憧れのヨーロッパアルプス 7

  【アルプスの3大北壁】
  私が初めてグランド・ジョラスという山の存在(名前)を知ったのは、おそらく山に関する何かの書物で“アルプスの3大北壁”(マッターホルン、アイガー、グランド・ジョラス)についての記述を読んだ時であろう。 その時はただ漠然と“険しい山”をイメージしただけで片づけられてしまったのであろうが、グランド・ジョラスという名前の響きがとても新鮮であったことだけが僅かに頭の片隅に残っていた。 しかしながら当時の私にはまだアルプスの山についての知識が乏しく、その山がどこにあり、どんな容姿をしているのかということさえ知らず、また気に留めることもなかった。 数年の時を経て再びこの山と巡り会ったのは、ヨーロッパアルプスの山に登ろうと思い立ち、今では愛読書となっている『アルプス4000峰登山ガイド』のページをめくった時であった。 そして初めてアルプスの山を訪れた2000年の夏から2年後にモン・ブランを登る計画をした時に、麓のシャモニの町からアクセス出来る同峰に目が止まり、登山対象の山として同峰を意識することとなった。 しかしながら当時はインターネットの環境も無く、この山の一般ルートの登山の情報については同ガイドブック以外では適当なものが見当たらなかった。

  2002年の夏に初めてシャモニの町を訪れた時は、グランド・ジョラスの北壁を3回(そのうちの1回は僅か1日で)登ったことがあるというガイドのダビット氏と2週間の山行を共にしたが、ルートのコンディションが悪く、結局滞在中に同峰に登ることは出来なかった。 登山の合間に行ったモン・ブラン山群の山々を映し出す山上の湖で有名なラック・ブランへのハイキングで、メール・ド・グラスの最奥にストイックな面持ちで屹立する憧れのグランド・ジョラスの北壁を初めて自分の目で捉えることが出来たが、この時は不覚にも眼前に聳え立つエギーユ・ヴェルトの雄姿に一目惚れしてしまった懐かしい想い出がある。 難攻不落のドリュ(3754m)の大岩峰をその懐に従えて、緑濃い森の上に悠然と鎮座するエギーユ・ヴェルト(4122m)の純白の頂はとても魅力的であり、登攀の難易度はかなり高いことは知りつつも、いつの日かその頂に立ちたいと願わずにはいられなかった。 そしてこの時からこの山を私のアルプス登山の最終目標にしようと心に誓った。 意外にもガイドブックに記されている難易度の標記とは違い、エージェントの神田さんは「ジョラスは結構難しいので、ジョラスに登れたらヴェルトにも登れると思いますよ」とアドバイスして下さったことは記憶に新しい。 登頂の可能性が僅かにでも出てきたことで、グランド・ジョラスと共にエギーユ・ヴェルトへの憧れはますます強まっていった。

  翌年の2003年の夏にマッターホルンに続き運良くアイガーの頂にも1回のチャンスで登ることが叶った私は、一つの遊び心で目標にしていた“アルプスの3大北壁を擁する山の一般ルート”のフィナーレを飾るべく、昨年グランド・ジョラスを目指してシャモニを再訪したが、直前に降った未曾有の大雪のためB.Cの山小屋(ボカラッテ小屋)が小屋じまいしてしまうという珍事に見舞われ、再びスタートラインに立つことすら出来なかった。 “アルプスの3大北壁〜”なる安易な発想は自然界では通用せず、当初マッターホルンやアイガーに比べて易しいと勝手に思い込んでいたグランド・ジョラスの頂はますます遠ざかっていくように思えた。

  ところで今年で7年連続となる私(達)のアルプス詣は、すでにライフワークの一部にもなってしまった感がするが、昨年の登山計画が大雪の影響等で全て実行されなかったため、今年はその計画を殆ど修正することなしに実行することにした。 即ち、シャモニをB.Cとして第一目標であるグランド・ジョラスを筆頭に、エギーユ・ヴェルト(下見を含む)、昨年ガイドのジジ氏も“とても美しい山”と絶賛していたグラン・コンバン(4314m)、ジョラスやヴェルトと同様2002年の夏に初めてその雄姿を拝んだエクラン山群の名峰ラ・メイジュ(3983m)、そして昨年登頂直前で涙を飲んだリスカム(4527m)を加えた5座をシャモニのガイドと登るという計画である。 もちろん過去の経験から、よほど運(天気)が続かない限りこの5座を全て登ることは不可能であろう。 だが可能な限り最大限のふろしきを広げて臨むのが自分のスタイルなので、今回も欲張って目一杯の計画とした。 但し、ガイドの手配については神田さんからのアドバイスもあり、最初のグランド・ジョラスのみ予備日を1日設けて3日間ガイドを拘束し、その後のガイドの手配については天気と相談しながらその都度決めるということにした。 尚、今シーズンのガイド拘束料は一日265ユーロ(邦貨で約39800円)とのことであった。 この計画を実行するため、シャモニでの滞在日を8月18日〜9月2日(現地日付)の実質16日間とし、航空券についてはいつもどおり旅行会社のH.I.Sに依頼したが、ユーロの値上がり(出発時のレートは@150円)により滞在費用も大分嵩むようになってきたので、今年はホテルでの宿泊をやめて短期契約のアパートを試してみることにした。 早速シャモニの神田さんの事務所であるアルプ・プランニング・ジャポン(A・P・J)に照会してみたところ、しばらく時間は掛かるが希望(予算)に合った物件を手配していただけるとのことで、バスタブ・冷蔵庫・テレビのある部屋で@10000円以下の物件の手配をお願いすることにした。 航空券はマレーシア航空の安いチケット(@121000円)が手に入ったが、年初からの原油の高騰による燃料代のチャージが@30000円も掛かった。 アパート探しは1か月ほど時間が掛かったが、@51ユーロ(邦貨で約7650円)で希望どおりの物件が見つかった。 初めて利用するアパートは色々と不安な面があったが、結果的には全ての面でホテルよりも快適であった。

  GW明けの週末は悪天候続きで、事前の“訓練山行”はままならなかったが、ここ数年アルプスに通っている経験から体力面では心配は要らないと思ったが、これは大変なおごりであったことを本番で思い知らされることとなった。 7月からアルプスでガイドとして活躍されている近藤謙司さんと江本悠滋さんが、日々の活動の様子や山や天気の状況をブログを通じてタイムリーに発信していることがとても参考になり、インターネットの有り難みを痛感した。 また昨年ネットで知り合った若松さんというフランス在住の友人ともシャモニで再会する約束を交わし、日本を発つ日にガイドの江本さんから「お互いの時間が合えば、シャモニでお会いしましょう」との嬉しいメールも届いた。 今回のアルプス山行は、山だけではなく色々な方との出会いが待っていそうな予感がした。

  【3度目のシャモニ】
  8月17日の早朝、今回も私をサポートしてくれる頼もしい相棒の妻と共に成田空港へと向かう。 毎度のことであるが、淋しがりやの私には一人旅は似合わない。 事前に起きた爆弾テロの未遂事件で空港の警備や荷物の検査が厳しいことが予想されたが、いつもとさほど変わらなかったので助かった。 ただ原油の値上がりにより、荷物の重量は今まで以上に厳しくチェックしているようだった。 出国時は自宅の体重計を使って計測出来るが、お土産で重たくなる帰国時はいつもこれが悩みの種だ。

  今回で2回目の利用となるマレーシア航空の便はam10:30に定刻どおり成田を出発。 乗り継ぎのクアラルンプールまでは所要7時間、時差は1時間である。 クアラルンプールでのトランジットは7時間半もあるが、ロビーにはリクライニングチェアもあり、昨年のモスクワ空港に比べたら遙かに快適である。 クアラルンプールから13時間半の長旅で翌朝のam6:30にチューリッヒのクローテン空港に到着。 こちらもテロの影響は無く、いつものように出国手続きはスムースであった。 別棟の地下にある列車のホームへと急いだが、予定していたジュネーブ行きの特急列車は車両故障のためか、20分ほど遅れて到着した。 途中の乗換え駅であるローザンヌでは接続の時間が殆ど無いので、もうこの段階でシャモニへの到着が1時間近く遅れることになってしまった。 さらにこの列車は途中のベルンで運転が打ち切られ、同駅から各駅停車の鈍行に乗り換えることとなり、のっけからつまずいてしまったが、この列車の遅れが原因で意外な出来事が待っているとは知る由もなかった。

  ローザンヌで運良く同じホームに待機していたブリーク方面行きの列車に飛び乗り、マルティーニで下車してシャモニ行きの登山電車を待つ間に、いつも利用する構内のパン屋に昼食のサンドイッチを買いに入ると、突然後ろから日本語で声が掛かった。 驚いたことに何と声の主はガイドの増井行照さんであった。 増井さんとは5年前にツェルマットで初めてお会いし、マッターホルン登山のアドバイスをしていただいたが、帰国後すぐに今度は北アルプスの山中で偶然再会するというご縁があった。 今回のグランド・ジョラス登山についてもその後増井さんから手紙でアドバイスをいただいていたが、まさか増井さんとの偶然の再会がこんな所であるとは夢にも思わなかった。 今年もツェルマットでマッターホルンのガイドをされていた増井さんが何故ここにいるのか訊ねたところ、8月に入ってからツェルマット周辺はそれまでの晴天や猛暑が嘘のように気候が激変し、度重なる降雪でマッターホルンは昨年同様全く登れない状況になってしまい、そのままお客さん(秋里さん)と滞在期間中ずっと寒々しいツェルマットにいても仕方がないので、帰国前に1泊2日でグリンデルワルトへ観光に行くつもりでいたが、今朝の天気予報を見て予定していたグリンデルワルト行きも急遽取り止め、少しでも天気が良さそうなシャモニに行き先を変更されたとのことであった。 お互いに計画通りであれば、この偶然の再会はなかったであろうから、私達のみならず増井さんも大変驚かれていた。 シャモニまでの車中では増井さんや秋里さんと山談義に花を咲かせたことは言うまでもない。 国境の駅で登山電車を乗り換え、シャモニの谷へと下っていくと、不意に青空の下にドリュを従えたエギーユ・ヴェルトが姿を現し、皆一様に窓から身を乗り出して写真を撮った。 私にとっては憧れの山が見えたことが、またお二人にとっては久々の青空と山がとても嬉しかったようだ。 秋里さんは大きな一眼レフのカメラであり、増井さんも写真にはかなり造詣が深いようであった。

  結局、予定より1時間近く遅れてpm1:00過ぎにシャモニへ到着。 お二人はまだホテルが決まっていないので、これから探しに行かれるとのことであった。 せっかくの機会なので再度お二人と待ち合わせ、夕食をご一緒させていただくことにした。 日本でレンタルした携帯でA・P・Jの事務所に電話を入れると、数分後にスタッフの岡村(貴)さんが駅まで迎えにきてくれた。 早速宿泊するアパートに案内してもらうことになったが、意外にもアパートは駅から僅か1分足らずのメインストリート沿いにあり、まずはその立地条件の良さに驚かされた。 3階の部屋に案内してもらうと、室内も想像していた以上に広く、収納式のシングルベッドが2つ、4人掛けのテーブルと椅子、ソファーが2つ、備付けの大きなクローゼットと背の低い収納家具も使い勝手が良さそうであった。 また、電気調理器、冷蔵庫、オーブンが備えつけられた台所には食器や鍋・フライパン等の調理器具が豊富にあり、大きなバスタブ付のお風呂も希望どおりであった。 さらには南向きの窓からはモン・ブランやシャモニ針峰群が良く見え、この条件でホテル代の約半額で泊まれるとはとても割安な感じがした。 ただテレビのアンテナがなく画面がちゃんと映らなかったのは、いかにもフランスといった感じであった。 一通りの説明を受けた後、お茶を飲みながら岡村さんとしばらく歓談すると、この物件(部屋)は日本でいうところのいわゆるリゾートマンションの一室で、この物件のオーナーは自分が使わない時期は不動産屋を介して他人に貸しているようであった。 シャモニでは夏よりも冬のスキーシーズンの方が盛況とのことであり、夏は比較的このようなアパートが空いているようであった。 意外にも岡村さんは夏の期間だけアルバイトで一緒に働いている妹さんと二人で神田さんの家に居候されているとのことであった。 岡村さんから明日のpm6:00にここで神田さんとガイド氏を交えてグランド・ジョラスのミーティングをする旨の伝言があった。

  岡村さんを見送り荷物の整理を終えてから、友人の若松さんの携帯へ電話をかけてみたが、何度かけても繋がらなかった。 日本でレンタルした携帯は使い勝手の悪さも手伝って、滞在期間中最後まで私達を悩ませることになった。 仕方なく自宅の電話にかけてみたところ、何故かこちらには繋がり、アパートの所在地を伝えて一週間後の土曜日にこちらで会う約束の再確認をした。 若松さんは私達と会うためわざわざシャモニに2泊された後、フランスの友人とツェルマットまでのオート・ルートの縦走を計画されているとのことであった。 つい先日も長期に亘ってエクランやヴァノワーズの山々を踏破されたばかりであり、そのバイタリティには本当に脱帽である。 アパートから最寄りのスーパーマーケット『カジノ』までは歩いて1分ほどで、とても便利であった。 いつものようにミネラルウォーター、ジュース、野菜、牛乳、卵、ハム、チーズ、スパゲティ、缶詰、その他の食料品、そして今回はそれらに加えて来客用のビールを買った。

  約束したpm7:00に増井さん達と『スネルスポーツ』で落ち合い、増井さんがシャモニに来た時は必ず行かれるという『アトムスフェアー』というアルブ川沿いのレストランに入る。 増井さんはスネルスポーツで神田さんと情報交換をしながら、明日の帰国のためのジュネーブまでの車の送迎の依頼と商売道具である登攀具等の買い物をし、秋里さんはブレヴァンの展望台(2525m)に行かれ、モン・ブランを眺めながら写真を撮られていたとのことであった。 お店にはちょうど4種類のディナーメニューがあったので、一つずつ注文して皆で取り分けることにした。 秋里さんは山男らしく酒豪であったが、意外にも増井さんは私と同様アルコールは苦手な方であった。 いつもであれば初日の夕食は自炊で簡単に済ませるところを、のっけから美味しいフランス料理?に舌鼓を打つことになり、妻は満足そうであった。 また増井さんは意外とグルメで、ツェルマットでも夕食はいつも美味しい店で楽しまれていたとのことであった。 食事中にあらためて増井さんの山やガイドの経歴等を伺ったところ、意外にも40歳過ぎまで普通のサラリーマンをされ、地元の山岳会の会員にホームゲレンデである御在所の岩場で長年クライミングの指導をされていたとのことであり、今のガイド業もその延長線上にあるとのことであった。 秋里さんもベテランの山ヤさんで、皆で山談義をしているとあっと言う間に時間は過ぎていった。 注文した白ワインが1本空いたところでレストランを出て、3年前に滞在したホテル『クロワブランシュ』のテラスのカフェで酔い醒ましのカフェオーレを飲み、私達のアパートの部屋にお二人を招いた後、再会を誓い合って解散した。


登山電車の車窓から見たレマン湖とダン・デュ・ミディ(オート・シーム)


登山電車の車窓から見たドリュ(右の岩塔)を従えたエギーユ・ヴェルト


登山電車の車窓から見たシャルドネ


登山電車の車窓から見たシャモニ針峰群


登山電車の車窓から見たドリュ(中央右)とエギーユ・ヴェルト(中央左)


シャモニで滞在したアパート


アパートの部屋


ガイドの増井さんと5年ぶりに偶然再会する


ガイドの増井さんらと夕食を共にする


  8月19日、am7:30起床。 山々には雲が湧き、モン・ブランやエギーユ・デュ・ミディは見えないが、シャモニ針峰群は辛うじて雲の合間から見える。 今日から私の朝の日課となるであろうパン屋への朝食の買い出しとガイド組合(シャモニ山の家)へ天気予報を見に行く。 山の家の入口に貼り出されているインターネットのシャモニ地域の天気予報によると、今日と明日は曇りがちであまり良い天気ではないが、グランド・ジョラスのアタック予定日である明後日からはしばらく好天が続くようであった。 町中にはパン屋はいくつかあり、どこで買おうか迷うところであるが、山の家の近くに行列が出来ている店が目にとまり、結局滞在期間中はずっとその店で買い続けることになった。 さすがにパンが主食ということだけあってその種類はとても豊富で、長さや形の違うフランスパンが10種類以上あったが、殆どの人は80センチほどの一番細長いフランスパン(1ユーロ)を買っていた。 今日は少し割高ではあるが、その半分ほどの長さで値段がほぼ同じ少し高級そうな感じがするフランスパンとクロワッサンを試すことにした。 メインストリートの脇の通りでは毎週土曜日だけに催されるという朝市の準備が進められていて、業者が車の荷台やテントに所狭しとチーズや惣菜、魚介類等の生鮮食料品を並べていた。 アパートに帰ると妻が朝食の準備をしていてくれたので、ちょうど良い朝の散歩となった。

  今日は明日からの登山に向けての高所順応と雪上訓練をするため、費用は高いが一番効率的なエギーユ・デュ・ミディの展望台に行く予定である。 天気が悪ければ行き先もブレヴァン等に変更しようと思ったが、青空も少し覗くようになってきたので、時間は少し遅くなったが予定どおりミディの展望台に行くことにした。 am11:30に町外れのロープウェイ乗り場に着いたが、天気がすぐれないためか観光客の姿はまばらであった。 ミディの展望台までのロープウェイの往復の料金は昨年より1ユーロ値上がりして@36ユーロ(邦貨で約5400円)であった。 車窓からはブレヴァン方面からの沢山のカラフルなパラグライダーが空を舞っているのが見えた。 「今年もまた山(グランド・ジョラス)に登れなかったら、今度こそあれをやろう」と妻に提案する。 予想どおり中間駅のプラン・ドゥ・レギーユを過ぎると雲や霧で視界は悪くなり、間近に迫るシャモニ針峰群がとても寒々しく感じた。

  ミディの駅舎で身支度を整えて外の展望台に出てみたが、依然として視界が悪くまた風も強かった。 ヴァレー・ブランシュに下りるナイフリッジは人気のルートなので時折人影は見えるものの、コンディションはかなり悪そうで、登下降共に相当難儀しているように見えた。 ヴァレー・ブランシュでの雪上訓練はしばらく様子を見ることにして、天候が回復するまで展望台までの階段の登り下りをすることにした。 階段は数えてみると合計で102段あり、高度計での標高差は25mであった。 寒々しい天候のため観光客は皆無で、わざわざこんなバカなことをする変人はいないと思っていたところ、程度の違いはあれ一人の外国人の“同志”がいたのが嬉しかった。 ゆっくりではあるが、休まずに展望台まで10回ほど階段を往復すると、少し青空が覗くようになり、また風も収まってきたので、満を持してヴァレー・ブランシュへ下ることにした。 鉄柵を乗り越えて雪上でアンザイレンした後、新調した登山靴と10本爪のアイゼンを初めて試す妻を先頭に明瞭なトレイルをコンティニュアスで慎重に下る。 視界が利かなくなることを想定し、要所要所で足を止めて後ろを振り返る。 途中一か所だけ足場の脆い急斜面があり、そこだけ確保し合いながら下り、最初の平坦地まで下りる。 幸いにも天気は悪化せず、展望台が見えなくなることはなかった。 まだ下から登ってくるパーティーも見えたので、もう一段下ったシャモニ針峰群への縦走路のトレイルとの分岐まで下ることにしたが、ここから下は斜度も緩く雪上訓練にはならないので、無理をせず展望台から標高差で150m位の所で登り返すことにした。 天気には恵まれなかったが適度な緊張感もあり、結果的には訓練にはちょうど良かった。 ミディの駅舎で装備を解き、行動食を食べながら更に1時間ほど粘って肺を拡げ、pm5:00にロープウェイでシャモニへ下った。

  アパートに帰ると間もなく、神田さんがアパートを訪ねてこられた。 神田さんは開口一番「初めて来たけど、良い部屋だね!」と私達同様に驚いていた。 間もなくガイド氏も車でやってきた。 神田さんが「彼の名前はクリストフ、ガイド歴は13年で今一番脂が乗ってるとても良いガイドだよ」と太鼓判を押しながら紹介してくれ、早速こちらも自己紹介しながらガイドのクリストフ・ブグ氏と握手を交わしたが、神田さんの紹介とは裏腹に私達より少し若く(後で訊ねたら39歳であった)思えた氏のお腹の周りもだいぶ脂が乗っているように見えた。 私のアルプスの山に対する情熱を氏に伝えるため、日本で用意したアルプスの20余峰の“登頂リスト”を見せた。 お二人にビールを勧めながら、あらためて神田さんにグランド・ジョラスを始め今シーズン私達が希望している山々の現在のコンディション等を訊ねたところ、ジョラスは神田さんの知る限りでは7月に2〜3人の日本人がノーマルルートで登頂しているが、8月に入ってからは天候不順で入山者が少なくコンディションは不明であり、また予想どおりエギーユ・ヴェルトは核心部のウインパー・クーロワールの雪が痩せ、今シーズンは絶望的であるとのことであった。 逆にシャモニ周辺で現在登れるのは、岩山ではダン・ジュ・ジェアン、クルト(隣のレ・ドロワットも可能かもしれない)、プチ・ヴェルト、雪山ではリスカム、エギーユ・ド・ビオナセイとのこであった。 また、当初ジョラスはガイドと1対2で行けるのではないかと考えていたが、通常は1対1でないと駄目ということが分かった。 神田さんから明日も天気はあまり良くないので、明日からのジョラスの登山日程を1日ずらした方が良いとのアドバイスがあり、再び明日のpm6:00にスネルスポーツで氏を交えて最終的なミーティングをすることとなった。 神田さんらを見送り、夕食を自炊して食べた後、若松さんに電話を入れ、ジョラスの登山日程は1日ずれたが、何とかスタートラインに着くことが出来そうになったことを報告した。


