【オーストリアンアルプス】
40歳台には有給休暇で夏のヨーロッパアルプスに毎年通っていたが、4000m峰があるスイス・イタリア・フランスの3か国だけで、アルプス東部のオーストリアには観光も含めて一度も行ったことがなかった。 理由はオーストリアには4000m峰がなく、ネットの環境が今ほどない当時の知識では、最高峰のグロース・グロックナー(3798m)・ヴィルトシュピッツェ(3768m)・オルペラー(3476m)・ハビッヒト(3277m)の4座しか知らなかったことに他ならない。 その後アナログの世界では、愛読書の『アルプス4000m峰登山ガイド』が出版されてから8年後に『やさしく登れるアルプス3000m峰』が出版され、ネットの情報も得られるようになったことでオーストリアの山にも目が向くようになったが、現地で出版されている登山のガイドブックやハイキングの地図の入手が困難なことで計画が進まず、図らずも登山用GPSアプリの『All Trails』の出現により計画が一気に加速した。
今回の山行は初めて訪問する国やガイドレスということに加え、ドイツ語圏ということでグロース・グロックナーなどの氷河のある山は下見程度に留め、ハイキングの延長で登れる正に“やさしく登れる3000m峰”の登頂をメインに、隣国のドイツの最高峰のツークシュピッツェ(2962m)やスロベニアの最高峰のトリグラウ(2864m)などへの登頂も視野に入れつつ、オーストリアンアルプスを軸とした登山やハイキングの今後の可能性も同時に探ることにした。
オーストリアンアルプスは西部のチロル州がメインとなるため、滞在先については当初その州都のインスブルックが良いと思ったが、その近くのリゾートで冬季オリンピックのノルディック競技の会場となったゼーフェルトという小さな町でもスーパーやガソリンスタンドなどのインフラが整っているようだったので、今回はこの町にアパートを借りて8月の初旬から月末まで25日間滞在することにした。
ゲートウェイは国際空港のある首都のウィーンではなく、ゼーフェルトまで車で2時間ほどのドイツのミュンヘンの空港が一番近かった。 相変わらずの極端なユーロ安(1ユーロが175円)で、アパートの家賃は1日約19,000円、レンタカーの料金は1日約9,000円、エアチケットは繁忙期にルフトハンザ航空の直行便を利用したことで1人約230,000円だったが、意外にも預託荷物は1人あたり23キロを2個だったので、スーツケースにアルファー米・インスタントラーメン・カレーなどのレトルト食品・魚の缶詰・どら焼き・饅頭・煎餅などの食料品を沢山持っていくことが出来た。
【ゼーフェルト】
2024年8月5日、夏休み中ということで朝の羽田空港の出発ロビーは今までになく混雑していた。 初めて利用するルフトハンザ航空の機材は小型で、先日利用したカナダのウエストジェット航空と同じ横に3席ずつ9列あるシート構成だった。 定刻どおり9時40分に出発した便は14時間半を要してミュンヘンのフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港に夕方の5時前に着いた。 ドイツではフランクフルト国際空港に次いで二番目に大きい空港らしいが、予想よりも規模が小さく、まるで地方空港のような感じだった。 出国審査は有人だったが極めてスムースで荷物の税関の申告もなかった。 レンタカー各社の受付カウンターは空港の建物を出てから200mほど離れた別の建物の1階で分かり易かった。 意外にも車はドイツ車ではなく、チェコのシュコダ・オートという自動車メーカーのスカーラ(SCALA)というハッチバックの小型車で、今回の山行にはちょうど良いサイズだった。
空港を出るとすぐに制限速度がないアウトバーンに入る。 アメリカのフリーウェイのように4車線あったが、200キロくらいで飛ばしている車もあって緊張する。 道路標識はドイツ語の表示なのでナビがあっても非常に分かりずらい。 ミュンヘンの市街地を過ぎると次第に田園地帯となり、国境の山岳地帯はトンネルで通過したのか何の表示も見当たらなかった。
空港からゼーフェルトまで160キロの道程を2時間半ほどで走り、夜の9時前に滞在するアパート『Birkenwald』に到着した。 すでにチェックインの時間帯は過ぎていたが、予約サイトを通じて連絡があったキーボックスで鍵を受け取って入室した。 室内は予想していたよりも広く、第一印象は極めて良かった。 室内の気温は24度と涼しく、潤沢かつスピーディーにお湯が出るシャワーを浴びてから備え付けの薄い羽毛布団を掛けて寝た。
8月6日、朝の室内の気温は24度で湿度も低いので快適だった。 簡素な丸いテーブルと椅子が置かれたバルコニーからは目の前に聳える山の眺めが良く、居ながらにしてリゾート地の雰囲気を味わえた。 GPSで測ったアパートの標高は1200mちょうどで、カルガリーよりも少し高かった。
