憧れのヨーロッパアルプス 9

  【ツェルマット】
   2007年の夏以来途絶えてしまったヨーロッパアルプスへ退職前の有給休暇を利用して11年ぶりに再訪することになった。 アルプスにはまだ未踏の山が沢山あるが、その中で最も登りたい山、そして登らなければならない山は“アルプス中で最も美しい山”と讃えられ、モン・ブラン・マッターホルン・アイガー・グランドジョラスと共に世界百名山の一峰に選ばれているヴァイスホルン(4505m)だ。 そしてヴァイスホルンと同じようにマッターホルンの周りを取り囲んでいる名脇役の山々のうち、唯一まだ登っていないダン・ブランシュ(4356m)である。 この山も“アルプスの王者”と称されている名峰だ。 そしてもう一峰、以前イタリア側からリスカムを登った時の移動中に、アオスタの町から仰ぎ見た孤高のグラン・コンバン(4314m)が候補に挙がった。 今回はこの三山を登ることをメインとし、中でもヴァイスホルンを最優先としたため、滞在先を同峰の近くのツェルマットとすることに迷いはなかった。

   日程については、これまで初回を除いて繁忙期を外した8月下旬から9月上旬としていたが、今回は休暇の都合で図らずもベストシーズンの7月中旬から8月上旬の3週間となったが、エア・チケットを平日の出国・帰国として3か月前から予約したことで、今回利用したタイ航空は諸費用込みで約80,000円と、今までの中で一番安かった。 預託荷物も30キロまでOKとなったのも朗報だった。 宿は今までの経験を活かし、ネット(ブッキング・コム)で1DKのアパートを予約したが、料金は一日当たり146フラン(邦貨で約16,500円)と、高級リゾート地のツェルマットにしては安かった。

   計画は順調に進み、久々のヨーロッパアルプスへの再訪を楽しみにしていたが、出発の2か月前に相棒の妻が突然腰痛を患い、痛みで歩くこともままならない容体になってしまった。 幸いその後の治療で何とか歩くことは出来るようになったが、上記の三山以外の登山やハイキングの計画を抜本的に変更せざるを得なくなった。 出発前のドタバタにより、今回の現地のエージェントとしたアクティブマウンテンの田村さんへ、出発の一週間前になってようやく滞在日程と登山計画を伝えたところ、ハイシーズンなのですぐにでもガイドを押さえたほうが良いとのことで、とりあえず第一希望のヴァイスホルンと第二希望のダン・ブランシュに相応しいガイドと日程を出発前に確保していただいた。 田村さんの話では、アルプスでは温暖化による氷河の後退が急速に進んでいるため、クレヴァスが多くなったりして以前よりも山が登りにくくなっているとのことだった。 ガイド料は予想どおり以前よりもだいぶ高くなり、ヴァイスホルンが1,560フラン(邦貨で約176,000円)、ダン・ブランシュが1,398フラン(邦貨で約158,000円)だった。 尚、現地での2週間のアクティブマウンテンへの事務手数料は540フラン(邦貨で約60,100円)だった。


グラン・コンバン ・ ダン・ブランシュ ・ ヴァイスホルン


マッターホルンの周りを取り囲んでいる名脇役の山々


イタリアのアオスタから見たグラン・コンバン(2006年8月撮影)


ツィナールロートホルンから見たダン・ブランシュ(2004年8月撮影)


ツィナールロートホルンから見たヴァイスホルン(2004年8月撮影)


   7月17日、機材の都合で定刻より少し遅れて午後5時半過ぎに成田空港を出発。 平日ということもあってか、乗客は予想以上に少なく、座席の3分の1以上が空席だった。 どうりでエア・チケットの値段が安かった訳だ。 やはり平日の旅は良いとつくづく思った。 乗り継ぎのバンコクのスワンナプーム空港へは予定どおり6時間で着いた。 夜中の時間帯だが旅行者は意外と多く、夕食にしたバーガーキングの店にも長い列が出来ていた。 3時間のトランジットでチューリッヒ行きの便に乗る。 先ほどの便ほどではないが、こちらも空席がかなりあった。 バンコクからチューリッヒまでは11時間半の長旅で、予定どおり翌朝の7時半に着いた。 ここ数年アジアの国々への登山が続いていたため長く感じたが、腰痛の妻が問題なく機内で過ごせたので良かった。 チューリッヒのクローテン空港のロビーの施設は、以前よりもゴージャスになったような感じがした。 たまたま機内で隣の席にいた年配の日本人の女性は、毎年演奏会を観るのが目的でスイスに長期滞在されているTさんという方で、途中のフィスプまでご一緒させてもらうことになった。 

   空港と隣接している鉄道駅の窓口で『スイス半額カード(2等)』(有効期間は1か月で電車・バス・ゴンドラやロープウェイの運賃が半額になる鉄道パス)を120フラン(邦貨で約13,500円)で購入し、同時にツェルマットまでの往復乗車券を129フラン(邦貨で約14,500円・半額カード使用)で購入した。 9時40分発のブリーク行きの直通の特急電車に乗り、ベルンで乗り換えなしで正午にフィスプに着いた。 車中でTさんから、山岳区間となるシュピーツからブリークの間に新しいトンネルが出来たので、所要時間が大幅に短縮されたことや、今までブリークでツェルマット行きに乗り換えていたのが、今はその一つ手前のフィスプで乗り換えるようなったことを教えていただいた。 尚、シュピーツからブリークの間の路線は観光用として利用されているとのことだった。

   フィスプでマルティーニ方面に向かうTさんと別れ、12時41分発の氷河急行でツェルマットに向かう。 以前下車したことのあるシュタルデン・サースやランダの駅は以前と変わっていないようで懐かしかった。 2時前に13年ぶりとなるツェルマットに到着。 駅前やメインストリートの喧噪は以前と全く変わらず、次第に昔の記憶が蘇ってくる。 気温は低いはずだが、陽射しは日本の盛夏よりも強烈で、肌がヒリヒリするほどだ。 宿泊するアパートへの地図を見ながら照り返しのきついメインストリートを二人分のスーツケースを押しながら歩く。 腰痛の妻を途中の教会の日陰で待たせ、一人で先にアパートに向かう。 道路からは建物が見えない山の斜面に建つ地上4階建のアパートは、入口が風穴のような素掘りのトンネルになっていてユニークだ。 100mほどトンネルを歩いた先にエレベーターホールがあり、管理人室がある地上階に上がる。 恰幅の良い管理人(このアパートのオーナーか?)のヨハネスから部屋の鍵を受け取り、再び教会に戻って妻と一緒にアパートに向かった。 

   アパートは改装されたばかりのようで、バスやトイレ・室内の家具・調理器具・テレビ・冷蔵庫などは全て新しく、自動食器洗浄機もついていた。 無料Wifiは言うまでもない。 ベランダは予想以上に広かったが、背の高い針葉樹に遮られマッターホルンは見えなかった。 室内照明は過剰なほど備えられていて、自宅よりも明るかった。 オール電化のため、シャワーや水道のお湯は瞬時に出てくる。 部屋からは居ながらにしてゴルナーグラートに上がる登山電車が見え、リゾート地にいることを実感した。 

   ゆっくり荷物を整理してから、アパートから10分ほどのスーパー『MIGROS』(ミグロ)に行き、水やパンなど必要最低限の買い物をする。 夕食は予定どおり日本から持参したレトルトのカレーをアルファー米で食べた。


チューリッヒ空港と隣接している鉄道駅の窓口


チューリッヒ空港駅からブリーク行きの直通の特急電車に乗る


車窓から見たブライトホルン


ツエルマットの駅


滞在したアパート『Paradies』の入口


アパートの室内


バスやトイレは新しく清潔だった


スーパー『MIGROS』(ミグロ)


   7月19日、時差ボケと久々の長旅で疲れていたが、早朝のマッターホルンの写真を撮りにアパートから5分ほどのマッターフィスパ川に架かる通称“日本人橋”に向かう。 予報に反して朝の天気は冴えず、マッターホルンには雲が取り付いていた。 朝食を食べると激しい睡魔に襲われ、昼まで寝入ってしまった。 午後は教会で登山の成功と妻の腰痛の完治を神様にお祈りし、アルパインセンターで情報収集をしてからミグロで食料品の品定めと買い出しをした。 ネットの普及によるためか、アルパインセンターの人の出入りは少なかった。 食料品の物価は日本よりも2〜3割高いが、チーズなどの輸入品は逆に安かった。 肉の値段はそこそこ高いが、ソーセージ・ハム・ベーコンの類は日本よりも安くて美味しい感じがした。 ツェルマットの町中は以前よりも明らかに車(電気自動車のタクシー)や自転車が増え、レンタサイクルや販売店が所々に見られた。


マッターフィスパ川に架かる通称“日本人橋”から見たマッターホルン


アパートのベランダから見たツェルマットの町


アパートのベランダから見たゴルナーグラートに上がる登山電車


教会


教会の内部


アルパインセンター


アルパインセンターの内部


ミグロで食料品の品定めと買い出しをする


   7月20日、6時前に起床して外を見ると快晴の天気だったので、慌ててマッターホルンの写真を撮りに日本人橋に向かう。 川沿いの道を歩いていくと、橋の上は100人くらいの人で鈴なりだった。 すでに朝焼けは終わってしまったが、雲の無いマッターホルンの写真を何枚も撮った。 山肌は黒く、また山頂直下の氷河も以前より薄くなったように思えた。 

   朝食後は妻のリハビリを兼ねてフルーエヒュッテまでのハイキングに向かう。 妻は2か月ほどまともに歩いていないので、アパートから15分ほどのスネガ行きの地下ケーブルの駅まで30分近く掛けて歩いた。 地下ケーブルは10分毎の運行で、2288mのスネガまで5分ほどだ。 料金はその先のブラウヘルトまで往復で26.5フラン(邦貨で約3,000円・半額カード使用)だった。 スネガはツェルマット滞在時には必ず訪れているマッターホルンの展望台だが、今日は展望もさることながら妻のリハビリが第一だ。 少し雲が纏わり始めたマッターホルンの写真を撮ってゴンドラでブラウヘルト(2571m)に上がる。 その先のロートホルンへのロープウェイは、永久凍土が温暖化の影響で溶けたことによる支柱の不具合で今シーズンは運休となっていた。 

   ブラウヘルトからステリゼー(湖)を経由してフルーエヒュッテに向かう。 道標に記されたコースタイムはステリゼーまでが15分、フルーエヒュッテまでが40分だった。 ステリゼーまでは人気のルートなので、前後を歩いている人が多い。 気温の上昇で雲が湧き始めたので山々の展望は冴えないが、周囲に咲き誇る高山植物はまさに今が盛りで、出発の前日に買ったばかりの新しいカメラの撮影の練習にちょうど良かった。 ブラウヘルトからのんびり1時間ほどかけて多くのハイカーで賑わうステリゼーの湖畔着いた。 少し疲れの見えた妻を休ませ、目と鼻の先のフルーエヒュッテまで往復する。 湖畔でランチタイムとしながら“逆さマッターホルン”を狙ったが、僅かに吹いている風は止まず、マッターホルンに纏わりついた雲もなかなか取れなかった。 帰路は少し踏み跡の薄いルートでブラウヘルトに戻ったが、高山植物はこちらの方が多かった。 ブラウヘルトからはようやくヴァイスホルンが望まれるようになり、私のみヴァイスホルンの写真を撮りながら歩いてスネガまで下った。 スネガから地下ケーブルでツェルマットに下り、ミグロで食料品を買ってアパートに帰った。

   アパートでシャワーを浴び、5時に田村さんと待ち合わせた土産物店『WEGA』の前に行くと、偶然そこをAGの近藤さんが通りかかったのでお互いに驚いた。 私は7年前のマナスルで、妻は10年前のオホスで一緒に山に登った時以来だった。 しばらく近藤さんと雑談を交してから13年ぶりに再会した田村さんと近くの喫茶店で今回の登山の全般的な打ち合わせをしたが、話はついついネパールの山々に脱線してしまい、予想どおり雑談の方が長くなってしまった。 今回の私のガイドはダビッド・ウィッキーという人で、田村さんと親しいミッキーというマッターホルンではナンバーワンのガイドから紹介されたようだ。 ダビッドはフィスプの近くに住んでいるので、登山口まで車で送迎してくれるとのことだった。 日程については第一希望のヴァイスホルンの方が先だったが、ダビッドから先にダン・ブランシュを登った方が良い(私の技量を見たいからだろう)というリクエストがあったので、これに応じることにした。 また意外にもヴァイスホルンは一般ルートの東稜ではなく、反対側の北稜を登るという提案があったとのこと。 これについてはまだ確定ではなく、ダン・ブランシュが終わった時点でまた検討するとのことだった。 ガイドがフィスプの近くに住んでいるなら、第三希望のグラン・コンバンも同じガイドに依頼した方が良いのではないかと思い、田村さんに追加でガイドの確保をお願いした。

