レ・ドロワット(4000m)

  8月27日、am7:30起床。 夜中に再び雨が降ったようで、シャモニの町も霧に煙っている。 果して神田さんからドロワットへのゴーサインは出るのだろうか?。 パン屋にクロワッサンを買いに行くと、ウルトラトレイルの参加ランナー達がぽつりぽつりと誇らしげな笑顔でゴールしてくる姿が見られた。 この時間帯だとトップ集団ではなく、完走だけを目指している愛好家のレベルなのであろうが、それでも155kmという距離は半端ではない。 まばらとなった観客に混じって思わず拍手を送ってしまう。 早朝から若松さんがわざわざアパートまで来て下さり、今日もお喋りを楽しみながら朝食を食べる。 ようやく青空が少し覗くようになり、これからオート・ルートに向けて出発される若松さん共々空の色の変化に一喜一憂であった。 山の家に天気予報を見に行くと、今日は午前中は曇りだが午後からは晴れ、明日と明後日は共に午前中は晴れだが夕方は雨となっていた。 天候が徐々に安定してくるというには程遠い、単に“雨が降らな時間帯がある”といった感じの相変わらず不安定な天気が続いてしまうようであった。
  約束のam9:30にスネルスポーツに行くと、意外にも神田さんはすぐにクーヴェルクル小屋に予約の電話を入れてくれ、正午前にモンタンヴェール行きの登山電車の駅でクリストフ氏と待ち合わせをするよう指示した。 山小屋の周辺の新雪は5cmほどであるという。 明日の天気は心配だが、プラン針峰から数えて4日ぶりに山に入れるようになったのでアパートに帰る足取りは軽い。 すでに山行の支度は済んでいるので、次回の参考のために今度は若松さんの泊まられている宿に案内していただく。 相部屋ではあるが寝室や食堂は清潔であり、邦貨で1泊1〜2千円程度という格安の料金には驚きであった。

  登山電車で登山口のアルジャンチェールへ向かわれる若松さんをシャモニの駅に見送った後、私達も身支度を整えてモンタンヴェール行きの登山電車の駅に向かう。 駅前で落ち合ったクリストフ氏と共に正午ちょうどの登山電車に乗り込む。 ドリュが眼前に迫るモンタンヴェール(1909m)はシャモニ周辺の展望台の中でもポピュラーな所であるが、天気がすぐれないためか乗客はまばらであった。 樅の木の樹間からはシャモニの谷を挟んで一昨日辿ったラック・ブラン周辺の山肌が見えるが、シャモニ針峰群の山腹の森の中を登っていくため、全般的に車窓からの風景は冴えない。 終点近くで突然新雪を身に纏ったドリュの尖峰が大きく望まれ、思わず身を乗り出す。 シャモニから20分ほどでモンタンヴェールに到着し、まだ不安定な天気のもとメール・ド・グラス(氷河)に向けて幅の広いハイキングトレイルを下る。 5分ほどで一般のトレイルとの分岐があり、右のトレイルに入ると間もなく氷河を見下ろす崖の上に着いた。 氷河までの標高差は100mほどであろうか。 下を見下ろすと、急傾斜のスラブの岩壁には鉄梯子が2列に並んで延々と取り付けられていた。 妻を気遣い氏が「確保しますか?」と声を掛けてくれたが、高度感は非常にあるものの慎重に下れば全く問題はなさそうなので、そのままゆっくりと下った。 帰路に梯子の段数を数えてみたところ、何と333段もあった。 最後の梯子の末端には短い梯子を継ぎ足した跡があったが、氏によれば氷河は温暖化により後退しているのみならず、その高さ(厚さ)も低く(薄く)なっているとのことであった。 鉄梯子は下の氷河から見上げるとその全容が良く分かり、とてもユニークな存在であった。

