グランド・ジョラス(4208m)

  8月21日、am7:30起床。 シャモニに来てから初めての快晴の天気だ。 抜けるような爽やかな青空を背景にモン・ブランとエギ−ユ・デュ・ミディの頂が朝日に照らされて輝いている。 昼食は今日泊まる山小屋(ボカラッテ小屋)に着くまではとらないと思われるので、朝食を遅めに食べてam9:00過ぎにサポート役の妻と共にスネルスポーツへ向かう。 途中、念のため山の家に天気予報の確認に行くと、明日・明後日共に晴れの予報に変わりなく安堵する。 神田さんからボカラッテ小屋に宿泊の予約の電話を入れてもらい、予定どおりam9:30にクリストフ氏の車でシャモニを出発する。 日曜日であったが、午前中の早い時間帯のせいかモン・ブラン・トンネルの渋滞は全くなかった。 トンネルを抜け、イタリア側のアントレーヴの村から僅かに山道を辿ると、シャモニから30分ほどで登山口であるプランパンシュー(1595m)のキャンプ場に着いた。 駐車場の周囲にはロッジやレストランがあったため、人出は思ったより多く、車も数十台停まっていた。 今回は天気が良くてもルートのコンディションによっては登れないかもしれないので、せめてグランド・ジョラスの雄姿を下から拝み写真に収めたかったが、生憎昨日までの雨が雲を呼び、その願いは叶えられなかった。

  am10:15に駐車場を出発。 すぐに『ボカラッテ小屋まで3時間30分』という真新しい標識が目にとまったが、その後は山小屋まで標識は一切なかった。 ガイドブックに記されているように、小さな教会の脇を通ると樹林帯の中のハイキングトレイルは徐々に勾配を増し、5mほどの高さの樅の木が点在するようになると次第に山々を覆っていた雲はちぎれ、雪を身に纏った岩峰が見えてきた。 念のためクリストフ氏に山の名前を訊ねてみると、紛れもなく昨年辿ったエギーユ・ド・ロシュフォールとその隣接峰のドーム・ド・ロシュフォールのピークであった。 間もなく森林限界となったが、山肌の草原には可憐な高山植物はあまり見られず、唯一ヤナギランがそこら中に群生し、バッタのような虫の音がうるさいほど響いていた。 氏がブルーベリーの木を教えてくれ、皆で摘み取って食べたが、あまり美味いとは思わなかった。

  登山口からちょうど1時間登ったところで、氷河から流れ出す沢を見下ろすちょっとした広場のような所で休憩となった。 登山口から400m以上の標高差を稼ぎ、麓のキャンプ場はすでに眼下に見えた。 この辺りからトレイルは少々険しくなり、氷河の舌端を見上げながら大小の岩屑の中を通るアルペンルートとなった。 相変わらずグランド・ジョラスの頂は望めなが、雲が夏の陽射しを遮ってくれるお陰でアプローチの登高にはちょうど良い。 時々陽が射し青空が覗くと、目上の寒々しい景色は一変し、岩と氷河の織りなす素晴らしい景観が蘇る。 時々ポツリポツリと上から下ってくる人がいるが、皆一様に軽装のハイカーで、登山者らしき人はいなかった。 固定ロープの付けられた急斜面の岩場を登りきると、間もなくプランパンシュー氷河を見下ろす崖の上にへばりつくように建っている小さなボカラッテ小屋(2804m)に着いた。 クリストフ氏のペースは決して速くはなかったが、まともな休憩を1回しか取らなかったので、駐車場から僅か3時間足らずであった。 猫の額ほどの狭いテラスからはフェレの谷を挟んで対峙する3000m級の緑の山並みの向こうに、真っ白なグラン・パラディゾ(4061m)が遠望された。

