8月5日、残念ながら風邪はまだ完治していないようだったが、前回のダン・ブランシュへの出発の朝よりは良い気がする。 天気予報は今日が快晴、明日は晴れ時々曇りとなっていた。 妻に見送られて5時過ぎにアパートを出発。 日本人橋から見たマッターホルンはまだシルエットしか見えないが、天気は予報どおり良さそうだ。 未明のメインストリートは昼間の喧噪が嘘のように人気は無く静寂そのものだ。
5時37分発の始発電車に乗り、いつもと同じようにフィスプへ。 日曜日のせいか車内に乗客は殆どなく、初めて車掌も検札に回ってこなかった。 今日も車窓から景色を眺めることもなく、ひたすら寝ていく。 フィスプでジュネーブ行きの急行電車に乗り換え20分ほどでシエールの駅に着く。 駅の南側にあるバスターミナルはすぐに分かったが、肝心のバスの乗り場が分からず、マウンテンバイクを携えたグループに尋ねると、ここで良いというので安堵した。 あらためて周囲を見渡すと、すぐ近くに電光表示の時刻表があり、柱に着発番線の表示がされていることが分かった。 意外にもこれから向かうビソール行きのバスの乗客の半分ほどがマウンテンバイクを携えていて、バスの後ろには自転車を運ぶための専用のトレーラーが付いていた。
シエ−ルの町を7時40分に出発したバスは前回のエランの谷や、前々回のサン・ベルナール峠への山岳路とは明らかに違う道幅の狭い急勾配の九十九折れの道を進んでいく。 バスはガソリンエンジンのようで、坂道でもストレスを全く感じさせない。 途中で何人かの乗客を拾って30分ほどでビソールの町に着き、小さなバスターミナルでツィナール行きのバスに乗り換える。 意外にもツィナール行きのバスに乗り換えたのは私だけで、マウンテンバイクの一行は違う行き先のバスに乗り換えた。 ビソールからは坂の勾配は緩くなったがさらに狭くなった道を走る。 車窓からはヴァイスホルンではなく、ツィナールロートホルンが望まれた。 谷のどん詰まりのツィナールの村は寒村だと思っていたが、通り沿いのホテルやレストラン・別荘などは皆どれも新しくて立派だった。 村の中心部からさらに500mほど先にある終点のビレッジ・デ・バカンスで下車する。 バス停のすぐ傍らにはこれから向かうトラキュイ小屋への道標が立ち、コースタイムは4時間30分と記されていた。 高度計の標高を地図から読み取った1680mに合わせる。 3260mのトラキュイ小屋までの単純標高差は1580mとなる。
バス停のベンチで朝食のあまり物を食べて9時前に出発する。 別荘地の中の車道をしばらく歩いていくと車が5〜6台停められる“登山口の駐車場”の先にトレイルの入口があった。 体調の回復と明日への疲れを残さないように極力ゆっくり登ることを心掛け、高度計を見ながら150m毎に休みを入れる。 昨日山小屋に泊まったと思われる人達が一人二人と下山してくる。 挨拶はここでも「ボンシュール」だ。 後ろから登ってくる軽装の日帰りのハイカーに積極的に道を譲る。 登り始めは北側の斜面なので陽が射さず、暑さに苛まれずに済んだ。 トレイルの道幅は広く、バギー車で登ってくる夫婦もいた。
登山口から1時間ほどで前方の崖に滝が見えるようになるとトレイルの道幅は狭くなり、急坂をジグザグに少し登ると明るく開けた牧草地になった。 間もなく前方にヴァイスホルンが遠望されるようになったが、その頂はまだ遥かに遠かった。 アルム・コンボータンナと地図に記された所には小さなプライベート小屋があり、付近には放牧された牛の群れやロバの姿が見られた。 この辺りは高山植物が多く、山々の展望も良いのでハイキングにはもってこいだ。 当初の計画ではトラキュイ小屋に泊まって妻と二人でビスホルンを登る予定だったが、ヴァイスホルンを登るためにこのルートを辿ることになるとは夢にも思わなかった。 今日はどこかの展望台に行っているはずの妻のことを思い浮かべながらゆっくりランチタイムとした。
