憧れのヨーロッパアルプス 6

  【アルプス合同山行】
  「私達をアルプスの山に連れていって下さい!」。 友人の西廣さん夫妻からの思いがけない一言で、最近では恒例となってしまった夏のアルプス山行の計画はスタートした。 今年は3年ぶりにシャモニだけに滞在し、前回涙をのんだグランド・ジョラス(4208m)を第一目標に、グラン・コンバン(4314m)、エギ−ユ・ヴェルト(4122m)、ラ・メイジュ(3983m)等の憧れの山々を登りたいと漠然と考えていたが、急遽この発想を白紙に戻して“アルプス合同山行”なる名のもとに計画を練ることとなった。 ご夫妻はアルプスの山は初めてなので、山の計画は私に一任したいということであったが、出来れば有名な山(マッターホルンやモン・ブラン)に登りたいという希望があるようであった。 

  最近の私の山に対する考えとしては、自分と同志向の人と山行を共にし、感動を共有したいという思いが強くなっていたので、親しい友人らと海外の山に一緒に行くことが出来るとは願ってもないことであった。 ある程度分かってきた憧れのアルプスの山で、自分も楽しめ、かつ友人を喜ばせることが出来たら、これほど嬉しいことはない。 それを実践するためには、少々難しいかもしれないが、自分が登りたい山の計画に主眼を置きながらも、経験を生かしてご夫妻が希望しているマッターホルン(4478m)やモン・ブラン(4810m)に是非登れるよう全般にわたってサポ−トしていこうと考えた。 そして何よりもご夫妻には私が惚れ込んだアルプスの山の素晴らしさを体験してもらいたいと思った。 このような観点から計画を進めていった結果、必然的に滞在先はマッターホルンの麓のツェルマットとモン・ブランの麓のシャモニということになったが、標高の高いモン・ブランは体が(高所)順応してくる後半にした方がよりベターなため、最初にツェルマットに滞在するということにした。 お互いの休暇のスケジュールを調整した結果、今回の合同山行の日程は8月19日〜9月2日(現地日付)の実質15日間となり、ツェルマットに9泊、シャモニに6泊滞在することに決め、具体的な山行の計画に入った。

  ところで、マッターホルンは私が登った2001年の翌年から、ツェルマットのガイド組合(アルパインセンター)では登山者のレベルの低下を理由に、事前にガイドによる“テスト登山”を義務づけるようになった。 テストの対象にしている山はリッフェルホルン(岩登り講習)、ブライトホルン(4164m)のバリエーションルート、ポリュックス(4092m)、リムプフィッシュホルン(4199m)の4つである。 この中で技術・体力共に一番易しいのは恐らくポリュックスであり、技術的に難しいのはリッフェルホルン、体力的に大変なのはリムプフィッシュホルンであろう。 当然西廣さん夫妻はそんなことは知る由もないが、私もまだリムプフィッシュホルンは未踏であったため、是非これを皆で一緒に登ろうと思った。 同峰はB.Cとなる山小屋(フル−エヒュッテ)からの標高差が1500m以上あり、テストの山としては少々大変であるが、ツェルマットからのアプローチが良いため、天候不良の時にガイドの予約を変更しやすいメリットがあり、ブライトホルンのバリエーションルートやポリュックスは、事前にガイドレスでの登山を考えているブライトホルン(一般ルート)とルートの一部が重なるため、風景の違いがあまりないからである。 またマッターホルンが積雪で登れなかった場合や、逆に予備日を使わずに登れた場合には、モンテ・ローザ(4634m)に登ることもご夫妻の登山計画に盛り込むことにし、シャモニでは同様にグランド・ジョラスも計画に盛り込むことにした。

  一方、当の私はツェルマットにおいては昨年山小屋の閉鎖という珍事で涙をのんだヴァイスホルン(4505m)を第一目標に、予備日を使わずに登れた場合には、以前から気になっていたビーチホルン(3934m/山域ではベルナー・オーバーラント)か、ダン・ブランシュ(4356m)を考えていたが、これらの山はツェルマットからのアプローチが遠く、最低でも2泊3日を要するため日程的にかなり無理があるので、現実的なもう一つの候補としてツェルマットから直接登れるリスカム(4527m)を計画することにした。 またシャモニではグランド・ジョラスを第一目標に、グラン・コンバンかエギ−ユ・ヴェルトのどちらか一方をエージェントの神田さんと地元のガイドに相談しながら現地で決めるという計画に落ち着いた。

  早速シャモニの神田さんの事務所であるアルプス・プランニング・ジャポン(A・P・J)にメールで照会したところ、ツェルマットでのガイドの手配もしていただける(有料)とのことで、今回の全てのガイドの予約・手配をお願いすることにした。 尚、シャモニでのガイドの手配についてはガイドの手配を確実にするため、前回と同様に滞在期間中(5日間)の全ての日についてガイドの拘束を依頼したが、拘束料は以前より高くなり、1日265ユーロ(邦貨で約37000円)であった。 色々と思案しながら練った2パーティーの山行計画であったが、この計画も滞在中に降った未曾有の大雪のため全く違った結果になろうとは、この時は知る由もなかった。

  航空券とホテルについてはいつもどおり旅行会社のH.I.Sに依頼したが、意外にも例年より2か月早い3月中に申し込みをしたにもかかわらず、東南アジア系の航空会社の便は全て空きがなくキャンセル待ちの状態であった。 原油の値上がりで、各社とも便数を減らしたのであろうか?。 仕方なく少々高いがロンドン経由で行く英国航空の航空券を予約し、東南アジア系の航空会社の便についてキャンセル待ちをすることとなった。 また今回は4人で行くため、宿泊をホテルにするかアパートにするか迷ったが、各々計画している山が半分以上違うということや、ご夫妻は当然のことながらツェルマットやシャモニでの滞在経験はないこと、そして何より煩わしさを排除して登山に集中出来るように、例年と同じく三ツ星のホテル泊まりとすることにした。 H.I.Sで一泊15000円以下の宿を探したところ、ツェルマットでは『アルファ』(ツイン・朝食付きで一泊14400円)というホテルが見つかった。 シャモニではA・P・Jで『ヴァレーブランシュ』というホテルが一泊12300円で手配できるとのことで、こちらは同社に予約を依頼することになった。 その後、出発直前の7月になってようやく東南アジア系の航空会社の便についてキャンセルが出始めたが、すでに旅行(休暇)日程を確定した後だったので、日程を変更せずに英国航空よりも一人当たり5万円ほど安く行けるロシアのアエロフロート航空(129000円)に変更することにした。 同便はもちろん自国のモスクワ経由であるが、モスクワからチューリッヒへの到着時刻が遅く、また帰りの出発時刻が早いため、往復共にチューリッヒの空港近くのホテルに泊まることになった。

  ある時は同じ山を登って感動を共有し、またある時は違う山を登り、下山後にお互いの山行の感動をタイムリーに伝え、帰国後には写真を見せ合いながらその想い出を語り合う・・・。 こんな素敵な経験が出来たら、今回の合同山行の面白さは2倍にも3倍にも増すであろう。 また昨年インターネットで知り合ったMさんも、ちょうど同じ時期にマッターホルンを目指してツェルマットに滞在されることも直前に決まり、現地での再会が楽しみである。 さらに昨年お会いしたツェルマットのアクティブマウンテン社の茂木さん、川嶋さん、峯岸さんらとの再会やシャモニの神田さんご夫妻との3年ぶりの再会、あるいは以前お世話になったガイド諸氏との再会の可能性もあり、こちらも大変楽しみである。 山行気分は(一人で勝手に?)盛り上がり、GW明けからは“訓練山行”と称しては西廣さん夫妻とアルプスの山を意識した日帰りのカモシカ山行を北アルプス等で実践した。 特に山麓から餓鬼岳を経て唐沢岳への登山に至っては、往復15時間を費やし、蒸し暑さも加わって本番以上にきつかった。 その訓練の甲斐あってか、4人のメンバーは全員足並み揃って出発の日を迎えることが出来た。

  2005年8月18日、成田を正午に発つ便に合わせて西廣さんに自宅まで車で迎えにきていただき、空港へと向かう。 直前にあったロンドンでのテロの影響か、空港の機内持ち込み品の検査は異常なほど厳しくなり、ザックの中に入れた超小型のアーミーナイフ、アイゼン、電気調理器等がことごとく引っ掛かった。 もちろん日本なので全て説明してOKとなったが、ナイフだけはチューリッヒ空港での受け取りとなった。 初めて乗るロシアの旅客機の機内は想像どおり地味な内装であり、最近では当たり前となっている座席背面のテレビモニターは無く、所々の照明やリクライニングは壊れたままであった。 ロシアの経済状態はやはりまだまだ悪いのであろうか?。 また国民性なのであろうか、女性の乗務員の顔に笑顔や愛想は無く、何かとても違和感があった。 西廣さん夫妻は早速ビールやワインを飲んで寛ぎ、すっかり旅行モードに入ったが、私はいつものように計画のおさらいと悪天候による状況の変化に備えて代替案の検討に余念がなかった。

  現地時間のpm5:30に経由地のモスクワに到着。 成田からの所要時間は10時間半であり、東南アジア系の航空会社の便に比べて飛行時間は短く体には楽だった。 以前モスクワを訪れたことがある私の父から空港の施設の貧弱さを聞いていたが、国の玄関口とも言える国際空港としては正にそのとおりのローカルな雰囲気の漂う地味な空港であった。 他の空港のように居心地の良いロビーは無く、床に新聞紙を拡げて座っている人が多かった。 また理由は不明であるが、乗り換えの手続きを事務所で行い、チケットを発券してもらわなければならず、帰りのモスクワでの6時間のトランジットが今から憂鬱になる。

  3時間のトランジットをレストラン等で過ごした後、100人乗りほどの小型機に乗りチューリッヒへと向かう。 天候が安定していたお陰で揺れはほとんど感じなかった。 pm10:00過ぎ、モスクワから3時間半ほどで無事クローテン空港に着陸すると、機内の乗客からお決まりの?拍手がおこった。 預けた荷物も全員無事ピックアップ出来てひとまず安堵した。 空港を出ると、タクシー乗り場のすぐ後ろにホテルの送迎バスの停留所が見つかり、間もなく迎えにきたバスに乗って立派な4ツ星ホテル『メーベンピック』に着いた。 ウエルカムドリンクが出される高級ホテルであったが、明日はam7:00にチェックアウトしなければならず、ただ寝るだけの利用である。 料金はツイン・朝食付きで13000円であった。

  【4度目のツェルマット】
  8月19日、am5:30起床。 am6:00から始まる朝食のバイキングはとても豪華で、思わず優雅な気分に浸ってしまう。 ゆっくりと1時間近くかけてお腹を充分に満たし、am7:00過ぎの送迎バスで空港駅に向かう。 昨年は改装中であった空港駅の駅ビルは、テナントも埋まってすっかり立派になっていた。 予定どおり空港駅をam7:43に出発する特急電車に乗ったが、スイスでは今年の春に大幅なダイヤ改正があり、この時間帯の電車は以前のようにブリーク行きではなく、グリンデルワルトへの玄関口であるインターラーケン行きとなった。 結局、乗換え駅のシュピーツではジュネーブから来たブリーク行きの特急電車に同じホームから待ち時間なしで乗り換えられたため、時間的には全く影響はなく、またブリークでも待ち合わせをしているかのように氷河急行に乗り換えることが出来て逆に効率が良かった。 私達にとっては通い慣れた道であるが、西廣さん夫妻にとっては初めて見るスイスの風景は新鮮であろう。 私も5年前に初めて訪れた時のことを思い出したが、その後毎年この地を訪れることになるとは思いもよらなかったし、まして友人と一緒に訪れることになるとはなおさらのことであった。 ベルンを過ぎてしばらく行くと、前方にベルナー・オーバーラントの銀嶺が見え始め、今年もいよいよ憧れの山々との再会が近づいてきたことに胸が躍る。 あとはマッターホルンが白く雪化粧をしていないことを願うだけだ。 いつものようにランダを過ぎた辺りからブライトホルンの白い頂に出迎えられたが、生憎マッターホルンは雲の中であり、(雪)化粧の厚さは分からなかった。

  pm0:30にツェルマットに到着。 昨年に続き4度目の滞在となる私達にとっては“里帰り”したような感覚であった。 早速駅前の観光案内所の入口に貼りだされている天気予報を見に行ったが、生憎向こう4日間の天気は悪そうで、早々に出端をくじかれてしまった。 気を取り直して昨年泊まったホテルと川を挟んで対面にあるホテル『アルファ』に向かう。 駅前から5分ほどで今日から9泊する『アルファ』に着いが、同じ敷地内に建っている隣の4ツ星ホテル『メトロポール』と比べてだいぶ見劣りがする。 チェックイン後に案内された部屋は今までツェルマットで泊まったホテルの中では一番狭かったが、テレビ、冷蔵庫、大きなバスタブ付きのお風呂、そして南向きの広いベランダがあり、3ツ星ホテルとしては値段相応であった。 部屋はリクエストどおり隣同士であり、今は雲の中で見えないマッターホルンも天気が回復すれば居ながらにして望まれそうであった。

  荷物を解いて備付けのタンスや棚に並べて整理を行い、機内食の余りと持参したラーメン等を自炊して食べる。 昼食後はマッターホルンのB.Cとなるヘルンリヒュッテまで下見を兼ねたハイキングをする予定であったが、今にも雨が降りだしそうな曇天のため予定を変更して皆で町の散策に出掛ける。 メインストリートの中程の銀行で両替したところ、意外にもレートは1フラン91円で日本と殆ど変わらなかった。 土産物店『WEGA』に西永さんを訪ねたが生憎不在だったので、『ミグロ』や『コープ』で水やジュ−ス、野菜等を買ってホテルに帰った。 私達にとってはいつもと変わらない初日の行動パターンだが、初めてツェルマットを訪れた西廣さん夫妻にとってはメインストリートの景色を始め、何もかもが新鮮なものに見えていることであろう。 相変わらずの曇天のため、西廣さん夫妻の部屋で前祝い?に先ほど仕入れたビールやワインを飲んでのんびりと寛いでいたが、夕方になって空が少し明るくなってきたところで、急遽節子さんの発声で町を見下ろす崖の上に建つエーデルワイスヒュッテまでのハイキングに出掛けることになった。 

  メインストリートから狭い急な路地に入り、数多くの花々で飾られたホテル『ロマンチカ』の脇を通って山道へと向かう。 昨年ロートホルンヒュッテまで辿った懐かしいトレイルは、昨日のことのように記憶に新しい。 山岳マラソンの練習コースになっているのか、短パン姿で駆け降りてくる人達と出会う。 時差ボケで重たい体を労り、昨年の想い出に浸りながらのんびりと登っていったが、気が付くとコースタイムどおりに45分ほどで標高差300mを稼ぎ、目的のエーデルワイスヒュッテに着いた。 ヒュッテでは何かイベントのようなものがあったのか、狭いテラスには大勢の若い人達で賑わっていた。 生憎の曇天のため、好展望が売りのテラスからはブライトホルンだけが辛うじて見えるだけで、相変わらずマッターホルンや周辺の高い山々は厚い雲や霧に閉ざされたままであった。

  天気はまだ持ちそうだったので、さらに上のトリフトに向けてトレイルを登ることにした。 次第に増えてきた高山植物を愛でながら30分ほど歩いた所でようやく正面にオーバーガーベルホルンの雄姿が望まれ、さらに少し進んだ所で後ろを振り返ると、遙か遠くに霧の中からモンテ・ローザの頂稜部が顔を覗かせていた。 トレイルを少し外れた草むらで写真を撮りながら休憩していると、谷を挟んだ対岸の急峻な崖の中腹辺りを3頭のシュタインボックが飛び跳ねている姿が見えた。 人間にはとても真似の出来ないその華麗な身のこなしに見とれながら、しばらく皆で彼らの行方を目で追いかけていたが、天気が怪しくなってきたのでここで引き返すことにした。 3時間ほどの足慣らしを終えてツェルマットに戻り、いつものように教会で登山の成功と無事を神様に祈った。

  ホテルに帰り、pm8:00過ぎの天気予報を恐る恐る見たが、無情にも先ほど観光案内所で見たものと変わらず、明日からしばらく悪天候が続いてしまいそうであった。 計画では明日はガイドレスでブライトホルンへ登ることになっているので、予報が外れることを期待して山に登る準備を整えてから床に就いた。


チューリッヒのクローテン空港付近のホテル『メーベンピック』の玄関


クローテン空港駅から特急電車でツェルマットへ向かう


ツェルマットで9日間滞在したホテル『アルファ』


数多くの花々で飾られたホテル『ロマンチカ』


エーデルワイスヒュッテ


エーデルワイスヒュッテから見下ろしたツェルマットの町


  【ヘルンリヒュッテ】
  8月20日、am6:30起床。 雲や霧でベランダからマッターホルンは見えない。 am7:00前から始まるスイス各地のライブカメラによる実況と天気予報では、やはり今日と明日の二日間はとにかく天気が悪いようだ。 am7:00から始まる朝食のバイキングは隣の4ツ星ホテル『メトロポール』で用意されるらしく、いったんホテルの外に出て裏口からレストランに入る。 外は夏とは思えないほど寒く、吐く息が白かった。 明らかに格上のホテルのバイキングは昨日ほど豪華ではないものの、レストランの雰囲気や品揃えは他の3ツ星ホテルと比べても明らかに上質であった。 窓側の席に座り、恨めしそうに外の様子をうかがいながら、今日予定していたブライトホルン登山について思案したが、雲や霧で全く見えない山の状況と絶望的な鉛色の空を見て、とりあえず今日は登山を諦め、明日以降に順延することにした。 天気の状況を見ながら今日の行動を決めることにし、とりあえずアルパインセンターに皆でガイドの予約の確認をしに行く。 受付にはスタッフの女性が一人だけで電話と来客の対応をしていたが、天気が悪いせいかお客さんは殆どいなかった。 残念ながら昨年までお世話になったオルウェルさんは辞めてしまい、今はどこかのホテルで働いているとのことであった。 明後日のリムプフィッシュホルン登山のガイドの予約を確認したところ、最終確認は明日の午前中で良いとのことであった。 念のため山の状況を訊ねると、すでに現在もマッターホルン(一般ルートのヘルンリ稜)はクローズしており、しばらくの間は登れないという厳しい現実を知らされた。 アルパインセンターを後にして『WEGA』に店主の西永さんを訪ねた。 西永さんの話によると、6月の上旬は天気も良くとても暑かったが、それ以降は逆に冷夏となり、マッターホルンも7月の下旬に数日登れただけで、あとは殆どクローズ状態となり、毎年こちらに滞在しながらマッターホルンのガイドをされている増井氏のパーティー(お客さん)も全員モンテ・ローザに振り替えられていたとのことであった。 ツェルマットの今朝の最低気温は5℃ということであったが、先週は0℃の日もあったという。 西永さんと滞在中の再会を約して店を出ると、意外にも上空に青空が覗いたため、駅前の『コープ』で食料の調達をした後、昨日の午後に計画していたヘルンリヒュッテまでのハイキングに出掛けることにした。