   打ち合わせが一段落したところで、新しいアクティブマウンテンの事務所(田村さんの自宅の一室)を教えていただき、スタッフの岩井さんとも13年ぶりに再会した。 奇しくも私達がツェルマットに着いた一昨日、田村さんと二人でヴァイスホルンに登られたとのことだった。


“日本人橋”から見たマッターホルン


スネガの展望台


ブラウヘルトからステリゼーへ


センペルビブム


ゲンチアナ


グロブラリア


アルペンスター


ティムス・ポリトリクス


ケラスティウム


タカネシオガマ


ロトゥス・アルピヌス


アスター・ベリディアストルム


ステリゼーから見たマッターホルン


ステリゼーから見たオーバーガーベルホルン(右)


フルーエヒュッテ


ブラウヘルトから見たヴァイスホルン


田村さんと待ち合わせした場所に偶然通りかかった近藤さん


   7月21日、予報どおりの曇天で周囲には霧が立ち込め、室温は24度で涼しかった。 明日は日曜日でスーパーが休みのため(実際は営業していた)、午前中はミグロと駅前の『COOP』(コープ)の両方に食料品を買いに行った。 外は手袋が欲しいくらい肌寒く、間もなく小雨が降り始めた。 天気が悪いため町中を歩いたりスーパーで買い物をしている人が多い。 駅前のコープの方が店舗が大きく品揃えが豊富だったが、品質や値段はほぼ同じだった。

   午後はツェルマット観光局などの天気予報をネットとテレビの両方でチェックしながら明日以降の計画を立てるが、予報はまちまちでどれが正確なのか分からなかった。 夕方になって田村さんからメールがあり、同じガイドで7月25日と26日にグラン・コンバンの予約が取れたという朗報だった。 ガイド料は1,320フラン(邦貨で約149,000円)とのことだった。 今回予定していた三つの山の日程が決まったので、高所順応のため天気が良さそうな23日に日帰りのポリュックス(4092m)のグループ登山(360フラン/邦貨で約41,000円)がちょうど良いと思い、アルパインセンターに申し込みに行ったが、窓口のスタッフからポリュックスはまだ誰からもオーダーがなく、一人だとマンツーマンになるため、ガイド料が2倍以上になると説明されたので、仕方なく今回は見送ることにした。 その足でアクティブマウンテンの事務所を訪ね、田村さんからグラン・コンバンの登山ルートやスケジュールなどを教えてもらい、ヘリでのレスキュー保険(30フラン/邦貨で約3,400円)の申し込みをした。 夕食はスーパーで買った米を鍋で炊いたご飯を食べた。


アパートの共用スペース


午前中は霧に包まれて肌寒かった


スーパー『COOP』(コープ)


スーパーで買った食材


雨のメインストリート


新しいアクティブマウンテンの事務所


夕食は米を鍋で炊いたご飯を食べた


   7月22日、今朝も予報どおり昨日のような曇天だった。 テレビで各展望台のライブカメラを見ながら今日の予定を模索する。 午前中は部屋の掃除をしてバスタオルなどを交換してもらい、トイレットペーパーや指定のゴミ袋をもらった。

   午後は少し天気が回復してきたので、ゴンドラでシュヴァルツゼー(湖)(2583m)に行く。 ゴンドラ乗り場はアパートから5分という近さで、料金は往復で27.5フラン(邦貨で約3,100円・半額カード使用)だった。 天気は期待していたほど良くならず、シュヴァルツゼーから良く見えるダン・ブランシュは雲に覆われ、マッターホルンもヘルンリヒュッテから下しか見えなかった。 いつものように湖畔の小さな礼拝堂に行き、登山の成功と妻の腰痛の完治を神様にお祈りした。 しばらく周辺の散策をしてから妻と別れ、高所順応を兼ねてヘルンリヒュッテへの道を登る。 田村さんの話どおり、昨今の観光ブームでハイキングをする人が増え、次々と下ってくる人達とすれ違う。 一番多いのはここでも韓国人だった。 登り始めてから1時間少々で3000mを超え、ヘルンリヒュッテが指呼の間に見えたが、5時が最終のゴンドラに乗らなければならず、そこからトンボ返りで下山する。 アパートに戻ると、岳友の田口さんがつい先ほどK2に登頂したという朗報がネット上でタイムリーに配信されていた。


アパートの入口へのトンネル


シュヴァルツゼーへのゴンドラ乗り場


シュヴァルツゼーのホテル


シュヴァルツゼー(湖)


湖畔の礼拝堂


礼拝堂の内部


高所順応を兼ねてヘルンリヒュッテへの道を登る


ヘルンリヒュッテの直下から見たマッターホルン


   7月23日、予報どおり三日続けて曇天の朝となった。 妻は少し風邪をひいてしまったようで、今日は外出せずに休養することを決め、私は高所順応を兼ねて手軽に登れるオーバーロートホルン(3414m)に行った。 同峰は初めてツェルマットを訪れた18年前に登って以来だ。 

   午後からは天気が回復するという予報だったので、昼前にアパートを出発し“通い慣れた” 地下ケーブルでスネガへ上がる。 あいにくマッターホルンを初め周囲の山々の展望は予想よりも悪かった。 スネガからブラウヘルトへゴンドラで上がる。 ブラウヘルトから殆どのハイカーはステリゼーへ向かうため、オーバーロートホルンへ向かう幅の広い道には人影がない。 13年前の大雪の直後に西廣さん夫妻とこの道を歩いたことが思い出された。 ステリゼーを眼下に見ながら歩いていると、マーモットが何匹かお花畑の中に見られた。

   フルーエヒュッテからの道と合流してからは前後にハイカーの姿が見られるようになった。 残雪が僅かに残るオーバーロートホルンの基部からは傾斜が緩くなり、滞在期間中に妻の腰が少しでも良くなれば登れるのではないかと思った。 午後からは天気が回復するという予報を信じ、足元の高山植物を愛でながらゆっくり登ったが、先ほどまで見えていた山頂は逆に霧に包まれてしまったので、山頂手前の風の弱い尾根の末端で30分ほど待機する。 霧はますます濃くなるばかりで体も冷えてきたので、すでに誰もいなくなった山頂に向かう。 1時半に山頂に着くと、奇跡的にマッターホルンの山頂が一瞬見えた。 一番楽しみにしていたドムが終始見えずに残念だったが、今日は順応だと割り切って1時間ほど山頂に滞在してから下山する。 下山後にツェルマットの駅で明日予定しているゴルナーグラートへの登山電車の切符を買ってアパートに帰った。 料金は往復で57フラン(邦貨で約6,400円・半額カード使用)だった。

   夕方田村さんからメールがあり、当初予定していたグラン・コンバンの登山ルートと集合時間を変更するということだった。 ルートについては変更後のものが当初私が予定していたルートだったので良かった。


ツェルマット観光局のテレビの天気予報


町内を走る路線バス


スネガへの地下ケーブル


マーモット


シラタマソウ


フルーエヒュッテからの道との分岐付近から見たオーバーロートホルン


残雪が僅かに残るオーバーロートホルンの基部


コケマンテマ


オーバーロートホルンの山頂


オーバーロートホルンの山頂から見たマッターホルンの山頂


   7月24日、5時に起床して天気予報をチェックすると快晴だったので、予定どおりゴルナーグラートの展望台(3090m)に行くことにした。 7時始発の登山電車に座れるように6時過ぎにアパートを出発する。 日本人橋から見たマッターホルンには雲一つなく足取りは軽い。 6時半にツェルマットの駅に着いたが、意外にも駅の入口は閉まっていて行列もなかった。 間もなく登山電車に乗り込むと、出発時間までに座席はほぼ埋まったが、意外にも工事関係者が半分ぐらいを占めていた。 

   出発してすぐに車窓から青空を背景にしたマッターホルンが望まれ気持ちが一気に盛り上がる。 途中のローテンボーデンでは“逆さマッターホルン”を見るためか、下車する人達が多かった。 30分ほどで終点のゴルナーグラートに着き、ホテルの脇を通って展望台に上がる。 ホテルの宿泊者は部屋の中から山を眺めているのか、展望台には数人の人影しか見られなかった。 もう何度も訪れている展望台だが、マッターホルンはもちろん、これから予定しているダン・ブランシュとヴァイスホルンが雲一つない青空の下に望まれて嬉しい限りだ。 360度の大展望の動画を撮ったが、新しいカメラの操作を誤り、写っていなかったのが玉にキズだ。

 

日本人橋から見たマッターホルン


7時始発の登山電車でゴルナーグラートへ向かう


登山電車の車内


登山電車の車窓から見たブライトホルン


ゴルナーグラートの駅から見たマッターホルン


ゴルナーグラートの展望台


展望台から見たダン・ブランシュ


展望台から見たオーバーガーベルホルン


展望台から見たツィナールロートホルン


展望台から見たヴァイスホルン


展望台から見たダン・ブランシュ(左端)とヴァイスホルン(右端)


展望台から見たモンテローザ(左)とリスカム(右)


展望台から見たドム(中央左)とテッシュホルン(中央右)


   9時を過ぎると次々に到着する電車で運ばれてきた大勢の人達で展望台は賑やかになったが、今日は順応も目的だったので2時間ほど展望台に居座り、リッフェルゼー(湖)に向かってトレイルを下る。 人気のルートなので前後を歩いているハイカーが多い。 リッフェルゼーでは湖に映る“逆さマッターホルン”を期待したが、気温の上昇で少し雲が湧いてしまい、良い写真は撮れなかった。 天気は安定していたので、妻のリハビリも兼ねてリッフェルベルクまでさらに歩いて下り、1時半の登山電車に乗ってツェルマットに下った。 

   駅前のコープで明日の行動食などを買ってアパートに帰り、明日からの登山の準備を入念に行った。 夕方天気予報をチェックすると、明日・明後日とも晴れだったので嬉しかった。 夜に田村さんから最終確認のメールがありエールを送られた。


ゴルナーグラートからリッフェルゼー(湖)へ


リッフェルゼー(湖)


リッフェルゼーと“逆さマッターホルン”


リッフェルゼーから見たモンテローザ(左)とリスカム(右)


リッフェルゼーからリッフェルベルクへ


リッフェルベルク


登山電車の車窓から見た滞在先のアパート『PARADIES』(中央)


  【グラン・コンバン】
   7月25日、装備品のチェックを再度行い、9時半に妻に見送られてツェルマットの駅に向かう。 天気は予報よりも悪く雲が厚かった。 予定どおり10時13分発の電車に乗る。 時刻表では8時から夕方の6時の間は30分に1本電車があった。 フィスプまでの運賃は18.5フラン(邦貨で約2,100円・半額カード使用)だった。 車中では久々のアルプスでの登山でワクワクするという感じではなく、名前しか知らないガイドとの顔合わせに少し緊張していた。 1時間少々で待ち合わせ場所のフィスプの駅に着く。 駅前の写真を撮っていると、ガイドのダビッドが笑顔で声を掛けてきた。 サングラス越しの顏は予想よりも若く優しそうに見えた。

   ダビッドの車に乗り、登山口のブール・サン・ピエールに向かう。 すぐに道幅の広い道路に合流すると、そこから先はジュネーブ方面への電車の線路と並走する無料のハイウェイとなっていた。 制限速度は100キロのようだが交通量は少なめで、ダビッドはそれ以上のスピードで飛ばしていた。 車中では拙い英語とジェスチャーで自己紹介や山の経歴などをダビッドに話した。 単語や文法がなかなか思い浮かばないが、山に対する情熱だけは伝わったようだ。 ダビッドはまだ25歳という若さでフィスプの近くのシエールという町に住んでいるとのこと。 山岳ガイドの資格を取ってからまだ2年しか経っていないが、幼少の頃から相当山に通い詰めていたようだった。 春と秋はロッククライミング、冬はスキーと一年中ガイド業をしているとのことで、私が登山で行ったことがあるチリで一番大きなスキー場のインストラクターや、ネパールのチョラツェなど登攀系の6000m峰のガイドもやったことがあるとのことで話しが弾んだ。 今回彼と登る予定の三山のうち、ヴァイスホルンとダン・ブランシュは数回登ったことがあるが、グラン・コンバンは登ったことがないとのことだった。

