エギーユ・ド・トゥール(3535m)

   9月2日、am4:30起床。 今年のアルプス山行も今日で終わりだ。 昨夜はどうしたことか、興奮していて殆ど眠れなかった。 今日はシャモニを夕方に発たなければならないので、ここから短時間で登れるトゥール・ロンド(3792m)を登る予定だ。 仏語で“丸い塔”を意味する同峰は、モン・ブラン三山(モン・ブラン・モン・モディ・モン・ブラン・デュ・タキュル)の前衛峰で、その山頂からはモン・ブラン三山が迫力ある姿で望めるという人気のピークだ。

   食堂に行くと今日も同じ山を登るキャシー氏とアンドリューさんの姿があった。 am5:30にアメリカ隊と健闘を誓い合って相次いで山小屋を出発する。 ヘッドランプの灯を頼りに、一昨日エギーユ・デュ・ミディから辿ってきたトレイルを戻るように緩く下る。 しばらくすると先行していたアメリカ隊はなぜかトレイルを離れ、トゥール・ロンドとは正反対の右手の方角に向かって行った。 急遽予定を変更したのか、それともどこかに朝焼けの写真を撮りに行ったのだろうか?。 下りの勾配が少し急になり、その分だけ帰路の登り返しがきつくなる。 山小屋から30分ほど下るとようやくミディへのトレイルを左に分け、まだ暗くて見えないトゥール・ロンドの方角に向かって緩やかに踏み跡を登り始めた。 間もなく東の空が白み始め、背後には天を突く槍の矛先のようなダン・デュ・ジェアンのシルエットがだんだんと浮かび上がってくる。 前方にようやくトゥール・ロンドのシルエットがうっすらと見えてくると、背後のダン・デュ・ジェアンやエギーユ・ヴェルトの上空が茜色に染まり始めたので、ジェラー氏を呼び止めて写真を撮らせてもらう。 昨日のモン・ブランの朝焼けに続き、今日もこの荘厳なアルプスの夜明けのシーンに立ち会うことが出来てとても嬉しかった。 まだ明けきらぬ空の下、朧げに見える幻想的なモン・ブラン・デュ・タキュル東面の針峰群を右手に見上げながら、傾斜の緩い斜面を取り付きのアントレーヴのコルに向けてゆっくり登る。 間もなく正面に目標のトゥール・ロンドの頂稜部がはっきり見え始めた。 振り返ると遠目にアメリカ隊がこちらに向かって歩いてくるのが見えてホッとした。 ペースは相変わらずゆっくりなので、歩きながら周囲の写真を撮り続ける。 今日も爽やかなアルプスの山の空気を肌で感じながら登ることが出来て幸せだ。

   山小屋を出発してから1時間少々でトゥール・ロンドの南東稜に突き上げる急な岩場が見えてきた。 ガイドブックによれば、この岩場を登って直接南東稜のフレッシュ・フィールドのコルに至るルートは落石が多いため専ら下山ルートとして使われ、登りの一般ルートはここからもう少し氷河を左に詰めたアントレーヴのコルから南東稜に取り付くと記されていたが、岩場が間近に迫った所でジェラー氏は足を止め、「ご覧のとおりルートの状態が悪いので、残念ながら今日はトゥール・ロンドには登れません。 代わりにあの山を登ります」と一言だけ説明し、背後の尖った岩峰のエギーユ・ド・アントレーヴ(3600m)を指した。 ここから見上げた南東稜への岩場は確かに脆そうでガレていたが、登りの一般ルートの取り付きのアントレーヴのコルに行かずに登頂を諦めるのは不可解だったが、もともと今日は半日行程の“おまけ”の登山なので、ルートを熟知した氏の提案に素直に従うことにした。 意外にも氏の説明では、これから登るエギーユ・ド・アントレーヴのみならず、帰りのゴンドラの駅のエルブロンネまで稜線を縦走するとのことだったが、短時間でそんなことが本当に出来るのだろうか?。 ナイフエッジの岩稜が続くエギーユ・ド・アントレーヴの登攀はトゥール・ロンドより200mほど標高が低いため体力的には楽そうだが、技術的には難しそうに見え、このマイナーな山が登山対象となっていることも意外だった。 am7:00ちょうどにエギーユ・ド・アントレーヴの取り付きに着いたところでご来光となった。 多少薄雲は広がっているが、今日も良い天気になりそうだった。 ヘルメットを被りアイゼンを外しながらしばらく休憩する。 アメリカ隊のお二人も先ほどの岩場の手前に着いたが、しばらくそこで立ち止まった後にこちらに向かって登ってきた。 もともと今シーズンは一般ルートの南東稜が使えなかったのか、それとも地元のガイドの氏の意向に従ったのだろうか?。


