パロットシュピッツェ(4436m)

   8月29日、am6:30起床。 一階の食堂に行くと、すでに早起きの西廣さん夫妻は朝食を食べていた。 三ツ星だが@88ユーロ(邦貨で約12,300円)と安価だったので朝食のバイキングは期待していなかったが、焼きたてのクロワッサンや温かい惣菜もあり、過去に泊まった三ツ星ホテルの中では良い方だった。 朝食後にホテルからは目と鼻の先のバルマ広場に行くと、朝陽に輝くモン・ブランはもちろんのこと、意外にもドリュの矛先が広場から見え、私達の目を楽しませてくれた。

   am8:00前に神田さんとガイドのフィリップ氏、そしてジジ氏が相次いでホテルにやってきた。 意外にもジジ氏は外国人としては小柄で、背丈は私と変わらなかった。 神田さんは「彼は小さいがパワーは凄いですよ」と言った。 簡単な自己紹介をした後、早速神田さんが氏にリスカムのことを訊ねると、いつもなら全く問題ないが、痩せ尾根の雪庇の通過が難しく、大雪の後はまだ誰も登っていないので、これから情報収集しながら、登るか否かは明日の朝に決めることになった。

   神田さん、西廣さん夫妻、そしてフィリップ氏に見送られ、ジジ氏の車で登山口のアラーニャへ向かう。 すぐにイタリアとの国境のモン・ブラン・トンネルに入るが、不思議と全く渋滞はなかった。 以前は大惨事の直後ということで制限速度が40kmだったが、今は70kmになったようだ。 トンネルを抜けるとイタリア側は残念ながら曇っていた。 すかさず氏が「昨夜雨が降った影響で今日は少し曇りがちですが、明日は良い天気になりますよ」と、不安げな顔をしていた私達を気遣ってくれた。 ジジ氏もフィリップ氏と同様に私達と同じ位の年で、また小柄なこともあってとても親しみ易かった。 間もなく青空が覗き、イタリア側から全く形の違うモン・ブランの雄姿も僅かに望まれた。

   道はいつしか高速道路となり、車は100km以上のスピードでアルプスの南側の山裾を駆け抜けていく。 これならシャモニから登山口まで時間的には早いことが分かった。 間もなく長いトンネルが連続するようになると、昨日までの疲れも手伝って後部座席で妻と居眠りをしてしまった。 古代の遺跡や中世の建造物が多く見られるというアオスタの市街を遠目に見ながらしばらく進むと、その奥に大きな山が見えてきたので、山名をジジ氏に訊ねてみると、今回やむなく計画から外したグラン・コンバンとのことだった。 更に氏は「とても美しい山ですよ!」と付け加えたので、ますます同峰への興味が高まった。

   シャモニから1時間15分、『サン・マルティン』という名称のICで高速道路を降り、『グレソネイまで30km』という道路標識に従って車は九十九折りの山道へと入っていった。 どうやら行き先はアラーニャではないようだ。 事前の準備不足でアラーニャ以外からもB.Cのニフェッティ小屋にアプローチする方法があるとは知らなかった。 山の斜面はぶどう畑が多く、スイスのような牧草地が少ないため山肌は茶色く、日本の山間部の風景に近い感じがした。 また、所々の小さな集落にある教会も歴史が古いためか一様に地味な感じで、スイスの教会の方が明らかに立派だった。 車は谷の右岸(左側)を遡っていったが、観光地でもないのに道路脇にはホテルが多かった(当日は曇っていたので山は見えなかったが、帰路ではモンテ・ローザの山並みが良く見えて素晴らしかった)。

   グレソネイ・ラ・トリニテという集落を過ぎ、サン・マルティンのICから1時間弱でゴンドラの発着場のあるスタッフェル(1818m)に着いた。 意外にもシャモニからの所要時間は僅か2時間だった。 地図を見るとアラーニャは3000m級の山並みの一つ向こう側の谷にあり、直線距離は10kmほどだが、実際の移動距離はここから100km以上もありそうだった。 スタッフェルからは二つの違った方向へゴンドラが延びていたが、なぜかいずれのゴンドラも止まっていた。 窓口へ切符を買いにいったジジ氏から、am11:30に運転が再開されると聞かされたので故障かと思ったが、この辺りのゴンドラは冬場のスキーシーズンのためのもので、他の季節にはスイスの観光地のように常に動いている訳ではなく、電車やバスのように1〜2時間毎に動くようだった。 ゴンドラの発車を待つ間、ジジ氏から幾つもの衛星峰を持つモンテ・ローザ山塊の体系について教えてもらったり、雑談を交わしたりして時間をつぶす。 氏はアラーニャの出身で現在43歳、ガイド歴は18年で、春と秋にはヒマラヤでガイドの仕事をしているとのことだった。 また、4年前のモンテ・ローザ登山の時のガイドのホギー氏のことは、同郷なので良く知っているとのことだった。 誰に教わったのか、「ジジは日本語で爺(じじい)という意味ですね」と、氏は自ら笑いながら言った。