  山小屋を切り盛りしている若夫婦は、ご主人がアメリカ人で奥さんがイタリア人ということであったが、お二人共とても優しく親切な方で、珍客である私達を歓迎してくれた。 奥さんは日本の文化に興味があるようで、京都にも来られたことがあるとのことであった。 こぢんまりとした山小屋はアイガーのミッテルレギヒュッテよりも更に一回り小さく、食堂には簡素なテーブルセットが3組置かれ、隣合わせの寝室は蚕棚の3段ベッドで20人寝れば一杯であった。 先客のハイカーが一人いたが、間もなく下山していったので、小屋には私達だけとなった。 宿泊の手続きはクリストフ氏がしてくれたので、スープとパスタ(ペンネ)を注文してお腹を満たす。 意外にも今シーズンは7月を中心に多くの日本人がこの山小屋を訪れたようで、宿帳には8名もの名前が記されていた。 いつものように私達の足跡を宿帳に残したことは言うまでもない。

  昼食後はクリストフ氏の提案で明日の登攀ルートの下見に行くことになった。 明日に備え高度計の数字を山小屋の標高に合わせる。 妻も同行を許されたので一緒に登ることにする。 山小屋の裏手の岩場をひと登りすると、所々に小さなケルンが積まれた岩屑のアルペンルートとなったが、間もなくトレイルは新雪で埋もり、膝ぐらいまで雪にもぐるようになった。 幸い天気は尻上がりに良くなり、眼前にはロシュフォールの岩峰群が圧倒的な迫力で望まれた。 氏を先頭に新雪をラッセルし、しばらく登り続けると、プランパンシュー氷河への取り付き点に着いた。 高度計の標高は3040mで、山小屋からの標高差は約200mほどであった。 下見はここまでなのか、氏はザックを下ろし手で穴を掘りはじめた。 明日のための目印を作っているのかと思ったら、何と“弱層テスト”をしていた。 氷河を見上げながら明日辿るルートを氏が説明してくれたが、度重なる降雪により氷河上に刻まれたトレイルは皆無であり、肝心の山頂方面の景色も右手の大きな岩尾根に隠されていて全く見えなかった。 いずれにしても明日実際に登ってみなければ核心部のコンディションは分からないので、この一般ルートを数回登ったことがあるという氏の経験に委ねるしかないようだ。

  帰路は急ぐ必要は全くないので、周囲の景色の写真を撮りながらゆっくりと下る。 山小屋に戻ると、お客さんが3名ほどテラスで日向ぼっこをしていたが、間もなく彼らも下山していったので、やはり今晩は私達だけで貸し切りとなり(必然的に明日の登山は私達のパーティーのみ)そうであった。 明日は長い一日になりそうなので、夕食の時間まで遅い昼寝をする。 クリストフ氏もアイポットで音楽を聴きながらベッドにもぐり込んだ。 最近ではしばらく人肌に触れていないせいか毛布はとても冷たく、3枚掛けてもまだ寒かった。 

  夕食の時間が近づき、そろそろ起きようかと思った時、何やら隣の食堂が騒がしくなった。 驚いたことにこの時間になって数人のパーティーが到着したようであった。 東洋人である彼らの姿は目に入ったが、日本語の響きが聞こえてこないので不思議に思ったところ、クリストフ氏から彼らはネパール人であり、パーティーのリーダーは氏の知り合いのフランス人のガイドであると教えられた。 氏はさらに、毎年ちょうどこの時期はネパールのクライミングシェルパの精鋭達がフランス山岳会の招きで登山の研修にシャモニを訪れているということを教えてくれた。 たまたま今回の研修の対象に選んだ山がグランド・ジョラスだったようだ。 意外にもシェルパ達はすぐに自炊で夕食の準備に入り、静かだった山小屋はにわかに活気づいた。 予期せぬ“同志”の登場に心が弾み、彼らに片言の英語で話しかけてみると、メンバーの中にはエベレストの頂に数回立ったことがあるという猛者もいて驚いた。 また、意外にも若い彼らが知っていた唯一の日本人の登山家は、女性でエベレストを初登頂した田部井さんということであった。 和やかに“ネパール隊”のパーティーと写真を撮りあうと、意外にも彼らの持っていたカメラは全て日本製のデジカメであり、時代の流れを感じた。 夕食を食べながら、「明日はネパール隊の精鋭達がルート工作やラッセルをしてくれるので楽勝ですね!、左団扇で彼らの後をついて行きましょう」と笑いながらクリストフ氏に投げかけると、氏も「ラッキー!」とおどけていた。 当初は私達だけの孤独で困難な登攀が予想されたが、彼らの出現により登頂の可能性がにわかに高まったような気がして嬉しかった。 果して彼らは“救いの神”となるのであろうか?。


