8月31日、am7:00起床。 嬉しいことに今日も快晴だ。 私達は今日からトリノ小屋に2泊するので、シャモニでの6日間の滞在期間中ホテルには2泊しただけで、残りの4日間はホテルが荷物の保管場所となってしまい嬉しい悲鳴だ。 am8:00に神田さんとフィリップ氏が相次いでホテルに現れたが、意外にも氏の甥という若者も一緒だった。 西廣さんにその辺りの事情を聞くと、彼は高校生ながらオートルートを縦走した経験もあるとのことで、今回氏の提案で急遽一緒に行くことになったらしい。 グラン・パラディゾであれば1対3でも全く問題なく、またより想い出に残る山行になるだろうが、ガイドとしてそのような発想をする氏はやはりとてもユニークな方なのだろう。
グラン・パラディゾに向かう4人を見送り、神田さんからエギーユ・デュ・ミディまでの往復のロ−プウェイ、帰りのエルブロンネからミディまでのゴンドラ、トリノ小屋の宿泊のバウチャーをいただく。 ガイド料・交通費・ホテル代の精算は下山後にホテルで行うことを約して相変わらず多忙な神田さんを見送った。 ホテルから目と鼻の先にあるバルマ広場へ行くと、今日も青空の下にモン・ブランの頂やミディを始めとするシャモニ針峰群がすっきりと望まれ、早くも気持ちが昂る。 念のため観光案内所に行き天気予報を確かめると、向こう2〜3日は快晴とはなっていないものの、雨や雪の心配は全くなさそうで安堵した。 まだ人出の少ないシャモニの町を散歩してからホテルに戻り、最後の山行の準備と帰国の準備をする。 昼食は少しでも帰りの荷物を軽くするため、持参した食料をかき集めて自炊した。
pm0:40、照り返しのきつい道路を10分ほど歩き、町外れのロ−プウェイ乗り場へ向かう。 シャモニ観光の目玉のエギーユ・デュ・ミディの展望台へのロ−プウェイは、混雑を避けるために人数制限を行っていた。 約束のpm1:00ちょうどにジェラー氏が現れ、ロ−プウェイの列に並ぶ。 天気が良いので観光客は多い。 3年前に初めてシャモニを訪れた時は、2週間も滞在しながら天候不順でミディの展望台へは行ってないので、どんな景色が待っているのか楽しみだ。 標高3795mの展望台の駅まではここからの標高差が2700mほどあり、ロ−プウェイは途中のプラン・ドゥ・レギーユ(2310m)という中間駅で乗換えとなる。 プラン・ドゥ・レギーユ付近からは左手にシャモニ針峰群が車窓から間近に迫り、エギーユ・デュ・ミディの荒々しい北壁を舐めるように上がっていくロ−プウェイからの迫力ある景色に圧倒され続けた。 まるで剣山を思わせるような際立った岩塔のピークはプラン針峰(3673m)だろうか?。 念のため氏に訊ねてみたが、それ以外の無数のピークやコルについても仏語の発音で「エギーユ・○○○、コル・ド・△△△」といった具合に早口でまくし立てられたので、結局さっぱり分からなかった。
麓から30分ほどで待望のミディの展望台の真下の駅に到着。 階上の展望台は予想以上の人出で賑わっていた。 上を見上げると猫の額ほどの狭いエギーユ・デュ・ミディ(3842m)の頂上に建てられたロケットのような巨大なアンテナがとても異様だった。 展望台へは明後日の帰りに上がることにして、ヴァレー・ブランシュ(氷河)への出口へ向かう。 隣接する岩峰を連結するようにして作られたこの展望台は構造が複雑で、案内板がないと迷子になりそうだった。 モン・ブランのボス山稜が青空の下にくっきりと望まれ、まさに“岩と雪の殿堂”という表現がぴったりのシャモニ針峰群とその向こうに憧れのエギーユ・ヴェルト、その右手に連なるレ・ドロワット(4000m)等の無数の岩峰のピーク、最後の仕上げは憧れのグランド・ジョラスとダン・デュ・ジェアン(4013m)、そしてこの両峰を結ぶ稜線のロシュフォール稜だった。 この素晴らしい大パノラマは、アルプスでは屈指の展望を誇るゴルナーグラートやユングフラウヨッホの展望台とは違う独特の個性があり、往復のロ−プウェイ代@35ユーロ(邦貨で4,900円)を支払ってもまだお釣りがくるほどだった。