フランス山岳会


山の家(ガイド組合)の近くにあるパン屋


長さや形の違うフランスパンが10種類以上ある


メインストリートの脇の通りで毎週土曜日だけ開催される朝市


高所順応のためエギーユ・デュ・ミディの展望台で階段を登り下りする


高所順応のためヴァレー・ブランシュへのナイフリッジの雪稜を下る


神田さんとガイドのクリストフ氏にアパートで会う


  8月20日、am7:30起床。 前夜から降り始めた雨はまだ止んでいなかった。 山の家には後で行くことにし、日課であるパン屋への買い出しに行く。 予報以上に悪い天気に絶望し、早々に今日はハイキングには行かないことに決めた。 昨日に続きゆっくりと優雅に朝食を食べる。 こういう時の“我が家”はなかなか快適であり、今回のアパート滞在は正解であった。 しばらくして雨が止むと、急速に青空が広がり始めたが、モン・ブランの山頂までは望めない。 新雪に輝くグーテ稜はとても綺麗だが、登山には障害となっていることであろう。 今日一日は予報どおりの曇天となりそうだったので、ガイドの江本さんの携帯に電話を入れてみたが、生憎不在で繋がらなかった。 しばらくしてから町の散策に出掛けると再び雨が降り始めたが、変わりやすい天気のためまた30分ほどで止んでしまった。

  昼食前に今回も大変お世話になっているA・P・Jの事務所を訪ねる。 運良く多忙な美智子さんも事務所におられ、3年ぶりの嬉しい再会となった。 玄関先でお土産を渡して失礼するつもりが、コーヒーを御馳走になりながらついつい長居をしてしまった。 美智子さんの話では、4〜5年前に比べてシャモニを訪れる日本人観光客は激減したとのことであったが、これは今の日本が不況だということではなく、旅行業界特有の現象で、一種の“ブーム”であった団体ツアーが少なくなったためであるとのことであった。 シャモニ周辺には一般の登山客が登れる山はモン・ブランしかなく、他はクライミングの愛好家が訪れるだけなので、ブームが去れば一般大衆が押し寄せないのは自然の成り行きとのことであった。 意外にもシャモニを訪れる観光客(スキー客)はイギリス人が多いとのことで、彼らは単に本国から近いという理由からではなく、シャモニの町の雰囲気が好きなのだそうだ。 また今回の爆弾テロ未遂事件については、英国航空が直後に発表した機内持込品の規制を知らされていなかった大半の観光客がロンドンのヒースロー空港での乗継ぎの際に携帯・カメラ・登山用品等を没収されてしまい、当社もその対応に追われる日々がしばらく続いて大変だったとのことであった。 またグランド・ジョラスは7年ほど前に頂上付近のセラックが崩れ、落氷により登山者が7〜8名ほど亡くなった事故以来、再発の危険性があるため登山者が減っているとのことであった。 ガイドの増井さんも落氷の危険性について指摘されていたが、一般ルートでこれほど大きな事故があったとは知らなかった。 忙しい時間を割いて私達の暇つぶしに付き合ってくれた美智子さんに感謝してA・P・Jの事務所を後にし、再び町の散策を続ける。 今まで気が付かなかったのか、新しく出来たのか分からないが、スネルスポーツの近くに大きな書店があり、山岳書専門のコーナーには驚くほど沢山の山の写真集やガイドブックや地図が揃っていた。 どれもこれも興味をそそられる内容のものばかりで、思わず挿入写真の多い高価なエクラン山群のガイドブックを買ってしまった。 アパートに戻って昼食を食べた後に妻と教会へ行き、明日からの登山の成功を神に祈った。 山の家に天気予報の確認に行くと、山小屋へのアプローチをする明日はまずまずの天気で、アタック日である明後日とその予備日である翌日は共に快晴となっていた。 

  約束のpm6:00前にスネルスポーツへ行き、明日からの登山に備えて山岳保険(@58ユーロで2か月有効)の申し込みをする。 間もなくクリストフ氏も現れたが、天気が良さそうなのにも係わらず、なぜか氏は浮かない顔つきであり、昨日せっかく登頂リストを見せたのに、ユングフラウやグラン・パラディゾ等の山に振り替えることを神田さんを通じて提案しているようであった。 やはりルートのコンディションが良くないので氏は慎重になっているのだろう。 逆に私からルートのコンディションを神田さんを通じて氏に訊ねると、最近入山者が全くいないので、何とも言えないとのことであった。 しばらく神田さんと氏との間でやり取りが続いたが、最後は私の熱意に負けた神田さんが氏を説得し、予定どおりグランド・ジョラスに行くことになった。 明日のam9:30の店の開店時間に合わせてここで待ち合わせることにして打ち合わせは終了した。

  モン・ブランの山頂も見えるようになり、天気の回復の兆しが見えてきたので足取りは軽い。 食料品を『スーパーU』で買ってからアパートに戻り、再びガイドの江本さんの携帯に電話を入れてみると今度は運良く繋がり、初めて江本さんとお話をすることが出来た。 江本さんはシャモニの天気が悪かったのでイタリア方面でクライミングのガイドをされていたとのことであり、今日はシャモニに帰るのが遅くなるので、また明日以降でお互いにスケジュールが空いた時にお会いしましょうと提案してくれた。 夕食後は若松さんからわざわざ電話があり、グランド・ジョラスの登頂の成功を祈念された。


アパートのベランダから見たシャモニ針峰群


山の家(ガイド組合)


教会で明日からの登山の成功を神に祈る


  【ボカラッテ小屋】
  8月21日、am7:30起床。 シャモニに来てから初めての快晴の天気だ。 抜けるような爽やかな青空を背景にモン・ブランとエギ−ユ・デュ・ミディの頂が朝日に照らされて輝いている。 昼食は今日泊まる山小屋(ボカラッテ小屋)に着くまではとらないと思われるので、朝食を遅めに食べてam9:00過ぎにサポート役の妻と共にスネルスポーツへ向かう。 途中、念のため山の家に天気予報の確認に行くと、明日・明後日共に晴れの予報に変わりなく安堵する。 神田さんからボカラッテ小屋に宿泊の予約の電話を入れてもらい、予定どおりam9:30にクリストフ氏の車でシャモニを出発する。 日曜日であったが、午前中の早い時間帯のせいかモン・ブラン・トンネルの渋滞は全くなかった。 トンネルを抜け、イタリア側のアントレーヴの村から僅かに山道を辿ると、シャモニから30分ほどで登山口であるプランパンシュー(1595m)のキャンプ場に着いた。 駐車場の周囲にはロッジやレストランがあったため、人出は思ったより多く、車も数十台停まっていた。 今回は天気が良くてもルートのコンディションによっては登れないかもしれないので、せめてグランド・ジョラスの雄姿を下から拝み写真に収めたかったが、生憎昨日までの雨が雲を呼び、その願いは叶えられなかった。

  am10:15に駐車場を出発。 すぐに『ボカラッテ小屋まで3時間30分』という真新しい標識が目にとまったが、その後は山小屋まで標識は一切なかった。 ガイドブックに記されているように、小さな教会の脇を通ると樹林帯の中のハイキングトレイルは徐々に勾配を増し、5mほどの高さの樅の木が点在するようになると次第に山々を覆っていた雲はちぎれ、雪を身に纏った岩峰が見えてきた。 念のためクリストフ氏に山の名前を訊ねてみると、紛れもなく昨年辿ったエギーユ・ド・ロシュフォールとその隣接峰のドーム・ド・ロシュフォールのピークであった。 間もなく森林限界となったが、山肌の草原には可憐な高山植物はあまり見られず、唯一ヤナギランがそこら中に群生し、バッタのような虫の音がうるさいほど響いていた。 氏がブルーベリーの木を教えてくれ、皆で摘み取って食べたが、あまり美味いとは思わなかった。

  登山口からちょうど1時間登ったところで、氷河から流れ出す沢を見下ろすちょっとした広場のような所で休憩となった。 登山口から400m以上の標高差を稼ぎ、麓のキャンプ場はすでに眼下に見えた。 この辺りからトレイルは少々険しくなり、氷河の舌端を見上げながら大小の岩屑の中を通るアルペンルートとなった。 相変わらずグランド・ジョラスの頂は望めなが、雲が夏の陽射しを遮ってくれるお陰でアプローチの登高にはちょうど良い。 時々陽が射し青空が覗くと、目上の寒々しい景色は一変し、岩と氷河の織りなす素晴らしい景観が蘇る。 時々ポツリポツリと上から下ってくる人がいるが、皆一様に軽装のハイカーで、登山者らしき人はいなかった。 固定ロープの付けられた急斜面の岩場を登りきると、間もなくプランパンシュー氷河を見下ろす崖の上にへばりつくように建っている小さなボカラッテ小屋(2804m)に着いた。 クリストフ氏のペースは決して速くはなかったが、まともな休憩を1回しか取らなかったので、駐車場から僅か3時間足らずであった。 猫の額ほどの狭いテラスからはフェレの谷を挟んで対峙する3000m級の緑の山並みの向こうに、真っ白なグラン・パラディゾ(4061m)が遠望された。

  山小屋を切り盛りしている若夫婦は、ご主人がアメリカ人で奥さんがイタリア人ということであったが、お二人共とても優しく親切な方で、珍客である私達を歓迎してくれた。 奥さんは日本の文化に興味があるようで、京都にも来られたことがあるとのことであった。 こぢんまりとした山小屋はアイガーのミッテルレギヒュッテよりも更に一回り小さく、食堂には簡素なテーブルセットが3組置かれ、隣合わせの寝室は蚕棚の3段ベッドで20人寝れば一杯であった。 先客のハイカーが一人いたが、間もなく下山していったので、小屋には私達だけとなった。 宿泊の手続きはクリストフ氏がしてくれたので、スープとパスタ(ペンネ)を注文してお腹を満たす。 意外にも今シーズンは7月を中心に多くの日本人がこの山小屋を訪れたようで、宿帳には8名もの名前が記されていた。 いつものように私達の足跡を宿帳に残したことは言うまでもない。

  昼食後はクリストフ氏の提案で明日の登攀ルートの下見に行くことになった。 明日に備え高度計の数字を山小屋の標高に合わせる。 妻も同行を許されたので一緒に登ることにする。 山小屋の裏手の岩場をひと登りすると、所々に小さなケルンが積まれた岩屑のアルペンルートとなったが、間もなくトレイルは新雪で埋もり、膝ぐらいまで雪にもぐるようになった。 幸い天気は尻上がりに良くなり、眼前にはロシュフォールの岩峰群が圧倒的な迫力で望まれた。 氏を先頭に新雪をラッセルし、しばらく登り続けると、プランパンシュー氷河への取り付き点に着いた。 高度計の標高は3040mで、山小屋からの標高差は約200mほどであった。 下見はここまでなのか、氏はザックを下ろし手で穴を掘りはじめた。 明日のための目印を作っているのかと思ったら、何と“弱層テスト”をしていた。 氷河を見上げながら明日辿るルートを氏が説明してくれたが、度重なる降雪により氷河上に刻まれたトレイルは皆無であり、肝心の山頂方面の景色も右手の大きな岩尾根に隠されていて全く見えなかった。 いずれにしても明日実際に登ってみなければ核心部のコンディションは分からないので、この一般ルートを数回登ったことがあるという氏の経験に委ねるしかないようだ。

  帰路は急ぐ必要は全くないので、周囲の景色の写真を撮りながらゆっくりと下る。 山小屋に戻ると、お客さんが3名ほどテラスで日向ぼっこをしていたが、間もなく彼らも下山していったので、やはり今晩は私達だけで貸し切りとなり(必然的に明日の登山は私達のパーティーのみ)そうであった。 明日は長い一日になりそうなので、夕食の時間まで遅い昼寝をする。 クリストフ氏もアイポットで音楽を聴きながらベッドにもぐり込んだ。 最近ではしばらく人肌に触れていないせいか毛布はとても冷たく、3枚掛けてもまだ寒かった。 

  夕食の時間が近づき、そろそろ起きようかと思った時、何やら隣の食堂が騒がしくなった。 驚いたことにこの時間になって数人のパーティーが到着したようであった。 東洋人である彼らの姿は目に入ったが、日本語の響きが聞こえてこないので不思議に思ったところ、クリストフ氏から彼らはネパール人であり、パーティーのリーダーは氏の知り合いのフランス人のガイドであると教えられた。 氏はさらに、毎年ちょうどこの時期はネパールのクライミングシェルパの精鋭達がフランス山岳会の招きで登山の研修にシャモニを訪れているということを教えてくれた。 たまたま今回の研修の対象に選んだ山がグランド・ジョラスだったようだ。 意外にもシェルパ達はすぐに自炊で夕食の準備に入り、静かだった山小屋はにわかに活気づいた。 予期せぬ“同志”の登場に心が弾み、彼らに片言の英語で話しかけてみると、メンバーの中にはエベレストの頂に数回立ったことがあるという猛者もいて驚いた。 また、意外にも若い彼らが知っていた唯一の日本人の登山家は、女性でエベレストを初登頂した田部井さんということであった。 和やかに“ネパール隊”のパーティーと写真を撮りあうと、意外にも彼らの持っていたカメラは全て日本製のデジカメであり、時代の流れを感じた。 夕食を食べながら、「明日はネパール隊の精鋭達がルート工作やラッセルをしてくれるので楽勝ですね!、左団扇で彼らの後をついて行きましょう」と笑いながらクリストフ氏に投げかけると、氏も「ラッキー!」とおどけていた。 当初は私達だけの孤独で困難な登攀が予想されたが、彼らの出現により登頂の可能性がにわかに高まったような気がして嬉しかった。 果して彼らは“救いの神”となるのであろうか?。


シャモニに来てから初めての快晴の天気となる


登山口のプランパンシューのキャンプ場


樅の木が点在するトレイルから見たドーム・ド・ロシュフォール


固定ロープの付けられた急斜面の岩場を登る


プランパンシュー氷河を見下ろす崖の上にへばりつくように建っているボカラッテ小屋


山小屋のテラスから見たアントレーヴの村


山小屋のテラスからが遠望したグラン・パラディゾ


山小屋の先から見たドーム・ド・ロシュフォール(右)とエギーユ・ド・ロシュフォール(左)


プランパンシュー氷河への取り付き点    背景はドーム・ド・ロシュフォール


クレバスの多いプランパンシュー氷河


山小屋の寝室


山小屋の食堂


ネパールのクライミングシェルパの精鋭達


山小屋を切り盛りしている若夫婦はとても優しく親切だった


  【グランド・ジョラス】
  8月22日、am3:00起床。 昨夜は珍しく熟睡したようで、夜中にトイレに起きなかった。 私達よりも遅く寝たネパール隊はすでに起きていて、静かに出発の準備をしていた。 外のトイレに行くと空は満天の星空であったが、月は山の陰に隠れているのか見えなかった。 クリストフ氏からハーネスは着けずに出発しますとの指示があり、慌てることもなくゆっくりと朝食をとる。

  am3:45、「セ・パティ(出発)!」とクリストフ氏と声を掛け合い、妻に見送られてネパール隊より一足先に出発する。 昨日の下見が功を奏して、ヘッドランプの灯でも充分にルートが分かる。 氏は昨日同様のちょうど良いペースでリードしてくれ、標高もまだ低いので呼吸も楽だ。 30分ほどで楽々と標高差200mを稼ぎ、プランパンシュー氷河への取り付き点に着いた。 氏の指示によりアイゼンとハーネスを着けていると、間もなくネパール隊が追いついてきた。氏とネパール隊のフランス人のガイド氏が、何やら言葉を交わす。 彼らはすでにハーネスを着けていたので、ここからは彼らが先行するであろうと思ったが、またほんの少しの差で私達が先行することになった。

  クリストフ氏とアンザイレンし、いよいよ憧れのグランド・ジョラスへの登攀が始まった。 氷河の雪は昨日の柔らかさが嘘のように固く締まり、斜度もきつくないのでアイゼンでの登高は全く快適である。 また風も今のところ殆ど無く体調も万全であり、さらには間もなく私達を追い抜いていくであろうネパール隊の“ルート工作?”により、登頂の可能性が高まり心が弾んだ。 間もなく斜面の傾斜は急になり、直登を避けてアイゼンの爪を利かせながらジグザグに斜上するようになると、氏のペースも幾分速くなった。 意外にもネパール隊のヘッドランプの灯はまだだいぶ下にあり、また登るにつれてそれはどんどん離れていくような感じがした。 傾斜はますます急になり、所々で突然暗闇の中に出現するクレバスに架かるスノーブリッジをスピーディーにやり過ごす。 アンザイレンしているとはいえ全く気の抜けない状況が続き、一般ルートがヴァリエーションルートのように感じる。 トレイルの付いたルートは心理的な安堵感をもたらし、それはそれでとても有り難いことであるが、今日のように全くそれが無い山の魅力は別の意味で本当に計り知れない。 こんな凄い経験が出来るのもアルプスのガイド登山の魅力であろう。

  まだ明けきらない夜空の下、左手にモン・ブランの白い山肌が微かに望まれる。 余裕という感じには程遠いが、シーズン初めの山とは思えないほど順調に足は前に出て、繋がれたザイルがピンと張られることもなく、取り付きから1時間半ほどでガイドブックに記されている『レポゾワールの岩場』と呼ばれる岩稜帯の基部に着いた。 ここはグランド・ジョラスのピークの一つであるエレーヌ・ピーク(4045m)に突き上げている顕著な岩稜の末端である。 振り返ると、ネパール隊のヘッドランプの灯は遙か遠くになっていた。 昨夜の山小屋の若主人の話では、この2週間誰も山頂を踏んでいないとのことだったので、もし仮にネパール隊が期待外れ?だった場合には今日一日はクリストフ氏の経験と技術だけが頼りである。 同じような状況であった一昨年のオーバーガーベルホルン登山のことをふと思い出す。 ここで短い休憩となり、温かい紅茶で行動食を胃に流し込んだが、残念ながら周囲はまだ真っ暗闇で写真は撮れなかった。 意外にも氏からヘルメットを被るようにとの指示はなく、結局今日一日氏共々被ることは無かった。 氏の発想ではあくまでヘルメット装着の有無は、自己責任の範疇なのであろうか?。

  5分ほど休憩した後、am5:45に行動を再開する。 眼前の急な岩場に取り付くのかと思ったが、クリストフ氏は岩場を右に迂回し、岩場の淵に沿って急な雪壁を登り始めた。 確かガイドブックでは、ここからは岩稜を忠実に登ると記されていたはずだが・・・と不思議に思っていたところ、間もなく氏は躊躇無くミックスではあるが手掛かりの多い所から岩場に取り付いたので、ルートを知り尽くしている氏の後ろ姿が頼もしく感じた。 夜も白み始め、間もなくヘッドランプは不要になった。 殆どが新雪とのミックスとなっているこの岩場では基本的にスタカットで上からの氏のコールに合わせて私が登ることを繰り返す。 新雪であるが雪は固く、また誰も取り付いていないためルートも荒れていないので、逆に雪を上手く利用してステップを作ったりしながら臨機応変に攀じっていく。 ありがたいことに風が全く無いので、多少困難な所でも落ちついて登ることが出来た。 所々に少々古いが先人達の残したハーケンやスリングが見られ、一般ルート上を忠実に辿っていることが分かった。 岩稜は次第に易しくなり、コンティニュアスで登れるようになったが、先ほどまでの全身を使った登攀で体内の酸素が欠乏したためか足が急に重たくなり、氏のペースについていくのがやっとの状態になってしまった。 苦しさを紛らわすために、高度計の数字をちょくちょく見ながら、稼いだ標高と残りの標高を頭で計算しながら登る。 岩稜帯の基部から1時間近く岩を登り続けると傾斜は一旦緩み、所々で岩が露出している緩やかな雪稜となった。 それとは対照的に先ほどからの体のバテ状態は回復せず、ドラマチックな早朝の景色の変化を楽しむ余裕も無くなりつつあったが、すでに夜は明け、モン・ブランの山頂の雪がうっすらとピンク色に染まり始めていた。 図らずもその直後に休憩となり、黎明のモン・ブランとロシュフォールの峰々、朝焼けに染まりつつある遠くのグラン・パラディゾ方面の山並みの景色を写真に収めることが出来た。 一方、頼みのネパール隊はすでに視界から消えていた。