8時から開くフロントで正式なチェックインをする。 駐車場の番号カードと町内の地図を貰い、アパート内にある有料のランドリーの使い方や料金を聞いた。 アパートの1階には共用スペースのラウンジやテラスがあり、階下には芝生の中庭と小さなプールやサウナもあった。
午前中は荷物を解いて室内を使い易いようにアレンジする。 賃貸用のアパートとは思えないほど収納スペースが多く、長期間生活するのに使いやすい仕様になっていた。 広い1LDKの室内には大型のソファーと壁面収納のベッドがあり、ベンチタイプの椅子が備わったダイニングテーブルは4人掛けで、掃除機や体重計のみならずゲームや細かい文房具も一式揃っていた。 冷蔵庫とオーブンがビルトインされたシステムキッチンはコンパクトだが調理器具は潤沢にあり、電気ポット・トースター・コーヒーメーカーなどの電気製品のみならず、調味料や洗剤・キッチンペーパー・布巾まで用意されていたが、オーストリアではスタンダードではない電子レンジがなかったことが玉にキズだった。
午後はアパートから車で3分ほどのスーパー『BILLA』に食料品の買い出しに行く。 店舗の面積は広くないが、予想よりも豊富な品揃えで有り難かった。 物価はカナダよりも安いが、ユーロ安の影響で日本よりも明らかに高い。 スーパーに併設されたGSでガソリンを入れると、1リッター1.65ユーロ(邦貨で約280円)で、日本よりも遙かに高かった。 GSでオーストリア国内の高速道路を利用するために必要な『ヴィニエット』という許可書を購入する。 支払証明書を窓ガラスに貼るタイプは既に過去の形態なのか、車のナンバーを店員さんがオンラインで登録するだけで、2か月有効のものが28.9ユーロ(邦貨で約4,700円)だった。
アパートに戻り、徒歩で町の中心部を散策する。 鉄道駅の観光案内所で周辺のハイキングの地図を貰い、土産物などを見て回ってからドルフ広場に建つ聖オスワルド教会で旅の安全を祈願した。 静かで地味な町をイメージしていたが、ホテルや飲食店が予想以上に多く、バカンスを楽しむ多くの観光客の姿が見られた。 アイスクリームを買いに入ったレストランで日本人のご夫婦と偶然出会い、店内でしばらく歓談する。 お互いにこの町で日本人を見かけることはないと思っていたのですっかり意気投合した。 ご夫妻はここを皮切りに1か月ほどオランダに滞在し、北欧の国々をご旅行されるとのことで、その流暢な語学力が羨ましかった。
【ブルンシュコップ】
8月7日、観光案内所で貰った地図を参考に近場のハイキングに出かける。 アパートから歩いても行けるが、より近いロッテンゼー(湖)付近の駐車場まで車で行き、そこから時計回りに湖畔の道を歩き始めた。
ロッテンゼーを筆頭に三つの湖とブルンシュコップという展望台を組み合わせた周回コースだったが、最初のロッテンゼーとヴィルトムースゼーの二つの湖は湖水が殆ど干上がっていた。 コースの最高地点となるブルンシュコップの展望台(1510m)からはゼーフェルトの町を囲む山々が一望され、ドイツとの国境に聳えるツークシュピッツェも遠望された。 三番目のメーゼラーゼー(湖)は観光地になっていて、カモや鯉のみならず観光客がプール感覚で泳いでいた。
帰路は町外れのゼーキルヒル教会に立寄り、町で一番大きなスーパー『EUROSPAR』で買い出しをする。 スーパーの品揃えは豊富で、精肉やチーズの量り売りもやっていた。 昼過ぎには予報どおり小雨が降り始めアルプスらしい天気となった。
【インスブルック】
8月8日、朝は霧が湧いて外の気温は12度と涼しかった。 避暑地の観光客さながらにベランダで優雅に朝食を食べる。 ホットコーヒーが美味しく飲めるのが嬉しい。
明日からしばらく晴天が続くという予報で、車で30分ほどのインスブルックに観光とハイキングの地図を買いに行く。 ゼーフェルトの町中は制限速度が40キロだったが、町外れからの一般道は峠道でも100キロだった。 チロル州を東西に走る高速道路の制限速度は130キロでICに料金所はなかった。
インスブルック市内の駐車場の場所や利用方法が分らず、とりあえず市内の入口付近の登山用品店を目指す。 店にはハイキングの地図はなかったが、観光客向けの地下の有料駐車場と地図が買える本屋の場所を教えてもらった。 駐車場は観光ポイントが多い旧市街にあり、教えてもらった本屋も近かった。 本屋の規模はそれほど大きくなかったが、登山のガイドブックやハイキングの地図の種類は豊富で、スロベニアのトリグラウの地図も買えた。
観光ポイントが点在する旧市街のメインストリート(マリア・テレジア通り)は一部が歩行者天国になっていて予想以上に観光客が多かった。
【ヴィルデス・マンレ】
8月9日、チロル州で一番長いエッツタール(谷)の中心的なリゾートのセルデンの先で分岐する車道を右に入りフェントの集落に向かう。 エッツタールの入口のエッツからセルデンの間には幾つかの小さなリゾートや集落があり、スーパーやガソリンスタンドも点在していた。 山深いフェントまでの車道の路面状態は市街地と変わらず、オーストリアの国力の高さと観光地への投資の多さを実感した。