氷河をくり抜いたトンネルの出口でアイゼンを着け、アンザイレンして私を先頭にヴァレー・ブランシュへとナイフエッジの急峻な雪稜を下る。 雪稜には多くの人の足跡が刻まれ、見た目ほど恐くはなかった。 登山経験のない一般観光客は展望台から奇異の眼差しで私達のことを見ていることだろう。 正面にエギーユ・ヴェルトを望みながら右方向へと回り込み大雪原へと下っていく。 すぐに傾斜は緩み、見上げると赤茶けた岩塔の上のミディの展望台がまるで要塞のように見えた。 モン・ブランからの下山か、私達と反対にトリノ小屋(ゴンドラの終点駅のエルブロンネ)から来たのか、こちらに向かってくる人は多いが、この時間からトリノ小屋へ向かうのは私達だけのようで、よくこの危険な時間帯に行くことをジェラー氏が提案したか不思議だった。
雪稜を下りきると、いよいよ氷河トレッキングの始まりだ。 ピッケルからストックに持ち換え、僅かに下り勾配となっている明瞭なトレイルをモン・ブラン・デュ・タキュル(4248m)を正面に見据えながら氷河の核心部に向けて進む。 ガイドブックによると、目的地のトリノ小屋まではエギーユ・デュ・ミディから650mを下り、300mを登り返すらしい。 ヴァレー・ブランシュは予想以上に広く、上空に架かっている3両編成のゴンドラの存在も意識しないと全く気がつかない。 最初は鼻歌交じりのお気楽ムードだったが、好展望や青空と引き換えに、午後の強烈な陽射しと照り返しのきつい雪原を歩くことがだんだん苦痛になってきた。 コスミック小屋を右上に見上げ、モン・ブラン・デュ・タキュルへ延びるトレイルを右へやり過ごした辺りから運良く所々で雲が湧き、適当に陽射しを遮ってくれて助かった。 所々にクレバスが見られるようになったが、なぜかジェラー氏は依然として私に先頭を任せたままだった(結局最後まで)ので、所々で足を止めて氏に写真撮影の許可を乞うと、氏はその都度笑顔で「ノッ・プロブレ〜ム!、ノッ・プロブレ〜ム!」と快く応じてくれた。 明日の登山もこの調子でいけば良いと願う。 僅かに下り勾配となっている明瞭で単調なトレイルが延々と続く。 時間帯が遅いせいか周囲に人影は全くなくなり、広大な大雪原を私達だけで独占しているかのようで気持ち良かった。 この大雪原の真下を全長11kmのモン・ブラン・トンネルが通っているのだから驚きだ。
モン・ブラン・デュ・タキュルの東側に回り込むと、まるで氷河を突き抜けて下から隆起したような無数の針峰や奇峰が見られた。 ジェラー氏にこれらの針峰群の名称を訊ねると、先程と同じ口調で「グラン・キャピサン、エギーユ・○○○、コル・ド・△△△」といった具合に早口でまくし立てたので、完全には理解出来なかったが、これらの無数の岩峰の一つ一つに名称があることに驚いた。 今もどこかの岩壁を命知らずのクライマー達が攀じっていることだろう。 正面に大きく見え始めたトゥール・ロンドもこれらの尖峰の一つであるが、登り易いルートが開拓されているので素人の私達のレベルでも行けるのだろう。 “巨人の歯”と呼ばれるダン・デュ・ジェアンの巨大な岩塔が次第に近づき、その僅か左にようやく目立たないエギーユ・ド・ロシュフォールのピークが見えた。 グランド・ジョラスとダン・デュ・ジェアンという名峰に挟まれた不遇な山だが、その人気は高く、ダン・デュ・ジェアンとエギーユ・ド・ロシュフォールを繋ぐロシュフォール稜は“アルプスで最も優美な雪稜”と言われているらしい。 ようやく前方に人影が見えるようになると、トレイルは登り勾配となった。 体はすでに昨日までの登山で高所に順応してるので全く苦にならない。 標高差で200mほど登りゴンドラのワイヤーの下を通ると、前方にゴールのトリノ小屋が見えてきた。 トリノ小屋の傍らの岩塔の上がエルブロンネの展望台とゴンドラの駅舎になっているようだ。 山小屋を背景に氏との記念写真を撮ると、突然氏から「奥さんも明日のロシュフォール稜は大丈夫ですよ!」と言われた。 突然の登山許可に驚き、その理由を氏に訊ねると、「歩くバランスが良いから」とのことだった。 クライミングとは全く関係がないように思えたが、最後まで氏が後ろを歩いていたのは、私達をテストしていたからだったようだ。