   以前シャモニへ電車で行った時の乗換駅だったマルティーニにフィスプから1時間ほどで着いた。 車窓から見たマルティーニはブドウ畑に囲まれた町だった。 マルティーニからはジュネーブ方面への本線から分かれ、イタリアとの国境のグラン・サン・ベルナール峠(2469m)への山岳路に入るが、日本に比べて山が大きいためか、カーブは緩く道幅も広いため走行スピードが速い。 途中にはレストランがある小さな集落がいくつか点在していた。 予想よりも早く1時前に教会のあるブール・サン・ピエール(1632m)の小さな村に着いた。 どこに車を停めるのかと思っていたら、何の標識もない急勾配の細い山道に入り、さらにしばらく未舗装の道を進んで車が数台停まっている“登山口の駐車場”に着いた。 高度計の標高は1800mを越えていたので、車でアプローチしたメリットがあった。

 

グラン・コンバンの地図


フィスプの駅


フィスプからダビッドの車で登山口に向かう


ジュネーブ方面への無料のハイウェイ


車窓から見たマルティーニの町


車窓から見たブール・サン・ピエールの村


登山口の駐車場


   夕方には雨が降りそうだったので傘を持って1時過ぎに駐車場を出発。 日本ではすでに午後の時間帯だが、こちらでは2時間ぐらいの時間のズレがあるので、まだ11時ぐらいの感じだ。 付近には道標が無かったが、すぐ先でブール・サン・ピエールからバルソレイ小屋へ至るトレイルに合流した。 山はもちろん山小屋までのルートも全くマイナーだと思っていたが、周囲には予想以上に多くの人が見られた。 この辺りはスイスの中ではフランス語圏なので、挨拶は基本的に“ボンシュール”だ。 勾配の緩い牧歌的な雰囲気の道を氷河から流れる沢沿いに進んでいく。 先を歩くダビッドから、「ペースが速かったら声を掛けて下さい」と言われたので、明日のことを考えてマイペースでゆっくり歩いたが、ゆっくり歩き過ぎたのか、「明日はもう少し早く歩いてもらいます」と休憩した時に言われてしまった。 

   天気は予報以上に悪く展望は冴えないが、涼しいので助かる。 トレイルには色々な高山植物が途切れることなく咲き誇り、天気が良ければ山小屋までのハイキングでも充分に楽しいだろう。 前方に一瞬だけ厚い雲間からグラン・コンバンと思われる氷河を身に纏った山が見えた。 ガイドブックに記された『ヴェラン小屋』や放牧小屋のような『アモンのシャレー』を過ぎると間もなく小雨がパラつき始め傘をさして歩く。 大小の岩が堆積する山小屋直下のモレーン帯では野生のヤギ(アイベックス)の群れが見られた。

   登山口がブール・サン・ピエールから30分以上奥に入った所だったので、予想よりも早く4時半にバルソレイ小屋(3030m)に着いた。 アルプスの山小屋では一般的な石造りのこぢんまりとした山小屋は、内部がリフォームされていて清潔な感じがした。 トイレは外に2基あったが、氷河の水を使った“水洗トイレ”になっていて臭いは全く無かった。 ダイニングルーム(食堂)には大きなストーブがあり、予想に反して室内は暖かかった。 宿代は76フラン(邦貨で約8,600円)だった。 11年ぶりにスイスの山小屋に泊まるので、色々と独自のルールを忘れていたが、ダビッドの仕草を見ているうちに一つ一つ思い出してきた。 山小屋は二人のフランス人の女性がきりもりしていたが、そのうちの一人は昨年四国で2か月間“お遍路さん”をしたとのことで、片言の日本語で話しかけてきてくれたので嬉しかった。 山小屋の宿泊者は私達を含めて20人くらいで小学生くらいの子供もいた。 明日グラン・コンバンに登る登山者は全てガイドと一緒で、私達の他は若いドイツ人の夫婦と同年代のフランス人の男性だった。 夕食は6時半からと早く、カレー風味の鶏肉の料理は付け合せがライスだったので嬉しかった。 デザートの洋梨のコンフォートは驚くほど美味しかった。 夕食後にダビッドから、「明日は3時に起床(朝食の時間が3時ということ)し、準備が出来次第出発します」という指示があった。 夜になると再び雨が降り出し、明日の天気が心配になった。


登山口からしばらくは勾配の緩い牧歌的な雰囲気の道が続いた


前方に一瞬だけグラン・コンバンと思われる氷河を身に纏った山が見えた


アモンのシャレー付近の牧草地


バルソレイ小屋直下のモレーン帯


バルソレイ小屋


ダイニングルーム(食堂)には大きなストーブがあった


ベッドルーム


氷河の水を使った“水洗トイレ”


ガイドのダビット・ウィッキー


四国で2か月間“お遍路さん”をしたというフランス人の女性スタッフ


グラン・コンバンの登山概念図(4のルートを登った)


夕食のカレー風味の鶏肉の料理


デザートの洋梨のコンフォート


山小屋から見たモン・ヴェラン(3726m)


   7月26日、順応不足と緊張感、慣れない環境で殆ど眠れず朝食時間の3時の30分ほど前に起床して外のトイレに行く。 快晴ではないが月明かりで周囲の山々のシルエットが見えていたので安堵する。 気温は0度以上あるように思えた。 グラン・コンバンに登る登山者が多かったためか、スタッフの一人が朝食の準備をしてくれ、熱いお湯をタップリ貰えた。 朝食はパンにハチミツとチョコレートのペーストだけの簡素なものだったので、持参したチーズを食べた。

   3時半にドイツ人夫婦のパーティーと同時に慌ただしく山小屋を出発。 フランス人のパーティーは10分ほど前に出発していった。 今日は殆どがやや難しい岩のルートなのでガイドレシオは1対1だ。 ケルンが積まれた踏み跡をしばらく登ると氷河の取り付きがあり、アイゼンを着けてロープを結ぶ。 傾斜の緩い氷河をストックのみで登っていくと、温暖化の影響か氷河が後退したような岩屑の斜面となった。 凍った部分もあるのでアイゼンは着けたままだ。 ダビッドの登高スピードはついていけないほど速くはなかったが、スピードを抑え気味にして登ることは微塵もなかった。 間もなく先行していたフランス人のパーティーをさり気なく追い抜いた。 朝焼けが始まり、予報どおりの良い天気になりそうで安堵した。 先行したドイツ人夫婦のパーティーが休憩していた場所に着くと、そこが前衛峰のコンバン・ド・バルソレイに突き上げる西稜の岩場の取り付きだった。

   ドイツ人夫婦のパーティーに続いて岩稜の登攀に入る。 岩の程度はマッターホルンと同じくらいの2〜3級で難しくないが、所々で凍っている岩や剥がれる岩があるので一瞬たりとも気が抜けない。 ダビッドのクライミング技術の素晴らしさは一目で分かった。 時々ある4級の岩には確保用のピトンが打ってあり、そこが正しいルートであることが分かった。 ここ何年もクライミングをやっていないので、先行したいダビッドの心境とは逆に、所々で順番待ちをしながら登れて良かった。 背後には懐かしいモン・ブランやヴェルトを中心とする針峰群が見えるようになり心が弾んだ。 クライミングのセンスや技術は確実に衰えているが、昨年の白内障の手術で良く見えるようになった目がそれを補ってくれた。 

   岩稜の間に何度か短い急斜面の氷河があり、その都度駆け上がるようにして登ると、酸欠で雪面が黄色く見え指も少し痺れてきたので、その先の岩場は意識的にペースを落として登ったが、ダビットからは何も言われることはなかった。 西稜の終了点となるコンバン・ド・バルソレイの山頂が見えてくると凍った岩が無くなったのでアイゼンを外す。 山小屋から仰ぎ見ていたモン・ヴェラン(3726m)の頂はすでに眼下となった。 頭上に木製の十字架が見え、7時45分に雪に覆われた前衛峰のコンバン・ド・バルソレイ(4184m)の山頂に着いた。 意外にもここで休憩していたドイツ人夫婦のパーティーから「コングラチュレーション!」と祝福を受けた。 眼前にはこれから向かうグラン・コンバンの巨大な雪のドームが鎮座していたが、核心部の岩稜の登攀を終えたので、その頂に辿り着くのは訳もないということだろう。 風もなく穏やかな山頂からはモン・ブランやヴェルトを中心とする針峰群が一望出来た。


3時半にドイツ人夫婦のパーティーと同時に慌ただしく山小屋を出発する


氷河の取り付き


ドイツ人夫婦のパーティー


岩稜の取り付き


先行するドイツ人夫婦のパーティー


朝焼けのモン・ブラン(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


西稜の核心部


時々ある4級の岩には確保用のピトンが打ってあった


雪のクーロワールには固定ロープがあった


西稜から見たコルバシエール氷河


西稜から見たモン・ヴェラン(3726m)


西稜から見たモン・ブラン(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


コンバン・ド・バルソレイの山頂直下


コンバン・ド・バルソレイの山頂の木製の十字架


   ドイツ人夫婦のパーティーは再び私達と入れ違いに山頂を発ち、颯爽とグラン・コンバンの山頂に向かっていった。 私達は初めてまともな休憩を取り、ヘルメットを脱いで身軽になった。 新しいトレースを踏んで標高差で100m近くコルまで下り、本峰への最後の登りに入る。 登頂はもう確実だが、ダビットはなぜかペースを落とさずグイグイと私を引っ張っていく。 意外にもドイツ人夫婦のパーティーは山頂で長居はせず、コンバン・ド・バルソレイへの登り返しや岩稜の下降を嫌ったのか、反対方向に下っていった。 

   山小屋を発ってから5時間後の8時半に、11年ぶりのアルプスのピークとなるグラン・コンバン(4314m)の山頂に辿り着いた。 ドイツ人夫婦のパーティーはすでに見えなくなり、後続のフランス人のパーティーの姿はまだ見えず、図らずも山頂は私達で貸し切りとなった。 ダビッドと固い握手を交わし登頂のお礼を言う。 ダビッドも仕事とは言え初登頂なので喜んでいた。 周囲の写真を撮ろうとすると急速に霧が山頂を覆い始め、それまで遠目に見えていたマッターホルンを隠してしまったのが玉にキズだ。 独立峰らしい雄大な展望で、この山を登りたいと思うきっかけとなったアオスタの町も眼下に望まれた。 山頂で霧が晴れるのを少し待ちたかったが、ダビッドに「まだここで半分ですから」と下山を促されたので、僅か5分ほどで憧れの山頂を辞した。 下りは私が先頭だ。 コル付近でフランス人のパーティーとすれ違い、お互いの登頂を讃え合った。 コルからの登り返しでは陽光に照らされた雪がすでに柔らかくなり、安全性に対するダビッドの認識も高いことがあらためて分かった。

   コンバン・ド・バルソレイの山頂でグラン・コンバンに最後の別れを告げアイゼンを着けたま往路と同じ西稜の岩場を下る。 ダビッドは初見ながらルートを良く覚えていて、寸分の狂いもなく登ってきたルートを後ろから私に指示する。 何でもない所で足を滑らせれば、ダビッドでも止めようがないので、一瞬たりとも気が抜けない。 何箇所かある4級の岩は全て懸垂で下ったが、ダビッドの発する「スィート・ユア・アーネス!」(Seat your harness)という“上品な?”言葉の意味が理解出来ず、何度も彼に言わせてしまった。 それでも当初の目論見どおり、次のダン・ブランシュに向けてクライミングの良い練習となった。 

   岩稜を全て下り終えると二人とも緊張感から解放され、最後は氷河の取り付きまで腐った雪の斜面をアイゼンを外して転がるように駆け下り、ロープを解いて12時45分に山小屋に着いた。 女性スタッフ達が登頂を祝福してくれ、すぐに昼食の準備に取り掛かってくれた。 ダビッドとコーラで乾杯し、登頂の余韻に浸りながら注文した昼食のパスタを食べた。

   居心地の良い山小屋でゆっくりしていきたかったが、ツェルマットへの帰りの時間が気になり、ダビッドも明日の仕事のため早く帰りたいだろうから、女性スタッフ達に別れを告げて想い出深い山小屋を後にする。 帰路は一部で地図にない破線ルートを辿り、疲れてはいたが登山口の駐車場まで休まず2時間ほど歩き続けた。