   1時間以上も待たされてからam11:30発のゴンドラに乗り、中間駅のガビエットで一回乗り換え、終点のサラティバス(2971m)に正午ちょうどに着いた。 ジジ氏の話では、メインの登山口のアラーニャからロープウェイで上がるプンタ・インドレインの駅(3260m)までここから1時間ほど掛るが、それでもこの行程の方がシャモニからは時間的に早いという。 サラティバスからプンタ・インドレインまでのトレイルには標識等は一切なく、所々の岩にペンキマークが付いているだけのアルペンルートで、スイスのハイキングトレイルとは趣を異にしていた。 途中ストレンベルク(3202m)というピークを一つ越えていくため、標高差以上に時間が掛った。 山には霧がかかり、上の様子が良く分からない。 明日は本当に晴れるのだろうか?と心配になる。 私達の前後には他に二組のパーティーしかいないようだ。 間もなく上の方から機械音が聞こえてきたので、プンタ・インドレインの駅が近いことが分かった。 サラティバスから休まず登ったため、プンタ・インドレインの駅には1時間弱で着いたが、ジジ氏はリクエストがなければそのまま先へ進んでしまいそうだったので、「ここでランチにしませんか?」と氏を誘って駅舎の中に入る。 意外にも駅舎の二階には50席ほどある広いレストランがあったが、お客さんはあまりいなかった。 いかにも地元の方という雰囲気のする親子(ベテラン風の父親と若い娘)のパーティーが隣のテーブルにいたが、結局その親子とは山小屋で同室することになった。

   昼食のため30分ほど休憩し、pm1:30にプンタ・インドレインを出発。 ここからニフェッティ小屋まではメインのトレイルとなるため、登山者の姿も多く見られるようになった。 大小の岩がゴロゴロした足場の悪い雪混じりのアルペンルートをしばらく緩やかに登り、氷河の末端の長い雪渓をトラバースする。 ようやく霧も少しあがり、周囲の状況が微かに掴めてきた。 ジジ氏は下ってくる地元のガイドをつかまえては、上(リスカム)の情報を収集してくれた。 荒縄のような太い固定ロープが幾つもつけられている急な岩場を登り支尾根を乗越すと再び雪渓となった。 マントヴァ小屋(3498m)へのトレイルを左に分け、再び霧に閉ざされた急な雪面をキックステップで登っていく。 間もなく左手の崖の上に朧げに山小屋の輪郭が見えてきた。


朝食のバイキング


バルマ広場から見た朝陽に輝くモン・ブラン(中央奥)


小柄なガイドのジジ氏


氷河の末端の長い雪渓をトラバースする


荒縄のような太い固定ロープが幾つもつけられている急な岩場を登る


   pm2:45、途中休まずに登り続けたので、プンタ・インドレインから1時間15分ほどで今日の宿泊地のニフェッティ小屋に着いた。 氷河から突き出した岩にへばりつくように建てられた山小屋は想像していたよりも大きく、さすがに国内最高峰へのB.Cにふさわしいものだった。 ジジ氏によると夏の最盛期やスキーシーズンの混雑は凄く、その時期には下のマントヴァ小屋に泊まる方が良いとのことだった。 山小屋は木の香りが漂う旅館のようなイメージで、一階がバー(談話室)、二階が100席ほどある大食堂、三階はこぢんまりとした四人部屋のスキーヤーズ・ベッドの個室になっていた。 氏はガイド専用の部屋に泊まるようで、間もなく先ほどの親子のパーティーが部屋に入ってきた。 父親は現役の山ヤさんなのか、年配ながらガイド顔負けのたくましい体つきだった。

