リスカム(4527m)

   1時間後のpm1:00にシャモニの駅で落ち合うことをエルベ氏と約束し、リスカムへ登る準備のためいったんアパートに帰る。 濡れたジャケット等の衣類を乾かしながら、破れたスパッツの補修や行動食のセットをしているとあっという間に時間が経ち、マクドナルドでハンバーガーと飲み物を買ってシャモニの駅に急ぐ。 少し遅れて車でやってきた氏と合流し、リスカムのイタリア側の登山口のスタッフェルに向けて出発した。 氏も準備に忙しかったようで、私達同様に車中でパンを頬張っていた。 国境のモン・ブラン・トンネルは良い天気にもかかわらず不思議と全く渋滞はなかった。 トリノ方面に向かう高速道路も空いていたので、シャモニから2時間半くらいでスタッフェルに着くことが分かり、ゴンドラの運転時間にもよるが、夕食前には山小屋に着きそうだった。 車中で妻に先ほどの雪崩の一件のことを詳しく話すと、驚きを超えて私の異常なまでの山への執着心に呆れていた。

   間もなく車窓からグラン・コンバンが大きく望まれた。 今回も是非登りたいと願っていたが、なかなかこの山も登頂の機会に恵まれない山だ。 高速道路の左手の山の斜面の岩肌が剥き出しとなっている所が見えたが、エルベ氏からシャモニ(フランス側)で天気が悪い時はこの辺りの岩場をゲレンデとしてよく使っていると教えられた。 サン・マルティンのICで高速道路を降り、九十九折りの山道へ入っていく。 昨年一度通っただけなのに登山口までの道や車窓から見える風景は記憶に新しかった。 グレソネイの集落の手前からはリスカムとモンテ・ローザ山塊のヴァンサン・ピラミッド(4215m)が雲一つ無い青空の下に大きく望まれ、昨夏の想い出が鮮明に蘇ってきた。

   pm3:15、シャモニから2時間15分でゴンドラの発着場のあるスタッフェル(1818m)に着いた。 急いでシャモニから駆けつけたにもかかわらず、すでに観光のハイシーズンは終わり、昨年同様ゴンドラの発車時間まで1時間以上待たされることになった。 ゴンドラを待つ間、妻がエルベ氏にヘルメットの使用の有無を訊ねると、山小屋までなら(明日リスカムに登らない人は)必要ないと言われ、明日のリスカム登山がガイドと1対2でないことが分かり、さすがの妻もがっかりしていた。 今回も私のサポート役になってしまった妻は、今シーズンは一つもピークを踏むことなく終わってしまった。


クールメイユール付近から見たダン・デュ・ジェアン(中央の岩塔)


アオスタ付近から見たグラン・コンバン


グレソネイ付近から見たリスカム


登山口のスタッフェルから見たカストール(中央)


   pm4:30発のゴンドラに乗り、中間駅で一回乗り換えてpm4:50に終点のサラティバス(2971m)から山道を歩き始める。 夏のアルプスでは日没がpm8:00過ぎのため陽はまだ高いが、これから上に向かって登っていく人はいなかった。 雪の混じったトレイルを黙々と登り続け、ストレンベルク(3202m)というピークを越え、サラティバスから1時間でアラーニャからのロープウェイが上がってくるプンタ・インドレインの駅(3260m)に着いた。 水分を補給しただけで休まずにまた黙々と山小屋を目指して登り続ける。 トレイルを覆う積雪は昨年よりも多い感じで、明日のリスカムは大丈夫だろうかと心配になる。 意外にも氏から、今日泊まる山小屋は昨年泊まったニフェッティ小屋(3647m)ではなく下のマントヴァ小屋(3498m)だと告げられた。 ニフェッティ小屋だと到着がpm7:00を過ぎてしまうからだろう。 昨年ガイドのジジ氏が、マントヴァ小屋の方が空いていて食事も旨いと言ってたことを思い出す。 今日は楽だが明日の山頂アタックに30分ほど余計に時間がかかるのが玉にキズだ。 ニフェッティ小屋との分岐を右に見送り、いったん少し下ってから岩屑の中のトレイルを右に回り込むように登っていくと頭上に山小屋が見えた。