  短い休憩の後、次第に傾斜を増していくミックスの岩稜をそのまま登り続けるのかと思ったところ、クリストフ氏は躊躇無く右手のカール状の雪面(グランド・ジョラス氷河)を真横にトラバースし始めた。 45度ほどの急斜面の長いトラバースであったが、ピッケルを深く刺し込みながら一歩一歩慎重に氏の切っていくステップに足を置き、コンティニュアスで進む。 これはルートを知り尽くしたガイドとのマンツーマンだから出来る代物であり、ガイドレスでのコンティニュアスはとても危険である。 10分ほどでスリリングなトラバースを終えると、グランド・ジョラスのピークの一つであるウインパー・ピーク(4184m/1865年にエドワード・ウインパーが当時未踏峰であったエギーユ・ヴェルトの偵察をするために、同じく未踏峰であったグランド・ジョラスに登った時の最高到達点を記念して命名された)から派生している急峻な岩稜の末端近くに着いた。 ガイドブックにはこの岩稜は下降時に良く使われるが、条件が良ければこの岩稜を直上してウインパー・ピークを登った後、雪稜を辿って最高点のウォーカー・ピーク(4208m)に登ることも出来ると記されているが、氏はここでも躊躇無く岩稜を少しだけ登ってから乗越し、さらに右手の先ほどより長いが傾斜は緩い雪面をトラバースしながら緩やかに斜上していった。

  間もなく頭上に巨大なシャンデリアのような芸術的なセラック(氷塔)が見えた。 これがあの悪名高い(過去に死亡事故のあった)セラックであろう。 朝陽が当たり始めた氷の“芸術作品”は見事であるが、落石ならぬ落氷が頻発する危険地帯だ。 クリストフ氏は「ここからは少し急ぎましょう!」と指示し、足早に5〜6分でセラックの真下を通過すると、先ほどまでの急登の連続が嘘のように傾斜のない広大な雪のテラスとなった。 イタリア側の空には見渡すかぎり雲一つなく、天気予報どおりの晴天が期待出来そうだ。 安全地帯に入ったので氏のペースはとてもゆっくりとなり、間もなく予想どおり氏から休憩の指示が出た。 時刻はam7:45を、高度計はすでに4000m近くを表示していた。いつも忙しそうに行動食を頬張りながら周囲の写真を撮っている私を見かねてか、氏は頼んでもいないのに私からカメラを預かり、モン・ブランを背景に写真を撮ってくれた。 全く後続してくる気配の感じられないネパール隊の動向について氏に投げかけてみると、氏は「彼らは昨夜氷河の水で炊事をしたためお腹をやられ、途中で引き返したのでしょう!」と笑いながら言い放った。 さらに氏は「あそこの稜線を上がれば山頂ですよ!」と説明してくれたが、その表情と口調には一昨日の最終打ち合わせの時とはまるで違う、穏やかな余裕の雰囲気が感じられた。 すでに核心部や危険地帯を過ぎ、登頂の確信を得たのであろうか?。 しかしどんなに標高を稼いでも、また天気が良くても、この先で不測の事態により登攀不能になればそれまでなので、過大な期待は持たないよう肝に命じる。 僅か5分ほどの休憩であったが、緊張感が持続しているためか短くは感じなかった。

  最後の?休憩後、しばらく緩やかな雪の斜面を登り、左手に進路を変えてミックスとなっている岩稜に再び取りつく。 朝陽が背中に当たり始め、体だけではなく不安な心まで暖めてくれる。 先ほどまでの急峻な岩稜の登攀と比べると遙かに易しい幅の広いミックスの雪稜の登高に緊張感もだいぶ薄らいできた。 ただ登り始めの快調さが嘘のように、ますます足が言うことをきかなくなり、今度は山とではなく自分との闘いになってきた。 間もなく傾斜は緩み、岩は視界から消え、あとは単調な雪の斜面が東の方向に延々と続いていた。 クリストフ氏と結んだザイルは弛むことが無くなり、まるで荷物のように氏に引きずられていく。 余りの私の変わりように氏が心配して立ち止まり、「苦しいのは呼吸ですか、それとも足ですか?」と聞いてきた。 とっさに造り笑顔で「両方です!」とジェスチャーを交えながら答えると、氏は何故か納得したように微笑んだ。 高度計の数字はすでに4100m台を示しているが、左手には山頂(ウォーカー・ピーク)より僅か20mほどしか低くないウインパー・ピークがまだまだ目線よりも高く聳えている。 “こんなことではヴェルトには登れないぞ!”と自らに檄を飛ばす。 風が急に強まり、氏を呼び止めてジャケットを着込む。 束の間の休息の後、心の中で数字を数えながら一歩一歩鉛のように重たい足を前に踏み出す。 100まで数えるとまた1から数え直す。 最後の最後で行く手を阻む悪魔の悪戯が無いことを祈りながら、今の私に出来ることはただそれだけだ。 日頃のトレーニング不足を思い知らされたが、もうすでに後の祭りだ。 有り難いことに先ほど一瞬強まった風も次第に収まっていった。

  不意に雪面の傾斜が無くなり、間もなくクリストフ氏がこちらを振り返り、ザイルをゆっくりと束ね始めた。 青空以外には何も見えなかった空間の向こう側に、ドロワット(4000m)やクルト(3856m)を従えてメール・ド・グラスから屏風のように屹立している憧れのエギーユ・ヴェルトの雄姿が悠然と望まれた。 憧れのグランド・ジョラスの頂に辿り着いたのであった。 “ああ、ついにあの長谷川恒男さんが世界初の北壁冬季単独登攀を成遂げた山の頂に自分も立つことが出来たんだ!”と抑えきれない感動が沸き上がってくる。 「メルスィー・ボクー!!、サンキュー・ベリー・マッチ!!」。 氏と力強く握手を交わし、肩を叩き合って体全身で喜びと感謝の気持ちを伝えた。 氏も私がひどく感動している姿を見て、とても上機嫌であった。 高時計の数字は4198m(山の標高は4208m)を、時刻はam9:00ちょうどを指していた。 一昨日降ったばかりの新雪が眩しく輝き、クリストフ氏と二人だけでこの広大な空間を独占している気分は最高である。 モン・ブラン山群の全ての山のみならずマッターホルン、モンテ・ローザ、ヴァイスホルン等のヴァリス山群の山々も遠望され、グラン・コンバンも近い。 一般ルートでは麓から大半を登山電車で登るアイガーや、ゴンドラが架けられているマッターホルンとは全く違うこの孤高の山の頂には、正に原始の薫りが漂っていた。 先ほどまでの疲れも一気に吹っ飛び、休む間もなく360度のパノラマ写真を撮る。 氏とも記念写真を撮り合ったが、寒さによるカメラの誤作動でレンズカバーが全開せず、せっかくの写真が駄目になっていたことが悔やまれる。 それにしても何と神々しい頂であろうか!。 雪庇に注意しながら寒々しい北壁を覗き込む。 レショ氷河からの高度差は凄いの一言だ。それとは対照的に南のイタリア側は緑濃い山並みが見え、北壁のあるフランス側とは全く正反対の様相を呈していた。“次はあのヴェルトだ!・・・”。 1865年にエドワード・ウインパーがヴェルトの偵察に、当時未踏であったこの山を登りにきた時のように私も誓いを新たにした。

  快晴無風の天気ではあるが、この山の頂に長居は出来ないことは、登ってきたルートの状況から推して明らかである。 am9:15、もう二度と来ることは叶わない憧れの頂に別れを告げ、先ほどのセラックの下のトラバースを避けるため往路とは同じルートは取らず、支峰のウインパー・ピークとのコルに向けてシュカブラの発達した緩やかな雪稜を私を先頭に下る。 モン・ブランを正面に見据えながら、束の間の稜線漫歩を味わっていると、緊張感が緩んだのか不意に目頭が熱くなってきた。 マッターホルン以来のこの現象は、三度目でようやく登頂が叶ったということに対するものではなく、原始の薫りが漂う汚(けが)れの無い純白の雪稜が演出する独特の雰囲気に包まれたせいであるような気がした。

  コル付近まで緩やかに下った後、ウインパー・ピークへは登り返さず、同ピークへと突き上げている岩稜の下部に向けて急な斜面を斜めにアイゼンの爪を利かせてぐんぐん下る。 岩稜付近まで下ってくると、突然下から登ってくる登山者の姿が目に入り驚いたが、彼らは他でもないネパール隊であった。 彼らは2人と3人のパーティーに別れて、私達の足下の急峻なクーロワールの中の雪壁を登っていた。間もなくネパール隊とクーロワールの出口付近ですれ違ったが、ガイド氏同士は軽く言葉を交わし合っただけであった。 すれ違い際に隊員達にエールを送り、彼らの登頂を祈念したが、てっきり彼らはすでに引き返したと思っていたので、彼らとの再会がとても意外な出来事のように感じた。 私達も岩場には取り付かず、5人のネパール隊によって作られた見事なつぼ足のステップを利用し、クリストフ氏に上から確保されながら50度以上はあると思われる急なクーロワールの中の雪壁を下った。 ネパール隊がここを登路に使ったのは、セラックの下のトラバースを避けるためだったのか、それとも帰路のルートを担保するためだったのかは分からなかったが、図らずも当初の目論見どおり彼らの“ルート工作”の恩恵にあずかることとなった。

  クリストフ氏に言われるまでもなく、後ろ向きになってピッケルのブレードをまだ固く締まった雪面に刺し込みながらザイル一杯に下り、下り終えた所でビレイを取り氏にコールする。 これを6〜7回繰り返すとようやく傾斜は緩み、右の頭上に先ほど下から見上げた巨大なセラックの全容が間近に見えた。 再び繰り返し何回かスタカットで下っていくと、間もなく今朝辿ってきた私達の微かな踏み跡に合流した。 気温が上がり標高も下がってきたので、休憩しながら氏共々ジャケットを脱ぐ。 休憩後は再び氏の指示で先頭を交代せず、コンティニュアスで踏み跡を忠実に辿りながら下る。 間もなくミックスの岩稜を乗越し、急斜面の危険なトラバースに入ったが、ここでも先頭は私のままであった。 恐らく私が後ろでスリップした場合に氏が止められないからであろう。 雪が緩み始めているので先ほどよりも緊張するが、ここが一番の核心部なので気合を入れ直して一歩一歩進む。 ここが終われば後は難しくないと思ったのは大きな間違いであった。

  氷河のトラバースを無事終えると登路と同じミックスの岩稜(レポゾワールの岩場)に取り付き、私達の踏み跡を注意深く目で追いながら、スタカットでのクライムダウンとロワーダウンをスピーディーに繰り返す。 登りでの核心部もあっと言う間に下り、プランパンシュー氷河への取り付きに着いた。 もうここまで来ればゴールは近い。 モン・ブランやロシュフォールの峰々を仰ぎ見ながら一息入れる。 意外にも私が写真を撮っている傍らでクリストフ氏はザックからGPSと双眼鏡を取り出し、氷河に印された私達の踏み跡をつぶさに観察していた。 ルートを熟知している氏が何故ここに来てそんなことをしているのか不思議であった。 氷河の下りにもかかわらず今度は氏が先行し、しばらく下った所で私に待つように指示すると、ルートを見失った訳でもないのに周囲を徘徊して下るルートをイメージしていた。 そしてまた少し下った所で再び同じような行動を繰り返していた。 よほどヒドゥンクレバスが怖いのであろう。 何度か試行錯誤した後に、今度はザイルをさらに伸ばして私を先頭に下ることとなった。 その直後、踏み出した足がスーッと抵抗もなく股までもぐり、その勢いで前のめりに転んで膝を少し捻った。 ヒドゥンクレバスだ!。 雪が重たくて足が抜けない。後ろから氏が「スキーで転んだ時と同じように、体を谷側に預けて回転しなさい」とアドバイスしてくれたが、それでもなかなか足が抜けずに肝を冷やす。 やっとの思いでクレバスから這い出したにも係わらず、氏は再び私を先頭に起用して下るように指示した。 現在の雪の状態から推してどちらが先頭でも再びクレバスに落ちることは必至なので、敢えて氏は私を先頭に起用したのであろう。 後ろから氏に確保されているため絶対的な恐怖感はないが、いきなり足がすくわれるのはとても嫌な気分だ。 氏が今日一番慎重になっている理由が分かった。 恐る恐る足を踏み出すため、スピードは全く上がらない。 背後から人の声が聞こえてきたので振り返ると、すでにネパール隊がレポゾワールの岩場を下ってきていた。 その後2〜3回引きずり込まれるようにヒドゥンクレバスにはまったが、心の準備が出来ていたので慌てることもなく、また全て浅いものだったので大事には至らなかった。 危険なクレバス帯は終わったのであろうか、しばらくすると氏が先頭を交代した。 氏も気が緩んだのか、その直後に20mほど下の大きく口を開いたクレバスを渡るための確保支点を作っている時に不用意にもGPSを足元に落としてしまい、クレバスに飲み込まれてしまった。 氏がとても悔しがったことは言うまでもないが、氏に確保された私がクレバスの内側に僅かに残っていたスノーブリッジを渡ろうとした時、幸運にも氏のGPSがそのボトムに落ちていて難なく拾い上げることが出来た。 ようやくクレバス帯を脱したのか、氏はアイゼンを外すように指示し、傾斜の緩くなった雪面を膝までもぐりながら転がるように駆け降りていった。 間もなくアルペンルートの終点に妻の姿が見えたので、ピッケルを振り回して勝利の凱旋を告げた。

  pm1:45、妻に迎えられアルペンルートの終点に到着。 再び“登頂請負人”のクリストフ氏と固い握手を交わす。 今日の登頂もルートを熟知した氏がいなければ叶わなかったに違いない。 ザイルが解かれ、憧れのグランド・ジョラスの登攀は終わった。 未明に山小屋を出発してからちょうど10時間が経過していた。 氏と肩を組んだ記念写真を妻に撮ってもらい、しみじみと山を見上げながら溜め息をつく。 妻は1時間も前からここで待っていてくれたようで、毎度のことながら本当に申し訳なかった。 妻に今日の登山の経過をネパール隊の動向を交えて断片的に報告しながら、山小屋までゆっくり下る。

  山小屋に着くと、小屋番の若夫婦が数人のハイカー達と一緒に狭いテラスで日光浴をしていたが、私の満足そうな顔をみるや登頂を祝福してくれた。 クリストフ氏にビールをおごり、私達はソフトドリンクで祝杯を上げ、昨日同様パスタとスープの遅い昼食をとった。 このまま昼寝でもしていきたかったが、これからまだ麓まで下らなければならないので、食後の休憩もそこそこに着替えをして荷物をまとめる。 お世話になった小屋番の若夫婦との記念写真を撮ってもらい、ネパール隊の到着を待たずにpm3:15に山小屋を後にした。 昨日は霧に包まれていたグランド・ジョラスの山頂も今日は下から良く見えるが、その頂は遙か遠く、つい先ほどまでその頂にいたことが嘘のようだ。 駐車場に着くまで何度も振り返り写真を撮る。 昨日とは違い登攀具を携えた2〜3組のパーティーと途中で行き違う。 明日も予報どおり良い天気なのであろうか?。 プランパンシューのキャンプ場は昨日同様夏休みを楽しむ家族連れで賑わっていて、原始の世界から現実の世界に戻ったようであった。

  予想どおり帰路ではモン・ブラン・トンネルの渋滞にはまり、1時間近くトンネルの入口で待たされてしまった。 pm7:00頃にスネルスポーツに着き、神田さんに登頂報告と簡単な土産話をした後、早速クリストフ氏を交えて明日以降の計画の打ち合わせを行う。 天気予報では明日までは良い天気だが、明後日以降は一旦天気は崩れるとのことだったので、神田さんの提案に従い次に予定していたグラン・コンバン等の登山は順延し、予備日であった明日一日を有効に使おうと、以前から考えていたエギーユ・デュ・プラン(プラン針峰)への日帰り登山を提案したところ、両氏共々快諾してくれたので、明日のam6:30にミディへのロープウェイ乗り場の前で氏と待ち合わせることになった。


『レポゾワールの岩場』と呼ばれる岩稜帯の基部


黎明のモン・ブラン


レポゾワール稜から見下ろしたプランパンシュー氷河


巨大なシャンデリアのような芸術的なセラック(氷塔)の真下を足早に通過する


山頂直下の広大な雪のテラスから見たモン・ブラン


山頂直下から仰ぎ見た頂稜部


グランド・ジョラスの山頂


山頂から見たエギーユ・ヴェルト


山頂から見た北側の針峰群(中央はタレーフル)


山頂から見たモン・ブラン


山頂から見た支峰のウインパー・ピーク(右の崖が北壁)


山頂から見たグラン・コンバン(中央)とヴァリスの山々


山頂から見た北壁の下のレショ氷河


山頂から見たグラン・パラディゾ(中央奥)


ネパール隊とクーロワールの出口付近ですれ違う


クーロワールの急峻な雪壁を登るネパール隊


巨大なセラックの下の急峻な雪壁をスタカットで6〜7ピッチ下る


今朝辿ってきた私達の微かな踏み跡に合流する


一番の核心部の氷河のトラバース


ミックスの岩稜(レポゾワールの岩場)を私達のトレースを注意深く目で追いながら下る


GPSと双眼鏡で氷河に印された私達のトレースをつぶさに観察するクリストフ氏


ヒドゥンクレバスの多いプランパンシュー氷河


氷河の取り付き(アルペンルートの終点)で妻に迎えられる


山小屋に着くと小屋番の若夫婦が登頂を祝福してくれた


山小屋から下るトレイルから見たグランド・ジョラス方面


登山口のプランパンシューのキャンプ場の少し上から見たグランド・ジョラス


家族連れで賑わうプランパンシューのキャンプ場から見たグランド・ジョラス


  【エギーユ・デュ・プラン】
  8月23日、am5:30起床。 夜明けの時間が遅いため周囲はまだ真っ暗であるが、純白のグーテ稜が微かに望まれ安堵する。 朝食を済ませ、今日は一緒に山に登る妻とam6:00過ぎにアパートを出発する。 早朝のシャモニの町を歩いている人は私達以外には見られなかったが、ロープウェイ乗り場に着くと、すでに十数人の人達が列を作っていた。 約束のam6:30にクリストフ氏がやってきたが、ロープウェイの始発はつい先日でハイシーズンが終わったため、am7:00からとなっていた。 am7:00直前に次々と登山者や観光客が集まってきたが、前売りの乗車券を持っている人が多く、改札が始まると同時にまだ切符を買っていない私達より先にどんどんロープウェイに乗り込んでいったため、結局始発には乗ることが出来なかった。 すっかり出端をくじかれた感があったが、ロープウェイの車窓からは朝陽に照らされて輝いているエギーユ・デュ・ミディの頂とその背後に素晴らしい青空が望まれ、今日の山行への期待が大いに膨らんでくる。 間もなく左手にまるで剣山(けんざん)のような針峰群を身にまとったプラン針峰がその険しい山容を披露してくれたが、果して本当にあんな所を登ることが出来るのであろうか?。

  am7:30過ぎにミディの山頂駅に到着。 さながら満員電車のようなロープウェイから解放され、駅舎の片隅で身支度を整えて氷河の出口へと向かう。 昨日とは違いロープウェイで労せずして登った山であるが、雲一つ無い快晴の天気の下、想い出と言うにはまだ記憶に新し過ぎるグランド・ジョラスがヴァレー・ブランシュを挟んで眼前に望まれ、何とも言えない嬉しい気分だ。 今日の目的の山であるプラン針峰がちょうどエギ−ユ・ヴェルトの前山のように眼前に鎮座し、素晴らしい山岳景観を造り出している。 だが“好事魔多し”との諺どおり、その後に展開する意外な結末をこの時は知る由もなかった。

  私の持っている古いガイドブックによれば、シャモニ針峰群の一峰であるプラン針峰(3673m)への登攀は、一般的にエギーユ・デュ・ミディ(3842m)から出発し、一旦コル・デュ・プラン(3475m)まで雪稜を下った後、ミックスの雪稜をロニヨン・デュ・プラン(3601m)及びコル・スーペリア・デュ・プラン(3535m)と辿って最後に岩を少し攀じってその頂に至り、再びコル・スーペリア・デュ・プランまで下った後、アンベール・デュ・プラン氷河を下ってルカン小屋(2516m)を経由し、メール・ド・グラスを歩いてモンタンベールの鉄道駅に日帰りで縦走するというものであった。 クリストフ氏にその話を向けたところ、現在ではルートの状態が良くないので、一般的にはエギ−ユ・デュ・ミディからの往復となっているとのことで、少々がっかりした。

  氷河の出口でクリストフ氏とアンザイレンし、ナイフエッジの雪稜をヴァレー・ブランシュへと下る。 行き先や目的は皆それぞれ違うのであろうが、すでに30人ほどの登山者が列をなしていた。 岩場ではないので渋滞は無いだろうと考えていたのは甘かった。 一人の年配の外国人女性がガイドとスタカットで下っているのが見えたが、この人は全くの初心者のようで、渋滞の原因を作っていた。 僅か100mほど下るのに朝の貴重な時間を30分以上も費やしてしまった。 ヴァレー・ブランシュへと下っていく大半の登山者と別れ、私を先頭にコル・デュ・プランに向けて緩やかに幅の広い雪稜を下る。 最高の天気、そして最高の展望であったが、前後に多くのパーティーがいるため、後ろの氏から「急いで行きましょう!」との指示があり、写真撮影も最小限に抑え小走りにどんどん進む。 何とか先行していた一組のパーティーを追い越したものの、昨夜エギーユ・デュ・ミディ直下にあるコスミック小屋に泊まりそこから出発したパーティーもいるようで、焼け石に水であった。