   山小屋の中やテラスを徘徊していると、天気が急速に回復しはじめ、アルプスの青空になってきた。 慌ててカメラを持って山小屋の上の岩場へ駆け上がったが、ありがたいことにジジ氏の予報どおり翌日までずっと晴天が続いた。 モンテ・ローザ山塊のピークの一つのヴァンサン・ピラミッド(4215m)が氷河を隔てて眼前に鎮座し、その左隣には憧れのリスカムの東峰がツェルマットから見た穏やかな純白の頂とは全く違う黒々とした岩肌をさらした荒々しい山容で屹立している。 さらにその左手の稜線の先にはカストール(4228m)の頂も望まれ、モンテ・ローザの主峰は見えないものの、この雄大な景色が見れるだけでもこの山小屋に来る価値があると思えた。 クレバスの多い氷河に刻まれたトレイルは明瞭で、モンテ・ローザの各ピークに登ったパーティーが次々と下ってくる姿が見える。 あの中にリスカムの東峰を登ったパーティーが沢山いることを願いながら、陽射しに恵まれた暖かい山小屋の上の岩場で、妻といつまでもため息をつきながら絶景を堪能した。

   夕食の時間となり二階の食堂に行くと、入口には行列ができていた。 先頭の方を見ると、どうやらカフェテリア方式となっているようだった。 スープ・ミートソースのかかったペンネ・煮込んだ豚肉・温野菜の盛り合わせと、期待していた以上に豪華なメニューで、またどれもとても美味しかった。 ジジ氏は小柄な体格どおりの小食だったが、隣のテーブルの猛者は食べ終わると再び行列に並んでいた。 夕食後は氏との親睦を深めるため、いつものように片言の英語で私達のアルプスでの登山経験を話す。 今年はシャモニに来る前にツェルマットに滞在し、ヴァイスホルンの登頂の機会をうかがっていたが、大雪で計画が全て白紙になってしまったことを話すと、氏も三日前にマッターホルンの隣のダン・デラン(4171m)を登りに行ったが、山頂まで登ることが出来なかったとのことだった。 明日予定しているリスカムについては、今日出会ったガイドの話を総合すると、山頂までのトレイルはまだ拓かれておらず、皆途中の稜線の肩の所で引き返しているので、稜線の肩から山頂までラッセルして登れたとしても下りのゴンドラの最終便に間に合わず、明日中にシャモニに帰れないとのことだった。 また、イタリア側からのリスカムの登山は、ニフェッティ小屋からの往復でも良いが、ピーク(東峰)から西峰に縦走してクィンティノ・セラ小屋という山小屋を経由して先ほど乗った反対側のゴンドラでスタッフェルに下る周回のルートが理想的とのことで、今回無理して登るよりも、ルートの状態が良い時に行った方が楽しいと、リスカムに固執している私を諭すように説明してくれた。 但し、途中のリスヨッホまではモンテ・ローザとルートは一緒なので、その時に実際目で見てから最終的な判断をするとのことで、リスカムへの登頂の可能性は僅かに残った。


ニフェッティ小屋


こぢんまりとした四人部屋のスキーヤーズ・ベッドの個室


ニフェッティ小屋から見たリスカムの東峰


ニフェッティ小屋から見たカストール


ニフェッティ小屋から見たヴァンサン・ピラミッド


カフェテリア方式の夕食


   8月30日、真夜中にトイレに行くと、窓から外の様子が見えた。 星空で風もなく安堵する。 am4:30前に起床し、身支度を整えて階下に行くと、朝食は大食堂ではなく一階のバーに用意されていた。 モンテ・ローザに登るパーティーと出発時間に差があるためか、バーは空いていた。 朝食はパンにジャム・シリアルといった簡素な定番メニューだったが、体調が良いせいか何でも美味しく感じる。

   am5:20、山小屋の上の岩場でアイゼンを着け、ジジ氏とアンザイレンして出発。 リスカムの黒いシルエットが微かに浮かんでいる。 星は真夜中ほど見えなくなったが、三日月が頭上で輝き良い天気が期待出来そうだ。 前方にはヘッドランプの灯火は見えず、どうやら私達が先頭のようだ。 今シーズンはまだ新しい4000mのピークを踏んでいないので、今日は何とかそれが叶うように山の神に祈る。 それがあのリスカムであれば言うことはない。 氏のペースは客観的にみても遅くはなく、これが最初の山だったら少々きついかもしれないが、体はかなり順応しているので妻も何とかついていけるだろう。 緩やかな登りから少し傾斜がきつくなった所でジジ氏のアイゼンの調子が悪くなり、数分おきに三回ほど立ち止まってアイゼンを調整していると、後続のパーティーが相次いで傍らを通過して行った。