今日は日曜日なので、正午を過ぎると下から登ってくる人よりも上から下ってくる人が多く見られるようになった。 ビスホルンに登ってきた人達と日帰りのハイカーだ。 氷河から流れ出る沢を眼下に見下ろすようになると、大きな四角い岩のようなトラキュイ小屋やツィナールロートホルンの尖った頂が見え始めた。 麓の町からも見えていたダン・ブランシュも一段と凄みを帯びてきた。 トレイルの勾配が増してくると、モレーン帯の中のジグザグの道となった。 山小屋は指呼の間に見えるがなかなか近づいてこない。 トゥルトマン氷河の源頭にビスホルンの山頂が見えてくると間もなく鎖の付いた岩場があり、そこを通過すると巨大なジュラルミンの箱のようなトラキュイ小屋に着いた。 バス停から山小屋まで6時間くらいを目途にゆっくり登ったが、登り一辺倒のトレイルはとても効率が良く、5時間半足らずで辿り着くことが出来た。
改築されたばかりの斬新な新しい山小屋に入り受付をすると、英語が堪能な若い女性のスタッフが山小屋の施設の概要や食事のスケジュールなどを丁寧に説明してくれた。 ダイニングルーム(食堂)はガラス張りの“展望レストラン”となっていて、宿泊だけを目的にこの小屋を訪れる人が多いことも頷けた。 二階にあるベッドルームは4人用の個室と大部屋があったが、宿代は同じ87.5フラン(邦貨で約9,900円)で、今日は平日だったのでダビッドと二人だけの個室になった。 地下にあるトイレはバイオトイレになっていて臭いは全く無かった。 荷物の整理を済ませて二階のベッドルームに行き、予定どおり夕食の時間まで横になって休養する。 体調は朝よりも少し良くなり、疲労感もそれほどなかった。 やはり山はマイペースで登るに限る。 間もなく予報には無かった雨が降り出し、30分ほど降っていた。 雨に降られずにラッキーだったが、明日の天気が心配になった。
5時過ぎにダビッドがベッドルームにやってきた。 彼は僅か3時間で登ってきたという。 6時半にベッドから這い出して階下の食堂に行く。 今日の宿泊者は30人ほどだったが、それでも食堂にある座席の半分以下だった。 夕食はニンニクの味が強いスープに続いて、ビーフシチューとマッシュポテトという山小屋では定番のメニューだった。 夕食後にダビッドから、「明日は2時に起床し、準備が出来次第出発します」という指示があった。 ルートについては、ビスホルン(4159m)の山頂を踏んでから北稜を登るとのことだった。 ダビッドへ「明日はいよいよヴァイスホルンの山頂ですね〜」と投げかけてみると、ダビッドは相変わらず「登頂の可能性はあります」と言葉を濁し、未だ登頂を確信していない様子だった。 私があまりにも山頂にこだわっているため、ダビッドは「9時半までに山頂に着かなければ、その時点で引き返します」という胸の内を私に明かしてくれた。 到着が9時半ということは制限時間が7時間ということになる。 登りに7時間以上掛かると、12時間以内に戻ってこられないからだろう。 私もこれに応え、「明日は本気で頑張ります!」と元気に言い放った。
8月6日、ダビッドよりも早く1時半前に起床。 前夜は予想どおり緊張と興奮、おまけにニンニクのスープのせいで殆ど寝ることは出来なかったが、体調は思ったよりも良く、三回目にしてようやく高度に順応した感じで疲労感も無かった。 天気は予報よりも良くなったのか、空には月が煌々と輝き星も綺麗に見えていた。 身支度を整え、まだ暗い食堂で持参したクロワッサンとチーズを食べる。 ヴァイスホルンに登るのは私達だけだろうと思っていたが、2時に食堂に現れたのはダビッドとオーストリアのガイドのワッペンをジャケットに着けた若い二人のパーティーだった。 運良くトイレを済ませ、ヘルメットを被りハーネスを着けてテラスに出る。 間もなくダビッドが現れ「今日は暖かいのでジャケットは着なくて良い」と言うので、ジャケットを脱いでいくことにした。
