《 19日 〜 21日 》 剣岳
《 19日 》 扇沢 ⇒ 黒部ダム 〜 内蔵助平 〜 ハシゴ谷乗越 〜 真砂沢ロッジ(テント泊)
初のSWの5連休はどの山域でも混雑は必至だ。 マイナーなルートとして南アルプスの『仙塩尾根』の未踏破部分の縦走も考えていたが、山仲間の西さん&セッちゃんが剱岳の北方稜線に行かれるとのことで、私も行ってみることにした。 北方稜線は10年前の夏に以前所属していた山の会のメンバー6人で別山尾根から剱岳に登り小窓まで縦走しているので、今回はSWの混雑を念頭に黒部ダムからハシゴ谷乗越を経由して真砂沢に入り、ここをベースに初登ルートの長次郎谷(左俣)を登り、長次郎のコルから稜線の核心部を三ノ窓まで縦走して三ノ窓谷を下るという周回コースとした。 恐らく全く同じルートを辿る人はいないだろう。 車の渋滞を考慮して扇沢の駐車場で前泊し、大した混雑もなく7時発のトロリーバスで黒部ダムへと向かう。 ダムの通路の出口で私達を待っていてくれた西さん&セッちゃんと黒部川まで一緒に下り、真砂沢からさらに剣沢を登って剣山荘まで行かれる2人を見送って、久々に20キロの重荷に喘ぎながら黒部川に沿って下る。 初めのうちは前後に大勢のパーティーの姿が見えたが、内蔵助谷への分岐を過ぎると下の廊下に行くパーティーや丸山東壁を登るクライマーなどが次々と姿を消し、真砂沢方面に向かう登山者は半分以下になった。 途中の登山道の地面に蜂の巣があり、付近に沢山の蜂が群れていたので急いで通過したが、執拗に追いかけられた末に妻が腕を刺されてしまった。 刺された所が赤く腫れ、痛みもかなりある様子だ。 後で聞いた話しでは運悪くセッちゃんも同じ場所で蜂に刺されたという。 内蔵助平を過ぎると前後のパーティーもまばらになった。 ハシゴ谷乗越を過ぎて少し下った所からは八ツ峰が剱岳の本峰よりも立派に見え、明日辿る長次郎谷(左俣)の上部の雪渓も小さく見えた。 真砂沢に下り、仮設の木の橋を渡ってから二股方面への道を右に分け、既に残雪のなくなった登山道を登って真砂沢ロッジに向かう。 2時過ぎに真砂沢ロッジに到着。 山小屋の前の広いテントスペースにはまだ2張ほどしかテントが張られておらず、一番広くて快適そうな場所にテントを設営する。 山小屋で受付をすると、八ツ峰などへの登山者が多いためか、山小屋の管理人さんから明日の行き先を訊かれた。 「長次郎谷(左俣)を登り、長次郎のコルから北方稜線を三ノ窓まで縦走して三ノ窓谷を下る」と答えると、管理人さんから北方稜線を日帰りするのは無理だと言われたばかりか、長次郎谷は登れるが状態が悪いので時間が掛かり、また三ノ窓谷は急傾斜で下部の雪渓が崩壊しているため危険なので下らない方が良いとのことだった。 管理人さんのアドバイスを受けて急遽ルートの変更を余儀なくされたが、計画どおり長次郎谷を登り、三ノ窓ではなく前回と同じく小窓から池ノ平小屋経由で周回することにした。 真砂沢から上では雪渓が夏道を塞いでいたので、明日の下見に長次郎谷の入口付近まで偵察に行く。 剣沢を下ってくる登山者もあり、最終的にテントの数は20張以上になった。 他の山域やメジャーなルート、山小屋などの混雑ぶりは想像を絶するが、ここは風もなく静かで快適な夜を過ごす。
《 20日 》 真砂沢ロッジ 〜 長次郎谷左俣 〜 長次郎のコル 〜 池ノ谷乗越 〜 三ノ窓 〜 小窓 〜 池ノ平山前衛峰 〜 小窓 〜 池ノ平小屋 〜 仙人峠 〜 真砂沢ロッジ(テント泊) (周回)
