8月25日、am5:30起床。 夜空には星が瞬き、天気予報どおりの好天となりそうで安堵する。 清々しい早朝の空気に包まれて人通りのないメインストリートを朝焼けのアイガーを眺めながら登山電車の駅へ歩く。 am7:15の始発の登山電車に乗り、クライネ・シャイデックを経てユングフラウヨッホに向かう。 週末なので座れないほど混雑するかと思ったが、それほどでもなかった。 登山電車の車窓からはハイキングで行ったメンリッヒェンやシュヴァルツホルンが澄みきった青空の下に望まれ、アイガーの北壁はもちろんのこと、クライネ・シャイデックで乗り換えた後は朝陽に輝くメンヒとユングフラウ、そして意外な所にグスパルテンホルンが望まれ、思わず座席から身を乗り出す。 途中、観光用の駅のアイガーヴァントとアイスメーアで各々5分間の停車時間があり、氷河越しのシュレックホルンを写真に収め、その頂に思いを馳せる。 アイガー登山のB.Cとなるミッテルレギヒュッテまでのトレイルが雪の上に明瞭に印されていた。
am8:45、グリンデルワルトから1時間半で終点のユングフラウヨッホ(3475m)に到着。 指定された喫茶店(立ち飲み専用)に行くと、他の登山客も同じようにガイドとの待ち合わせ場所に利用していた。 日本人の中年の夫婦なのでガイドのインボデン氏もすぐに分かったようで、スムースに落ち合うことが出来た。 早速自己紹介をした後、「ソーリー、ウイー・スピーク・イングリッシュ・ワード・トゥ・ワード」と言うと、「ノー・プロブレム!」とニッコリ笑っていた。 長身でスマートな体格の氏はとても優しそうな感じだった。 氷河に出るトンネルの中を歩きながら雑談を交わしたところ、氏はガイド業はまだ5年目で、現在でも主な仕事はヘリコプターによるレスキューで、医師の資格もあるとのことだった。
トンネルを出ると期待どおりのアルプスの青い空と雪景色が待っていた。 いよいよこれから2泊3日でフィンスターアールホルンを登ってグリムゼル湖まで縦走するツアーが始まるのだ。 眼前に広がるアルプスで最も長いアレッチ氷河を下るトレイルは意外と薄く、今週の入山者が少ないことを物語っていた。 アイゼンを着け、アンザイレンしてam9:15にヨッホを出発する。 この時間帯に出発するのはメンヒ(4099m)への日帰り登山をするパーティーが殆どで、アレッチ氷河を下るのはどうやら私達だけのようだった。 今日の行程はアレッチ氷河を3分の1ほど下り、4つの氷河が合流するコンコルディアプラッツ(2750m)から左手の氷河(グリュネックフィルン)を辿り、グリュンホルンリュッケ(3286m)という峠まで登ってから、目的地のフィンスターアールホルンヒュッテ(3040m)まで下る13kmほどのロングコースで、インボデン氏から6時間ほど掛るという説明があった。 氏はヒドゥンクレバスを巧みにストックで探し当てながら慎重に氷河を下り、後続者のためにヒドゥンクレバスの横にストックで線を入れて印をつけていた。 穏やかな風貌の氷河だがクレバスが非常に多く、今月の初旬に国際山岳連盟の会長がコンコルディアプラッツ付近でクレバスに落ちて亡くなった事故があったらしい。 最後尾の私も充分に注意を払ってクレバスを越えたが、一度だけクレバスの縁の雪が崩れて腰まで落ちた。 右手には紺碧の青空の下にロートタールホルン(3969m)を従えたユングフラウが堂々とその雄姿を披露している。 30分ほど下ると傾斜が緩み、トレイルも安定してきたので、氏からアイゼンを外すように指示があった。 氏は周囲の山々を一つ一つストックで指しながら丁寧に山の名前を教えてくれ、また休憩したくなった時は声を掛けて下さいと言ってくれた。
意外にもヨッホから1時間ほど下ると、氷河の上の新雪も少なくなり、所々で氷が露出していた。 高度計では2900m辺りだ。 間もなく左手におびただしい数の崩壊したセラックの残骸が現れ、その最奥に予定どおりの日程なら今日登ることになっていたグロース・グリュンホルン(4044m)とその支峰のグリュネックホルン(3860m)の頂稜部が小さく見えた。 正面にはコンコルディアプラッツから双耳峰のフィーシャーガーベルホルン(3876m)が屹立し、右手から流れ込んでくる氷河(アレッチフィルン)の上にはアレッチホルン(4195m)が根張りの大きな図体で鎮座している。 予定どおりの日程なら昨日泊まることになっていたコンコルディアヒュッテが氷河から100m近く上の岩棚に小さく見えた。