   マルティーニの手前でレストランに寄り、ダビッドにサミットボーナスを手渡す。 タイミング良く田村さんからダビッドに電話が入ったので登頂の喜びを伝えた。 妻にもSMSで登頂と下山の報告をした。 今日のスイスは猛暑となったようで、途中のシオン付近での車の温度計は35度を示していた。 車窓から見えたビーチホルン(3934m)の登頂の可能性についてダビッドに尋ねると、意外にも一般ルートなら全く問題ないとのことで嬉しかった。 4日後のダン・ブランシュでの再会を約し、フィスプの駅でダビッドと別れる。 5時37分発の電車に乗って妻の待つツェルマットに向かった。

 

コンバン・ド・バルソレイの山頂から見たグラン・コンバン


ドイツ人夫婦のパーティーは山頂の反対方向に下っていった


グラン・コンバンの山頂


グラン・コンバンの山頂


山頂から見たモン・ブラン(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


コンバン・ド・バルソレイ(右)とモン・ブラン(左奥)


二度目のコンバン・ド・バルソレイの山頂


コンバン・ド・バルソレイの山頂から見たグラン・コンバン


往路と同じ西稜の岩場を下る


氷河の取り付きから見た西稜の岩場


バルソレイ小屋


バルソレイ小屋付近から見たモン・ヴェラン


山小屋のテラスで昼食のパスタを食べる


女性スタッフ達に別れを告げて想い出深い山小屋を後にする


帰路は一部で地図にない破線ルートを辿った


登山口の駐車場まで休まず2時間ほど歩き続けた


   7月27日、予報どおり朝から良い天気になったが、予想以上にグラン・コンバンの疲れが残っていたので、今日は外出せずに完全休養日とすることにした。 テレビの天気予報では今日も内陸部では35度ぐらいになると報じていた。 日本だけでなく世界的にも今年は猛暑なのだろうか。 天気はしばらく安定するようで、次に予定しているダン・ブランシュのアタック日も快晴の予報となっていた。 休養期間中に天気の心配をしなくて済むのはありがたいことだ。 “避暑地”のツェルマットでは窓を開けていれば暑くはなく、快適に過ごせるのが嬉しい。 外出の予定は無かったが、夕方になって田村さんに教えてもらったミグロの近くの書店の地下にあるランドリーに行く。 料金は従量制で4.5キロまでが24フラン(邦貨で約2,700円)、6.5キロまでが30フラン(邦貨で約3,400円)だった。


猛暑を告げるテレビの天気予報(最高気温)


ツェルマット観光局の天気予報


ミグロの近くの書店の地下にあるランドリー


   7月28日、予報では曇りだったが午前中はまずまずの良い天気で、ライブカメラではマッターホルンがすっきり見えていた。 意外にも、まるで昨日がグラン・コンバンの登頂日だったかのように体がだるく、目も腫れてむくんでいた。 グラン・コンバンが順応不足でハードだったのか、自分の体力が落ちたのか分からないが、いずれにしても次のダン・ブランシュまで三日間空いていて良かった。 

   今日は天気も良くない予報なのでハイキングには行かず、午前中は部屋の掃除をしてから駅前のコープと同じビルに入っているモンベルに買い物に行き、午後はメインストリートにある土産物屋のはしごをする。 昼過ぎにカミナリが鳴って雨が降り始めると、町中は秋のように涼しくなった。 メインストリートの中ほどにある『WEGA』を訪ね店主の西永さんにお声を掛けると、嬉しいことに私達のことを良く覚えていてくれた。 西永さんも相変わらずお元気に活躍されていることが分かって嬉しかった。 

   夕方に田村さんからメールがあり、喫茶店でグラン・コンバンの報告などを中心に歓談した。 昨今スイスでガイドの資格を取るのはとても難しいので、23歳でガイドの資格を取ったダビッドはエリート中のエリートだと田村さんは驚いていた。 田村さんが電話でダビッドから聞いた話では、意外にも私の岩登りの技術は問題ないが、順応不足で登るスピードが遅いということだった。 ヴァイスホルンに登るためにはもう少しスピードが必要で、次のダン・ブランシュで様子を見たいということで、少しがっかりした。


掃除機を借りて部屋の掃除をする


オリジナル商品が置かれた駅前のモンベル


カミナリが鳴って雨が降り始めると町中は秋のように涼しくなった


WEGAで店主の西永さんと再会する


   7月29日、予報どおり快晴の天気となり、ライブカメラの映像ではマッターホルンを初め全ての山々がすっきり見えている。 少しでも体を高度に順応させるために3883mのマッターホルン・グレイシャー・パラダイス(クラインマッターホルンの展望台)に行こうと思っていたが、今朝になってもまだ体がだるかったので、順応と休養の両方のバランスを考え、2582mのリッフェルベルクまで新しく開通したゴンドラに乗って上がることにした。

   アパートから歩いて5分のシュヴァルツゼー行きのゴンドラ乗り場から途中駅のフーリで乗り換え、リッフェルベルクまでゴンドラで上がる。 料金は往復で27.5フラン(邦貨で約3,100円・半額カード使用)だった。 天気は予想以上に良く、ゴンドラの車窓から雲一つないマッターホルンが見えた。 リッフェルベルクまでは登山電車でも上がれるため、フーリから先ではゴンドラの乗客は少なかった。 ゴンドラならではのユニークな車窓からの展望を楽しみ、待ち時間なしに30分足らずでリッフェルベルクに着いた。 数日前にゴルナーグラートから歩いてリッフェルベルクに下ってきた時は、すでに午後になってしまったので展望は冴えなかったが、今日は時間が早いので山々の展望が素晴らしく、明日から登るダン・ブランシュやヴァイスホルンがすっきり望まれて嬉しかった。 

   体力の消耗を抑えるため、駅から僅かに登った丘の上で腰を下ろし、コーヒーを飲んだりブルーベリーを食べたりしながらのんびり山々の展望を楽しむ。 妻のリハビリも兼ねて少しだけ歩いてみようと、リッフェルゼー(湖)方面への緩やかなトレイルを登る。 相変らず雲が湧かない天気で、“前回よりも素晴らしい逆さマッターホルンが見られるかもしれない”と欲を出し、リッフェルゼーまで足を延ばすことになってしまった。 願いは叶い、湖畔で“逆さマッターホルン”を堪能しながらランチタイムとし、再度リッフェルベルクに歩いて下った。

   帰宅後に田村さんからメールがあり、明日のダビッドとの待ち合わせ場所がフィスプから次の駅のシエールに変更になったとのことだった。 天気予報をチェックすると、長期予報どおり明日・明後日とも晴れだったので嬉しかった。 夕方になって明日からの登山の準備を始めると、頭と目の奥が少し痛くなり、体のだるさは風邪のせいで熱があったことにようやく気が付いた。 念のため、めったに飲まない風邪薬を飲んで早めに寝た。


ツェルマット周辺の路線図


リッフェルベルクへのゴンドラの車窓から見たマッターホルン


リッフェルベルクのゴンドラの駅


リッフェルベルクから見たマッターホルン


リッフェルベルクから見たダン・ブランシュ


リッフェルベルクから見たオーバーガーベルホルン


リッフェルベルクから見たツィナールロートホルン


リッフェルベルクから見たヴァイスホルン


ダン・ブランシュ(左端)とヴァイスホルン(右端)


リッフェルベルクから見たドム(中央左)とテッシュホルン(中央右)


リッフェルベルクからリッフェルゼーへ


リッフェルゼーの手前から見たダン・ブランシュ


リッフェルゼーの手前から見たモンテローザ


リッフェルゼーから見た“逆さマッターホルン”


  【ダン・ブランシュ】
   7月30日、8時にアパートを出発し、妻と一緒にツェルマットの駅に向かう。 予報どおりの良い天気だ。 薬で熱は下がったがまだ体がだるく、山には行きたいが出来れば明日にしてくれという感じだ。 駅への途中で偶然田村さんとすれ違いエールを送られるが、カラ元気で挨拶するしか術がない。 シエールまでの切符(24.5フラン/邦貨で約2,800円・半額カード使用)を買い、8時37分の電車に乗る。 車内では景色を眺めることもなく、ひたすら寝ていく。 1時間ほどでフィスプに着き、20分ほど待ってジュネーブ行きの急行列車に乗り換える。 まだ頭が少し痛い。 急行だとフィスプから一つ目の駅がシエールだった。 乗降客は少なく、出迎えてくれたダビッドともスムースに落ち合えた。 駅はそれほど大きくないが、駅の隣に新しい大きな立体駐車場があった。

   シエールからは前回と同じように鉄道と並走する無料のハイウェイでシオンへ。 シオンは予想よりも大きな町で、そこから登山口のフェルペクルに向けてエランの谷へ入る。 前回と同じように山岳路の状態はとても良く、大型のポストバスが運行しているのも頷ける。 途中にはレストランやガソリンスタンドがある小さな町が幾つかあり、シオンからも近いためか観光客の車も多い。 車窓からは見慣れたツェルマット側からの山容とは趣を異にする白いダン・ブランシュが遠望された。 アローラへの道を右に分けると道路は次第に細くなり、シオンから1時間ほどでポストバスの終点のフェルペクルのバス停を通過した。 バス停の先へも舗装された車道が通じていて、1キロほど先に広い駐車スペースがあったが、すでに30台くらいの車が停まっていた。 その先の狭い道の両側にも車が停まっていたが、ダビッドは躊躇なく先へ進み、一番奥にあった車が5〜6台停められる小さな駐車場に車を停めた。 そのすぐ先が道標のあるトレイルの入口だったが、ルシエール小屋という案内表示は無かった。


ダン・ブランシュの地図


妻に見送られてツェルマットの駅を発つ


フィスプからジュネーブ行きの急行列車に乗り換える


ジュネーブ方面への無料のハイウェイ


車窓から見たシオンの市街


シオンから登山口のフェルペクルへ向かう道路から見たダン・ブランシュ


登山口の駐車場


   11時半に駐車場を出発。 天気が安定しているので傘は車に置いていく。 道標には標高1885mと記されていたので高度計をこれに合わせた。 傾斜の緩い癒し系の道だが、山小屋までの標高差1600mに気が滅入る。 見栄を張っても仕方がないので、前回と同じように今日の体調に合わせた自分のペースで登っていくと、ダビッドはどんどん先に行ってしまったが、その方がお互いに気が楽だろう。 草原状のトレイルには高山植物が咲乱れ、周囲の山々や氷河の景観が素晴らしい。 前回のバルソレイ小屋ほどではないが、前後を歩いている人がそれなりに見られた。 登山口から1時間ほど登ると、前方に現在は休業しているというアルペ・ブリコラ小屋が見え、予想どおりそこでランチタイムとなった。 ちょっとした平坦地になっているこの場所からはグラン・コンバンの頂稜部が頭上に仰ぎ見られ、その迫力に思わず息を呑んだ。 明日登る南稜の様子も良く分った。

   アルペ・ブリコラ小屋から1時間ほど緩やかに登っていくとモレーン帯に入り、岩にペイントされたトレイルの表示が赤(実線)から青(破線)に変わった。 ケルンに導かれて氷河の末端を横切ったり、沢を飛び石伝いに渡ったりしながら岩盤の上を登っていく。 標高が3000mを越えた顕著なモレーンの背(ロック・ノワール)の手前で2回目の休憩となり、ダビッドから「あと1時間で着きますよ」と言われた。 タイミングを見計らってダビッドに「明日は頑張るが、今日は風邪で体調が悪いのでゆっくり登りたい」と伝えた。

   モレーンの背を登り始めると間もなく右手に広大なフェルペクル氷河が見られ、その先にダン・デラン(4171m)の頂稜部が見えた。 日帰りで山小屋まで往復したと思われる10人ほどの年配のグループとすれ違う。 このままモレーンの背を登っていくのかと思ったが、最後は緩やかな氷河の上を三本の木の棒を組み合わせた道標に沿って登る。 前を登るパーティーはアイゼンを着けロープを結んでいたが、ダビッドは予想どおりそのまま何もせずに登り通した。 30分ほど氷河を登っていくと、前方に後退したモレーン上に建つ石造りの山小屋が見えた。 もっとゆっくり登りたかったが、結局は速く登りたいというダビッドに引っ張られる形で、登山口からちょうど5時間でルシエール小屋(3507m)に着いた。 私達は遅く到着した部類で、予想よりも多くの人達がテラスで寛いでいた。

 