  メール・ド・グラスはクレバスだらけであるものの、氷河の上に堆積している岩屑の上に印された明瞭な踏み跡を辿れば落ちる心配は無いので、アイゼンだけを着けてザイルは結ばなかった。 取り付き付近では縦のクレバスも多く見られた。 山の天気はまだ回復しておらず、正面に見えるはずのグランド・ジョラスの北壁は雲や霧の中だ。 意外にも氷河上には大勢の人達がそこら中で様々な訓練をしていた。 クリストフ氏によると大半はモン・ブランへの登山者で、最初にここでアイゼンワークの練習をし、次にヴァレー・ブランシュで高所順応をするのだという。 日本人の登山者と違い、モン・ブランに登る外国人は全くの素人が多いからであろう。 氏もこのような講習会のガイドをしているとのことであった。 青光りしている大きなクレバスを何回も迂回しながら氷河の中央部を遡る。 土砂が堆積しているクレバスの表面は薄汚れているが、その奥深い所には水流も見られとても神秘的である。 大きな釜のようになっている底が安定したクレバスの中ではアイスクライミングやレスキュー訓練なども行われていた。 氷河の取り付きから傾斜の緩い氷河上を黙々と40分ほど歩くと訓練する人達の影もなくなり、氷河上は私達だけの世界となった。 途中にあたかも標識のような長い木の棒が氷河の真ん中に立てられていたが、氏によるとこれは標識ではなく、氷河の高さ(雪の量)を計るための道具であるとのことであった。

  クレバスも無くなり、唯一の目印であった木の棒から30分ほど相変わらず傾斜の緩い氷河上を歩き続けると、左手のモレーンの上に今度は間違いなくトレイルの目印であろうドラム缶のような人工物が置いてあった。 アイゼンを外してドラム缶を目指して氷河からモレーンに上がり、しばらくそこで休憩する。 入山者が少ないためか、モレーン上の踏み跡はあまり明瞭ではなく、所々に積んである小さなケルンを見落とすと、すぐに道を見失ってしまい難儀する。 水晶が混じった石がそこら中に見られ、程度が良く小振りなものを拾いながら歩く。 モレーン上のアルペンルートも相変わらず傾斜が緩く、小さな下りもあって標高は全く稼げない。 目印のドラム缶から40分ほど歩くと、再び左手の絶壁の上に鉄梯子が何段も取り付けられていた。 先ほどより壁の傾斜は増し、一部はほぼ垂直に近かったため、マッターホルンのヘルンリ稜で良く見られた“豚のしっぽ”のような確保支点が所々の岩に設置されていた。 こちらの段数は211段と先ほどの3分の2ほどであったが、所々で鉄の杭や小さなステップでトラバースしながら梯子を乗り換えるため、スリル満点で面白かった。

  刺激的な鉄梯子を登り終えてからも頭上のモアヌ針峰(3412m)の基部を回り込むように急登のアルペンルートが続き、メール・ド・グラスの取り付きから山小屋までの約900mの標高差もようやくここにきてどんどん稼ぐことが出来た。 相変わらず雲や霧のため周囲の展望が利かないトレイルを黙々と登る。 間もなくトレイルの傾斜が緩み、アルペンルートからハイキングトレイルに変わりつつあることで山小屋が近いことが分かる。 マーモットの鳴き声が響き、周囲を見渡すと頭上に小さな二つの山小屋が見えた。 一つは現在冬期小屋として使われているらしい昔の山小屋で、クーヴェルクル(仏語で蓋の意)の名前の由来となったという大きな一枚岩の下にまるで押し潰されたような恰好で建っていた。