溶け出した氷河の水がクレバスの中を勢い良く流れている川が突然目の前に現れた。 川幅は2〜3m、深さは3〜4mといったところであろうか。 上流か下流のどちらかに行けばに渡れそうな所はあるかもしれないが、その場所は全く予想がつかない。 迂回するデメリットが大きいと判断したインボデン氏が飛び越えられそうな所を探しながら行くと、川幅は変わらないが、向こう岸が1mほど低くなっている所があった。 妻は飛び越える自信がなくて嫌がっていたが、私は妻の運動神経なら大丈夫だと説得して、そこを飛び越えて渡ることになった。 まず氏が対岸に飛び移り、ザックを置いて空身になった妻が氏にザイルで引っ張られながら勢い良く飛び、対岸に倒れ込むように着地した。 妻のザックを対岸に放り投げ、私も飛び移ったが、地面の雪が固かったため着地の衝撃は想像以上に大きく、妻は足首を軽く捻挫してしまった。 しばらくするとまた小規模な水流が現れた。 先ほどのクレバスに比べれば全く問題ないと思ったが、傷めた足首をかばった妻が今度は着地に失敗し、足首の捻挫をさらに悪化させてしまった。 ゆっくり歩けば大丈夫とのことで、そのまま歩き続けたが、明日の登山への影響が気掛かりだ。 二転三転している今回の登山は本当に何が起こるか分からない。
ユングフラウヨッホを出発して2時間半ほどで、広さが4kuほどあるというコンコルディアプラッツに着いた。 ここ数日の新雪でかろうじて氷河に数センチの雪が積もっているが、その下には剥き出しとなった氷の上に細かな土砂が堆積し、雪が溶けたトレイル上は黒々としていた。 今日はヨッホからアルプスを代表するアレッチ氷河の源頭部を下り、氷河の交差点のコンコルディアプラッツまで歩いたが、ここから下流の氷河は薄汚れた土砂で白い輝きを失い、全体が灰色になっていた。 以前から問題になっている地球温暖化による氷河の後退がとても深刻であることが良く分かり、このままでは本当に雪を戴いたアルプスの美しい山の景観が無くなってしまうのではないかと思わざるを得なかった。 夏のユングフラウヨッホの展望台から黒々とした氷河が見える日もそう遠くないかもしれない。 後退した氷河上に良く見られるキノコ岩(平たい岩の下の氷河が痩せて茎のように支えているもの)が散在し、そのうちの一番大きなものは積雪量を計る目安にされているとインボデン氏から説明があった。 また、頭上のコンコルディアヒュッテ(2850m)に登る稲妻型の鉄の階段が垂直の岩壁に何段も取り付けられているのが見えたが、100年以上前に山小屋が作られた当時は氷河と同じ高さにあったので階段は無かったとのことだった。 氏から明日はあのヒュッテに泊まるという説明があったので、「私達はユングフラウヨッホに戻るのではなく、オーバーアールヨッホ経由でグリムゼル湖まで縦走することを希望しています。 その件については事前にAGに伝えてありますが」と申し出ると、意外にも氏からは「AGからはユングフラウヨッホへの往復ルートとして依頼を受けていますが、仮にそうでなくても現在はオーバーアールヨッホまでの氷河のコンディションが悪く、相当な困難が予想されるので全く勧められません」という説明があった。 楽しみにしていた縦走の計画が駄目になったばかりか、明日フィンスターアールホルンを登った後にこれから登るグリュンホルンリュッケ(峠)を反対側から登り返してこのヒュッテまで戻るという非効率さには大いに不満だったが、今回の登山は本当に何が起こるか分からないので、氏の提案に素直に従うことにした。 また、氏の説明では当初予定していたグロース・グリュンホルンはルートのコンディションが悪く、多分まだ登れないとのことで、言葉の障害があったにせよ、AGの担当者の説明と情報不足には閉口した。
コンコルディアプラッツでしばらく休憩してから、標高差で500mほどのグリュンホルンリュッケ(峠)を目指して登る。 雪は柔らかく傾斜も緩いのでアイゼンは着けない。 峠との間に一組のパーティーの姿が見えた。 フィーシュからアレッチ氷河を遡ってきたのだろうか?。 すでに正午となったが、幸いにも陽射しや照り返しによる暑さはさほどでもなく助かった。 後ろを振り返ると、アレッチ氷河を挟んでちょうどこちらと同じような傾斜の緩い氷河(アレッチフィルン)とその源頭部の峠のレッチェンリュッケ(3173m)の眺めが良かった。 インボデン氏は妻の足を気遣い、勾配の緩い斜面を非常にゆっくり登っていく。 峠までの道のりは飽きるほど単調だったが、その先に見える新鮮な風景を期待しながら登り続ける。 背後のアレッチホルンもだいぶ遠くなってきた。
途中2度ほど休憩したにもかかわらず、コンコルディアプラッツから2時間足らずで3286mのグリュンホルンリュッケに着いた。 峠からはいつもその頂稜部しか拝むことが出来なかった憧れのフィンスターアールホルンが、真正面にその大きな山容を惜しみなく披露し私達を歓迎してくれた。 もちろん峠で腰を下ろし大休止となる。 憧れの山との対面で喜び勇んで写真を撮りまくっている私の傍らで、インボデン氏は双眼鏡で明日の登攀ルートの偵察を入念に行っていた。 そして冴えない表情で「トレイルは見当たらず、雪が多くて雪崩の心配がありそうです。 いずれにしても明日は大変ハードな登山となるでしょう。 これから山小屋で情報の収集にあたりますが、登頂の可能性は低いでしょう」と私達に説明してくれた。 再び雲行きが怪しくなってきたが、ここまでの過程で色々なことがあり過ぎたため、それほど動揺することもなかったが、むしろまだこれからも色々なことが起こるような予感がした。