   pm6:50、途中休憩もなく登り続けたので、サラティバスからちょうど2時間で今日の宿泊地のマントヴァ小屋に着いた。 こぢんまりとしているが、周囲の景観にマッチした石造りの良い雰囲気がする山小屋だった。 入口の扉を開けて中に入ると、すでに1階の食堂では夕食が始まっていた。 ニフェッティ小屋とは違い、空いているだろうと予想していたが、意外にも食堂は宿泊客で溢れ返っていた。 宿泊の受付をしてからエルベ氏に案内されて3階の寝室に行くと、私達と同様に1回目の夕食にあぶれた人達が結構多く、週末の日本の山小屋のような賑わいだった。 さすがに国内最高峰のモンテ・ローザの人気がとても高いことをあらためて知らされた。 1時間以上も待たされ、ようやく2回目の夕食の準備が整い食堂に行く。 前菜は具が沢山入ったミネストローネ(スープ)とボロネーゼ(フィットチーネ)の選択だったので、妻と一つずつ選んで分け合った。 エルベ氏は食前にビールを飲んでからお決まりのワインへと続き、私にも良く眠れるからと勧めてくれた。 メインディッシュは温野菜の盛り合わせとカレー風味の羊の肉だったが、ボロネーゼ以外は味付けが濃く、お腹一杯食べる気にはならなかった。 夕食を終えるとすぐに氏は調理場に行き、明日の朝食の時間を1時間ほど繰り上げるように交渉していたが、am4:30前には用意が出来ないとのことで、「イタリアだから仕方がないか!」と呆れ顔で不満げに私達に愚痴をこぼした。 結局明日はam4:00に起床し、準備が出来次第出発することになった。 氏からの情報では、リスカムは最近登られているので、天気さえ悪くなければ登頂は多分大丈夫とのことだった。 就寝前に外のトイレに行くと、モン・ブランの方角の空がちょうど夕焼けに染まっていたので、明日も今日と同じ晴天になることを確信した。 大部屋の寝室はマナーは守られていたものの、人が多いため色々な雑音があちこちで発生していたが、今朝はam2:00から起きて活動していたので、すぐに深い眠りに落ちた。


   マントヴァ小屋へのトレイルから見上たヴァンサン・ピラミッド(右)とリスカム(左)


マントヴァ小屋へのトレイル


マントヴァ小屋


マントヴァ小屋から見たリスカム


夕食のメインディッシュのカレー風味の羊の肉


マントヴァ小屋から見た夕焼けのモン・ブラン


   9月1日、am3:30起床。 大部屋の寝室は静まり返り、まだ誰も出発の準備をしている人はいない。 外のトイレに行くため階下に下りていくと、食堂はまだ真っ暗で朝食の用意はされてなかった。 ありがたいことに空は満天の星空で、目を凝らすとリスカムの黒いシルエットが微かに浮かんでいる。 誰もいない食堂で準備運動をしながら身支度を整えていると、今回も留守番役になってしまった妻も起きてきた。 am4:00過ぎに調理場の明かりが灯り、配膳カウンターの横のテーブルにパンやシリアルと飲み物が並べられた。 間もなくエルベ氏も食堂に現れたが、宿泊客の中でリスカムを登るのは私だけ(リスカムを登る人は上のニフェッティ小屋に泊まる)のようで、昨夜の夕食の喧騒が嘘のような静かさだ。

