8月27日、am5:30起床。 朝食に昨夜スーパーで買った韓国製のインスタントラーメンを食べる。 間もなくマッターホルンが淡く染まり始めた。 写真を撮ろうとベランダに出ると、西廣さん夫妻もベランダで山を眺めていた。 今日登るメッテルホルン(3406m)は、最初にスイスを訪れた時に田村(千年)さんから勧められた山で、以前からその頂とそこからの展望に興味深々だった。 昨年の夏に単独で同峰に登った妻の話では、山頂直下の氷河のトラバースを除けば技術的に難しくないが、麓のツェルマットからの標高差は1800mほどあり、天気に恵まれることが必須条件だ。 今年は例年に比べて雪が多いため、念のため登攀具を携行することにした。
予定より少し遅れ、am6:30にホテルを出発。 まだ薄暗いメインストリートに観光客の姿は無い。 レストランの脇から狭い路地に入り、通い慣れたトリフトへのトレイルを辿る。 一週間ほど前にここで足慣らしをしたことも、すでに懐かしい想い出となっていた。 途中のエーデルワイスヒュッテのテラスからは、青空の下にブライトホルンが美しく望まれ、天気は昨日のイワン氏の予想やテレビの天気予報よりも良さそうだった。 足取りはにわかに軽くなったが、明日からの後半戦に備えて意識的にペースを落として登る。 エーデルワイスヒュッテから樹林帯をしばらく歩き、氷河から流れ出している沢を渡って谷の左岸に取り付くと、見通しの良い谷筋の緩やかなトレイルからオーバーガーベルホルンと支峰のヴェレンクッペ(3903m)が神々しく望まれた。 早朝のためトレイルの前後にはハイカーや登山者の姿は無い。 振り返ると、まだ陽の当たらない谷底のツェルマットの町、そしてゴルナーグラートの展望台を挟んで、左にモンテ・ローザ、右にリスカムの純白の頂が遠望された。
am8:15、予定より少し早く山上のオアシスのトリフト(ヒュッテ)に着く。 残念ながら青空は長続きせず、空の色は灰色に変わり始めた。 荒々しい岩峰のウンターガーベルホルン(3391m)が圧倒的な迫力で眼前に迫り、ガーベルホルン氷河の奥に鎮座するオーバーガーベルホルンの眺めが圧巻だ。 麓から僅か2時間足らずでこんなに素晴らしいロケーションに出会えるのもトリフトの魅力だ。 山小屋の前のベンチで休憩していると、ヒュッテに泊まっていた二組のパーティーが相次いで出発していった。 一組のパーティーは私達と同じ歳ぐらいの中年の夫婦、もう一組のパーティーは私達より少し年配の男性の二人だった。
山々を眺めながらのんびり15分ほど休憩し、am8:30にトリフトを出発。 間もなくトレイルはロートホルンヒュッテとの分岐になり、『メッテルホルンまで2時間45分』という道標に従って右のトレイルへ進む。 妻の記憶どおり、この道標を最後にトレイル上には標識やペンキマークの類は一切無くなった。 予想どおり先行した二組のパーティーともトレイルを右に折れ、メッテルホルンを登るようだった。 今年は大雪のため頂稜部の氷河の状態が分からないので、同志がいることは心強い。 男性パーティーは小さなザックで快調に飛ばし、間もなく私達の視界から消えた。 逆に夫婦組はザックが大きく、ペースもゆっくりだったので、間もなく彼らに追いついた。 雑談を交わすと、お二人はイギリスから来たとのことで、奥さんは南アフリカの出身ということだった。 階段状になっている岩を流れていく小沢を右手に見ながら、勾配がきつくなったトレイルをひと登りすると、再びトリフト同様気持ちの良い草原が現れた。 その先には目指すメッテルホルンと思われる山の頂が見えたが、妻の記憶では、見えている山はプラットホルン(3345m)という隣接峰で、メッテルホルンの頂はその陰にあるため、山頂直下の氷河の縁まで行かないと見えないという。 左上方にはツィナールロートホルンの頂が望まれ、振り返るといつの間にかウンターガーベルホルンの上にマッターホルンの頂稜部が顔を覗かせていた。 