腕時計の誤作動で4時過ぎに起床。 久々の大チョンボだ。 出発予定よりも大幅に遅れて5時前にテント場を出発。 すでに八ツ峰などを登るクライマー達のヘッドランプの灯りが前方に見える。 昨日の下見もあまり役に立たず、長次郎谷の出合に着く頃にはヘッドランプは不要となった。 傾斜は緩いが出合からアイゼンを着けて長次郎谷の雪渓を登る。 黒ずんだ雪渓は硬く締り、アイゼンの爪が良く利き登り易い。 遅れた時間を取り戻せるかもしれないという甘い期待は見事に裏切られ、出合から1時間もしないうちに雪渓は岩壁に分断され、少し戻ってから左の側壁で休憩(昨日源次郎尾根の難ルートで敗退し、近くでビバーク)していたパーティーにルートを教えてもらい、所々に小さなケルンが積まれた岩場を登る。 10分ほどで再び頭上に雪渓が見えたが、上部で再び分断されていそうな感じがしたのと、八ツ峰に取り付くための明瞭な踏み跡があったので行けるところまでこれを利用することにした。 出合から1時間半ほどで目印となる熊の岩が見えてきた。 長次郎谷は熊の岩の基部から右俣と左俣に分かれている。 右俣を辿れば北方稜線の核心部を通らずに八ツ峰に沿って池ノ谷乗越まで行けるが、上部のルートの状況が全く分からなかったので、計画どおり左俣を行くことにした。 熊の岩の基部まで再びアイゼンを着けて雪渓を登る。 遠目には熊の岩の基部のすぐ左の大きなクーロワールが登りやすそうに見えたが、実際近づいてみるとそこは滝になっていて登れるかどうかは取り付いてみないと分からなかった。 一旦戻ってから違うルート、あるいは右俣を登ることも考えたが、朝寝坊に加えて更にここで時間をロスすると北方稜線の縦走もおぼつかなくなってしまうので、一か八か滝に取り付くことにした。 滝の水量は少なく所々に適当なバンドもあったので、試行錯誤しながらも30分ほどで運良く抜けることが出来た。 下山後に管理人さんにこの話しをすると、普通は熊の岩を右に巻き、その上から左俣を辿るのだそうで、滝を登ったという話しは聞いたことがないとのことだった。 熊の岩を越えると頭上にはっきりと北方稜線の長次郎のコルが見え安堵した。 天気は予報どおりの快晴で風もなく穏やかである。 再び上部に見えた小さな雪渓の末端を目指してガレ場を登る。 傾斜はそれほどでもなく落石や滑落の心配も全くないが、一歩登る毎に足元がずり落ち、ペースが全く上がらない。 8時前に目の良い妻が長次郎の頭付近を登っている西さん&セッちゃんを見つけ、手を振って応える。 ようやく上部の小さな雪渓に取り付き、長次郎のコルの手前までは再びアイゼンを着けての快適な登高となる。 コルへの最後の詰めは再び登りにくいガレ場となり体力を消耗させられる。 8時半過ぎにようやく長次郎のコルに到着。 すでに多くのパーティーがここを通り過ぎているが、指呼の間の剱岳の山頂からは次々と登山者が下りてくるのが見える。 これだけ多くの登山者が北方稜線を訪れるのも初めてだろう。 やはり映画の影響が大きいのだろうか。 この時期の長次郎谷には苦戦したが、静かでとても記憶に残った。 コルから長次郎の頭へのルートは二通りあるが、右回りのルートは前のパーティーがザイルで確保しながら登り渋滞していたので、後続のパーティーと一緒にルートファインディングしながら左から踏み跡のある草付きを少し登り、古い残置支点のある切り立った岩を攀じって登る。 図らずも長次郎の頭は踏まずに先に抜けてしまった。 ここからは長次郎谷側の明瞭なバンドや踏み跡を辿るだけなので気が楽だ。 ゆっくり展望を楽しみながら行きたいところだが、朝寝坊に加えて長次郎谷の登りに時間が掛かったので休憩もそこそこに先を急ぐ。 八ツ峰の頭が近づくとクライマー達の叫び声が頻繁に聞こえてくる。 あちらも相当な人出に違いない。 池ノ谷乗越に下る急斜面では足元の浮石が頻繁に落ちるため、先行パーティーで渋滞していた。 池ノ谷乗越で団体のパーティーを無理やり追い抜き、北側の池ノ谷ガリーのガレ場を下る。 