エギーユ・ド・プラン(3673m)

   8月23日、am5:30起床。 夜明けの時間が遅いため周囲はまだ真っ暗だが、純白のグーテ稜が微かに見えて安堵する。 朝食を済ませ、am6:00過ぎにアパートを出発する。 早朝のシャモニの町を歩いている人は見られなかったが、ロープウェイ乗り場に着くと、すでに十数人の人達が列を作っていた。 約束のam6:30にクリストフ氏がやってきたが、ロープウェイの始発はハイシーズンが終わったため、am7:00からとなっていた。 am7:00直前に次々と登山者や観光客が集まってきたが、前売りの乗車券を持っている人が多く、改札が始まると切符を買っていない私達より先にどんどんロープウェイに乗り込んでいったため、始発に乗ることが出来なかった。 すっかり出端をくじかれた感があったが、ロープウェイの車窓からは朝陽に照らされて輝くエギーユ・デュ・ミディの頂とその背後に素晴らしい青空が望まれ、今日の山行への期待が大いに高まってくる。 間もなく左手にまるで剣山(けんざん)のような針峰群を身にまとったプラン針峰がその険しい山容を披露してくれたが、果して本当にあんな所を登ることが出来るのであろうか?。

   am7:30過ぎにミディの山頂駅に到着。 さながら満員電車のようなロープウェイから解放され、駅舎の片隅で身支度を整えて氷河の出口へ向かう。 昨日とは違いロープウェイで労せずして登った山だが、雲一つ無い快晴の天気の下にグランド・ジョラスがヴァレー・ブランシュを挟んで眼前に望まれ、何とも言えない嬉しい気分だ。 今日の目的の山のプラン針峰がちょうどエギ−ユ・ヴェルトの前山のように眼前に鎮座し、素晴らしい山岳景観を造り出している。 しかしながら、“好事魔多し”との諺どおり、その後に展開する意外な結末をこの時は知る由もなかった。

   古いガイドブックに記されたプラン針峰(3673m)への登攀ルートは、エギーユ・デュ・ミディ(3842m)から出発し、コル・デュ・プラン(3475m)まで雪稜を下ってから、ミックスの雪稜をロニヨン・デュ・プラン(3601m)及びコル・スーペリア・デュ・プラン(3535m)を経てその山頂に至り、山頂からはアンベール・デュ・プラン氷河を下ってルカン小屋(2516m)を経由し、メール・ド・グラスを歩いてモンタンベールの鉄道駅に縦走するというものだった。 クリストフ氏にその話を向けたところ、現在では氷河の状態が良くないので、一般的にはエギ−ユ・デュ・ミディからの往復となっているとのことだった。

   氷河の出口でクリストフ氏とアンザイレンし、ナイフエッジの雪稜をヴァレー・ブランシュ方面へ下る。 意外にも雪稜にはすでに30人ほどの登山者が列をなしていた。 ガイドとスタカットで下っている年配の女性が渋滞の原因で、僅か100mほど下るのに30分以上を費やしてしまった。 ヴァレー・ブランシュへ下っていく大半の登山者と別れ、私を先頭にコル・デュ・プランに向けて緩やかに幅の広い雪稜を下る。 最高の天気と最高の展望だが、前後に多くのパーティーがいるため、後ろの氏から「急いで行きましょう!」と指示があり、写真撮影もそこそこに小走りにどんどん進む。 何とか先行していた一組のパーティーを追い越したものの、エギーユ・デュ・ミディ直下のコスミック小屋から出発したパーティーもいるので、焼け石に水だった。


ロープウェイの車窓から見たエギーユ・デュ・ミディ


ミディから見たプラン針峰(手前)とエギーユ・ヴェルト(奥)


ミディから見たグランド・ジョラス(左)とダン・ジュ・ジェアン(右)