シャモニに来てから初めての快晴の天気となる


登山口のプランパンシューのキャンプ場


樅の木が点在するトレイルから見たドーム・ド・ロシュフォール


固定ロープの付けられた急斜面の岩場を登る


プランパンシュー氷河を見下ろす崖の上にへばりつくように建っているボカラッテ小屋


山小屋のテラスから見たアントレーヴの村


山小屋のテラスからが遠望したグラン・パラディゾ


山小屋の先から見たドーム・ド・ロシュフォール(右)とエギーユ・ド・ロシュフォール(左)


プランパンシュー氷河への取り付き点    背景はドーム・ド・ロシュフォール


クレバスの多いプランパンシュー氷河


山小屋の寝室


山小屋の食堂


ネパールのクライミングシェルパの精鋭達


山小屋を切り盛りしている若夫婦はとても優しく親切だった


  8月22日、am3:00起床。 昨夜は珍しく熟睡したようで、夜中にトイレに起きなかった。 私達よりも遅く寝たネパール隊はすでに起きていて、静かに出発の準備をしていた。 外のトイレに行くと空は満天の星空であったが、月は山の陰に隠れているのか見えなかった。 クリストフ氏からハーネスは着けずに出発しますとの指示があり、慌てることもなくゆっくりと朝食をとる。

  am3:45、「セ・パティ(出発)!」とクリストフ氏と声を掛け合い、妻に見送られてネパール隊より一足先に出発する。 昨日の下見が功を奏して、ヘッドランプの灯でも充分にルートが分かる。 氏は昨日同様のちょうど良いペースでリードしてくれ、標高もまだ低いので呼吸も楽だ。 30分ほどで楽々と標高差200mを稼ぎ、プランパンシュー氷河への取り付き点に着いた。 氏の指示によりアイゼンとハーネスを着けていると、間もなくネパール隊が追いついてきた。氏とネパール隊のフランス人のガイド氏が、何やら言葉を交わす。 彼らはすでにハーネスを着けていたので、ここからは彼らが先行するであろうと思ったが、またほんの少しの差で私達が先行することになった。

  クリストフ氏とアンザイレンし、いよいよ憧れのグランド・ジョラスへの登攀が始まった。 氷河の雪は昨日の柔らかさが嘘のように固く締まり、斜度もきつくないのでアイゼンでの登高は全く快適である。 また風も今のところ殆ど無く体調も万全であり、さらには間もなく私達を追い抜いていくであろうネパール隊の“ルート工作?”により、登頂の可能性が高まり心が弾んだ。 間もなく斜面の傾斜は急になり、直登を避けてアイゼンの爪を利かせながらジグザグに斜上するようになると、氏のペースも幾分速くなった。 意外にもネパール隊のヘッドランプの灯はまだだいぶ下にあり、また登るにつれてそれはどんどん離れていくような感じがした。 傾斜はますます急になり、所々で突然暗闇の中に出現するクレバスに架かるスノーブリッジをスピーディーにやり過ごす。 アンザイレンしているとはいえ全く気の抜けない状況が続き、一般ルートがヴァリエーションルートのように感じる。 トレイルの付いたルートは心理的な安堵感をもたらし、それはそれでとても有り難いことであるが、今日のように全くそれが無い山の魅力は別の意味で本当に計り知れない。 こんな凄い経験が出来るのもアルプスのガイド登山の魅力であろう。

  まだ明けきらない夜空の下、左手にモン・ブランの白い山肌が微かに望まれる。 余裕という感じには程遠いが、シーズン初めの山とは思えないほど順調に足は前に出て、繋がれたザイルがピンと張られることもなく、取り付きから1時間半ほどでガイドブックに記されている『レポゾワールの岩場』と呼ばれる岩稜帯の基部に着いた。 ここはグランド・ジョラスのピークの一つであるエレーヌ・ピーク(4045m)に突き上げている顕著な岩稜の末端である。 振り返ると、ネパール隊のヘッドランプの灯は遙か遠くになっていた。 昨夜の山小屋の若主人の話では、この2週間誰も山頂を踏んでいないとのことだったので、もし仮にネパール隊が期待外れ?だった場合には今日一日はクリストフ氏の経験と技術だけが頼りである。 同じような状況であった一昨年のオーバーガーベルホルン登山のことをふと思い出す。 ここで短い休憩となり、温かい紅茶で行動食を胃に流し込んだが、残念ながら周囲はまだ真っ暗闇で写真は撮れなかった。 意外にも氏からヘルメットを被るようにとの指示はなく、結局今日一日氏共々被ることは無かった。 氏の発想ではあくまでヘルメット装着の有無は、自己責任の範疇なのであろうか?。