  高度感のある長いナイフエッジの雪稜を下り終えたコル・デュ・プランからはミックスの雪稜となったが、険しい岩塔が連なる稜上は行かずにシャモニ(左)側の岩塔の基部に沿って雪の急斜面をスタカットで登る。 コンティニュアスで登るベテランのパーティーもあり、複数のパーティーとのザイルが交錯することもしばしばであった。 静かだった昨日とは全く違う光景に戸惑いながらも、クリストフ氏が先行している間に周囲の絶景の写真を撮る。 日本ではあまり知られていないプラン針峰への登攀であるが、地元では相当メジャーであることが良く分かった。 これはロープウェイを使えば日帰りが可能というアクセスの良さと、素晴らしい山岳景観によるところが大きいからに他ならない。 ガイド登山であれば、ロシュフォール稜の登攀と同様に胸のすくような稜線漫歩を気軽に楽しむことが出来るのである。

  am10:00前、岩場に取り付くこともなくエギーユ・デュ・ミディを出発してから2時間足らずでロニヨン・デュ・プランという広々とした平坦な雪のピークに着いた。 ここはルート上のオアシスのような所で、およそ針峰群の真っ只中にいるとは思えないような感じがする。 今まで先を争っていた各パーティーもここで一息入れていた。 クリストフ氏も私達に休憩を促し、何枚も記念写真を撮ってくれた。 快晴無風の天気は変わらず、行動食を頬張りながら周囲の写真を撮りまくる。 被写体は自然とジョラスとヴェルトが中心になってしまう。 すでにミディもだいぶ遠くになり、逆にプラン針峰の頂が指呼の間に望まれる。 最初は半信半疑であったが、もうここまでくれば登頂は間違いないと思った。

  しばらく休憩した後、再び稜上の岩塔をシャモニ(左)側に巻いて少し登った岩場で、先行している数組のパーティーが順番待ちをしている姿が見えたが、この先によほど困難な箇所があるのであろうか、先に進む気配が全く感じられなかった。 結局私達も1時間近くそこで待たされることになってしまった。 渋滞の原因は目の前に見える主稜の反対に抜けるための狭い岩のギャップの通過だと思われたが、実際はその先のミックスの岩場の下降にあった。 一人がやっと通れるくらいの幅の狭い高さ3mほどのギャップを越えて、陽の当たる主稜の南側に出た所は雪の溶け始めたミックスの岩場となっていたが、セルフビレイや支点を取るために適当な所が無く、各パーティーが思い思いの方法で下っているため、時間が掛かっていることが分かった。 実際に下ってみるとこの急斜面のミックスの岩場は雪が脆く、ベテランでもちょっと不安を感じるような所であった。

  縦走路中の一番の核心部と思われる所を下り終え、ようやく最後の詰めに入ろうかという所で再び渋滞は始まった。 眼前には手の届きそうな所にコル・スーペリア・デュ・プランから屹立するプラン針峰が神々しく望まれた。 先ほどとは違う陽光に恵まれたビューポイントであったが、10分、20分と何もせずただ時間が経過していくのがとても辛い。 クリストフ氏に「通常ここから山頂までどの位掛かりますか?」と訊ねたところ、約1時間であるとのことであったが、氏は「pm1:00までに山頂に着かなければ、その時点で引き返すことにします」とつけ加えた。 すでに時刻はam11:30を過ぎ、現在の渋滞の状況ではpm1:00までに山頂着くかどうかは微妙であった。 通常の登山とは逆に帰路が登り基調となるため、仮にぎりぎりプラン針峰に登れたとしても、ロープウェイの最終であるpm5:00までに焦ってミディまで戻らなければならないことを危惧した妻が、「山頂は諦めて、ゆっくり景色を眺めながら戻りたい」と言った。 登頂の可能性はまだ残っていたが、いつも留守番役をしてくれている妻の意見に従い、いつの日かまた再訪することを心に誓ってここで引き返すことにした。

  ギャップを乗越し、ロニヨン・デュ・プランの手前まで戻って後ろを振り返ると、先頭のパーティーがようやくコルを通過し、トレイルの印されていない最後の雪の斜面を登っている姿が見えた。 それを見るなり後悔の念が湧いてきたが、意外にも私達に同調したかのように、他のガイド登山のパーティーも次々に引き返してきていることが分かった。 やはりこの渋滞では登頂は充分可能であっても、何かのアクシデントでロープウェイの最終に間に合わないと困る(ガイドもクライアントも明日の予定が入っているであろうから)ので、時間(正午)で見切りをつけたのであろう。 それを見て私達の心も幾分軽くなったが、今シーズンは妻が一つもピークを踏めなくなるとはこの時は知る由もなかった。

  急ぐ必要は全く無いので、モン・ブラン山群の大パノラマを満喫しながら、まるでガイドレスのような気楽さで、所々で足を止めては写真を撮り、登頂という栄誉と引き換えにした稜線漫歩を楽しむ。 ロシュフォール稜の縦走の痛快さにも迫る素晴らしさだ。 雲一つ無い抜けるような青空を背景に、プラン針峰とその背後に連なるシャモニ針峰群の無数の矛先、モン・ブラン、トゥール・ロンド、ダン・ジュ・ジェアン、ロシュフォール、ジョラス、ヴェルト、ドロワット、クルト、トリオレ、タレーフル、レショ、そしてミディの針峰群が勢揃いし、少し隔てた所からグラン・コンバンがその大きな図体を誇示し、目を凝らせばその背後にマッターホルン、ヴァイスホルン、グラン・パラディゾ等の大きな山が遠望される。 だが何といっても今日の一番のお気に入りはグランド・ジョラスであったことは言うまでもない。

  pm3:00前、コースタイムの1.5倍位の時間をかけてミディの展望台に到着。 氷河への出口にも観光客が出入りし、展望台は鈴なりの賑わいであった。 事情を良く知っているクリストフ氏はザイルを解くと、私達と荷物を残して一目散にロープウェイの整理券を貰いに行ってくれた。 氏に改めてお礼を述べてチップを手渡すと、意外にも「また後日お会いしましょう(一緒に山に行きましょう)」という感じの言葉が返ってきたが、神田さんからガイドは同じ人にはならないと言われていたので、これはてっきり社交辞令だと思った。 夕方に用事のある氏と別れ、展望台で少し休んでいこうと思ったが、余りの観光客の多さに驚き、私達も早々に下山することにした。 中間駅のプラン・ドゥ・レギーユで下車し、あらためて下からプラン針峰と辿ったルートを眺めながら写真を撮り、pm4:00過ぎにロープウェイでシャモニに下りてきたが、まだまだ展望台に向かう観光客が大勢列を作っていたのには驚いた。

  洒落たオープン・カフェに入り遅い昼食を食べた後、真っ直ぐアパートに帰る妻と別れ、山の家に日課である天気予報の確認に行く。 明日はやはり天気が崩れ、明後日もまだ天気は回復しないとの予報であった。 夕食前に若松さんから電話があり、グランド・ジョラスの登頂の報告をすると、「酒井さん以上に嬉しいかもしれない!」と興奮気味に登頂を祝ってくれた。 若松さんは予定どおり明後日の金曜日の夕方にシャモニに来られるとのことであり、天気予報が変わらなければ(天気が悪ければ)、無事再会することが出来そうであった。


ロープウェイの車窓から見たエギーユ・デュ・ミディの頂


エギーユ・デュ・ミディから見たプラン針峰(エギーユ・デュ・プラン/手前)とエギーユ・ヴェルト(奥)


エギーユ・デュ・ミディから見たグランド・ジョラス(中央左)とダン・ジュ・ジェアン(中央右の尖峰)


ヴァレー・ブランシュへ下る雪稜は30人ほどの登山者で渋滞していた


プラン針峰(左)への稜線    奥はエギーユ・ヴェルト


険しい岩塔が連なる稜上は行かずにシャモニ(左)側の岩塔の基部に沿って雪の急斜面をスタカットで登る


他のパーティーとしばしばザイルが交錯する


ロニヨン・デュ・プラン(左)


ロニヨン・デュ・プランの直下


エギーユ・デュ・ミディを振り返る


ロニヨン・デュ・プランから見たモン・ブラン


ロニヨン・デュ・プランから見たグランド・ジョラス(左)


ロニヨン・デュ・プランから見たトリオレ(左)・タレーフル(中)・レショ(右)


先行するパーティーの順番待ちで1時間近く待たされる


無数の針峰群の向こうに見えるエギーユ・ヴェルト


プラン針峰が指呼の間となる


コル・スーペリア・デュ・プランへの下りで再び順番待ちとなる


ロニヨン・デュ・プランからコル・デュ・プランへの下り


コル・デュ・プランからの登り返し(右手に先行パーティーが見える)


プラン針峰(左端)から辿った稜線を振り返る


雪稜を登り返す後続のパーティー


プラン針峰(左)とエギーユ・ヴェルト(中央)


エギーユ・デュ・ミディを背景にクリストフ氏と


グラン・コンバン(中央)


ロープウェイの中間駅のプラン・ドゥ・レギーユから見たプラン針峰


プラン・ドゥ・レギーユから見たエギーユ・ヴェルト


プラン・ドゥ・レギーユから見たエギーユ・ルージュ(赤い針峰群)


  【出会い】
  8月24日、am8:00起床。天気予報は当たり、昨日の快晴が嘘のように1時間ほど前から夕立のような激し雨が降り出した。 どす黒い雲の間に青空が所々に覗くいかにも不安定な山岳気象である。 パン屋へは行かず持参した日本食で朝食を済ませ、山の家に天気予報を見に行く。 昨日の暖かな空気がシャモニの谷に残っているためか、寒さは全く感じない。 純白のグーテ稜も時折チラリと雲の間から見える。 少しでも良くなっていることを期待して英文の天気予報を読んだが、逆に昨日の予報以上に悪くなり、明後日以降もしばらく天気がぐずつき、良い天気になるのは6日後からになっていた。 今日と明日は天気が悪いことが分かっていたので諦めはついていたが、この先しばらく停滞を強いられるのかと思うと気分が滅入る。 グランド・ジョラスで運を使い果たしてしまったのであろうか。

  とりあえず今日はハイキングには行かずに町の散策と休養に充てることにし、先日見つけた大きな書店でゆっくり立ち読みをしてからその足でスネルスポーツに行くと、ガイドの中山茂樹さんが神田さんと打ち合わせ中であった。 中山さんは服装や装飾品もお洒落に決められていて、まるで芸能人のようであった。 神田さんは今日の予想以上の雨で当初登頂の可能性があったドロワットやクルトは雪でしばらく登れなくなってしまうかもしれないので、焦らずに次のチャンスを待った方が良いとアドバイスしてくれたが、天気は4日後くらいから良くなるという見方をされていた。

  予報どおり午後になっても雨模様の天気だったので、昼過ぎにガイドの江本さんに電話をしてみたところ、やはり今日は山に行かれなかったようで電話が繋がった。 江本さんはこれからクライミングジムでご自身のトレーニングをされるとのことだったので、滅多にない機会なのでお邪魔させていただくことにした。 町の中心から少し離れたスポーツ施設内の室内プールの片隅の目立たない所にあったクライミングジムは使用料が一日3.8ユーロと安かったが、室内は狭く天井も低いため、ボルダリングが中心の施設となっていた。 もちろん日本人は他にいるはずもなく、ちょうど休憩されていた江本さんはすぐに分かったが、意外にも江本さんは私よりも小柄なくらいの体格であり、どこにそんな凄いパワーが潜んでいるのか全く不思議であった。

  江本さんはここ数年、夏はシャモニをベースに日本から入れ替わりにやって来るお客さんの登山やクライミングのガイドをされているとのことであったが、もともとはスキーの滑降選手として長野オリンピックを目指され、お父さんの仕事の関係で高校時代をフランスで過ごされていたが、練習で膝の靱帯を断裂してしまい、オリンピックは諦めてしばらくは自転車競技などをしていたが、フランスの友人の勧めで山に登り始め、それがきっかけで山岳ガイドになられたとのことであった。 もちろんフランス語はとても流暢である。 しばらくの間アルプスの山々の話題に花を咲かせた後、江本さんの練習風景を見学させていただいたが、フリーのボルダリングということもあって、全身の力を使ったダイナミックな動きが印象的だった。 「ガイドの仕事ばかりだと筋力が落ちるので、時々トレーニングをしてるんですよ」と言いながら、必死の形相でオーバーハングした壁に取り付けられたホールドを一つでも多く勝ち取ろうとする執念には本当に頭が下がった。 その傍らでは少しお腹の出たお父さんと小さな子供が仲良く練習して(遊んで)いる姿が見られ、その対比がとても滑稽であった。 私もオーバーハングに挑戦してみたが、鉄棒にぶら下がっているような感じで、どんどん腕の力を消耗するだけで全く歯が立たなかった。

  練習が終わった後も私達のアパートに江本さんを招き、ビールを飲みながらまた色々な話を聞かせていただいた。 江本さんはシャモニ滞在中はホテルやアパートではなく、高校時代の友人の家で寝泊まりされ、仕事で使う車もそこで借りられているとのことであった。 マッターホルン登山のお客さんも多いが、シャモニからツェルマットまでは車で2時間半で行けるため、ツェルマットに泊まる必要はないとのことで、この点については私も目から鱗であった。 江本さんはクリストフ氏のことも良く知っており、一緒に山を登られたこともあるようだったが、意外にもガイド同志でプライベートの登山をする場合、相手を巻き添えにする可能性があるため、危険な所ではザイルは結ばないとのことであった。 それに関連して江本さんは“登山家として一流なのは寿命で死ぬこと(レビュファのことを例に挙げて)”という信念を強く持たれていた。 江本さんとの会話は尽きなかったが、これからお客さんと夕食を共にされるとのことで、滞在中の再会を約してアパートから見送った。


昨日の快晴が嘘のような曇天のシャモニ針峰群


クライミングジムでガイドの江本さんと歓談する


筋トレを兼ねてボルダリングを楽しまれる江本さん


アパートに江本さんを招き、ビールを飲みながら山の話しに花を咲かせる


  8月25日、am8:00起床。 天気予報は外れ、昨日の雨もすっかり止んで、青空の下にモン・ブランも山頂まですっきり見えている。 とても悔しいが“昨日の雨(山は雪)で晴れていても今日は登れなかっただろう”と何度も自分に言い聞かせる。 朝食を簡単に済ませ、am9:00にハイキングに出発する。 目的地は私のお気に入りの場所で、手軽に行ける山上の湖のラック・ブランである。 山の家に天気予報を見に行くと、今は晴れているが今日はやはり不安定な天気のようで、さらに向こう3日間は天気が悪そうであった。 ますます好天が遠ざかっていくことでマイナス指向が芽生え、グランド・ジョラスの感動がどんどん薄らいでいく。 気を取り直してシャモニの駅へと向かう。 途中のバルマ広場では今日の夕方スタートする『ウルトラトレイル』(モン・ブラン山群の山裾を一周する155kmのマラソン大会)の準備のため、その関係者で賑わっていた。

  am9:41発の登山電車に乗り一つ目のプラで下車する。 前回の滞在時にはシャモニの町からブレヴァンの展望台までゴンドラとロープウェイで上がり、展望台からブレヴァンのコル〜フレジェール〜アンデックスを経てラック・ブランへとエギーユ・ルージュ(赤い針峰群)の山腹につけられたトレイルを縦走したが、今日はシャモニの隣の村のプラからフレジェールまでロープウェイで上がって直接ラック・ブランへと登り、東に少し下った所にあるシェズリー湖を経て、起点のフレジェールまで下る周回コースとした。 コースタイムは4時間ほどである。

  のっけからロープウェイの故障で30分ほど待たされ、am10:30に起点のフレジェール(1877m)に到着。 空には天候の急変を告げるかのように色々な形をした筋雲がそこら中に点在しているが、予報に反してまだ青空は続いており、展望台から眼前に鎮座する憧れのエギーユ・ヴェルトとドリュ、一昨日辿ったプラン針峰を始めとするシャモニ針峰群、その二つの山塊の間を縫うように流れるメール・ド・グラスの最奥に屏風のように屹立するグランド・ジョラスの北壁の写真を何枚も撮る。 東の方角にはシャルドネ針峰(3824m)とアルジャンチェール針峰(3902m)が高さを競うように並び、南の方角にはそれらの全ての尖峰、針峰を見下ろすかのように盟主のモン・ブランが悠然と聳え、何度見ても飽きない大展望に溜め息をつく。

  展望台から僅かに下り、シャモニの谷を挟んで眼前の岩と雪の高嶺と対峙するエギーユ・ルージュの荒々しい岩峰の山腹につけられた幅の広いハイキングトレイルをラック・ブラン(2352m)に向けて登り始める。 冬場はスキー場となる気持ちの良い牧草地を所々で足を止めながら大きくジグザグを切っていく。 単独者は少なく年配の夫婦、子連れのハイカー、若者のグループが絶えず前後を歩いている。 風は弱いがまるで秋のようなすがすがしさで、じっとしていると寒いくらいだ。登るにつれて鬼の角のようなダン・デュ・ジェアン(4013m)も姿を現した。 途中にある小さな池を過ぎるとトレイルは勾配を増して登山道らしくなり、ランデックスからの縦走路と合流すると間もなくエギーユ・ルージュの最高峰のベルヴェデール針峰(2965m)のカールに底に抱かれたラック・ブランに着いた。

  ラック・ブラン越しのエギーユ・ヴェルトはまるで一幅の絵を見ているようで、本当に惚れ惚れするような美しさだ。 山麓の穏やかな緑濃い森とは対照的な険しく荒々しい岩肌と雪を戴いたその頂稜部のコントラストが絶妙であり、人それぞれに山の好みは違うであろうが、怪峰ドリュを従えたこの山の景観の素晴らしさには誰も異を唱えないであろう。 エギーユ・デュ・ミディやグランド・ジョラスから見た同峰からは想像も出来ない独立峰のような風貌がより一層その美しさに磨きをかけているのかも知れない。 今シーズンの登頂は絶望的かもしれないが、アルプスの登山の最終目標に相応しい本当の意味での大きな山だ。 難しいとは言え、モン・ブランだけに沢山の人が押し寄せ、何故こんなに素晴らしい山に(特に日本人は)もっと目を向けようとしないのか不思議である(もっともヴァイスホルンやビーチホルン等も同じであるが)。 湖は山小屋が畔に建つ下の小さな湖と上の大きな湖の二つあるが、上の湖には以前訪れた時と同様に雪解けの冷たい水の中を泳いでいる外国人がいた。 湖畔でランチタイムとし双眼鏡で周囲を眺めると、バルムのコルの向こうにベルナー・オーバーラントの山々が見え、またエギーユ・ヴェルトの中腹に架けられているロープウェイの終点駅のグラン・モンテ(3297m)のすぐ上の急な雪壁をプチ・ヴェルト(3512m)に登る登山者の姿も見えた。 4年前に初めてここを訪れた時は、モン・ブランを始めとする眼前の高嶺には全て未踏であったため、その後着実にその頂や稜線に足跡を残せたことがとても嬉しかった。 あとは眼前のヴェルト、そしてシャルドネとアルジャンチェールの頂にも辿り着ければさらに嬉しいのだが・・・。

  1時間ほど湖畔でゆっくりした後、予定どおりシェズリー湖方面へと下り、pm3:30に起点のフレジェールに戻った。 午後に入ってから空はますますその色を濃くし、予報に反して結局昼間は天気は崩れなかった。 麓のプラへロープウェイで下り、pm4:03発の登山電車でシャモニへ帰った。 同じ電車に若松さんも乗っているかもしれないので、車内を移動しながら探してみたが、見当たらなかった。 次の電車は1時間後だったので、アパートに着いてからシャワーを浴びていると、若松さんがアパートを尋ねてこられた。 てっきりマルティーニ方面から来られると思ったのは私の早合点で、若松さんは反対方面からシャモニへ来られたとのことであった。

  昨年インターネットで知り合ったフランス在住の若松さんとは今年の4月に日本でお会いして以来の再会であったが、それが今回シャモニで実現するとは本当に不思議であり、妻共々お互いの再会を喜び合った。 もし天気が良ければ山に出掛けてしまい、お会いする機会を逸してしまった訳であるから、悪天候の予報にも感謝しなければならない。 昨日の江本さんといい、ネットのお陰で見知らぬ人との交流が出来るようになったことは本当に素晴らしいことである。 夕食はアパートで食べようということになり、皆でスーパーに食材やお酒(ワイン)を仕入れにいく。 途中のバルマ広場では間もなくスタートするウルトラトレイルのランナーや観客でごった返していた。 シャモニではそれなりのイベントなのか、A・P・Jの岡村さん姉妹もこぞって応援に来ていた。 若松さんも傍らにいた見知らぬランナーにとても流暢なフランス語で気さくに話しかけられていた。 若松さんは英語をマスターされたことがきっかけでフランス語の勉強も始められたとのことであったが、その努力と才能には本当に脱帽であった。 スーパーでは私達にとっていつもは敷居が高い秤売りの生ハムや、素材や味が全く分からない惣菜類も若松さんの注文で無駄なく買うことが出来た。 ワインとケーキを買い、最後はアパートの1階にあるテイクアウト専門のピザ屋で焼きたてのピザを買ってアパートに戻り、楽しい夕食会の開催となった。 私のグランド・ジョラスとプラン針峰の山行報告を皮切りに、ガイドの増井さんや江本さんとの交流の話題、若松さんが山仲間と共に先日辿られた『エクラン・オート・ルート』(若松さん命名、エクラン山群の主要なピークや峠を幾つも越えていく展望に優れた屈指の縦走コース)と『トゥール・ドゥ・ラ・ヴァノワーズ』(フランスで最初に国立公園に指定され、3000m峰が100座以上もあるヴァノワーズ山群を周遊するロング・トレイル)の土産話、明後日から友人と計画されている『オート・ルート』(シャモニからツェルマットまで氷河の山々を辿って行くアルプス随一の縦走コース)のコースの説明、フランスでの日常生活、etc・・・。 あっと言う間に日付は変わり、深夜遅くまで話が弾んだ。 アパートには予備の布団があったので、そのまま若松さんにはアパートに泊まっていただいた。


