レ・ドロワット(4000m)

   8月30日、am7:00起床。 夜明け前にようやく雨は上がったが、まだ黒い雲が空に残っている。 幸いにも天気の目安となるグーテ稜が微かに見えているので安堵した。 空模様に一喜一憂するのは本当に登山よりも疲れる。 昨日よりも更に気温は下がり、部屋の中にいても寒く感じる。 朝食後に山の家へ天気予報の確認に行くと、町中やスネルスポーツで時々見かけた二人の日本人の若者と天気予報の掲示板の前で出会った。 彼らの旅の話を伺うと、私達とほぼ同じ日程でスイスに入りガイドレスでマッターホルンを目指したが、同峰が降雪で登れないためダン・デュ・ジェアンに目標を変えたが、こちらもコンディションが悪く、明日モン・ブランを登って帰国するとのことで、お互いのラストチャンスを祈念し合った。 天気予報は昨日と変わらなかったが、明日の最高気温は標高1500mで0度、3800m〜4800mでマイナス10度とのことで、この時期にしてはかなり寒い感じだった。 am9:30にスネルスポーツで神田さんとエルベ氏を交えて最終打ち合わせを行う。 とりあえず明日からは天気が良いので、予定どおりドロワットを再び登ることになり、前回より1時間遅いpm1:00発の登山電車でモンタンヴェールに向かうことになった。

   昼食後に今回もまたサポート役の妻と共にアパートを出発。 約束の時間にエルベ氏とシャモニの駅前で落ち合い、すぐに入線してきた登山電車に乗り込む。 前回よりも少し天気が良いので乗客も多い。 樹林帯を抜けるまで目新しい景色もないので、しばらく目を閉じて電車に揺られていく。 20分ほどでモンタンヴェールに到着。 前回にも増してドリュの岩峰は新雪で真っ白に染まり、陽光に暖められて雪煙をなびかせていた。 メール・ド・グラスに下る鉄梯子の所で、昨夜クーヴェルクル小屋に泊まったという日本人のハイキングのグループと出会った。 リーダーらしき人の話では、山小屋の周辺の新雪は僅かだという。 雪が少ないとヴェルトの登攀ルートのウインパー・クーロワールは登れないし、逆に多いとドロワットには登れない。 いったい今回のリベンジにはどのような結末が待っているのか?。 今日も氷河上はトレーニングをする人達で賑わっていた。

   取り付きからはエルベ氏の判断でアイゼンを着けずに氷河を辿る。 午後からの出発だったが、空にはまだ厚い雲が残り、歩くには涼しくて快適だった。 短期間にこの氷河(クーヴェルクル小屋)を2回も往復した日本人はそうはいないだろう。 今日は雲間から時々ジョラスの頂や周囲の針峰が望まれ、退屈な氷河歩きを救ってくれる。 氏はモレーン上の目印のドラム缶を見送り、さらに氷河を詰めた先からモレーンに上がったため、その後のルートファインディングには苦労した。 一昨日往復したルートなので、私達の方が良く分かっているようだった。 絶壁に取り付けられた211段の鉄梯子を登るとようやく青空が広がり、眼前に神々しいジョラスの北壁が望まれた。

   pm5:00に山小屋に到着。 宿泊客は前回よりも多く20人ほどだったが、どうやらまた私達以外には山を登る人はいないようだ。 一昨日同宿したドイツ人のパーティーと再会したが、彼らはハイキングではなくこの辺りの水晶を採っていたようだ。 夕食の時間まで食堂の暖かい薪ストーブの傍らで寛ぐ。 エルベ氏はルートの下見に行ったのか、あるいは昼寝をしているのか、夕食の時間まで食堂に現れなかった。 前回と同じように山小屋の夕食は今日も大変美味しかった。 コンソメスープとチーズの前菜は前回と同じで、メインディッシュはマカロニサラダが添えられた豚肉のピカタ(トンカツ)で、肉も柔らかくお代わりも自由だった。

   夕食後はエルベ氏と片言の英語でしばらく歓談する。 氏は53歳で、ジュネーヴの近郊の町でスポーツ用品店を奥様と共に営まれ、夏のシーズン中だけ山のガイドをしているとのことだった。 残念ながら日本には来たことはないが、クリストフ氏と同様に世界の山々、特に高い山に興味を持たれ、エベレスト(南西稜)を始め、ガッシャーブルムII峰(8035m)、ガウリサンカール(7134m)といったヒマラヤの難峰を登ったという一方、アラスカのマッキンリーやエクアドルのチンボラソやコトパクシといった各国を代表する名山にも登ったことがあるという。 氏から明日は前回よりも1時間早いam2:00に起床し、準備が出来次第出発しますと指示があった。