ロープは結ばずに2時半ちょうどに山小屋を出発する。 5分ほど登り下りしながらモレーンの中の踏み跡を足早に進んでいくと氷河の末端となり、アイゼンを着けてロープを結ぶ。 後ろから追いついてきたオーストリア人のパーティーと入れ違いに先行する。 勾配が殆ど無いスプーンカット状の氷河の斜面は、ビスホルンへの登山者が大勢歩いているはずだが、踏み固められた明瞭なトレースは無くとても歩きにくかった。 ダビッドは氷河の上を登山道を歩くような感覚で飛ばしていくが、自分でも不思議なくらい息が上がらなかったので安堵する。 幅の狭いクレヴァスをいくつか跨いでいくと、間もなく想定していた明瞭なトレースに合流した。 恐らくルートを熟知しているダビッドは、ショートカットして最短のルートで進んでいるのだろう。
明瞭なトレースに合流するとやや勾配が増してきたが、それでもブライトホルンを登っているような感じだ。 ダビッドにしては遅いペースで安堵したが、今日の制限時間の7時間から逆算すると、山小屋からの単純標高差が900mのビスホルンの山頂まで3時間以内に着かないと、ダビッドの引き返そうとする気持が強まるだろうから、ロープにテンションは絶対かけられない。 ペースはゆっくりながら(それでも充分速い)も、緊張感のある登高となり、後続のオーストリア人のパーティーを振り返ることなく、静寂の暗闇の中を足元だけに集中して黙々と登り続けた。 ありがたいことに風邪は治ったのか、喉が渇いて貼り付くような不快感はなかった。
大きなカーブを切り返すたびにそろそろ休憩かと期待するが、ダビッドが足を止める気配は全くなかった。 今日に限っては私から休憩をリクエストすることはタブーなので、ダビッドに任せて登り続けるしか術がなかった。 高度計を見ればどのくらい登ったのか見当がつくが、標高を見てガッカリするのが嫌なので、バテるまでは見ないことにした。 こんな登り方をするのも久しぶりだが、全てはヴァイスホルンの頂に立つためだと思うと、苦しさや辛さの中にも言葉では表現出来ない充実感があった。 マラソンにも似た感覚かもしれない。
時間の感覚が無くなり、頭の中はすでに空っぽになっていた。 もうどうにでもなれと開き直った時、目の前に小さな雪壁が立ちはだかり、ようやくダビッドの足が止まった。 ダビッドはロープを短くたぐり、10mほどの雪壁を一気に登ると、そこは広場のようになっていた。 ダビッドが再び足を止め後ろを振り返ったので、ようやくここで休憩かと思ったが、意外にもダビッドの口から「ビスホルン、サミット」という言葉が出たので驚いた。 時計を見ると確かに標高は4150mになっていたが、時刻はまだ4時54分だった。 自分でも信じられないが、2時間半足らずでビスホルンを一気に登ってしまったのだ。 もちろん足はかなり疲れていたが、目標にしていた3時間以内に登れたので、ヴァイスホルンへの道が開かれたようで嬉しかった。 ダビッドはさらに「ヴァイスホルンの山頂が見えますか?」と暗闇に浮かぶそのシルエットを指さし、「まだあそこは遠いですよ」と言って背中のザックを下ろそうとはしなかった。 ダビッドの思いもよらない発言に驚いたが、ここでダビッドのやる気をそいではまずいので、まだ温かさの残るショルダーベルトのコーヒーを一気に飲み、記録用の写真を一枚撮っただけで、休まずに先に進むことにした。
山頂からヴァイスホルンとのコルに向けて下り始めると、意外にも昨日の新しいトレースが見られた。 トレースは深く、雪が相当緩んだ午後の時間帯のものであると思われた。 そのトレースの脇をダビッドが先頭になりショートロープで駆け下りるように下る。 およそガイド登山の常識では考えられないことだ。 コルまでの標高差は100mぐらいで収まったので良かった。 コルからの登り返しに入ると間もなく岩場が出てきたので、ここでストックをデポすることになった。 夜が白み始め黎明のミシャベルの山々が望まれた。