シャモニから登山電車で一つ目のプラから見たシャモニ針峰群とモン・ブラン


ロープウェイの終点のフレジェールから見たシャモニ針峰群


フレジェールから幅の広いトレイルをラック・ブランへ登る


ラック・ブランから見たエギーユ・ヴェルト


ラック・ブラン(上の湖)


ラック・ブランから見たシャルドネ針峰(中央左)とアルジャンチェール針峰(中央右)


ラック・ブラン付近から見たモン・ブラン


フレジェールの手前から見たエギーユ・ヴェルト


フレジェールから見たグランド・ジョラスの北壁


シャモニの町は『ウルトラトレイル』のランナーや観客でごった返していた


スーパーで夕食の食材を買う


フランス在住の若松さんをアパートに招き、楽しい夕食会を開催する


デザートのケーキ


  8月26日、am7:30起床。天気予報は外れ、今日も青空の下にモン・ブランの山頂がすっきりと見えている。 昨日も結局雨は降らなかったし、当てにならない天気予報を恨むが、そのお陰で若松さんとお会いすることが出来たので心中はとても穏やかであった。 朝食のパンを買いに行くとメインストリートの脇では土曜日だけ開催される朝市の準備が進められており、あらためてシャモニに来てからもう一週間が過ぎてしまったことを知った。 昨夜の話の続きをしながら遅い朝食をゆっくりと食べ、町の散策に出掛ける。 すでに観光客で賑わい始めていた朝市で若松さんに陳列されている品物の説明をしていただいたり、クリーニング店で初めて洗濯の注文をしたりする。 若松さんがまるで私達のプライベート通訳になってしまったようで申し訳なかったが、いつの日か本当のプライベート通訳兼ガイドになっていただき、フランスを始め、世界の山々を案内していただけたら嬉しいと思った。 山の家の入口の“当てにならない天気予報”を見に行くと、今日は午後から天気は崩れ、良い天気は明後日からとなっていたが、それも長続きはしないようであった。 

  若松さんの提案で、最近では神田さんの存在で全く足が遠のいてしまった山の家の1階のガイド組合に行く。 カウンターの傍らにいた地元のガイド氏に若松さんが声を掛け、私の身になって色々とヴェルトの情報を訊ねてくれた。 ガイド氏によれば、これからまとまった雪が積もり、登攀ルートであるウインパー・クーロワールに再び良い雪がつけば、今シーズンまだチャンスがあるかも知れないとのことであり、神田さん同様に「ジョラスが登れたらヴェルトも登れますよ」とのお墨付きをいただくことが出来て嬉しかった。 過去のシャモニ滞在時を含めまだ行ったことがなかった2階のインフォメーションルームと3階の事務所兼資料室にも行ってみると、資料室にはモン・ブラン山群の大きなジオラマが展示してあり、アルプスの山々の豊富な登攀ルートのガイドブックや資料のみならず、そこを実際に登った人(ガイド等)の最新のコメントが記された冊子も置いてあり、その情報量の多さには驚かされた。 もっとも殆どが仏語で書かれているため、残念ながら私には全く分からなかった。

  資料室で情報収集をして山の家を出ると、バルマ広場ではこれからゴールするウルトラトレイルのランナーを待つ観客と大会のスタッフ等で今日も大盛況であった。 再び朝市に戻り、先ほど目を付けておいた昼食用の食材を買ってアパートに戻る。 メインディッシュはサーモンやホタテ等の魚介類が沢山入ったパイ包みである。 昼食後に神田さんと江本さんにそれぞれ電話を入れてみると、神田さんはクリストフ氏と共にpm6:00に、江本さんもpm7:30頃にそれぞれアパートに来ていただけることになった。

  午後に入ってからは予報どおり天気は下り坂となり、夕方から雨が降り始めた。 運悪くちょうど雨足が一番強まった頃に神田さんとクリストフ氏とが一緒にアパートを尋ねてこられた。 図らずもクリストフ氏との嬉しい再会があり、若松さんも神田さんとは何度か面識があるようで、単なる山行の打ち合わせだけに止まらず、ビールを飲みながらしばらく歓談することになった。 神田さんの話では、昨日モン・ブランで強風のため衰弱した登山者22人がヘリで救助されたが、このうち日本人を含む2人が凍傷で入院するという騒ぎがあったとのことであった。 明日以降の山行の予定については、昨日神田さんがヴェルトを始めとする周囲の山々のB.Cとなっているクーヴェルクル小屋に電話で照会していただいたところ、ヴェルトには最近3組のパーティーが入ったがいずれも敗退、ドロワットは入山者がいないのでルートの状況は不明、クルト(3856m)は良く登られているとのことであり、神田さんは明後日が天気が良く風も無いとの予報なので、明日の午後に山小屋に入り、明後日にアタックするのがベストであると提案された。 やはり今回はヴェルトは無理そうであり、登る山はドロワットかクルトになってしまったが、登頂の可能性を度外視して迷わず当初の思惑どおりヴェルトに少しでも近い方のドロワットを希望した。 傍らでそのやり取りを聞いていた若松さんが、ヴェルトに強い執着心を持っている私の心情を一生懸命クリストフ氏に説明してくれ、最終決定は明日のam9:30にスネルスポーツで神田さんが行うということで落ちついた。

  神田さんは1971年の夏に1ビバークでグランド・ジョラスの北壁を制したが、その翌年の冬に今は亡き登山家の加藤保男さんや中野融さんらとのパーティーで再びその北壁に臨まれ、途中3日間吹雪で閉じ込められたが、艱難辛苦の末に登攀を成功させたという伝説的な武勇伝を披露する一方、今は意外にもレマン湖からシャモニ、ヴァノワーズを経てニースまでの山中を歩く『グラン・ランドネ』と呼ばれる長距離のハイキングトレイルを毎年4〜5日かけて少しずつ楽しみながら踏破されているとのことであった。 またひと昔前はパラグライダーにだいぶ傾倒されていた時期があり、その飛行回数は延べ200回以上にも及ぶとのことであった。 20年ほど前にはスネルスポーツでもパラグライダーを販売していたとのことであり、日本にも持ち込んで飛行の実演もされたそうであるが、残念ながら売れ行きが悪く商売にはならなかったという逸話がとても印象的であった。

  明日の再会を約してお二人を見送ると、間もなく江本さんが約束どおりまた私達のアパートをわざわざ尋ねてきて下さったので、早速若松さんを紹介して再度ビールで乾杯する。 江本さん(とそのお客さん)も最近の当たらない天気予報に翻弄され続けていらっしゃるとのことであったが、今日は午前中の束の間の晴天をとらえ、エギーユ・デュ・ミディにロープウェイで上がり、『コスミック・バッドレス』という難しいクライミングのルートのガイドをされたとのことであった。 昨日に続き、アルプスの山々の話題を中心に、今回江本さんとお会いするきっかけとなった古典的なガイドブックであるレビュファの名著『モン・ブラン山群100選』を例に挙げ、日本とフランスとの間の登山に対する意識や技術の違い等にも話が及び、とても興味深かった。 江本さんは「クライミングをやると登山のフィールドが増えるので、是非始められたらいかがですか」と熱心に勧めてくれた。 江本さんの夏のアルプスのガイド料は一日当たり5万円という料金設定だそうだが、意外にもこのことは一般には公開されていないとのことであった。 その理由として、今のところ来シーズンまでリピーターの方を中心に予約が入っているからとのことであった。 但し、この5万円というのはモン・ブラン登山くらいのガイド料を想定されていて、それ以上に難しい登山やクライミングをする場合にはさらに金額が上乗せされるとのことであったが、シャモニの天気が悪い時でも臨機応変に車で晴れているイタリア側のゲレンデや町の観光にまで希望に応じてアレンジしてもらえるので、クライミングが主な目的のお客さんにとっては何よりであろう。お客さんも中高年ばかりではなく、20歳台の女性もいらっしゃるとのことであった。 今晩も江本さんとの会話は尽きなかったが、これからお客さんと夕食を共にされるとのことで、皆でアパートから見送った。 アパートで夕食を済ませた後、明朝再会することを約して若松さんも駅の反対側にある宿に帰られた。


フランス在住の若松さん


まるで私達のプライベート通訳のような若松さんとシャモニの町を散策する


観光客で賑わう土曜日だけ開催される朝市


山の家2階のインフォメーションルーム


山の家3階の事務所兼資料室


事務所兼資料室のモン・ブラン山群の大きなジオラマ


昼食はサーモンやホタテ等の魚介類が沢山入ったパイ包み


  【クーヴェルクル小屋】
  8月27日、am7:30起床。 夜中に再び雨が降ったようで、シャモニの町も霧に煙っている。 果して神田さんからドロワットへのゴーサインは出るのだろうか?。 パン屋にクロワッサンを買いに行くと、ウルトラトレイルの参加ランナー達がぽつりぽつりと誇らしげな笑顔でゴールしてくる姿が見られた。 この時間帯だとトップ集団ではなく、完走だけを目指している愛好家のレベルなのであろうが、それでも155kmという距離は半端ではない。 まばらとなった観客に混じって思わず拍手を送ってしまう。 早朝から若松さんがわざわざアパートまで来て下さり、今日もお喋りを楽しみながら朝食を食べる。 ようやく青空が少し覗くようになり、これからオート・ルートに向けて出発される若松さん共々空の色の変化に一喜一憂であった。 山の家に天気予報を見に行くと、今日は午前中は曇りだが午後からは晴れ、明日と明後日は共に午前中は晴れだが夕方は雨となっていた。 天候が徐々に安定してくるというには程遠い、単に“雨が降らな時間帯がある”といった感じの相変わらず不安定な天気が続いてしまうようであった。
  約束のam9:30にスネルスポーツに行くと、意外にも神田さんはすぐにクーヴェルクル小屋に予約の電話を入れてくれ、正午前にモンタンヴェール行きの登山電車の駅でクリストフ氏と待ち合わせをするよう指示した。 山小屋の周辺の新雪は5cmほどであるという。 明日の天気は心配だが、プラン針峰から数えて4日ぶりに山に入れるようになったのでアパートに帰る足取りは軽い。 すでに山行の支度は済んでいるので、次回の参考のために今度は若松さんの泊まられている宿に案内していただく。 相部屋ではあるが寝室や食堂は清潔であり、邦貨で1泊1〜2千円程度という格安の料金には驚きであった。

  登山電車で登山口のアルジャンチェールへ向かわれる若松さんをシャモニの駅に見送った後、私達も身支度を整えてモンタンヴェール行きの登山電車の駅に向かう。 駅前で落ち合ったクリストフ氏と共に正午ちょうどの登山電車に乗り込む。 ドリュが眼前に迫るモンタンヴェール(1909m)はシャモニ周辺の展望台の中でもポピュラーな所であるが、天気がすぐれないためか乗客はまばらであった。 樅の木の樹間からはシャモニの谷を挟んで一昨日辿ったラック・ブラン周辺の山肌が見えるが、シャモニ針峰群の山腹の森の中を登っていくため、全般的に車窓からの風景は冴えない。 終点近くで突然新雪を身に纏ったドリュの尖峰が大きく望まれ、思わず身を乗り出す。 シャモニから20分ほどでモンタンヴェールに到着し、まだ不安定な天気のもとメール・ド・グラス(氷河)に向けて幅の広いハイキングトレイルを下る。 5分ほどで一般のトレイルとの分岐があり、右のトレイルに入ると間もなく氷河を見下ろす崖の上に着いた。 氷河までの標高差は100mほどであろうか。 下を見下ろすと、急傾斜のスラブの岩壁には鉄梯子が2列に並んで延々と取り付けられていた。 妻を気遣い氏が「確保しますか?」と声を掛けてくれたが、高度感は非常にあるものの慎重に下れば全く問題はなさそうなので、そのままゆっくりと下った。 帰路に梯子の段数を数えてみたところ、何と333段もあった。 最後の梯子の末端には短い梯子を継ぎ足した跡があったが、氏によれば氷河は温暖化により後退しているのみならず、その高さ(厚さ)も低く(薄く)なっているとのことであった。 鉄梯子は下の氷河から見上げるとその全容が良く分かり、とてもユニークな存在であった。

  メール・ド・グラスはクレバスだらけであるものの、氷河の上に堆積している岩屑の上に印された明瞭な踏み跡を辿れば落ちる心配は無いので、アイゼンだけを着けてザイルは結ばなかった。 取り付き付近では縦のクレバスも多く見られた。 山の天気はまだ回復しておらず、正面に見えるはずのグランド・ジョラスの北壁は雲や霧の中だ。 意外にも氷河上には大勢の人達がそこら中で様々な訓練をしていた。 クリストフ氏によると大半はモン・ブランへの登山者で、最初にここでアイゼンワークの練習をし、次にヴァレー・ブランシュで高所順応をするのだという。 日本人の登山者と違い、モン・ブランに登る外国人は全くの素人が多いからであろう。 氏もこのような講習会のガイドをしているとのことであった。 青光りしている大きなクレバスを何回も迂回しながら氷河の中央部を遡る。 土砂が堆積しているクレバスの表面は薄汚れているが、その奥深い所には水流も見られとても神秘的である。 大きな釜のようになっている底が安定したクレバスの中ではアイスクライミングやレスキュー訓練なども行われていた。 氷河の取り付きから傾斜の緩い氷河上を黙々と40分ほど歩くと訓練する人達の影もなくなり、氷河上は私達だけの世界となった。 途中にあたかも標識のような長い木の棒が氷河の真ん中に立てられていたが、氏によるとこれは標識ではなく、氷河の高さ(雪の量)を計るための道具であるとのことであった。

  クレバスも無くなり、唯一の目印であった木の棒から30分ほど相変わらず傾斜の緩い氷河上を歩き続けると、左手のモレーンの上に今度は間違いなくトレイルの目印であろうドラム缶のような人工物が置いてあった。 アイゼンを外してドラム缶を目指して氷河からモレーンに上がり、しばらくそこで休憩する。 入山者が少ないためか、モレーン上の踏み跡はあまり明瞭ではなく、所々に積んである小さなケルンを見落とすと、すぐに道を見失ってしまい難儀する。 水晶が混じった石がそこら中に見られ、程度が良く小振りなものを拾いながら歩く。 モレーン上のアルペンルートも相変わらず傾斜が緩く、小さな下りもあって標高は全く稼げない。 目印のドラム缶から40分ほど歩くと、再び左手の絶壁の上に鉄梯子が何段も取り付けられていた。 先ほどより壁の傾斜は増し、一部はほぼ垂直に近かったため、マッターホルンのヘルンリ稜で良く見られた“豚のしっぽ”のような確保支点が所々の岩に設置されていた。 こちらの段数は211段と先ほどの3分の2ほどであったが、所々で鉄の杭や小さなステップでトラバースしながら梯子を乗り換えるため、スリル満点で面白かった。

  刺激的な鉄梯子を登り終えてからも頭上のモアヌ針峰(3412m)の基部を回り込むように急登のアルペンルートが続き、メール・ド・グラスの取り付きから山小屋までの約900mの標高差もようやくここにきてどんどん稼ぐことが出来た。 相変わらず雲や霧のため周囲の展望が利かないトレイルを黙々と登る。 間もなくトレイルの傾斜が緩み、アルペンルートからハイキングトレイルに変わりつつあることで山小屋が近いことが分かる。 マーモットの鳴き声が響き、周囲を見渡すと頭上に小さな二つの山小屋が見えた。 一つは現在冬期小屋として使われているらしい昔の山小屋で、クーヴェルクル(仏語で蓋の意)の名前の由来となったという大きな一枚岩の下にまるで押し潰されたような恰好で建っていた。

  pm4:15、B.Cのクーヴェルクル小屋に到着。 モンタンヴェールの駅からは3時間45分の道のりであった。 山小屋の入口の看板に印されていた標高(2687m)に高度計を合わせる。 立派な石垣の上に建つ頑丈そうな石造りの山小屋はとても味わいがあり、生憎今は何も見えないが、数あるアルプスの山小屋の中でも屈指の展望を誇ると言われているらしい。 一階には50〜60人は楽に座れる広い食堂とアルプスの山小屋にしては珍しく自炊用の食堂と清潔なトイレがあった。 2階の寝室も適当な大きさの部屋に区切られ、ベッドの配列にもセンスの良さが感じられた。 いままで泊まった数多くのアルプスの山小屋の中でも設備の面では一番かもしれない。 天気があまり良くないせいか、登れる山がないためか、宿泊客はまばらであった。 大きなザックを背負ったドイツ人のパーティーもいたが、彼らは山には登らず明日はさらに違う氷河を辿ってグランド・ジョラスの北壁を登るためのB.Cとなるレショ小屋(2450m)まで行くのだという(後日彼らと再会し、水晶を採りに来ていたことが分かった)。 意外にも宿帳には日本人の足跡が随所に見られ、いつもHPでその記録を参考にさせていただいているMさんという若い方のコメントや、その他のベテラン氏の登攀記録や周囲の山小屋の貴重な情報が記されており、内容をデジカメで写し撮る。 海外在住の邦人の方や、関西の旅行会社のツアーで来られたハイキングの団体も数多く見られ、この山小屋の人気の高さをあらためて認識した。 食堂のカウンターの脇には漬物石ほどの大きさの立派な水晶が飾ってあり、先ほど拾った水晶混じりの石がとても貧素に見えた。 薪ストーブで暖かい食堂で寛いでいると、ようやく周囲の霧が上がり始め、青空が少し覗いてきた。 慌ててカメラを持って外のテラスに急ぐ。 しばらく待っているとグランド・ジョラスの神々しい北壁が霧の間から顔を出し、その大迫力に興奮しながら何枚も同じような構図の写真を撮りまくる。 残念ながら明日予定しているドロワットやヴェルト、そしてモン・ブラン方面の山々は見えないが、クリストフ氏もテラスに出てきてくれ、記念写真を撮ってもらった。

  妻が楽しみにしていた夕食は期待していた以上であった。 テーブル毎にステンレスの鍋に入ったコンソメスープ(お代わりは自由)とチーズと程よい固さのパンが前菜に出され、メインディシュは大皿に入ったラザニアがやはりテーブル毎に出され、その味も麓のレストランより美味しかった。 なぜアルプスでは山小屋の夕食は安くて美味しいのであろうか本当に不思議である。 山小屋の標高が低いので消化不良の心配もなくお代わりをしてお腹一杯に食べる。デザートにはフルーツポンチが付いた。 この山小屋の宿泊料は2食付きで45ユーロ(邦貨で約6800円)であった。 クリストフ氏に一応アルコールを勧めたが、今日も氏はワインをグラスに一杯飲んだだけであり、お腹の周りを摩りながら「実は甘いものの方が好きなんですよ!」と笑い飛ばしていた。 パリ育ちの氏は39歳とのことで、現在はその近くのフォンテンブルクというお城で有名な町でパートナーの女性と暮らしているとのことであったが、夏と冬はガイドの仕事で半年間はシャモニにいるので、春と秋にしかフォンテンブルクには住んでいないとのことであった。 オフシーズンにはいわゆる“ビルの窓拭き”のようなアルバイト的な仕事をされているとのことであったが、氏のパートナーもかなりの山ヤさんのようで、アイスクライミングをやったり、マッキンリーを登られたり、氏と一緒に南米のアコンカグアやワイナポトシにも行ったことがあるとのことであった。 アルプスの山の中で一番好きな山を訊ねてみると、ヴェルトとシャルドネ(3824m)とのことであった。シャルドネは最初に登った山だからとのことであり、モン・ブランも6月頃に登れば雪も綺麗でとても美しい山なんですよと教えてくれた。

  夕焼けの時間が迫り、皆で再び外のテラスに出るとグランド・ジョラスのみならず、ロシュフォール稜とダン・ジュ・ジェアン、そして分厚い雲の隙間からモン・ブランの頂も一瞬望まれた。 依然として雲や霧が谷を埋めつくしているが、上空には清々しい青空が広がり、明日の好天が期待できそうだった。 クリストフ氏から明日はam3:00に起床し、準備が出来次第出発しますとの指示があった。 どうやら明日山に登るのは私達だけのようであった。


