べ、ここから運転を代わると間もなく雨が降ってきた。 やはりNZとは相性が悪いのだろうかと少し憂鬱になる。 途中トイレ休憩のために寄ったテカポ湖の湖岸では急な土砂降りの雨の後に霰も降ってきて気温も一気に下がった。 もちろん、残念ながら湖畔からクックの雄姿は望めない。 運転を平岡さんに代わり、寒々しい天気の中を1時間ほど走って夕方の5時過ぎにマウントクック村随一の高級ホテルである『ハーミテージ』に着いた。 NZは夏だが気温は6℃しかなく冬の日本より寒く感じる。 この分では山は雪だろう。 

  今回お世話になるアルパインガイズ社(AGL)は、前回訪れた時は独立した事務所を村内に構えていたが、2年前にハーミテージホテルが改装工事を行った際にその1階の土産物店の奥に事務所を移転したとのことだった。 AGLの社長のブライアンに会い、さっそく平岡さんが山の状況を聞く。 ブライアンの話では数日前にクックで1mほどの積雪があり、ここ数日クックには登れない状況が続いているとのことだった。 また今日も50センチほど降ったので、しばらくは登れないだろうとのことだった。 もしクックを6日間の登山プログラムだけで臨んでいたら、この段階で登頂の可能性は極めて低くなってしまうだろう。 のっけから絶望的な話しではあったが、私の頭の中のクックのイメージではその程度の事は織り込み済みなので、気持ちの動揺はそれほどなかった。 図らずも私の希望どおり最初にアスパイアリングに行くことになりそうだ。 

  AGLには明日の午前中に再訪することにして、ここから3キロほど離れたNZ山岳会が運営している『アンウィンロッジ』に向かう。 以前はAGLの事務所の近くに自前のロッジがあったが、これも合理化により廃止し、現在ではこの形態になったようだ。 今日はまだ登山プログラムの開始前なので宿泊代の@25NZドル(邦貨で約1900円)を管理人に支払う。 ロッジの寝室は一部屋に5〜10人が二段ベットで泊まれるシンプルなドミトリータイプで、トイレとシャワーは共同である。 食堂やソファーが置かれた居間と同じフロアの広いキッチンは開放感があってとても良い。 予期していたことだが、ロッジでスイス人の女性ガイドのスーザンと10年ぶりに再会する。 スーザンには2001年の夏にスイスのドム(4545m)をガイドしてもらったが、いつも超過密スケジュールゆえ私達のことは覚えていないとのことだった。 尚、スーザンは7年前に知人の三宅さんをクックに、5年前に西廣さん夫妻をモンテ・ローザにガイドしている。 スーザンは毎年この時期はNZでAGLのガイドをしているが、その働きぶりはスイスと同様に男性顔負けで、今シーズンもすでに5回もクックに登ったとのことだった。 もしかしたら世界一クックに登った回数が多いガイドかもしれない。 スーザンの話しによると、クックでは年末にかけて好天が続いたが、年が明けてからは天気が悪い日が続いているとのことだった。 

  明日からは平岡さんがAGLのガイドとして毎日食事を作ってくれることになっている。 一日早いが今晩は日本食が好みの私達のために、中華系の味付けの料理にご飯を炊いてくれた。 ガイドも合理化によりこのロッジではなくクック村にあるガイド専用のアパートを使用するとのことで、夕食後は明日以降のスケジュールの確認と打合わせを行う。 一番隅の5人部屋をAGLが貸し切っていたので、今日は二人だけでその部屋に泊まる。 風邪気味のせいか暖房のない部屋は寒々しく感じ、上下ともダウンを着込んで寝袋に入った。



2006年12月に初めて登ったNZの山(アバランチピーク/1833m)の山頂


クライストチャーチ空港からレンタカーでマウントクック村に移動する


寒々しい天気のマウントクック村


AGLの事務所で社長のブライアンに山の状況を聞く


アンウィンロッジのダイニングキッチンは開放感があってとても良い


スイス人の女性ガイドのスーザンと10年ぶりに再会する


キッチンで腕を揮うガイドの平岡さん


シンプルなドミトリータイプのアンウィンロッジの寝室


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