   am4:50、妻に見送られて山小屋を出発。 暗闇の中、上方にニフェッティ小屋の灯が見えるのが何とも不思議な光景だ。 岩混じりのトレイルを僅かに登った所でアイゼンを着けてアンザイレンする。 遙か眼下の麓の町の夜景がとても綺麗だ。 雪が良く締まっているためアイゼンが良く利いて快適だが、出発時間が予定よりも遅かったせいか、ペースは昨日のように遅くはなかった。 山小屋を出発してから30分足らずでニフェッティ小屋からの明瞭なトレイルと合流すると、しばらくの間は傾斜は殆ど無くなり、逆に氏のペースは遅くなった。 ニフェッティ小屋から出発した先行パーティーのヘッドランプの灯火が上方で揺れている。 果してリスカムに向かうパーティーなのだろうか?。 モンテ・ローザへの大勢の登山者によって踏み固められられたトレイルは明瞭でとても安定している。 傾斜は徐々に強まっていくが、この先のトレイルの状況は記憶に新しく、また氏のペースも依然としてゆっくりなのでとても快適だ。 間もなく背後から勇ましい足音が近づき、若い二人組のパーティーが勢い良く傍らを追い越していったが、氏は彼らのペースに惑わされることなく、依然としてゆっくりではあるが休まずに私を導いていく。 傾斜がさらに強まると、トレイルはクレバス帯へ入った。 周囲がようやく白み始めると、氏のペースが次第に早まっていった。 私には少しオーバーペースだったが、リスカムをリクエストした本人が弱音を吐いていたのでは情けないので、一生懸命氏のペースについていく。 今日は今シーズン最後の登山で、もうあと数時間で憧れの山の頂に立てるのだから、ここは何とか頑張るしかない。 傾斜が緩くなるモンテ・ローザとのトレイルの分岐までの辛抱だ。

   左奥にあるモン・ブラン山群の山々や背後のグラン・パラディゾが淡いピンク色に染まり始め、荒い息づかいとは対照的にアルプスの山のドラマチックな夜明けのシーンが静かに進行している。 ヘッドランプも不要となった。 エルベ氏は人が変わったかのようにさらにグイグイと私を引っ張り続け、先ほど追い越していった若い二人組のパーティーに追いつき、今度は彼らを追い越してしまった。 酸欠で視野狭窄にでもなったのか、何となく目が霞んでくるような感じがする。 まるで肩で息をするような状態で呼吸を乱しながら登り続け、am6:30過ぎにようやくモンテ・ローザとのトレイルの分岐に着いた。 正面に見え始めたデュフールシュピッツェ(4634m)やツムシュタインシュピッツェ(4563m)の頂稜部が記憶に新しい。 高度計の数字は4000mを少し超え、山頂までの標高差の半分ほどを稼いだが、核心部のナイフエッジの雪稜を待たずにすでに全身の疲労感が激しい。 酸欠で注意力が散漫になり、テルモスをザックから取り出すため不用意に手袋を外して地面に置いたところ、突然風が吹いてスルスルと手袋が斜面を滑っていった。 ザイルが邪魔ですぐに追いかけることが出来なかったので、手袋は20mほど先の雪庇の向こうに消えていった。 エルベ氏が「クレイジー(何たることだ)!」と叫んだが、予備に持っていた手袋を氏に見せると妙に感心していた。 行動食を頬張りながら写真を撮ろうとしたが、寒さでバッテリーが作動せずとても悔しかった。 上方のリスヨッホからリスカムに向かうパーティーの姿が見えたので安堵したが、彼らが途中で引き返してこないことを祈った。 「ペースが速かったら申し出て下さい」と氏が遅ればせながら言ったので、やはり途中から意識的にペースを上げたことが分かった。