pm4:10にトリノ小屋(3371m)に到着。 所々で足を止め、写真を撮りながらマイペースで歩いたが、2時間半足らずで着いてしまった。 宿泊の手続きをジェラー氏にしてもらい、3階の8人部屋の個室に案内してもらう。 どうやら氏も同室らしい。 地味な山小屋だが、冬場のスキー客が多いのか、今まで泊まったアルプスの山小屋で乾燥室がある山小屋は初めてだった。 意外にも氏は「夕食はpm7:00からです」と私達に一言だけ説明すると、すぐに毛布を頭から被って寝てしまった。 1階の談話室に行くとテーブルの隅には宿帳が置かれ、私が注目している日本人の国際山岳ガイドの江本悠滋さんのガイドパーティー3名の名前がローマ字で記されていた。 私達もいつものように漢字で宿帳に足跡を残したことは言うまでもない。 テラスでは宿泊客が思い思いの場所で濡れた靴や山道具を乾かしながら日光浴をしていた。 東の方角にはダン・デュ・ジェアンの巨大な岩塔が大きく鎮座し、西の方角にはシャモニ(フランス)側からの優美な姿とは全く違う面持ちのモン・ブランの『ブレンヴァ・フェース』と呼ばれる荒々しい絶壁がその迫力ある姿を見せ、眼下にはイタリア側のアルペンリゾート地のクールマイユールの町が俯瞰された。
夕食は先日のニフェッティ小屋と同じカフェテリア方式だった。 シーズンも終わりに近いためか、宿泊客はさほど多くなかった。 前菜にパスタかスープを選択し、メインディッシュは蒸した鶏肉とソーセージに温野菜の付け合わせで、味もまずまず美味しかった。 デザートはプリンかフルーツポンチの選択だった。 夕食後はジェラー氏と少しでも親睦を深めようと、いつものように拙い英語で氏に語りかけるが、氏はガイドとしては珍しく英語が殆ど通じないので、コミュニケーションがなかなか上手くとれない。 神田さんから、氏は若い頃クロスカントリースキーの選手で札幌オリンピックにも出場したことがあるという話を聞いていたので、その辺りの話題から会話に入ると、ジャンプの金メダリストの笠谷選手は覚えているらしかったが、その後も会話はスムースに続かず、最後は絵や数字を書きながらの筆談となってしまった。 共通の言語が無い者同士の会話がいかに難しいかを思い知らされた。 氏は57歳でガイド歴も30年と長く、モン・ブランには210回も登ったとのことだったが、意外にもその3分の1の70回は日本人をガイドしたというので驚いた。 今日氏が発した英単語は、ブティフル(ビューティフル)、ファンタスティ〜ック、ノッ・プロブレ〜ム(ノー・プロブレム)の僅か三つであり、明日以降も変わることはなかった。
am5:50、ジェラー氏とアンザイレンして山小屋を出発。 ヘッドランプの灯を頼りに、まだ真っ暗なジェアン氷河を緩やかに下る。 前方には5分ほど前に出発したアメリカ隊のヘッドランプの灯が見えている。 間もなく同じ位の緩やかな登りとなり、正面にダン・デュ・ジェアンの黒いシルエットが浮かんでいるのが見えた。 三日月がその右上に輝いているが、なぜか星はあまり見えなかった。 嬉しいことに風は全くなく、氷河上は不気味なほど静かだった。 後ろを振り返ると、まだ明けきらぬ濃い群青色の空を背景にモン・ブランの白い頂が幻想的に望まれた。 すかさず氏に声をかけ、写真を一枚撮らせてもらう。 間もなく二人揃って写真撮影に余念がないアメリカ隊を追い越す。 斜面の傾斜は徐々に増してきたが、10分ほどで再び緩やかな登りとなった。 淡いピンク色の空を背景にエギーユ・デュ・ミディも見えてきた。 このまま天気が変わらなければ、今日も快晴の一日となるに違いない。 背後のモン・ブランがモルゲンロートに染まり始めたので、再び氏に声を掛け写真を撮らせてもらう。 氏も「ブティフル!、ブティフル!」と相槌を打っていた。