  pm4:15、B.Cのクーヴェルクル小屋に到着。 モンタンヴェールの駅からは3時間45分の道のりであった。 山小屋の入口の看板に印されていた標高(2687m)に高度計を合わせる。 立派な石垣の上に建つ頑丈そうな石造りの山小屋はとても味わいがあり、生憎今は何も見えないが、数あるアルプスの山小屋の中でも屈指の展望を誇ると言われているらしい。 一階には50〜60人は楽に座れる広い食堂とアルプスの山小屋にしては珍しく自炊用の食堂と清潔なトイレがあった。 2階の寝室も適当な大きさの部屋に区切られ、ベッドの配列にもセンスの良さが感じられた。 いままで泊まった数多くのアルプスの山小屋の中でも設備の面では一番かもしれない。 天気があまり良くないせいか、登れる山がないためか、宿泊客はまばらであった。 大きなザックを背負ったドイツ人のパーティーもいたが、彼らは山には登らず明日はさらに違う氷河を辿ってグランド・ジョラスの北壁を登るためのB.Cとなるレショ小屋(2450m)まで行くのだという(後日彼らと再会し、水晶を採りに来ていたことが分かった)。 意外にも宿帳には日本人の足跡が随所に見られ、いつもHPでその記録を参考にさせていただいているMさんという若い方のコメントや、その他のベテラン氏の登攀記録や周囲の山小屋の貴重な情報が記されており、内容をデジカメで写し撮る。 海外在住の邦人の方や、関西の旅行会社のツアーで来られたハイキングの団体も数多く見られ、この山小屋の人気の高さをあらためて認識した。 食堂のカウンターの脇には漬物石ほどの大きさの立派な水晶が飾ってあり、先ほど拾った水晶混じりの石がとても貧素に見えた。 薪ストーブで暖かい食堂で寛いでいると、ようやく周囲の霧が上がり始め、青空が少し覗いてきた。 慌ててカメラを持って外のテラスに急ぐ。 しばらく待っているとグランド・ジョラスの神々しい北壁が霧の間から顔を出し、その大迫力に興奮しながら何枚も同じような構図の写真を撮りまくる。 残念ながら明日予定しているドロワットやヴェルト、そしてモン・ブラン方面の山々は見えないが、クリストフ氏もテラスに出てきてくれ、記念写真を撮ってもらった。

  妻が楽しみにしていた夕食は期待していた以上であった。 テーブル毎にステンレスの鍋に入ったコンソメスープ(お代わりは自由)とチーズと程よい固さのパンが前菜に出され、メインディシュは大皿に入ったラザニアがやはりテーブル毎に出され、その味も麓のレストランより美味しかった。 なぜアルプスでは山小屋の夕食は安くて美味しいのであろうか本当に不思議である。 山小屋の標高が低いので消化不良の心配もなくお代わりをしてお腹一杯に食べる。デザートにはフルーツポンチが付いた。 この山小屋の宿泊料は2食付きで45ユーロ(邦貨で約6800円)であった。 クリストフ氏に一応アルコールを勧めたが、今日も氏はワインをグラスに一杯飲んだだけであり、お腹の周りを摩りながら「実は甘いものの方が好きなんですよ!」と笑い飛ばしていた。 パリ育ちの氏は39歳とのことで、現在はその近くのフォンテンブルクというお城で有名な町でパートナーの女性と暮らしているとのことであったが、夏と冬はガイドの仕事で半年間はシャモニにいるので、春と秋にしかフォンテンブルクには住んでいないとのことであった。 オフシーズンにはいわゆる“ビルの窓拭き”のようなアルバイト的な仕事をされているとのことであったが、氏のパートナーもかなりの山ヤさんのようで、アイスクライミングをやったり、マッキンリーを登られたり、氏と一緒に南米のアコンカグアやワイナポトシにも行ったことがあるとのことであった。 アルプスの山の中で一番好きな山を訊ねてみると、ヴェルトとシャルドネ(3824m)とのことであった。シャルドネは最初に登った山だからとのことであり、モン・ブランも6月頃に登れば雪も綺麗でとても美しい山なんですよと教えてくれた。

  夕焼けの時間が迫り、皆で再び外のテラスに出るとグランド・ジョラスのみならず、ロシュフォール稜とダン・ジュ・ジェアン、そして分厚い雲の隙間からモン・ブランの頂も一瞬望まれた。 依然として雲や霧が谷を埋めつくしているが、上空には清々しい青空が広がり、明日の好天が期待できそうだった。 クリストフ氏から明日はam3:00に起床し、準備が出来次第出発しますとの指示があった。 どうやら明日山に登るのは私達だけのようであった。