草原に引かれた緩やかな勾配のトレイルを、所々で写真を撮りながら鼻歌交じりに進む。 空の色が少しずつ濁っていくのが玉に傷だ。 30分ほど気持ちの良い草原の中を歩いていくと、トレイルは勾配を増して岩稜帯へと変わり、間もなく大きなケルンが積まれたテラスのような所に着いた。 ケルンはトレイルエンドを意味するものなのか?。 足下には昔の氷河の名残のエメラルドグリーンの小さな池が見えた。 妻の記憶では、ここから先は岩屑の中に踏み跡を探しながら、山頂直下の氷河の縁まで登るようだ。 ケルンの傍らで休憩していた男性パーティーと雑談を交わすと、お二人はオランダから来たとのことで、今日の登山は秋に予定しているヒマラヤのトレッキングに向けての高所順応ということだった。 オランダは国土が海面より低く、母国では山に登ることが出来ないので、スイスの低い山でも息が切れるという彼らの苦労話に笑いながら納得した。 彼らの瞳にはこの眼前の風景も私達が感じている以上に素晴らしいものとして映っているに違いない。 間もなくイギリスペアも到着し、皆でしばらく雑談していると、何か独特の仲間意識のようなものが芽生えてきた。
ケルンからは過去に偵察を含めて2回辿ったことのある妻が先行して登り始めた。 妻の記憶では、山頂直下の氷河の縁までここから30分ほどで着くようだ。 岩場のアルペンルート(踏み跡)は獣道を含めて幾つかあり、登り易い方のルートを選んで登る。 有り難いことにルート上に残雪は殆ど見られず、どんどん標高が稼げる。 不意にヴァイスホルンの白く尖った角が頭上の氷河の縁の上から頭を出した。 登るにつれて角はますます大きくなり、am10:40に同峰が眼前に大きく鎮座する峠のような氷河の縁に着くと、氷河越しに隣接峰のプラットホルンの山頂の十字架とメッテルホルンの頂稜部の一部だけが僅かに見えた。 妻の記憶では、青氷が出ていた昨年と違い、氷河上に雪が積もっているため、登り易そうに思えるとのこと。 但し、最後の頂稜部への急な登りでは、逆にこの残雪が災いして登りにくそうだった。 昨年はここから山頂まで1時間近くを要したという。 先行者はいないが、昨日以前の入山者の足跡が氷河の縁を舐めるように雪上に刻まれ、登頂の可能性は高まった。 あとは天気が持ってくれることを祈るだけだ。
巨大な懸垂氷河を身に纏った眼前のヴァイスホルンの迫力ある姿にため息をつきながら、最後の登りに備えて行動食を頬張っていると、オランダ隊・イギリスペアと相次いで氷河の縁に着いたが、軽装のオランダ隊は登攀具を持っていないのか、ひと息入れただけでそのまま氷河上のトレイルを登って行った。 私達は念のためアンザイレンし、ピッケルを突きながらすでに視界から消えた彼らの後に続いた。 10分ほどで氷河は傾斜を緩め、その先に銅鐸のようなユニークな形をしたメッテルホルンの頂稜部の岩峰がようやく見えた。 しばらく平らな雪原を進むと、先行しているオランダ隊が岩峰の取り付きから少し登った辺りでルートを探している姿が見えたが、間もなく良い踏み跡が見つかったようで安堵した。 私達はオランダ隊の直登ルートはとらず、妻の意見に従って岩峰の取り付きから正しい踏み跡を探し、左にトラバース気味にザレた岩屑の斜面を登った。 間もなく残雪の中に正しい踏み跡を見つけることが出来たので登頂を確信し、小刻みにジグザグを切りながら、意気揚々と指呼の間に見える頂を目指す。
am11:45、ホテルを出発してから5時間余りで待望のメッテルホルンの山頂に辿り着いた。 「コングラチュレイションズ!」。 風の当たらない所で寛いでいたオランダ隊の二人と握手を交わし、お互いの登頂を喜び合った。 今日ばかりはガイドの妻に頭が上がらない。 一人が立つのがやっとの狭い山頂の岩の上からの高度感ある360度の大展望は、田村さんが言ったとおり決して期待を裏切ることはなかった。 すでにマッターホルンは雲の帽子を被ってしまったが、周囲の4000m峰を眺めるにはちょうど良い高さだ。 皮肉なことに、今年も涙を飲んだ憧れのヴァイスホルンの眺めは最高で、いつかの日か必ずその頂に立つことを心に誓い、何枚も同じような写真を撮った。 イギリスペアも間もなく山頂に着き、再び祝福の握手を皆で交わし合った。 意外にもさらに二組のパーティーが足下の氷河を登ってくる姿が見えた。