オート・ルートに向けて出発される若松さんをシャモニの駅に見送る


メール・ド・グラス(氷河)への急傾斜のスラブの岩壁を鉄梯子で下る


2列に並んで岩壁に取り付けられているユニークな333段の鉄梯子


メール・ド・グラスはクレバスだらけだが、明瞭な踏み跡があるのでアンザイレンせずに歩く


氷河上では様々な訓練がされていた


氷河の高さ(雪の量)を計るための長い木の棒


氷河を離れ、モレーンの上に積んである小さなケルンを目印に進む


モレーン上には水晶が混じった石がそこら中に見られた


左手の絶壁には211段の鉄梯子が取り付けられていた


立派な石垣の上に建つ頑丈そうな石造りのクーヴェルクル小屋


センスの良いクーヴェルクル小屋の寝室


クーヴェルクル小屋の広い食堂


夕食のメインディシュのラザニア


山小屋のテラスから見たグランド・ジョラスの北壁


  【レ・ドロワット】
  8月28日、am3:00起床。 クリストフ氏が真っ先に外の様子を見に行き、「良い天気ですよ!」とにっこり微笑んだ。 持参したハムや柔らかいチーズでパンを食べ、ゆっくりとではあるがてきぱきと身支度を整え、妻に見送られてam3:45に山小屋を出発。 空には満天の星が輝き、体調も万全である。 昔の山小屋の前を通過すると間もなく、タレーフル氷河へと下る踏み跡を辿って急峻な岩場を下る。 所々に目印となる小さなケルンが積んであるが、ヘッドランプの灯ではなかなか見つけられず、多少強引に下れる所を下る。 15分ほどで氷河に降り立つ。高度計の標高は2610mであり、山頂までの単純標高差はここから約1400mということになる。

  氷河とは名ばかりの大小の岩が堆積している河原のような所をゆっくりと登っていく。 傾斜はとても緩やかであるがクリストフ氏のペースは極めて遅く、まだ目覚めていない体にはちょうど良いかった。 氏は時々「流れ星が見えますよ!」と振り返って教えてくれた。30分ほど歩いて高度計を見るが、当然のことながらまだ100mほどしか標高を稼いでいなかった。 足元の岩は次第に小さくなり、下に埋もれている氷河の氷が露出してくるようになると間もなく、ちょうど良い目印となるような大岩があり、その傍らでアイゼンを着けてアンザイレンする。 グランド・ジョラスやモン・ブランのシルエットが月明かりではっきりと見える。
  クリストフ氏は大岩の下にストックをデポし、いよいよここからが本番となった。 岩の混じった氷河も3000mを越えた辺りから純白の雪へと変わっていった。 グランド・ジョラス同様、ここ数週間人が入っていないためトレイルは皆無である。 斜面は少し急になったが、グランド・ジョラスほどではない。 氏のペースは相変わらず遅く、全く快適そのものだ。 体も高所にだいぶ順応し、相変わらず体調は万全である。 あとは核心部の岩場での雪の付き方だけが心配だが、この山域を熟知している氏のことだから、ジョラス同様何とか頂に導いてくれるだろう。 風も無く絶好の登山日和になりそうでワクワクする。 一昨日降り積もった新雪がアイゼンの爪を通じて分かるようになると、ルートはクレバス帯に入った。 氏は足元を確かめながら一歩一歩ゆっくりと、そして帰りのことを考えてのことであろうか、必要以上に足場を踏み固めながら登っていく。 お陰で後ろの私は階段を歩くような感じで登るため、まさに鼻歌交じりである。 核心部の岩場の登攀に備えての体力も充分に温存出来る。 ふと、いつものフレーズが脳裏をかすめた。 “好事魔多し・・・”。 

  いつしか夜は白み始め、ヘッドランプは不要となった。 覆いかぶさるようなドロワットの岩稜の取り付きが頭上に見え、アプローチの雪の斜面も残り1時間足らずであると推測された。 急ではあるが相変わらず単調な登高が続き、岩稜の取り付きである稜線上のコルまであと僅かと迫った時、突然クリストフ氏は足を止め休憩を促した。 ちょうど背後の山並みがモルゲンロートに染まり始めていた。 私が写真好きなことはすでに氏にも充分伝わっているので、その配慮もあったのであろうか?。 願ってもない撮影ポイントからグランド・ジュラスを皮切りに、次々に朝焼けの山々の写真を撮る。 一通りの写真を撮り終え、氏とその感動を共有しようと思った直後、氏の口から全く意外な言葉が飛び出した。 「モン・ブランの山頂直下に小さな雲が掛かり始めているのが見えますか?。 あの雲は気圧が低いことを示しています。 あの雲は次第にモン・ブラン全体を覆い、あと2〜3時間後にはこちらにもやって来るでしょう。 大変残念ですが、今日はここで引き返します」。 モルゲンロートに染まっている眼前の雄大な景色に歓喜し、その中の僅か一片の雲の存在など全く気にも留めていなかった私にとって、氏の発した一連の言葉はまさに晴天の霹靂であった。 もしかすると私の聞き間違いかとも思い、念のため氏に「天気が悪いのでここから引き返すということですか?」と訊ねたところ、氏は顔をこわばらせながら「そうです、ここから引き返します。 今日の私達は本当に運が悪かった」と繰り返し説明し、頭上に見え始めたドロワットの頂稜部の写真も記念に撮っておくように勧めてくれた。 氏が今回初めてのガイドであれば、何か他の方法がないものかと食い下がったかもしれないが、人一倍頂に執着している私を充分理解している氏にそれを切り出すことは無用であった。 すでに下山の決定を下したにもかかわらず氏は私の心情を察してか、しばらくそこに留まり再び写真を撮りながら名残惜しく山々と対峙している私を暖かく見守ってくれた。

  15分ほど“心の山頂”で朝焼けのグランド・ジョラスの北壁を鑑賞した後、氏に促されることなく自ら下山の意思表示をした。 高度計の標高は3393m、時刻はam6:40であった。 登ってきたトレイルではなく足下に見えるタレーフル氷河の末端に向けて急な雪の斜面をアイゼンの踵に重心を置いて下るようにとクリストフ氏から指示があった。 雪がちょうど良い固さに締まっているので小気味よくアイゼンが利き、あっと言う間に稼いだ標高を落としていく。 下りながら所々で足を止め、写真を撮らせてもらう。 氏の予想どおりジョラスの山頂には灰色の雲が取り付き始めた。 振り返ると、登っている時には暗くて見えなかったドロワットの頂稜部が大きく望まれた。 入山前は確かにドロワットはヴェルトの偵察的な感じで、ルートの状況が悪ければ潔く諦めようという心境であったが、まだ現実的に天気が崩れている訳ではなく、山も良く見えるので下るにつれて悔しさが増してくる。 その気持ちを何とか支えてくれたのは眼前のジョラスであった。

  間もなく登ったトレイルと合流し、緩やかな斜面をしばらく下ると先ほどクリストフ氏がストックをデポした目印の大岩が見え、その傍らでアイゼンを外してザイルも解かれた。 先ほどまで水色だったドロワットの背景の空の色もいつの間にか灰色になっていた。 氷河上から雪が見えなくなると、右手にヴェルトとその支峰であるグランド・ロシューズ(4102m)とエギーユ・デュ・ジャルダン(4035m)が仰ぎ見られ、ヴェルトの登攀ルートであるウインパー・クーロワールも良く見え、偵察という当初の目的だけは達成することが出来た。 氷河から100mほど岩を攀じって山小屋の建つ岩棚へと登り返し、am8:15に山小屋に戻った。 周囲はすでにモノトーンの世界となり、山々の頂稜部分は全て怪しげな雲で覆われていた。 朝の散歩を終え食堂で遅い朝食を食べ始めていた妻は、まさか私がこんなに早く戻ってくるとは思わなかったようで驚いていた。

  山小屋で一息入れたかったが、雷や土砂降りの雨が降りそうな不安定な天気だったので、妻も急いで帰りの支度をしてam8:45に山小屋を出発してシャモニへの帰途についた。 早くここから脱出したいという気持ちとは裏腹に、何度も後ろを振り返っては未練がましく山々の写真を撮る。 メール・ド・グラスに下りる直前で念のため神田さんに電話を入れると、天気予報は外れて明日も天気は悪くなったとのことで、ようやく諦めがついた。 鉄梯子を下り、昨日辿ったルートと全く同じルートをまるで敗残兵のようにただ黙々と歩く。 雨が降り出さなかったのが唯一の救いだ。 今日も氷河上では様々な訓練が行われていた。 クリストフ氏も明日は講習会でヴァレー・ブランシュをガイドをされるとのことであったが、多分中止になるだろうと言った。 メール・ド・グラスから半ば義務感のように鉄梯子を登り、正午ちょうどにモンタンヴェールの駅に着いた。 タッチの差で下りの電車に乗れず、駅付近にあった昔の水晶採りの活躍の様子や水晶を展示してある観光用の洞窟を見学したり、眼前のドリュやシャモニ針峰群の一峰であるグラン・シャルモ(3444m)の雄姿を写真に収めたが、まさか明後日ここを再訪することになろうとは知る由もなかった。

  pm0:30発の電車でシャモニへと下り、駅前のレストランでクリストフ氏と最後の食事を共にする。 今日も氏から色々な山の話を伺う。 昨年の秋にチョー・オユーにガイド仲間7人で行こうと計画したが、だんだんと人数が減って3人になってしまい断念したこと、来年はボリビアの最高峰のサハマ(6542m)へ友人らと3人で行く計画をしていること、ヒマラヤの山の中ではプモ・リ(7161m)に興味がある(登ってみたい)こと、フィッツロイは風が強く、良い天気が続かないので行く気が起きないこと等々の話題が興味深かった。 日常会話は相変わらず全く駄目だが、山の話になると良く理解し合えるから不思議だ。 この2日間で撮ったデジカメの写真を液晶画面で氏に見せると、余りの多さに驚いていた。 最後に「酒井さんはグランド・ジョラスの登りのスピードから判断してヴェルトは大丈夫。 また来年一緒に登りに行きましょう!」と言ってくれたことが嬉しかった。 食後は氏に20ユーロのチップを手渡し、再会を誓って大型のバイクに乗って帰られる氏を見送った。

  pm2:00にアパートに戻ったとたん激しい雨が降り始めた。 夕方、雨が小降りになったので山の家に天気予報を見にいくと、明日は一日中雨模様で明後日の午後から天気は快方に向かい、その後は晴れの天気が2日間続くようであった。 残りの滞在日程からみて、これが最後のチャンスである。 その足でスネルスポーツに神田さんを訪ねると、このまま今日と明日雪が降り続いてウインパー・クーロワールが雪で埋まれば、4日後にヴェルトに登る最後のチャンスがあるかも知れないこと、第二希望のグラン・コンバンの方が逆に降雪により難しいかも知れないことをアドバイスしてくれた。 今後はエルベ・サシュタ氏という少し年配の方が私のガイドをしてくれるとのことであったが、氏は数年前に全盲の日本人(金山さん)をガイドの中山さんと二人でモン・ブランの頂に導いた方であり、人柄もとても良い方であるとのことであった。 もしこのラストチャンスでヴェルトに登れたら、今日の敗退も帳消しになるに違いなく、スネルスポーツからの帰りの足取りは急に軽くなった。


妻に見送られてクリストフ氏と山小屋を出発する


未明のモン・ブランの山頂直下に掛かる小さな雲


モルゲンロートに染まり始めたグランド・ジョラス


最終到達点から頭上に見え始めたドロワットの頂稜部の写真を記念に撮る


朝焼けのグランド・ジョラス(左端)とモン・ブラン(右端)


朝焼けのタレーフル氷河(妻の撮影)


タレーフル氷河の末端から見たモン・ブラン


タレーフル氷河の末端から見たグランド・ジョラス(左)


タレーフル氷河の末端から見たドロワット(右)とエギーユ・ヴェルト(左)


クーヴェルクル小屋に戻る


モノトーンのメール・ド・グラスとグランシャルモ


長い鉄梯子を下る


メール・ド・グラスから見たドリュ


モンタンヴェールへ長い鉄梯子を登る


モンタンヴェール駅付近の観光用の洞窟を見学する


モンタンヴェール駅から見たドリュ


モンタンヴェール駅とグランシャルモ


  8月29日、am7:30起床。カーテンを開けると、町は深い霧に煙っていた。 妻の話では夜中じゅうずっと雨が強く降っていたとのことであった。 この雨が今後の登山活動に良い影響をもたらすのか否かは神のみぞ知るところである。 昨日のドロワットの“敗退”の後遺症が残っていないのは、やはりグランド・ジョラスの登頂の余韻がまだ残っているからであろう。 逆にもしそれが無かったらと思うとゾッとする。 人間(自分)は本当につまらぬことで一喜一憂するものだとつくづく思う。

  朝食をいつものパン屋に買いに行く。 ウルトラトレイルも終わり、スタッフが会場の後片付けをやっていた。 天気も悪いし、今日からシャモニの町もしばらく静かになるであろう。朝食をゆっくり食べ、のんびりと日記を綴ったりして寛ぐ。 お昼近くになり、いつ雨が降り出してもおかしくない不安定な空模様の下、両替えと山の家に天気予報を見に出掛ける。 予報は昨日と基本的には変わらず、明日の午後から天気は快方に向かい、その後は晴れの天気が2日間続くようであった。 しかしそれも長続きはせず、再びその後は天気が崩れそうであった。 今日を入れて残り5日となったシャモニ滞在であるが、この分では登山のチャンスはやはりあと一回しかないであろう。 昼食後もアパートでのんびり寛ぐ。 まるで今シーズンのアルプス登山も終わったかのような錯覚に陥りそうであった。

  pm3:00、スネルスポーツに神田さんを訪ねる。 岡村(千)さんもちょうど店内にいたので、しばらくお喋りを楽しむ。 意外にも岡村さんは、お姉さんの手伝いでシャモニに来られてから山登りに目覚め、最近ではクライミングも始められて、いつかはドリュにも登ってみたいとのことであった。 今後の登山について神田さんから、明日はまだ様子を見て明後日から山に入ることを勧められたが、いずれにしてもガイドのエルベ氏がpm6:00に来店されるので、その時にあらためて氏の意見も聞きながら協議することとなった。 雨は再び激しくなったが、いったんアパートに帰り、pm6:00に再びスネルスポーツに神田さんを尋ねる。 間もなくエルベ氏が現れたので、簡単な自己紹介を行い握手を交わす。 氏はメガネをかけているせいか、どことなくインテリ風で外見はガイドらしく見えなかった。 早速打ち合わせが始まったので、第一志望のヴェルトの可能性について氏に訊ねたところ、降雪直後なので明日実際に行ってみなければ山のコンディションは分からないが、4日後は再び天気が崩れるので、ヴェルトに登るなら明日から入山してクーヴェルクル小屋に泊まり、とりあえず明後日は隣のドロワットを登って、ヴェルトの登攀ルートのウインパー・クーロワールの下見を行い、可能性があればその翌日にアタックすれば良いとのことであった。


ウルトラトレイルが終わり閑散としているシャモニの町


スネルスポーツに神田さんを訪ねる


インテリ風なガイドのエルベ・サシュタ氏


  8月30日、am7:00起床。 夜明け前にようやく雨は上がったが、まだ黒い雲が空に残っている。 幸いにも天気の目安となるグーテ稜が微かに見えているので安堵した。 空模様に一喜一憂するのは本当に登山よりも疲れる。 昨日よりも更に気温は下がり、部屋の中にいても寒く感じる。 朝食後山の家へ天気予報の確認に行く。 時々町中やスネルスポーツで見かけていた二人の日本人の若者と天気予報の掲示板の前で出合う。 彼らの旅の話を伺うと、私達とほぼ同時期にスイスに来られガイドレスでマッターホルンを目指されたが、同峰が降雪で登れないためシャモニに転進し、ダン・デュ・ジェアンに目標を変えたが、こちらもコンディションが悪いようで、仕方なく明日モン・ブランを登られて帰国されるとのことであり、お互いの最後のチャンスへの健闘を祈念し合った。 天気予報は昨日のものと変わらなかったが、明日の最高気温は標高1500mで0度、3800m〜4800mでマイナス10度とのことで、この時期にしてはかなり寒い感じであった。am9:30にスネルスポーツで神田さんとエルベ氏を交えて最終打ち合わせを行う。 とりあえず明日からは天気が良いので、予定どおりドロワットを再び登ることに決定し、前回より1時間遅いpm1:00発の登山電車でモンタンヴェールに向かうことになった。

  昼食後に今回もまたサポート役となる妻と共にアパートを出発。 約束の時間にエルベ氏とシャモニの駅前で落ち合い、すぐに入線してきた登山電車に乗り込む。 前回よりも少し天気が良いので乗客も多い。 樹林帯を抜けるまで車窓からは目新しい景色もないので、しばらく目を閉じて電車に揺られていく。 20分ほどでモンタンヴェールに到着。 前回にも増してドリュの岩峰は新雪で真っ白に染まり、陽光に暖められて雪煙をなびかせていた。 メール・ド・グラスに下る鉄梯子の所で昨夜クーヴェルクル小屋に泊まり、今日下ってこられたという日本人のハイキングのグループと出会った。 リーダーらしき方の話では、山小屋の周辺の降雪は僅かであるとのことであった。 雪が少ないとヴェルトの登攀ルートであるウインパー・クーロワールは登れないし、逆に多いとドロワットには登れないし、いったい今回のリベンジにはどのような結末が待っているのであろうか?。 今日も氷河上はトレーニングをする人達で賑わっていた。

  取り付きからはエルベ氏の判断でアイゼンを着けずに氷河を辿る。 午後の出発であったが、空にはまだ厚い雲が残り、歩くには涼しくて快適であった。 短期間にこの氷河(クーヴェルクル小屋)を2回も往復した日本人はそうはいないだろう。 今日は雲間から時々ジョラスの頂や周囲の針峰が望まれ、退屈な氷河歩きを救ってくれる。 氏はモレーン上の目印のドラム缶を見送り、さらに氷河を詰めた先からモレーンに上がったため、その後のルートファインディングには苦労した。 一昨日往復したルートなので、私達の方が良く分かっているようだった。 氷河を離れ、絶壁に取り付けられた211段の鉄梯子を登るとようやく青空が広がり始め、眼前に神々しいジョラスの北壁が望まれた。

  pm5:00に山小屋に到着。 宿泊客は前回よりも多く20人ほどであったが、どうやらまた私達以外には山を登る人はいないようだった。 一昨日ここで同宿したドイツ人のパーティーと再会したので彼らに話を伺ってみると、ハイキングではなくこの周辺の水晶を採りに来られたようであった。 夕食の時間まで食堂の暖かい薪ストーブの傍らで寛ぐ。エルベ氏はルートの下見に行かれたのか、あるいは昼寝をされているのか、夕食の時間まで食堂には現れなかった。 前回と同じく山小屋の夕食は今日も大変美味しかった。 コンソメスープとチーズの前菜は前回と同じで、メインディッシュはマカロニサラダが添えられた豚肉のピカタ(トンカツ)であり、肉も柔らかくまたお代わりも自由であった。

  夕食後エルベ氏と片言の英語でしばらく歓談する。 氏は53歳で、ジュネーヴの近郊の町でスポーツ用品店を奥様と共に営まれ、夏のシーズン中だけ山のガイドをされているとのことであった。 残念ながら日本には来られたことはないとのことであったが、クリストフ氏と同様に世界の山々、特に高い山に興味を持たれ、エベレスト(南西稜)を始め、ガッシャーブルムII峰(8035m)、ガウリサンカール(7134m)といったヒマラヤの難峰を登られたことがあるという一方、アラスカのマッキンリーやエクアドルのチンボラッソやコトパクシといった各国を代表するような名山にも興味があり、登られたことがあるとのことであった。 氏から明日は前回よりも1時間早いam2:00に起床し、準備が出来次第出発しますとの指示があった。


ドロワットを目指して再度メール・ド・グラスを辿る


クーヴェルクル小屋の手前にいたマーモット


クーヴェルクル小屋から見たグランド・ジョラス


夕食のメインディシュの豚肉のピカタ(トンカツ)


  【雪崩】
  8月31日、am2:00起床。 朝というよりはまだ夜中という感じであるが、昨夜は夕食をお腹一杯食べて8時過ぎには寝たので、眠さは全く感じない。 妻の話では隣室の宿泊客が消灯後もうるさかったので、エルベ氏がわざわざ注意しに行ったとのことであった。 3日前の朝と全く同じ要領で朝食を済ませ、手際良く身支度を整えてam2:45に妻に見送られて山小屋を出発。 前回と同じように満天の星空であったが、ずっと不安定な天候が続いているので今回も全く安心は出来ない。 ヘッドランプの灯を頼りに小さなケルンを探しながら分かりづらいタレーフル氷河への下降路を模索するが、3日前にここを辿った私の方が氏よりもルートが分かっているようで、前回に増して岩場を強引に下ることが多かった。

  タレーフル氷河に降り立つと風は多少あったが気になるほどではなかった。 前回に比べて雪の量はそれほど多くなく、せいぜい新雪が10cmほど積もったような感じであった。 この程度の雪の量ではとうてい明日予定しているヴェルトのウインパー・クーロワールは雪で埋まらないだろう。 堆積している大小の岩も雪で大分埋まり、氷河上は前回に比べて歩き易くなっていた。 まだ周囲が暗いせいかエルベ氏のペースは遅く、アプローチの歩行は全く快適そのものである。 40分ほどで目印の大岩があり、今回もその傍らでアイゼンを着けてアンザイレンする。 まだam4:00であり、グランド・ジョラス同様に山頂までの長い道のりが予感される。