フェルペクルと記された道標のあるトレイルの入口


トレイルは傾斜の緩い癒し系の道だった


休業中のアルペ・ブリコラ小屋


アルペ・ブリコラ小屋から仰ぎ見たグラン・コンバンの頂稜部


アルペ・ブリコラ小屋から1時間ほどでモレーン帯に入る


ケルンに導かれて岩盤の上を登る


ロック・ノワールの手前から見たグラン・コンバン


顕著なモレーンの背(ロック・ノワール)を登る


ロック・ノワールから見たフェルペクル氷河


緩やかな氷河の上を三本の木の棒を組み合わせた道標に沿って登る


ルシエール小屋


ルシエール小屋のテラスでは多くの人達が寛いでいた


   常連のダビッドに宿泊の手続きをしてもらい、ベッドルームの場所を教えてもらう。 宿代は87フラン(邦貨で約9,800円)で、ガイドには専用のベッドルームがあるとのことだった。 三階建の比較的大きな山小屋は、バルソレイ小屋と同じように内部がリフォームされ、トイレも山小屋の中にあり新しくて清潔感があった。 荷物の整理を済ませ指定された二階のベッドルームに行くと、すでにベッドで横になっている人が何人かいた。 順応は出来ているので、ベッドで横になって夕食の時間まで休養することにした。 

   6時半にベッドから這い出して階下の食堂に行くと、30人ほどの宿泊者で食堂は賑わっていたが、その大半は登山者のように思え、マイナーだと思っていたこの山が意外と人気がある山だと分かった。 夕食はミネストローネに続いて、牛肉を煮込んだ塩味のスープにライスが入った料理だったが、薄味でそこそこ美味しかった。 夕食の席を共にしたスイス人のパーティーは唯一の東洋人の私に興味を持ってくれ、私の片言の英語に根気よく付き合ってくれたので、楽しい時間を過ごすことが出来た。 夕食後にダビッドから、「明日は4時に起床し、準備が出来次第出発します」という指示があった。


ルシエール小屋の食堂


ルシエール小屋のキッチン


ルシエール小屋のベッドルーム


夕食の牛肉を煮込んだ塩味のスープにライスが入った料理


夕食の席を共にしたスイス人のパーティー


ルシエール小屋から見たダン・デラン


   7月31日、夜中に咳を押さえるのに苦労した。 脱水を恐れて水分をこまめに取ったため殆ど眠れず、朝食時間の4時の30分ほど前に起床して静かに準備を始める。 昼間の陽気さとは別人のように、周りの人達も物音ひとつ立てず無言で手際よく準備を始めていた。 決められた4時の5分前に食堂の明かりが灯ると、テーブルには既にほぼ全員の顔が揃っていた。 朝食はパンとジャムにオートミールが小鉢に盛られていたが、前回の経験を活かしてコーヒー用のミルクだけを飲み、持参したクロワッサンとチーズを食べた。 皆よりも一足先に狭い入口付近でハーネスを着けて靴を履くが、朝食を食堂で食べない人達もいるようでごった返していた。 体調はほぼ昨日と変わらずで、緊張感が体のだるさを押し殺している感じだ。 ダビッドから「今日は暖かいのでジャケットは着なくて良い」と言われたので、アンダーシャツの下にTシャツを着て中間着の薄いフリースのみで行くことにした。 

   前回以上に慌ただしくテラスでロープを結び、4時20分に山小屋を出発。 山小屋の裏手の踏み跡のある急勾配のモレーンを登り始めると、すでに頭上には沢山のヘッドランプが揺れていた。 まるでマッターホルンのスタート時のように、岩稜の核心部での良いポジションを得るためか、のっけからダビッドはショートロープでグイグイと私を引っ張っていく。 体調が十分ではないので、せめてもスタート時だけはゆっくり登りたかったが、思惑とは全く逆の展開になってしまった。 もうなるようにしかならないと開き直るしかない。 登り始めて20分足らずで標高差100mほどを稼ぎ、氷河の取り付きに着いた。 先行していた他のパーティーはここでロープを結んでいたので、何組かのパーティーをここで追い抜いた。 少しダビッドの思惑が良い方に転じたのか、ややペースが落ちたので安堵する。 体もようやく目覚めてきた。 氷河の登高はすぐに終わり、アイゼンを外して易しい岩場をしばらく登ると、核心部となる南稜の取り付きの手前のヴァンドフルーリュッケ(3703m)という広い鞍部に出た。 今のところ風は無いが、南稜は風がいつも強いとガイドブックに記されていたので、念のためジャケットを着る。 

   鞍部からは再びアイゼンを着け、短い氷河をトラバース気味に僅かに下って南稜に取り付く。 ここでも1パーティーを追い抜いたが、まだ先行しているパーティーが何組かある感じだ。 易しい岩場を僅かに登ると、すぐに雪庇のような尾根に復帰し、南稜の核心部のグラン・ジャンダルム(4098m)の岩塔が岩稜の先に望まれた。 天気は予報どおり良さそうで朝焼けが綺麗だ。 黎明のマッターホルンが意外と近くに見えた。 岩稜を直登するとアップダウンの繰り返しになってしまうようなので、基本的に左側から巻くようにして岩の斜面を登る。 短いが途中に小さな氷河があるため、アイゼンは着けたままだ。 自力では登れないような4級以上の岩はなく、むしろ前回のグラン・コンバンの方が難しいように思えた。 

   一番大きなグラン・ジャンダルムは左から大きく巻き、急斜面の長い雪のクーロワールをスタカットで登る。 クーロワールの終了点のビレイポイントに複数のパーティーが見えたので、ダビッドは直前のパーティーを追い抜くことなくその後ろについて登っていく。 ロープが伸びきるまでの間にようやく一息入れることが出来た。 今日の私にとってはまさに“至福の時間”だ。 クーロワールの終了点の先も岩ではなく雪の急斜面の登りが続き、グラン・ジャンダルムを越えた先で尾根に復帰した。 相変らず風の無い穏やかな天気で、登頂の可能性がにわかに高まった。 

   ここからはアイゼンを外し、頭上に見える幾つかの小さなジャンダルムを直登したり左から巻いたりしながら登った。 尾根上にジャンダルムが無くなると、再びアイゼンを着けてミックスの雪稜を直登する。 山頂からしか見えないと思っていたオーバーガーベルホルンやツィナールロートホルンが右手に見られるようになった。 意外にもダビッドの口から「あと10分で山頂に着くのでそこで休みましょう」という言葉が出た。 登頂を確信して喜んだのも束の間、ダビッドは再びペースを上げてグイグイと私を引っ張っていく。 息が切れ足がもつれ始めた時、不意に傾斜が緩んで山頂の十字架が目に飛び込んできた。

 

食堂の明かりが灯ると、テーブルには既にほぼ全員の顔が揃っていた


慌ただしくテラスでロープを結び、4時20分に山小屋を出発する


黎明のマッターホルン


南稜の核心部のグラン・ジャンダルムの岩塔が岩稜の先に望まれた


岩稜は直登せずに基本的に左側から巻くようにして岩の斜面を登る


途中に小さな氷河があるためアイゼンを着けたまま登る


グラン・ジャンダルム(右)の下の雪のクーロワール


クーロワールの終了点の先も岩ではなく雪の急斜面の登りが続いた


グラン・ジャンダルムを越えてから尾根に復帰した


アイゼンを外して幾つかの小さなジャンダルムを登った


山頂直下のミックスの雪稜


   8時ちょうどに先行パーティーに祝福され待望のダン・ブランシュ(4357m)の山頂に着いた。 ここまでとても長い道程に感じたが、山小屋を発ってからまだ3時間40分しか経っていなかった。 眼前にはようやくお目当てのヴァイスホルンが望まれ、ダビッドが提案している北稜も良く見えた。 マッターホルンはもちろん、オーバーガーベルホルンやツィナールロートホルンもツェルマット側からの見慣れた山容とは違って新鮮だ。 先日登ったグラン・コンバンもすぐに分かった。 ダビッドと固い握手を交わし登頂のお礼を言う。 ダビッドはもう何度も登っているので感激はないだろう。 先行パーティーが登頂の余韻に浸りながら寛いでいたためか、予想に反してダビッドもすぐに下山するようなそぶりは見せなかったので、思う存分周囲の山々の展望を愛でながら写真を撮った。


ダン・ブランシュの山頂


ダン・ブランシュの山頂


山頂から見たヴァイスホルン


山頂から見たマッターホルン


山頂から見たグラン・コンバン(中央奥)


山頂から見たグラン・コロニエル(3961m)


山頂から見たツィナールロートホルン(中央)とヴァイスホルン(左奥)


山頂から見たベルナー・オーバラントの山々


   先行パーティーが順次下山を始め、後続パーティーも次々と登ってきたので、20分ほど滞在した山頂を後にする。 下山は基本的に私が先頭だ。 これから登ってくる後続パーティーとの行き交いがあるため、図らずも帰路はジャンダルムを乗り越えて往路とは少し違ったルートで懸垂を交えながら下った。 下りも何度かビレイポイントでの順番待ちがあったが、全般的に先日のグラン・コンバンよりも岩が易しく標高差もなかったので、予想よりも早く11時半に山小屋に着いた。

 

山頂直下から見たダン・デラン


南稜を下る


グラン・ジャンダルムの直下


ヴァンドフルーリュッケから見た南稜


予想よりも早く11時半に山小屋に着いた


   午前中の好天が嘘のように灰色の雲が湧き始めたので、登頂の余韻に浸る間もなく下山の準備をしながら昼食のレシュティ(茹でたジャガイモの上にチーズをのせてオーブンで焼いたもの)を注文し、コーラで祝杯を上げた。 他のパーティー達は早々に下山を始めたので、私達も慌ただしく正午過ぎに山小屋を後にする。 足が思ったよりも疲れていなかったことと、憧れのダン・ブランシュに登れたという昂揚感で登攀区間と同じようなペースで歩いたため、山頂に居合わせたダビッドの知り合いのガイドのパーティーと相前後しながら途中で1回休憩しただけで3時半前に駐車場に着いた。

 

昼食のレシュティ


慌ただしく正午過ぎに山小屋を後にする


午前中の好天が嘘のように灰色の雲が湧き始めた


ダビッドの知り合いのガイドパーティーと相前後しながら足早に下る


   ダビッドは下山中に急用の連絡が入ったようで、その知り合いのガイドに私の送迎を依頼し、急遽駐車場で別れることになった。 用意しておいたサミットボーナスをダビッドに手渡し、そのガイドの車でシオンの駅まで乗せてもらった。 予想どおりシオンの町はとても暑く、今日も最高気温が35度くらいあったのではないかと思われた。 5時前の普通列車に乗って乗換駅のフィスプに向かう。 妻にSMSで登頂と下山の報告をすると、今日はこれから町でお祭りがあるとのことだった。 図らずもフィスプからは前回と同じ5時37分発の電車に乗ってツェルマットに帰ることになった。 ツェルマットのメインストリートには所狭しと屋台やテーブルが並べられ、多くの観光客で賑わっていた。 もちろん7時を過ぎたこの時間帯にピッケルやヘルメットを括り付けた荷物を背負って歩いているのは私だけだったが、逆にそれが何故か誇らしく思えた。


ダビッドの知り合いのガイドの車でシオンの駅まで乗せてもらった


シオンの駅


シオンから普通列車に乗って乗換駅のフィスプに向かう


ツェルマットのメインストリートは多くの観光客で賑わっていた


   8月1日、夜中にカミナリが鳴り、久々に雨模様の一日となった。 昨日とは全く違う天気で、あらためてダン・ブランシュに登れて運が良かったと思った。 昨日はだいぶ無理をしたので、風邪が悪化することを心配していたが、喉が少し痛い程度だったので安堵した。 念のため今日は外出せずに完全休養日とすることにした。 長期予報では5日後のヴァイスホルンのアタック日の天気は曇りだったが、まだ先のことなので心配しても始まらない。 午前中はベッドで横になりながら、疲労回復のため水分を多めに取ることを心掛ける。 昼食は日本から持ってきたラーメンを食べて英気を養った。 