峠からは今日泊まるフィンスターアールホルンヒュッテも微かに見え、インボデン氏の話ではあと1時間ほどで着くとのことだった。 峠の先で休憩していた4人組の中高年の男女のパーティーの傍らを通り、30分ほど緩やかに下っていくと斜面が急になり雪が凍っていたのでアイゼンを着ける。 峠から標高差で300mほど下ってフィーシャー氷河に降り立つと、ようやく背後に大きくグロース・グリュンホルンの雄姿が望まれたが、少し斜に構えたような面持ちの個性的な山だった。 フィーシャー氷河を横断し、50mほど上の崖の岩棚に建つ山小屋へ取り付く岩場の前でザイルが解かれた。 アイゼンを外して岩屑の中の明瞭な踏み跡を僅かに登り、pm3:00に山小屋に着いた。 出発点のユングフラウヨッホから6時間弱の道のりだった。
木造4階建ての山小屋は新しく、そんなに大勢の登山者が来るのかと思えるほど大きかった。 AGのガイド登山では山小屋の宿泊代がガイド料金に含まれているので、宿泊の手続きを終えたインボデン氏が私達の寝室を案内してくれたが、この山小屋ではガイドは別室ということだった。 山小屋は1階に石造りのテラスが、そして2階にも木張りの立派なテラスがあり、フィーシャー氷河を挟んだ山々の景観が素晴らしく、特にグロース・グリュンホルンの眺めが良かった。 寝室は独立した2段のスキーヤーズベッドになっていて、一室に12人が泊まれるようになっていた。 私達が到着した時は閑散としていたが、宿泊客は最終的には30名近くになった。 この山小屋に泊まる人は殆どがフィンスターアールホルンの登山が目的なので、明日はそれなりに山は賑わいそうだ。 それとは逆に妻の足首の状態は芳しくなく、氷河の歩行だけなら問題ないが負荷がかかる岩登りが辛いようで、明日の登山を半ば諦めた様子だった。 先ほどのクレバスを飛び越える際の私の判断ミスが原因で、妻には本当に申し訳ないことをしてしまった。
着替えを済ませ、寝室で濡れたものを乾かしてから2階の食堂に行くと、インボデン氏が「山小屋の主人の話では、昨日主稜線のコルのフギザッテル(4088m)まで登ったパーティーがあり、彼らはラッセルに疲れて引き返したが、雪崩の心配はなかったとのことです。 明日はスイス人のガイドが率いるパーティーが他に2組あり、そのうちの一人のガイドはルートを熟知している地元のフィーシュのガイドで、明日は彼が先行してくれるそうです。 彼の話では恐らく登頂は可能ということでした」と笑顔で説明してくれたので、にわかに嬉しくなった。 宿帳には予想どおり日本人の名前は無かったが、いつものように日本語で名前と住所を記帳し、この山深いヒュッテに足跡を残した。
夕食はpm6:00から始まり、前菜が野菜入りのコンソメスープ、主菜は鶏肉・ジャガイモ・ニンジン・玉葱が入った煮物でデザートはフルーツポンチだった。 主菜の鶏肉の煮物は味付けもちょうど良く、お腹一杯に食べた。 夕食後はいつものように片言の英(単)語でインボデン氏と雑談を交わす。 氏は日本人のクライアントは初めてということで興味があったのか、珍しく氏の方から私達の年齢を訊ねてきたので、(日本でも若く見られるため)笑いながら答えると、やはり少し驚いた様子だった。 氏は現在38歳とのことで、インターラーケンに奥さんと二人のお嬢さんと住んでいるとのこと。 ガイド業は夏山シーズンと冬のスキーシーズンのみで、以前からやっているレスキューの仕事が本業とのことだった。 残念ながら氏は日本に来たことはなく、辛うじて富士山の存在だけは知っていたが、日本の面積や人口については全く知らないというので、日本の地図をメモ帳に描いて九州の面積がスイスとほぼ同じであることや、人口はスイスの約16倍であることを教えた。 氏の海外の登山経験は一度だけで、チベットのムスターグ・アタ(7546m)に公募登山隊のガイド兼医療班として登ったという。 来年はマッキンリーに同じような組織のガイドの仕事で行くとのことで、先々月に私が同峰を登った時の感動と感想を話した。 スイス国内で好きな山はマッターホルンとメンヒということで、私達が過去2回お世話になった姓が同じイワン・インボデン氏とは年齢も近く、親しい間柄とのことだった。 氏から明日はam4:00から朝食をとり、準備が出来次第出発するとの指示があり、pm8:00過ぎには床に就いた。