   リスヨッホに向けて分岐からトレイルを左に折れると、予想どおりこちらの踏み跡は薄く、間もなく膝下のラッセルとなった。 新雪に足を取られるとすぐに息が上がってしまい、疲労はますます蓄積されていった。 これから辿るナイフエッジの雪稜にはすでに3〜4パーティーが取り付いているのが見えたが、足元のトレイルの状況から見て、どうやら先行パーティーはニフェッティ小屋からではなく、ジグナールクッペ(4554m)の山頂に建つマルゲリータ小屋から出発したようだった。 勾配は緩いがすでに体は酸欠状態のため、何とかごまかしながら足を上へ運ぶ。 間もなくモンテ・ローザとリスカムを繋ぐ稜線の鞍部のリスヨッホ(4151m)に着くと氏は再び足を止めた。 ザイルを氷河の登高用から雪稜の登攀用に短くセットするためだ。 眼前には爽やかな青空を背景に急峻なナイフエッジの雪稜が朝陽に照らされて輝き、先行パーティーのトレイルがその稜上に明瞭に刻まれていた。 スイスとの国境になるリスヨッホからは、ヴァイスホルンを筆頭にヴァリス山群の山々が望まれ、風も弱く登頂の可能性はにわかに高まった。 雪稜を登り始める直前で待望のご来光となり、暖かな陽射しが背中に当たった。

   am7:30、いよいよ核心部のナイフエッジの雪稜の登りにかかる。 階段上につけられた先行パーティーのトレイルは今日のものだけではなく、昨日登ったパーティーの踏み跡を拡幅しているような感じだった。 見た目よりも痩せた雪稜の傾斜はきつく、滑落したら自分では止めることは出来ない。 なるほど今日は天気もトレイルも安定しているが、もしそうでなければガイドと1対2のコンティニュアスでは登れ(下れ)ないだろう。 刺激的な雪稜はまだ雪が締まっている時間帯なので、登りに関しては全く問題は無かった。 問題なのは私の体の方だった。 エルベ氏のペースは先ほどより遅くなり、私には普通のペースだったが、まるで高所登山のように足が重く、すぐに息が切れてしまう。 再び肩で息をしながら景色を愛でる余裕もなく、ただ夢中で氏の背中を追いかける。

   リスヨッホから20分ほどで200m近くの標高差を駆け上がり、いわゆる“肩”の部分に辿り着いた。 それまで見えなかった山頂方面の展望が一気に開け、山小屋や途中のトレイルから見上げた頂稜部の印象とはまるで違うスケールの大きさに思わず息を飲んだ。 高度計の数字から山頂までの標高差はもう200m足らずのはずだが、その頂はまだ遙か遠くに見えた。 エルベ氏に写真を撮りたいとリクエストしたが、その実はバテていたのでほんの僅かでも休みたかったのだ。 足下のグレンツ氷河の流れていく先に、ダン・ブランシュ・オーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルン・ヴァイスホルンのお馴染みのカルテットが頭を揃え、まるでギャラリーのように私達を見守っているようだった。 振り返ると後続のパーティーの姿は見えなかった。 私達が殿(しんがり)なのだろうか?。

   肩の部分からは痩せた吊り尾根を小刻みに登り下りしながら進み、頂稜部に向けての最後の登りでは尾根は少し広くなり、左に発達した雪庇を避けるように尾根の少し右下にトレイルが刻まれていた。 すでに先頭のパーティーが山頂に到着しているのが見え、次のパーティーがいる位置でこの先のルートの状況も良く分かった。 私達もあと30分ほどで山頂に辿り着きそうだった。 登頂を確信し、いつもなら小躍りしたくなるような心境だが、今はそんな気持ちさえ起こらないほど足取りが重い。 グランド・ジョラスの時は高所に順応していなかったが、今日は充分に順応しているはずなので、日頃のトレーニング不足を痛感した。 エルベ氏と繋がれたザイルは張りっぱなしでたわむことはなく、私の不調を察知した氏が時々心配して振り返る。 “こんなことではヴェルトには登れないぞ”と自らに檄を飛ばすが、私のぺースはますます遅くなる一方だった。


妻に見送られてエルベ氏と山小屋を出発する


黎明のモン・ブラン(中央遠景)


黎明のグラン・パラディゾ(中央遠景)


モンテ・ローザとリスカムを繋ぐ稜線の鞍部のリスヨッホ


リスヨッホから見たリスカムの“肩”


“肩”と山頂の鞍部から見た山頂


“肩”と山頂の鞍部から見た“肩”