  am11:00にホテルを出発。 念のためアイゼンを持っていく。 一瞬の青空に騙されたのか、私のお気に入りの場所であるシュヴァルツゼーまでゴンドラで上がると、湖の周囲は寒々とした霧に煙り、ハイカーや観光客の姿もまばらであった。 ゴンドラの駅舎の脇では山岳マラソンのゴールの設営が行われていた。 おそらくスタート地点はツェルマットで、スタッフェルを経由して登ってくるのであろう。 悪天候で輝きを失った湖に絶望し、湖畔には降りずにそのままヘルンリヒュッテへのトレイルを登っていく。 晴れていれば湖にオーバーガーベルホルンが映り、ダン・ブランシュとツィナールロートホルンのトリオが顔を揃える絶景地であるが、今日の天気では残念ながら展望は叶いそうもない。 岩陰に咲いている鮮やかな紫色のイワギキョウに励まされながら、今回で4度目となるヘルンリヒュッテへのトレイルを想い出に浸りながら、また西廣さん夫妻は憧れの頂に思いを馳せながら黙々と登る。 トレイルの記憶は新しく、まるで昨日通った所のように良く覚えていた。 クロ−ズしているマッターホルンへの登山者もいないため、予想どおりトレイル上では全く人に出会わない。 相変わらずマッタ−ホルンは姿を見せず、中間点にある赤いベンチを過ぎると、とうとう小雨が降り始めた。 幸い本降りにはならず途中で止んでくれたので助かったが、のっけから全く冴えないハイキングとなってしまった。

  pm1:40にヒュッテに到着。 天気が悪いため写真も撮らなかったので、コースタイムよりも早い2時間で着いた。 いつもは大盛況の山小屋のテラスはテーブルや椅子も片付けられて閑散としている。 ヒュッテの入口の温度計の針は4℃を指していた。 結局ヒュッテまでのトレイル上には雪は無く、滞在中には何とか登れそうな希望が湧いてきた。 食堂で私達はスープ、西廣さん夫妻は定番のビールを注文し、“ホテルで調達した食料”でランチタイムとした。 しばらく食堂で寛いだ後、予定どおりヒュッテの裏手のヘルンリ稜の取り付きまで下見に行く。 ヒュッテの裏手に上がった所で周囲に湧いていた霧が一瞬だけ晴れ、ダン・ブランシュの頂稜部が幻想的に望まれたが、これが今日の最初で最後の展望であった。 意外にもヒュッテの裏手にも殆ど雪はなく、いつものように取り付きの手前のコルに少し残雪が見られるだけであった。 以前私が登った時は、取り付きの岩壁に怪しげな頼りないザイルが補助的に垂れ下がっていただけであったが、今回は滑り止めの結び目がついた赤い立派な“固定ロープ”が取り付きのみならず、さらにその上にまで取り付けられ、登攀を容易に(つまらなく?)していた。 恐らくここでの順番待ちをなくし、結果的に事故を減らすためにガイド組合によって取り付けられたものであろう。 事前に調べたインターネットの情報によると、以前は無かった途中の岩場にも固定ロープが数カ所取り付けられたようであった。 登山者のレベルの低下が原因であろうが、長い目でみると逆にレベルの低下を助長しているようにも思えた。 取り付きで岩の感触を確かめながら攀じって遊んでいると、一瞬頭上の霧が風で飛ばされてソルベイヒュッテの下辺りまで見渡せるようになり一同歓声を上げたが、すぐにまた霧のベールに包まれてしまい、その後は全く見えなくなってしまった。

  pm3:20、ヒュッテを後にして下山にかかる。 間もなく細かい粒の霰が降ってきた。 雨にならなくて幸いであったが、上の方は雪になっていると思われ、このまま降り続くとまたクローズの期間が延びてしまうため、気が気ではなかった。 高度が下がると霰は雨に変わり、次第に雨足が強まってきた。 当初はツェルマットまで歩いて下る予定だったが、雨足がさらに強まってきたので潔くシュヴァルツゼーからゴンドラで下ることにした。 ツェルマットに着いても雨足が衰えることはなかったが、予定どおりアクティブマウンテン社の事務所を訪ねに行く。 生憎茂木さんは不在であったが、代表の田村さんから色々と今シーズンの山の情報を聞くことが出来た。 昨日の西永さんの話とは一部異なるが、6月に気温が高い日が続いたため、ヘルンリヒュッテのオープン前からマッターホルンへの登山が可能となり、7月も天気はまずまずであったが、8月に入ってからは天候不順となり、同峰のみならずヴァイスホルン等の岩山のコンディションも悪いとのことであった。 参考までにツェルマットからのリスカムの登山ルートについて訊ねると、前日にクラインマッターホルンの駅でビバーク(ガイド専用の特別室あり)し、リスカムの頂を踏んだ後、モンテ・ローザヒュッテまで一日で縦走するのが一般的な登り方であり、体力的には結構きついとのことであった。 また、田村さんは「もしアルパインセンターで話が通じなかったら、遠慮なくスタッフに聞いて下さい」と親切におっしゃられた。 ツェルマット周辺の登山事情に明るいスタッフが揃っているこの事務所の存在は本当に心強くて有り難い。 居心地の良い事務所についつい長居をしてしまった。 茂木さんとも是非再会したかったので、再訪を約して事務所を後にする。 雨はさらに激しくなっていた。

  夕食を自炊しながら見たpm8:00前の天気予報では、明日は陽射しが少しありそうであったが、明後日は再び曇天となり、その次の日あたりからようやく天気が良くなりそうであった。 しばらく今後の計画を練った後、西廣さん夫妻に明日も天気の様子を見ながら引き続きブライトホルンを目指すことを打診した。


朝食のバイキングを隣の4ツ星ホテル『メトロポール』のレストランで食べる


駅前のスーパーマーケット『コープ』で食料の調達をする


ツェルマットのメインストリート


ヘルンリヒュッテへのトレイルの中間点


悪天候続きで閑散としていたヘルンリヒュッテ


ヘルンリヒュッテの食堂で寛ぐ


ヒュッテの裏手のヘルンリ稜の取り付きへ下見に行く


ヘルンリ稜の取り付き


ヘルンリ稜の取り付きで岩の感触を確かめる


雨の中をシュヴァルツゼーへ下る


ツェルマットの洋菓子店


  【雪中ハイキング】
  8月21日、am6:30起床。 昨日と変わらない曇天だ。 結局雨は明け方まで降り続いていたようで、am7:00前のライブカメラによる実況では、ゴルナーグラートやウンターロートホルンの展望台は一面の銀世界となっていた。 ベランダからは真っ白く雪化粧したマッターホルンの全容が初めて望まれたが、シュヴァルツゼーの辺りまで山肌が白くなっていた。 その異様な光景を見て、天気が回復しても残念ながら今日のブライトホルン登山のみならず、明日予定しているリムプフィッシュホルン登山も無理だと思わざるを得なかった。 仕方なく今日も朝食のバイキングをゆっくりと堪能してから、am8:30にアルパインセンターに行く。 昨日と同じ女性のスタッフの方に、リムプフィッシュホルンのガイドの予約のキャンセルを申し出ると、こちらからキャンセルしなくても新雪でコンディションが悪いため、山には登れない(ガイドが入らない)でしょうとのことであった。 参考までに、今日ブライトホルンにガイドパーティーが入っているか否かを訊ねてみたところ、即座に「ノー・バディ(そんな人は誰もいません)!」との答えが返ってきた。 その一言でしばらくはブライトホルンにさえ登れない状況であることが分かり、今回の第一志望であるマッターホルンやヴァイスホルンはおろか、ツェルマット滞在中はどこにも登れないのでないかという悲観的な気持ちになった。

  足取りも重くアルパインセンターを後にし、予報よりも悪い灰色の空を見上げながら今日の予定を考える。 スネガに行きたいという西廣さんの意見もあったが、肝心のマッターホルンが見えないのではどうしようもないので、経験者の私の意見を通してもらい、モンテ・ローザヒュッテへの下見を兼ねてゴルナーグラートからローテンボーデンまで新雪を踏んで歩くことにした。 ホテルに戻り、念のためアイゼンとザイルを持って、ゴルナーグラートへ上がる登山電車の駅に向かう。 ちょうど駅前では山岳マラソンのスタートのセレモニーの最中で、ランナーや応援の観光客でごった返していた。 ゴールは昨日設営していたシュヴァルツゼーであろうから、途中から雪道になってしまいランナーは大変だろう。 

  駅の切符売り場の人が片道の切符しか買わない私達の身を案じて、何度も(雪のため)歩いて下るのは大変だと説明してくれたが、「大丈夫、大丈夫」と笑顔で応え、am9:36発の登山電車に乗り込んだ。 天気が悪いので電車は空いている。 駅のロビーにあるゴルナーグラートのライブカメラの映像では霧で何も見えなかったが、登るにつれ少しずつ霧は上がり“前山”はどうにか見えるようになった。 前山にも充分雪が付き、モノトーンの景色は意外と迫力がある。 初めて登山電車に乗る西廣さん夫妻はそれなりに興味深々で、旅行気分を味わっているようであり、案内役の私の心も救われた。 途中のリッフェルアルプの駅からは北の方角にビーチホルンが遠望され、天気が回復する望みも出てきた。 2211mの同駅付近から積雪の量は次第に多くなり、終点のゴルナーグラート(3090m)では30cmほど積もった雪を駅員さんが一生懸命除雪していた。 観光客の殆どは駅前のレストランに入り、30mほど上の展望台まで新雪を踏んで登る人はまばらであった。 展望台はまだ除雪されておらず一面の雪で、寒々しい灰色の空と組合わされた景色はまるで真冬のようであった。 残念ながら天気は一向に回復せず、ツェルマット随一の展望台も開店休業状態であった。 霧の中に時折マッターホルンやヴァイスホルンの頂稜部が見え隠れし、なぜかとても奥ゆかしい感じがする。 せっかくなのでしばらく粘ってみたが、リムプフィッシュホルン、ドム、モンテ・ローザ、リスカムといったお馴染みの山々には終始雲が取り付き、その頂を望むことは叶えられなかった。

  am11:20、展望台を下りゴルナーグラートの駅からリッフェルゼーのあるローテンボーデンの駅を目指して雪原に足を踏み入れる。 先行者の微かな踏み跡を辿って下るが、間もなく踏み跡は線路を越え、違う方向に行ってしまった。 おそらく踏み跡の主はハイカーではなく、登山鉄道の巡視員だったのであろう。 所々に立っているハイキングトレイルの標識を目標に、30cmほどの新雪をラッセルしながら下る。 途中から霧のため目標のリッフェルホルンが見えなくなり、また標識もなくなってしまい右往左往する場面もあったが、経験と勘を働かせて傾斜のきつくなった斜面を強引にジグザグを切って下る。 ハイキングトレイルから外れた岩場を下っているので、時々股まで新雪に埋まることもあった。 今回の合同山行でこんな雪中ハイキング(行軍)をするなどとは全く想像もしておらず、6年前に初めての海外旅行で行った初夏のカナディアンロッキーで、大雪のため同じような経験をしたことが思い出された。 今回は西廣さんという頼もしい猛者がいるので、写真を撮り合いながら、和気あいあいと滅多に経験出来ない“真夏の冬景色”を楽しんだ。 間もなく再びリッフェルホルンやリッフェルゼー(湖)も見え出した。 途中から私達の後を追って下ってきた3人組の外国人のハイカー達に道を譲ったが、彼らの足回りは何と普通の運動靴だった。

  pm0:30、コースタイムの1.5倍の時間を要してローテンボーデンの駅の下に着いた。 予想どおり同駅からモンテ・ローザヒュッテへ向かうトレイルには踏み跡は見られず、いつもなら大勢の観光客で賑わっている“逆さマッターホルン”を映し出す眼下のリッフェルゼーの湖畔には誰もいない。 モノトーンのリッフェルホルンにも迫力が感じられるが、陽射しが望めるという天気予報は外れたようで、午後に入ると天気はますます下り坂となり、マッターホルンはおろかブライトホルンすら見ることは出来なかった。 小雪が舞い始めたので、湖畔で休むこともなく次のリッフェルベルクの駅を目指して下る。 リッフェルゼーからは積雪が20cmほどとなり、先行した3人組の外国人の他にもローテンボーデンから下ったハイカーがいたようで、だだっ広い緩やかな牧草地に積もった雪の上をラッセルもなくコースタイムどおりに歩けるようになった。 暖かいリッフェルベルクの駅舎の中で遅いランチタイムとし、天気の回復を期待して(開き直って?)同駅からの電車には乗らず、さらにツェルマットまで歩いて下ることにした。40分ほど下った次のリッフェルアルプの駅を過ぎると、とうとう雨が降りだし、ツェルマットに着く頃には本降りとなった。 気温も低く、当然山ではさらに新雪が積もり、残念ながら明日も山には登れないことは確実であった。

  pm3:45にホテルに着き、一人でアクティブマウンテン社の事務所に茂木さんを訪ねに出掛ける。 天気が悪かったので運良く昨年カストールを同じ日に登ったスタッフの峯岸さんとも再会することが出来た。 お二人との一年ぶりの再会に話が弾み、今日もまた居心地の良い事務所でついついお喋りに夢中になってしまう。 峯岸さんは初夏に友人とマッキンリーに登られ、何とその山頂からスキーで滑降されたとのことであった。 スタッフの方々から山の話を色々と伺っていると、ボルテージは上がる一方だ。 再訪を約して事務所を出ると、雨足は更に強まっていたが、この時はまだこの雨がスイス全土を襲う未曾有の災害になるとは知る由もなかった。 夕食後、今日からマッターホルンを登りにツェルマットに入られているMさんを宿泊しているホテルに訪ね、しばらくはマッターホルンはおろか他の山にも登れない最悪の状況となっていることを切々と訴えてお互いを慰め合った。 Mさんは明日アクティブマウンテン社の代表の田村さんと共にオーバーロートホルンへのハイキングを予定されているとのことで、私達もご一緒させてもらうことにした。


ホテルのベランダから真っ白く雪化粧したマッターホルンが初めて望まれた


朝食のバイキングをゆっくりと堪能する


ツェルマットの駅前では山岳マラソンのスタートのセレモニーが行われていた


登山電車に乗ってゴルナーグラートの展望台に上がる


新雪を踏んでゴルナーグラートの展望台へ登る


ゴルナーグラートの展望台はまだ除雪されていなかった


山岳ホテル『ゴルナーグラート』


ゴルナーグラートからリッフェルゼーへ雪原を下る


雪中ハイキング(行軍)で滅多に経験出来ない“真夏の冬景色”を楽しむ


リッフェルホルンとリッフェルゼー


リッフェルゼーからさらにリッフェルベルクへと下る


  8月22日、am6:30起床。 明け方まで降り続いていた雨は上がり、マッターホルンも微かに見える。 雪となったのは標高の高い所だけだったのか、意外にもシュヴァルツゼー辺りの雪は少し無くなっていた。 am7:00前の天気予報では今日は曇りで、明日からは天気が良くなり、明後日は快晴となっていた。 今日も朝食のバイキングをゆっくりと堪能する。 am9:00に待ち合わせ場所のホテルのロビーで田村さんとMさんに合流したが、大雪のためオーバーロートホルンには登れないとの田村さんの判断で、お二人は先日私達が途中まで行ったトリフトへ行き先を変更されたとのことであった。 私達は西廣さんの希望もあり、とりあえず行ける所までは行こうということで、予定どおりオーバーロートホルンを目指すこととし、お互いの健闘を誓い合って一同ホテルを後にした。

  am9:45発の地下ケーブルに乗り、まずはスネガの展望台(2288m)へと上がったが、やはり濃い霧のためマッターホルンは全く見えない。 昨日のゴルナーグラート同様、マッターホルンを眺めるには一番の展望台も開店休業状態である。 一瞬でも霧が晴れることを期待しながら、ブラウヘルト(2571m)までゴンドラを使わずに急坂のトレイルを歩いて登る。 天気の回復の兆しは見られず、昨日とほぼ同じように辺り一面モノトーンの世界で、他にトレイルを歩いている人は皆無であった。 トレイルの脇からマーモットの鳴き声が所々で響く。 目を凝らすと、数匹のマーモットが巣穴から出てきて岩の上に佇んでいた。 そのうちの一匹はまだ子供のようで警戒心が弱く、私達の目の前をチョロチョロと動き回り、山が見えず意気消沈していた私達の目を楽しませてくれた。 ブラウヘルトの駅に近づくと雪がトレイル上に現れ、同駅から上の方の積雪量は急に多くなっていた。 昨日はこの辺りを境に上が雪、下が雨になったことが良く分かる。

  ブラウヘルトからウンターロートホルン(3103m)の展望台までは踏み跡は無く、まだ誰も登っていないようだったので、大型のロープウェイで上がることにした。 昨日同様、切符売り場の人が片道の切符しか買わない私達の身を案じて、何度も(雪のため)歩いて下るのは大変だと説明してくれたことが滑稽であったが、今日ばかりはこのアドバイスに従うことが正解だった。 ウンターロートホルンの展望台に着くと、昨日のゴルナーグラートの展望台以上の50cmほどの積雪があり、除雪も半分しかされていなかった。 今日は天気が悪いだけでなく月曜日なので、展望台を訪れる観光客もまばらであった。 目標のオーバーロートホルン(3415m)には山肌に新雪がべったりと張り付き、雪で埋まったハイキングトレイルには誰も足を踏み入れていなかった。 昨日同様雪原への“雪中行軍”を試みたが、昨日より雪が深いのみならず湿った雪がとても重たく、30mほど進んだだけであえなくギブアップした。 それではと、反対側のブラウヘルトまで下ろうとしたが、こちらも全く歯が立たず、仕方なくロープウェイで同駅まで下り、リムプフィッシュホルン登山のB.Cとなるフルーエヒュッテに行ってみることにした。

  ブラウヘルトからは、ウンターロートホルンの基部を巻くように、車道のような幅の広いハイキングトレイルを標識と踏み跡に従って緩やかに登る。 傾斜がきつくなってくると間もなくオーバーロートホルン方面とヒュッテとの分岐に着いた。 意外にも分岐からオーバーロートホルンに向った猛者の踏み跡があった。 私達も踏み跡を辿って行こうかとも考えたが、山頂は相変わらず濃い霧に覆われているし、天気の回復も望めそうにないので、滞在中のリベンジを誓い予定どおりヒュッテへと下った。 緩やかにさらに幅の広くなったトレイルを下って行くと、人の足跡よりも獣の足跡の方が多くなった。 ヒュッテが眼下に見える分岐を左にとると、突然私達の前方を5〜6頭の鹿がトレイルを横切り、私達の存在に気が付くと飛び跳ねながら左手の崖のような急斜面を駆け登って行った。 彼らも突然の雪で行き場を失い、食べ物に困っているのだろう。 ヒュッテの手前まで下ってくると、一人の外国人が私達の後から下りてきた。 足取りの軽さから、先ほどの分岐からの足跡の主であると思われた。 早速話を伺ってみると、上の方の雪の状態が悪く途中で登るのを断念されたとのことであったが、単独で頂を目指したチャレンジ精神には本当に脱帽である。 西廣さんの提案でヒュッテには後で寄ることにして、リムプフィッシュホルンへの取り付きに通じるトレイルを辿り、モレーンの背に上がってみた。 眼下には後退したフィンデル氷河の末端の様子が良く見渡せたが、肝心の山々は相変わらず望むことは出来ない。 今日のウンターロートホルンでの積雪を見る限り、滞在中にリムプフィッシュホルンを登ることは無理かもしれない。

  pm3:00前に目的地であるフルーエヒュッテに着き、人影もない展望テラスで雲の中のマッターホルンを眺めながら遅いランチタイムとする。 1階が石造りで2階から4階までが木造の味わいのある山小屋への宿泊は、リムプフィッシュホルン登山の時までお預けである。 再訪を誓ってヒュッテを後にすると、とうとう小雨がパラつき始めた。 間もなくリッフェルゼー同様“逆さマッターホルン”を映し出すステリゼーの湖畔を通ったが、今日の湖はいつもの輝きを失っていた。 再びトレイルの脇にマーモットの姿が見られ、この辺りは彼らの生息地であることを説明した案内板があった。 pm5:00前に出発地点のスネガに戻って来たが、天気の回復は望めそうになかったため、展望台で一服した後に地下ケーブルでツェルマットに下った。 