クーヴェルクル小屋へ再度メール・ド・グラスを辿る


クーヴェルクル小屋の手前で見たマーモット


クーヴェルクル小屋から見たグランド・ジョラス


夕食のメインディシュの豚肉のピカタ(トンカツ)


   8月31日、am2:00起床。 朝というよりはまだ夜中という感じだが、昨夜は夕食をお腹一杯食べて8時過ぎに寝たので、眠さは全く感じない。 3日前の朝と全く同じ要領で朝食を済ませ、手際良く身支度を整えてam2:45に妻に見送られて山小屋を出発。 前回と同じように満天の星空だったが、不安定な天気が続いているので全く安心出来ない。 ヘッドランプの灯を頼りに小さなケルンを探しながら分かりづらいタレーフル氷河への下降路を模索するが、3日前にここを辿った私の方が氏よりもルートが分かっているようで、前回に増して岩場を強引に下ることが多かった。

   タレーフル氷河に降り立つと、風は多少あったが気になるほどではなかった。 前回に比べて雪の量はそれほど多くなく、せいぜい新雪が10cmほど積もったような感じだった。 この程度の雪の量ではとうてい明日予定しているヴェルトのウインパー・クーロワールは雪で埋まらないだろう。 堆積している大小の岩は雪で埋まり、氷河上は前回に比べて歩き易くなっていた。 まだ周囲が暗いせいかエルベ氏のペースは遅く、アプローチの歩行は全く快適そのものだ。 40分ほどで目印の大岩があり、今回もその傍らでアイゼンを着けてアンザイレンする。 まだam4:00で、グランド・ジョラス同様に山頂までの長い道のりが予感された。

   しばらくすると傾斜が徐々に強まり、3000mを越えた辺りから新雪の量が目に見えて増えてきた。 これならウインパー・クーロワールが雪で埋まっているかもしれないという期待が湧いてくる。 3日前に往復しているとは言え、周囲がまだ暗いため正確なルートの状況は分からないが、前回の最終到達地点の稜線のコル付近からクリストフ氏が下降に使ったルートを登っているような気がした。 今日もトレイルは皆無で、また他に登るパーティーもいないため、登頂の成否は全く予想がつかない。 登るにつれて新雪の量は多くなり、先頭のエルベ氏は膝下くらいのラッセルとなったばかりか、セカンドの私も脆い雪に足を取られ、とても登りにくくなった。 一人でラッセルを強いられている氏のスピードは当然のことながらさらに遅くなった。 前回より1時間早出をしたのはこのためだったのだろう。 幸か不幸かクレバスの存在も全く分からない状況だ。 新雪が深いと斜面の傾斜がさらにきつく感じられる。 前回は鼻歌交じりだった氷河の登高も今日は体力の消耗が著しい。 常に先頭でラッセルしなければならない氏はなおさらのことだろう。 ダイアモンド・ダストのような細かい雪が目の前をチラつき始め、ヘッドランプの灯火に照らされてキラキラと輝く。 幻想的な光景に思わず嬉しくなるが、天気のことが心配になる。 空を見上げるとまだ星が見えていたので安堵したが、この雪が上空の強い風によって運ばれてきたものだとは思いもよらなかった。 新雪はさらに深まり、所々の吹き溜まりではセカンドの私も股までもぐることもしばしばだった。 ふと“深雪のためまた登れないのでは?”という不安が頭をよぎった。 高度計を見ると、すでに前回到達した地点付近まで登っていることが分かった。 あと1時間もすれば稜線のコルに出られるはずだ。 相変わらずサラサラと細かい雪が舞い続けていたが、この雪がその直後に襲ってきた雪崩の前兆だったとは知る由もなかった。