   純白のトレイルに岩が混じり始め、指呼の間に人影が見えた。 登頂の喜びよりも、ようやくこの苦しさから解放されるのかという安堵感が先に立っていた。 間もなく錆びた古い十字架が見え、二人組のパーティーがその傍らで寛いでいた。 そこは山頂の僅かに手前の岩場で、山頂(東峰)はさらに5mほど上の雪庇の上だった。 後ろからエルベ氏を確保しながらちょっとした岩を攀じり、am8:40に憧れのリスカム(4527m)の頂に辿り着いた。 山小屋を出発してから4時間足らずだったが、予想に反して辛くて苦しい登高だった。 「メルスィー・ボクー!、サンキュー・ベリー・マッチ!」。 私の強引なリクエストに快く応じてくれたエルベ氏と固い握手を交わし、言葉が足りない分は体全体で感謝の気持ちを伝えた。『ジルバー・バスト(白銀の鞍)』という別名どおり、雪庇の発達した長大な稜上にはまだトレイルが続き、先行パーティーが西峰(4479m)を目指している姿が見えた。 雪稜は西峰を境に標高をぐっと下げ、カストール・ポリュックス・ブライトホルンの頂がその先に続き、このまま下り基調に縦走を続けていきたい気持ちに駆られたが、幸か不幸か体はもう言うことを聞かなかった。 初めからリスカムを計画していれば、昨年ガイドのジジ氏が勧めてくれた、西峰からクィンティノ・セラ小屋を経由して登山口のスタッフェルに下りる周回ルートを辿れたが、ゴルナーグラートの展望台から何度も仰ぎ見た遙かなる高嶺の頂に辿り着けただけでも充分満足だった。 雲一つ無い快晴の空の下、モン・ブラン・モンテ・ローザに続きアルプスで三番目の標高を誇る山頂からは、眼前に対峙するモンテ・ローザの主峰のデュフールシュピッツェや今年も厚く雪化粧したマッターホルンのみならず、ドムの背後のベルナー・オーバーラントの山々やモン・ブラン山群の山々までくまなく見渡すことが出来た。 氏とお互いの記念写真を撮り合い、大展望に歓喜しながら昨日の雪崩の悪夢も忘れさせてくれるような至福の時を過ごした。

   休憩を兼ねて行動食を食べようとザックを下ろしたところ、意外にもエルベ氏から「少し風が出てきたので、下(リスヨッホ)で休みましょう」と下山を促された。 天気に恵まれたこの展望の頂にもう少し留まりたかったが、昨日の雪崩の教訓を生かして素直に氏の指示に従い、僅か10分ほどでほろ苦い想い出の山頂を辞した。 いつの間にか高くなった太陽の暖かな陽射しをまともに浴びた雪稜の雪は緩み始め、もうしばらくするとコンティニュアスでスピーディーに下るのは難しくなりそうだった。 ピッケルをしっかり打ち込みながら慎重に下るが、安全と思われる所ではその都度氏に声を掛け、立ち止まって写真を撮らせてもらう。 途中ガイドレスの2組のパーティーとすれ違ったが、今日リスカムを登ったのは私達を含めて6〜7パーティーだった。

   純白の大海原(氷河)に島のように浮かぶモンテ・ローザの衛星峰を正面に見据えながら、高度感たっぷりの刺激的な雪稜を休まずに下り続け、山頂から50分ほどで雪稜の取り付きのリスヨッホに降り立った。 登りでは気が付かなかったが、無数のシュカブラが純白の氷河のキャンバスに芸術的な幾何学模様を描いていた。 先ほど一旦強まった風も収まり、氷河上は照り返しで暑くなってきた。 ジャケットを脱ぎ、今は有り難みを感じない熱い紅茶を一気に飲み干した。 憧れのヴァイスホルンを眺めながら行動食を頬張る。 ヴェルト同様、あの山の頂にも何としても立ちたいものだ。 しばらく休憩してから、先ほどラッセルした自分達の踏み跡を辿り、モンテ・ローザへのトレイルの分岐に向かう。 分岐に近づくと一人の小柄な登山者が佇んでいる姿が見え、間もなくそれが妻だと分かった。 内心はとても嬉しかったが、いくら易しいルートとは言え単独で氷河を登ることはアルプスの山では非常識なので、気持ちとは裏腹に妻を叱らざるを得なかった。 案の定、氏も「クレイジー!」と叫び、軽率な妻の行動に驚いていたが、山(頂)に対するこだわりがない妻にとっても、今シーズンはいつも私の留守番役でストレスが溜まっていたのだろう。 直ぐに氏が妻をザイルの中間に繋ぎ、3人で山小屋まで下山することになった。