フェントの集落には10軒ほどのホテルと教会があり、リフトの山麓駅の有料駐車場(6ユーロ)に車を停めてクワッドリフトとペアリフトを乗り継いで登山口の山頂駅(2645m)に上がる。 料金は片道で@19.5ユーロ(邦貨で約3,300円)だった。
新しい道標が立つ登山口からは良く整備されたハイキングトレイルをヴィルデス・マンレに向けて登る。 要所要所の岩にはオーストリアの国旗と同じ赤地に白のペンキマークが塗られていた。 リフトで標高を稼いだため、2時間足らずでオーストリアでの初登頂となるヴィルデス・マンレの山頂に着いた。 山頂にはスイスの山のような立派で大きな十字架が立っていた。 山頂からの展望は素晴らしかったが、眼前に聳えるオーストリアで二番目に高い名峰ヴィルトシュピッツェ(3768m)の山頂が雲の中だったことが玉にキズだった。
山頂からはケルンが立つ最高点を通って反対方向のトレイルを下り、リフトの山頂駅へのトレイルを左に分けてブレスラウ・ヒュッテ(2844m)に向かう。 多くの登山者やハイカーで賑わっていたヒュッテはロケーションが良く、建物の内部やトイレは清潔感に溢れていた。 ヒュッテで食べたケーキは町のレストラン以上に美味しく、シーズン中には予約なしでは泊まれない人気の高さが納得出来た。
ヒュッテからフェントへの下山ルートは途中でリフトの山頂駅とローフェンへ分岐していたが、季節の花々が期待出来る後者を選択する。 車で入れる最奥の集落のローフェン(2011m)には2軒のホテルが建っていた。 ローフェンからは車道ではなくハイキングトレイルを歩いてフェントの駐車場に戻った。
【ツィシュゲレス】
8月10日、車道の終点となる登山口のプラクスマール(1689m)には立派なホテルが数軒建ち、その奥に有料(5ユーロ)の広い駐車場があった。 マイナーな山のイメージだったが、登山口には周辺の詳細な地図と案内板があり、新しい道標も立っていた。
登山口から時計回りに牧草地から牛小屋を経由して前衛峰のオーバーストコーゲル(2767m)の左側を巻くように登る。 沢に沿ったトレイルはとても良く整備されていて登り易かった。
薄い踏み跡があるオーバーストコーゲルへは登らず、最短距離でツィシュゲレスの山頂に向かう。 山頂直下は岩場になっていたが、ペンキマークに導かれ大きな十字架が立つ山頂に着いた。
十字架には大きなエーデルワイスのプレートと昨日の山とは違う規格のレジストリーBOXが備え付けられていた。 高度感のある山頂からの展望は素晴らしかったが、周囲の山々が全く同定出来ないのが玉にキズだった。
下山は小さなネームレスレイクを眼下に望みながら荒々しい岩の尾根をしばらく辿り、羊が草を食むカールの底の牧草地へ下って周回した。
【ミッテル・ガスラーシュピッツェ】
8月11日、一昨日登ったヴィルデス・マンレの下山中に通過したローフェン(2011m)まで車で入り、フェント・タール(谷)の源頭に向かって幅の広い道を進む。 30分足らずで予定している周回ルートの分岐があり、道標に従ってフェアナークトヒュッテ(2755m)方面へのハイキングトレイルに入る。 トレイルはとても良く整備されていて歩き易い。 しばらくするとフェアナークトヒュッテとその背後に聳える氷河の山が見え始め、ミッテル・ガスラーシュピッツェの支峰(ボーダー・ガスラーシュピッツェ)を左手に仰ぎ見ながら緩やかな勾配のトレイルを延々と進む。
一昨日行ったブレスラウ・ヒュッテ(2844m)へ分岐するトレイルを右に分けて氷河から流れ出す水量の多い沢を渡る。 フェアナークトヒュッテには寄らずにその直下の分岐からミッテル・ガスラーシュピッツェへ登る。 岩の露出が多くなったトレイルをカールの右側から回り込むように登ると、山頂直下のヒンター・ガスラーシュピッツェ(3147m)とのコルに着き、そこから顕著な尾根を僅かに登って十字架が立つ山頂に着いた。
山頂には大きなケルンとエーデルワイスで装飾された十字架が立ち、備え付けられたレジストリーBOXの中のノートにコメントを記した。 高度感のある山頂からの展望は素晴らしかったが、周囲に見える山々の氷河の後退が痛々しかった。
山頂からホッホヨッホ・ホスピッツ(2413m)へのトレイルを下り、快適で清潔感に溢れるヒュッテのテラスでコーラを飲んで寛いだ。 ヒュッテからはザイコーゲル(3398m)方面へのトレイルを右に分けて登山口のローフェンに下る。 消化試合と思われた渓谷沿いのトレイルは変化に富んでいて退屈しなかった。
【シュヴァルツホルン】
8月12日、今回の滞在中で唯一計画したスイスのシュヴァルツホルンに向かう。 ランデックI.Cで高速道路を降りてサン・モリッツへ通じる180号線に入る。 道幅の狭い峠道の国境には検問所のような小さな建物があったが、何の制約もなくスムースに通過できた。 ズシュという小さな町からダヴォス方面への山岳道路に入る。 ハイキングトレイルの道標が立つ登山口には無料の駐車場とポストバスの停留所があった。