  ホテルに帰ると受付にA・P・Jからの伝言メモが届けられていた。 早速神田さんに電話を入れると、シャモニも大雪の影響でグランド・ジョラスはしばらく登れないとのことであったが、モン・ブランはしばらくすれば登れるようになるとのことで安堵した。 再びアクティブマウンテン社の事務所を訪ねると、今日は川嶋さんとも再会することが出来た。 ガイドの仕事で今日行かれたゴルナーグラートの展望台も昨日よりさらに積雪があったようだ。 今日もまた居心地の良い事務所についつい長居をしてしまった。 その足でアルパインセンターに行き、明後日のマッターホルンやヴァイスホルン登山のガイドの予約のキャンセルを申し出ると、昨日と同じ受付の女性スタッフの方から「トゥー・マッチ・スノー、ネクスト・イヤー(来年また来てください)!」とのジョークが返ってきた。 明日は天気が良くてもブライトホルンにはまだガイドパーティーは入らないとのことであった。

  ホテルで夕食を自炊しながらテレビを見ていると、どうやらこの二晩の雨がスイス各地の鉄道や道路等の交通機関に影響を及ぼし、また都市部でも浸水の被害が出たようであったが、山間部のツェルマットでは“山に大雪が降った”という程度の認識しかなく、この水害の被害の実態については全く分からなかった。


ブラウヘルト付近から見た新雪のメッテルホルン


マーモットが意気消沈していた私達の目を楽しませてくれた


50cmほどの積雪があったウンターロートホルンの展望台


オーバーロートホルンへの“雪中行軍”を試みたが、湿った雪がとても重たくギブアップした


ブラウヘルトからリムプフィッシュホルン登山のB.Cとなるフルーエヒュッテに向かう


リムプフィッシュホルンへの取り付きに通じるトレイルを辿り、モレーンの背に上がる


フルーエヒュッテ


ヒュッテの展望テラスで雲の中のマッターホルンを眺めながら遅いランチタイムとする


“逆さマッターホルン”を映し出すステリゼー(湖)はいつもの輝きを失っていた


スネガから地下ケーブルでツェルマットに下る


宿泊したホテル『アルファ』(右)と共用のレストランがあるホテル『メトロポール』(左)


アクティブマウンテン社の事務所で川嶋さん(右)や峯岸さん(左)と再会する


  8月23日、am6:30起床。 青空は見えるが、マッターホルンは雲の中であった。 いつになったらすっきりと朝焼けのマッターホルンを拝むことが出来るのであろうか。 am7:00前の天気予報では今日は晴れで、明日は快晴となっていた。 その後も大きな天気の崩れはなさそうで、しばらくは雨(雪)の心配はなさそうである。 ただ天気は良くなってもハイキングさえままならぬ“非常事態”になっているため、行く先を決めるのに苦労する。 案内役の私は朝食のバイキングも上の空である。

  am8:30にアルパインセンターに行き、顔馴染みになった女性のスタッフの方に、ブライトホルンの状況について訊ねてみたところ、今日組合のガイド達が偵察に出ているので、明日からはコンディションが悪いながらも登れるようになるでしょうとの朗報であった。 当初ブライトホルンは、いつものようにガイドレスで登ることしか考えていなかったが、今の状況ではツェルマット滞在中に西廣さん夫妻がマッターホルンやモンテ・ローザに登れる可能性は極めて低く、好天のピークである明日は是が非でもアルプスの4000m峰の頂を踏んでもらいたいという一念から、同峰のグループ登山のガイドを申し込んだ。 料金は@145フラン(邦貨で約13000円)であった。 とりあえず明日から登山が出来そうなのでホッとしたが、さて今日はどこに行こうか?・・・。 薄曇りであるが、陽射しも出てきて天気は回復傾向である。 どこに行っても中途半端なハイキングしか出来ないのであれば、アルプスデビューの西廣さん夫妻がツェルマット周辺の山々の概念を良く理解することが出来るようにと再びゴルナーグラートの展望台に上がり、のんびり展望を楽しもうということに決めた。 一同“観光客モード”となり、西廣さん夫妻は『コープ』でワインを仕入れ、登山電車の駅へと向かう。 駅のロビーでいつもお世話になっているグリンデルワルトの日本語観光案内所の所長の安東さんとばったり出会う。 今日はこれから私達と同じ電車で団体のツアー客をゴルナーグラートの展望台に案内されるとのことであった。

  am9:36発の登山電車に乗り、一昨日に続き再びゴルナーグラートの展望台に向かう。 今日は天気が良いという予報のためか乗客も多い。 電車が出発すると間もなく、それまで山々を覆っていた薄雲が取れ、新雪に輝いた山々が青空の下に一斉に見え始めた。 思わず座席から身を乗り出し、初めて見る景色のように興奮しながら写真を撮る。 マッターホルンの雪も昨日の朝と比べると幾分溶けたが、とてもまだ登れるという状況ではない。 これから毎日晴れてもあと最低一週間はかかるだろう。 それとは対照的に2500m以下の牧草地の雪は見事に溶け、あらためて今は夏であることに気付かされた。 終点のゴルナーグラートの駅に着くと、展望台への除雪がまだ済んでいないようで、駅の脇のレストランの周囲は大勢の観光客で賑わっていた。 ゴルナー氷河を挟んでブライトホルンが大きく迫り、真っ白なマッターホルンが神々しい。 一昨日とはまるで違う軽い足取りで30mほど上の展望台に上がると、ここにも大勢の観光客が展望を楽しんでいた。 展望台の片隅では何とテントを撤収している猛者の姿も見られた。 残念ながら手前に浮かんだ雲に遮られ、オーバーガーベルホルンだけが見えなかったが、ドム、テッシュホルン、アルプフーベル、アラリンホルン、リムプフィッシュホルン、シュトラールホルン、モンテ・ローザ、リスカム、カストール、ポリュックス、ブライトホルン、マッターホルン、ダン・ブランシュ、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンといった周囲の4000m峰が全て見渡せ、ようやく西廣さん夫妻に山の名前を教えることが出来た。 これだけの雪がついた夏のアルプスの山を見ることは滅多に出来ないので、初めて訪れた観光客のように展望台をあちらこちらと動き回って写真を撮るが、内心では風もない絶好の天気に山に登れないことが悔しくてたまらない。 そんな諦めの悪い私と違い、西廣さん夫妻は山を肴に優雅にワインを飲み始めた。 お二人を見ていると他に人生の楽しみ方を知らない自分が情けなくなる。 しばらくするとMさんも展望台に上がってこられ、皆で一緒に写真に収まった。

  午後に入ってからようやく重たい腰を上げて展望台を下りる。 西廣さんの意見で再び雪のトレイルを歩いてリッフェルゼーに向かう。 一昨日私達が作ったトレイルはだいぶ拡幅されて歩き易くなっていた。 青空の下、正面にマッターホルンを見据えながら雪原を下るのは実に痛快だ。 所々で足を止めては周囲の山々を背景に写真を撮りながら下るため、今日もコースタイムオーバーである。 ローテンボーデンからモンテ・ローザヒュッテに向かうトレイルにも人影が見える。まさに絶好のハイキング日和だ。 今日のリッフェルゼーは鏡のように見事にマッターホルンを描写し、一昨日の借りを返してもまだお釣りがくるほどであった。 電車で下られたMさんと再びリッフェルゼーで合流した後、すでに雪が溶けたハイキングトレイルをツェルマットに向かって一緒に下る。 リッフェルベルクからリッフェルアルプの間は昨日とは違う線路沿いのトレイルをとる。 雪がすっかり無くなった牧草地には昨日に続きマーモットの姿が多く見られた。 栽培された沢山のエーデルワイスの花で飾られた豪華な5ツ星のホテル『リッフェルアルプ・リゾート』の前を通ってリッフェルアルプの駅に着き、pm4:45発の登山電車でツェルマットに下った。

  情報収集のため、その足でアクティブマウンテン社の事務所に立ち寄る。 代表の田村さんから、ブライトホルンへのルート上の新雪は70cm程あり、プライベートガイドによるパーティーは全て途中で引き返したとのことであった。 またMさんがマッターホルンのテストとして予定されているポリュックスも明日はまだ登山は無理であることも分かった。 そして山の状況以上に、昨夜のテレビのニュースで放送されていた大雨による洪水の被害について、山間部のみならず首都のベルンまで水に浸かっていることや、グリンデルワルトの周辺が停電により観光客にも大きな影響が出ている事などを聞いてさらに驚いた。 ポリュックス登山が延期になったMさんが、急遽明日のブライトホルン登山に参加したいということで、皆でアルパインセンターに行き、予約した4名のグループ登山にさらに1名追加してもらった。 ガイド料はさらに@10フラン安くなり、@135フラン(邦貨で約12100円)となった。 明日からの登山に備え、一週間で20フランのヘリ救助保険を申し込んだ。


駅のロビーでグリンデルワルトの日本語観光案内所の安東さんとばったり出会う


ゴルナーグラートへの登山電車の車窓から見たマッターホルン


ゴルナーグラートの展望台から見たマッターホルン


ゴルナーグラートの展望台から見たモンテ・ローザ(左)とリスカム(右)


ゴルナーグラートの展望台から見たヴァイスホルン


ゴルナーグラートの展望台でMさんと再会する


ゴルナーグラートの展望台から見たブライトホルン


リッフェルゼーと“逆さマッターホルン”


Mさんと再びリッフェルゼーで合流し、すでに雪が溶けたハイキングトレイルを一緒に下る


リッフェルアルプ手前から見たツィナールロートホルン


5ツ星のホテル『リッフェルアルプ・リゾート』の栽培されたエーデルワイスの花


  【ブライトホルン】
  8月24日、am6:30起床。 ツェルマットに来てから初めて朝焼けのマッターホルンの姿をホテルの窓から拝むことが出来た。 予報どおりの快晴の一日になりそうで安堵する。 西廣さん夫妻は早起きをして、すでにベランダで朝焼けのシーンを鑑賞されていた。 初めて朝食のバイキングを慌ただしく食べ、身支度を整えてガイド氏との待ち合わせ場所である町外れのゴンドラ乗り場へ向かう。 ブライトホルンには過去に2度ほどガイドレスで登っているので、全くその頂に固執していなかったが、今回はガイドを雇用するほどの“非常事態”であり、かつ案内役の私としてはアルプスデビューの西廣さん夫妻には何としても快晴のアルプスの山の頂に立ってもらいたいと切望していたので、今日は何か独特の緊張感がある。

  約束のam8:00にゴンドラの駅に着くと、予想以上にサマースキーヤーの姿が多く見られ、これも大雪の影響かと思えた。 私達以外にも4〜5組のガイド登山のパーティーがあり、間もなく私達のガイドとなるベネディクト氏も現れた。 早速各々自己紹介しながら氏と握手を交わし、ゴンドラに乗り込む。 定員6名のゴンドラの中は事前のミーティングには恰好の場所であった。 がっちりとした体格の頼もしいベネディクト氏は39歳でガイド歴は20年、すでにマッターホルンを200回もガイドしたことがあるというベテランのガイドであった。 氏も今夏はこの大雪でガイド収入が減ってしまい、私達と同様に“被害者”の一人であった。 社交辞令にと、いつものように片言の英語で私達のアルプスの山の経歴を話す。 乗換え駅のフーリーでは、思わぬ雪のプレゼントに活気づいて繰り出してきた学生のスキーヤー達で溢れ返っていた。 どうやらこの先のロープウェイが故障したことが混雑に拍車をかけているようであった。 ベネディクト氏ら数人のガイド達がロープウェイの係の人に交渉してくれたので、後から着いた私達が優先的に乗れることになり事なきを得たが、もし予定どおりガイドレスだったら長時間ここで待たされ、ひどい目に遇うところであった。 トロッケナーシュティークでロープウェイを乗り換えると、車窓からは圧倒的なスケールでマッターホルンの東面の岩壁が迫り、オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルンがようやくすっきりと望まれた。 終点のクライン・マッターホルンですし詰めのロープウェイから解放され、降車口にあるトイレの前でハーネス等を装着してアンザイレンする。 繋がれる順番は、先ほどの私達の話が通じたようで、予想どおりMさん、西廣さん、節子さん、妻、そして殿(しんがり)の私の順であった。

  am9:20、展望台の下の寒々しいトンネルを抜け、眩しいばかりの雪原に足を踏み出す。 いつもと同様に取り付きまではアイゼンは着けないで歩く。 過去に3回もここを通っている私達にとっては“通い慣れた道”であるが、他の三人にはこの広大な雪原の景色も新鮮なものとして映っていることであろう。 右手にはモン・ブランもはっきりと見え、予報どおりの快晴の天気にまずは安堵する。 大雪のため多少のラッセルは覚悟していたが、意外にもトレイルは安定しており、ブライトホルンの人気の高さをあらためて実感した。 先行者の数も多く、すでに20人位が取り付きに向かって前を歩いている。 しばらくするとブライトホルンの頂稜部に刻まれたトレイルがはっきりと見え、今日の天気とトレイルの状態から、いつものようにガイドレスでも登れたことが分かったが、先ほどのロープウェイ乗り場の件もあり、また今回はアルプスでのガイド登山が初めての西廣さん夫妻にとっては良い経験になるだろうということで納得する。 ベネディクト氏のペースは決して遅くはなかったが、いきなり富士山よりも高い所を歩き始めたにもかかわらず、皆の足取りは順調そのものであった。 雪原の上に浮かぶ双耳峰のリスカム、ポリュックス、カストールの頂稜部を正面に望みながら青空の下に快適な歩行が続く。 出発してから45分ほどで取り付きに到着し、氏の指示でアイゼンを着ける。 すでに下ってくる登山者の姿も見られ、一同登頂を確信した。 通常であれば取り付きから山頂までは、北側に大きく張り出した雪庇の方向に斜上してから右に大きく弧を描くように一回切り返すだけであるが、今日は最初にラッセルして山頂までトレイルをつけた猛者の意向に従って小さくジグザグを切りながら登り、最後は稜線に向かって直登気味に急な斜面を強引に登った。 稜線に飛び出した所がもう山頂の一角であった。

  am10:50、風は少しあるが快晴の天気に恵まれたブライトホルンの頂に無事辿り着いた。 一同疲れた様子は微塵もなく余裕の笑顔だ。 お互いに握手を交わし合い、興奮しながら登頂の喜びを分かち合う。 年初に西廣さん夫妻から打診があるまでは、まさかこのメンバーでしかもガイド登山で同峰を登ることになるとは想像もしていなかった。 案内役の私もとりあえず最低限の仕事を果たしたことで肩の荷がおり、3度目のブライトホルンの頂もまた新たな想い出となった。 ゴルナーグラートの展望台は遙か眼下に見え、昨日まで見上げていたマッターホルンやモンテ・ローザやドムも目線の高さである。 とりわけ西廣さん夫妻やMさんは目標である眼前のマッターホルンに魂が奪われていることであろう。 僅か1時間半ほどの気楽なガイド登山であったが、ここに辿り着くまでの道のりは長く、皆それぞれに心地よい達成感があったに違いない。 他に登れる山が無いことも手伝って、最盛期のように次から次へと登山者が登ってくる。 小広い山頂も新雪に足を取られ、数珠つなぎの6名の団体では身動きするのもままならないので、記念写真を撮り合った後、僅か10分ほどで山頂を後にする。 ベネディクト氏の提案で山頂から少し下った所の斜面を足で踏み固めて腰を下ろし、行動食を頬張りながらしばらくの間一同のんびりと寛ぐ。

  充分過ぎるほど休憩した後、下りの渋滞を避けるためベネディクト氏は先頭の私に、登ったトレイルを外し、アイゼンの爪を利かせながら雪の締まった広い斜面を斜めにどんどん下っていくようにと後ろから指示した。 スキーが趣味のMさんも内心思ったであろうが、ヒドゥンクレバスさえなければスキーには最高の斜面であった。 あっという間に取り付き付近まで下り、再び登ったトレイルに合流した。 取り付き付近でこれから山頂に向かう日本人のパーティーのガイド氏に声を掛けられる。 偶然にも下りのロープウェイの中でその方と再会することとなったが、シャモニ在住の白野民樹氏であった。 取り付きでアイゼンを外し、登山口のクライン・マッターホルンに向けて再び氏が先頭になる。 雪原を歩きながらすでに私の頭の中は明日の予定をどうするかで一杯だった。

  pm0:20、クライン・マッターホルンに到着。 ザイルが解かれ、各々ベネディクト氏にお礼を述べ、最後の記念写真を撮り合った後、感謝の気持ちを込めて50フランのチップを手渡す。 午後に予定があるという氏をロープウェイの乗車口まで見送り、倉庫に預かってもらったデポ品を回収して展望台に上がろうとしたが、停電によりエレベーターが動かず、今日のもう一つの楽しみであった展望台に行くことは出来なかった。 仕方なく再びトンネルを抜けて雪原に戻り、入口付近の日溜まりでランチタイムとした。 昨年観光した『氷の洞窟』(無料)も大雪の影響かクローズしていたため、食後はロープウェイの乗換え駅であるトロッケナーシュティークで途中下車し、駅舎の上のレストランのテラスで祝杯を上げた。 その車中で先ほどのガイドの白野氏らのパーティーと再会した。 お客さんの年配の男性の話によれば、昨年のモン・ブラン登山でたまたま氏と知り合い、今年はプライベートガイドをお願いしてマッターホルンを登りにこられたとのことであった。 私達もマッターホルンを登りにきたことを話すと、白野氏から最低あと一週間は登れないでしょうとのアドバイスがあった。

  ツェルマットに下山し、一旦ホテルに戻ってからアクティブマウンテン社の事務所に情報収集に伺う。 茂木さんがわざわざガイド組合に連絡をとって下さり、しばらくの間は計画していたリムプフィッシュホルンもモンテ・ローザもガイドが入らないことが分かったので、残りの滞在日をサース・フェー方面の山に活路を見い出すことにした。 昨年お世話になったガイドのイワン氏に茂木さんから連絡を取っていただき、サース・フェー方面の山の状況と明日と明後日の氏の都合を訊ねてもらったところ、私の希望するシュトラールホルンは駄目だが、アラリンホルン、アルプフーベル、ヴァイスミースならOKであるとのことであった。 またちょうど明日と明後日は今のところ予定が入っていないとのことだったので、少し考える時間をもらって事務所で明日からの計画を練ることにした。 今日のブライトホルンの状況を考えると、恐らくアラリンホルンはガイドレスでも大丈夫であろう。 但しヴァイスミースはクレバスが多いため、万が一アラリンホルンが登れなかったことを考えると、ヴァイスミースも逃してしまう可能性があり、ガイド料だけのことで登頂の有無に影響が出てしまっては本末転倒なので、とりあえずアラリンホルンはガイドレスで、ヴァイスミースはイワン氏を指名するという考えに落ち着いた。 イワン氏であれば多少の無理もきき、不測の事態にも対応してくれるメリットもある。 中途半端な依頼であったが氏は快く引き受けてくれ、さらに明日のアラリンホルン登山のために、早朝ツェルマットまで車で迎えにきてくれ、登山口のサース・グルントまで送迎して(もちろん有料であるが)くれるとのことであった。 話はとんとん拍子に進み、明日と明後日の予定は決まった。 但し唯一の問題は、ヴァイスミースの登山口となるホーザースまでのゴンドラが、架け替え工事のため上の区間が運休しており、中間駅のクロイツボーデンから標高差700mを登らなければならないということであった。 下の区間のゴンドラの最終便がpm4:30であるため、アラリンホルンからなるべく早く下山してこなければならないという制約がついてしまったが、他に良い計画も見当たらないので、過去の経験を活かしてこの計画を実行することにした。 ガイド料の700フラン(邦貨で約63000円)と手配料の140フラン、そして事務所のスタッフへのチップ50フランを支払いホテルに帰った。 西廣さん夫妻に明日以降の計画の説明を行い、山行の準備を整えてから夕食を自炊して早々に床に就いた。