8月26日、am3:30起床。 高所順応で水分を多めに取ったので夜中に2度もトイレに起きたが、熟睡は出来たので体調は万全だ。 真夜中も今も空には星が見え、天気は予報どおり良さそうだ。 一方、残念ながら妻は長い帰路のことが心配なので大事をとって登らないとのことで、私だけが登ることになってしまった。 私の判断ミスによる怪我なので、妻には申し訳ない気持ちで一杯だったが、このことが後で登頂を左右することになるとは知る由もなかった。 身支度を整え少し早めに食堂に行くと、すでにインボデン氏はテーブルにつき、「良く眠れましたか?」と相変わらず細かな気を遣ってくれた。 氏はいつも朝食をとらないと言うので驚いた。 am4:30に氏と共に外のテラスに出て、昨日の打ち合わせどおり地元のガイドパーティーが出発するのを待つ。 相変わらず満天の星空で天気は申し分なかったが、生暖かい風が少し吹いているのが気掛かりだった。
am5:00前、妻の見送りを受けて地元のガイドパーティーに続いて山小屋を出発した。 このパーティーのガイド氏とクライアントの2人は私と同じ位の年に見えた。 もう一組のガイドパーティーは少し遅れて出発するようだった。 一年ぶりにアルプスの山を登ることに対する独特の緊張感と、ルートのコンディションに対する不安感、ようやく山に登れることになった喜び、憧れの山に対する期待感が相互に入り混じった何とも言えない複雑な気分だ。 山小屋の裏手の岩屑のアルペンルートをヘッドランプの灯を頼りに登っていく。 外国人とはいえ3人パーティーの後なのでペースは遅く、まるで5人のパーティーで登っているような感じがする。 所々にケルンの積まれたアルペンルートの登りは非常に快適で、45分ほどで氷河の取り付きに着いた。 ここでアイゼンを着けてアンザイレンしたが、もう一組のガイドパーティーを待っているのか、地元のガイドパーティーはなかなか出発せず、10分以上も休憩することになった。 休憩している間に他のガイドレスのパーティーも次々に取り付きに着いた。 インボデン氏が何度も苦しそうな深い咳をしていたので、「大丈夫ですか?」と声を掛けると、意外にも顔を横に振りながら、「ノー・グッド(体調が悪い)」と屈強なガイドらしからぬナーバスな表情をあらわにした。 朝食をとらなかったのは、体調が悪かったためなのか?。 私も過去に何度か突然体調が悪くなる経験をしているので、今はただ氏の体調が良くなることを祈るしかなかった。 ようやく地元のガイドパーティーが腰を上げ、再び先頭で氷河を登り始めた。 まだ気温が低く雪も締まっているので、アイゼンの爪を利かせながら少し速めのペースで登っていく。 予想以上にクレバスの多い斜面を30分ほどジグザクを切って登ると、後続のパーティーのヘッドランプの灯はかなり遠ざかった。 間もなく夜が白み始め、フィーシャー氷河越しに山々の輪郭がはっきりと見え始めた。 これからアルプスの素晴らしい夜明けのドラマが始まるのだ。 しかしながら今日は少し薄雲が広がり、全くの快晴という感じではなかった。 氏は相変わらず登りながら苦しそうな咳をしている。
取り付きから下部の氷河を淡々と休みなく1時間ほど登ると、氷河上を顕著な岩稜が横切り、岩が露出しているフリューシュテュクスプラッツ(朝食場/3616m)という所に着いた。 昨日インボデン氏がここから先の区間が一番の危険地帯だと説明していた場所だ。 氏は相当具合が悪いようで、岩の上に座り込み苦しそうな深い咳をしていたので、再び「大丈夫ですか?」と声を掛けて氏を気遣うが、細かな説明をしても私が理解出来ないので、頭を垂れたまま顔を横に振るだけだった。 地元のガイドパーティーのクライアントもその状況を見て、心配そうに氏に声を掛けていた。 一方、地元のガイド氏はインボデン氏と言葉を交わすことはなかったが、今度も10分ほどここでゆっくり休憩していた。 図らずも周囲の山肌が朝焼けに染まり始め、感動を味わいながら写真を撮ることが出来たが、氏の体調のことがとても心配だ。 最悪の場合、氏は自ら下山を決断するかもしれず、この先のルートのコンディションよりもそのことの方が気掛かりだった。
間もなく若者2人組のガイドパーティーと4人組のガイドパーティーが相次いで追いついてきた。 打ち合わせどおりなのか、若者2人パーティーは殆ど休憩せずに今度は先頭で登り始め、その後を4人パーティーが続き、私達“5人パーティー”はその後に続いた。 周囲が明るくなってきたのでルートの状況が良く分かる。 意外にも朝食場の先の新雪は数10cmほどで大したことはなく、先行パーティーのラッセルにも助けられて殿の私は全く快適だった。 しばらくすると先行していた4人パーティーが立ち止まっていた。 どうやらそのパーティーの一人の女性に何かアクシデントがあったらしく、一人が連れ添って下山していくところだった。 今日の状況では下山していく彼女らの姿に自分たちの姿をダブらせずにはいられなかった。