未明のトゥール・ロンド


未明のエギーユ・ヴェルト


ダン・デュ・ジェアンとアメリカ隊


トゥール・ロンドの取り付きとアメリカ隊


エギーユ・ド・アントレーヴの取り付きに向かう


   岩が複雑に堆積しているナイフエッジの岩稜は正しいルートを行けば全く難しくはなく、所々で踏み跡さえ見られた。 間もなくアメリカ隊のお二人が足下の取り付きに着いたので、手を振りながらお互いに写真を撮り合う。 憧れのエギーユ・ヴェルトを正面に見据えながらの高度感ある展望抜群のナイフエッジの岩稜の縦走は、昨日のロシュフォール稜と同じ“贅沢な大人の遊び”だった。 トゥール・ロンドには登れなかったが、見える景色に大差はなく、今回の山行のフィナーレを飾るには申し分なかった。 エギーユ・デュ・ミディの頂稜部に朝陽が当たり始め、今日西廣さん夫妻が予定されている同峰のヴァリエーションルートのコスミック山稜が遠望された。 そろそろ西廣さん夫妻が朝一番のロープウェイに乗ってミディに上ってくる時間となった。 お二人もミディからの雄大な展望に言葉を失うことだろう。 後続のガイドレスのパーティーが先ほどの岩場の前に着いたが、立ち止まることもなく一般ルートの取り付きのアントレーヴのコルへ向かって行った。 登りながら彼らの動向をうかがっていたが、どのパーティーも南東稜に取り付くことなく引き返し、ジェラー氏の判断が正しかったことがあらためて分かった。 山頂まであと僅か数ピッチとなる核心部の急な岩場とのコルにさしかかった時、ジェラー氏は躊躇無くコルから右側の斜面を下り始め、山頂直下の基部をトラバースしながら反対側の尾根に向かった。 こちら側から山頂に登るのは難しいので、迂回して反対側の尾根から登るのだろうか?。 念のため氏にルートを確認したところ、あっさり「1対1なら可能ですが、今日は二人なので山頂には登りません」という答えが返ってきた。 やはりこの山は見た目どおりの難しい山だった。 反対側の尾根まで岩屑の上に印された踏み跡に従って下り気味にトラバースを続けていくと、核心部を登り始めたアメリカ隊の姿が見られ、少々羨ましかった。


エギーユ・ド・アントレーヴの取り付きに着いたアメリカ隊


岩が複雑に堆積しているナイフエッジの岩稜


高度感ある展望抜群のナイフエッジの岩稜


エギーユ・ド・アントレーヴの稜上から見たトゥール・ロンド


山頂への核心部を登るアメリカ隊


山頂への核心部を登るアンドリューさん(キャシー氏の撮影)


エギーユ・ド・トゥール(手前)とダン・デュ・ジェアン(右奥)


   トラバースを終えて反対側の尾根に合流し、そのまま尾根をクライムダウンして再び氷河に降り立った。 巻き道を通って1時間少々でエギーユ・ド・アントレーヴの縦走を終えると、再びアイゼンを着け、次の目標のエギーユ・ド・トゥール(3535m)に向けて、先ほど辿ったトレイルを目指して下る。 トレイルに合流してしばらく緩やかに下り、大きなクレバスを一つ跨いだ後に再びトレイルを外れ、エギーユ・ド・トゥールへの登りにかかる。 ここから山頂までの標高差は200m足らずだが、眼前には45度位の急な雪壁が立ちはだかり、本当にここを登れるのかと思った。 雪壁に近づいて行くと、意外にも理想的なつぼ足の階段があった。 この時間帯では雪が固くて足を深く蹴り込めないので、昨日の午後に誰かがここを登ったのだろう。 ピッケルのブレードを刺しながら、リズミカルにコンテニュアスで登る。 先ほどの岩稜の登攀よりも緊張感のある刺激的な登りだ。 このつぼ足の階段がなければ、登攀は相当困難で時間も多く掛っただろう。

   20分ほど緊張感のある雪壁を登り続けるとようやく傾斜も緩み、山頂直下の岩場にさしかかった所でアイゼンを外し、間もなく大きな岩が堆積しているエギーユ・ド・トゥールの山頂に着いた。 予想どおりマイナーな山なので、周囲には私達以外の人影は全くない。 アメリカ隊も登ってくることはないだろう。 この山は荒々しい周囲の針峰群と比べたらまるで丘のような存在だが、昨日登ったロシュフォール稜や眼前のトゥール・ロンド、そしてその背後に悠然と聳えるモン・ブラン三山の眺めは格別だった。 的確な判断で登山を中止することなく臨機応変な対応で私達を楽しませてくれたジェラー氏にあらためて敬意を表し、妻と代わる代わるお礼を述べて固い握手を交わす。 溢れんばかりの達成感や充実感といったものは残念ながら湧いてこないが、二週間のアルプス山行の余韻を味わうには充分過ぎる登山だった。