ホテルの窓から見た朝のマッターホルン


ロープウェイの降車口からアンザイレンして展望台の下のトンネルを歩く


寒々しいトンネルを抜け、眩しいばかりの雪原に足を踏み出す


クライン・マッターホルン付近から見たモン・ブラン(左)とグラン・コンバン(右)


ブライトホルンの取り付きに向かって広大な雪原を歩く


ブライトホルンの頂稜部に刻まれたトレイルがはっきりと見えた


雪原から見たヴァイスホルン


取り付きから先行する大勢のパーティー


取り付きから見たカストール(中央)とリスカム (左奥)


取り付きからアイゼンを着けて登る


ブライトホルンの山頂


山頂から見たマッターホルン


山頂から見たヴァイスホルン(左)とドム(右)    中央の谷は氷河特急が走るマッタータール


山頂から少し下った所でのんびりと寛ぐ


クライン・マッターホルンに下山する


ガイドのベネディクト氏と


クライン・マッターホルン付近から見たブライトホルン


ロープウェイの乗換え駅のトロッケナーシュティークのレストランのテラスで祝杯を上げる


  【アラリンホルン】
  8月25日、am5:30起床。 インスタントラーメンを食べ、まだ暗いam6:00にホテルを出発。 イワン氏との待ち合わせ場所であるツェルマットの駅の裏手の車止めに向かう。 ツェルマットの駅を過ぎるとすぐに登山者用の広いキャンプ場があった。 もし私がヨーロッパに住んでいれば、大型のテントを持ち込み、ここの住人になっていることであろう。 間もなく前方の車止めに灯のついた一台の車が見えた。 「グッ・モーニング!、ロング・タイム・ノー・スィー!、ディス・イズ・マイ・フレンド、ミスター・アンド・ミセス・ニシヒロ」。 イワン氏と握手を交わし合い、満面の笑顔で迎えてくれた氏との一年ぶりの再会がとても嬉しかった。

  早速イワン氏の車に乗り込み、許可車以外は通行できない細い道をゲートのあるテッシュへ向かう。 車中で今年の西廣さん夫妻との合同山行の計画の概要を説明した上で、大雪のためその計画が全て駄目になったことを話す。 氏も例年であれば、1シーズンにマッターホルンは15回ほどガイドするが、今年はまだ6回しかしていないとのことであった。 ランダを過ぎると周囲が次第に明るくなってきた。 氏の住んでいるザンクト・ニクラウスの町にさしかかった時“近況”を訊ねてみたが、相変わらずまだ独身であるとのことであった。 サース・フェーの町に近づくと、右手にミッタークホルン(3143m)、左手にはアルマゲラーホルン(3327m)といった前衛峰が見えたが、雪化粧によりこれらの山々がとても立派に見える。 昨年氏と登ったラッギンホルン(4010m)も雪で真っ白になっていた。

  am7:00過ぎにサース・フェーの駅前の駐車場(ツェルマット同様町中は通行禁止)に到着。 イワン氏と夕方山小屋で落ち合うことを約して、ゴンドラ乗り場へと向かう。 氏は今日、近場でクライミングのガイドの予定が入ったとのことであった。 天気もまずまずであり、正面にはこれから登るアラリンホルンの頂稜部の丸いドームが見え、登高意欲を昂揚させてくれる。 町中を流れるフェー・フィスパ川に架かる橋の上からはドムを盟主とするミシャベル連山が遙か高くに望まれ、山々の反対側にあるツェルマットの町から僅か1時間足らずでここまで来れたことに感謝する。 am7:30のゴンドラの始発に向けてスキー客がどんどん乗り場に向かっていく。 昨日同様の混乱が予想され心配になったが、窓口で切符を買うと、頼んでもいないのになぜか係の人が並んでいるスキー客の脇から私達を優先的に前に導いてくれ、何と始発の5分前の特別車両?に乗車することが出来た。 ゴンドラを中間駅で一回乗り換え、終点のフェルスキンから地下ケーブルに乗り、am8:00過ぎに登山口のミッテルアラリン(3456m)に着くことが出来た。 眼前にはアラリンホルンの雄姿が大きく望まれたが、天気は先ほどより少し悪くなり、空は灰色に近い薄い水色であった。 山頂までの標高差はもう僅か600m足らずであるが、ここから見上げるアラリンホルンは不思議と大きく感じられる。

  身支度を整え、am8:35にミッテルアラリンを出発。 すでに数パーティーが先行していることにとりあえず安堵する。 取り付きまではブルドーザーで圧雪されたサマースキー場のゲレンデを歩くだけだが、今回は念のため始めからアイゼンを着けていく。 今日はガイドレスなので、不測の事態に備えて最初から意識的にゆっくりしたペースで登る。 しばらく行くと取り付きから先のトレイルがはっきりと見え始め、天気が崩れない限り登頂は叶えられそうだった。 ただ5年前に登った時は、山頂は濃霧で何も見えなかったため、トレイルのコンディションが多少悪くても快晴の頂に立ちたいと願った。 20分ほどでスキー場の外れの取り付きに着き、4人でアンザイレンする。 ミッテルアラリンの展望台の背後にヴァイスミースとラッギンホルンが並び、サース・タール(谷)の先には灰色の雲を身に纏ったベルナー・オーバーラントの山々が遠望された。

  am9:05に取り付きを出発。 先行するパーティーのお陰でこれから辿るルートの状況が良く分かる。 ミッテルアラリンでは少し風があったが、取り付きからは風も収まり快適な登高となった。 ただ右手のミシャベルの山々の上には雲が忍び寄り、空の色は相変わらず冴えない。 2〜3人の少人数のパーティーはガイドレス、4〜5人のパーティーはガイドとのグループ登山のようだ。 昨日はアラリンホルンにも大勢人が入ったようで、トレイルのコンディションは昨日のブライトホルンよりも良い。 稜線に上がる手前の深いクレバスに架かるスノーブリッジを跨ぎながら渡り、全く順調に取り付きからちょうど1時間でフェーヨッホ(稜線の鞍部)に着いた。 新雪がたっぷり乗ったリムプフィッシュホルンとシュトラールホルンが眼前に大きく鎮座し、右手には昨日登ったブライトホルンや少し間をおいてマッターホルン等の山々が望まれた。 有り難いことに、フェーヨッホから上もトレイルは安定しているようで、山頂付近を登っているパーティーの姿も見られ、前回の経験から登頂を確信出来た。 あとは山頂に着くまでこの高曇りの天気が持って欲しいと願うだけだ。 フェーヨッホから少し登った所で体力に勝る西廣さん夫妻とのペースが合わなくなり、クレバスも無くなったので、ザイルを分け、お二人に先行してもらうことになった。 前回はこの辺りから霧が濃くなり、難儀した懐かしい想い出が蘇ってきた。 しばらく登ると山頂の十字架が下からはっきりと見えるようになり、今回は山の神に歓迎されたようだった。 山頂の肩まで登ると、狭い山頂を避けて寛いでいるガイド登山のパーティーが多く見られた。 反対側のブリタニアヒュッテからのクラッシックルートのトレイルは今日はさすがに無かった。 西廣さん夫妻が頂上に到着するのを待ち、上と下でお互いの写真を撮り合った後、am10:55に私達も5年ぶりの想い出深い山頂へと辿り着いた。

  「お疲れ様でした〜!、登頂おめでとうございま〜す!」。 西廣さん夫妻とガッチリ握手を交わしてお互いの登頂を祝い合う。 ミッテルアラリンから僅か2時間20分ほどの登山であったが、初登の西廣さん夫妻のみならず、5年前に再訪を誓った山に今こうして新たなメンバーを加えて登った達成感と、山頂からの360度の展望に大満足であった。 生憎ドムだけがずっと霧に包まれていたが、青空の占める割合も増え、高曇りながらヴァリス山群の山々が殆ど見渡せた。 山頂の十字架を背景に他のパーティーと交互に写真を撮り合う。 いつまでも山頂に居座り続けている私が、次々と登ってくるパーティーのカメラマンを務めることになった。 皆良い笑顔だ。 明日登山予定のヴァイスミースが良く見えたが、これからこの山を下り、あの山の登山口のホーザースまで行くことが、とても不思議に感じられた。

  狭い山頂の傍らで山々を眺めながら充分に寛いだ後、そろそろ時間も気になってきたので下山にかかる。 ホーザースまでの“後半戦”に備えて下りもゆっくりとしたペースで下ったが、特に危険な箇所も無かったので、山頂から1時間半ほどで楽々とミッテルアラリンに着いた。 この展望台の売りである回転展望レストランで今日の打ち上げと洒落込みたかったが、ゴンドラの最終に間に合うように、展望台の片隅で登攀具を解いて慌ただしく地下ケーブルで下る。 終点のフェルスキンからゴンドラに乗り換えたが、すでにアラリンホルンの頂は霧で見えなくなり、天気は再び下り坂となったようであった。

  サース・フェーをpm2:45に出発するブリーク行きのポストバスに乗り、5kmほど下った先のサース・グルントの町で降りる。 バス停近くの『コープ』で買い物をした後、ホーザースに上がるゴンドラ乗り場へと向かう。 間もなく雨が降り出したが、無事下の区間のゴンドラに乗ることが出来て安堵した。 架け替え工事で運休中の上の区間のゴンドラを恨みながら中間駅のクロイツボーデンで下車し、駅舎の軒下に明日は使わないザイル等の登攀具や衣類をデポし、イワン氏の待つ山小屋(ホーザースハウス)へと向かう。 幸い雨は止み、涼しい気温で登り易い。 『ヴァイスミースヒュッテまで45分・ホーザースまで2時間』と記された標識があったので、ゆっくりと2時間半位で到着するペースで登ることにする。 残念ながら先ほどアラリンホルンの山頂から良く見えていたヴァイスミースもラッギンホルンも雲や霧で全く見えない。 ヴァイスミースヒュッテに着く直前に再び小雨が降り出すと、以後降り止むことはなかった。 今日はどうでも良いが、明日の天気が心配になる。 登り始めてから50分で、味わいのある石造りのヴァイスミースヒュッテに着いた。 ヒュッテの軒先を借りてしばらく雨宿りの休憩をする。天気も悪いのでここをゴールにしたかったが、最後の気力を振り絞ってホーザースへのトレイルを辿る。 ヒュッテから30分ほど登るとトレイルの脇に雪が見られるようになり、そのうちトレイルも完全に雪に埋まって踏み跡だけとなった。 途中何か所か道を間違えたが、雨のため休憩することもなく黙々と登ったので、pm6:00にクロイツボーデンからちょうど2時間で霧の中に朧げに見えたホーザースハウス(3098m)に着いた。 

  暖かい山小屋の中に入り、食堂の片隅で雑誌を読んでいたイワン氏と再会した。 氏も私達の姿を見て安堵したようであった。 早速氏に宿泊の手続きをしてもらい、寝床に案内してもらう。 西廣さん夫妻はアルプスで今日が初めての山小屋泊りであった。 予想どおり私達の寝床は、昨年と同じゴンドラの駅舎の屋根裏部屋であった。 二階に上がる階段の下には誰かが連れてきた黒い大きな犬が繋がれていたが、まさかこの犬が明日ヴァイスミースを登るとは思ってもみなかった。 荷物の整理をして食堂に戻り、再会を祝して氏に乾杯用のアルコールを勧めたが、意外にも高い所で飲むのは体に悪いという理由で今日はやらないという。 体調でも悪いのであろうかと思ったが、反対にいつの間にか西廣さんと連れ立って、寒い山小屋の外で西廣さんが勧めた日本のタバコを美味しそうに吸っていた。 ゴンドラが運休しているせいか、宿泊客はそれほど多くはなかった。 楽しみの夕食は、ドンブリに入ったスープ、生野菜、マッシュポテト、チキンのピカタであり、昨年同様味付けも良く美味しかった。 氏と交わした雑談の中で、昨年メールで送った山行の写真が、何らかの理由で届いていないことが分かりがっかりした。 メールは便利だが、やはり海外とのやりとりでは確実性はないようであった。 夕食後、明日のスケジュールをイワン氏に確認する。 明朝はam5:00から朝食が始まり、出発は6:00頃になるとのことであった。 生憎今晩は天気が悪く、この山小屋の売りである“夕焼けショー”は見られなかったが、明日は天気が良いとのことで安堵した。 今日の山行の疲れもあり、明日の準備を整えて早々に床に就いた。


サース・フェーの町とドムを盟主とするミシャベルの山々


ミッテルアラリンから取り付きまではブルドーザーで圧雪されたサマースキー場のゲレンデを歩く


サース・タール(谷)の先に灰色の雲を身に纏ったベルナー・オーバーラントの山々が遠望された


サマースキー場の外れの取り付きから4人でアンザイレンする


先行するパーティーのお陰でこれから辿るルートの状況が良く分かる


ヴァイスミース(中央右)とラッギンホルン(中央左)


取り付きから1時間でフェーヨッホ(稜線の鞍部)に着く


フェーヨッホから見たアラリンホルンの山頂


フェーヨッホから見たマッターホルン


フェーヨッホから山頂へ登る


新雪がたっぷり乗ったリムプフィッシュホルン(右)とシュトラールホルン(左)


十字架の立つアラリンホルンの山頂直下


アラリンホルンの山頂


山頂から見た明日登る予定のヴァイスミース(右)とラッギンホルン(中)


山頂から見たリムプフィッシュホルンとモンテ・ローザ(左奥)


山頂から見下ろしたミッテルアラリンの展望台(左の岩の中央)


山頂からフェーヨッホへ下る


フェーヨッホにて(背景はリムプフィッシュホルン)


フェーヨッホ直下から見た山頂


慌ただしくサース・フェーの町に下る


味わいのある石造りのヴァイスミースヒュッテ


ホーザースハウスでイワン氏と再会する


  【ヴァイスミース】
  8月26日、am4:30起床。 夜中は風の音がうるさかったので天気が心配だったが、とりあえず星が見えたのでホッとする。 果して昨夜イワン氏が予想したとおり好天の一日となるのであろうか?。 身支度を整え、本館の食堂で一同顔を合わせ朝食を食べる。 行動時間が長くないので、昨年同様この山小屋の朝は余裕がある。 朝食後に別館でハーネスを着け出発の準備をしていると、氏から予備のカラビナやATC等の不用品は出来る限り山小屋にデポするように指示があった。 さすがの氏もクライアントが4人だと重たいのであろう。

  予定より少し遅れてam6:10に別館を出発。 すでに夜は白み始め、氷河の取り付きまでヘッドランプは不要であった。 右手にはすでにドムを盟主とするミシャベルの稜線が、うっすらと白く浮かび上がって見えている。 荘厳でドラマチックなアルプスの夜明けのシーンがこれから上映されるかと思うと、それだけで胸が高鳴る。 昨年も運良くその瞬間に立ち会うことが出来たが、今日も西廣さん夫妻をアルプスの虜にさせるような素晴らしい夜明けのシーンが見られることを期待したい。 10分足らずで取り付きに着き、アイゼンを着け、アンザイレンして一同ヴァイスミースの頂を目指す。 予想どおり私が殿であった。

  取り付き付近の岩場は早朝の締まった雪に覆われていて歩き易い。 すぐにクレバス帯に入るが、昨日までの入山者のお陰で今のところは踏み跡も明瞭である。 間もなく雲海の上に浮かぶミシャベルの稜線の背後がピンク色に染まり始めた。 さあ、いよいよ上映の開始である。 今日は5人パーティーの殿なので、イワン氏を呼び止めるまでもなく歩きながら何枚も写真を撮る。 登攀の腕前は全く上がらないが、こういう技術?だけはだいぶ向上したようだ。 荘厳なアルプスの夜明けは音をたてずに進行し、ヴァイスミースの山影を映しているミシャベル連山の白い山肌を次第にモルゲンロートに染めてゆく。 今度ばかりは氏を呼び止めてフラッシュの花を咲かせる。 私にとってはこのシーンを見ただけで、もう今日の目的の半分は達成したのと同じであった。 昨年登った時には大きく口を開いていたクレバスの殆どは雪で埋まり、幅の広い側溝のように上から幾重にも横たわっている。 クレバスとクレバスの間を縫うようにその縁を歩きながら進む。 上方にはすでに2パーティーが先行しているのが見えた。 登山ルートは北側斜面なので陽射しには当分恵まれないが、山頂の上空にはすでに青空が拡がっており、天候が急変しないかぎり好天に恵まれた頂を踏めそうであった。 前を行く西廣さん夫妻の足取りも軽そうだ。 クレバス帯を過ぎた所あたりから、トレイルは降雪後最初に登った猛者達の意向で少々険しくなってきた。 右手の急な斜面に小さな雪崩の跡がはっきりと見えた。 先行しているパーティーは4人と3人の編成であったが、先頭は多少のラッセルもあるようで、間もなく彼らに追いついた。 昨年は山頂までストックのみで登ったが、今日はここでイワン氏からピッケルに持ちかえるようにとの指示があった。 先行するパーティーのペースはさらに落ち、痩せたトレイル上で止まって待つこともしばしばであった。 昨年は全くのお気楽登山だったので、今日は山頂まで登れる保障があれば、多少ワイルドな方が刺激的で楽しいかもしれないと勝手に思った。 あと僅かで最初の休憩場所である露岩に着くことも分かっているので気も楽だ。 唯一心配なのは、昨日の雨や雪が作り出している周囲の雲海が、今以上に上がってこないかということだけだ。

  am7:50、山小屋から1時間40分で中間点の露岩に到着。 さすがに岩は雪に埋まっていなかった。 先行していた2パーティーもここで休憩するようだ。 すでに4000m峰を2座登った体は高所にだいぶ順応したようで、休まなくても大丈夫なほどだった。 昨日登ったアラリンホルンやリムプフィシュホルン、少し離れてモンテ・ローザなどの山々が望まれ、西廣さん夫妻に解説する。 先ほどまでミシャベルの山肌に影を映していたヴァイスミースは、今度はその雄姿を手前の雲海に投影している。 上空はすでに爽やかな青空が一面に拡がり、一同皆登頂を確信した。 10分ほど休憩した後、今度は私達のパーティーが次の目標である西稜のコルに向けて先行することとなった。 傾斜が増し、足元の雪が硬くなったので、トレイルは“溝”から“つぼ足”へと変わり、また昨日降った新雪がうっすらトレイルに乗っていた。 イワン氏は意識的に少しペースを上げたが、追随する後続のパーティーも遅れずについてくる。 トレイルは西稜のコルではなく、右の西峰(3820m)に向けて登っていくような感じであったが、先行者が拓いた道には逆らえない。 登るにつれて風も強まってきたが、西稜のコルに上がる少し手前でようやく朝陽に迎えられホッとした。