朝食場から30分ほど登ると、先行していた若者2人パーティーが休憩していた。 その先には大規模なデブリ(雪崩の跡)が見られ、その手前でトレイルは無くなっていた。 おそらく昨日登ったというパーティーはこの先のフギザッテル(4088m)ではなく、ここで引き返したのだろう。 高度計の標高はまだ4000mに達していなかった。 これも打ち合わせどおりなのか、再び地元のガイドパーティーが先行し、私達のパーティーが小判ザメのようにぴったりと後ろから続くことになった。 先頭の地元のガイド氏が一人でラッセルを続けているためペースは必然的に遅く、爽やかな朝の山々の景色を堪能しながら所々で写真を撮る。 山小屋からは見えなかったグロース・フィーシャーホルン・ユングフラウ・アイガー、そしてアレッチホルンの山頂も見え始めた。 しばらくするとインボデン氏は自分の体調を考えてか、地元のガイドパーティーに追従することなく、自分のペースで登っては立ち止まって休憩し、前との差が開いてくるとまた自分のペースで登るという方式に切り替えた。 「頑張れ!、頑張れ!」と心の中で氏を応援する。 叶うことなら元気な私が氏と代わってあげたいと思った。 そんな登り方を繰り返しながら次第に傾斜を増してくる雪面を登り続けていくと、ようやくフギザッテルと呼ばれる主稜線上の鞍部が上方に見えてきた。 ザッテルは風の通り道となっているようで、風が急速に強まり始めた。
am8:10、山小屋を出発してから3時間半ほどでフギザッテルに着いた。 ザッテルからは、ほぼ同じ高さのシュレックホルンとラウターアールホルンの頂が眼前に迫り、その荒削りで堂々とした雄姿に思わず気持ちが昂った。 稜線の向こう側には朝陽が当たっていたが、ザッテルには5mほどの風が断続的に吹いていて休憩には向かなかった。 本来ならインボデン氏から「あと1時間で山頂ですよ!」と標高差200m足らずとなった右手の岩稜を見上げながら説明がありそうな場面だが、体調不良でまるで別人のようになってしまった氏は、真っ先にザックを下ろし、その上にしゃがみ込んだまま動かない。 再び苦しそうな咳を何度かすると、意外にも氏は私に「水を貰えませんか?」と言うので、お腹の調子が悪いのなら温かい紅茶の方が良いと思いテルモスを差し出すと、何故か氏は水の方が良いというので、水筒のスポーツドリンクをあげたが、氏は水筒を忘れてしまったのだろうか?。 「具合はいかがですか?」とまるで反対の立場になったように氏に声を掛けると、先ほどよりもさらに精彩を欠いた表情で「事態は深刻です」と一言だけ呟いた。 もしこのような状況にパートナーの妻や友人がなった場合、その進退については本人に決めてもらう以前に下山を勧めるが、氏は医師の資格もあるプロのガイドなので、私からは余計なことは言わずに氏の判断に委ねようと思った。 頂上に続く痩せた岩稜には新雪がべったりと付いたミックスの状態になっていた。 雪がなければアイゼンを外して快適な岩稜登攀になるのだろうが、今日のようなコンディションでしかも風が強いと、何度も登頂経験のある地元のガイド氏でもルートファインディングが大変だろう。 ザッテルでもやはり10分ほどの休憩をしてから、地元のガイドパーティーがミックスの岩場に取り付いた。 私達もその後に続くと思ったが、インボデン氏は若者2人パーティーに先に行ってもらうようにしたので、私達が3番手となった。 後続のパーティーは、まだザッテルまで登ってこなかった。
主稜線の岩場に取り付くと、下から吹き上げてくるような風は一段と強まり、時折10m以上の突風が吹くこともあった。 地元のガイド氏が試行錯誤しながら脆い雪面にルート工作を施し、2人のクライアントとスタカットで登り、若者2人パーティーと私達がその後をコンティニュアスで続く。 インボデン氏は余裕が無いのか、私を信頼しているのか、一度たりとも後ろを振り返ることはなかった。 私もこれに応えるべく全神経を遣い、絶対にザイルにテンションをかけないように努めた。 長い時には10分近くも風の寒さに震えながら待たされることもあり、僅か200m足らずの登攀は遅々として捗らない。 立っているだけが精一杯の痩せた岩稜なので、ザックに入った薄手のダウンを着ることも出来ず、オーバー手袋をしている指先も冷たくなってくる。 待っている間は常に深呼吸を行って血中酸素濃度を増やし、体内から冷えきった体を暖める努力をした。 私がこんな状態なので、衰弱している氏はもっと大変に違いない。 ここは氏と共に頑張るしかない。 憧れの頂はもうすぐそこだ。 地元のガイド氏のルート工作に痺れを切らした若者2人パーティーが尾根上にルートを求めて途中から別れたが、風の強さもあって途中で行き詰まってしまい、再び私達の後について登ることになった。 ザッテルから山頂までは1時間もあれば充分だと思っていたが、もうすでに1時間半以上が経過していた。 足下には登頂を諦めてザッテルから下っていくパーティーの姿が見えた。