ハイキングトレイルは良く整備されていて歩き易い。 麓からは尖って見えるシュヴァルツホルンの弱点を突くように、ラーデュナー・ロートホルン(3022m)とのコル(シュヴァルツホルン・フルッガ)に向かって山腹を延々と緩やかにトラバースしていく。 トレイルの両脇には季節の花々が多くて楽しめた。 中間点となるトレイルの分岐からはシュヴァルツホルンの山頂の十字架が見えた。 分岐から僅かに登るとシュヴァルツホルン・フルッガに着き、懐かしいサン・モリッツ方面の山々が望まれた。
コルから山頂への広い尾根は傾斜が緩くて登り易く、サン・モリッツやダヴォスから近いこの山の週末の混雑が予想された。 山容どおりの狭い山頂には避雷針が取り付けられた十字架が立ち、オーストリアの山と同じ規格のレジストリーBOXが備え付けられていた。 高度感のある山頂からの展望は素晴らしく、20年前に登頂したピッツ・ベルニーナやピッツ・パリュなどが遠望された。
8月13日、天気が悪いので山には行かずアパートで寛ぐ。 涼しくて居心地の良い避暑地のアパートは室内にいてもストレスを全く感じない。 地下のコインランドリーで洗濯をしてから、先日入手したハイキングの地図で計画した山のルートを再確認したり、新たな登山やハイキングの計画をする。 手持ちのガイドブックで選んだ山以外にもピークハントが可能な3000m峰が幾つかあることが分かった反面、標高にこだわらないハイキングに近い登山も面白そうに思えた。
【フルクラー】
8月14日、ゴンドラの山麓駅があるゼルファウス(1427m)は予想よりも賑やかなリゾートで、一般客用の駐車場の場所が分からず苦労した。 山麓駅から中間駅のコンパーデル(1980m)へは10人乗りのゴンドラ、コンパーデルからは4人乗りのゴンドラで登山口となる山頂駅のラツィード(2351m)に着く。 ゴンドラの運行は8時半からで、料金は往復で@32ユーロ(邦貨で約5,300円)だった。
フルクラーは山頂までハイキングトレイルが通じている山で登山者が多かった。 冬はスキー場となる牧草地には季節の花々が多く、のっけから撮影大会となる。 ゲレンデトップでトレイルは三方向に分岐し、中央のトレイルで急な斜面を少し登ってから山腹をトラバースするように進む。 トラバースを終えると岩が露出したトレイルとなり、山頂の十字架が見えるようになった。 山頂手前のカールに抱かれたティーフタールゼーは青い瞳のような美しい湖だった。
ティーフタールゼーからは再び岩が露出したトレイルとなり、眼下の青い湖を眺めながら大勢の登山者で賑わう山頂に着いた。 山頂にはレジストリーBOXが備え付けられた大きな十字架が立ち、箱の中のノートにコメントを記した。 やや広い山頂からの展望は雄大で、周囲のおびただしい数の山々が遠望された。
山頂からは破線の周回ルートで険しい岩場をフルクラーヨッホ(峠)に向けて下る。 峠付近で天気は一時的に怪しくなったが、ワタスゲが揺れるフルクラーゼー(湖)からは湖越しに山頂が見えた。
フルクラーゼーからはゴンドラの山頂駅(ラツィード)と中間駅(コンパーデル)の両方向へのトレイルがあったが、天気が安定してきたので予定どおり後者の中間駅へ下った。
【ヴィースヤッグルスコップフ】
8月15日、ランデックI.Cで高速道路を降り、カウナータール(谷)の車道の終点にあるゴンドラの山麓駅へ向かう。 プルーツから分岐する山岳区間に入ると間もなく道路地図に記されていない有料道路の料金所があり、7:00からの開通まで1時間ほど待たされてしまった。 細長いケパッチゼーの湖岸を通り、標高2730mまで車で上がれる有料道路は往復で28ユーロ(邦貨で約4,800円)だった。
ゴンドラの山麓駅の広い駐車場からスキー場の管理道路を登る。 ハイキングの地図には破線のルートが山頂直下まで記されているが、登山口には道標の類いは見当らなかった。 白いシートに覆われた氷河を迂回しながらスキーリフトに沿って林道のような道を登る。 ヴィースヤッグルスコップフの山頂を正面に見上げながら次第に細くなる道を1時間ほど登ると山頂直下の稜線の出合に着いた。
ガイドブックには出合から指呼の間の山頂までのルートが簡記されていたが、そのルートは荒廃してしまったようで見当らなかった。 1時間ほど費やして尾根を中心に色々なルートを試してみたが、いずれのルートも登れるが下りに不安があった。 登頂を諦めかけたが、最後にトライした尾根の途中から右手のガレ場を詰めて登るルートで辛うじて登頂に成功した。 十字架が立つ猫の額ほどの狭い山頂からの展望は素晴らしかったが、それ以上に登頂の達成感に満たされていた。 十字架に備え付けられたレジストリーBOXの中にはノートが無く、昨今では登頂者が少ないことを物語っていた。
山頂から稜線を縦走してヒンテレー・カーレスシュピッツェ(3160m)を継続して登る予定だったが、予定の時間をだいぶオーバーしたことで、同峰の直下にあるゴンドラの山頂駅から登ってくる観光客の喧噪を嫌って往路を戻った。
【フォルマリンゼー】