  先ほどの露岩から40分ほどで最後の休憩ポイントである西稜のコルに到着し、各々トイレタイムとする。 露岩付近と同様にこのコルも素晴らしい展望台であり、山頂からの景色と遜色がない。 昨年は黒々とした岩肌をさらしていた隣接峰のラッギンホルン(4010m)も今日は白く雪化粧している。 雲海も3000m辺りで落ち着いたようで、雲海越しに遠くベルナー・オーバーラントの山々まですっきりと見渡せた。 後続のパーティーはコルで休憩しなかったので、再び彼らが先行することとなった。 コルから山頂付近までは雪庇を避けるために稜線から少し左の陽の当たらないトレイルを行く。 昨年同様山頂直下までは風の通り道となっているようで、一旦太陽の恵みで温まった体には寒く感じる。 雪庇の張出しが大きいためか、昨年よりだいぶ稜線を左に離れ、最後はくの字に90度近く右に折れて待望の山頂へとイワン氏に導かれていった。

  am9:25、山小屋から3時間15分でヴァイスミースの山頂に辿り着いた。 5人パーティーながら、昨年とほぼ同じ時間で登ることが出来た。 「お疲れ様でした〜!、登頂おめでとうございま〜す!」、「サンキュー・ベリー・マッチ!、ダンケ・シェーン!」。 西廣さん、節子さん、妻、そしてイワン氏と次々に握手を交わす。 一同余裕の笑顔であり、とても賑やかな頂だ。 辿り着いた達成感よりも、目標であったマッターホルンを登ることが出来なかった西廣さん夫妻が、快晴の天気の下に4000m峰を登れたことがとても嬉しかった。 これでご夫妻もアルプスの虜になることは間違いない。 グループ登山の良いところは、悲しみは半分に、喜びは倍になることだ。 西廣さんは雲海に浮かぶ周囲の銀嶺を眺めながらタバコに火をつけた。 節子さんも妻も爽やかなアルプスの頂に満足顔だ。 私はいつものように写真撮影に余念がない。 谷を埋め尽くしている雲海が絶景にさらにアクセントを付けている。 テルモスの暖かい紅茶を飲み、行動食を頬張りながら歓談した後、背景やメンバーを替えながら何枚も記念写真を撮り合った。 この間さらに数組のパーティーが登ってきたが、すぐに下山するようなパーティーはなく、皆一様に暖かな山頂で思い思いに寛いでいた。 意外にも、別館の階段の下に繋がれていた黒い大きな犬が飼い主と一緒に登ってきて、皆の目を驚かせた。 

  am9:50、天気は崩れる気配は全くなく、いつまでも去り難い頂であったが、昨年とは違い今日は午後になるとヒドゥンクレバスを踏み抜く危険もあり、またホーザースから途中のクロイツボーデンまで歩いて下山しなければならないので、イワン氏の意見に従って下山にかかる。 下山はいつものように殿の私が先頭を任される。 山小屋までは2時間とかからないので、まだ他に下山するパーティーはない。 またゴンドラが運休しているため、麓から日帰りで登ってくるパーティーもなく、まるで私達だけで山を独占しているかのような錯覚を覚える。 正面に終始ミシャベルの山並みを見据え、シャッターチャンスをうかがいながらマイペースで下る。 あっという間に西稜のコルを通過し、最初に休憩した露岩まで下った所で一息入れた後、痩せた急なトレイルを慎重に下る。 氏に声を掛け、所々で足を止めては不気味に口を開いているクレバスの内部を覗き込んだり、触ったり、写真を撮ったりして遊ぶ。 その先でようやく下から登ってくる2組のパーティーとすれ違った。 彼らはいずれも重たい荷物を背負った縦走組であった。

  am11:20、山頂から僅か1時間半ほどで取り付きに到着。 明日も引き続き天気が良さそうな感じがしたので、登攀具を外しながら念のためイワン氏に明日の予定を訊ねてみたたところ、「マッターホルンに4人連れて行くのは無理ですよ!」とジョークを発した後、ポリュックスへのガイドの仕事がすでに入っているとのことであったが、意外にも明日は曇りがちでそれほど良い天気にはならないとのことであった。 もう一泊山小屋に泊まって、明日はラッギンホルンにでも登ろうかと考えたが、氏の一言で私達も下山を決めた。 目と鼻の先の山小屋に向かって歩いていくと、山小屋の少し上の方に建設中の新しいゴンドラの駅舎が見えた。 私達の泊まった想い出の駅舎(別館)も今シーズンで最期になってしまうかも知れない。 氏にあらためて一同お礼を述べ、下山の準備を整えてから食堂でささやかな祝杯を上げる。 氏と西廣さんは昨年私が食べた、土台のパンにワインがたっぷりしみ込んだ『ポパイ』を注文した。 昨日に続き計画どおりに事が運び、私だけでなく西廣さん夫妻も満足感に満ちた面持ちだ。 氏には一同より感謝の気持ちを込めて50フランのチップを手渡した。

  pm1:00、山小屋(ホーザースハウス)を出発。 ゴンドラの中間駅であるクロイツボーデンの駅まで約1時間、700mの下りだ。 昨日よりもトレイル上の雪は溶け、歩き易くなっていた。 登頂の余韻に浸りながらも、明日以降の計画を思案しながら歩みを進める。 クロイツボーデンの駅舎の軒下にデポした荷物をピックアップし、霧の中に見え隠れしているヴァイスミースの頂に別れを告げゴンドラに乗り込む。 ゴンドラの中で再びイワン氏と雑談を交わしたが、意外にも氏は物知りで、日本の小泉首相のことや、新潟の大地震のことも良く知っていた。 逆に、「英語は何年位学校で学ぶのですか?」という氏からの問いかけには、答えるのも恥ずかしく、苦笑いしながら「僅かな時間です」といって誤魔化すのが精一杯であった。

  pm2:30に麓のサース・グルントに着き、イワン氏に車でツェルマットまで送ってもらう。 道中ちょうど車窓からビーチホルン(3934m)が立派に見えたので、「いつかあの山に登りたいのですが、難しいですか?」と訊ねてみたところ、意外にも「マッターホルンよりも少し難しい程度ですよ」との嬉しい答えが返ってきた。 ただし、ツェルマットからだとアプローチに時間がかかるとのことであった。 サース・グルントから約40分のドライブでツェルマットに着き、再会を誓って氏と別れたが、決して社交辞令ではなく、いつかまたきっと別の山で氏と一緒になるような予感がした。

  ホテルに戻りシャワーを浴びた後、西廣さん夫妻とツェルマットでの最終滞在日となる明日の打ち合わせを行う。 私は今回のツェルマット滞在中に新しいピークを一つも踏んでいなかったことと、今回目標であった憧れのヴァイスホルンに少しでも近づきたいとの思いから、昨年妻が単独で登ったメッテルホルン(3406m)に登りたいという提案をしたが、西廣さん夫妻からは明日はゆっくりハイキングでもしたいという希望があり、初めて別行動することとなった。

  明日の計画が決まったので、アクティブマウンテン社の事務所に滞在中のお礼に伺う。 茂木さんから、Mさんもマッターホルンのテスト登山であるポリュックスに無事登られたという吉報をいただいた。 西廣さんの提案で、お世話になった茂木さんや田村さんを明日の夜食に誘ったが、生憎茂木さんは予定が入っているとのことで、田村さんと懇親会を行うこととなった。


本館の食堂でゆっくりと朝食を食べる


ゴンドラの駅舎(別館)を出発する


取り付きでアイゼンを着けアンザイレンする


ドムを盟主とするミシャベルの山々の夜明け


雲海の上に浮かぶミシャベルの山々の背後がピンク色に染まり始める


ヴァイスミースの山影を映しているミシャベルの山々がモルゲンロートに染まっていく


先行してた2パーティーに追いつく


西稜のコルに上がる少し手前で朝陽に迎えられる


西稜のコルから見たヴァイスミースの山頂


ヴァイスミースの山頂


ヴァイスミースの山頂から見たモンテ・ローザ


ヴァイスミースの山頂から見たミシャベルの山々


ヴァイスミースの山頂から見たラッギンホルン


黒い大きな犬が飼い主と一緒に登ってきて、皆の目を驚かせた


露岩から西峰を振り返る


重たい荷物を背負った縦走組とすれ違う


山小屋の食堂でささやかな祝杯を上げる


ゴンドラの中間駅のクロイツボーデンの駅まで歩いて下る


  【メッテルホルン】
  8月27日、am5:30起床。 朝食に昨夜マーケットで買った韓国製のインスタントラーメンを食べる。 間もなくマッターホルンが淡く染まり始めた。 写真を撮ろうとベランダに出ると、すでに西廣さん夫妻も起きていて、ベランダで山を眺めていた。 今日の目的地であるメッテルホルンは、最初にスイスを訪れた時に田村(千年)さんから教えていただいたお勧めの山で、以前からその頂とそこからの展望には興味深々であった。 昨年の夏、私がオーバーガーベルホルンをガイドと登った日に単独で同峰に登った妻の話では、山頂直下の氷河のトラバースを除けば技術的に難しい山ではないらしいが、麓のツェルマットからの標高差は1800mほどあり、天気に恵まれることが必須条件である。 今年は例年に比べて雪が多いと見込まれるため、念のため登攀具を携行することにした。

  予定より少し遅れてしまったが、am6:30にホテルを出発。 まだ薄暗いメインストリートに観光客の姿は無い。 レストランの脇から狭い路地に入り、通い慣れたトリフトへのトレイルを辿る。 一週間ほど前、ツェルマットに着いた日にここで足慣らしをしたことも、すでに懐かしい想い出となっていた。 途中のエーデルワイスヒュッテのテラスからは、青空の下にブライトホルンが美しく望まれ、天気は昨日のイワン氏の予測やテレビの天気予報よりも良さそうであった。 足取りはにわかに軽くなったが、明日からの後半戦に体力を温存するため、意識的にペースを落としながら登る。 エーデルワイスヒュッテから樹林帯をしばらく歩き、氷河から流れ出している沢を渡って谷の左岸に取り付くと、見通しの良い谷筋の緩やかなトレイルからオーバーガーベルホルンと支峰のヴェレンクッペ(3903m)が神々しく望まれた。 早朝のためトレイルの前後にはハイカーや登山者の影は無い。 振り返ると、まだ陽の当たらない谷底のツェルマットの町、そしてゴルナーグラートの展望台を挟んで、左にモンテ・ローザ、右にリスカムの純白の頂が遠望された。

  am8:15、予定より少し早く山上のオアシスであるトリフト(ヒュッテ)に到着。 残念ながら青空は長続きせず、空の色は灰色に変わり始めた。 荒々しい岩峰のウンターガーベルホルン(3391m)が圧倒的な迫力で眼前に迫り、ガーベルホルン氷河の奥に鎮座するオーバーガーベルホルンの眺めが圧巻である。 麓から僅か2時間足らずでこんなに素晴らしいロケーションに出会えるのもトリフトの良いところだ。 山小屋の前のベンチで休憩していると、ヒュッテに宿泊していた二組のパーティーが相次いで出発していった。 一組のパーティーは私達と同じ歳ぐらいの中年の夫婦、もう一組のパーティーは私達より少し年配の男性の二人であった。

  山々を眺めながらのんびりと15分ほど休憩し、am8:30にトリフトを出発。 間もなくトレイルはロートホルンヒュッテとの分岐になり、『メッテルホルンまで2時間45分』という道標に従って右のトレイルへと進む。 妻の記憶どおり、この道標を最後にトレイル上には標識やペンキマークの類は一切無くなった。 予想どおり先行した二組のパーティーともトレイルを右に折れ、私達と同じくメッテルホルンを登るようであった。 今年は大雪のため頂稜部の氷河の状態が分からないので、同志がいることは心強い。 男性パーティーは荷物が少なく快調に飛ばし、間もなく私達の視界から消えた。 逆に夫婦組は荷物が大きく、ペースもゆっくりだったので、間もなく彼らに追いついた。 雑談を交わすと、お二人はイギリスから来られたとのことで、奥さんは南アフリカの出身ということであった。 階段状になっている岩を流れていく小沢を右手に見ながら、勾配がきつくなったトレイルをひと登りすると、再びトリフト同様気持ちの良い草原が現れた。 その先には目指すメッテルホルンと思われる山の頂が見えたが、“ガイド”の妻によると、見えている山はプラットホルン(3345m)という隣接峰で、メッテルホルンの頂はその陰にあるため、山頂直下の氷河の縁まで行かないと見えないという。 左上方にはツィナールロートホルンの頂が望まれ、振り返るといつの間にかウンターガーベルホルンの稜線上にマッターホルンの頂稜部(北壁)が顔を覗かせていた。 草原に引かれた緩やかな勾配のトレイルを、所々で写真を撮りながら鼻歌交じりに進む。 空の色が少しずつ濁っていくのが玉に傷だ。 30分ほど気持ちの良い草原の中を歩いていくと、トレイルは勾配を増して岩稜帯へと変わり、間もなく大きなケルンの積まれたテラスのような所に着いた。 ケルンはトレイルエンドを意味するものなのであろうか?。 足下には昔の氷河の名残であるエメラルドグリーンの小さな池が見えた。 妻の記憶では、ここから先は岩屑の中に踏み跡を探しながら、山頂直下の氷河の縁まで登るとのことであった。 ケルンの傍らで休憩していた男性パーティーと雑談を交わすと、お二人はオランダから来られたとのことであり、今日の登山は秋に予定しているヒマラヤのトレッキングに向けての高所順応が目的であるとのことであった。 オランダは国土が海面より低く、母国では山に登ることが出来ないので、スイスの低い山でも息が切れるという彼らの苦労話に笑いながら納得した。 彼らの瞳にはこの眼前の風景も私達が感じている以上に素晴らしいものとして映っているかもしれない。 間もなくイギリスペアも到着し、皆でしばらく情報交換をしているうちに、何か独特の仲間意識のようなものが芽生えてきた。

  ケルンからは過去に偵察を含めて2回辿ったことのある妻が先行して登り始めた。 妻の記憶では、山頂直下の氷河の縁まではここから30分ほどで着くとのことであった。 岩場のアルペンルート(踏み跡)は獣道を含めて幾つかあり、登り易い方のルートを選んで登る。 有り難いことにルート上に残雪は殆ど見られず、どんどん標高が稼げる。 不意にヴァイスホルンの白い尖った“角”が頭上の氷河の縁の上から頭を出した。 登るにつれて角はますます大きくなり、am10:40に同峰が眼前に大きく鎮座する峠のような氷河の縁に着いた。 氷河越しに隣接峰のプラットホルンの山頂の十字架とメッテルホルンの頂稜部のほんの一片だけが僅かに望まれた。 妻の話では、青氷が出ていた昨年と違い氷河上に雪が積もっているため、登り易そうに見えるとのことであった。 但し、最後の頂稜部への急な登りでは、逆にこの残雪が災いして登りにくそうであった。 昨年はここから山頂までさらに1時間近くを要したという。 先行者はいないが、昨日以前の入山者の足跡が氷河の縁を舐めるように雪上に刻まれ、登頂の可能性は高まった。 あとは天気が持ってくれることを祈るだけだ。 巨大な懸垂氷河を身に纏った眼前のヴァイスホルンの迫力ある姿にため息をつきながら、最後の登りに備えて行動食を頬張っていると、オランダ隊、イギリスペアと相次いで氷河の縁に着いたが、軽装のオランダ隊は登攀具を持っていないのか、ひと息入れただけでそのまま氷河上のトレイルを登って行った。 私達は念のためアンザイレンし、ピッケルを突きながらすでに視界から消えた彼らの後に続いた。

  10分ほどで氷河は傾斜を緩め、その先に銅鐸のようなユニークな形をしたメッテルホルンの頂稜部の岩峰がようやく見えた。 しばらく平らな雪原を進むと、先行しているオランダ隊が岩峰の取り付きから少し登った辺りでルートを探している姿が見えたが、間もなく良い踏み跡が見つかったようで安堵した。 私達はオランダ隊の直登ルートはとらず、妻の意見に従って岩峰の取り付きからは正しい踏み跡を探して左にトラバース気味にザレた岩屑の斜面を登った。 間もなくまばらな残雪の中に正しい踏み跡を見つけることが出来たので登頂を確信し、小刻みにジグザグを切りながら、意気揚々と指呼の間に見える頂を目指す。

  am11:45、ホテルを出発してから5時間余りで待望のメッテルホルンの山頂に辿り着いた。 「コングラチュレイションズ!」。 風の当たらない所で寛いでいたオランダ隊の二人と握手を交わし、お互いの登頂を喜び合った。 今日ばかりはガイドの妻に頭が上がらない。 すでにマッターホルンは雲の帽子を被ってしまったが、一人が立つのがやっとの狭い山頂の岩の上からの高度感ある360度の大展望は、曇天にもかかわらず田村さんが言ったとおり、決して期待を裏切ることはなかった。 周囲の4000m峰を眺めるにはちょうど良い高さだ。 皮肉なことに、昨年に続き今年も涙を飲んだ憧れのヴァイスホルンの眺めは最高であり、いつかの日か必ずその頂に立つことを心に誓い、何枚も同じような写真を撮った。 イギリスペアも間もなく頂上に着き、再び祝福の握手を皆で交わし合った。 それぞれの目的を達成したことで、一同皆満足げな表情になっていた。 意外にもさらに二組のパーティーが足下の氷河を登ってくる姿が見えた。

  いつまでも去り難い頂であったが、天気が崩れることが予見されたため、お互いの写真を撮り合った後、皆よりも一足早く山頂を辞した。 氷河のトラバースの下りは、総勢10人の足で拡幅されたトレイルにより歩き易くなっていた。 登攀具を外し、氷河の縁でヴァイスホルンに別れを告げた後、寒々しいマッターホルンの北壁を正面に見据えながらアルペンルートを下る。 氷河湖を見下ろすケルンを過ぎ、気持ちの良い草原が拡がり始めると、朝方は見られなかった顔の黒い羊の群れが所々に見られた。 正に神々しいという言葉がぴったりのオーバーガーベルホルンの豪快な展望は、最後まで私達を飽きさせることはなかった。 山頂からちょうど2時間でトリフトに到着。 ワタスゲの揺れる気持ちの良い草原に大の字になって寝転んでいたら、あっと言う間に30分も経ってしまった。 天気を心配している妻に促され、再訪を誓ってツェルマットに下る。 しばらくすると雲行きが急に怪しくなり、エーデルワイスヒュッテの手前で小雨がパラつき始めた。 運良く間もなく雨はやみ、pm4:00前にツェルマットに下山した。 肉屋の前で売られている焼きたての大きなソーセージを買い食いしながらホテルに戻ると、間もなく西廣さん夫妻もホテルに戻ってきた。 今日は先日大雪のため登れなかったオーバーロートホルン(3415m)に行かれたとのことであり、5日前に比べてトレイル上に雪は殆どなくなり、全く問題なく登ることが出来たとのことであった。

  ひと風呂浴びた後、ホテルの近くのイタリアンレストランで、西廣さん夫妻とツェルマット滞在中のささやかな打ち上げを行う。 気がつくと、これがツェルマットでの最初の外食であった。 今日のお互いの山行報告と明日からのシャモニでの行動予定を簡単におさらいした後、ツェルマット滞在中の想い出話に花を咲かせた。 何と言っても今夏の大雪は、ブライトホルンにさえ登れないのではと心配したほどの“珍事”であったが、過去の経験を最大限に生かしてサース・フェーまで足を延ばし、効率良く山に登れたことが本当に良かった。 西廣さん夫妻は目標のマッターホルンに登れず、さぞ心残りかと思っていたが、初めて見たアルプスの山に対する感動もさることながら、マッターホルンの眺めが良いホテルの部屋の居心地が良かったことや、ワインやチーズの種類が豊富であること等にも興味を持たれ、山のことしか頭にない私と違い、初めてのアルプスの旅そのものを充分に楽しまれているようで、ホスト役の私も少々肩の荷がおりた。 