不意に地元のガイド氏がインボデン氏に何やら大声で叫んだ。 ドイツ語だったが、その状況から話の内容はすぐに汲み取れた。 氏はあらためて私に「あと僅か30mほどで山頂ですが、山頂付近の雪の付き方が非常に危険で風も強く、ここから上へは登れません。 大変残念ですが、今日はこの地点を山頂とします」と丁寧に説明してくれた。 いつもであれば冷静さを失うところだが、今回の登山は大雪のため日本を出発する前から困難が予想され、かつ、こちらに来てからの悪天候・ガイドの手配ミス・下山ルートの相違・昨日の妻の怪我、そして今日の氏の突然の体調不良と色々な出来事があったので、すでに心の準備は出来ていた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ユー・アー・グッ・ガイド!、ここまで良く頑張った!!」。 私の山に対する強い憧れを何とか叶えようと、体を張ってここまで導いてくれた氏と力強く握手を交わし、肩を叩き合って感謝の気持ちを伝えた。 今日の山頂には360度の展望も十字架もなかったが、今の私にとってそれらは全く不要だった。 なぜならそこはどんなに優れたカメラでも写すことの出来ない“心の山頂”だったからだ。 氏にとっても決して忘れることの出来ない山頂となったに違いない。 am9:50、私は憧れのフィンスターアールホルンの山頂に辿り着いた。 ベルナー・オーバーラント山群の最高峰の頂からはユングフラウ・メンヒ・アイガーの三山はもちろんのこと、グロース・フィーシャーホルン・ヒンター・フィーシャーホルン・グロース・グリュンホルン・シュレックホルン・ラウターアールホルン・アレッチホルンの全ての4000m峰が見渡せ、東の方角には当初下山ルートとして予定していたオーバーアール湖とグリムゼル湖が並んで見えた。 それとは反対に山深さのゆえ、麓の町や人工物は一切見えない。 唯一残念だったのは、足下から流れ出すフィンスターアール氷河がアレッチ氷河以上に痩せ細り、黒ずんでいたことだった。 すでに眼下となったシュレックホルンを背景にしてインボデン氏に記念写真を撮ってもらい、僅か数分で二度と訪れることは叶わない想い出の頂を後にした。
体調の悪いインボデン氏を気遣い、後方にいた若者2人パーティーが先を譲ってくれた。 後ろから氏に確保されているが、氏への負担をかけないように先ほど以上に全神経を集中させ、単独行のつもりで慎重かつスピーディーに痩せ尾根を一目散に下る。 意外にも私達を含む3パーティー以外は全てフギザッテルから引き返し、後から登ってくるパーティーは無かった。 僅か30分ほどでフギザッテルに降り立ち、再び氏にスポーツドリンクを飲ませると、先ほどよりも幾分体調が良くなったようだった。 相変わらず風の収まらないザッテルで10分ほど行動食を食べながら休憩し、ようやく下ってきた若者2人パーティーと入れ違いにザッテルを出発した。
フギザッテルで引き返した後続パーティーによって明瞭に刻まれたトレイルを、私が先頭になって駆け降りるように下る。 高度を下げることが氏にとって一番の薬だからだ。 あっと言う間にフリューシュテュクスプラッツ(朝食場)を通過し、さらに柔らかくなった雪面を休まずに下り続け、フギザッテルから僅か1時間10分で氷河の取り付き(アルペンルートの終点)まで下った。 取り付きには足首を痛めている妻の姿はなかった。 ここは山小屋よりも開放感があり、山々の展望が良いため、先に下山した何組かのパーティーが思い思いに寛いでいた。 そのうちの一人から「山頂まで行かれたんですか?」と訊ねられたので、「そうです!、この素晴らしいガイドさんに連れていってもらいました!」と誇らしげに答えた。 「コングラチュレーションズ!」。 「サンキュー!」。 このやり取りを聞いて、曇りがちだったインボデン氏の表情が少し明るくなったことを肌で感じた。
取り付きからはフィーシャー氷河越しに見たグロース・グリュンホルンがとても立派に見えた。 4000m峰だが周囲をそれ以上の高峰に囲まれているため、グリンデルワルトからはもちろん、ユングフラウヨッホからもバッハアルプゼーからも見ることが出来ない奥ゆかしい山だ。 今日これから登り返すグリュンホルンリュッケが目線の高さに見える。 アイゼンを外して、ザイルが解かれた。 ザイルを束ねているインボデン氏を待たずに妻の待つ山小屋へ下る。 山小屋から取り付きまでのアルペンルートは、良く踏まれた明瞭なトレイルだった。
正午ちょうどに妻に出迎えられて山小屋に戻った。 早い時間帯から何組ものパーティーが戻ってきたので、昨年のドロワットのように私達も途中で引き返してくるのではないかと気を揉んでいたという。 詳しい経緯は長くなるので後回しにして、とりあえず登頂出来たことだけを報告した。 後から着いたインボデン氏にあらためてお礼を述べ、再び固い握手を交わす。 氏もだいぶ元気になったようで安堵した。 妻は今回思わぬ怪我で登る機会を失ったが、仮に妻が一緒に登っていたとしたら、氏は途中で引き返したかもしれないので、運命とは本当に不思議なものだ。 登頂祝いの杯を上げたいところだが、氏はまだアルコールは駄目とのことで、スイスの家庭料理のレシュティを注文した。 ソフトドリンクで乾杯し、陽当たりの良いテラスでレシュティを食べながら、今日の登山の一部始終を妻に話した。 食後は氏が少しだけ休みたいというので、妻が氏に征露丸を飲ませ、その間に私達も荷物の整理をして出発の準備をする。 出発前に氏はザックから水筒を取り出し、中身の紅茶を捨てていた。 氏の話では、腹痛の原因は紅茶に雑菌が入っていたからとのことだった。 私は食堂のテーブルに置いてあったポットから紅茶を入れたが、氏は外のテラスに置いてあったポットから入れたようだった。