8月16日、スイスとの国境に近いリゾートのレッヒを経てフォルマリンゼー(湖)を眺めるハイキングに行った。 レッヒの町外れからフォルマリンゼーに通じる車道の通行料は往復で25ユーロ(邦貨で約4,200円)だったが、道幅が狭いため車の離合は難しいと思われた。 車道の終点の駐車場は10台程しか停めるスペースがなく、訪れる人が少ないマイナーな湖だと思われた。
駐車場から未舗装の車道を僅かに下るとすぐに目的地のフォルマリンゼーが眼下に見えた。 車道はフォルマリンゼーの湖尻から反時計回りに高巻きながら湖の南に建つ山小屋(フライブルガーヒュッテ)まで続いていた。 湖畔にはアルペンローゼを始めとする季節の花々が多く見られ随所で撮影大会となった。
フライブルガーヒュッテはフォルマリンゼーや周囲の山々を望む絶好の展望地で、各方面から訪れた多くのハイカーで賑わっていた。 ヒュッテでケーキとコーヒーを注文すると、スタッフの女性は日本語が堪能なネパール人だったので思わず話が弾んだ。 小洒落たヒュッテは清潔感があり、トイレは町中のホテルと変わらなかった。
ヒュッテから先はフォルマリンゼーを眼下に眺めながらハイキングトレイルを緩やかに下って駐車場に戻った。 コースタイムは2時間足らずだったが、美しい湖と多くの花々を愛でながら半日以上を費やした印象深いハイキングになった。
帰路の有料道路での車の離合を危惧していたが、入口のゲート脇にあった案内板をあらためて確認すると、朝の8時から夕方の4時半まで一般車両は通行禁止で、この間はゲートが開かないことが分かった。
8月17日、天気が悪いので山には行かず、居心地の良いアパートでのんびり寛ぎ、近所のスーパーに食料品や土産物を買いに行った。
8月18日、昨日に続き天気が悪いので山には行かず、洗濯をしてから駅周辺の散策をする。 今日の最高気温は18度で寒いくらいだった。
8月19日、昨日に続き天気が悪いので山には行かず山の計画に専念する。 スロベニアのトリグラウで泊まる山小屋の空きが月末の週に出てきたので、前後泊する麓のホテルや周辺のブレッド湖の観光なども含めて具体的な計画を立てた。
【シュヴァルツコーゲル】
8月20日、エッツタールのセルデンから分岐する山岳道路(エッツタラー・グレッチャー通り)に入ると間もなく道路地図に記されていない有料道路の料金所があった。 電光掲示板に8:30から開通すると表示されていたので、その少し手前の路肩の空き地に車を停めて車道を歩く。 車道を30分ほど歩くとレストラン『RETTENBACHALM』が建つ登山口(2145m)に着いた。
登山口から急斜面の牧草地にジグザグにつけられた明瞭なハイキングトレイルを登り、1時間半ほどでロートコーゲルヨッホヒュッテ(2660m)の直下にある小さな氷河湖に着いた。
氷河湖からトレイルを一部ショートカットし、シュヴァルツゼーコーゲル(2931m)とロートコーゲル(2947m)の鞍部に向かって緩やかに登る。 鞍部の先のカールにはシュヴァルツゼーが青い水を湛え、指呼の間のシュヴァルツコーゲルを投影していた。
シュヴァルツゼーから山頂へのトレイルは登り易く、周囲の山々の展望も良くなったが、山頂直前で雲が湧いてしまったことが惜しまれた。 岩が積み重なった山頂には金属製の十字架が建ち、レジストリーBOXの中のノートには多くのコメントが記されていた。
周回するルートはないので往路を戻る。 登りでは通らなかったロートコーゲルヒュッテに立ち寄ると、リフトを利用して登ってきたハイカーやマウンテンバイクで専用のトレイルを下るライダー達で賑わっていた。
山からの帰りに隣町のテルフスのショッピングセンターの本屋に寄り、不足しているハイキングの地図を買い足した。
8月21日、天気が悪いので山には行かず山の計画などをして過ごす。 昨日まで僅かに空いていたトリグラウの山小屋の空きがなくなってしまったが、天気予報も予定していた日が雨に変ったので、今回は縁が無かったと諦めた。 天気の傾向を見ると、チロル州(オーストリア)と隣国のスロベニアはそれほど変わらない感じだった。
一方、ホーエ・ガイゲの山小屋(リュッセルスハイマーヒュッテ)の空きが出たのでオンラインで予約した。 料金は2人部屋の個室が素泊まりで1人32ユーロ(邦貨で約5,400円)で4人部屋や大部屋は更に安く、夕食と朝食のセットメニュー(ハーフボード)が同じ32ユーロ(邦貨で約5,400円)だったので、昨今の超円(ユーロ)安を考えると日本の山小屋より安かった。
【ホーエス・ラド】
8月22日、高速道路をランデックI.Cで降り、フォアアールベルク州との境に位置するシルヴレッタゼー(湖)の登山口に向かう。 登山口の手前3キロの所に道路地図に記されてない有料道路のゲートがあった。 信号機は赤だったがゲートのバーは開いていたので、後続の車が何台か通過していく様子を窺いながらゲートを通過する。 シルヴレッタゼーの湖畔には大きなホテルが2軒建ち、観光客用の広い無料駐車場があった。
