ブライトホルン(4165m)

   8月24日、am6:30起床。 ツェルマットに来てから初めて朝焼けのマッターホルンの姿をホテルの窓から拝むことが出来た。 予報どおりの快晴の一日になりそうで安堵する。 西廣さん夫妻は早起きをして、すでにベランダで朝焼けのシーンを鑑賞していた。 初めて朝食のバイキングを慌ただしく食べ、身支度を整えてガイド氏との待ち合わせ場所の町外れのゴンドラ乗り場へ向かう。 ブライトホルンには過去に2度登っているので、全くその頂に固執していなかったが、今回はガイドを雇用するほどの非常事態となり、案内役の私としてはアルプスデビューの西廣さん夫妻には何としてもアルプスの山の頂に立ってもらいたいと切望していたので、今日は何か独特の緊張感があった。

   約束のam8:00にゴンドラの駅に着くと、予想以上にサマースキーヤーの姿が多く見られ、これも大雪の影響かと思えた。 私達以外にも4〜5組のガイド登山のパーティーがあり、間もなく私達のガイドとなるベネディクト氏も現れた。 早速各々自己紹介しながら氏と握手を交わし、ゴンドラに乗り込む。 定員6名のゴンドラの中は事前のミーティングには恰好の場所だった。 がっちりとした体格の頼もしいベネディクト氏は39歳でガイド歴は20年、すでにマッターホルンを200回もガイドしたことがあるというベテランのガイドだった。 氏も今夏はこの大雪でガイド収入が減ってしまい、私達と同様に被害者の一人だった。 社交辞令に、いつものように片言の英語で私達のアルプスの山の経歴を話す。 乗換駅のフーリーでは、思わぬ雪のプレゼントに活気づいて繰り出してきた学生のスキーヤー達で溢れ返っていた。 どうやらこの先のロープウェイが故障したことが混雑に拍車をかけているようだった。 ベネディクト氏ら数人のガイド達がロープウェイの係の人に交渉してくれたので、後から着いた私達が優先的に乗れることになり事なきを得たが、もし予定どおりガイドレスだったら長時間ここで待たされるところだった。 トロッケナーシュティークでロープウェイを乗り換えると、車窓からは圧倒的なスケールでマッターホルンの東面の岩壁が眼前に迫った。 終点のクライン・マッターホルンですし詰めのロープウェイから解放され、降車口にあるトイレの前でハーネスを着けてアンザイレンする。 繋がれる順番は、先ほどの私達の話が通じたようで、予想どおりMさん、西廣さん、節子さん、妻、そして殿(しんがり)の私の順だった。

   am9:20、展望台の下の寒々しいトンネルを抜け、眩しいばかりの雪原に足を踏み出す。 いつもと同様に取り付きまではアイゼンは着けないで歩く。 過去に3回もここを通っている私達にとっては“通い慣れた道”だが、他の三人にはこの広大な雪原の景色も新鮮だろう。 右手にはモン・ブランもはっきりと見え、予報どおりの快晴の天気に安堵する。 大雪のため多少のラッセルは覚悟していたが、意外にもトレイルは安定していて、ブライトホルンの人気の高さをあらためて実感した。 先行者の数も多く、すでに20人位が取り付きに向かって前を歩いている。 しばらくするとブライトホルンの頂稜部に刻まれたトレイルがはっきりと見え、今日の天気とトレイルの状態から、いつものようにガイドレスでも登れたことが分かったが、先ほどのロープウェイ乗り場の件もあり、アルプスでのガイド登山が初めての西廣さん夫妻にとっては良い経験になるだろうと納得する。 ベネディクト氏のペースは決して遅くはないが、いきなり富士山よりも高い所を歩き始めたにもかかわらず、皆の足取りは順調そのものだった。 雪原の上に浮かぶ双耳峰のリスカム・ポリュックス・カストールの頂稜部を正面に望みながら青空の下に快適な歩行が続く。 出発してから45分ほどで取り付きに着きし、氏の指示でアイゼンを着ける。 すでに下ってくる登山者の姿も見られ、一同登頂を確信した。 通常であれば取り付きから山頂までは、北側に大きく張り出した雪庇の方向に斜上してから右に大きく弧を描くように一回切り返すだけだが、今日は最初にラッセルして山頂までトレイルをつけた猛者の意向に従って小さくジグザグを切りながら登り、最後は稜線に向かって直登気味に急な斜面を強引に登った。 稜線に飛び出した所がもう山頂の一角だった。


ホテルの窓から見た朝のマッターホルン


ロープウェイの降車口でアンザイレンして展望台の下のトンネルを歩く


寒々しいトンネルを抜け、眩しいばかりの雪原に足を踏み出す


   クライン・マッターホルン付近から見たモン・ブラン(左)とグラン・コンバン(右)


ブライトホルンの取り付きに向かって大雪原を歩く


大雪原から見たブライトホルンの頂稜部


雪原から見たヴァイスホルン


取り付きから先行する大勢のパーティー


取り付きから見たカストール(中央)とリスカム (左奥)