  5分ほど休憩した後、am5:45に行動を再開する。 眼前の急な岩場に取り付くのかと思ったが、クリストフ氏は岩場を右に迂回し、岩場の淵に沿って急な雪壁を登り始めた。 確かガイドブックでは、ここからは岩稜を忠実に登ると記されていたはずだが・・・と不思議に思っていたところ、間もなく氏は躊躇無くミックスではあるが手掛かりの多い所から岩場に取り付いたので、ルートを知り尽くしている氏の後ろ姿が頼もしく感じた。 夜も白み始め、間もなくヘッドランプは不要になった。 殆どが新雪とのミックスとなっているこの岩場では基本的にスタカットで上からの氏のコールに合わせて私が登ることを繰り返す。 新雪であるが雪は固く、また誰も取り付いていないためルートも荒れていないので、逆に雪を上手く利用してステップを作ったりしながら臨機応変に攀じっていく。 ありがたいことに風が全く無いので、多少困難な所でも落ちついて登ることが出来た。 所々に少々古いが先人達の残したハーケンやスリングが見られ、一般ルート上を忠実に辿っていることが分かった。 岩稜は次第に易しくなり、コンティニュアスで登れるようになったが、先ほどまでの全身を使った登攀で体内の酸素が欠乏したためか足が急に重たくなり、氏のペースについていくのがやっとの状態になってしまった。 苦しさを紛らわすために、高度計の数字をちょくちょく見ながら、稼いだ標高と残りの標高を頭で計算しながら登る。 岩稜帯の基部から1時間近く岩を登り続けると傾斜は一旦緩み、所々で岩が露出している緩やかな雪稜となった。 それとは対照的に先ほどからの体のバテ状態は回復せず、ドラマチックな早朝の景色の変化を楽しむ余裕も無くなりつつあったが、すでに夜は明け、モン・ブランの山頂の雪がうっすらとピンク色に染まり始めていた。 図らずもその直後に休憩となり、黎明のモン・ブランとロシュフォールの峰々、朝焼けに染まりつつある遠くのグラン・パラディゾ方面の山並みの景色を写真に収めることが出来た。 一方、頼みのネパール隊はすでに視界から消えていた。

  短い休憩の後、次第に傾斜を増していくミックスの岩稜をそのまま登り続けるのかと思ったところ、クリストフ氏は躊躇無く右手のカール状の雪面(グランド・ジョラス氷河)を真横にトラバースし始めた。 45度ほどの急斜面の長いトラバースであったが、ピッケルを深く刺し込みながら一歩一歩慎重に氏の切っていくステップに足を置き、コンティニュアスで進む。 これはルートを知り尽くしたガイドとのマンツーマンだから出来る代物であり、ガイドレスでのコンティニュアスはとても危険である。 10分ほどでスリリングなトラバースを終えると、グランド・ジョラスのピークの一つであるウインパー・ピーク(4184m/1865年にエドワード・ウインパーが当時未踏峰であったエギーユ・ヴェルトの偵察をするために、同じく未踏峰であったグランド・ジョラスに登った時の最高到達点を記念して命名された)から派生している急峻な岩稜の末端近くに着いた。 ガイドブックにはこの岩稜は下降時に良く使われるが、条件が良ければこの岩稜を直上してウインパー・ピークを登った後、雪稜を辿って最高点のウォーカー・ピーク(4208m)に登ることも出来ると記されているが、氏はここでも躊躇無く岩稜を少しだけ登ってから乗越し、さらに右手の先ほどより長いが傾斜は緩い雪面をトラバースしながら緩やかに斜上していった。