駐車場から湖畔の遊歩道を5分ほど歩き、道標に従ってホーエス・ラドへのハイキングトレイルに入る。 間もなくホーエス・ラドの山頂直下の取付き(ラドシュルター)と山頂を巻いてラドザッテル(峠)に通じるトレイルとの分岐があり前者のトレイルを登る。 朝露で濡れた細いジグザグのトレイルをひと登りすると、眼下のシルヴレッタゼーやその周囲の山々が望まれた。 トレイルは荒々しい岩の尾根には向かわず、傾斜の緩やかな牧草地の中を進む。 前方にはホーエス・ラドの山頂の十字架が微かに見えた。
二重山稜になっているゴーロの谷が前方に見え、それまでと一変して歩きにくいゴーロ帯をケルンに導かれながら登る。 登りきったところがラドシュルターかと思われたが、その先もまだゴーロ帯と砂地の斜面が続き、登山口から3時間半を要してようやく山頂直下のラドシュルターに着いた。
ラドシュルターからの踏み跡は予想以上に濃く、赤いペンキマークに導かれて山頂に向かう。 岩場のトレイルは先ほどのゴーロ帯よりも登り易く、道標に記されたコースタイムどおりに山頂に着いた。 細長い山頂にはエーデルワイスの飾りが付いた木製の十字架が立ち、スイスとの国境に聳えるシルヴレッタホルンやピッツ・ブインなどの山々が望まれたが、足元のシルヴレッタゼーは僅かにその一部が見えただけだった。
山頂からの素晴らしい展望を充分堪能し、レジストリーBOXの中のノートにコメントを記して下山する。 ラドシュルターからは登りと反対方向のラドザッテル(峠)に下ったが、歩きにくいゴーロ帯や登り返しで予想以上に時間が掛かかった。 ラドザッテルにはチロル州とフォアアールベルク州との境界を示す道標が立っていた。
ラドザッテルからはシルヴレッタゼー(湖)に下って周回する予定だったが、時間がおしてきたので反対方向のラドゼー(湖)を通る周回ルートに変更した。 ルート上からはホーエス・ラドが終始見えたので、ルートを変更したことも悪くなかった。
山からの帰路は料金所に立ち寄って経緯を説明し、後払いで通行料金(19.5ユーロ・邦貨で約3,300円)を支払った。
【ホーエ・ガイゲ】
8月23日、ホーエ・ガイゲは登山口からの累積標高差が1800mほどあるため、ルートの途中に建つ山小屋(リュッセルスハイマーヒュッテ)に泊り、1泊2日で登る計画とした。 登山口のプランゲロースへは高速道路のイムストI.Cからピッツ・タール(谷)に入るが、先日まで何度か通った隣のエッツ・タール(谷)と比べると田舎で、途中にある町やリゾートも規模が小さかった。
プランゲロースの手前の道路脇にヒュッテの宣伝用の看板が立つ広い駐車場があり、道路の対面がヒュッテへの登山口になっていた。 登山口の道標にはヒュッテまで2時間と記されていた。 沢沿いの急斜面を登るハイキングトレイルは終始展望が良く、谷を挟んで屹立するヴァッツェシュピッツエなどの山々が良く見えた。 トレイルは登り返しがなく短時間で標高が稼げたので、ゆっくり休憩しながらでも2時間半ほどでヒュッテに着いた。
ヒュッテの受付でチェックインすると、意外にも2人部屋の個室の予約は1名しか入っていないとのことで驚いた。 どうやらヒュッテの予約サイトでの日本語訳が悪く、2人部屋の個室を予約するだけでは2名の宿泊とはならないようだった。 ヒュッテのスタッフから4人部屋の空きベッドが一つあるので、別々であれば宿泊は可能とのことで安堵した。 部屋を案内してくれたスタッフが、2人部屋を1人で予約している人がヒュッテに到着してから事情を説明すれば、予定どおり2人部屋の個室を使える可能性があるとのことだった。 ヒュッテは新しくリフォームされていて清潔感があり、トイレは町のホテル並に清潔で洗面所の水はそのまま飲めるとのことだった。
ヒュッテのテラスで遅い昼食を食べながらゆっくり寛ぐ。 メニューはドイツ語だったので翻訳機で訳すと、量が多いご当地メニューや定食がメインだったので、無難なボロネーゼ(13ユーロ)と定番のアプフェルシュトゥルーデル(7ユーロ)を注文した。 500CCの牛乳は3.6ユーロ、専用のマシンで入れた美味しいカフェオレは4.6ユーロだった。
ヒュッテからはホーエ・ガイゲの山頂は見えず、下山してきた方にルートの状況を尋ねると、「残雪は全くなく、岩場には要所要所にマーキングとワイヤーロープがあり、困難な部分こそないが全般的にハードだった」という貴重な情報が得られた。 ヒュッテ付近の道標にはホーエ・ガイゲまで4時間と記されていた。
夕食は一般的な肉料理とベジタリアン用のメニューが選択出来たので、それぞれ一つずつ注文した。 肉料理のメインはオーストリアでは一般的なグーラシュという牛肉のシチューで、ベジタリアンメニューはクネーデルというチーズやホウレンソウや玉葱をパンで練り込んだものだった。 どちらも味付けが良く美味しかったが、塩辛かったのが玉にキズだった。 夕食後にスタッフから2人部屋の個室が貸し切りで使えるようになったことを伝えられて嬉しかった。
8月24日、5時に起床。 2人部屋の個室は扉も厚く、とても静かで暖かい夜を過ごせた。 5時半に食堂に行くと、未明から出発する人達が食事を始めていた。 朝食はスイスの山小屋と同じようなバイキング形式だったが、食材は麓から荷揚用のリフトで運ばれてくるためかどれも上質で美味しかった。 コーヒーはスタッフが専用のマシンで何杯でも煎れてくれた。