オート・ルートに向けて出発される若松さんをシャモニの駅に見送る


メール・ド・グラス(氷河)への急傾斜のスラブの岩壁を鉄梯子で下る


2列に並んで岩壁に取り付けられているユニークな333段の鉄梯子


メール・ド・グラスはクレバスだらけだが、明瞭な踏み跡があるのでアンザイレンせずに歩く


氷河上では様々な訓練がされていた


氷河の高さ(雪の量)を計るための長い木の棒


氷河を離れ、モレーンの上に積んである小さなケルンを目印に進む


モレーン上には水晶が混じった石がそこら中に見られた


左手の絶壁には211段の鉄梯子が取り付けられていた


立派な石垣の上に建つ頑丈そうな石造りのクーヴェルクル小屋


センスの良いクーヴェルクル小屋の寝室


クーヴェルクル小屋の広い食堂


夕食のメインディシュのラザニア


山小屋のテラスから見たグランド・ジョラスの北壁


  8月28日、am3:00起床。 クリストフ氏が真っ先に外の様子を見に行き、「良い天気ですよ!」とにっこり微笑んだ。 持参したハムや柔らかいチーズでパンを食べ、ゆっくりとではあるがてきぱきと身支度を整え、妻に見送られてam3:45に山小屋を出発。 空には満天の星が輝き、体調も万全である。 昔の山小屋の前を通過すると間もなく、タレーフル氷河へと下る踏み跡を辿って急峻な岩場を下る。 所々に目印となる小さなケルンが積んであるが、ヘッドランプの灯ではなかなか見つけられず、多少強引に下れる所を下る。 15分ほどで氷河に降り立つ。高度計の標高は2610mであり、山頂までの単純標高差はここから約1400mということになる。

  氷河とは名ばかりの大小の岩が堆積している河原のような所をゆっくりと登っていく。 傾斜はとても緩やかであるがクリストフ氏のペースは極めて遅く、まだ目覚めていない体にはちょうど良いかった。 氏は時々「流れ星が見えますよ!」と振り返って教えてくれた。30分ほど歩いて高度計を見るが、当然のことながらまだ100mほどしか標高を稼いでいなかった。 足元の岩は次第に小さくなり、下に埋もれている氷河の氷が露出してくるようになると間もなく、ちょうど良い目印となるような大岩があり、その傍らでアイゼンを着けてアンザイレンする。 グランド・ジョラスやモン・ブランのシルエットが月明かりではっきりと見える。
  クリストフ氏は大岩の下にストックをデポし、いよいよここからが本番となった。 岩の混じった氷河も3000mを越えた辺りから純白の雪へと変わっていった。 グランド・ジョラス同様、ここ数週間人が入っていないためトレイルは皆無である。 斜面は少し急になったが、グランド・ジョラスほどではない。 氏のペースは相変わらず遅く、全く快適そのものだ。 体も高所にだいぶ順応し、相変わらず体調は万全である。 あとは核心部の岩場での雪の付き方だけが心配だが、この山域を熟知している氏のことだから、ジョラス同様何とか頂に導いてくれるだろう。 風も無く絶好の登山日和になりそうでワクワクする。 一昨日降り積もった新雪がアイゼンの爪を通じて分かるようになると、ルートはクレバス帯に入った。 氏は足元を確かめながら一歩一歩ゆっくりと、そして帰りのことを考えてのことであろうか、必要以上に足場を踏み固めながら登っていく。 お陰で後ろの私は階段を歩くような感じで登るため、まさに鼻歌交じりである。 核心部の岩場の登攀に備えての体力も充分に温存出来る。 ふと、いつものフレーズが脳裏をかすめた。 “好事魔多し・・・”。 