pm1:20、週末で遊びに来ていた山小屋の管理人の家族に見送られ、今日の宿泊地のコンコルディアヒュッテに向けて出発する。 平坦なフィーシャー氷河を横断してから急な斜面の前でアイゼンを着け、グリュンホルンリュッケ(峠)を目指して登る。 昨日は綺麗に見えたフィーシャー氷河も丸一日で表面の新雪が溶け、黒い土砂がだいぶ露出していて痛々しかった。 征露丸が効いたのかインボデン氏もすっかり回復し、妻の足首も雪の斜面の登りであれば問題なさそうで安堵した。 午後に入り、気温の上昇と照り返しによる暑さを心配したが、すでに上空には天気の崩れを告げるような薄雲が湧き始め、時折陽射しを遮ってくれたので助かった。
pm2:00ちょうどにグリュンホルンリュッケに到着。 昨日の快晴無風の穏やかな峠とは違い、今日は冷たい風が強く吹いていたので、氏は休まずにそのまま峠を乗越して下りに入った。 私はそう簡単にフィンスターアールホルンと別れることは出来ないので、手元のザイルを緩め、後ろを振り返りながら何枚も想い出の山の写真を撮った。 風の弱まった所まで下って休憩となる。 ここからは下りとなるが、雪が柔らかく傾斜も緩いのでアイゼンを外す。 眼下に見えるアレッチ氷河(コンコルディアプラッツ)も、やはり昨日より一段と黒さを増していることが目の悪い私にも良く分かる。 このまま地球温暖化による氷河の後退が進めば(たぶん進むだろう)、数10年後にはコンコルディアプラッツは土砂に埋もれてしまうかもしれない。 ここ数年様々なアルプスの氷河を見てきたが、これほどまで痛切に氷河の後退を感じたことは今まで無かった。 近年アレッチ氷河はユネスコの世界(自然)遺産に登録されたが、この先どうなってしまうのだろうか?。
グリュンホルンリュッケから1時間足らずでグリュネックフィルン(氷河)を下り、4つの氷河の十字路のコンコルディアプラッツの端に着いた。 途中ですれ違ったパーティーは皆無だったので、明日フィンスターアールホルンに登るパーティーはいないかもしれない。 溶けた新雪が幾筋もの小川を作ってさわさわと足元を流れている。 見上げれば氷河から100mも上の急な崖の上にコンコルディアヒュッテが小さく見え、垂直に近い岩壁に稲妻型に鉄の階段が取り付けられていた。 何も知らないでここを訪れた人は、何故あんなへんぴな場所に山小屋を建てたのだろうと不思議に思うだろう。 階段の下でザイルが解かれ、滑り止めのゴムがついた立派な鉄の階段を登る。 階段の所々に、『19○○年にはこの高さまで氷河があった』という案内板があったのが興味深かった。
pm4:20、コンコルディアヒュッテに到着。 長い一日の行動が終わった。 朝夕の景色が素晴らしいと評判のこの山小屋には以前から興味があったので、今回の計画の変更もその点では嬉しかった。 ただ肝心の天気が下り坂なことが惜しまれる。 今日も宿泊の手続きをインボデン氏にやってもらう。 氏に案内された部屋は山や氷河の景色が見える表側の良い部屋だった。 今にも雨が降り出しそうな曇り空だったが、部屋の窓からはユングフラウが辛うじて見えた。 しかしそれ以上に足下に広がるアレッチ氷河(コンコルディアプラッツ)の土砂による汚れが目についた。 シーズン中にはここに一泊してアレッチ氷河を下る人が大勢いるので、2階建ての山小屋は近年増築されたようだったが、シーズンも終盤となったので宿泊客は少なめだった。 2段ベッドで24床のベッドスペースのある部屋も、今日は私達だけで貸し切りだった。
pm6:30から始まった夕食は、トマトソース仕立てのスープ、生野菜の盛り合わせの前菜に続いて、ジャガイモの入った私の好物のカルボナーラのペンネで、昨日以上にとても美味しかった。 デザートは生クリームが乗ったプリンで、お腹は満腹になった。 夕食後、インボデン氏にとても気になった氷河の後退についての話を向けると、やはり私以上に氏やガイド仲間は勿論のこと、国家的にもこの問題については大変な危機感を持っているとのことだった。 その話を聞いて余計この問題については、帰国後も各方面に投げかけていきたいと思わずにはいられなかった。 昨日と今日撮った写真を氏に見せると、その枚数の多さに驚いていた。 余談だが、氏の話では現在山岳ガイドになるためには3年の研修期間が必要とのことで、試験で選考された同期生85名のうち最終的に残ったのは21名しかいなかったとのことだった。 外の風景は相変わらずで、とうとう楽しみにしていた夕焼けの空は見られなかった。 明日はそれほど急ぐ必要はないので、朝食はam6:00からにしますと氏から指示があった。 明朝こそは素晴らしい朝焼けの景色が見られるのだろうか。