山小屋から1時間少々でジェアン氷河を登り終え、ロシュフォール稜の岩場への取り付きに着いた。 ジェラー氏の指示でヘルメットを被り、10分ほどの小休止となる。 周囲を見渡すと取り付き点は上下に二箇所あるようで、途中で私達を追い越していったガイドレスのパーティーは下のルートを取ったが、氏はそれに追従することなく、クラストした急斜面をしばらく斜上し、上から取り付くルートを取った。 間もなく登ってきたアメリカ隊は、すぐに岩に取り付ける下のルートを取った。 恐らくそちらの方がノーマルルートで、氏は少しワイルドだが、時間的に早く登れる直登ルートを取ったようにも思えた。 上から覆いかぶさるような急なミックスの岩場を、氏の的確なルートファインディングで岩の弱点をつきながらぐんぐん登る。 氏は現役のクライマーのような華麗な動きではないが、ベテランらしい確実な足の運びで私達を導いてくれる。 背後のモン・ブランの上空はますます青みを増し、アルプスの青空となっていった。
am8:00前、ようやく頭上が明るくなり、稜線に上がる手前で不意にダン・デュ・ジェアンの頂稜部の巨大な岩塔が目の前に現れた。 まさに“巨人の歯”という呼び名がぴったりのその頂まではここから標高差で100mほどだろうか。 固定ロープのある山頂への一般ルートはここから左へ回り込んでいくようだった。 以前アイガーを案内してくれたガイドのゴディー氏であれば、「試してみますか?」と誘ってくれそうな気がした。 ありがたいことに稜線に上がってからも風はなく、岩塔の基部からはクレバスの発達した広大なヴァレー・ブランシュの全容とエギーユ・デュ・ミディやプラン針峰が望まれ、その展望の良さに思わず心が弾んだが、まだこれはほんの序章に過ぎなかった。 日溜まりのように暖かい岩塔の基部でしばらく休憩しているとアメリカ隊のお二人が到着した。 「良い天気に恵まれ最高ですね!」と声を掛け、お互いの記念写真を撮り合うと、彼(アンドリューさん)から「あとで写真の交換を是非やりましょう!」と思いがけない提案があり、とても嬉しかった。
右側からダン・デュ・ジェアンの岩塔の基部を巻き、雪田となっている小広い稜線を僅かに進むと、絵に描いたような素晴らしい展望と芸術的とも言えるロシュフォール稜の核心部の雪稜が待っていた。 ヴァレー・ブランシュから大河のように流れ出ているメール・ド・グラス(氷河)を境に、左手にはシャモニ針峰群の無数の尖峰が屹立し、右手にはドリュを従えた憧れのエギーユ・ヴェルトとレ・ドロワットが荒々しさを競い合ながら屏風のように立ちはだかっている。 これから向かう稜線の先にはゴールのエギーユ・ド・ロシュフォールとその支峰のモン・マレー(3989m)、そしてその両峰を繋ぐ吊り尾根の間からグランド・ジョラスの白い頂稜部が僅かに望まれた。 幾重にも左右に屈曲したナイフエッジの雪稜には、色々な方向に向かって雪庇が張り出し、さながら芸術作品のようだった。
いよいよナイフエッジの雪稜に足を踏み出すが、風もなく雪が適度に締まっていることに加え、先行者のトレイルが綺麗につけられているので全く不安はない。 それどころか殿を務めていることを良いことに、歩きながらこの絶景の写真を撮りまくった。 危険なのは雪稜ではなく、実はこの私自身だった。 これほどまでに刺激的で極楽のような稜線漫歩が他のアルプスの高嶺にあることを私は知らない。 いつまでもこの時間が続けば良いとさえ思わずにはいられなかった。 振り返るとダン・デュ・ジェアンの尖塔がまるで鬼の角のように雪稜から突き出し、芸術的な風景にさらに磨きをかけていた。 再び岩稜帯となる少し手前の最後の急な下りでジェラー氏に確保され、ピッケルのブレードを刺しながら慎重に20mほどの凍てついた雪壁をクライムダウンする。 ここが今日一番の難所だった。 下降点で上から降りてくる氏を待っていると、アメリカ隊の二人が稜線上に現れたので、遠くからお互いの写真を撮り合った。