  間もなく頭上に巨大なシャンデリアのような芸術的なセラック(氷塔)が見えた。 これがあの悪名高い(過去に死亡事故のあった)セラックであろう。 朝陽が当たり始めた氷の“芸術作品”は見事であるが、落石ならぬ落氷が頻発する危険地帯だ。 クリストフ氏は「ここからは少し急ぎましょう!」と指示し、足早に5〜6分でセラックの真下を通過すると、先ほどまでの急登の連続が嘘のように傾斜のない広大な雪のテラスとなった。 イタリア側の空には見渡すかぎり雲一つなく、天気予報どおりの晴天が期待出来そうだ。 安全地帯に入ったので氏のペースはとてもゆっくりとなり、間もなく予想どおり氏から休憩の指示が出た。 時刻はam7:45を、高度計はすでに4000m近くを表示していた。いつも忙しそうに行動食を頬張りながら周囲の写真を撮っている私を見かねてか、氏は頼んでもいないのに私からカメラを預かり、モン・ブランを背景に写真を撮ってくれた。 全く後続してくる気配の感じられないネパール隊の動向について氏に投げかけてみると、氏は「彼らは昨夜氷河の水で炊事をしたためお腹をやられ、途中で引き返したのでしょう!」と笑いながら言い放った。 さらに氏は「あそこの稜線を上がれば山頂ですよ!」と説明してくれたが、その表情と口調には一昨日の最終打ち合わせの時とはまるで違う、穏やかな余裕の雰囲気が感じられた。 すでに核心部や危険地帯を過ぎ、登頂の確信を得たのであろうか?。 しかしどんなに標高を稼いでも、また天気が良くても、この先で不測の事態により登攀不能になればそれまでなので、過大な期待は持たないよう肝に命じる。 僅か5分ほどの休憩であったが、緊張感が持続しているためか短くは感じなかった。

  最後の?休憩後、しばらく緩やかな雪の斜面を登り、左手に進路を変えてミックスとなっている岩稜に再び取りつく。 朝陽が背中に当たり始め、体だけではなく不安な心まで暖めてくれる。 先ほどまでの急峻な岩稜の登攀と比べると遙かに易しい幅の広いミックスの雪稜の登高に緊張感もだいぶ薄らいできた。 ただ登り始めの快調さが嘘のように、ますます足が言うことをきかなくなり、今度は山とではなく自分との闘いになってきた。 間もなく傾斜は緩み、岩は視界から消え、あとは単調な雪の斜面が東の方向に延々と続いていた。 クリストフ氏と結んだザイルは弛むことが無くなり、まるで荷物のように氏に引きずられていく。 余りの私の変わりように氏が心配して立ち止まり、「苦しいのは呼吸ですか、それとも足ですか?」と聞いてきた。 とっさに造り笑顔で「両方です!」とジェスチャーを交えながら答えると、氏は何故か納得したように微笑んだ。 高度計の数字はすでに4100m台を示しているが、左手には山頂(ウォーカー・ピーク)より僅か20mほどしか低くないウインパー・ピークがまだまだ目線よりも高く聳えている。 “こんなことではヴェルトには登れないぞ!”と自らに檄を飛ばす。 風が急に強まり、氏を呼び止めてジャケットを着込む。 束の間の休息の後、心の中で数字を数えながら一歩一歩鉛のように重たい足を前に踏み出す。 100まで数えるとまた1から数え直す。 最後の最後で行く手を阻む悪魔の悪戯が無いことを祈りながら、今の私に出来ることはただそれだけだ。 日頃のトレーニング不足を思い知らされたが、もうすでに後の祭りだ。 有り難いことに先ほど一瞬強まった風も次第に収まっていった。