足元の崩れ易い浮石だらけのガレ場が長く続き、下にいる登山者に石を落とさないよう慎重に、かつ、後から来る団体からの落石を避けるため足早に下る。 初めて経験する妻はだいぶ苦戦していた。 三ノ窓付近では新しい踏み跡につられてコルより少し左に下りてしまったが、山小屋の管理人さんの忠告に従い三ノ窓谷は下らないと決めていたので、そのまま小窓の王の肩への側壁を登り返す。 振り返ると、池ノ谷ガリーを次々と登山者が下ってくる姿が見える。 池ノ谷ガリー自体も異様であるが、そこを大勢の登山者が下ってくる光景もある意味異様である。 僅かな時間で登ることが出来た小窓の王の肩からは池ノ平山が立派に見え、登高意欲を駆り立てられる。 前回はこの辺りから霧が湧いてきて視界が悪かったので、見える景色は新鮮だ。 稜線をしばらく歩くと毛勝三山や小窓雪渓も良く俯瞰されるようになった。 小窓のコルへの踏み跡は一部不明瞭だったが、かすれた赤ペンキと地味なケルンに導かれて正午ちょうどにコルに着いた。 先行パーティーの殆どは雪渓を下っていったが、池ノ平山の南峰を経由しても池ノ平小屋に行けるため、地図や資料は無いが尾根に印された踏み跡を辿って登ることにした。 コルからの標高差は200mくらいなので1時間ほどで充分登れるかと思ったが、所々に取り付けられていた擦り切れた古いロープでルートは何とか分かるものの、踏み跡は全般的に急峻かつ不明瞭で、ここまで辿ってきたルート以上に困難な登りが続いた。 ようやく展望の良い前衛峰まで登ったが、そこから先の下りではハイマツの藪漕ぎを強いられたばかりか、南峰の基部からのルートファインディングに手を焼き、時間切れの心配が出てきたので、断腸の思いで再びハイマツの藪を漕いで前衛峰に登り返し、登り以上に嫌な下りで小窓のコルへ戻った。 朝寝坊のツケがこんなところに回ってきて、2時間余りの無駄な時間を費やしてしまった。 コルから小窓雪渓まで滑り易い草付きを下り、雪渓でアイゼンを着けてスピーディーに10分ほどで駆け下りる。 雪渓の左手の側壁に印された鉱山道入口のペンキマークは分かり易く、今日のように天気が良ければ全く問題ない。 また鉱山道もしっかり踏まれていて、小窓のコルから池ノ平小屋まで1時間で着いた。 図らずも池ノ平小屋で西さん&セッちゃんと再会する。 話しを伺えば小屋が一杯で宿泊を断られ、この先にある仙人池ヒュッテまでこれから向かうとのことだった。 西さん&セッちゃんは池ノ平山の南峰を経由してきたとのことであったが、やはり相当なアルバイトを強いられたようだった。 それにしても日本一マイナー?な池ノ平小屋が超満員、しかもテント場も一杯とは驚きだ。 夕方の4時に仙人峠で西さん&セッちゃんと別れ、仙人新道を下り二股経由で真砂沢ロッジを目指す。 仙人新道から見た裏剱の山並はまさに日本離れした景観であり、逆光であるのが悔やまれる。 日没直後の6時半前に真砂沢ロッジに到着。 管理人さんに無事の報告を入れる。 今日は真砂沢ロッジも超満員、テント場も昨日よりさらに賑やかになっていた。
《21日》 真砂沢ロッジ 〜 ハシゴ谷乗越 〜 内蔵助平 〜 黒部ダム ⇒ 扇沢
今日は往路と同じ道を黒部ダムに戻る。 真砂沢ロッジを7時半に経ち、ゆっくり歩いてきたので、内蔵助平の手前で仙人池ヒュッテから出発した西さん&セッちゃんに追いつかれる。 黒部ダムまでの道中は、この二日間のお互いの土産話しに花が咲く。 2時半発のトロリーバスで扇沢に下るが、それほど異常な混雑はなかった。 異常だったのは扇沢の駐車場の空を待つ車の長蛇の列で、入口付近はもとよりアルペンロードの下の方では交通規制も行われていた。 町営の温泉施設『上原の湯』で汗を流し、スーパーでアルコールと惣菜を仕入れて道の駅『池田』で打ち上げを行い、翌日の早朝渋滞もなく帰途についた。