  いつしか夜は白み始め、ヘッドランプは不要となった。 覆いかぶさるようなドロワットの岩稜の取り付きが頭上に見え、アプローチの雪の斜面も残り1時間足らずであると推測された。 急ではあるが相変わらず単調な登高が続き、岩稜の取り付きである稜線上のコルまであと僅かと迫った時、突然クリストフ氏は足を止め休憩を促した。 ちょうど背後の山並みがモルゲンロートに染まり始めていた。 私が写真好きなことはすでに氏にも充分伝わっているので、その配慮もあったのであろうか?。 願ってもない撮影ポイントからグランド・ジュラスを皮切りに、次々に朝焼けの山々の写真を撮る。 一通りの写真を撮り終え、氏とその感動を共有しようと思った直後、氏の口から全く意外な言葉が飛び出した。 「モン・ブランの山頂直下に小さな雲が掛かり始めているのが見えますか?。 あの雲は気圧が低いことを示しています。 あの雲は次第にモン・ブラン全体を覆い、あと2〜3時間後にはこちらにもやって来るでしょう。 大変残念ですが、今日はここで引き返します」。 モルゲンロートに染まっている眼前の雄大な景色に歓喜し、その中の僅か一片の雲の存在など全く気にも留めていなかった私にとって、氏の発した一連の言葉はまさに晴天の霹靂であった。 もしかすると私の聞き間違いかとも思い、念のため氏に「天気が悪いのでここから引き返すということですか?」と訊ねたところ、氏は顔をこわばらせながら「そうです、ここから引き返します。 今日の私達は本当に運が悪かった」と繰り返し説明し、頭上に見え始めたドロワットの頂稜部の写真も記念に撮っておくように勧めてくれた。 氏が今回初めてのガイドであれば、何か他の方法がないものかと食い下がったかもしれないが、人一倍頂に執着している私を充分理解している氏にそれを切り出すことは無用であった。 すでに下山の決定を下したにもかかわらず氏は私の心情を察してか、しばらくそこに留まり再び写真を撮りながら名残惜しく山々と対峙している私を暖かく見守ってくれた。

  15分ほど“心の山頂”で朝焼けのグランド・ジョラスの北壁を鑑賞した後、氏に促されることなく自ら下山の意思表示をした。 高度計の標高は3393m、時刻はam6:40であった。 登ってきたトレイルではなく足下に見えるタレーフル氷河の末端に向けて急な雪の斜面をアイゼンの踵に重心を置いて下るようにとクリストフ氏から指示があった。 雪がちょうど良い固さに締まっているので小気味よくアイゼンが利き、あっと言う間に稼いだ標高を落としていく。 下りながら所々で足を止め、写真を撮らせてもらう。 氏の予想どおりジョラスの山頂には灰色の雲が取り付き始めた。 振り返ると、登っている時には暗くて見えなかったドロワットの頂稜部が大きく望まれた。 入山前は確かにドロワットはヴェルトの偵察的な感じで、ルートの状況が悪ければ潔く諦めようという心境であったが、まだ現実的に天気が崩れている訳ではなく、山も良く見えるので下るにつれて悔しさが増してくる。 その気持ちを何とか支えてくれたのは眼前のジョラスであった。

  間もなく登ったトレイルと合流し、緩やかな斜面をしばらく下ると先ほどクリストフ氏がストックをデポした目印の大岩が見え、その傍らでアイゼンを外してザイルも解かれた。 先ほどまで水色だったドロワットの背景の空の色もいつの間にか灰色になっていた。 氷河上から雪が見えなくなると、右手にヴェルトとその支峰であるグランド・ロシューズ(4102m)とエギーユ・デュ・ジャルダン(4035m)が仰ぎ見られ、ヴェルトの登攀ルートであるウインパー・クーロワールも良く見え、偵察という当初の目的だけは達成することが出来た。 氷河から100mほど岩を攀じって山小屋の建つ岩棚へと登り返し、am8:15に山小屋に戻った。 周囲はすでにモノトーンの世界となり、山々の頂稜部分は全て怪しげな雲で覆われていた。 朝の散歩を終え食堂で遅い朝食を食べ始めていた妻は、まさか私がこんなに早く戻ってくるとは思わなかったようで驚いていた。