   風も全く無く居心地の良い頂だったが、氏に記念写真を撮ってもらい早々に下山する。 縦走なので先ほどの雪壁は下らず、反対側の岩場をフランボーのコルに向けて下る。 氷河への取り付きの手前のガレ場の下降中に、握り拳ほどの石が音もなく転がり落ちてきて右手の甲に当たり、飛び上がるほど痛かったが、幸い打撲だけで済んだようで安堵した。 ゴールのエルブロンネの駅までの間にもう一つのピーク(グラン・フランボー)があったが、時間の関係でこれには登らず、その基部を左から巻きながら氷河を緩やかに登り返す。 am10:30にイタリアとの国境のエルブロンネの駅に着いた。


エギーユ・ド・トゥールの取り付きに向かう


エギーユ・ド・トゥールへ登る


エギーユ・ド・トゥールへの登りから見たエギーユ・ド・アントレーヴ


エギーユ・ド・トゥールの山頂


山頂から見たエギーユ・デュ・ミディ(左上)とヴァレー・ブランシュ


グラン・フランボーの基部を左から巻きながら氷河を緩やかに登り返す


ジェアン氷河から見たダン・デュ・ジェアン


ジェアン氷河から見たエギーユ・ヴェルトとドリュ(左の岩塔)


    立ち入り禁止の柵をくぐり、イタリア側からの観光客で賑わっている展望台に上がる直前でザイルが解かれた。 ジェラー氏をゴンドラの駅舎に待たせ、しばらくの間展望台からの景色を楽しむ。 国境を越えてエギーユ・デュ・ミディとの間を結んでいる3両編成のゴンドラは1台が4人乗りの小さなものだった。 観光パンフレットによれば、エルブロンネとエギーユ・デュ・ミディの間は5kmだが、展望をより楽しめるように、途中5ヵ所で数分間停車するため、30分を要するとのことだった。 ヴァレー・ブランシュは歩いても良いし、ゴンドラに乗って上から眺めるのもまた良しで、今回のように往きが歩き、帰りがゴンドラというのが一番理想的なように思えた。 上から眺めたヴァレー・ブランシュはクレバスだらけだったが、クレバスが雪で埋まる冬のスキーシーズンに是非スキーで滑ってみたいと思った。 アイガーやメンヒの山腹の固い岩盤を掘削して作られたユングフラウヨッホの登山鉄道の発想も凄いが、広大な氷河の上に支柱もないゴンドラを架けるという発想も凄い。 ミディの展望台が近づいてくると、展望台の真下の赤茶けた岩の垂壁に命知らずのクライマー達が何人もへばりついている姿が見えた。 観光客にとってエギーユ・デュ・ミディは展望台だが、クライマー達にとってそれはあくまでも山(壁)なのだ。

   am11:30過ぎにミディの展望台の真下の駅に到着。 ジェラー氏から神田さんに携帯電話で下山の連絡を入れてもらう。 氏にあらためて延べ3日間の山行のお礼を述べ、30ユーロのチップを手渡す。 意外にも氏の口から「ありがとう!」という日本語が返ってきたので驚いた。 恐らく氏が喋れる唯一の日本語だろう。 再会を誓って氏と別れ、観光客に紛れて展望台へ上がる。 今日も天気が良いため展望台は多くの観光客で賑わい、アルペンホルンの生演奏もやっていた。 穏やかなモン・ブランのボス山稜がすっきり望まれ、先ほどエルブロンネの展望台から眺めた同峰の荒々しいブレンヴァ・フェースとは全く趣を異にしていた。 標高差で2700mほどあるシャモニの町が遙か眼下に見渡せ、山としては難攻不落のエギーユ・デュ・ミディに展望台を作ろうと考えた人々の気持ちが良く分かるような気がした。

   しばらく北側の展望テラスからの眺めを楽しみ、コスミック山稜の登攀ルートのゴール地点の南側の展望テラスに行き、西廣さん夫妻の到着を待つ。 間もなくミックスとなっている大きな岩塔の下に3人の姿が見えた。 フィリップ氏に導かれて現れたお二人は、胸のすくような登攀とモン・ブランを背景にした最高のロケーションを満喫したようだった。 最後は鉄梯子で展望テラスに這い上がってきた3人を写真を撮りながら出迎え、登攀の終了を祝して皆で握手を交わし合った。 氏に最後の記念写真を撮ってもらい、憧れのエギーユ・ヴェルトとグランド・ジョラスに別れを告げ、神田さんが待つシャモニへロープウェイで下った。


エルブロンネのゴンドラの駅舎


   ゴンドラの車窓から見たエギーユ・ド・トゥール(左)とトゥール・ロンド(右)


ゴンドラの車窓から見たエギーユ・デュ・プラン(プラン針峰)


エギーユ・デュ・ミディの南壁を登るクライマー


コスミック山稜を登攀中の西廣さん夫妻のパーティー


コスミック山稜の登攀を終えた西廣さん夫妻    背景はモン・ブラン


山 日 記    ・    T O P