   突然得体の知れぬ強烈な圧力が前方から襲いかかり、まるで後ろからも引っ張られるように勢い良く吹き飛ばされた。 暗闇の中、余りにも唐突にそれが襲いかかってきたので、それが雪崩だと認識するには数秒の時間を要した。 そしてそれが雪崩だと分かった次の瞬間、4か月前のGWにスキーで行った針ノ木岳で出会った若い男性と2人の女性が、私達とすれ違った直後に雪崩に遭って亡なった不幸な事故が真っ先に頭に思い浮かんだ。 雪崩は体全身を強く圧迫し、呼吸は止められ、足がもぎ取られそうになった。 “あゝ私も彼らと同じような運命を辿るのか、彼らもこうして死んでいったのだ”。 体の自由が全く利かなくなり、死がいよいよ現実のものとなってきたことを自覚したが、生への唯一の希望があった。 それは氏と結んだザイルだった。 このままどんなに流されようとも雪崩は傾斜の緩やかなところで止まり、どちらか一人が雪崩に埋まっていなければ助かる(助けられる)可能性はある。 体を浮かせる努力をして雪崩の表面に出られればしめたものだが、自然の猛威に対してそんな器用なことは到底出来ず、なすがままに身を任せるしかなかった。 いちばん辛かったのは呼吸が出来ないことだった。 呼吸が出来れば恐怖感はかなり緩和されただろう。

   どの位の時間が経過したのだろうか?。 雪崩に揉まれている時間はとても長く感じたが、それはせいぜい20秒前後だっただろう。 突然再び強い衝撃が全身に加わると同時に体が急に軽くなった。 周囲が暗いため雪崩が襲ってきた瞬間と同じように、現状を認識するのに数秒の時間を要した。 冷静さを取り戻して我に帰ると、大きな雪のブロックを跨ぐ恰好で座っていることが分かった。 助かった!!!。 呼吸が出来ない恐怖からも解放され、例えようのない嬉しさと安堵感がこみ上げてきた。 それは正に九死に一生の出来事だった。 幸運なことに目出帽の下の眼鏡とヘッドランプは無くさなかったので周囲の状況が良く分かった。 そこはまさにデブリの真っ只中だった。 さらに幸運なことに、足を少し捻った程度で五体満足で、装備も片方のスパッツが裂けただけだった。 10mほど左にはエルベ氏の姿も見えたので安堵した。 「アイム・オーケー!、アイム・オーケー!、アー・ユー・オーケー?」。 自分の無事を大声でアピールしたが、エルベ氏からの反応はなかった。 “もしや?”と思い、直ぐに氏のもとに歩み寄ると、氏は無事ではあるもの雪を相当吸い込んだらしく、しばらくの間うずくまったまま苦しそうにむせ返っていた。 ようやく氏も落ち着きを取り戻すと、今度は「クレイジー!、クレイジー!!、クレイジー!!!」と何度も吐き捨てるように大声で叫んだ。 恐らく先頭の氏の方が雪崩の圧力が強く、肉体的にも精神的にもショックが大きかったのだろう。 また、ピッケルとストック、そしてヘッドランプも失っていた。 幸いにも私と同様に足を少し捻った程度で怪我はないようだ。 「ゴー・ダウン?」と念のため氏に確認すると、「イエス、デンジャラス(ここにいたら危ない)!」とのことで、氏は失った装備を探す素振りもせず、直ぐに下山することを指示した。 ガイドとしてのプライドもあるので、氏にピッケルを差し出して私が先行することを提案したが、氏がヘッドランプだけを借りて先行することになった。 後ろから再び不意打ちを食らう恐怖感に怯えながら、コンティニュアスでスピーディーに下る。 深雪とは言えスリップは厳禁だ。 10分ほどで標高差にして200mほど駆け下りると傾斜が緩やかになり、ようやく一息つけるようになった。 氏は20mほど下に何かを見つけて指さした。 それはまるで蛍のような淡い光を雪の上に洩らしていたエルベ氏のヘッドランプだった。 氏がそれを拾い上げると、まるで自分達の分身のようにとても愛しく感じた。