取り付きからブライトホルンの山頂へ


   am10:50、風は少しあるが快晴の天気に恵まれたブライトホルンの頂に無事辿り着いた。 一同疲れた様子は微塵もなく余裕の笑顔だ。 お互いに握手を交わし合い、興奮しながら登頂の喜びを分かち合う。 年初に西廣さん夫妻から打診があるまでは、まさかこのメンバーで、しかもガイド登山で同峰を登ることになるとは想像もしていなかった。 ホスト役の私もとりあえず最低限の仕事を果たしたことで肩の荷がおり、3度目のブライトホルンの頂もまた新たな想い出となった。 ゴルナーグラートの展望台は遙か眼下に見え、昨日まで見上げていたマッターホルンやモンテ・ローザやドムも目線の高さだ。 とりわけ西廣さん夫妻やMさんは眼前のマッターホルンに魂が奪われていることだろう。 僅か1時間半ほどの気楽なガイド登山だったが、ここに辿り着くまでの道のりは長く、皆それぞれに心地よい達成感があったに違いない。 他に登れる山が無いことも手伝って、最盛期のように次から次へと登山者が登ってくる。 広い山頂も新雪に足を取られ、数珠つなぎの6名の団体では身動きするのもままならないので、記念写真を撮り合ってから僅か10分ほどで山頂を後にする。 ベネディクト氏の提案で、山頂から少し下った所で足元を踏み固めて腰を下ろし、行動食を頬張りながらしばらくのんびり寛いだ。

   充分過ぎるほど休憩した後、ベネディクト氏は先頭の私に、下りの渋滞を避けるため、登ったトレイルではなく雪の締まった広い斜面を下るように指示した。 スキーが趣味のMさんも内心思っただろうが、ヒドゥンクレバスさえなければスキーには最高の斜面だった。 あっという間に取り付き付近まで下り、登ったトレイルに合流した。 取り付きでこれから山頂に向かう日本人のパーティーのガイド氏に声を掛けられた。 偶然にも下りのロープウェイの中でそのガイド氏と再会したが、シャモニ在住のガイドの白野民樹さんだった。 取り付きでアイゼンを外し、登山口のクライン・マッターホルンに向けて再び氏が先頭になる。 雪原を歩きながら私の頭の中は明日の予定のことで一杯だった。

   pm0:20、クライン・マッターホルンに着いてザイルが解かれ、各々ベネディクト氏にお礼を述べ、感謝の気持ちを込めて50フランのチップを手渡した。 午後に予定があるという氏をロープウェイの乗車口まで見送り、倉庫に預かってもらったデポ品を回収して展望台に上がろうとしたが、停電によりエレベーターが動かず、今日のもう一つの楽しみだった展望台に行くことが出来なかった。 仕方なく再びトンネルを抜けて雪原に戻り、入口付近の日溜まりでランチタイムとした。 昨年観光した『氷の洞窟』(無料)も大雪の影響でクローズしていたため、食後はロープウェイの乗換駅のトロッケナーシュティークで途中下車し、駅舎の上のレストランのテラスで祝杯を上げた。 ロープウェイの中で白野氏と再会すると、氏から最低あと一週間はマッターホルンに登れないというアドバイスがあった。

   ツェルマットに下山し、アクティブマウンテン社の事務所に情報収集に伺う。 茂木さんがガイド組合に連絡をとってくれ、第二志望のモンテ・ローザやリムプフィッシュホルンには当分の間ガイドが入らないことが分かったので、残りの滞在日をサース・フェー方面の山に活路を見い出すことにした。 昨年お世話になったガイドのイワン氏に茂木さんから連絡を取ってもらい、サース・フェー方面の山の状況と明日と明後日の氏の都合を訊ねると、私の希望するシュトラールホルンは駄目だが、アラリンホルン・アルプフーベル・ヴァイスミースならOKとのことだった。 また、ちょうど明日と明後日は今のところ予定が入っていないとのことだったので、少し考える時間をもらって事務所で明日からの計画を練ることにした。 今日のブライトホルンの状況を考えると、恐らくアラリンホルンはガイドレスでも大丈夫だろう。 但しヴァイスミースはクレバスが多いため、万が一アラリンホルンが登れなかったことを考えると、ヴァイスミースも逃してしまう可能性があり、ガイド料だけのことで登頂の有無に影響が出てしまっては本末転倒なので、とりあえずアラリンホルンはガイドレスで、ヴァイスミースはイワン氏を指名するという考えに落ち着いた。 イワン氏であれば多少の無理がきき、不測の事態にも対応してくれるメリットもある。 中途半端な依頼だったが氏は快く引き受けてくれ、さらに明日のアラリンホルン登山のために、早朝ツェルマットから登山口のサース・グルントまで(有料で)車で送迎してくれるとのことだった。 話はとんとん拍子で進み、明日と明後日の予定は決まった。 但し唯一の問題は、ヴァイスミースの登山口のホーザースへのゴンドラが、架け替え工事で一部が運休しているため、中間駅のクロイツボーデンから標高差700mを足で登らなければならないということだった。 クロイツボーデンへのゴンドラの最終便がpm4:30のため、アラリンホルンからなるべく早く下山しなければならないという制約がついてしまったが、他に良い計画も見当たらないので、過去の経験を活かしてこの計画を実行することにした。 ガイド料の700フラン(邦貨で約63,000円)と手配料の140フラン、そして事務所のスタッフへのチップ50フランを支払ってホテルに帰った。 西廣さん夫妻に明日以降の計画の説明を行い、山行の準備を整えてから夕食を自炊して早々に床に就いた。


ブライトホルンの山頂


山頂から見たマッターホルン


山頂から見たヴァイスホルン(左)とドム(右)


山頂から見たゴルナー氷河


山頂から見たモンテ・ローザ(左奥)


クライン・マッターホルンに下山する


ガイドのベネディクト氏と


クライン・マッターホルン付近から見たブライトホルン


トロッケナーシュティークのレストランのテラスで祝杯を上げる


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P