8月27日、am5:30起床。 まだ暗い食堂はガランとして誰もいなかったが、今朝この山小屋からグロース・グリュンホルンに向かったパーティーはいたのだろうか?。 朝食は簡素なものだったが、急ぐ必要は全くないので、いつもは飲まないコーヒーを飲んだりしながらゆっくり食べる。 インボデン氏が隣のテーブルにいた恰幅の良いカーリー・コープウェル氏という方を紹介してくれた。 同氏はインボデン氏が以前ムスターグ・アタにガイドで行った時の公募登山隊の隊長で、エベレストにも3回登頂したことがあるとのことで、念のため氏の名刺を頂いた。 残念ながら天気は昨夜と同じ曇天で、朝焼けの景色も見られなかった。 周囲が暗いと氷河の色が一層黒く見える。 天気が良く妻の足も大丈夫なら、目の前のアレッチフィルン(氷河)を遡り、アレッチホルン登山のB.Cとなるホランディアヒュッテ(3238m)の建つレッチェンリュッケ(峠)まで登り、レッチェンタール(谷)へ下って帰ることを氏に提案しようとも思ったが、この空模様ではいつ雨や雪が降ってきてもおかしくないので、潔く諦めることにした。
am6:40、ヒュッテを出発。 昨日数えた432段の階段を下り、土砂で汚れた氷河へ降り立つ。 傾斜は緩いが足元の氷が滑るので、アイゼンを着けアンザイレンする。 ゴールのユングフラウヨッホまでの標高差は800mで、距離は8km、インボデン氏の説明では4〜5時間かかるとのこと。 氷河上は暑くもなく寒くもなく快適だが、曇天で周囲の山々の頂稜部は全く見えない。 当初の予定どおりフィンスターアールヒュッテに連泊し、無理してオーバーアールヨッホ経由でグリムゼル湖へ縦走してもこの天気では楽しくなかったかもしれない。 一昨日妻が怪我をしたクレバスは渡れないので、氷河の左岸沿いに1時間ほど歩き、水源となっている大きな水溜まりをモレーンの斜面を高巻いて迂回する。 氷河上に赤茶けた雪が見られるようになると、氏はサハラ砂漠の砂が風によって運ばれたものですと説明してくれた。 天気が悪いこと以外は急ぐ理由はないので、氏は1時間毎に休憩時間を作ってくれる。 山小屋を出発して2時間ほどでヨッホの展望台が見えてきたが、歩いても歩いてもなかなか近づいてこない。 時折背後の雲間から青空が覗き、天気の回復に期待が持てるが、なかなか思いどおりにはならない。 天気が下り坂なせいか、ヨッホから下ってくるパーティーは数えるほどしかなかった。 昨日フィンスターアールホルンに登った若者2人パーティーが私達とは違うトレイルを辿り、あっという間に追い越していった。
am11:00、コンコルディアヒュッテから4時間20分でユングフラウヨッホの展望台の入口に着いた。 ザイルが解かれ、フィンスターアールホルンの登山ツアーは意外な形で終了した。 近くにいた日本人の観光客にインボデン氏との記念写真を撮ってもらう。 お腹の調子も良くなった氏を昼食に誘い、展望台のセルフサービスのレストランでランチとする。 生憎の天気で硝子張りの大きな窓からはユングフラウは見えない。 先日ユングフラウでスイスの軍隊の兵士6名が訓練中に雪崩で亡くなった話題を氏に向けると、何とそのうちの2人が氏の友人で、氏も救助と捜索活動をしたが、大変辛かったとのことだった。 明日氏はクライミングのガイドをするとのことだが、明日以降も天気は悪そうで、今シーズンはシュレックホルンは無理かもしれないとのことだった。 氏に今回撮った写真をメールで送ることを約束し、感謝の気持ちを込めて50フランのチップを手渡した。 もちろん再会を誓い合ったことは言うまでも無い。 レストランで氏と別れ、天気の回復を待ちながらしばらく土産物などを物色して時間をつぶすが、この天気ではなす術もなく、pm0:45の登山電車に乗って帰路につく。 今回を含めて4回も訪れた想い出の多い展望台だが、もう訪れることはないかもしれない。
pm2:30にグリンデルワルトに到着。 AGに立ち寄り天気予報を見るが、インボデン氏が言ったとおり、明日から3日間は雨模様だった。 残念だが今シーズンはこれで終わったのだ。 クリスチャンさんに簡単な登頂報告をして、今シーズンはシュレックホルンは諦める旨を伝えた。 アパートに帰り、お風呂に入ってからベランダで寛いでいると、意外なことに急速に青空が広がり始めた。 夕食はベランダで夕焼けに染まるアイガーとグロース・フィーシャーホルンを眺めながら作り置きのカレーを食べたが、明日の悪天候が信じられないほどの良い天気になった。 日没後にはミッテルレギヒュッテの小さな灯も見えた。