  妻と節子さんは明日の移動の準備があるので田村さんとの懇親会には参加しないということで、私と西廣さんの二人で田村さんと居酒屋で閉店時刻まで延々と情報交換?を行った。 田村さんは若い頃に単身渡米し、そこから世界の各国を放浪して回り、最後に辿り着いたイギリスで現在のスイス人の奥様と出会われたとのことであった。 スキーや登山の武勇伝は勿論のこと、会社(アクティブマウンテン社)を立ち上げた経緯からヒマラヤで流行りとなっている公募登山隊の現状、果てはスイスでの生活の話まで、私達にとっては興味深々な話題ばかりで、あっと言う間に時が過ぎてしまった。 その中でも「旅行会社には今回の水害のようなトラブルはつきもので、そのトラブルをいかに上手く解決する方法や経験を沢山持っているかが商売の秘訣である」という田村さんの持論は、今回の山行も含めて、日頃から“上手くいくことが前提”で物事を考えているお気楽な私にとって、とても参考になる意見であった。 田村さんと再会を誓って別れ、日付が変わってからホテルに戻り、慌ただしく荷物の梱包をする。 明日は3年ぶりシャモニだ。


エーデルワイスヒュッテのテラスから見たブライトホルン


トリフトへ向かう谷筋のトレイルから見たオーバーガーベルホルン


トリフトヒュッテ


ロートホルンヒュッテとの分岐付近から見たブライトホルン(右)・リスカム(中)・モンテ・ローザ(左)


ロートホルンヒュッテとの分岐付近から見たツィナールロートホルン


トリフトから一段先の草原から見たオーバーガーベルホルン(中央左)


トリフトから一段先の草原から見たプラットホルン


ウンターガーベルホルン(右)の稜線越しに見たマッターホルンの頂稜部(北壁)


氷河の縁から見たプラットホルン(右)とメッテルホルンの頂稜部(左)


銅鐸のようなユニークな形をしたメッテルホルンの山頂


メッテルホルンの山頂から見たヴァイスホルン


メッテルホルンの山頂から見たツィナールロートホルン


メッテルホルンの山頂から見たオーバーガーベルホルン(中央奥)とプラットホルン(左下)


メッテルホルンの山頂から見たドム


  【シャモニへ】
  8月28日、am6:50起床。 テレビの天気予報を確認した後、三日ぶりの朝食のバイキングを慌ただしく食べ、荷物を部屋から搬出してチェックアウトのため1階のフロントに下りていくと、Mさんがわざわざ私達を見送りにきてくれた。 ブライトホルン下山後のお互いの山行報告や情報交換をしながら、am8:30発の電車に乗るためツェルマットの駅に向かう。 マッターホルンに未だガイドが入らないため、Mさんの同峰への登山日も決まってないらしいが、滞在日があと5日あるので最後まで諦めずに登頂のチャンスを待たれるとのことであり、お互いの終盤の健闘を祈念し合った(帰国後にMさんから、幸運にもその3日後の8月31日にマッターホルンに登頂されたという朗報が届いた)。

  8月の最後の日曜日ということもあってか、電車は空席が殆ど無かった。 たまたま隣に居合わせた四人の日本人客のうちの二人は、マッターホルンのテスト登山でMさんと同じ日にポリュックスを登られた方々で、残念ながら今回は滞在日がなくなってしまったとのことであった。 またツェルマットに来られる前にもモン・ブランを目指したが、運悪くアタック当日が大雪の降った日だったとのことで、大変お気の毒であった。 他の二人の方々は、当初グリンデルワルトに滞在されていたが、先日の大雨で急遽予定を変更して、ツェルマットに来られたとのことであった。 グリンデルワルトではホテルが停電し、風呂にも入ることが出来ず、ひどい目に遇われたとのことであった。 それに比べれば今回の私達はまだ恵まれているようだ。 皆で情報交換をしているうちに乗換え駅のフィスパに着いた。

  フィスパをam10:06に発つジュネーブ空港行きの特急列車に乗り換え、シャモニへの乗換え駅であるマルティーニへと向かう。 同駅からシオンを経てマルティーニまでは私達も初めて乗車する区間である。 車窓からはワインとなるブドウ畑がいたる所に見られたが、一見しただけでは水害の被害の跡は見られなかった。 主に被害は中部や北部の方だったのであろうか?。 マルティーニで下車し、駅の構内でパンを買ってから懐かしい2両編成の登山電車に乗り込もうとすると、旅行会社の現地スタッフの方なのであろうか、日本語がとても流暢なアラブ系の陽気な外国人の方が、電車の出発を待つ間にホームで近隣の“観光案内”をしてくれた。 

  少々油臭いディーゼルの電車は、3年前に初めてシャモニを訪れた時と同じam11:35発であり、フランスとの国境の峠にあるル・シャトラール・フロンティエール駅に向かって急な勾配の山道をジグザグに登り始めた。 素掘りのトンネルを幾つもくぐり、崖を舐めるようにして山岳地帯を走るこの小さな電車は、冬場の雪崩や落石の危険は無いのであろうか?。 今回も乗客は昼間の時間帯のせいか2割程度であり、途中の小さな駅では殆ど乗降はなかった。 マルティーニから45分ほどで国境駅に到着し、すぐに反対側から峠を登って入線してきた一回り小粒なまるで玩具のような2両編成の登山電車に乗り換えてフランスに入国し、シャモニの谷へと下っていく。 午前中のスイスは曇りがちであったが、フランスでは青空が拡がり、間もなく車窓からモン・ブランの純白の頂が望まれ、一同身を乗り出して思わず歓声を上げた。 残念ながらその手前に聳えているエギーユ・ヴェルトやその支峰のドリュ(3754m)、そしてシャモニ針峰群にはすでに雲が湧いてしまいその雄姿を拝むことは出来なかったが、僅かその40数時間後に運良く西廣さん夫妻が快晴のモン・ブランの頂に立つことが出来るとは、この時は知る由もなかった。

  pm1:06、シャモニ・モン・ブランの駅に到着。 早速神田さんの携帯に電話を入れると、わざわざ車で駅まで迎えに来て、B.Cとなるホテル『ヴァレーブランシュ』まで送ってくれたばかりか、英語が話せないホテルのマダムを相手にチェックインも代行してくれた。 神田さんは勤め先のスネルスポーツが盛況で年初から休みが取れなかったため、明日から長期の休暇が与えられているとのことであった。 荷物を部屋に搬入した後、神田さんとロビーで簡単な打ち合わせを行う。 開口一番、神田さんから「酒井さんはいつもやり過ぎだよ(スケジュールに休養日がないため)!」と言われたことが、逆にとても心地良かった。 神田さんの話では、シャモニでも大雪の影響はあったが、モン・ブランはすでに問題なく登れるようになったとのことであった。 また、嬉しいことに明日からしばらくの間天気は安定するとのことであったが、私達の第一志望のグランド・ジョラスは山小屋(ボカラッテ小屋)が大雪の影響で入山者が激減し、明日で閉まってしまうため、事実上登れないとのことであり、第二志望のグラン・コンバンは2泊3日を要するとのことで、滞在期間中ずっと好天が続かない限り、日程的に他の山を登ることは無理そうであった。 神田さんは私達にはロシュフォール稜(エギーユ・ド・ロシュフォール/4001m)とモンテ・ローザの衛星峰であるツムシュタインシュピッツェ(4563m)を、西廣さん夫妻にはイタリアのグラン・パラディゾ(4061m)を勧めてくれた。 良い天気が続かないことも考え、日帰りで行けるプラン針峰、アルジャンチェール針峰、コスミック山稜、トゥール・ロンド等について訊ねたところ、意外にも全て可能ではないかとのことであったが、いずれにしてもpm7:00にガイドと顔合わせをしながら再度打ち合わせをするので、その時に決定すれば良いとのことであった。 但し、ガイドのうちの一人は5日間通しではなく、最初の2日間とその後の3日間とで違うガイドとなるとのことであった。

  神田さんを見送り、3階の部屋に上がって荷物の整理を行う。 西廣さん夫妻とは隣同士の部屋だが、このホテルの特徴なのであろうか、クラッシックな雰囲気が漂うベッドやテーブル等の調度品は全く違ったもので構成されていて、部屋の雰囲気はまるで違っていた。 西廣さん夫妻の部屋からはエギーユ・デュ・ミディやドーム・ド・グーテが望まれ、シャモニが初めてのお二人には最適だった。 西廣さん夫妻はシャモニの町の散策に、妻は買い物に出掛けていったが、私は一人部屋に残り、色々な選択肢の中から残り5日間の天気の組み合わせに対応した自分と西廣さん夫妻の両方にベストな計画を練る。 まず、神田さんから勧められたモンテ・ローザ(ツムシュタインシュピッツェ)であるが、手持ちの資料と地図を見ると、シャモニからイタリア側の登山口となるアラーニャまでの移動には相当時間がかかりそうであり(結果的には違う登山口であった)、またすでに最高峰のデュフールシュピッツェ(4634m)の頂は踏んでいるため、同峰の衛星峰への登山はまだ将来でも良いと以前から思っていたので、この提案にはあまり触手が動かなかった。 しかしイタリア側からのモンテ・ローザ登山で宿泊することになろう山小屋(ニフェッティ小屋)からは、ガイドブックによればリスカム(4527m)にも登れそうだったので、後で神田さんとガイド氏にその点を確認して、可能であればリスカムを私達の第一志望とすることにした。 そしてもしリスカムに登ることが出来たら、西廣さん夫妻がモン・ブランに登れ次第、入れ替わりにお二人にも登られることを勧めようと思った。 当初ツェルマットから登ろうと考えていたリスカムに、この方法で登れれば儲けものだ。 但し、リスカムに登れなかった場合には、西廣さん夫妻にはモンテ・ローザは勧めずに、国境線上にない山の中ではイタリアの最高峰であるグラン・パラディゾを勧めようと思った。 同峰の方がシャモニからのアプローチも良く、モン・ブランの疲れがあっても比較的楽に登れるし、天気にやや難があった場合でも登頂の確率が高いからである。 そして、もし最終日まで良い天気が続けば、日帰りで行ける山の中では最も短時間で行けるコスミック山稜で、アルプスの岩稜登攀の醍醐味を味わうことが出来れば、シャモニでの滞在を充分満足してもらえるに違いないと思った。 次は、以前田村(千年)さんも絶賛していたロシュフォール稜であるが、この山(エギーユ・ド・ロシュフォール)の情報についての唯一のよりどころである『アルプス4000m峰登山ガイド』に記されている難易度は高く、また今年のように大雪の影響でルートのコンディションが悪そうな時は登頂の確率が低くなると思われたので、こちらを第二志望とすることにした。 ロシュフォール稜が決まると、その翌日はB.Cの山小屋(トリノ小屋)に連泊し、かつ比較的短時間で行けるトゥール・ロンド(3792m)に白羽の矢が立ったが、このアイディアは後に素晴らしい出会いをもたらす結果となった。

  計画もやっと決まったので、町の散策と情報収集に出掛ける。“山のことばかりではなく、旅そのものを楽しまなければ”と常日頃から思っている気持ちとは裏腹に、自然とガイド組合や観光案内所に足が向いてしまう。 ガイド組合の天気予報の方が少し悪かったが、向こう一週間はおおむね天気が良いようで安堵した。 スイスの天気予報はイラスト入りで視覚的にもすぐに分かるが、こちらでは仏語と英語や伊語が併記されている文章を読まなければならず煩わしい。 ツェルマット同様、ちょうど山岳マラソン(モン・ブラン山群の裾野を一周する155kmのウルトラマラソン)が行われていたようで、教会前の広場では設営されたゴールの後片付けをしていた。 改装されたスネルスポーツにも立ち寄り、最後はお決まりの本屋に行き、写真集やこちらのガイドブックであらためてエギーユ・ド・ロシュフォールを調べたが、ダン・デュ・ジェアンからグランド・ジョラスまで鋸の歯のように連なるピークの一つというだけで、特徴のない地味な山であった。 

  ホテルに戻ってきた西廣さん夫妻に、先ほど考えた明日以降のスケジュールを一方的に説明したところ、おおむね了解してもらった。 約束のpm7:00にロビーに行くと、すでに神田さんと中年のガイド氏が歓談していた。 ガイド氏の名前はフィリップ、フランス人であった。 早速皆で自己紹介をして握手を交わす。 私達と同年齢くらいのフィリップ氏は本当に陽気な方で、絶えず周囲の笑いを取ろうとしていた。 神田さんによると、氏が5日間通しのガイドであるという。 私達の計画の方が流動的だったので、当初は氏を私達のガイドにしようと思ったが、今日の打合わせには来ないもう一人のガイドであるジジ・アエローニ氏がイタリア人ということで、モン・ブラン登山に少しでも有利になるように地元のフィリップ氏を西廣さん夫妻のガイドにすることにした。 お酒が好きで陽気なフィリップ氏と西廣さん夫妻のパーティーは、結果的に大正解となったようだ。 神田さんにリスカムの件を訊ねたところ、多分大丈夫だと思うが、明朝ジジ氏に確認をとって下さるとのことであった。 また意外にもロシュフォール稜はさほど難しくないとのことで、妻を含めてガイドとの1対2でも大丈夫ではないかとのことであった。

  神田さんとフィリップ氏を見送り、各々の部屋に戻って明日以降の準備をする。 スケジュールは決まったものの、予定外の計画と神のみぞ知る今後の天気の展開が気になり、なかなか気持ちが落ち着かなかった。 明日からは西廣さん夫妻とは別行動になるが、果してどのような運命が各々のパーティーに待っているのであろうか?。 とにかく自分達のことよりも、西廣さん夫妻には是非快晴のモン・ブランの頂に立ってもらいたいと願った。


Mさんに見送られてツェルマットの駅に向かう


フランスとの国境の峠にあるル・シャトラール・フロンティエール駅で電車を乗り換える


玩具のような2両編成の登山電車はいつも空いている


登山電車の車窓から見たモン・ブラン(山頂は左の雲の中)


シヤモニ・モン・ブランの駅


シヤモニで5日間滞在したホテル『ヴァレーブランシュ』


クラッシックな雰囲気が漂うホテルの室内


バルマ広場


モン・ブラン山群の裾野を一周する155kmの山岳マラソンのゴールポスト


改装されたスネルスポーツ


ガイドのフィリップ氏を交えて神田さんとスケジュールの確認を行う


ホテルの中庭で神田さんと


  【ニフェッティ小屋】
  8月29日、am6:30起床。 一階の食堂に行くと、すでに早起きの西廣さん夫妻は朝食を食べていた。 三ツ星であるが、@88ユーロ(邦貨で約12300円)と安価だったのでバイキングには期待していなかったが、クロワッサンや温かい惣菜もあり、過去に泊まった三ツ星ホテルの中でも上等な方であった。 朝食後にモン・ブランの写真を撮りにホテルからは目と鼻の先のバルマ広場に行ってみると、朝陽に輝くモン・ブランはもちろんのこと、意外にもドリュの矛先が広場から見えて、私達の目を楽しませてくれた。

  am8:00前に神田さんとガイドのフィリップ氏、そしてジジ氏が相次いでホテルにやってきた。 意外にもジジ氏は外国人としては小柄で、背丈は私と変わらなかった。 神田さんは「彼は小さいがパワーは凄いですよ」と言った。 簡単な自己紹介をした後、早速神田さんが氏にリスカムのことを訊ねると、いつもなら全く問題ないが、痩せ尾根の雪庇の通過が難しいので、大雪の後はまだ誰も登っていないのではないかとのことであり、これから情報収集をしながら、登れるか否かは明日の朝に決めますとのことであった。

  神田さん、西廣さん夫妻、そしてフィリップ氏に見送られ、ジジ氏の車で登山口のアラーニャへと向かう。 すぐにイタリアとの国境のモン・ブラン・トンネルに入るが、不思議と全く渋滞はなかった。 それもそのはず、確か以前は大惨事の直後ということもあって制限速度は40kmであったが、今日は70kmであった。 トンネルを抜けるとイタリア側は残念ながら曇っていた。 すかさず氏が「昨夜雨が降った影響で今日は少し曇りがちですが、明日は良い天気になるので大丈夫ですよ」と言って、不安げな顔をしていた私達を気遣ってくれた。 ジジ氏もフィリップ氏と同様に私達と同じ位の年で、また小柄なこともあってか、とても親しみ易かった。 間もなく青空が覗き、イタリア側から全く形の違うモン・ブランの雄姿も僅かに望まれた。

  道はいつしか高速道路となり、車は100km以上のスピードでアルプスの南側の山裾を駆け抜けていく。 これならシャモニから登山口まで時間的には近いことが分かった。 間もなく長いトンネルが連続するようになると、昨日までの疲れも手伝って後部座席で妻と居眠りをしてしまった。 古代の遺跡や中世の建造物が多く見られるというアオスタの市街を遠目に見ながらしばらく進むと、その奥に大きな山が見えてきたので、山名をジジ氏に訊ねてみると、今回やむなく計画から外したグラン・コンバンとのことであった。 更に氏は「とても美しい山ですよ!」と付け加えたので、ますます同峰への興味が高まった。

  シャモニから1時間15分、『サン・マルティン』という名称のICで高速道路を降り、『グレソネイまで30km』という道路標識に従って車はつづら折りの山道へと入っていった。 どうやら行き先はアラーニャではないようだ。 事前の準備不足でアラーニャ以外からもB.Cのニフェッティ小屋にアプローチする方法があるとは知らなかった。 山の斜面はぶどう畑が多く、スイスのような牧草地は少ないため山肌は茶色く、スイスとは違った雰囲気で日本の山間部の風景に近い感じがした。 また所々の小さな集落にある教会も歴史が古いためか、一様に地味な感じで、スイスの教会の方が明らかに立派であった。 車は谷の右岸(左側)を遡っていったが、観光地でもないのになぜか道路脇にはホテルが多かった(当日は曇っていたので山は見えなかったが、帰路ではモンテ・ローザの山並みが良く見えて素晴らしかった)。

  グレソネイ・ラ・トリニテという集落を過ぎ、サン・マルティンのICから1時間弱でゴンドラの発着場のあるスタッフェル(1818m)に着いた。 結局シャモニからの所要時間は僅か2時間であった。 後で地図を見ると、アラーニャは3000m級の山並みの一つ向こう側の谷にあり、直線距離は10kmほどであるが、実際の移動距離はここから100km以上もありそうだった。 スタッフェルからは二つの違った方向へゴンドラが延びていたが、なぜかいずれのゴンドラも止まっていた。 窓口へ切符を買いにいったジジ氏から、am11:30に運転が再開されると聞かされたので、てっきり故障かと思ったが、実はこの辺りのゴンドラは冬場のスキーシーズンのためのものであり、他の季節にはスイスの観光地のようにお昼休みを除いて常に動いている訳ではなく、電車やバスのように1〜2時間毎に動くものであることが後で分かった。 ゴンドラの発車を待つ間、ジジ氏から幾つもの衛星峰を持つモンテ・ローザ山塊の体系について教えてもらったり、雑談を交わしたりして時間をつぶす。 氏はアラーニャの出身で現在43歳、ガイド歴は18年であり、春と秋にはヒマラヤでもガイドの仕事をされているとのことであった。 また4年前のモンテ・ローザ登山の時のガイドであったホギー氏のことは、同郷なので良く知っているとのことであった。 誰に教わったのであろうか、「“ジジ”は日本語で“爺(じじい)”という意味ですね」と、氏は自ら笑いながら言った。