  しばらくすると傾斜が徐々に強まり、3000mを越えた辺りからは新雪の量が目に見えて増えてきた。 これならウインパー・クーロワールが雪で埋まっているかもしれないという期待が湧いてくる。 3日前に往復しているとは言え、周囲はまだ真っ暗なため正確なルートの状況は分からないが、前回の最終到達地点である稜線のコル付近からクリストフ氏が下降に使ったルートを登っているような気がした。 今日もトレイルは皆無であり、また他に登るパーティーもいないため、登頂の成否は全く予想がつかない。 登るにつれて新雪の量は多くなり、先頭のエルベ氏は膝下くらいのラッセルとなったばかりか、後ろの私も脆い雪に足を取られ、とても登りにくくなった。 一人でラッセルを強いられている氏のスピードは当然のことながらさらに遅くなった。 前回より1時間早出をしたのはこのためだったのだろう。 幸か不幸かクレバスの存在も全く分からない状況である。 新雪が深いと斜面の傾斜がさらにきつく感じられる。 前回は鼻歌交じりであった氷河の登高も今日は体力の消耗が著しい。 常に先頭でラッセルをしなければならない氏はなおさらのことであろう。 ダイアモンド・ダストのような細かい雪が目の前をチラつき始め、ヘッドランプの灯火に照らされてキラキラと輝く。 幻想的な光景に思わず嬉しくなるが、天気のことが心配になる。 空を見上げるとまだ星が見えていたので安堵したが、この雪が上空の強い風によって運ばれてきたものだとは思いもよらなかった。 新雪はさらに深まり、所々の吹き溜まりではセカンドの私でさえも足の付け根までもぐることもしばしばであった。 ふと“深雪のためまた登れないのでは・・・?”という不安が頭をよぎった。 高度計を見るとすでに前回到達した地点付近まで登ってきていることが分かった。 あと1時間もすれば稜線のコルに出られるはずだ。 相変わらずサラサラと細かい雪が舞い続けていたが、この雪がその直後に襲ってきた雪崩の前兆だったとは知る由もなかった。

  突然得体の知れぬ強烈な圧力が前方から襲いかかり、まるで後ろからも引っ張られるように勢い良く吹き飛ばされた。 暗闇の中、余りにも唐突にそれが襲いかかってきたので、それが雪崩だと認識するには数秒の時間を要した。 そしてそれが雪崩だと分かった次の瞬間、4か月前のGWに妻とスキーで行った針ノ木岳で悪天候のため雪渓を引き返した時に出会った若い男性と4人パーティーの内の2人の女性が私達と別れた直後に雪崩に遭って亡なられた不幸な事故のことが真っ先に頭に思い浮かんだ。 次の瞬間雪崩は体全身を強く圧迫し、呼吸を止められ、足がもぎ取られそうになった。 “あゝ私も彼らと同じような運命を辿るのか、彼らもこうして死んでいったのだ・・・”。 体の自由が全く利かなくなり、死がいよいよ現実のものとなってきたことを自覚したが、生への唯一の希望があった。 それは氏と結んだザイルであった。 このままどんなに流されようとも雪崩は傾斜の緩やかなところで止まり、何かに激突する心配はないので、どちらか一人が雪崩に埋まっていなければ助かる(助けられる)可能性はある。 体を浮かせる努力をして雪崩の表面に出れればしめたものだが、自然の猛威に対してそんな器用なことは到底出来ず、なすがままに身を任せるしかなかった。 いちばん辛かったのは呼吸が出来ないことだった。 呼吸が出来れば恐怖感はかなり緩和されたことだろう。

  どの位の時間が経過したであろうか?。 雪崩に揉まれている間はとても長く感じられたが、それはせいぜい20秒前後であっただろう。 突然再び強い衝撃が全身に加わると同時に体が急に軽くなった。 周囲が暗いため先ほど雪崩が襲ってきた瞬間と同じように、現状を認識するのに数秒の時間を要した。 冷静さを取り戻して我に帰ると、大きな雪のブロックを跨ぐ恰好で座っていることが分かった。 助かった!!!。 呼吸が出来ない恐怖感からも解放され、例えようのない嬉しさと安堵感がこみ上げてきた。 それは正に九死に一生の出来事であった。 幸運なことに目出帽の下にしていた眼鏡とヘッドランプは無くさなかったので周囲の状況が良く分かった。 そこはまさにデブリの真っ只中であった。さらに幸運なことに、足を少し捻った程度で五体満足であり、装備も片方のスパッツが裂けただけであった。 10mほど左にはエルベ氏の姿も見えたので安堵した。 「アイム・オーケー!、アイム・オーケー!、アー・ユー・オーケー?」。 自分の無事を大声でアピールしたが、エルベ氏からの反応はなかった。 “もしや・・・”と思い直ぐに氏のもとに歩み寄ると、氏は無事ではあるもの雪崩に揉まれながら雪を相当吸い込んだらしく、しばらくの間うずくまったまま苦しそうにむせ返っていた。 ようやく氏も落ち着きを取り戻すと、今度は「クレイジー!、クレイジー!!、クレイジー!!!」と何度も吐き捨てるように大声で叫んだ。 恐らく氏の方が雪崩の圧力が強く、肉体的にも精神的にもショックが大きかったのであろう。 また手にしていたピッケルとストック、そしてヘッドランプも失っていた。 しかし幸いにも私と同様に足を少し捻った程度で怪我はないようで安堵した。 「ゴー・ダウン?」と念のため氏に確認すると、「イエス、デンジャラス(ここにいたら危ない)!」とのことであり、氏は失った装備を探す素振りもせず、直ぐに下山することを指示した。 ガイドとしてのプライドもあるであろうから、氏にピッケルを差し出して私が先行することを提案したが、氏がヘッドランプだけを借りて先行することになった。

  後ろから再び不意打ちを食らう恐怖感に怯えながら、コンティニュアスでスピーディーに下る。 深雪とは言えスリップは厳禁だ。 10分ほどで標高差にして200mほど駆け下りると傾斜も緩やかになり、ようやく一息つけるようになった。 氏は20mほど下に何かを見つけて指さした。 それはまるで蛍のような淡い光を雪の上に洩らしていた。 直ぐにはピンとこなかったが、間もなくそれがエルベ氏のヘッドランプであることに気が付き(もちろん氏は最初から気が付いていた)、氏がそれを拾い上げると、まるで自分達の分身のようにとても愛しく感じた。

  間もなく夜が白み始め、先ほどの悪夢が嘘のように清々しい夜明けのシーンが始まろうとしていた。 目印の大岩の所まで下るとザイルが解かれた。 エルベ氏は先ほどの雪崩の原因について、上空でかなり強い風が吹いているため、コルの直下に積もった新雪が雪庇となり、その一部が崩れ落ちてきたのではないかと説明してくれた。 先ほど生死の境目をさまよったばかりであるが、意外にも後遺症や気持ちの動揺が感じられないのが自分でも不思議であった。 恐らく暗かったことと突然の出来事で何も見えないうちに完結してしまったからであろう。 それ以上に理由こそ違え同じ山で2回も続けて敗退したことの悔しさが先に立っていた。 今日は風が強いものの良い天気になりそうだし、明日も引き続き良い天気が予想されているため、私の頭の中は雪崩のことよりも明日の計画のことで一杯であった。 明日再びドロワットにアタックするのは気分的に嫌だし、また雪崩の危険性もあるので、本命のヴェルトについてエルベ氏に水を向けたところ、ピッケルを失ったこともあってか、即座に「ノー!」という答えが返ってきた。 これからすぐに下山したとしてもシャモニに着くのは午後になってしまうので、明日アタック出来る山はリスカムしか選択の余地がなかった。 リスカムなら妻も一緒に登れるし、今の状況ではベストであろう。 今回の計画では最下位の希望となっていたリスカムに何としても行きたくなってくるから不思議だ。 リスカム登山のB.Cとなるニフェッティ小屋までは昨年も行ってるので、今日これからのスケジュールの見通しがつく。 エルベ氏は私のこの提案に少し驚いていたが、私の心情を察してか二つ返事で了解してくれた。 雪崩はおろか氏もとんだお客に捕まったものだ。

  氷河から山小屋の建つ岩棚への取り付き点をエルベ氏と探しながら下ってきたが、ケルン等の目印が見つけられず、高度計の標高を頼りに強引に岩を攀じって登り返す。 空の色は灰色から淡いピンク色、水色、そして青空へと短時間で変わり、悔しいことに予報以上の快晴の天気になってきた。 am7:20に山小屋に戻ったが、すでに妻も朝食を終えて周囲の散策に出掛けてしまって不在であった。 明日リスカムに登るためには正午までにシャモニへ下山しておきたかったので、妻を探すため周囲を双眼鏡で見渡してみたが、妻の姿は捉えられなかった。 笛を吹き鳴らし、大声で何度も叫んでみたが、その声も虚しくこだまするだけであった。 仕方なくデポした荷物をまとめながら妻の帰りを待つが、いっこうに帰ってきそうな気配はなかった。 このままだと時間切れになってしまうので焦るが、山を登りにきたのに一体自分は何をやっているのかと情けなくなる。 ようやくエルベ氏が双眼鏡で妻の姿を見つけてくれたが、やはり妻は全く気付いていないようであった。 妻のいる所まで猛然と早足で駆け登り、大声で叫ぶとようやく妻も気付いたが、天気が悪かった前回ならともかく、なぜ見当違いの方向から突然私が現れたのか妻は理解出来ずに驚いていた。 詳しい理由は後で説明することにして、妻にも急いで帰りの支度をするように伝える。 毎度ハプニング続きのアルプスの旅であるが、妻にとってこのドタバタ劇は本当に迷惑なことであった。

  am8:40に山小屋を出発してシャモニへの帰途につく。 ヴェルトへの憧れの気持ちが失せなければ、またいつかここを訪ねることになるだろう。 再訪を誓って足早にトレイルを下り始めたものの、振り返りながら青空を背景に屏風のように屹立するヴェルトとドロワットの写真を何枚も撮る。 雪崩に遭ったコル付近は相変わらず白い雪炎が舞っていた。 風が強く湿度も低いためか、ますます空の色は青みを増し、シャモニに来てから一番の快晴の天気となった。 モンタンヴェールの駅へとメール・ド・グラスを急いで下りながらも、モン・ブラン、ジョラス、ロシュフォール、そしてシャモニ針峰群といった素晴らしい被写体に釘付けとなる。 山の写真を撮るにも絶好の日和である。 オート・ルートを縦走中の若松さんも稜線上でこの青空に歓喜しているに違いない。 氷河から333段の鉄梯子を登り、am11:30にモンタンヴェールの駅に着き、すぐに入線してきた登山電車に乗って目標にしていた正午ちょうどにシャモニに着いた。 神田さんに電話を入れ、雪崩の件を簡単に報告し、明日の計画を大幅に変更してこれからリスカムに向かうことを伝えた。 神田さんから明日も天気は良いとの太鼓判を押されたので安堵した。


雪崩が起きた後にタレーフル氷河の末端から見た未明のドロワット


タレーフル氷河の末端から見た未明のモワヌ針峰


タレーフル氷河の末端から見た未明のモン・ブラン


クーヴェルクル小屋付近から見たグランド・ジョラス


クーヴェルクル小屋付近から見たドロワット


クーヴェルクル小屋付近から見たモン・ブラン


メール・ド・グラスとグランシャルモ


メール・ド・グラスの源頭部(右奥がトゥール・ロンド)


モンタンヴェール駅付近から見たメール・ド・グラスとグランド・ジョラス


  1時間後のpm1:00に再びシャモニの駅前で落ち合うことをエルベ氏と約束し、リスカムへ登る準備のためにいったんアパートに帰る。 濡れたジャケット等の衣類を乾かしながら、破れたスパッツの補修や行動食のセットをしているとあっという間に時間が経ち、マクドナルドでハンバーガーと飲み物を買ってシャモニの駅前に急ぐ。 少し遅れて車でやってきた氏と合流し、リスカムのイタリア側の登山口であるスタッフェルに向けて出発した。 氏も準備に時間が掛かったのか、私達同様に車中でパンを頬張っていた。 国境のモン・ブラン・トンネルは良い天気にもかかわらず不思議と全く渋滞はなかった。 トリノ方面に向かう高速道路も空いていたので、この分だとシャモニから2時間半くらいで登山口に着くことが昨年の経験から分かり、ゴンドラの運転時間にもよるが、何とか夕食前には山小屋に着きそうなので安堵した。 車中で妻に先ほどの雪崩の一件のことを詳しく話すと、驚きを超えて私の異常なまでの山への執着心に呆れていた。

  間もなく車窓からグラン・コンバンが大きく望まれた。 今回も是非登りたいと願っていたが、なかなかこの山も登頂の機会に恵まれない山だ。 高速道路の左手の山の斜面の岩肌が剥き出しとなっている所が時折見えたが、エルベ氏からシャモニ(フランス側)で天気が悪い時はこの辺りの岩場をゲレンデとしてよく使っていると教えられた。 サン・マルティンのICで高速道路を降り、つづら折りの山道へと入っていく。 昨年一度通っただけなのに登山口までの道や車窓から見える風景はとても記憶に新しかった。 グレソネイの集落の手前からはリスカムとモンテ・ローザ山塊のピークの一つであるヴァンサン・ピラミッド(4215m)が雲一つ無い青空の下に大きく望まれ、昨夏の想い出が鮮明に蘇ってきた。

  pm3:15、シャモニから僅か2時間15分でゴンドラの発着場のあるスタッフェル(1818m)に着いた。 急いでシャモニから駆けつけたにもかかわらず、すでに観光のハイシーズンは終わり、昨年同様ゴンドラの発車時間まで1時間以上待たされることとなった。 ゴンドラを待つ間、妻がエルベ氏にヘルメットの使用の有無を訊ねたところ、山小屋までなら(明日リスカムに登らない人は)必要ないと言われたので、初めて明日のリスカム登山がガイドと1対2でないことが分かり、さすがの妻もがっかりしていた。 結局今回も私のサポート役になってしまった妻は、可愛そうに今シーズンは一度もピークを踏むことなく終わってしまった。

  pm4:30発のゴンドラに乗り、中間駅で一回乗り換えてpm4:50に終点のサラティバス(2971m)から山道を歩き始める。 夏のアルプスでは日没がpm8:00過ぎのため陽はまだ高いが、これから上に向かって登っていく人は皆無である。 雪の混じったトレイルを黙々と登り続け、途中ストレンベルク(3202m)というピークを越えてからいったん下り、再び登り返してちょうど1時間でアラーニャからのロープウェイが上がってくるプンタ・インドレインの駅(3260m)に着いた。 水分を補給しただけで休まずにまた黙々と山小屋を目指して登り続けるが、トレイルを覆う積雪は昨年よりも多い感じがする。 明日のリスカムは大丈夫だろうかと少し心配になる。 意外にも氏から今日泊まる山小屋は昨年泊まったニフェッティ小屋(3647m)ではなく下のマントヴァ小屋(3498m)だと告げられる。 ニフェッティ小屋だと到着がpm7:00を過ぎてしまうからであろう。 昨年地元のガイドのジジ氏がマントヴァ小屋の方が空いていて食事も旨いと言ってたことを思い出す。 今日は楽だが明日の山頂アタックに30分ほど余計に時間がかかるのが玉にキズだ。 ニフェッティ小屋との分岐を右に見送り、いったん少し下った後、岩屑の中のトレイルを右に回り込むように登っていくと頭上に山小屋が見えた。

  pm6:50、途中休憩もなく登り続けたので、サラティバスからちょうど2時間で今日の宿泊地であるマントヴァ小屋に着いた。 こぢんまりとしているが、周囲の景観にもマッチした石造りのなかなか良い雰囲気のする山小屋であった。 入口の扉を開けて中に入ると、すでに1階の食堂では夕食が始まっていた。 ニフェッティ小屋とは違い空いているだろうと予想していたが、食堂は宿泊客で溢れ返っていたので驚いた。 宿泊の受付後にエルベ氏に案内されて3階の寝室に行くと、私達と同様に1回目の夕食にあぶれた人達が結構多くいて、週末の日本の山小屋のような賑わいであった。 さすがに国内最高峰のモンテ・ローザの人気はとても高いことをあらためて認識させられた。 1時間以上も待たされ、ようやく2回目の夕食の準備が整い食堂に行く。 前菜は具が沢山入ったミネストローネ(スープ)とボロネーゼ(フィットチーネ)の選択だったので妻と一つずつ選んで分け合った。 エルベ氏は食前にビールを飲んでからお決まりのワインへと続き、私にも良く眠れるからと勧めてくれた。 メインディッシュは温野菜の盛り合わせとカレー風味の羊の肉でまずまずのメニューであったが、ボロネーゼ以外は味付けが濃く、お腹一杯食べる気にはなれなかった。 夕食を食べ終わるとすぐに氏は調理場に行き、明日の朝食の時間を1時間ほど繰り上げるように交渉していたが、am4:30前には用意が出来ないとのことで、「イタリアだから仕方がないか!」と呆れ顔で不満げに私達に愚痴をこぼした。 結局明日はam4:00に起床し、準備が出来次第出発することとなった。 氏からの情報によれば、リスカムは最近登られているようなので、天気さえ悪くなければ登頂は多分大丈夫とのことであった。 就寝前に外のトイレに行くと、モン・ブランの方角の空がちょうど夕焼けに染まっていたので、明日も今日と同じ晴天になることを確信した。 大部屋となっている寝室はマナーは守られているものの、人が多いため色々な雑音があちこちで発生していたが、今朝はam2:00から起きて活動していたので、すぐに深い眠りに落ちた。


クールメイユール付近から見たダン・デュ・ジェアン(中央の岩塔)とロシュフォール稜(右)


アオスタ付近から見たグラン・コンバン


グレソネイ付近から見たリスカム(中央)


ゴンドラの起点のスタッフェルから見たカストール(中央)


マントヴァ小屋へのトレイルから見上げたヴァンサン・ピラミッド(右)とリスカム(左)


マントヴァ小屋へのトレイル


マントヴァ小屋


マントヴァ小屋から見たリスカム


夕食のメインディッシュのカレー風味の羊の肉


マントヴァ小屋から見た夕焼けのモン・ブラン


  【リスカム】
  9月1日、am3:30起床。 大部屋の寝室は静まり返り、まだ誰も出発の準備をしている人はいない。 外のトイレに行くためにヘッドランプを点けて階下に下りていくと、食堂もまだ真っ暗で朝食の用意もまだされていなかった。 ありがたいことに空は満天の星空であり、目を凝らすとリスカムの黒いシルエットが微かに浮かんでいる。 体調も万全であり、体を早く起こすために準備運動をしながら昨夏涙を飲んだ憧れの頂に思いを馳せる。 誰もいない食堂で身支度を整えていると、今回も留守番役になってしまった妻も起きてきた。 am4:00過ぎに調理場の明かりが灯り、配膳カウンターの横のテーブルにパンやシリアルと飲み物が並べられた。 間もなくエルベ氏も食堂に現れたが、案の定これだけ大勢(多分100人位)の宿泊客の中で今日リスカムを登るのは私だけ(リスカムを登る人は上のニフェッティ小屋に泊まる)のようで、昨夜の夕食時の喧騒が嘘のような静けさであった。

  am4:50、妻に見送られて山小屋を出発。 暗闇の中、上方にニフェッティ小屋の灯が小さく見えるのが何とも不思議な光景だ。 5分ほど岩混じりのトレイルを登った所でアイゼンを着けてアンザイレンする。 遙か眼下の麓の町の夜景がとても綺麗だ。 雪が良く締まっているためアイゼンが良く利いて快適であるが、出発時間がエルベ氏の予定よりも遅かったせいかペースは昨日のように遅くはなかった。 山小屋を出発してから30分足らずでニフェッティ小屋からの明瞭なトレイルと合流すると、しばらくの間は傾斜は殆ど無くなり、逆に氏のペースはとてもゆっくりとなった。 すでにニフェッティ小屋から出発した先行パーティーのヘッドランプの灯火が上方で揺れている。 果してリスカムに向かうパーティーなのであろうか?。 昨年同様大勢の登山者によって踏み固められられたトレイルは明瞭でとても安定している。 傾斜は徐々に強まっていくが、この先のトレイルの状況もまだ記憶に新しく、また氏のペースも依然としてゆっくりなのでとても快適だ。 間もなく背後から勇ましい足音が近づき、若い二人組のパーティーが勢い良く傍らを追い越していったが、氏は彼らのペースに惑わされることなく、依然としてゆっくりではあるが休まずに私を導いていく。 傾斜がさらに一段強まると、トレイルはクレバス帯へと入った。 周囲がようやく白み始めてくると、何故か氏のペースも次第に早まっていった。 自分としては少しオーバーペース気味であったが、リスカムをリクエストした本人がのっけから弱音を吐いていたのでは情けないので、一生懸命氏のペースについていく。 今日は今シーズン最後の登山であり、もうあと数時間で憧れの山の頂に立つことが出来るのだからここは何とか頑張るしかない。 傾斜が緩くなるモンテ・ローザとのトレイルの分岐までの辛抱だ。