   夕方になって田村さんからメールがあり、妻と一緒に待ち合わせた喫茶店に行き、ダン・ブランシュの報告と次回のヴァイスホルンの打ち合わせをした。 田村さんが電話でダビッドから聞いた話では、ヴァイスホルンは当初の提案どおり一般ルートの東稜ではなく、トラキュイ小屋から北稜を登ることになったが、登頂の可能性はあるものの確実とは言えないとのことだった。 田村さんの見解では、北稜の方が岩の難しさはあるが、ダビッドは岩登りに長けているため、下りで懸垂を多用すればガイディングがしやすいのではないかということだった。 また、私の山を登るスピードは速くなったが、山小屋までの歩くペースが遅いので、前泊するトラキュイ小屋まで先に一人で登った方が良いということだった。 当初の予想よりヴァイスホルンは敷居が高く、難しい山だとあらためて思ったが、何が何でも登頂したいという気持ちは全く変わらなかった。


久々に雨模様の一日となった


田村さんとの打ち合わせに利用した喫茶店『fuchs』


   8月2日、ゆっくりと陽が高くなってから起床する。 夜中は吐くほどの激しい咳が続いたが、悪いものを全て出し尽くしたかのようで、グラン・コンバンの後のような筋肉痛に似た体のだるさはなかった。 予報どおりの快晴の天気だったが、今日もハイキングには行かずに休養することにした。 

   午後は体の状態のチェックを兼ねて、登山用品店に登山靴を見にいく。 昨今の温暖化で氷河が後退し、また以前と比べて山が寒くないので、ダビッドのみならず登山者の殆どがスポルティバのトランゴ級の軽量の登山靴を履いていたので、私もヴァイスホルン用に軽い靴を買おうと思ったからだ。 あいにくシャモニと違ってツェルマットの登山用品店では靴の種類がそれほど多くなく、欲しいと思った靴は手に入らなかった。 夕方になると喉が渇いて貼り付くような症状があらわれ、風邪が治っていないことが分かった。


バルコニーから見たドム(中央左)とテッシュホルン(中央右)


日本人橋から見た午後のマッターホルン


   8月3日、予報どおり今日も快晴の天気だった。 風邪が完全に治っていれば早起きをしてマッターホルン・グレイシャー・パラダイス(クラインマッターホルンの展望台)に行こうと思っていたが、今朝になってもまだ喉に違和感があったので、無理をせず今日も休養することにした。 当初は次のヴァイスホルンまで中4日では空き過ぎだと思っていたが、今はもっと休みが欲しいくらいだ。 本当に情けなくて嫌になるが、全てはヴァイスホルンに登るためだと気持ちを切り替える。 予報では明日と明後日が快晴で、3日後のヴァイスホルンのアタック日は午後から雷雨になってしまった。 もしかしたらダビッドがこの予報を見て、アタック日を一日前倒しにすることもあるかもしれないので、念のため出発の準備は万全にしておく。 

   午後は体の状態のチェックを兼ねて、食料品の買い出しと土産物の下見に出掛けた。 喉は少しだけ良くなったような感じだ。 夕方に田村さんからメールがあり、ヴァイスホルンは予定どおりの日程で行くことに決まったということだった。 登山口のツィナールの村に一番早く行くためには、5時37分発の始発電車に乗って前回と同じようにフィスプでジュネーブ行きの電車に乗り換えてシエールに行き、そこからバスを2本乗り継いで行けば良いということで、詳細な時刻表を送ってもらった。


ツェルマット観光局の天気予報


共同墓地に咲くエーデルワイス


   8月4日、昨日ほどの快晴ではないがまずまずの良い天気だ。 アタック日の天気予報は少し良くなり、午前中は晴れ時々曇りで雷雨は午後からとなっていた。 登頂の可能性は五分五分ということなので、せめて天気だけは快晴になって欲しいと願うばかりだ。 いっそのこともっと悪くなってくれれば延期もあり得るのだが。 ライブカメラの映像では少し雲が出ていたが、最低限度の順応はした方が良いと思い、3883mのマッターホルン・グレイシャー・パラダイス(クラインマッターホルンの展望台)に行くことにした。 

   アパートから5分のシュヴァルツゼー行きのゴンドラ乗り場へ向かうと、体が少し重く喉もまだ乾いている感じだった。 シュヴァルツゼーから乗り換えなしでトロッケナー・シュティークまでゴンドラで上がり、少しだけ周囲を散策してから来年は架け替えられるというロープウェイに乗り換えてマッターホルン・グレイシャー・パラダイスへ。 私の記憶にある『クラインマッターホルン』という案内表示はどこにも見当たらなかった。 トロッケナー・シュティークやマッターホルン・グレイシャー・パラダイスにある展望レストランもリニューアルされていた。 料金は往復で55フラン(邦貨で約6,200円・半額カード使用)だった。

 

トロッケナー・シュティークから見たダン・ブランシュ


トロッケナー・シュティークから見たヴァイスホルン


トロッケナー・シュティークから見たマッターホルン


   クラインマッターホルンの展望台は大勢の観光客で賑わっていたが、もう何度も来ているので特別な感動はない。 順応が目的でここに来ているのは私だけだろう。 あいにく気温の上昇で雲が湧いているため、ブライトホルン方面はすっきり見えるが、マッターホルンなどの山々の展望は冴えず、ヴァイスホルンは全く見えなかった。 順応のため無風の展望台に1時間半ほど滞在してから、スキー場のある氷河に出てランチタイムとした。 帰路はシュヴァルツゼーで下車して最後の展望を楽しみ、アパートに帰る前にツェルマットの駅で明日のシエールまでの切符を買った。 夕方に田村さんから最終確認のメールがあり、日程などの変更はないということでエールを送られた。 あとは明日の朝に風邪が完治していることを祈るのみだ。


大勢の観光客で賑わっていたクラインマッターホルンの展望台


クラインマッターホルンの展望台から見たブライトホルン


クラインマッターホルンの展望台から見たマッターホルン


マッターホルン・グレイシャー・パラダイスの展望レストラン


ツェルマットの駅で明日のシエールまでの切符を買う


  【ヴァイスホルン】
   8月5日、残念ながら風邪はまだ完治していないようだったが、前回のダン・ブランシュへの出発の朝よりは良い気がする。 天気予報は今日が快晴、明日は晴れ時々曇りとなっていた。 妻に見送られて5時過ぎにアパートを出発。 日本人橋から見たマッターホルンはまだシルエットしか見えないが、天気は予報どおり良さそうだ。 未明のメインストリートは昼間の喧噪が嘘のように人気は無く静寂そのものだ。

   5時37分発の始発電車に乗り、いつもと同じようにフィスプへ。 日曜日のせいか車内に乗客は殆どなく、初めて車掌も検札に回ってこなかった。 今日も車窓から景色を眺めることもなく、ひたすら寝ていく。 フィスプでジュネーブ行きの急行電車に乗り換え20分ほどでシエールの駅に着く。 駅の南側にあるバスターミナルはすぐに分かったが、肝心のバスの乗り場が分からず、マウンテンバイクを携えたグループに尋ねると、ここで良いというので安堵した。 あらためて周囲を見渡すと、すぐ近くに電光表示の時刻表があり、柱に着発番線の表示がされていることが分かった。 意外にもこれから向かうビソール行きのバスの乗客の半分ほどがマウンテンバイクを携えていて、バスの後ろには自転車を運ぶための専用のトレーラーが付いていた。

   シエ−ルの町を7時40分に出発したバスは前回のエランの谷や、前々回のサン・ベルナール峠への山岳路とは明らかに違う道幅の狭い急勾配の九十九折れの道を進んでいく。 バスはガソリンエンジンのようで、坂道でもストレスを全く感じさせない。 途中で何人かの乗客を拾って30分ほどでビソールの町に着き、小さなバスターミナルでツィナール行きのバスに乗り換える。 意外にもツィナール行きのバスに乗り換えたのは私だけで、マウンテンバイクの一行は違う行き先のバスに乗り換えた。 ビソールからは坂の勾配は緩くなったがさらに狭くなった道を走る。 車窓からはヴァイスホルンではなく、ツィナールロートホルンが望まれた。 谷のどん詰まりのツィナールの村は寒村だと思っていたが、通り沿いのホテルやレストラン・別荘などは皆どれも新しくて立派だった。 村の中心部からさらに500mほど先にある終点のビレッジ・デ・バカンスで下車する。 バス停のすぐ傍らにはこれから向かうトラキュイ小屋への道標が立ち、コースタイムは4時間30分と記されていた。 高度計の標高を地図から読み取った1680mに合わせる。 3260mのトラキュイ小屋までの単純標高差は1580mとなる。


ヴァイスホルンの地図


未明のツェルマットの駅


シエールの駅


シエールの駅の南側にあるバスターミナル


バスの車窓から見たシエールの町


ビソールの町のバスターミナルでツィナール行きのバスに乗り換える


バスの車窓から見たツィナールロートホルン(中央)とベッソ(右)


ツィナールの村の中心部


バスの終点のビレッジ・デ・バカンス


   バス停のベンチで朝食のあまり物を食べて9時前に出発する。 別荘地の中の車道をしばらく歩いていくと車が5〜6台停められる“登山口の駐車場”の先にトレイルの入口があった。 体調の回復と明日への疲れを残さないように極力ゆっくり登ることを心掛け、高度計を見ながら150m毎に休みを入れる。 昨日山小屋に泊まったと思われる人達が一人二人と下山してくる。 挨拶はここでも「ボンシュール」だ。 後ろから登ってくる軽装の日帰りのハイカーに積極的に道を譲る。 登り始めは北側の斜面なので陽が射さず、暑さに苛まれずに済んだ。 トレイルの道幅は広く、バギー車で登ってくる夫婦もいた。 

   登山口から1時間ほどで前方の崖に滝が見えるようになるとトレイルの道幅は狭くなり、急坂をジグザグに少し登ると明るく開けた牧草地になった。 間もなく前方にヴァイスホルンが遠望されるようになったが、その頂はまだ遥かに遠かった。 アルム・コンボータンナと地図に記された所には小さなプライベート小屋があり、付近には放牧された牛の群れやロバの姿が見られた。 この辺りは高山植物が多く、山々の展望も良いのでハイキングにはもってこいだ。 当初の計画ではトラキュイ小屋に泊まって妻と二人でビスホルンを登る予定だったが、ヴァイスホルンを登るためにこのルートを辿ることになるとは夢にも思わなかった。 今日はどこかの展望台に行っているはずの妻のことを思い浮かべながらゆっくりランチタイムとした。

   今日は日曜日なので、正午を過ぎると下から登ってくる人よりも上から下ってくる人が多く見られるようになった。 ビスホルンに登ってきた人達と日帰りのハイカーだ。 氷河から流れ出る沢を眼下に見下ろすようになると、大きな四角い岩のようなトラキュイ小屋やツィナールロートホルンの尖った頂が見え始めた。 麓の町からも見えていたダン・ブランシュも一段と凄みを帯びてきた。 トレイルの勾配が増してくると、モレーン帯の中のジグザグの道となった。 山小屋は指呼の間に見えるがなかなか近づいてこない。 トゥルトマン氷河の源頭にビスホルンの山頂が見えてくると間もなく鎖の付いた岩場があり、そこを通過すると巨大なジュラルミンの箱のようなトラキュイ小屋に着いた。 バス停から山小屋まで6時間くらいを目途にゆっくり登ったが、登り一辺倒のトレイルはとても効率が良く、5時間半足らずで辿り着くことが出来た。

 

登り始めは北側の斜面なので陽が射さず、暑さに苛まれずに済んだ


トレイルから見下ろしたツィナールの村


アルム・コンボータンナにある小さなプライベート小屋


明るく開けた牧草地から見たヴァイスホルン


正午を過ぎるとトラキュイ小屋から下ってくる人が多く見られた


モレーン帯から見たトラキュイ小屋


ツィナールロートホルン(左奥)とダン・ブランシュ(右奥)


トラキュイ小屋の傍らにある鎖の付いた岩場


   改築されたばかりの斬新な新しい山小屋に入り受付をすると、英語が堪能な若い女性のスタッフが山小屋の施設の概要や食事のスケジュールなどを丁寧に説明してくれた。 ダイニングルーム(食堂)はガラス張りの“展望レストラン”となっていて、宿泊だけを目的にこの小屋を訪れる人が多いことも頷けた。 二階にあるベッドルームは4人用の個室と大部屋があったが、宿代は同じ87.5フラン(邦貨で約9,900円)で、今日は平日だったのでダビッドと二人だけの個室になった。 地下にあるトイレはバイオトイレになっていて臭いは全く無かった。 荷物の整理を済ませて二階のベッドルームに行き、予定どおり夕食の時間まで横になって休養する。 体調は朝よりも少し良くなり、疲労感もそれほどなかった。 やはり山はマイペースで登るに限る。 間もなく予報には無かった雨が降り出し、30分ほど降っていた。 雨に降られずにラッキーだったが、明日の天気が心配になった。