  不意に雪面の傾斜が無くなり、間もなくクリストフ氏がこちらを振り返り、ザイルをゆっくりと束ね始めた。 青空以外には何も見えなかった空間の向こう側に、ドロワット(4000m)やクルト(3856m)を従えてメール・ド・グラスから屏風のように屹立している憧れのエギーユ・ヴェルトの雄姿が悠然と望まれた。 憧れのグランド・ジョラスの頂に辿り着いたのであった。 “ああ、ついにあの長谷川恒男さんが世界初の北壁冬季単独登攀を成遂げた山の頂に自分も立つことが出来たんだ!”と抑えきれない感動が沸き上がってくる。 「メルスィー・ボクー!!、サンキュー・ベリー・マッチ!!」。 氏と力強く握手を交わし、肩を叩き合って体全身で喜びと感謝の気持ちを伝えた。 氏も私がひどく感動している姿を見て、とても上機嫌であった。 高時計の数字は4198m(山の標高は4208m)を、時刻はam9:00ちょうどを指していた。 一昨日降ったばかりの新雪が眩しく輝き、クリストフ氏と二人だけでこの広大な空間を独占している気分は最高である。 モン・ブラン山群の全ての山のみならずマッターホルン、モンテ・ローザ、ヴァイスホルン等のヴァリス山群の山々も遠望され、グラン・コンバンも近い。 一般ルートでは麓から大半を登山電車で登るアイガーや、ゴンドラが架けられているマッターホルンとは全く違うこの孤高の山の頂には、正に原始の薫りが漂っていた。 先ほどまでの疲れも一気に吹っ飛び、休む間もなく360度のパノラマ写真を撮る。 氏とも記念写真を撮り合ったが、寒さによるカメラの誤作動でレンズカバーが全開せず、せっかくの写真が駄目になっていたことが悔やまれる。 それにしても何と神々しい頂であろうか!。 雪庇に注意しながら寒々しい北壁を覗き込む。 レショ氷河からの高度差は凄いの一言だ。それとは対照的に南のイタリア側は緑濃い山並みが見え、北壁のあるフランス側とは全く正反対の様相を呈していた。“次はあのヴェルトだ!・・・”。 1865年にエドワード・ウインパーがヴェルトの偵察に、当時未踏であったこの山を登りにきた時のように私も誓いを新たにした。

  快晴無風の天気ではあるが、この山の頂に長居は出来ないことは、登ってきたルートの状況から推して明らかである。 am9:15、もう二度と来ることは叶わない憧れの頂に別れを告げ、先ほどのセラックの下のトラバースを避けるため往路とは同じルートは取らず、支峰のウインパー・ピークとのコルに向けてシュカブラの発達した緩やかな雪稜を私を先頭に下る。 モン・ブランを正面に見据えながら、束の間の稜線漫歩を味わっていると、緊張感が緩んだのか不意に目頭が熱くなってきた。 マッターホルン以来のこの現象は、三度目でようやく登頂が叶ったということに対するものではなく、原始の薫りが漂う汚(けが)れの無い純白の雪稜が演出する独特の雰囲気に包まれたせいであるような気がした。

  コル付近まで緩やかに下った後、ウインパー・ピークへは登り返さず、同ピークへと突き上げている岩稜の下部に向けて急な斜面を斜めにアイゼンの爪を利かせてぐんぐん下る。 岩稜付近まで下ってくると、突然下から登ってくる登山者の姿が目に入り驚いたが、彼らは他でもないネパール隊であった。 彼らは2人と3人のパーティーに別れて、私達の足下の急峻なクーロワールの中の雪壁を登っていた。間もなくネパール隊とクーロワールの出口付近ですれ違ったが、ガイド氏同士は軽く言葉を交わし合っただけであった。 すれ違い際に隊員達にエールを送り、彼らの登頂を祈念したが、てっきり彼らはすでに引き返したと思っていたので、彼らとの再会がとても意外な出来事のように感じた。 私達も岩場には取り付かず、5人のネパール隊によって作られた見事なつぼ足のステップを利用し、クリストフ氏に上から確保されながら50度以上はあると思われる急なクーロワールの中の雪壁を下った。 ネパール隊がここを登路に使ったのは、セラックの下のトラバースを避けるためだったのか、それとも帰路のルートを担保するためだったのかは分からなかったが、図らずも当初の目論見どおり彼らの“ルート工作”の恩恵にあずかることとなった。