   間もなく夜が白み始め、先ほどの悪夢が嘘のように清々しい夜明けのシーンが始まろうとしていた。 目印の大岩の所まで下るとザイルが解かれた。 エルベ氏は雪崩の原因について、上空でかなり強い風が吹いているため、コルの直下に積もった新雪が雪庇となり、その一部が崩れ落ちたのではないかと説明してくれた。 生死の境目をさまよったばかりだが、意外にも後遺症や気持ちの動揺が感じられないのが自分でも不思議だった。 恐らく暗かったことで何も見えなかったからだろう。 それ以上に、理由こそ違え同じ山で二度も続けて敗退したことの悔しさが先に立っていた。 今日は風が強いものの良い天気になりそうだし、明日も引き続き良い天気が予想されているため、私の頭の中は雪崩のことよりも明日の計画のことが気になっていた。 明日再びドロワットにアタックするのは気分的に嫌だし、また雪崩の危険性もあるので、本命のヴェルトについてエルベ氏に水を向けたところ、ピッケルを失ったこともあってか、即座に「ノー!」という答えが返ってきた。 これからすぐに下山したとしてもシャモニに着くのは午後になってしまうので、明日アタック出来る山はリスカムしか選択の余地がなかった。 リスカムなら妻も一緒に登れるし、今の状況ではベストだろう。 今回の計画では最下位の希望としていたリスカムに、何としても行きたくなってきたから不思議だ。 リスカム登山のB.Cのニフェッティ小屋までは昨年行ってるので、これからのスケジュールの見通しがつく。 エルベ氏は私のこの提案に少し驚いていたが、私の心情を察してか二つ返事で了解してくれた。 雪崩はおろか氏もとんだお客に捕まったものだ。

   氷河から山小屋の建つ岩棚への取り付きをエルベ氏と探しながら下ってきたが、ケルン等の目印が見つけられず、高度計の標高を頼りに強引に岩を攀じって登り返す。 空の色は灰色から淡いピンク色、水色、そして青空へと短時間で変わり、悔しいことに予報以上の快晴の天気になった。 am7:20に山小屋に戻ったが、すでに妻は朝食を終えて周囲の散策に出掛けていて不在だった。 明日リスカムに登るためには正午までにシャモニへ下山したかったので、周囲を双眼鏡で見渡したが、妻の姿は見えなかった。 笛を吹き鳴らし、大声で何度も叫んで妻の帰りを待つが、いっこうに帰ってくる気配はなかった。 このままだと時間切れになってしまうので焦るが、山を登りにきたのに一体自分は何をやっているのかと情けなくなる。 ようやくエルベ氏が双眼鏡で妻の姿を見つけ、妻のいる所まで早足で駆け登ると妻も気付いたが、なぜ見当違いの方向から突然私が現れたのか理解出来ずに驚いていた。 詳しい理由は後で説明することにして、妻にも急いで帰る支度をするように伝える。 毎度ハプニング続きのアルプスの旅だが、妻にとってこのドタバタ劇は本当に迷惑なことだった。

   am8:40に山小屋を出発してシャモニへの帰途につく。 ヴェルトへの憧れの気持ちが失せなければ、またいつかここを訪ねることになるだろう。 再訪を誓って足早にトレイルを下り始めたものの、振り返りながら青空を背景に屏風のように屹立するヴェルトとドロワットの写真を何枚も撮る。 雪崩に遭ったコル付近は相変わらず白い雪煙が舞っていた。 風が強く湿度も低いためか、ますます空の色は青みを増し、シャモニに来てから一番の快晴の天気となった。 モンタンヴェールの駅へメール・ド・グラスを急いで下りながらも、モン・ブラン、ジョラス、ロシュフォール、そしてシャモニ針峰群といった素晴らしい被写体に釘付けとなる。 山の写真を撮るにも絶好の日和だ。 オート・ルートを縦走中の若松さんも稜線上でこの青空に歓喜しているに違いない。 氷河から333段の鉄梯子を登り、am11:30にモンタンヴェールの駅に着き、すぐに入線してきた登山電車に飛び乗って目標にしていた正午ちょうどにシャモニに着いた。 神田さんに電話を入れ、雪崩の件を簡単に報告し、明日の計画を大幅に変更してこれからリスカムに向かうことを伝えた。 神田さんから、明日も天気は良いとの太鼓判を押されたので安堵した。


タレーフル氷河の末端から見た未明のドロワット


タレーフル氷河の末端から見た未明のモワヌ針峰


タレーフル氷河の末端から見た未明のモン・ブラン


クーヴェルクル小屋付近から見たグランド・ジョラス


クーヴェルクル小屋付近から見たドロワット


クーヴェルクル小屋付近から見たモン・ブラン


メール・ド・グラスとグランシャルモ


メール・ド・グラスの源頭部(右奥がトゥール・ロンド)


モンタンヴェール付近から見たメール・ド・グラスとグランド・ジョラス


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P