ここからはいよいよ北稜の登攀となる。 ありがたいことに今のところ無風で、天気は予報より良いみたいだ。 山頂までの単純標高差は450m、時間はまだ4時間以上ある。 不安材料は岩のグレードだけだ。 意外にも岩稜の取り付き付近はただ歩くだけの易しさで、雪と岩を何度か交互に繰り返しながら足早に進む。 雪が稜線に無くなった所でアイゼンを外し、ここから前方に立ちはだかるグラン・ジャンダルム(4331m)への登りとなった。 岩のグレードは前回のダン・ブランシュよりも難しく、4級以上の岩がいくつも出てきた。 ダビッドはさすがにルートを熟知しているようでルート取りは正確で無駄がないが、基本的に尾根を忠実に辿るため、小さな登り下りが連続し標高があまり稼げない。 ビレイポイントがある最初の4級の岩も下りで、躊躇なく懸垂で下りた。 登りは上からのダビッドの細かい指示で足場や掴む岩を教えてもらうが、私の短い手足では僅かに届かない所があり、何度もテンションを掛けながら登った。 稜線は見た目よりも複雑な地形で途中に小さな氷河もあったが、昨日のトレースを巧みに利用してアイゼンは着けずに登った。
6時半前に待望のご来光となり、太陽の方向に目を遣ると、後方のビスホルンが目線よりも低くなっていた。 グラン・ジャンダルムはさすがに基部からの直登は出来ず、最初は左から巻いて登る。 ダビッドも今までになく時間を掛けて慎重に登っていく。 先端の尖った岩の上こそ登らなかったが、無事グラン・ジャンダルムを登り終えると、眼前には天を突くようなストイックなヴァイスホルンの頂稜部が見られ思わず歓声を上げる。 グラン・ジャンダルムから少し下ったコルからは雪稜となっていたのでアイゼンを着ける。 時計を見ると7時半で“微妙な”時間になっていた。 標高差はあと200mだ。 気のせいかダビッドは今までとは違い、少しリラックスしているように見えた。 怖かったが、思い切ってダビッドに「ポッシブル?」と声を掛けた。 意外にもダビッドは即座に「イエス」と素っ気なく答えた。 時間ばかりを気にしていた緊張感が一気に解け、まるでもう山頂に着いたかのような嬉しさがこみ上げてきた。
ありがたいことに天国にでも向かうかのような美しいナイフエッジの雪稜にも新しいトレースがあり、予想以上に楽に登れた。 しかしダビッドは未明のビスホルンへの登りよりも明らかに速いペースで私をグイグイと引っ張っていく。 もうすでに手はパンプし、足の疲労はピークに達していたが、希望という心の力は強く、口で息を吸い込みながらもつれる足にムチ打ってダビッドのペースに合わせて登っていく。 次々に出現する偽ピークに何度もガッカリさせられたがもう無我夢中だ。 ようやく右上に山頂の十字架とノーマルルートの東稜から登った登山者の人影が見えた。 あと標高差で50mほどだろうか。 山頂直下ではトレースが無くなり、ダビッドがステップを作りながら登る。 十字架が目と鼻の先になると人影はすでに見えなくなっていた。 そして遂に憧れのヴァイスホルン(4505m)の山頂に辿り着いた。
山頂は畳一枚ほどの狭い岩で、意外にも十字架の躯体はシンプルな木製だった。 ダビッドと固い握手を交わし、体全身で喜びと感謝の気持ちを伝えた。 ダビッドも嬉しそうに「グッド・ジョブ!」と登頂を讃えてくれたが、間髪を入れずに彼の口から出た言葉は「ファイブ・ミニッツ」だった。 ダビッドらしい発言に、もう驚くことはなかった。 飲み食いする時間を惜しみ、岩に座ることもなく周囲の山々の写真を撮りまくる。 下山後に確認した山頂への到着時刻は8時13分だった。 図らずも天気は予報以上の快晴になったので、山頂からの展望は今回登った三山の中では一番素晴らしく、モン・ブランからベルーオーバーラントの山々までアルプスの山々が一望出来た。 もちろんグラン・コンバンとダン・ブランシュも良く見えた。 ツィナールロートホルンとオーバーガーベルホルンの頂が重なって見え、少し離れたマッターホルンは心なしか低く見えた。 ガイドブックには山頂からの展望について“ヴァイスホルンを登るくらいの人なら、みな知っている山ばかりだ”と記されているが、正にそのとおりだった。