  クリストフ氏に言われるまでもなく、後ろ向きになってピッケルのブレードをまだ固く締まった雪面に刺し込みながらザイル一杯に下り、下り終えた所でビレイを取り氏にコールする。 これを6〜7回繰り返すとようやく傾斜は緩み、右の頭上に先ほど下から見上げた巨大なセラックの全容が間近に見えた。 再び繰り返し何回かスタカットで下っていくと、間もなく今朝辿ってきた私達の微かな踏み跡に合流した。 気温が上がり標高も下がってきたので、休憩しながら氏共々ジャケットを脱ぐ。 休憩後は再び氏の指示で先頭を交代せず、コンティニュアスで踏み跡を忠実に辿りながら下る。 間もなくミックスの岩稜を乗越し、急斜面の危険なトラバースに入ったが、ここでも先頭は私のままであった。 恐らく私が後ろでスリップした場合に氏が止められないからであろう。 雪が緩み始めているので先ほどよりも緊張するが、ここが一番の核心部なので気合を入れ直して一歩一歩進む。 ここが終われば後は難しくないと思ったのは大きな間違いであった。

  氷河のトラバースを無事終えると登路と同じミックスの岩稜(レポゾワールの岩場)に取り付き、私達の踏み跡を注意深く目で追いながら、スタカットでのクライムダウンとロワーダウンをスピーディーに繰り返す。 登りでの核心部もあっと言う間に下り、プランパンシュー氷河への取り付きに着いた。 もうここまで来ればゴールは近い。 モン・ブランやロシュフォールの峰々を仰ぎ見ながら一息入れる。 意外にも私が写真を撮っている傍らでクリストフ氏はザックからGPSと双眼鏡を取り出し、氷河に印された私達の踏み跡をつぶさに観察していた。 ルートを熟知している氏が何故ここに来てそんなことをしているのか不思議であった。 氷河の下りにもかかわらず今度は氏が先行し、しばらく下った所で私に待つように指示すると、ルートを見失った訳でもないのに周囲を徘徊して下るルートをイメージしていた。 そしてまた少し下った所で再び同じような行動を繰り返していた。 よほどヒドゥンクレバスが怖いのであろう。 何度か試行錯誤した後に、今度はザイルをさらに伸ばして私を先頭に下ることとなった。 その直後、踏み出した足がスーッと抵抗もなく股までもぐり、その勢いで前のめりに転んで膝を少し捻った。 ヒドゥンクレバスだ!。 雪が重たくて足が抜けない。後ろから氏が「スキーで転んだ時と同じように、体を谷側に預けて回転しなさい」とアドバイスしてくれたが、それでもなかなか足が抜けずに肝を冷やす。 やっとの思いでクレバスから這い出したにも係わらず、氏は再び私を先頭に起用して下るように指示した。 現在の雪の状態から推してどちらが先頭でも再びクレバスに落ちることは必至なので、敢えて氏は私を先頭に起用したのであろう。 後ろから氏に確保されているため絶対的な恐怖感はないが、いきなり足がすくわれるのはとても嫌な気分だ。 氏が今日一番慎重になっている理由が分かった。 恐る恐る足を踏み出すため、スピードは全く上がらない。 背後から人の声が聞こえてきたので振り返ると、すでにネパール隊がレポゾワールの岩場を下ってきていた。 その後2〜3回引きずり込まれるようにヒドゥンクレバスにはまったが、心の準備が出来ていたので慌てることもなく、また全て浅いものだったので大事には至らなかった。 危険なクレバス帯は終わったのであろうか、しばらくすると氏が先頭を交代した。 氏も気が緩んだのか、その直後に20mほど下の大きく口を開いたクレバスを渡るための確保支点を作っている時に不用意にもGPSを足元に落としてしまい、クレバスに飲み込まれてしまった。 氏がとても悔しがったことは言うまでもないが、氏に確保された私がクレバスの内側に僅かに残っていたスノーブリッジを渡ろうとした時、幸運にも氏のGPSがそのボトムに落ちていて難なく拾い上げることが出来た。 ようやくクレバス帯を脱したのか、氏はアイゼンを外すように指示し、傾斜の緩くなった雪面を膝までもぐりながら転がるように駆け降りていった。 間もなくアルペンルートの終点に妻の姿が見えたので、ピッケルを振り回して勝利の凱旋を告げた。

  pm1:45、妻に迎えられアルペンルートの終点に到着。 再び“登頂請負人”のクリストフ氏と固い握手を交わす。 今日の登頂もルートを熟知した氏がいなければ叶わなかったに違いない。 ザイルが解かれ、憧れのグランド・ジョラスの登攀は終わった。 未明に山小屋を出発してからちょうど10時間が経過していた。 氏と肩を組んだ記念写真を妻に撮ってもらい、しみじみと山を見上げながら溜め息をつく。 妻は1時間も前からここで待っていてくれたようで、毎度のことながら本当に申し訳なかった。 妻に今日の登山の経過をネパール隊の動向を交えて断片的に報告しながら、山小屋までゆっくり下る。