  1時間以上も待たされた後、am11:30発のゴンドラに乗り、中間駅のガビエットで一回乗り換えた後、終点のサラティバス(2971m)に正午ちょうどに着いた。 ジジ氏の話では、メインの登山口であるアラーニャからロープウェイで上がった場合の終点であるプンタ・インドレインの駅(3260m)までここから1時間ほどかかるとのことであったが、それでもこの行程の方がシャモニからは時間的に早いのであろう。 サラティバスからプンタ・インドレインまでのトレイルには標識等は一切なく、所々の岩にペンキマークが付いているだけのアルペンルートで、スイスのハイキングトレイルとは趣を異にしていた。 途中ストレンベルク(3202m)というピークを一つ越えていくため、標高差以上に時間がかかる。 山には霧がかかり、上の様子が良く分からない。 “明日は本当に晴れるのだろうか?”と心配になる。 私達の前後には他に二組のパーティーしかいないようであった。 間もなく上の方から機械音が聞こえてきたので、プンタ・インドレインの駅が近いことが分かった。 サラティバスから休まず登ったため、プンタ・インドレインの駅には1時間弱で着いたが、ジジ氏はリクエストがなければそのまま先へ進んでいってしまいそうだったので、「ここでランチにしませんか?」と氏を誘って駅舎の中に入る。 意外にも駅舎の二階には50席ほどある広いレストランがあったが、お客さんはあまりいなかった。 いかにも地元の方といった雰囲気のする親子(ベテラン風の父親と若い娘)のパーティーが隣のテーブルにいたが、結局その親子とは山小屋で同室することとなった。

  昼食のため30分ほど休憩した後、pm1:30にプンタ・インドレインを出発。 ここからニフェッティ小屋まではメインのトレイルとなるため、登山者の姿も多く見られるようになった。 大小の岩がゴロゴロした足場の悪い雪混じりのアルペンルートをしばらく緩やかに登っていくと、間もなく氷河の末端の長い雪渓をトラバースするようになった。 ようやく霧も少しあがり、周囲の状況が微かに掴めてきた。 ジジ氏は登山を終えて下ってくる地元のガイドをつかまえては、上(リスカム)の情報を収集してくれた。 荒縄のような太い固定ロープが幾つもつけられている急な岩場を登り支尾根を乗っこすと再び雪渓となった。 マントヴァ小屋(3498m)へのトレイルを左に分け、再び霧に閉ざされた急な雪面をキックステップで登っていく。 間もなく左手の崖の上に朧げに山小屋の輪郭が見えてきた。

  pm2:45、途中休憩もなく登り続けたので、プンタ・インドレインから1時間15分ほどで今日の宿泊地であるニフェッティ小屋に着いた。 氷河から突き出した岩にへばりつくように建てられた山小屋は想像していたよりも大きく、さすがに国内最高峰へのB.Cにふさわしいものであった。 ジジ氏によれば夏の最盛期やスキーシーズンの混雑は凄く、その時期には下のマントヴァ小屋に泊まる方が良いとのことであった。 山小屋は木の香りが漂う旅館のようなイメージであり、一階がバー(談話室)、二階が100席ほどある大食堂、三階はこぢんまりとした四人部屋のスキーヤーズ・ベッドの個室になっていた。 氏はガイド専用の部屋に泊まるようで、間もなく先ほどの親子のパーティーが部屋に入ってきた。 父親は現役の山ヤさんなのか、年配ながらガイド顔負けのたくましい体つきであった。

  山小屋の中やテラスを徘徊していると、霧が上がって天気が急速に回復しはじめ、アルプスの青空になってきた。 慌ててカメラを持って山小屋の上の岩場へと駆け上がったが、ありがたいことにジジ氏の予報どおりその後は翌日までずっと晴天が続いた。 モンテ・ローザ山塊のピークの一つであるヴァンサン・ピラミッド(4215m)が氷河を隔てて眼前に鎮座し、その左隣には憧れのリスカムの東峰がツェルマットから見慣れた穏やかな純白の頂とは全く違った黒々しい岩肌をさらした荒々しい山容で屹立している。 さらにその左手の稜線の先にはカストール(4228m)の頂も望まれ、モンテ・ローザの主峰は見えないものの、この雄大な素晴らしい景観が見られるだけでもこの山小屋に来る価値はあると思えた。 クレバスの多い氷河に刻まれたトレイルは明瞭で、モンテ・ローザの各ピークに登ったパーティーが次々と下ってくる姿が見える。 あの中にリスカムの東峰を登ったパーティーが沢山いることを願いながら、陽射しに恵まれた暖かな山小屋の上の岩場で、妻といつまでもため息をつきながら絶景を堪能した。

  pm7:15の夕食の時間となり二階の食堂に行くと、入口には行列ができていた。 先頭の方を見ると、どうやらカフェテリア方式となっているようであった。 スープ、ミートソースのかかったペンネ、煮込んだ豚肉、温野菜の盛り合わせと、期待していた以上に豪華なメニューであり、またどれもとても美味しかった。 ジジ氏は小柄な体格に比例して小食であったが、隣のテーブルの猛者は食べ終わると再び行列に並んでいた。 夕食後は氏との親睦を深めるため、いつものように片言の英語で私達のアルプスでの登山経験を話す。 今年はシャモニに来る前はツェルマットに滞在し、ヴァイスホルンの登頂の機会をうかがっていたが、生憎の大雪で計画が全て白紙になってしまったことを話すと、氏も三日前にマッターホルンの隣のダン・デラン(4171m)にガイドとして登りに行かれたが、大雪のため山頂まで登ることが出来なかったとのことであった。 明日予定しているリスカムについては、今日出会ったガイドの話を総合すると、山頂までのトレイルはまだつけられおらず、皆途中の稜線の肩の所で引き返しているとのことであり、明日肩から山頂までラッセルをして仮に登れたとしても下りのゴンドラの最終には間に合わず、明日中にシャモニに帰れなくなるとのことであった。 また、イタリア側からのリスカムの登山は、ニフェッティ小屋からの往復でも良いが、ピーク(東峰)から西峰に縦走した後、クィンティノ・セラ小屋という山小屋を経由して先ほど乗った反対側のゴンドラでスタッフェルに下りてくる周回のルートが理想的であるとのことであり、今回無理して登るよりも、ルートの状態が良い時に行った方が楽しめますよと、リスカムに固執している私を諭すように説明してくれた。 但し、途中のリスヨッホまではモンテ・ローザとルートは一緒なので、その時に実際目で見てから最終的な判断をするとのことであり、リスカムへの登頂の可能性は僅かに残った。


朝食のバイキング


バルマ広場から見た朝陽に輝くモン・ブラン(中央奥)


小柄なガイドのジジ氏


氷河の末端の長い雪渓をトラバースする


荒縄のような太い固定ロープが幾つもつけられている急な岩場を登る


ニフェッティ小屋


こぢんまりとした四人部屋のスキーヤーズ・ベッドの個室


ニフェッティ小屋から見たリスカムの東峰


ニフェッティ小屋から見たカストール


ニフェッティ小屋から見たヴァンサン・ピラミッドと下山してくるパーティー


カフェテリア方式の夕食


  【モンテ・ローザ】
  8月30日、真夜中にトイレに行くと、窓から外の様子が見えた。 星空で風もなく安堵する。 am4:30前に起床し、身支度を整えて階下に下りていくと、朝食は大食堂ではなく一階のバーに用意されていた。 モンテ・ローザに登るパーティーと出発時間に差があるためか、バーは空いていた。 朝食はパンにジャム、シリアル等といった簡素な定番メニューであったが、体調が良いせいか何でも美味しく感じられる。

  am5:20、山小屋の上の岩場でアイゼンを着け、ジジ氏とアンザイレンして出発。 リスカムの黒いシルエットが微かに浮かんでいる。 星は真夜中ほど見えなくなったが、三日月が頭上で輝き良い天気が期待出来そうだ。 前方にはヘッドランプの灯火は見えず、どうやら私達が先発隊のようである。 今シーズンはまだ新しい4000mのピークを踏んでいないので、今日は何とかそれが叶いますようにと山の神に祈る。 それがあのリスカムであれば言うことはない。 氏のペースは客観的に見ても遅くはなく、これが最初の山だったら少々きつかったかもしれないが、体はかなり順応しているので前を歩く妻も何とかついていけるだろう。 緩やかな登りから少し傾斜がきつくなってきた所でジジ氏のアイゼンの調子が悪くなり、数分おきに三回ほど立ち止まってアイゼンを調整していると、後続のパーティーが相次いで傍らを通過して行った。

  リスカムがモルゲンロートに染まり始め、歩きながら写真を撮る。 左奥の山並みも茜色に染まり始めている。 アルプスのドラマチックな夜明けのシーンに今日も立ち会うことが許された幸せを噛みしめる。 遠望された独立峰は紛れもなくモン・ブランであった。 時計を見るとam6:45であり、予定どおりであればちょうど今頃西廣さん夫妻が山頂付近にいるに違いない。 絶好の天気に恵まれ、お二人が山頂で歓喜する姿を想像するだけで自分のこと以上にワクワクする。 同じ山に登って喜びを共有するのも良いが、違う山に登ってお互いの土産話をするのも楽しみである。 間もなくリスヨッホの手前でリスカムに向かうトレイルが左に分岐していたが、ジジ氏はこれをあっさりと見送ったので、念のため氏を呼び止めてリスカムへの登山の有無を確認したところ、やはり肩から上にトレイルがないので、リスカムには登らないとのことであった。 天気も良さそうだしコルからの標高差もあまり感じられず、“これは行けるぞ”と勝手に思い込んでいたので氏の判断には不満であったが、拙い英語で一生懸命私を納得させようとする氏の姿に負け、造り笑顔で「オーケー、ノープロブレム」と答えた。 だが結果的にはこの氏の判断もまんざら悪いものではなかった。 目標がモンテ・ローザと決まったところで、あらためて氏にこれからのスケジュールを訊ねたところ、意外にも正面に見え始めたツムシュタインシュピッツェ(4563m)、ジグナールクッペ(4556m)、そしてさらにパロットシュピッツェ(4436m)の三山を登るとのことであったが、果して時間的に三つも登れるのであろうか?。

  気持ちの切り換えがつかないままリスヨッホを過ぎると、マッターホルン、ダン・ブランシュ、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルンのカルテットがグレンツ氷河越しに顔を揃え、昨日シャモニへ移動したばかりなのに、再びツェルマットに戻ってきたような錯覚を覚える。 マッターホルンの雪もだいぶ無くなり、もうじき登れそうな感じに見えた。 間もなくツムシュタインシュピッツェに向かう明瞭なトレイルを外れ、右手のパロットシュピッツェへのか細い踏み跡に入る。 傾斜は次第に増して尾根は痩せ、最後のナイフリッジではストックからピッケルに持ち替えて登る。 先ほどまでとは全く違い、稜線上は風が強い。 振り返ると背後のリスカムの頂がいつの間にか目線の高さになっていた。

  am8:00ちょうど、右側に雪庇が張り出したどこが山頂か分からないような細長く平らなパロットシュピッツェの頂に辿り着いた。 最高点らしき所を通り過ぎたが、ジジ氏はそのまま立ち止まらずに行ってしまったので、少しトレイルが安定した所で氏を呼び止めて記念写真を撮る。 今回登頂が叶わなかった憧れのリスカムがリスヨッホを挟んで眼前に大きく鎮座し、右にマッターホルン、左にモン・ブランが遠望された。 リスカムを眺めるには最も理想的な位置にあるこの頂からは、同峰が東峰と西峰の双耳峰であることが良く分かり、“ジルバー・バスト(白銀の鞍)”という別称があることが頷ける。 右に目を転じると、山塊の盟主である最高峰のデュフールシュピッツェの頂稜部の岩塊がこれから向かうツムシュタインシュピッツェと肩を並べて高さを競い合い、すぐ隣に聳えるジグナールクッペの山頂に建つマルゲリータ小屋が朝陽に照らされて輝いている。 雲一つない快晴の天気に恵まれたこの展望の頂にいつまでも佇んでいたかったが、長居をしているとあと二峰登れなくなってしまうので、僅か5分ほどで山頂を辞した。

  下りは私が先頭になり、そのまま反対側の急な稜線を僅かに下ってから稜線を外れ、クラストした緩やかな斜面を先ほど通ったツムシュタインシュピッツェへ向かうメインのトレイルを目指して下る。 途中からはジジ氏が先頭となり、踏み跡を外れトラバース気味にメインのトレイルと合流しようとしたが、思わぬモナカ雪に足が取られ、かえって足が疲れる結果となった。 イタリア側からのモンテ・ローザ登山は、ツムシュタインシュピッツェとアルプス最高所の山小屋(マルゲリータ小屋)が山頂に建つジグナールクッペの二峰が主な登山対象になっているようで、私達がパロットシュピッツェに寄り道している間に、トレイルの前後には幾つものパーティーが見られるようになった。 これから向かうツムシュタインシュピッツェを正面に見据えながら、4000m以上の高さを保ったまま純白の大海原(氷河)を漫歩するこの“三山がけ”は登攀の醍醐味には欠けるものの、今までに経験のない楽しさであった。

  緩やかで明瞭なトレイルを1時間ほど登ると、右手にジグナールクッペへ向かうトレイルが分岐していたが、ジジ氏はこれを見送ってツムシュタインシュピッツェへのトレイルをとった。 そこからさらに10分ほど登ると、ツムシュタインシュピッツェとジグナールクッペをつなぐ稜線の広いコルに出た。 コルからは先日登ったアラリンホルンやヴァイスミースを始め、シュトラールホルン、リムプフィッシュホルン、ドム、そしてその後方にベルナー・オーバーラントの山々が一望され、その景色の新鮮さに思わず感嘆の声を上げた。 ツムシュタインシュピッツェの山頂までは、あと標高差100m足らずである。 山頂直下の簡単な岩場を攀じり、am9:30に今日の最高点である4563mの山頂に辿り着いた。 十字架の代わりに小さなマリア様の像がひっそりと岩陰に安置されていた。

  指呼の間には最高峰のデュフールシュピッツェが大きく望まれ、その右奥にはゴルナーグラートの展望台から遠望された姿とは違うノルトエント(4609m)の鋭く尖った峰が連なっている。 ジジ氏はルートのコンディションが良ければ、ここからデュフールシュピッツェまで1時間半ほどで行けるとのことであり、ツェルマットからモンテ・ローザヒュッテを経由して登るよりも遙かに楽であることが分かった。 目を転じると、これから向かうジグナールクッペの頂が同じ目線の高さで望まれた。 山頂に建つマルゲリータ小屋は山深さとは明らかにミスマッチであるが、この山が最高峰であるがゆえの宿命なのであろう。 4527mのリスカムがすでに目線より低くなったことで、不思議と悔しさも少し薄らいできた。

  しばらくの間山頂を私達3人で独占していると、間もなく若いカップルが登ってきたので、山々を背景にお互いの記念写真を撮り合った後、氏に促されて最後のピークであるジグナールクッペへと向かう。 痩せ尾根を広いコルまで一旦下ると、稜線を行かずに少しまた下り、ジグナールクッペへの明瞭なトレイルに合流した。 前方には5〜6人の中高年の団体が非常にゆっくりとしたペースで登っていたが、リーダー格の年配の男性が道を譲ってくれた。 その方は親日家らしく日本語が堪能で、山頂に着いてからも気さくに話しかけてこられ、頼んでもいないのに何枚も記念写真を撮ってくれた。

  am10:15、ツムシュタインシュピッツェの山頂から僅か30分ほどで本日の最後のピークであるジグナールクッペの頂に辿り着いた。 小広い山頂に建つ三階建ての黒い大きな山小屋の周囲には、宿泊客も含め大勢の登山者で賑わっていた。 妻はトイレを借りに行ったが、私はなぜか山小屋の中を覗こうとはしなかった。 いつの日か再びこの頂を訪れ、山小屋に泊まるような予感がしたからであろうか?。 快晴無風の下、すでに二つのピークを労せずに踏み、見える景色もそれほど変わる訳ではないので、残念ながら感動は余り湧いてこなかったが、4年前にスイス側からモンテ・ローザを登った時に、氷河を登り詰めたザッテルから初めて見たこのマルゲリータ小屋になぜかとても懐かしさを覚えた。 妻も同感であるとのことであった。

  20分ほど周囲の山々を眺めながらゆっくり休憩した後、モンテ・ローザの三山がけを終えて下山にかかる。 あとはひたすらニフェッティ小屋を経由してサラティバスのゴンドラの駅まで1600mほど高度を下げるだけだ。 途中リスカムから下ってくるパーティーの姿が遠目に見えた。 果して彼らは山頂まで辿り着くことが出来たのであろうか?。 間もなく昨夜山小屋で同室した親子のパーティーとすれ違い、挨拶を交わした。 おそらくこの親子は私達の登らなかったヴァンサン・ピラミッドを登ってこられ、これからツムシュタインシュピッツェを登った後に、今晩は山頂のマルゲリータ小屋に泊まるに違いない。 最高峰を擁するこの山域は、そのようなゆったりとした山登りが似合う所なのかもしれない。

  正午過ぎにニフェッティ小屋に到着すると、ジジ氏から「サラティバスからの下りのゴンドラはpm2:00発とpm4:30発とがありますが、どちらを希望されますか?」と意見を求められた。 pm2:00発だと無駄はないが、これから昼食をとらないで下ったとしてもぎりぎりの時間なので、少々時間は持て余すが行程に余裕があるpm4:30発で下ることをお願いした。 デポした荷物をまとめて山小屋を出発し、昨日同様途中のプンタ・インドレインの駅舎のレストランで遅い昼食を食べた。 昼食後氏に明日以降に予定しているロシュフォール稜の概要や難易度について訊ねてみると、ガイドと1対1であればトリノ小屋からエギーユ・ド・ロシュフォールまでは登り3時間、下り2時間の合計5時間位であり、またそれほど難しくないので妻も一緒に行けるのではないかとのことであった。 また以前から気になっていたフランスの名峰ラ・メイジュ(3983m)の登頂の可能性について訊ねてみると、フィックスロープが無いのでマッターホルンよりは難しいが、意外にも山小屋から山頂まで4〜5時間で登れるとのことであり、憧れの山に一歩近づいたような嬉しい気分になった。 プンタ・インドレインのレストランで時間調整をしながらゆっくり休憩した後、さらに1時間ほど山を下ってサラティバスからゴンドラに乗り、登山口のスタッフェルにはpm5:00に着いた。 つづら折りの山道をジジ氏の車で下りながら後ろを振り返ると、モンテ・ローザの銀嶺が遙かに高い所から私達を見送ってくれた。 氏には申し訳ないが、高速道路に入ったとたん睡魔に襲われ居眠りをしてしまい、途中のモン・ブラン・トンネルを出た所で、神田さんの携帯にシャモニへの到着が予定の時間よりも少し遅れるという連絡を入れてもらう。

  pm7:00過ぎにホテルに着くと、すでに一階のラウンジで西廣さん夫妻、神田さん、ガイドのフィリップ氏、そして明日以降の私達のガイドとなるジェラー氏が歓談していた。 西廣さん夫妻の顔が輝いていたので、登頂の成否を訊ねるまでもなく祝福の握手を交わした。 土産話しは後でゆっくり聞くことにし、早速ジェラー氏と握手を交わして簡単な自己紹介を行う。 氏は私達より一回り年配のベテランのガイドであったが、やはり背丈はジジ氏と変わらず小柄だった。 神田さんに明日以降の天気の状況を訊ねると、嬉しいことに概ね晴天が続くとのことだったので、あらためて計画どおり明日・明後日でロシュフォール稜を、明々後日にトゥール・ロンドを妻と共に登りたいという希望を神田さんを通じてジェラー氏に伝えてもらうと、氏からロシュフォール稜を妻が一緒に行くのであれば、明日先にトゥール・ロンドを登り、妻の実力を見たいという提案があった。 氏の提案どおりトゥール・ロンドには朝一番のロープウェイに乗って登ることも可能であるが、手持ちの資料にはこの方法はあまりお勧め出来ないと記されており、またロシュフォール稜がそれほど困難なのであれば妻も登ることを強く希望している訳ではないので、アタックは私だけということにして、明日はB.Cのトリノ小屋までゴンドラを使わず、ヴァレー・ブランシュをエギーユ・デュ・ミディの展望台から歩いて行きたいという私の希望を神田さんを通じて氏に伝えてもらい、明日のpm1:00にミディの展望台に上がるロープウェイの駅で氏と待ち合わせることになった。 この辺りの微妙なやりとりを神田さんの通訳でスムースに行うことが出来て本当に助かった(後でジェラー氏には殆ど英語が通じないことが分かった)。 すでに西廣さん夫妻は明日から予定どおりグラン・パラディゾに行かれることをフィリップ氏と決められていたようで、私達の明日以降の予定が決まったところで打ち合わせは終了した。 情報交換のために同席していたジジ氏にあらためてお礼を述べて30ユーロのチップを手渡し、再会を誓って固い握手を交わした。 明朝西廣さん夫妻はam8:00に出発されるとのことで、神田さんもそれに合わせて私達のロ−プウェイ・ゴンドラ・山小屋のバウチャーを持って明朝見送りにきてくれるとのことであった。