  山小屋で一息入れたかったが、雷や土砂降りの雨が降りそうな不安定な天気だったので、妻も急いで帰りの支度をしてam8:45に山小屋を出発してシャモニへの帰途についた。 早くここから脱出したいという気持ちとは裏腹に、何度も後ろを振り返っては未練がましく山々の写真を撮る。 メール・ド・グラスに下りる直前で念のため神田さんに電話を入れると、天気予報は外れて明日も天気は悪くなったとのことで、ようやく諦めがついた。 鉄梯子を下り、昨日辿ったルートと全く同じルートをまるで敗残兵のようにただ黙々と歩く。 雨が降り出さなかったのが唯一の救いだ。 今日も氷河上では様々な訓練が行われていた。 クリストフ氏も明日は講習会でヴァレー・ブランシュをガイドをされるとのことであったが、多分中止になるだろうと言った。 メール・ド・グラスから半ば義務感のように鉄梯子を登り、正午ちょうどにモンタンヴェールの駅に着いた。 タッチの差で下りの電車に乗れず、駅付近にあった昔の水晶採りの活躍の様子や水晶を展示してある観光用の洞窟を見学したり、眼前のドリュやシャモニ針峰群の一峰であるグラン・シャルモ(3444m)の雄姿を写真に収めたが、まさか明後日ここを再訪することになろうとは知る由もなかった。

  pm0:30発の電車でシャモニへと下り、駅前のレストランでクリストフ氏と最後の食事を共にする。 今日も氏から色々な山の話を伺う。 昨年の秋にチョー・オユーにガイド仲間7人で行こうと計画したが、だんだんと人数が減って3人になってしまい断念したこと、来年はボリビアの最高峰のサハマ(6542m)へ友人らと3人で行く計画をしていること、ヒマラヤの山の中ではプモ・リ(7161m)に興味がある(登ってみたい)こと、フィッツロイは風が強く、良い天気が続かないので行く気が起きないこと等々の話題が興味深かった。 日常会話は相変わらず全く駄目だが、山の話になると良く理解し合えるから不思議だ。 この2日間で撮ったデジカメの写真を液晶画面で氏に見せると、余りの多さに驚いていた。 最後に「酒井さんはグランド・ジョラスの登りのスピードから判断してヴェルトは大丈夫。 また来年一緒に登りに行きましょう!」と言ってくれたことが嬉しかった。 食後は氏に20ユーロのチップを手渡し、再会を誓って大型のバイクに乗って帰られる氏を見送った。

  pm2:00にアパートに戻ったとたん激しい雨が降り始めた。 夕方、雨が小降りになったので山の家に天気予報を見にいくと、明日は一日中雨模様で明後日の午後から天気は快方に向かい、その後は晴れの天気が2日間続くようであった。 残りの滞在日程からみて、これが最後のチャンスである。 その足でスネルスポーツに神田さんを訪ねると、このまま今日と明日雪が降り続いてウインパー・クーロワールが雪で埋まれば、4日後にヴェルトに登る最後のチャンスがあるかも知れないこと、第二希望のグラン・コンバンの方が逆に降雪により難しいかも知れないことをアドバイスしてくれた。 今後はエルベ・サシュタ氏という少し年配の方が私のガイドをしてくれるとのことであったが、氏は数年前に全盲の日本人(金山さん)をガイドの中山さんと二人でモン・ブランの頂に導いた方であり、人柄もとても良い方であるとのことであった。 もしこのラストチャンスでヴェルトに登れたら、今日の敗退も帳消しになるに違いなく、スネルスポーツからの帰りの足取りは急に軽くなった。


妻に見送られてクリストフ氏と山小屋を出発する


未明のモン・ブランの山頂直下に掛かる小さな雲


モルゲンロートに染まり始めたグランド・ジョラス


最終到達点から頭上に見え始めたドロワットの頂稜部の写真を記念に撮る


朝焼けのグランド・ジョラス(左端)とモン・ブラン(右端)


朝焼けのタレーフル氷河(妻の撮影)


タレーフル氷河の末端から見たモン・ブラン


タレーフル氷河の末端から見たグランド・ジョラス(左)


タレーフル氷河の末端から見たドロワット(右)とエギーユ・ヴェルト(左)


クーヴェルクル小屋に戻る


モノトーンのメール・ド・グラスとグランシャルモ


長い鉄梯子を下る


メール・ド・グラスから見たドリュ


モンタンヴェールへ長い鉄梯子を登る


モンタンヴェール駅付近の観光用の洞窟を見学する


モンタンヴェール駅から見たドリュ


モンタンヴェール駅とグランシャルモ


山 日 記    ・    T O P