雨傘やアイゼン・着替えなどをシューズBOXにデポし、6時半にヒュッテを出発。 トレイルは予想以上に明瞭で登り易く、アイベックスの群れがトレイルの上下にそれぞれ見られた。 ヒュッテから1時間ほどで最初のポイントとなる展望地(2640m)に着くと、それまで見えなかったヴィルトシュピッツェが遠望された。
展望地はホーエ・ガイゲの西稜(ウエスト・グラート)の末端で、取付きからは岩のブロックが堆積する顕著な尾根の登りとなった。 昨日の登山者からの情報どおり、岩場にはペンキマークが要所要所にあり、それを補完するケルンも見られた。 下から登ってくる人達の姿が散見されるようになり、追いつかれる度に道を譲った。 岩尾根の勾配と険しさは次第に増していくが、ペンキマークがあるので心強かった。
標高3100m付近で尾根を巻くエスケープルートのような踏み跡が見られ、そこから先はワイヤーロープが張られたスリリングな岩稜となった。 ワイヤーロープは日本の鎖場と同じような感覚で、両手でワイヤーロープを握るのはトラバースする部分だけだった。 ようやくホーエ・ガイゲの山頂と十字架が見え、10本ほどのワイヤーロープをやり過ごすと、エスケープルートへの道標が立つカールの末端に着いた。
カールの末端からはペンキマークやケルンが無くなったが、カールの底と支峰の尾根に踏み跡が見られた。 どちらの踏み跡も支峰とのコルで合流するように見えたので、GPSの地図に従って支峰の尾根を登り、途中からトラバースしてコルに向かった。 後続のパーティーは迷わずカールの底を進みそちらの方が早くコルに着いたので、GPSの地図はカールの底に残雪がある時期のものだと思えた。 ケルンが立つコルから山頂に向けて勾配の緩い岩のブロックを登り、ヒュッテから4時間半ほどで猫の額ほどの狭いホーエ・ガイゲの山頂に着いた。
山頂には新しい金属製の十字架が立ち、数名の登山者が思い思いに寛いでいた。 風は弱く天気も安定していたが、雲の湧き始めが早くヴィルトシュピッツェ方面の展望が冴えなかったことが惜しまれた。 山頂で1時間近く休憩していると、日帰りで登ってくる登山者の姿が次々と見られ、この山の人気の高さがうかがえた。
下りは支峰とのコルを通らず、踏み跡を繋いで最短距離でカールの末端に下る。 カールの末端から岩稜を巻くエスケープルートを下る登山者もいたが、岩稜ルートの方が確実に下れるので後者を選ぶことに迷いはなかった。 登りではあまり意識しなかったが、岩稜ルートは変化と展望に富み、これを目的にこの山を登る人もいるのではないかと思えた。 ヒュッテのテラスでしばらく寛いでから、お世話になったスタッフにチップを手渡して登山口に下った。
8月25日、天気が悪いので山には行かず、ハイキングの地図を見ながら来年以降の山の計画をする。 管理人さんに電話で山小屋の予約をしてもらえるか尋ねたところ、二つ返事でOKしてくれた。 今日のゼーフェルトの最高気温は18度で、初めて室内で長袖を着た。
近所のスーパーに買い物に行くと観光客の姿は明らかに少なくなり、バケーションの終わりが近づいたことを実感した。 夕方からは土砂降りの雨となり、3000m級の山では降雪が予見された。
8月26日、昨日に続き天気が悪いので山には行かず、来年以降の山の計画と帰国に向けての準備をする。 帰国日は早朝の出発となるため、管理人さんにアーリーチェックアウトの方法を教えてもらい、滞在期間中の観光税を支払った。 観光税は1泊につき3.5ユーロ(邦貨で約600円)だった。 今日のゼーフェルトの最高気温は16度で、涼しいを通り越して寒いくらいだ。
【ズルツコーゲル】
8月27日、アパートから1時間足らずで登山口のキュータイ(2020m)に着くと、登山口の目の前に無料の駐車場があった。 キュータイにはホテルが多く、予想以上に大きなリゾートだった。 二日連続で雨が降ったせいか周囲は濃い霧に包まれていたので1時間近く車内で待機した。
周囲が明るくなったので意を決して出発する。 登山口の道標には「ズルツコーゲルまで4.5時間」と記されていたが、これは下りに利用するルートで、登りはドライゼーンヒュッテに向けてスキー場のスロープを登る。 しばらくすると嘘のように霧が晴れ、谷を埋め尽くす分厚い雲海の上に出た。
スキー場の管理道路が通るドライゼーンヒュッテから小さな池の脇を通ってフィンスタータールゼー(湖)の湖尻に着くと、対岸のツヴェルファーコーゲル(2988m)の左奥にズルツコーゲルの山頂が見えた。
起伏のない湖畔のハイキングトレイルを時計回りに半周進み、湖に流れ込む沢に沿って明瞭な踏み跡を緩やかに登る。 前方の岩壁から垂れるように流れる幾筋かの滝を左から巻くように登ると、細長いカールの底にネームレスレイクが見えた。