ヴァレー・ブランシュへ下る雪稜は30人ほどの登山者で渋滞していた


プラン針峰(左)への稜線    奥はエギーユ・ヴェルト


   高度感のあるナイフエッジの雪稜を下り終えたコル・デュ・プランからはミックスの雪稜となったが、険しい岩塔が連なる稜上は行かずにシャモニ(左)側の岩塔の基部に沿って雪の急斜面をスタカットで登る。 コンティニュアスで登るベテランのパーティーもあり、複数のパーティーのザイルが交錯することもしばしばだった。 静かだった昨日とは全く違う光景に戸惑いながらも、クリストフ氏が先行している間に周囲の絶景の写真を撮る。 日本ではあまり知られていないプラン針峰への登攀だが、地元ではメジャーであることが良く分かった。 これはロープウェイを使えば日帰りが可能というアクセスの良さと、素晴らしい山岳景観によるところが大きいからに他ならない。 そしてガイド登山なら、ロシュフォール稜と同じような刺激的な登攀を気軽に楽しめるからだろう。

   am10:00前、岩場に取り付くこともなくエギーユ・デュ・ミディを出発してから2時間足らずでロニヨン・デュ・プランの広々とした平坦な雪のピークに着いた。 ここはルート上のオアシスのような所で、およそ針峰群の真っ只中にいるとは思えない。 今まで先を争っていた各パーティーもここで一息入れていた。 クリストフ氏も私達に休憩を促し、何枚も記念写真を撮ってくれた。 快晴無風の天気は変わらず、行動食を頬張りながら周囲の写真を撮るが、被写体は自然とジョラスとヴェルトが中心になってしまう。 すでにミディもだいぶ遠くになり、逆にプラン針峰の頂が指呼の間に望まれた。 最初は半信半疑だったが、もうここまでくれば登頂は間違いないと思った。


ミディからロニヨン・デュ・プランへ


他のパーティーとしばしばザイルが交錯する


ロニヨン・デュ・プラン(左)


ロニヨン・デュ・プランの直下


ロニヨン・デュ・プランの直下から見たエギーユ・デュ・ミディ


ロニヨン・デュ・プランの山頂


ロニヨン・デュ・プランから見たグランド・ジョラス


   ロニヨン・デュ・プランから見たトリオレ(左)・タレーフル(中央)・レショ(右)


ロニヨン・デュ・プランから見たモン・ブラン


   休憩後に再び稜上の岩塔をシャモニ(北)側に巻いて登っていくと、先行している数組のパーティーが順番待ちをしている姿が見えた。 この先によほど困難な所があるのか、先に進む気配は全く感じられず、私達も1時間近くそこで待たされしまった。 渋滞の原因は目の前に見える主稜の反対(南)側に抜けるための狭い岩のギャップの通過だと思われたが、実際はギャップの先の急斜面のミックスの岩場の下降だった。 一人がやっと通れるくらいの幅の狭い高さ3mほどのギャップを越え、陽の当たる主稜の南側に出ると、そこにはビレイポイントが無く、そこから先の下降に時間が掛かっていたのだ。 実際に下ってみると、急斜面のミックスの岩場は雪が脆く、確保なしでは不安を感じるような所だった。

   今日一番の核心部と思われる岩場を下り終え、ようやく最後の詰めに入ろうかという所で再び渋滞は始まった。 眼前には手の届きそうな所にコル・スーペリア・デュ・プラン(鞍部)から屹立するプラン針峰が神々しく望まれた。 先ほどとは違う陽光に恵まれたビューポイントだったが、10分・20分と何もせず時間だけが経過していくのがとても辛い。 クリストフ氏に「通常ここから山頂までどの位掛かりますか?」と訊ねると、1時間とのことだったが、氏は「pm1:00までに山頂に着かなければ、その時点で引き返すことにします」とつけ加えた。 すでに時刻はam11:30を過ぎ、今の渋滞の状況ではpm1:00までに山頂着くかどうかは微妙だった。 通常の登山とは逆に帰路が登り基調となるため、仮にぎりぎりプラン針峰に登れたとしても、ロープウェイの最終のpm5:00までに焦ってミディまで戻らなければならないことを危惧した妻が、「山頂は諦めて、ゆっくり景色を眺めながら戻りたい」と言った。 登頂の可能性はまだ残っていたが、いつも留守番役をしてくれている妻の意見に従い、再訪することを心に誓って引き返すことにした。