遠目には感じなかった重厚で荒々しいエギーユ・ド・ロシュフォールの頂が覆いかぶさるように眼前に迫り、明るい雪稜から再び日陰の寒々しい岩稜の登攀となった。 雪は殆ど無くなり、アイゼンを外す。 ルート上の岩はホールドも沢山あり全く難しくないが、正しいルートを行かないとすぐに行き詰まってしまうようで、先行していた二組のガイドレスのパーティーもルートファインディングに手を焼き、再び私達が先行することになった。 ジェラー氏のペースはちょうど良く順調そのものだったが、頂上直下の長い1ピッチで氏が上から何やら大声で叫んだ。 私達にはその言葉の意味がどうしても理解出来ず、しばらく立ち往生して上と下で叫び合う一幕があった。 結局氏は諦めてそのまま登り続けたが、下山の際にその地点を通過すると、そこには氏がデポした短いスリングが2本置かれ、氏はそのスリングを肩からかけて登ってくるように指示したようだった。 スリングは仏語では『サーングル』とのことで、今回は大事に至らなくて良かったが、山で言葉が全く通じないのは危ないと痛感した。
間もなく岩稜は急速に痩せて周囲が明るくなり、三方向からの尾根が合わさった顕著なピークに踊り出ると、ジェラー氏は無言で足を止めた。 紛れもなくそこはもうエギーユ・ド・ロシュフォールの山頂だった。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、メルスィー・ボクー!」。 憧れの頂に導いてくれた氏と力強く握手を交わして感謝の気持ちを伝える。 一人が立つのがやっとの狭い不安定な岩の頂ゆえか、十字架やプレートといった人工物は何も無かった。 時計を見るとam9:45で、意外にも山小屋を出発してから僅か4時間ほどの道のりだった。 高度感溢れる山頂からの360度の展望は筆舌に尽くし難く、モン・ブラン山群の名だたる山々や氷河が隅々まで見渡せ、眼前に聳える姉妹峰のドーム・ド・ロシュフォール(4015m)の向こうには憧れのグランド・ジョラスの白い頂が大きく望まれた。 3年前にラック・ブランから仰ぎ見た同峰の北壁のストイックな姿とはまるで違う、重量感のあるどっしりとした山容だった。 もちろん一般ルートはこの稜線の先を辿る訳ではないが、今回登頂が叶わなかった憧れの山に一歩近づけたような気がした。 「ブティフル!、ブティフル!。 ファンタスティ〜ック!、ファンタスティ〜ック!」と氏が感情豊かに連呼するので、私もつられて「ファンタスティ〜ック!」と思わず叫ぶ。 私達のすぐ後を登ってきた二組のガイドレスのパーティーに「コングラチュレーションズ!」と興奮しながら声を掛け、皆と握手を交わし合って登頂の喜びを分かち合う。 妻の顔も満足感に満ち溢れ、快晴無風の頂からの展望の新鮮さに、ただただ感激しているようだった。 南の方角には裾野を長く引いたグラン・パラディゾが遠望され、今頃は西廣さん夫妻もちょうどその頂に立っているのではないだろうか。 良い天気に恵まれ、お二人も充分にアルプスの山を満喫されていることだろう。 辿ってきた芸術的な雪稜を上から見下ろす。 ダン・デュ・ジェアンもだいぶ遠くなった。 明日登る予定のトゥール・ロンドは背後の雄大なモン・ブランとは比べものにならないほど小さな存在だった。 皆で記念写真を撮り合いアメリカ隊の到着を待つが、絶景の撮影を楽しまれているようでなかなか山頂には姿を見せず、残念ながら山頂での記念写真を撮り合うことは出来なかった。