   5時過ぎにダビッドがベッドルームにやってきた。 彼は僅か3時間で登ってきたという。 6時半にベッドから這い出して階下の食堂に行く。 今日の宿泊者は30人ほどだったが、それでも食堂にある座席の半分以下だった。 夕食はニンニクの味が強いスープに続いて、ビーフシチューとマッシュポテトという山小屋では定番のメニューだった。 夕食後にダビッドから、「明日は2時に起床し、準備が出来次第出発します」という指示があった。 ルートについては、ビスホルン(4159m)の山頂を踏んでから北稜を登るとのことだった。 ダビッドへ「明日はいよいよヴァイスホルンの山頂ですね〜」と投げかけてみると、ダビッドは相変わらず「登頂の可能性はあります」と言葉を濁し、未だ登頂を確信していない様子だった。 私があまりにも山頂にこだわっているため、ダビッドは「9時半までに山頂に着かなければ、その時点で引き返します」という胸の内を私に明かしてくれた。 到着が9時半ということは制限時間が7時間ということになる。 登りに7時間以上掛かると、12時間以内に戻ってこられないからだろう。 私もこれに応え、「明日は本気で頑張ります!」と元気に言い放った。


改築されたばかりの斬新な新しいトラキュイ小屋


トラキュイ小屋から見たビスホルン


“展望レストラン”のような食堂


キッチン


ベッドルーム(大部屋)


ベッドルーム(4人用の個室)


夕食のビーフシチュー


夕食のマッシュポテト


トラキュイ小屋から見たツィナールロートホルン


   8月6日、ダビッドよりも早く1時半前に起床。 前夜は予想どおり緊張と興奮、おまけにニンニクのスープのせいで殆ど寝ることは出来なかったが、体調は思ったよりも良く、三回目にしてようやく高度に順応した感じで疲労感も無かった。 天気は予報よりも良くなったのか、空には月が煌々と輝き星も綺麗に見えていた。 身支度を整え、まだ暗い食堂で持参したクロワッサンとチーズを食べる。 ヴァイスホルンに登るのは私達だけだろうと思っていたが、2時に食堂に現れたのはダビッドとオーストリアのガイドのワッペンをジャケットに着けた若い二人のパーティーだった。 運良くトイレを済ませ、ヘルメットを被りハーネスを着けてテラスに出る。 間もなくダビッドが現れ「今日は暖かいのでジャケットは着なくて良い」と言うので、ジャケットを脱いでいくことにした。 

   ロープは結ばずに2時半ちょうどに山小屋を出発する。 5分ほど登り下りしながらモレーンの中の踏み跡を足早に進んでいくと氷河の末端となり、アイゼンを着けてロープを結ぶ。 後ろから追いついてきたオーストリア人のパーティーと入れ違いに先行する。 勾配が殆ど無いスプーンカット状の氷河の斜面は、ビスホルンへの登山者が大勢歩いているはずだが、踏み固められた明瞭なトレースは無くとても歩きにくかった。 ダビッドは氷河の上を登山道を歩くような感覚で飛ばしていくが、自分でも不思議なくらい息が上がらなかったので安堵する。 幅の狭いクレヴァスをいくつか跨いでいくと、間もなく想定していた明瞭なトレースに合流した。 恐らくルートを熟知しているダビッドは、ショートカットして最短のルートで進んでいるのだろう。

   明瞭なトレースに合流するとやや勾配が増してきたが、それでもブライトホルンを登っているような感じだ。 ダビッドにしては遅いペースで安堵したが、今日の制限時間の7時間から逆算すると、山小屋からの単純標高差が900mのビスホルンの山頂まで3時間以内に着かないと、ダビッドの引き返そうとする気持が強まるだろうから、ロープにテンションは絶対かけられない。 ペースはゆっくりながら(それでも充分速い)も、緊張感のある登高となり、後続のオーストリア人のパーティーを振り返ることなく、静寂の暗闇の中を足元だけに集中して黙々と登り続けた。 ありがたいことに風邪は治ったのか、喉が渇いて貼り付くような不快感はなかった。 

   大きなカーブを切り返すたびにそろそろ休憩かと期待するが、ダビッドが足を止める気配は全くなかった。 今日に限っては私から休憩をリクエストすることはタブーなので、ダビッドに任せて登り続けるしか術がなかった。 高度計を見ればどのくらい登ったのか見当がつくが、標高を見てガッカリするのが嫌なので、バテるまでは見ないことにした。 こんな登り方をするのも久しぶりだが、全てはヴァイスホルンの頂に立つためだと思うと、苦しさや辛さの中にも言葉では表現出来ない充実感があった。 マラソンにも似た感覚かもしれない。 

   時間の感覚が無くなり、頭の中はすでに空っぽになっていた。 もうどうにでもなれと開き直った時、目の前に小さな雪壁が立ちはだかり、ようやくダビッドの足が止まった。 ダビッドはロープを短くたぐり、10mほどの雪壁を一気に登ると、そこは広場のようになっていた。 ダビッドが再び足を止め後ろを振り返ったので、ようやくここで休憩かと思ったが、意外にもダビッドの口から「ビスホルン、サミット」という言葉が出たので驚いた。 時計を見ると確かに標高は4150mになっていたが、時刻はまだ4時54分だった。 自分でも信じられないが、2時間半足らずでビスホルンを一気に登ってしまったのだ。 もちろん足はかなり疲れていたが、目標にしていた3時間以内に登れたので、ヴァイスホルンへの道が開かれたようで嬉しかった。 ダビッドはさらに「ヴァイスホルンの山頂が見えますか?」と暗闇に浮かぶそのシルエットを指さし、「まだあそこは遠いですよ」と言って背中のザックを下ろそうとはしなかった。 ダビッドの思いもよらない発言に驚いたが、ここでダビッドのやる気をそいではまずいので、まだ温かさの残るショルダーベルトのコーヒーを一気に飲み、記録用の写真を一枚撮っただけで、休まずに先に進むことにした。

 

朝食のオートミール


ロープは結ばずに2時半ちょうどに山小屋を出発する


氷河の末端からオーストリア人のパーティーと入れ違いに先行する


山小屋から2時間半足らずでビスホルンの山頂に着いた


   山頂からヴァイスホルンとのコルに向けて下り始めると、意外にも昨日の新しいトレースが見られた。 トレースは深く、雪が相当緩んだ午後の時間帯のものであると思われた。 そのトレースの脇をダビッドが先頭になりショートロープで駆け下りるように下る。 およそガイド登山の常識では考えられないことだ。 コルまでの標高差は100mぐらいで収まったので良かった。 コルからの登り返しに入ると間もなく岩場が出てきたので、ここでストックをデポすることになった。 夜が白み始め黎明のミシャベルの山々が望まれた。

   ここからはいよいよ北稜の登攀となる。 ありがたいことに今のところ無風で、天気は予報より良いみたいだ。 山頂までの単純標高差は450m、時間はまだ4時間以上ある。 不安材料は岩のグレードだけだ。 意外にも岩稜の取り付き付近はただ歩くだけの易しさで、雪と岩を何度か交互に繰り返しながら足早に進む。 雪が稜線に無くなった所でアイゼンを外し、ここから前方に立ちはだかるグラン・ジャンダルム(4331m)への登りとなった。 岩のグレードは前回のダン・ブランシュよりも難しく、4級以上の岩がいくつも出てきた。 ダビッドはさすがにルートを熟知しているようでルート取りは正確で無駄がないが、基本的に尾根を忠実に辿るため、小さな登り下りが連続し標高があまり稼げない。 ビレイポイントがある最初の4級の岩も下りで、躊躇なく懸垂で下りた。 登りは上からのダビッドの細かい指示で足場や掴む岩を教えてもらうが、私の短い手足では僅かに届かない所があり、何度もテンションを掛けながら登った。 稜線は見た目よりも複雑な地形で途中に小さな氷河もあったが、昨日のトレースを巧みに利用してアイゼンは着けずに登った。

   6時半前に待望のご来光となり、太陽の方向に目を遣ると、後方のビスホルンが目線よりも低くなっていた。 グラン・ジャンダルムはさすがに基部からの直登は出来ず、最初は左から巻いて登る。 ダビッドも今までになく時間を掛けて慎重に登っていく。 先端の尖った岩の上こそ登らなかったが、無事グラン・ジャンダルムを登り終えると、眼前には天を突くようなストイックなヴァイスホルンの頂稜部が見られ思わず歓声を上げる。 グラン・ジャンダルムから少し下ったコルからは雪稜となっていたのでアイゼンを着ける。 時計を見ると7時半で“微妙な”時間になっていた。 標高差はあと200mだ。 気のせいかダビッドは今までとは違い、少しリラックスしているように見えた。 怖かったが、思い切ってダビッドに「ポッシブル?」と声を掛けた。 意外にもダビッドは即座に「イエス」と素っ気なく答えた。 時間ばかりを気にしていた緊張感が一気に解け、まるでもう山頂に着いたかのような嬉しさがこみ上げてきた。

 

黎明のヴァイスホルンとジャンダルム


朝焼けのミシャベルの山々


北稜は見た目よりも複雑な地形だった


小さな氷河は昨日のトレースを巧みに利用してアイゼンは着けずに登った


6時半前に待望のご来光となった


後方のビスホルンが目線よりも低くなっていた


グラン・ジャンダルムの基部


グラン・ジャンダルムから少し下ったコルから見たヴァイスホルン


グラン・ジャンダルムから少し下ったコルから見たグラン・ジャンダルム


グラン・ジャンダルムから少し下ったコルから見たヴァリスの山々


   ありがたいことに天国にでも向かうかのような美しいナイフエッジの雪稜にも新しいトレースがあり、予想以上に楽に登れた。 しかしダビッドは未明のビスホルンへの登りよりも明らかに速いペースで私をグイグイと引っ張っていく。 もうすでに手はパンプし、足の疲労はピークに達していたが、希望という心の力は強く、口で息を吸い込みながらもつれる足にムチ打ってダビッドのペースに合わせて登っていく。 次々に出現する偽ピークに何度もガッカリさせられたがもう無我夢中だ。 ようやく右上に山頂の十字架とノーマルルートの東稜から登った登山者の人影が見えた。 あと標高差で50mほどだろうか。 山頂直下ではトレースが無くなり、ダビッドがステップを作りながら登る。 十字架が目と鼻の先になると人影はすでに見えなくなっていた。 そして遂に憧れのヴァイスホルン(4505m)の山頂に辿り着いた。 

   山頂は畳一枚ほどの狭い岩で、意外にも十字架の躯体はシンプルな木製だった。 ダビッドと固い握手を交わし、体全身で喜びと感謝の気持ちを伝えた。 ダビッドも嬉しそうに「グッド・ジョブ!」と登頂を讃えてくれたが、間髪を入れずに彼の口から出た言葉は「ファイブ・ミニッツ」だった。 ダビッドらしい発言に、もう驚くことはなかった。 飲み食いする時間を惜しみ、岩に座ることもなく周囲の山々の写真を撮りまくる。 下山後に確認した山頂への到着時刻は8時13分だった。 図らずも天気は予報以上の快晴になったので、山頂からの展望は今回登った三山の中では一番素晴らしく、モン・ブランからベルーオーバーラントの山々までアルプスの山々が一望出来た。 もちろんグラン・コンバンとダン・ブランシュも良く見えた。 ツィナールロートホルンとオーバーガーベルホルンの頂が重なって見え、少し離れたマッターホルンは心なしか低く見えた。 ガイドブックには山頂からの展望について“ヴァイスホルンを登るくらいの人なら、みな知っている山ばかりだ”と記されているが、正にそのとおりだった。


ヴァイスホルンの山頂


ヴァイスホルンの山頂


ヴァイスホルンの山頂


山頂から見たヴァリスの山々


山頂から見たグラン・コンバン(中央)とモン・ブラン(右奥)


山頂から見たダン・ブランシュ


山頂から見たツィナールロートホルン(中央手前)


山頂から見たミシャベルの山々


山頂から見たモンテローザ(中央左)とリスカム(中央右)