リスカムの山頂直下の十字架


リスカムの山頂


山頂から見たモンテ・ローザの主峰のデュフールシュピッツェ


山頂から見たモンテ・ローザの衛星峰


山頂から見たヴァイスホルン


山頂から見たリスカム西峰(右手前)とマッターホルン(中央奥)


山頂から見たドム


山頂からナイフエッジの雪稜を下る


   リスヨッホから見たデュフールシュピッツェ(中央)とツムシュタインシュピッツェ(右)


モンテ・ローザへのトレイルの分岐から見たリスカム


マントヴァ小屋から単独で登ってきた妻をザイルで繋ぐ


   ニフェッティ小屋を過ぎてル−ト上からクレバスの危険がなくなった所でザイルが解かれ、am11:15にマントヴァ小屋に到着。 モンテ・ローザに登る登山客を送り出した山小屋は昨夜の賑わいが嘘のようにガランとしていた。 エルベ氏と再び固い握手を交わしてお礼を述べ、早速ビールを勧めた。 今日も雲一つない快晴の天気が続き、山小屋のテラスで祝杯を上げながらリスカムを眺めて登頂の余韻に浸る。 ゆっくりとランチを食べ、お昼寝でもしていきたい気分だが、pm1:30のゴンドラの運行時間に合わせて下山したいという氏の希望で、正午に山小屋を後にした。 途中のプンタ・インドレインで休むことなくサラティバスまで1時間半ほどで一気に下り、ゴンドラを乗り継いで登山口のスタッフェルにpm2:00前に着いた。 スタッフェルを車で出発して間もなく、グレソネイという小さな町のレストランで久々にゆっくり昼食をとった。 エルベ氏と拙い英語で歓談したが、何といっても一番の話題は昨日の雪崩の一件で、氏も運命を共にしたかもしれない私とは何か特別な縁を感じているとのことだった。

   昼食後、モンテ・ローザの銀嶺に見送られてサン・マルティンのICから高速道路に入る。 このまま順調に行けばあと1時間ほどでシャモニに帰れるはずだったが、グランド・ジョラスやロシュフォール山稜を仰ぎ見るクールマイユールの町を過ぎた所でモン・ブラン・トンネルの渋滞につかまってしまった。 道路脇には『ここから1時間・45分・30分』といった標識が見られ、トンネルが慢性的に渋滞することを示唆していた。 1時間ほど渋滞にはまり、ようやくトンネルを通過すると、反対(フランス)側の出口付近に大型のトラックが横転し、この渋滞の原因を作っていたことが分かった。 シャモニの駅にpm6:00に着き、エルベ氏に30ユーロのチップを手渡して再会を誓って別れた。 神田さんの携帯に電話を入れ、リスカムの登頂報告と明日の行動予定を伝えると、滞在費用とガイド料の精算に明朝アパートに来てくれることになった。 アパートに戻ってシャワーを浴びてから帰国のための荷物の整理を行い、シャモニでの最後の夕食を『さつき』に食べに行った。 若松さんのオート・ルートからの下山予定は明日だったので、念のため携帯に電話を入れたが繋がらなかった。


マントヴァ小屋


マントヴァ小屋のテラスでエルベ氏と祝杯を上げる


マントヴァ小屋から見たリスカム


プンタ・インドレインを経てサラティバスへ下る


クールマイユールの町から仰ぎ見たグランド・ジョラス


山 日 記    ・    T O P