  左奥にあるモン・ブラン山群の山々や背後のグラン・パラディゾが淡いピンク色に染まり始め、荒い息づかいとは対照的にアルプスのドラマチックな夜明けのシーンが静かに進行している。 ヘッドランプも不要となった。 エルベ氏は人が変わったかのようにさらにグイグイと私を引っ張り続け、とうとう先ほど追い越していった若い二人組のパーティーに追いつき、今度は彼らを追い越してしまった。 酸欠で視野狭窄にでもなったのか、何となく目が霞んでくるような感じがする。 まるで肩で息をするような状態で呼吸を乱しながら登り続け、am6:30過ぎにようやくモンテ・ローザとのトレイルの分岐に着いた。 正面に見え始めたデュフールシュピッツェ(4634m)やツムシュタインシュピッツェ(4563m)の頂稜部が記憶に新しい。 高度計の数字は4000mを少し超え、山頂までの標高差の半分ほどを稼いだが、核心部のナイフエッジの雪稜を待たずにすでに全身の疲労感が激しい。 酸欠で注意が散漫になり、テルモスをザックから取り出すため不用意にスキー手袋を外して地面に置いてしまったところ、突然ちょっとした風が吹き、スルスルと手袋が斜面を滑っていった。 ザイルが邪魔ですぐに追いかけることが出来なかったので、手袋は20mほど先の雪庇の向こうに消えていった。 エルベ氏が「クレイジー(何たることだ)!」と叫んだが、予備に持っていたオーバー手袋を氏に見せると妙に感心していた。 行動食を頬張りながら写真を撮ろうとしたが、寒さでバッテリーが作動せずとても悔しかった。 上方のリスヨッホからリスカムのナイフエッジの雪稜に取り付こうとしている最初のパーティーの姿が豆粒ほどの大きさに見えたので安堵したが、彼らが途中で引き返してこないことを祈った。 「ペースが速かったら申し出て下さい」と氏が遅ればせながら言ったので、やはり途中から意識的にペースを上げたことが分かった。

  しばらく休憩した後、リスヨッホに向けてトレイルを左に折れたが、こちらの踏み跡は薄く、間もなく膝下のラッセルとなった。新雪に足を取られるとすぐに息が上がってしまい、疲労はますます蓄積されていった。 私達の辿る雪稜にはすでに3〜4パーティーが取り付いているのが見えたが、このトレイルの状況から見て、どうやら先行のパーティーはニフェッティ小屋からではなくジグナールクッペ(4554m)の頂に建つアルプス最高所の山小屋であるマルゲリータ小屋から出発したようであった。 勾配は緩いがすでに体は酸欠状態であるため、何とかごまかしながら足を上へ運ぶ。 間もなくモンテ・ローザとリスカムを繋ぐ稜線の鞍部であるリスヨッホ(4151m)に着くと氏は再び足を止めた。 ザイルを氷河の登高用から雪稜の登攀用に短くセットするためだ。 眼前には爽やかな青空を背景に急峻なナイフエッジの純白の雪稜が朝陽に照らされて輝き、先行パーティーの一筋のトレイルがその稜上に明瞭に刻まれていた。 スイスとの国境となるリスヨッホからはヴァイスホルンを筆頭にヴァリス山群の山々が望まれ、風も弱く登頂の可能性はにわかに高まった。 登り始める直前で待望のご来光となり、暖かな陽射しが背中に当たる。

  am7:30、いよいよ核心部のナイフエッジの雪稜の登りにかかる。 階段上につけられた先行パーティーのトレイルは今日のものだけではなく、昨日登ったパーティーの踏み跡を拡幅しているような感じであった。 見た目よりも痩せた雪稜の両側の傾斜はきつく、滑落したら自分では止めることは出来ない。 なるほど今日は天気もトレイルも安定しているが、もしそうでなければガイドと1対2のコンティニュアスでは登れ(下れ)ないだろう。 刺激的な雪稜はまだ雪が締まっている時間帯なので、登りに関しては全く問題は無かった。 問題なのは私の体の方であった。エルベ氏のペースは先ほどより遅くなり、私にとっても普通のペースであったが、まるで高所登山のように足が重く、すぐに息が切れる。 再び肩で息をしながら景色を愛でる余裕もなくただ夢中で氏の背中を追いかける。

  リスヨッホから20分ほどで200m近くの標高差を駆け上がり、いわゆる“肩”の部分に辿り着いた。 それまで見えなかった山頂方面の展望が一気に開け、山小屋や途中のトレイルから見上げた頂稜部の印象とはまるで違うスケールの大きさに思わず息を飲んだ。 高度計の数字から山頂までの標高差はもう200m足らずのはずだが、その頂はまだ遙か遠くに見えた。 エルベ氏に写真を撮りたいというリクエストをしたところ快諾されたが、その実はバテていたのでほんの僅かでも休みたかったのである。 足下のグレンツ氷河の流れていく先に、ダン・ブランシュ、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンのカルテットが頭を揃え、まるでギャラリーのように私達を見守っているかのようだった。 振り返ると後続のパーティーの姿は見えなかった。私達が殿(しんがり)なのであろうか?。

  肩の部分からは相変わらず痩せた吊り尾根を小刻みに登り下りしながら進み、頂稜部に向けての最後の登りでは尾根は少し広くなり、左に発達した雪庇を避けるように尾根の少し右下にトレイルが刻まれていた。 すでに先頭のパーティーが山頂に到着しているのが見え、次のパーティーがいる位置でルートの状況も良く分かる。 私達もあと30分ほどで山頂に辿り着きそうであった。 登頂を確信し、いつもであれば小躍りしたくなるような心境であったが、今はそんな気持ちさえ起こらないほど足取りが重い。 グランド・ジョラスの時はまだ高所に順応していなかったので仕方がないが、今日は充分に順応しているはずだから本当に情けない。 酸欠のため筋肉の疲労が全く回復していなことが分かり、日頃のトレーニング不足を痛感した。 エルベ氏と繋がれたザイルは張りっぱなしでたわむことはなく、私の不調を察知した氏が時々心配して振り返る。 “こんなことではヴェルトにはとても登れないぞ”と自らに檄を飛ばすが、私のぺースはますます遅くなる一方であった。

  純白のトレイルに岩が混じり始め、指呼の間に人影が見えた。 登頂の喜びよりも、ようやくこの苦しさから解放されるのかという安堵感が先に立っていた。 間もなく錆びた古い十字架が見え、二人組のパーティーがその傍らで寛いでいた。 そこは山頂の僅かに手前の岩場で、山頂(東峰)はさらに5mほど上の雪庇の上であった。 後ろからエルベ氏を確保しながらちょっとした岩を攀じり、am8:40に憧れのリスカム(4527m)の頂に辿り着いた。 山小屋を出発してから4時間足らずであったが、予想に反して辛くて苦しい登高だった。 「メルスィー・ボクー!、サンキュー・ベリー・マッチ!」。 私の強引なリクエストに快く応じてくれたエルベ氏と固い握手を交わし、言葉が足りない分は体全体で感謝の気持ちを伝えた。『ジルバー・バスト(白銀の鞍)』という別名どおり、雪庇の発達した長大なうねるような稜上にはまだトレイルが続き、先行パーティーが西峰(4479m)を目指している姿が見えた。 雪稜は西峰を境に標高をぐっと下げ、カストール、ポリュックス、ブライトホルンの頂がその先に続き、このまま下り基調に縦走を続けていきたい気持ちに駆られたが、幸か不幸か体はもう言うことを聞かなかった。 初めから計画と打ち合わせをしておけば、昨年ガイドのジジ氏が言ってたとおり西峰に縦走した後、クィンティノ・セラ小屋を経由して登山口のスタッフェルに下りる周回ルートを辿ることも可能であったことだろう。 しかしながらモンテ・ローザ同様、ゴルナーグラートの展望台から何度も仰ぎ見た遙かなる高嶺の頂に辿り着けた喜びは格別であった。 雲一つ無い快晴の空の下、モン・ブラン、モンテ・ローザに続きアルプスで三番目の標高を誇る山頂からは、眼前に対峙するモンテ・ローザの主峰のデュフールシュピッツェや今年も厚く雪化粧したマッターホルンとダン・ブランシュ、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンの岩峰のカルテットのみならず、ドムの背後に遠望されるベルナー・オーバーラントの山々やモン・ブラン山群の山々までくまなく見渡すことが出来た。 氏とお互いの記念写真を撮り合った後、大展望に歓喜しながら何枚も同じような構図の写真を撮りまくり、昨日の雪崩の悪夢も忘れさせてくれるような至福の時を過ごした。

  10分ほど経過したであろうか、行動食を食べようとザックを下ろしたところ、意外にもエルベ氏から「少し風が出てきたので、下(リスヨッホ)で休みましょう」と下山を促された。 天気に恵まれたこの展望の頂にもう少し留まりたかったが、昨日の雪崩の教訓を生かして素直に氏の指示に従うことにし、僅か10数分ほどでほろ苦い想い出の山頂を辞した。 いつの間にか高くなっていた太陽の暖かな陽射しをまともに浴びている雪稜の雪は緩み始め、まだアイゼンの爪は利くが、もうしばらくするとコンティニュアスでスピーディーに下るには難しくなりそうであった。 ピッケルをしっかりと打ち込みながら慎重に下るが、安全と思われる所ではその都度氏に声を掛け、立ち止まって写真を撮らせてもらう。 途中ガイドレスと思われる2組のパーティーとすれ違ったが、結局今日リスカムを登ったのは私達を含めて6〜7パーティーであった。

  純白の大海原(氷河)に島のように浮かぶモンテ・ローザの衛星峰を正面に見据えながら、高度感たっぷりの刺激的な雪稜を休まずに下り続け、山頂から50分ほどで雪稜への取り付きであるリスヨッホに無事下山した。 登りでは気が付かなかったが、無数のシュカブラが純白の氷河のキャンバスに芸術的な幾何学模様を描いていた。 先ほど一旦強まった風も収まり、氷河上は照り返しで暑くなってきた。 ジャケットを脱ぎ、今は有り難みを感じない熱い紅茶を一気に飲み干した。 憧れのヴァイスホルンを眺めながら行動食を頬張る。 ヴェルト同様、あの山の頂にも何としても立ちたいものだ。 しばらく休憩した後、朝方ラッセルした自分たちの踏み跡を辿り、モンテ・ローザへのトレイルの分岐に向かう。 分岐に近づくと一人の小柄な登山者が佇んでいる姿が見え、間もなくそれが妻であることが分かった。 内心はとても嬉しかったが、いくら易しいルートとは言え単独で氷河を登ることはアルプスの山では非常識とみなされ、エルベ氏の手前もあるので、気持ちとは裏腹に妻を叱らざるを得なかった。 案の定氏も「クレイジー!」と叫び、軽率な妻の行動に驚いていたが、山(頂)に対するこだわりがない妻にとっても今シーズンはいつも私の留守番役でストレスが溜まっていたのであろう。 早速氏が妻をザイルの中間に繋ぎ、3人で山小屋まで下山することになった。

  ニフェッティ小屋を過ぎてル−ト上からクレバスの危険がなくなった所でザイルが解かれ、am11:15にマントヴァ小屋に到着。 モンテ・ローザに登る登山客を送り出した山小屋は昨日の賑わいが嘘のようにガランとしていた。 エルベ氏と再び固い握手を交わしてお礼を述べ、早速ビールを勧めた。 昨日同様今日も雲一つない快晴の天気が続き、山小屋のテラスで祝杯を上げながらリスカムを眺めて登頂の余韻に浸る。 ゆっくりとランチを食べ、お昼寝でもしていきたい気分であったが、pm1:30からのゴンドラの運行時間に合わせて下山したいという氏の希望もあり、昼食は麓の町でとることにして正午に想い出の山小屋を後にした。 昨日同様途中のプンタ・インドレインで休むことなく一気に山を下り、ゴンドラ乗場のサラティバスまで1時間半ほどで着き、ゴンドラを乗り継いで登山口のスタッフェルにはpm2:00前に着いた。 スタッフェルを車で出発して間もなく、グレソネイという小さな町のレストランで久々にゆっくりと食事をとり、氏と拙い英語で山の話に花を咲かせたが、何といっても一番の話題はやはり昨日の雪崩の一件であり、氏も運命を共にすることになったかもしれなかった私とは何か特別な縁を感じているとのことであった。

  昼食後、モンテ・ローザの銀嶺に見送られてサン・マルティンのICから高速道路に入る。 このまま順調に行けばあと1時間ほどでシャモニに戻れるはずであったが、グランド・ジョラスやロシュフォール山稜を仰ぎ見るクールマイユールの町を過ぎた所でモン・ブラン・トンネルの渋滞につかまってしまった。 道路脇には『ここから1時間、〜45分、〜30分』といった標識が見られ、慢性的に渋滞することを示唆していた。 1時間ほど渋滞にはまり、ようやくトンネルを通過すると、反対(フランス)側の出口付近には大型のトラックが横転しており、この渋滞の原因を作っていたことが分かった。 結局シャモニにはpm6:00に着き、エルベ氏に30ユーロのチップを手渡し、再会を誓い合って別れた。 神田さんの携帯に電話を入れ、リスカムの登頂報告と明日の行動予定を伝えると、明日の朝に滞在費用とガイド料の精算にアパートまで来て下さるとのことであった。 アパートに戻ってシャワーを浴びてから帰国のための荷物の整理を行い、シャモニでの最後の夕食を『さつき』に食べに行った。 若松さんの下山予定は明日だったので、念のため携帯に電話をしてみたが、残念ながら繋がらなかった。


妻に見送られてエルベ氏と山小屋を出発する


モルゲンロートに染まり始めるモン・ブラン


グラン・パラディゾ


モンテ・ローザとリスカムを繋ぐ稜線の鞍部でスイスとの国境となるリスヨッホ


リスヨッホからリスカムの“肩”の部分へナイフエッジの雪稜を登る


“肩”の部分を越えた先から見た山頂


“肩”の部分を越えた先から振り返り見た“肩”の部分


リスカムの山頂


リスカムの山頂から見たモンテ・ローザの主峰のデュフールシュピッツェ


リスカムの山頂から見たモンテ・ローザの衛星峰


リスカムの山頂から見たヴァイスホルン


リスカムの山頂から見たリスカム西峰(右手前)とマッターホルン(中央奥)


リスカムの山頂から見たドム


山頂からナイフエッジの雪稜を下る


リスヨッホから見たデュフールシュピッツェ(中央)とツムシュタインシュピッツェ(右)


モンテ・ローザへのトレイルの分岐から見たリスカム


モンテ・ローザへのトレイルを単独で登ってきた妻をザイルで結ぶ


昨日の賑わいが嘘のように静かなマントヴァ小屋


マントヴァ小屋のテラスでエルベ氏と祝杯を上げる


マントヴァ小屋から見たリスカム


プンタ・インドレインを経てサラティバスへ下る


クールマイユールの町から仰ぎ見たグランド・ジョラス


  【別れ】
  9月2日、am6:30起床。 薄雲は多少あるものの、空の色は澄んでいる。今日も良い天気になるのであろうか。 朝食を残飯整理で済ませ、荷物のパッキングを済ませる。 明日の帰りの飛行機の出発時間が早いので、今日は昨年も泊まったチューリッヒ空港の近くのホテルに移動して泊まるが、チェックインは夜遅くでも構わないので、天気が良ければどこか適当な所にハイキングに行こうと思った。 早朝から若松さんの携帯に何度か電話をしてみたが、まだ下山されていないのか繋がらなかった。

  am9:00に神田さんが岡村(貴)さんと共にアパートに来られ、滞在費用とガイド料の支払いをする。 ガイド料についてはグランド・ジョラスが845ユーロ(邦貨で約126800円)、プラン針峰が355ユーロ(邦貨で約53300円)、ドロワットが640ユーロ(邦貨で約96000円)、2回目のドロワットとリスカムは抱き合わせで1080ユーロ(邦貨で約162000円)という料金であったが、このうちリスカムは760ユーロ(邦貨で約114000円)であり、雪崩に遭ったドロワットについてはエルベ氏との協議の上、半額の320ユーロという異例の措置がとられたようであった。 念のため、ヴェルトのガイド料について神田さんに訊ねたところ、グランド・ジョラスと同じ845ユーロとのことであり、私の熱意が伝わったのか「次回は是非ヴェルトに登れるように手配しましょう!」と力強く約束してくれた。 神田さんは今日は休日とのことであったが、モン・ブラン登山の手配等でひっきりなしに携帯が鳴っていて、相変わらず忙しそうであった。 神田さんに相応のチップを手渡して見送った後、岡村(貴)さんとしばらく歓談する。 岡村さんは地方のある会社に勤めていたが、男女の待遇の格差に疑問を感じて退職された後、得意の語学を生かしたいため渡欧されたが、フランスの田舎町では英語が全く通じず、シャモニに来てA・P・Jに勤めることになったとのことであった。 日本での登山経験は多少あるが、最近では妹さんがクライミングを始められて、今では自分より山に夢中になっているとのことであった。

  am10:00過ぎに岡村さんに鍵を渡し、アパートをチェックアウトする。 早朝は良かった天気は残念ながら下り坂のようであったが、スネルスポーツで荷物を預かってもらい、バルムのコルへのハイキングに出掛けることにした。 シャモニの駅から登山電車に乗り、4つ目のモンロックという駅で下車する。 車窓からはヴェルトとドリュが灰色の空を背景に凄味を帯びて望まれたが、やはりアルプスの山には青空が似合っている。 バルムのコルへ上がるゴンドラ乗り場のあるル・トゥールまで緩やかな坂道を登っていく。 後退した氷河の舌端が間近に迫り、牧歌的な風景にアクセントを付けている。 道路の両脇には別荘のような建物が点在し、ジョギングしている人の姿も見られた。

  だらだらと30分ほど歩いていくとゴンドラ乗り場の前に広い駐車場があり、車も結構停まっていた。 ここをトゥール・デュ・モン・ブランの起点や終点にしている人も多いようで、中にはロバで沢山の荷物を運んでいる団体客の姿も見えた。 残念ながら天気は相変わらずの曇天であり、山の方は雨模様であった。 電光掲示板にはゴンドラとリフトを乗り継いだ終点のバルムの気温は5℃と表示されていた。 トイレの前のベンチで1時間ほど天気の回復を願って待っていたが、とうとう小雨が降り始めてしまったので、潔くハイキングは取り止め、ちょうど到着した循環バスに乗ってシャモニに帰ることにした。 再び若松さんに電話をしてみたが、まだ繋がらなかったので、土産物屋を見て回りながらスネルスポーツに預けてある荷物を回収し、pm2:42発の登山電車に乗って日本への帰途に着いた。 スイスとの国境の峠にあるル・シャトラール・フロンティエール駅で乗り換え、マルティーニに向かって下り始めた時に若松さんからの待望の電話があり、先ほどシャモニに戻られたとのことであった。 若松さんに渡しておいた私の計画表ではシャモニを発つ日が誤って明日の朝になっていたため、まだ私達がシャモニ付近にいると思われていたようであった。 登山電車は1時間に1本しかなく、次の駅で下車してトンボ返りで再び国境を越えシャモニに戻っても、すぐにまたシャモニを発たなければならないので、仕方なく電話でお互いの山行の成果を報告し合い、日本での再会を約束した。 若松さんが今回縦走されたオート・ルートは予想どおりとても素晴らしかったという話しを伺い、私もいつか是非行ってみたいという思いが強くなった。 若松さんは今晩シャモニでお互いの報告会が出来ることを楽しみにされていたようで本当に申し訳なかった。

  今シーズンのアルプス山行では、念願だったグランド・ジョラスに登れたことが一番の収穫であり、原始の香りが漂うその純白の頂は決して忘れることの出来ない想い出の場所となった。 一方のエギーユ・ヴェルトは下見は出来たものの、その頂に辿り着くためには色々な条件が揃わないと難しいという認識を新たにした。 またラ・メイジュはアプローチの不便さ、グラン・コンバンは情報量の不足が今後も課題となりそうであった。 一方、ジョラスではヒドゥンクレバスを、ドロワットでは初めて雪崩を経験したりして、アルプスの山の厳しさを再認識した。 他方、今回も色々な方々と出会い、そして皆さんのお蔭でアルプスの山旅を楽しむことが出来た。 マルティーニの駅でのガイドの増井さんとの偶然の再会に始まり、シャモニではエージェントの神田さん、美智子さん、岡村さん姉妹、ガイドの江本さん、そして何といっても若松さんとお会い出来たことが、本当に良い想い出となった。 もちろん、命を預けたガイドのクリストフ氏とエルベ氏との素晴らしい登攀の記憶は、私のみならず両氏も決して忘れることはないだろう。 そしてもう一人、今回はずっと私のサポート役になってしまったばかりか、色々な心配や度重なるドタバタ劇で迷惑をかけてしまった妻にも心から感謝したい。


アパートの窓から見たモン・ブラン


予想以上に快適だったシャモニの駅前のアパート


登山電車の車窓から見たヴェルト(中央左)とドリュ(中央右)


バルムのコルへ上がるゴンドラ乗り場のあるル・トゥール


山 日 記    ・    T O P