ネームレスレイクから細長いカールの左岸を登る。 岩の堆積するトレイルの踏み跡は明瞭で傾斜も緩くて登り易い。 山頂直下のコルに着くとそれまで見えなかった反対側の山々が見えた。 コルからは顕著な急斜面の岩尾根を僅かに登ると細長い頂上稜線の端に着き、指呼の間に山頂の十字架が見えた。
十字架は地味で小さかったが、レジストリーBOXは備え付けられていたので、箱の中のノートにコメントを記した。 山頂からは全方向に沢山の山が望まれ、滞在先のゼーフェルトやインスブルック周辺の山々も遠望された。
周回するルートはないのでフィンスタータールゼーまで往路を戻り、湖尻からダムの管理道路をショートカットしながら最短距離で登山口に下った。
【フェストコーゲル】
8月28日、通い慣れたエッツタール(谷)の中心的なリゾートのセルデンから13キロ先の車道の終点のオーバーグルグル(1907m)に向かう。 教会の前の有料駐車場(8ユーロ)に車を停め、新しいホテルが林立する村の中を通って登山口へ。 登山口には立派な道標と案内板があり、「ハンガーまで3.5時間」・「フェストコーゲルまで3.5時間」と記されていた。
日本の山のような森の中のトレイルを沢沿いに登って行くと、新しく立派な観瀑台と眼下に滝が見えた。 観瀑台を過ぎると間もなく目標のハンガー(3020m)の端正な山頂が望まれるようになった。 シェーンヴィースヒュッテを過ぎると間もなくハンガーの取付きの道標があったが、意外にも「落石のためルート閉鎖」と記された看板が添えられていた。 山頂を目前に何とも言えない喪失感に苛まれたが、同じ登山口から登れるフェストコーゲル(3038m)があるので、仕切り直してそちらに転進することにした。
ハンガーとフェストコーゲルの間に位置するホーエ・ムート(2653m)の山腹をトレイルと藪を繋いでショートカットしながら最短距離で巻いていくと、1時間半ほどでフェストコーゲルへのトレイルに合流した。 トレイルは運休中のリフトの右側のスロープをジグザグに登る単調な道だったが短時間で標高が稼げた。 ホーエ・ムートの背後に登れなかったハンガーが見えると足取りが少し軽くなった。
リフトの中間駅を過ぎると小さな氷河湖があり、そこから先は岩の堆積する広い尾根となった。 トレイルの踏み跡やペンキマークは薄いが、所々に立派なケルンがあり登高は容易だった。
下からは十字架に見えた人工物は気象観測器機だったので目と鼻の先にある山頂に向かう。 山頂には小さないケルンが積まれていただけで十字架はなかった。 登頂が正午になってしまったので山頂からの展望は冴えなかったが、想定外の出来事をリカバリーして登頂が叶って良かった。
往路を下り始めると突然山頂にヘリコプターが飛来し、気象観測器機の点検作業が始まったので驚いた。 下山後は駐車場の前の教会で滞在期間中の無事を感謝して祈った。
8月29日、滞在したアパートを7時にチェックアウトしてミュンヘンの空港に向かう。 国境を越えてドイツに入ると、ナビは往路と同じ幹線道路ではなく二つの湖を通る峠道を案内した。 往路では気が付かなかったが、途中のミュンヘンの市内では全て地下道を通る立体交差になっていて信号機は無かった。 制限速度は30キロだったが結果的にはその方が早く、事故や排気ガスの量も減らせるのだろう。
空港でのレンタカーの返却は貸出しと同じようにスムースでスマホの画面にサインするだけだった。 レンタル期間中の走行距離は2,560キロで予想よりもだいぶ少なかった。 直行便の機内には日本人の乗客が多かったが、平日だったせいか2割ほどの空席が見られた。 航路はロシアの上空を避けて北極海の上空を通った往路とは違い、ロシアの上空を南側から避けて黒海やカスピ海の上空を通っていた。 所要時間は往路よりも2時間早い12時間半だった。
6年ぶり通算10回目となった今回のアルプス山行は、前回までの氷河のある4000m峰のガイド登山とは全く趣を異にしたハイキングの延長で登れる3000m峰の登山に甘んじたが、初めてのオーストリアでの長期滞在とヨーロッパでの車の運転を経験し、苦労もあったが収穫も多く印象深いものとなった。
計画の段階では盛夏のオーストリアは良い天気の日が少ないと予想していたが、滞在期間の半分以上の日で登山やハイキングが出来たことを考えると、今シーズンの天気に関しては良い方に予想が外れた。 また、盛夏としては予想以上に花々が多かったが、他の山域と同じように温暖化による氷河の後退は歴然で悲しかった。
今回は『やさしく登れるアルプス3000m峰』を参考に山の計画をしたが、3000mという数字に固執することはナンセンスで、現地で入手した地図から選んだホーエス・ラド(2934m)のように3000m峰に匹敵する山が幾つかあり、次回はそれを念頭に計画を進めようと思った。
滞在地として選んだゼーフェルトの気候や環境は予想以上に良く、過去に滞在したスイスのグリンデルワルトやツェルマット、フランスのシャモニーなどの有名なリゾート、あるいはカナダのカルガリーと比べて遙かに居心地が良かった。 次回は再びゼーフェルトをベースに今回行かれなかったスロベニアやイタリアの山、そしてスイスの山にも足を伸ばしてみたいと思った。