am10:05、リクエストすればまだしばらく山頂に留まることも出来たが、ジェラー氏に促されて下山にかかる。 間もなくすれ違ったアメリカ隊のお二人は予想どおり満面の笑みで登攀を楽しまれていた。 30mほどの長い懸垂下降をした時に、下からのコールが上に伝わらず苦労する場面もあったが、核心部の急な岩稜帯を無事下り終え、再び芸術的な雪稜をダン・デュ・ジェアンの基部を目指して意気揚々と漫歩する。 至福の時を過ごすとはまさにこのような状況のことを言うのだろうが、反面、自己満足のために大枚を叩いてこんな贅沢な遊びをして良いのだろうか?という妙な気持ちに苛まれてしまった。 気温の上昇で霧が湧き始めたダン・デュ・ジェアンの基部でジェラー氏に記念写真を撮ってもらい、ミックスの岩場をジェアン氷河へ下る。 ロシュフォール稜を無事下り終え、取り付きから氷河を10分ほど下った平らな所でジャケットを脱ぐ。 稜線上では暑さは全く感じなかったが、氷河の上は強烈な照り返しでとても暑い。 さらに少しだけ下ってからゴールのトリノ小屋まで緩い登り返しが続く。 腐った雪が重たいが、急ぐ必要は全くないのでジェラー氏のペースは遅い。
pm1:30に山小屋に着き、テラスで氏と固い握手を交わして、あらためて感謝の気持ちを伝える。 喫茶室で注文したサンドイッチを食べながら、相変わらずなかなか通じない英語でしばらく氏と歓談したが、氏はワインを一杯飲み終えると寝室に直行して昼寝をしていた。 体を労っているのか習慣なのかは分からないが、なぜかそれがとても滑稽だった。 テラスに出て今日辿ったロシュフォール稜をしみじみと眺める。 昨日までは判然としなかったエギーユ・ド・ロシュフォールの地味な山頂が手に取るように良く分かった。 一方、断崖絶壁となっている山小屋の南(イタリア)側斜面では、融雪による落石の音が途絶えることはなかった。
談話室で寛いでいるとアメリカ隊のお二人が現れたので、あらためて自己紹介をしながら歓談する。 クライアントの男性の名前はアンドリュー・レイソムさん(61歳)、ガイドの女性はキャシー・コーズリー氏(48歳)とのことだったが、お二人とも実際の年齢よりも若く見えた。 私達の英語はいつものとおり全くお粗末だったが、お二人とも根気よく耳を傾けてくれたので、私達が話したことは大体通じたようだった。 キャシー氏はガイド歴が23年というベテランで、アンドリューさんとはアルプス以外にもヒマラヤのロブジェ・イースト(6119m)やチョ・オユー(8201m)を始め、キリマンジャロ、その他数多くの名峰を一緒に登られているとのことだった。 一方のアンドリューさんはアルプスは今回で12回目で、若い頃には違うガイドとマッターホルンやツィナールロートホルン、その他数々の山を登られているとのことだった。 今シーズンはここに来る前にモン・ブランをバリエーションルートから登ったり、プチ・ベルトの登攀を楽しまれていたとのことで、お二人の山歴の凄さには脱帽だった。 意外にもキャシー氏はアンドリューさんにも負けないほど良いカメラを持っていた。 山をガイドするだけでなく、素晴らしい風景とそれを背景にしたクライアントの姿を写真に収める心配りが、プライベートガイドとして長年続いている理由の一つなのだろう。 帰国後に写真を送り合うことを約して、お互いの住所やメールアドレスの交換をする。 本当に便利な時代になったものだ。 お二人とアルプスを始め世界の山々の話をしているとあっと言う間に時が経っていった。 今日は山も本当に素晴らしかったが、その印象も薄らぐほどお二人との偶然の再会とお喋りは楽しかった。 キャシー氏は明日は曇天だと予想しいてたが、夜中にトイレに起きると空には沢山の星が見えていた。 遙か眼下のクールマイユールの町の明かりが夜空の星に負けずとても綺麗だった。