  山小屋に着くと、小屋番の若夫婦が数人のハイカー達と一緒に狭いテラスで日光浴をしていたが、私の満足そうな顔をみるや登頂を祝福してくれた。 クリストフ氏にビールをおごり、私達はソフトドリンクで祝杯を上げ、昨日同様パスタとスープの遅い昼食をとった。 このまま昼寝でもしていきたかったが、これからまだ麓まで下らなければならないので、食後の休憩もそこそこに着替えをして荷物をまとめる。 お世話になった小屋番の若夫婦との記念写真を撮ってもらい、ネパール隊の到着を待たずにpm3:15に山小屋を後にした。 昨日は霧に包まれていたグランド・ジョラスの山頂も今日は下から良く見えるが、その頂は遙か遠く、つい先ほどまでその頂にいたことが嘘のようだ。 駐車場に着くまで何度も振り返り写真を撮る。 昨日とは違い登攀具を携えた2〜3組のパーティーと途中で行き違う。 明日も予報どおり良い天気なのであろうか?。 プランパンシューのキャンプ場は昨日同様夏休みを楽しむ家族連れで賑わっていて、原始の世界から現実の世界に戻ったようであった。

  予想どおり帰路ではモン・ブラン・トンネルの渋滞にはまり、1時間近くトンネルの入口で待たされてしまった。 pm7:00頃にスネルスポーツに着き、神田さんに登頂報告と簡単な土産話をした後、早速クリストフ氏を交えて明日以降の計画の打ち合わせを行う。 天気予報では明日までは良い天気だが、明後日以降は一旦天気は崩れるとのことだったので、神田さんの提案に従い次に予定していたグラン・コンバン等の登山は順延し、予備日であった明日一日を有効に使おうと、以前から考えていたエギーユ・デュ・プラン(プラン針峰)への日帰り登山を提案したところ、両氏共々快諾してくれたので、明日のam6:30にミディへのロープウェイ乗り場の前で氏と待ち合わせることになった。


『レポゾワールの岩場』と呼ばれる岩稜帯の基部


黎明のモン・ブラン


レポゾワール稜から見下ろしたプランパンシュー氷河


巨大なシャンデリアのような芸術的なセラック(氷塔)の真下を足早に通過する


山頂直下の広大な雪のテラスから見たモン・ブラン


山頂直下から仰ぎ見た頂稜部


グランド・ジョラスの山頂


山頂から見たエギーユ・ヴェルト


山頂から見た北側の針峰群(中央はタレーフル)


山頂から見たモン・ブラン


山頂から見た支峰のウインパー・ピーク(右の崖が北壁)


山頂から見たグラン・コンバン(中央)とヴァリスの山々


山頂から見た北壁の下のレショ氷河


山頂から見たグラン・パラディゾ(中央奥)


ネパール隊とクーロワールの出口付近ですれ違う


クーロワールの急峻な雪壁を登るネパール隊


巨大なセラックの下の急峻な雪壁をスタカットで6〜7ピッチ下る


今朝辿ってきた私達の微かな踏み跡に合流する


一番の核心部の氷河のトラバース


ミックスの岩稜(レポゾワールの岩場)を私達のトレースを注意深く目で追いながら下る


GPSと双眼鏡で氷河に印された私達のトレースをつぶさに観察するクリストフ氏


ヒドゥンクレバスの多いプランパンシュー氷河


氷河の取り付き(アルペンルートの終点)で妻に迎えられる


山小屋に着くと小屋番の若夫婦が登頂を祝福してくれた


山小屋から下るトレイルから見たグランド・ジョラス方面


登山口のプランパンシューのキャンプ場の少し上から見たグランド・ジョラス


家族連れで賑わうプランパンシューのキャンプ場から見たグランド・ジョラス


山 日 記    ・    T O P