至福の時間はすぐに終わったが、達成感が強すぎたのか不思議とそれほど山頂に未練は無かった。 ダビッドに山頂での記念写真を撮ってもらい、初めて口にした行動食の胡麻煎餅をテルモスのお湯で流し込み、もう二度と来ることは叶わない山頂を後にする。 下りは私が先頭になるが、体力の消耗が激しいので時間を気にすることなくゆっくり確実に下る。 岩稜の核心部はダビッドの指示でこまめに先頭を交代しながら下った。 足は踏ん張りが利かなくなっているが、一秒たりとも気が抜けない。 往路では懸垂で簡単に下った岩の登りが予想以上に困難で何度か冷や汗をかく。 ダビッドが山頂をトンボ返りした理由に納得出来た。 途中、オーストリア人のパーティーが違うルートで足下の岩場を登っている姿が見えた。 山頂からビレイポイント以外では休むことなく下り続け、2時間半ほどでようやくストックをデポした岩稜の取り付きに着いた。 眼前のビスホルンの山頂に登山者の人影が見えた。
アイゼンを着けて一旦コルまで緩やかに下り、ビスホルンへの最後の登り返しに入る。 もういくらダビッドでもここからはゆっくり登るだろうという甘い期待は裏切られ、先ほどと全く変わらないペースでグイグイと私を引っ張る。 もう彼には付き合いきれないので、テンションを掛け続けたまま一気に登り、今日二度目のビスホルンの山頂に着いた。 すでに11時を過ぎているため山頂は貸し切りだった。 ビスホルンの山頂からはヴァイスホルンがとても美しく望まれ、ツィナールロートホルンと同じくこの山の頂がヴァイスホルンの一番の展望台だということを教えてくれた。 未明の山頂と同じように、ダビッドは背中のザックを下ろそうとしなかったが、ここは私の意見を通してもらい5分ほど撮影タイムとした。
ビスホルンの山頂からは再び私が先頭になり、踏み固められたトレースを下り始めたが、傾斜が緩く滑落の心配がないと判断したダビッドが先頭になって足早に下る。 遥か前方を下っていた何組かのパーティーを全て追い抜き、山頂から1時間で氷河の取り付きまで下ってしまった。 取り付きで再度ダビッドと握手を交わし、お礼と労いの言葉を掛ける。 ロープが解かれ、アイゼンを外してモレーンの踏み跡を僅かに歩き、予想よりもだいぶ早い12時半前に山小屋に戻った。
食堂ではビスホルンを登った人達が昼食を食べながら談笑していた。 私達もコーラで乾杯し、カウンターの上に並べられていたアップルパイなどのケーキを二つあっという間に平らげた。 テーブルの隣にはダビッドの知り合いのガイドとそのクライアントの女性達がいて、私の登頂を祝福してくれた。 ダビッドはそのガイドと一緒にこれからすぐ山を下りると言ったが、私はとても彼らのペースでは下れないし、今日は登頂の余韻に浸りながらゆっくり下りたかったので、サミットボーナスを手渡して慌ただしく山小屋のテラスで別れることになった。 ダビッドとはスイスの山に限らず、世界のどこかの山で再会することを誓ったことは言うまでもない。
荷物の整理を済ませ、1時半に山小屋を後にする。 食堂にいた登山者は三々五々下山していったので、山小屋はガランとしていた。 足はもうゆっくり歩くことしか出来なくなっていたが、憧れのピークに立てた安堵感にも似た達成感で、高山植物が咲き乱れるトレイルを下ることは全く苦にならなかった。 ヴァイスホルンの山頂には雲が湧き、午後の夏山の風景になっていた。 人気のトレイルもさすがに平日は人が少なく、途中ですれ違ったのは20人足らずだった。 麓のツィナールの村に着く直前でにわかに空模様が怪しくなり、カミナリが鳴って雨が降り出した。 バスの発車時間まであと1時間あったので、ジャケットを着込んで庇のある村の中心部のバス停まで歩いた。 バスを待っている間に妻と田村さんにSMSで登頂と下山の報告をした。
5時44分発のビソール行きのバスに乗り、往路と同じように小さなバスターミナルでシエール行きのバスに乗り換える。 どこからともなく集まってきた人達でバスはほぼ満員だった。 シエールの駅には7時前に着いたが、ここからは電車の待ち時間が長くなり、ツェルマットに着いたのは9時過ぎだった。