狭い岩のギャップの手前で順番待ちとなる


無数の針峰群の向こうに見えるエギーユ・ヴェルト


引き返し地点から見たプラン針峰


引き返し地点から見たコル・スーペリア・デュ・プラン(鞍部)への下り


   ギャップを乗越し、ロニヨン・デュ・プランの手前まで戻って後ろを振り返ると、先頭のパーティーがようやくコルを通過し、トレイルの印されていない最後の雪の斜面を登っている姿が見えた。 それを見るなり後悔の念が湧いてきたが、意外にも私達に同調したかのように、他のガイド登山のパーティーも次々に引き返してきていることが分かった。 この渋滞では登頂は可能でも、何かのアクシデントでロープウェイの最終に間に合わないと困る(ガイドもクライアントも明日の予定が入っている)ので、正午という時間で見切りをつけたのだろう。 それを見て私達の心も幾分軽くなったが、今シーズンは妻が一つもピークを踏めなくなるとはこの時は知る由もなかった。

   もう急ぐ必要は全く無いので、モン・ブラン山群の大パノラマを満喫しながら、まるでガイドレスのような気楽さで、所々で足を止めては写真を撮り、登頂という栄誉と引き換えにした稜線漫歩を楽しむ。 ロシュフォール稜の縦走の痛快さにも迫る素晴らしさだ。 雲一つ無い青空を背景に、プラン針峰とその背後に連なるシャモニ針峰群の無数の矛先、モン・ブラン・ダン・ジュ・ジェアン・ロシュフォール・ジョラス・ヴェルト・ドロワット・クルト・トリオレ・タレーフル・レショ、そしてミディの針峰群が勢揃いし、少し隔てた所からグラン・コンバンがその大きな図体を誇示し、目を凝らせばその背後にマッターホルンやヴァイスホルンも遠望される。 だが、何といっても今日の一番のお気に入りは、眼前のグランド・ジョラスだったことは言うまでもない。


帰路のロニヨン・デュ・プランからコル・デュ・プランへ


帰路のコル・デュ・プランからミディへの登り返し


プラン針峰(左端)とロニヨン・デュ・プラン(左)


ミディへの雪稜を登り返す後続のパーティー


プラン針峰(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


エギーユ・デュ・ミディの直下


ミディの直下から見たグラン・コンバン(中央奥)


   pm3:00前、コースタイムの1.5倍ほどの時間をかけてミディの展望台に着くと、氷河への出口にも観光客が出入りし、展望台は鈴なりの賑わいだった。 クリストフ氏はザイルを解くと、私達と荷物を残して一目散にロープウェイの整理券を貰いに行ってくれた。 氏に改めてお礼を述べてチップを手渡すと、意外にも「また後日お会いしましょう(一緒に山に行きましょう)」という感じの言葉が返ってきた。 神田さんから、ガイドは同じ人にならないと言われていたので、これは社交辞令なのだろう。 夕方に用事があるという氏と別れ、展望台で少し休んでいこうと思ったが、あまりの観光客の多さに気後れし、私達も早々に下山することにした。 中間駅のプラン・ドゥ・レギーユで下車し、下からプラン針峰と辿ったルートを眺めながら写真を撮り、pm4:00過ぎにロープウェイでシャモニに下りてきたが、まだ展望台に向かう観光客が大勢列を作っていたのには驚いた。

   洒落たオープン・カフェで遅い昼食を食べ、真っ直ぐアパートに帰る妻と別れ、山の家に天気予報の確認に行く。 明日はやはり天気が崩れ、明後日もまだ天気は回復しないという予報だった。 夕食前に若松さんから電話があり、グランド・ジョラスの登頂の報告をすると、「酒井さん以上に嬉しいかもしれない!」と興奮気味に登頂を祝ってくれた。 若松さんは予定どおり明後日の夕方にシャモニに来られるとのことで、天気予報が変わらなければ(天気が悪ければ)、無事再会することが出来そうだった。


プラン・ドゥ・レギーユから見たプラン針峰


プラン・ドゥ・レギーユから見たエギーユ・ヴェルト


プラン・ドゥ・レギーユから見たエギーユ・ルージュ(赤い針峰群)


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P