いつまでも去り難い頂だったが、天気が崩れることが予見されたため、お互いの写真を撮り合ってから、皆よりも一足早く山頂を辞した。 氷河のトラバースの下りは、総勢10人の足で拡幅されたトレイルにより歩き易くなっていた。 登攀具を外し、氷河の縁でヴァイスホルンに別れを告げ、寒々しいマッターホルンの北壁を正面に見据えながらアルペンルートを下る。 氷河湖を見下ろすケルンを過ぎ、気持ちの良い草原が拡がると、朝方は見られなかった顔の黒い羊の群れが所々に見られた。 正に神々しいという言葉がぴったりのオーバーガーベルホルンの豪快な展望は、最後まで私達を飽きさせることはなかった。 山頂からちょうど2時間でトリフトに到着。 ワタスゲの揺れる気持ちの良い草原に大の字になって寝転んでいると、あっと言う間に30分も経ってしまった。
天気を心配している妻に促され、再訪を誓ってツェルマットに下る。 しばらくすると雲行きが急に怪しくなり、エーデルワイスヒュッテの手前で小雨がパラつき始めた。 運良く間もなく雨はやみ、pm4:00前にツェルマットに下山した。 肉屋の前で売っている焼きたての大きなソーセージを買い食いしながらホテルに戻ると、間もなく西廣さん夫妻もホテルに戻ってきた。 今日は先日大雪のため登れなかったオーバーロートホルン(3415m)を登ったようで、5日前の雪は殆どなくなり、全く問題なく登れたとのことだった。
ひと風呂浴びてから、ホテルの近くのイタリアンレストランで、西廣さん夫妻とツェルマット滞在中のささやかな打ち上げを行う。 気がつくと、これがツェルマットでの最初の外食だった。 今日のお互いの山行報告と明日からのシャモニでの行動予定を簡単に説明してから、ツェルマット滞在中の想い出話に花を咲かせた。 何と言っても今回の大雪は、ハイキングにさえ支障が出るほどの珍事だったが、過去の経験を最大限に生かしてサース・フェーまで足を延ばし、効率良く山に登れたことが本当に良かった。 西廣さん夫妻は目標のマッターホルンに登れず、さぞかし心残りかと思っていたが、初めて見たアルプスの山に対する感動もさることながら、マッターホルンの眺めが良いホテルの部屋の居心地が良かったことや、ワインやチーズの種類が豊富なこと等にも興味を持ち、山のことしか頭にない私と違い、初めてのアルプスの旅そのものを楽しまれているようで、ホスト役の私も少々肩の荷がおりた。
妻と節子さんは明日のシャモニへの移動の準備があるので、田村さんとの懇親会には参加しないというので、私と西廣さんの二人で田村さんと居酒屋で閉店時刻まで延々と情報交換を行った。 田村さんは若い頃に単身渡米し、そこから世界各国を放浪して回り、最後に辿り着いたイギリスで現在のスイス人の奥様と出会ったとのことだった。 スキーや登山の武勇伝は勿論のこと、会社(アクティブマウンテン社)を立ち上げた経緯からヒマラヤで流行りとなっている公募登山隊の現状、果てはスイスでの生活の話まで、私達にとっては興味深々な話ばかりで、あっと言う間に時が過ぎてしまった。 その中でも「旅行会社には今回の大雪のようなトラブルはつきもので、そのトラブルをいかに上手く解決する方法や経験を沢山持っているかが商売の秘訣だ」という田村さんの持論は、今回の山行も含めて、日頃から上手くいくことが前提で物事を考えている私にとって、とても参考になる意見だった。 田村さんと再会を誓って別れ、日付が変わってからホテルに戻り、慌ただしく荷物の梱包をする。 明日は3年ぶりシャモニだ。