   リスカムがモルゲンロートに染まり始め、歩きながら写真を撮る。 左奥の山並みも茜色に染まり始めている。 アルプスのドラマチックな夜明けのシーンに今日も立ち会うことが出来た幸せを噛みしめる。 遠望された独立峰は紛れもなくモン・ブランだった。 時計を見るとam6:45で、予定どおりであればちょうど今頃西廣さん夫妻が山頂付近にいるに違いない。 絶好の天気に恵まれ、お二人が山頂で歓喜する姿を想像するだけで自分のこと以上にワクワクする。 同じ山に登って喜びを共有するのも良いが、違う山に登ってお互いの土産話をするのも楽しみだ。 間もなくリスヨッホの手前でリスカムに向かうトレイルが左に分岐していたが、ジジ氏はこれをあっさり見送ったので、念のため氏を呼び止めてリスカムへの登山の可否を確認したところ、肩から上にトレイルがないので、リスカムには登らないとのことだった。 コルからの標高差はあまり感じられず、“これは行けるぞ”と勝手に思い込んでいたので氏の判断には不満だったが、拙い英語で一生懸命私を納得させようとする氏の姿に負け、造り笑顔で「オーケー、ノープロブレム」と答えた。 だが結果的には氏の判断もまんざら悪いものではなかった。 目標がモンテ・ローザと決まったので、あらためて氏にこれからのスケジュールを訊ねたところ、意外にも正面に見え始めたツムシュタインシュピッツェ(4563m)、ジグナールクッペ(4556m)、そしてさらにパロットシュピッツェ(4436m)の三山を登るとのことだったが、果して時間的に三つも登れるのだろうか?。

   気持ちの切り換えがつかないままリスヨッホを過ぎると、マッターホルン・ダン・ブランシュ・オーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルンのカルテットがグレンツ氷河越しに顔を揃え、昨日シャモニへ移動したばかりなのに、再びツェルマットに戻ってきたような錯覚を覚える。 マッターホルンの雪もだいぶ無くなり、もうじき登れそうな感じに見えた。 間もなくツムシュタインシュピッツェに向かう明瞭なトレイルを外れ、右手のパロットシュピッツェへの微かな踏み跡に入る。 傾斜は次第に増して尾根は痩せ、最後のナイフリッジではストックからピッケルに持ち替えて登る。 先ほどまでとは全く違い、稜線上は風が強い。 振り返ると背後のリスカムの頂がいつの間にか目線の高さになっていた。

   am8:00ちょうど、右側に雪庇が張り出したどこが山頂か分からないような細長く平らなパロットシュピッツェの山頂に辿り着いた。 最高点らしき所を通り過ぎたが、ジジ氏はそのまま立ち止まらずに行ってしまったので、少しトレイルが安定した所で氏を呼び止めて記念写真を撮る。 今回登頂が叶わなかった憧れのリスカムがリスヨッホを挟んで眼前に大きく鎮座し、右にマッターホルン、左にモン・ブランが遠望された。 リスカムを眺めるには最も理想的な位置にあるこの頂からは、同峰が東峰と西峰の双耳峰であることが良く分かり、『ジルバー・バスト(白銀の鞍)』という別称があることが頷ける。 右に目を転じると、山塊の盟主のデュフールシュピッツェの頂稜部の岩塊がこれから向かうツムシュタインシュピッツェと肩を並べて高さを競い合い、すぐ隣に聳えるジグナールクッペの山頂に建つマルゲリータ小屋が朝陽に照らされて輝いている。 雲一つない快晴の天気に恵まれたこの展望の頂にいつまでも佇んでいたかったが、長居をしているとあと二峰登れなくなってしまうので、僅か5分ほどで山頂を辞した。


モルゲンロートに染まるモン・ブラン(中央遠景)


朝陽が当たるリスカム東峰


   リスヨッホから見たヴァリスの山々(左端がマッターホルン・右端がヴァイスホルン)


リスヨッホ付近から見たリスカム東峰


   リスヨッホ付近から見たデュフールシュピッツェ(中央)とツムシュタインシュピッツェ(右)


   リスヨッホ付近から見たツムシュタインシュピッツェ(左)とジグナールクッペ(右)


   リスヨッホ付近から見たジグナールクッペ(左)とパロットシュピッツェ(右)


パロットシュピッツェの山頂


山頂から見たリスカム(遠景左がモン・ブラン)


山頂から見たジグナールクッペ


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