   至福の時間はすぐに終わったが、達成感が強すぎたのか不思議とそれほど山頂に未練は無かった。 ダビッドに山頂での記念写真を撮ってもらい、初めて口にした行動食の胡麻煎餅をテルモスのお湯で流し込み、もう二度と来ることは叶わない山頂を後にする。 下りは私が先頭になるが、体力の消耗が激しいので時間を気にすることなくゆっくり確実に下る。 岩稜の核心部はダビッドの指示でこまめに先頭を交代しながら下った。 足は踏ん張りが利かなくなっているが、一秒たりとも気が抜けない。 往路では懸垂で簡単に下った岩の登りが予想以上に困難で何度か冷や汗をかく。 ダビッドが山頂をトンボ返りした理由に納得出来た。 途中、オーストリア人のパーティーが違うルートで足下の岩場を登っている姿が見えた。 山頂からビレイポイント以外では休むことなく下り続け、2時間半ほどでようやくストックをデポした岩稜の取り付きに着いた。 眼前のビスホルンの山頂に登山者の人影が見えた。

   アイゼンを着けて一旦コルまで緩やかに下り、ビスホルンへの最後の登り返しに入る。 もういくらダビッドでもここからはゆっくり登るだろうという甘い期待は裏切られ、先ほどと全く変わらないペースでグイグイと私を引っ張る。 もう彼には付き合いきれないので、テンションを掛け続けたまま一気に登り、今日二度目のビスホルンの山頂に着いた。 すでに11時を過ぎているため山頂は貸し切りだった。 ビスホルンの山頂からはヴァイスホルンがとても美しく望まれ、ツィナールロートホルンと同じくこの山の頂がヴァイスホルンの一番の展望台だということを教えてくれた。 未明の山頂と同じように、ダビッドは背中のザックを下ろそうとしなかったが、ここは私の意見を通してもらい5分ほど撮影タイムとした。 

   ビスホルンの山頂からは再び私が先頭になり、踏み固められたトレースを下り始めたが、傾斜が緩く滑落の心配がないと判断したダビッドが先頭になって足早に下る。 遥か前方を下っていた何組かのパーティーを全て追い抜き、山頂から1時間で氷河の取り付きまで下ってしまった。 取り付きで再度ダビッドと握手を交わし、お礼と労いの言葉を掛ける。 ロープが解かれ、アイゼンを外してモレーンの踏み跡を僅かに歩き、予想よりもだいぶ早い12時半前に山小屋に戻った。


ヴァイスホルンの山頂から見た北稜


グラン・ジャンダルムの下降


小さな岩塔の下降


北稜から見たビスホルン


北稜の岩場の取り付きから見たビスホルン


二度目のビスホルンの山頂


ビスホルンの山頂


ビスホルンの山頂から見たヴァイスホルン


踏み固められたトレースをダビッドが先頭になって足早に下る


氷河の取り付きから見たヴァイスホルン(中央奥)とビスホルン(左)


   食堂ではビスホルンを登った人達が昼食を食べながら談笑していた。 私達もコーラで乾杯し、カウンターの上に並べられていたアップルパイなどのケーキを二つあっという間に平らげた。 テーブルの隣にはダビッドの知り合いのガイドとそのクライアントの女性達がいて、私の登頂を祝福してくれた。 ダビッドはそのガイドと一緒にこれからすぐ山を下りると言ったが、私はとても彼らのペースでは下れないし、今日は登頂の余韻に浸りながらゆっくり下りたかったので、サミットボーナスを手渡して慌ただしく山小屋のテラスで別れることになった。 ダビッドとはスイスの山に限らず、世界のどこかの山で再会することを誓ったことは言うまでもない。

   荷物の整理を済ませ、1時半に山小屋を後にする。 食堂にいた登山者は三々五々下山していったので、山小屋はガランとしていた。 足はもうゆっくり歩くことしか出来なくなっていたが、憧れのピークに立てた安堵感にも似た達成感で、高山植物が咲き乱れるトレイルを下ることは全く苦にならなかった。 ヴァイスホルンの山頂には雲が湧き、午後の夏山の風景になっていた。 人気のトレイルもさすがに平日は人が少なく、途中ですれ違ったのは20人足らずだった。 麓のツィナールの村に着く直前でにわかに空模様が怪しくなり、カミナリが鳴って雨が降り出した。 バスの発車時間まであと1時間あったので、ジャケットを着込んで庇のある村の中心部のバス停まで歩いた。 バスを待っている間に妻と田村さんにSMSで登頂と下山の報告をした。

   5時44分発のビソール行きのバスに乗り、往路と同じように小さなバスターミナルでシエール行きのバスに乗り換える。 どこからともなく集まってきた人達でバスはほぼ満員だった。 シエールの駅には7時前に着いたが、ここからは電車の待ち時間が長くなり、ツェルマットに着いたのは9時過ぎだった。


ダビッドと再会を誓い、山小屋のテラスで別れる


ヴァイスホルンの山頂には雲が湧き、午後の夏山の風景になっていた


ツィナールの村に着く直前で雨が降り出した


ビソールの町の小さなバスターミナルでシエール行きのバスに乗り換える


9時過ぎにツェルマットに着いた


   8月7日、疲れてはいたが気持ちの昂りで寝るのが遅くなり、昼前になってようやく起きた。 体はもちろんだるかったが、今日のだるさは風邪ではなく単に心地よい山の疲れであることが自分でも良く分った。 遅い朝食を食べながら妻にヴァイスホルンの詳しい報告をする。 意外にも妻は天気予報が快晴を告げていた一昨日の日曜日に、シュヴァルツゼーから新しく改築されたヘルンリヒュッテまで登ったというので、明日の最終日に今回の山行のもう一つの目標としていたオーバーロートホルンへ妻と一緒に登ることにした。

   今日もまずまずの良い天気だが、予定どおりハイキングには行かずに午後から土産物の買い出しに出掛けた。 教会で今回の登頂の成功のお礼をしてから『WEGA』に行き、店主の西永さんにヴァイスホルンに登れたことを報告すると、今シーズンはヴァイスホルンに登った人は少ないからと、以前と同じように登頂日などを刻んだアーミーナイフをプレゼントされた。 駅前のモンベルでは偶然田村さんと出会ったので、そのまま喫茶店に行ってヴァイスホルンの報告をしながら楽しい時を過ごした。 これも全て予定どおり山に登れたことによる気持ちの余裕からで、あらためて良い天気と良いガイド、そして何よりも田村さんという良いエージェントに恵まれたことに感謝した。


新しく改築されたヘルンリヒュッテ  (8月5日の撮影)


教会で今回の登頂の成功のお礼をする


西永さんからプレゼントされたアーミーナイフ(上が前回・下が今回)


田村さんにヴァイスホルンの報告をする


   8月8日、午後からは曇りという予報だったが、予定どおり妻とオーバーロートホルンを登りにいく。 “通い慣れた” 地下ケーブルでスネガへ上がると、図らずも3回目の今日が一番マッターホルンの眺めが良かった。 スネガからブラウヘルトへゴンドラで上がる。 眼前に聳えるヴァイスホルンはその頂に立ってもなお神々しく見えた。 9時過ぎにブラウヘルトを出発し、ステリゼーへのトレイルを右に分けてオーバーロートホルンへ向かう幅の広い急坂を登り始める。 2週間前に歩いたばかりなのでトレイルの記憶は新しい。 今日もマーモットがお花畑の中に見られた。 フルーエヒュッテからの道と合流する地点で一息入れる。 人気のある山だが今日は不思議と前後にハイカーの姿は見られなかった。

   道標が立つオーバーロートホルンの基部の残雪は消え、その先のトレイルには前回沢山見られた青いゲンチアナに替わって白いエーデルワイスが咲いていた。 天気は午前中しか持たないようだが、傾斜の緩いトレイルを足元の高山植物を愛でながら妻のペースでゆっくり登る。 ニか月前は痛みで歩くこともままならない容体だった妻が、痛みこそまだ残っているものの、山に登ることが出来るようになって本当に嬉しい。 山頂直下ではドムやリムプフィッシュホルンが見えたが、次第に周囲の山々は雲に覆われてしまった。


スネガから見たマッターホルン


スネガから見たオーバーガーベルホルン


スネガから見たツィナールロートホルン


ブラウヘルトから見たヴァイスホルン


ブラウヘルト付近ではマーモットが頻繁に見られた


ステリゼー


ブラウヘルトからの幅の広い急坂を登る


エーデルワイス


フルーエヒュッテからの道との分岐付近から見たオーバーロートホルン


道標が立つオーバーロートホルンの基部


傾斜の緩いトレイルを妻のペースでゆっくり登る


オーバーロートホルンの山頂直下


オーバーロートホルンの山頂直下から見たリムプフィッシュホルン


オーバーロートホルンの山頂直下から見たドム


   正午に3度目のオーバーロートホルン(3414m)の山頂に着く。 図らずも前回と同じように山頂には誰もいなかった。 あいにく山頂からの展望は冴えないが、今日の一番の目標は妻と二か月ぶりに山に登ることだったので全く苦にならない。 それどころか最終日にそれが叶って本当に良かった。 ヴァイスホルンに登れたことはもちろん望外の喜びだが、ある意味でこの登頂は今後の山登りの貴重な指針となるだろう。 

   風の弱い山頂でゆっくりランチタイムとし、次に登ってきたパーティーと入れ違いに山頂を発つ。 帰路は夏の入道雲が次々に湧き始め、ブラウヘルトの手前から小雨が降り出したが、ツェルマットでは陽射しが強くて暑かった。 明日の朝食のパンなどを買ってアパートに帰り、明日の帰国に向けての準備と部屋の片づけをする。 明日の出発は早いため、管理人のヨハネスにのチェックアウトの時間を伝え、駅までのタクシーの手配を依頼した。


オーバーロートホルンの山頂


オーバーロートホルンの山頂


オーバーロートホルンの山頂から見たヴァイスホルン


帰路は夏の入道雲が次々に湧き始めた


ブラウヘルトの手前から小雨が降り出した


   8月9日、ツェルマットの駅を7時37分に発つ電車に乗るため、7時に管理人のヨハネスに部屋の鍵を返してチェックアウトする。 今後ツェルマットを訪れる機会があれば、また泊まりたいと思うような良いアパートだった。 アパートの入口で待機していた電気自動車のタクシーに乗って駅へ向かう。 料金は17フラン(邦貨で約1,900円)だった。 メーターは無かったので町内は一律料金なのかもしれない。 天気はとても良く、寸暇を惜しんで川沿いの道まで歩き、最後のマッターホルンの雄姿を写真に収めた。


3週間余り滞在したアパートの部屋


滞在したアパートのオーナーのヨハネス


アパートからタクシーでツェルマットの駅に向かう


ツェルマットの駅付近から見たマッターホルン


   電車は定刻で発車したが、間もなく何らかのトラブルで度々停車することになってしまった。 結局30分以上遅れてフィスプの駅に着いたため、それ以降に乗る電車が違ってしまい、ベルンでの乗り換えを余儀なくされたが、幸い午後1時30分発の飛行機のチェックインは全く問題なかった。 帰路の機内は平日にもかかわらず夏休みの最盛期なので空席は無かった。 バンコクでのトランジットは2時間と理想的で、日付が変わった翌日の夕方4時に成田に着いた。


ツェルマットの駅


フィスプからはバーゼル行きの急行列車に乗る


チューリッヒのクローテン国際空港


チューリッヒのクローテン国際空港


   9回目となった今回のアルプス山行は、出発の3か月前に急遽決めたものだったが、猛暑ではあったものの滞在中の天候が安定し、二日続けて雨が降るようなことが無かったので、ガイドを予約した日が全て晴れるという幸運に恵まれ、結果的に希望していた三つの山の全てに登ることが出来た。 また現地のエージェントのアクティブマウンテンの田村さんの人脈と手腕により、若くて優秀なガイドのダビッドと巡り会えたことは、天気にも増して登頂の成功につながったと思えた。 中でも以前から一番の宿題となっていたヴァイスホルンに1回のチャレンジで登頂出来たことは本当にラッキーで、また日本人の登頂記録が見当たらない北稜を登ったことで、より一層記憶に残る山行となった。 また今回はダン・ブランシュにも登れたので、ヴァリス山群で興味のある山を一通り登り終えることが出来た。 11年ぶりに再訪したアルプスでは温暖化による氷河の後退が顕著で、夏は4000mでも雪が降らなくなってしまい、今後10年・20年先に美しいアルプスの山々がどうなってしまうのか危惧されるが、まだモン・ブラン山群のエギーユ・ヴェルトやベルナー・オーバーラント山群のシュレックホルンなどを筆頭に憧れの山々が待っているため、10回目のアルプス山行に向けて準備をしていきたいと思った。


リスカムの山頂から見たヴァイスホルン  (2006年9月撮影)



山 日 記    ・    T O P