  明朝の再会を約して一同解散し、西廣さん夫妻のモン・ブラン登頂を祝って日本料理店の『さつき』に行ったが、意外にも店は斬新な造りに改装されていて、とても同じ店には見えなかった。 店内にも外国人の姿が目立ち、以前のような日本人の溜まり場的な雰囲気は全くなく、落ち着かなかったばかりか料理の値段も倍近くになり、何だか敷居が高くなってしまった。 後で神田さんから、シャモニを訪れる日本人の観光客や登山客が年々減少しており、その関係で経営者が変わったという話を聞いて納得したが、誠に残念なことであった。 体力に勝る西廣さん夫妻にはモン・ブランは物足りなかったのか、計画した私の方が絶好の天気に恵まれ一回のチャンスで登頂されたことを自分のことのようにはしゃいでいた。 私自身、3年前の最初のモン・ブラン登山では悪天候で山小屋までしか行けなかったことや、二回目のアタックでは体調不良のため登頂は叶ったものの、登山を楽しめなかったという苦い経験があったからであろうか。 いずれにしても、今回の合同山行の一番の目標であったモン・ブランの登頂が成功して本当に良かった。 ホテルに戻り、明日からの最後の山行への期待に胸を膨らませながら早々に床に着いた。


モルゲンロートに染まるモン・ブラン


リスカム東峰に朝陽が当たる


リスヨッホから見たヴァリスの山々(左端がマッターホルン・右端がヴァイスホルン)


リスヨッホ付近から見たリスカム東峰


リスヨッホ付近から見た最高峰のデュフールシュピッツェ(中央)とツムシュタインシュピッツェ(右)


リスヨッホ付近から見たツムシュタインシュピッツェ(左)とジグナールクッペ(右)


リスヨッホ付近から見たジグナールクッペ(左)とパロットシュピッツェ(右)


パロットシュピッツェの山頂


パロットシュピッツェの山頂から見たリスカム(遠景左がモン・ブラン)


パロットシュピッツェの山頂から見たジグナールクッペ


パロットシュピッツェを下り、ツムシュタインシュピッツェへ登る


ツムシュタインシュピッツェへの登りから見たパロットシュピッツェ


ツムシュタインシュピッツェの山頂直下


ツムシュタインシュピッツェの山頂    背景は最高峰のデュフールシュピッツェ


ツムシュタインシュピッツェの山頂から見たリスカム


ツムシュタインシュピッツェの山頂から見たジグナールクッペ(山頂にマルゲリータ小屋が建っている)


ツムシュタインシュピッツェの山頂から見たシュトラールホルン(手前)とベルナーオーバーラントの山々


ジグナールクッペ(4556m)の山頂に建つヨーロッパで一番高いマルゲリータ小屋


ジグナールクッペの山頂から見たデュフールシュピッツェ(左)とノルトエント(右)


ジグナールクッペの山頂から見たドム


ジグナールクッペの山頂から見たリスカム    右端はマッターホルン


ジグナールクッペからニフェッティ小屋に下る


リスヨッホ付近から見たデュフールシュピッツェ(左)とツムシュタインシュピッツェ(右)


リスヨッホ付近から見たツムシュタインシュピッツェ(左)とジグナールクッペ(右)


リスヨッホ付近から見たパロットシュピッツェ


リスカム東峰


ヴァンサン・ピラミッド


下山後に登山口のスタッフェルでジジ氏と


日本料理店の『さつき』で夕食を食べる


同日のモン・ブラン山頂での西廣さん夫妻


  【ヴァレー・ブランシュ】

  8月31日、am7:00起床。 嬉しいことに今日も快晴だ。 私達は今日からトリノ小屋に2泊するので、シャモニでの6日間の滞在期間中ホテルには2泊しただけで、残りの4日間はホテルが荷物の保管場所となってしまい嬉しい悲鳴だ。 am8:00に神田さんとフィリップ氏が相次いでホテルに現れたが、意外にも氏の甥という若者も一緒であった。 西廣さんにその辺りの事情を聞くと、彼は高校生ながらオートルートを縦走した経験もあるとのことで、今回氏の提案で急遽一緒に行くことになったらしい。 グラン・パラディゾであれば1対3でも全く問題なく、またより想い出に残る山行になるであろうが、ガイドとしてそのような発想をする氏はやはりとてもユニークな方なのだろう。

  グラン・パラディゾに向かう4人を見送り、神田さんからミディまでの往復のロ−プウェイ、帰りのエルブロンネからミディまでのゴンドラ、トリノ小屋の宿泊のバウチャーをいただく。 ガイド料、交通費、ホテル代の精算は明後日の下山後にホテルで行うことを約して相変わらず多忙な神田さんを見送った。 ホテルから目と鼻の先にあるバルマ広場へ行くと、今日も青空の下にモン・ブランの頂やミディを始めとするシャモニ針峰群がすっきりと望まれ、早くも気持ちが昂る。 念のため観光案内所に行き天気予報を確かめると、向こう2〜3日は快晴とはなっていないものの、雨や雪の心配は全くなさそうで安堵した。 まだ人出の少ないシャモニの町を散歩した後、ホテルに戻って最後の山行の準備と帰国の準備をする。 昼食は少しでも帰りの荷物を軽くするために、持参した食料をかき集めての自炊である。

  pm0:40、照り返しのきつい道路を10分ほど歩き、町外れのロ−プウェイ乗り場へ向かう。 シャモニ観光の目玉であるエギーユ・デュ・ミディの展望台へのロ−プウェイは、混雑を避けるために人数制限を行っているようだった。 約束のpm1:00ちょうどにジェラー氏が現れ、ロ−プウェイの列に並ぶ。 天気も良いので観光客は多い。 3年前に初めてシャモニを訪れた時は、2週間も滞在しながら天候不順でミディの展望台へは行ってないので、どんな景色が待っているのか楽しみである。 標高3795mの展望台の駅まではここからの標高差が2700mほどあり、ロ−プウェイは途中のプラン・ドゥ・レギーユ(2310m)という中間駅で乗換えとなる。 プラン・ドゥ・レギーユ付近からは左手にシャモニ針峰群が車窓から間近に迫り、エギーユ・デュ・ミディの荒々しい北壁を舐めるように上がっていくロ−プウェイからの迫力ある景色に圧倒され続けた。 まるで剣山を思わせるような際立った岩塔のピークはプラン針峰(3673m)であろうか?。 念のため氏に訊ねてみたが、それ以外の無数のピークやコルについても仏語の発音で“エギーユ・○○○、コル・ド・△△△”といった具合に早口で説明されたので、結局さっぱり分からなかった。

  麓から30分ほどで待望のミディの展望台の真下の駅に到着。 階上の展望台は予想以上の人出で賑わっていた。 上を見上げると猫の額ほどの狭いエギーユ・デュ・ミディ(3842m)の頂上に建てられたロケットのような巨大なアンテナがとても異様であった。 展望台へは明後日の帰りに上がることにし、ヴァレー・ブランシュ(氷河)への出口へと向かう。 隣接する岩峰を連結するようにして作られたこの展望台は構造が複雑で、案内板がないと迷子になりそうであった。 モン・ブランのボス山稜が青空の下にくっきりと望まれ、まさに“岩と雪の殿堂”という表現がぴったりのシャモニ針峰群とその向こうに憧れのエギーユ・ヴェルト、その右手に連なるレ・ドロワット(4000m)等の無数の岩峰のピーク、最後の仕上げは憧れのグランド・ジョラスとダン・デュ・ジェアン(4013m)、そしてこの両雄を結ぶ稜線であるロシュフォール稜であった。 この素晴らしい大パノラマは、アルプスでは屈指の展望を誇るゴルナーグラートやユングフラウヨッホの展望台とは違う独特の個性があり、往復のロ−プウェイ代@35ユーロ(邦貨で4900円)を支払ってもまだお釣りがくるほどであった。

  氷河をくり抜いたトンネルの出口でアイゼンを着け、アンザイレンして私を先頭にヴァレー・ブランシュへとナイフエッジの急峻な雪稜を下る。 雪稜には多くの人の足跡が刻まれ、見た目ほど恐くはなかった。 登山経験のない一般観光客は展望台から奇異の眼差しで私達のことを見ていることであろう。 正面にエギーユ・ヴェルトを望みながら右方向へと回り込み大雪原へと下っていく。 すぐに傾斜は緩み、見上げると赤茶けた岩塔の上のミディの展望台がまるで要塞のように見えた。 モン・ブランからの下山か、私達と反対にトリノ小屋(ゴンドラの終点駅のエルブロンネ)から来たパーティーか、こちらに向かって登ってくる人は多いが、この時間からトリノ小屋へ向かうのは私達だけのようで、よくこの危険な時間帯に行くことをジェラー氏が提案したか不思議であった。

  雪稜を下りきると、いよいよ氷河トレッキングの始まりである。 ピッケルからストックに持ち換え、僅かに下り勾配となっている明瞭なトレイルをモン・ブラン・デュ・タキュル(4248m)を正面に見据えながら氷河の核心部に向けて進む。 ガイドブックによると、目的地のトリノ小屋まではエギーユ・デュ・ミディから650mを下り、300mを登り返すらしい。 ヴァレー・ブランシュは予想以上に広く、上空に架かっている3両編成のゴンドラの存在も意識しないと全く気がつかない。 最初は鼻歌交じりのお気楽ムードであったが、好展望や青空と引き換えに、午後の強烈な陽射しと照り返しのきつい雪原を歩くことがだんだん暑さで苦痛になってきた。 コスミック小屋を右上に見上げ、モン・ブラン・デュ・タキュルへ延びるトレイルを右へやり過ごした辺りから運良く所々で雲が湧き、適当に陽射しを遮ってくれて助かった。 所々にクレバスが見られるようになったが、なぜかジェラー氏は依然として私に先頭を任せたままだった(結局最後まで)ので、それをいいことに所々で足を止め、氏に写真撮影の許可を乞うと、氏はその都度笑顔で「ノッ・プロブレ〜ム!、ノッ・プロブレ〜ム!」と快く応じてくれた。 明日の登山もこの調子でいけば良いなと思う。 僅かに下り勾配となっている明瞭で単調なトレイルが延々と続く。 時間帯が遅いせいか周囲に人影は全くなくなり、広大な大雪原を私達だけで独占しているかのようで気持ちが良かった。 この大雪原の真下を全長11kmのモン・ブラン・トンネルが通っているのだから驚きだ。

  モン・ブラン・デュ・タキュルの東側に回り込むと、まるで氷河を突き抜けて下から隆起したような無数の針峰や奇峰が見られた。 ジェラー氏にこれらの針峰群の名称を訊ねると、先程同様“グラン・キャピサン、エギーユ・○○○、コル・ド・△△△”といった具合に早口で説明されたので、完全には理解することが出来なかったが、いずれにしてもこれらの無数の尖峰の一つ一つに名称があることには驚かされた。 今もどこかの岩壁を命知らずのクライマー達が攀じっていることだろう。 正面に大きく見え始めたトゥール・ロンドもこれらの尖峰の一つであるが、登り易いルートが開拓されているので素人の私達のレベルでも行けるのだろう。 “巨人の歯”と呼ばれるダン・デュ・ジェアンの巨大な岩塔がだんだんと近づき、その僅か左にようやく目立たないエギーユ・ド・ロシュフォールのピークが見えた。 グランド・ジョラスとダン・デュ・ジェアンという名峰に挟まれた不遇な山であるが、その人気は高く、ダン・デュ・ジェアンとエギーユ・ド・ロシュフォールを繋ぐ稜線であるロシュフォール稜は“アルプスで最も優美な雪稜”と言われているらしい。 ようやく前方に人影が見えるようになると、トレイルは登り勾配となった。 体はすでに昨日までの登山で高所に順応してるので全く苦にならない。 標高差で200mほど登りゴンドラのワイヤーの下を通ると、前方にゴールのトリノ小屋が見えてきた。 トリノ小屋の傍らの岩塔の上がエルブロンネの展望台とゴンドラの駅舎になっているようだ。 山小屋を背景に氏との記念写真を撮ると、突然氏から「奥さんも明日のロシュフォール稜は大丈夫ですよ!」と言われた。 突然の“登山許可”に驚き、その理由を氏に訊ねると、「歩くバランスが良いから」とのことであった。 クライミングとは全く関係がないように思えたが、最後まで氏が後ろを歩いていたのは、私達をテストしていたからなのであろうか?。

  pm4:10、トリノ小屋(3371m)に到着。 所々で足を止め、写真を撮りながらマイペースで歩いたので3時間はかかると思ったが、2時間半足らずで着いてしまった。 宿泊の手続きをジェラー氏にしてもらい、3階の8人部屋の個室に案内してもらう。 どうやら氏も同室らしい。 地味な山小屋であったが、冬場のスキー客が多いのであろうか、今まで泊まった数多くのアルプスの山小屋で乾燥室がある山小屋は初めてであった。 意外にも氏は「夕食はpm7:00からです」と私達に一言だけ説明すると、すぐに毛布を頭から被って寝てしまった。 1階の談話室に行くとテーブルの隅には宿帳が置かれており、私も注目している日本人の若手の国際ガイドである江本悠滋さんのガイドパーティー3名の名前がローマ字で記されていた。 私達もいつものように堂々と漢字で宿帳に足跡を残したことは言うまでもない。 テラスでは宿泊客が思い思いの場所で濡れた靴や山道具を乾かしながら日光浴をしていた。 東の方角にはダン・デュ・ジェアンの巨大な岩塔が大きく鎮座し、西の方角にはシャモニ(フランス)側からの優美な姿とは全く違う面持ちのモン・ブランの『ブレンヴァ・フェース』と呼ばれる東面の荒々しい絶壁がその迫力ある姿を見せ、また眼下にはイタリア側のアルペンリゾート地であるクールマイユールの町が俯瞰され、素晴らしいロケーションを誇っていた。

  夕食は先日のニフェッティ小屋と同じカフェテリア方式であった。 シーズンも終わりに近いためか、宿泊客はさほど多くはなかった。 前菜にパスタかスープを選択し、メインディッシュは蒸した鶏肉とソーセージに温野菜の付け合わせで、デザートはプリンかフルーツポンチの選択であった。 味もまずまずで美味しかった。 夕食後はジェラー氏と少しでも親睦を深めようと、いつものように拙い英語で氏に語りかけるが、氏はガイドとしては珍しく英語が殆ど通じないので、コミュニケーションがなかなか上手くとれない。 神田さんから、氏は若い頃クロスカントリースキーの選手で札幌オリンピックにも出場したことがあるという話を聞いていたので、その辺りの話題から会話に入ったところ、ジャンプの金メダリストの笠谷選手を覚えているということで、ようやく糸口が掴めるかと思ったが、その後も会話はスムースにいかず、最後は絵や数字を書きながらの筆談となってしまった。 共通の言語が無い者同士の会話がいかに難しいかを思い知らされた。 氏は57歳でガイド歴は30年ほどであり、モン・ブランは210回も登られたとのことであったが、意外にもその3分の1の70回は日本人をガイドされたとのことであった。 今日氏が発した英単語は、ブティフル(ビューティフル)、ファンタスティ〜ック、ノッ・プロブレ〜ム(ノー・プロブレム)の僅か三つであり、明日以降も変わることはなかった。


グラン・パラディゾに向かう西廣さん夫妻とフィリップ氏とその甥の4人を見送る


ロ−プウェイの中間駅のプラン・ドゥ・レギーユから見たエギーユ・デュ・ミディの荒々しい北壁


ロ−プウェイの車窓から見たエギーユ・デュ・プラン


エギーユ・デュ・ミディから見たモン・ブランのボス山稜


エギーユ・デュ・ミディから見たエギーユ・デュ・プラン(手前)とエギーユ・ヴェルト(奥)


グランド・ジョラス(左)    ダン・デュ・ジェアン(右の尖峰)の隣の地味なピ−クがエギーユ・ド・ロシュフォール


ミディからヴァレー・ブランシュへと下る


ヴァレー・ブランシュとその上空に架かる3両編成のゴンドラ


モン・ブラン・デュ・タキュル


ヴァレー・ブランシュから見たエギーユ・デュ・ミディの南壁


ヴァレー・ブランシュから見たダン・デュ・ジェアン


ヴァレー・ブランシュから見たトゥール・ロンド


ヴァレー・ブランシュから見たモン・ブラン・デュ・タキュル東面の岩峰群


トリノ小屋の前でジェラー氏と


トリノ小屋の寝室


  【エギーユ・ド・ロシュフォール】
  9月1日、am4:30起床。 身支度を整えて階下の食堂に行くと、どこかで見覚えがある年配の外国人の男性が朝食の列に並んでいた。 人の顔を一度見たら忘れない特技を持つ妻と違い、常日頃から記憶力の悪い私であったが、この時ばかりはすぐにその方が昨年の夏にピッツ・ベルニーナ登山の時に泊まった山小屋(マルコ・エ・ローザ小屋)で夕食の席を共にし、翌日はピッツ・パリュの頂でお互いの写真を撮り合ったアメリカ人のパーティーのうちの一人であることを思い出した。 あまりの偶然さに驚き、興奮しながら声をかけてみると、嬉しいことに彼も覚えていてくれたようで、お互いに思わぬ場所での再会となった。 日本の山ではよくある話だが、もともと計画外であったこの山小屋でまさか彼と再会するとは夢にも思わなかった。 念のため今日の予定を訊ねたところ、私達と同じエギーユ・ド・ロシュフォールとのことであり、明日もまた同じくトゥール・ロンドとのことで、度重なる偶然に驚かされた。 間もなく彼のプライベートガイドである金髪の女性も食堂に現れ、皆で偶然の再会を喜び合った。お二人との再会は今回の山行中最も印象深い出来事となった。

  am5:50、ジェラー氏とアンザイレンして山小屋を出発。 ヘッドランプの灯を頼りに、まだ真っ暗なジェアン氷河を緩やかに下る。 前方には5分ほど前に出発したアメリカ隊のヘッドランプの灯が見えている。 間もなく同じ位の緩やかな登りとなり、正面にダン・デュ・ジェアンの黒いシルエットが浮かんでいるのが見えた。 三日月がその右上に輝いているが、なぜか星はあまり見えない。 嬉しいことに風は全くなく、氷河上は不気味なほど静かであった。 後ろを振り返ると、まだ明けきらぬ濃い群青色の空を背景にモン・ブランの白い頂が幻想的に望まれた。 すかさず氏に声をかけ、写真を一枚撮らせてもらう。 間もなくお二人揃って写真撮影に余念がないアメリカ隊を追い越す。 斜面の傾斜は徐々に増してきたが、10分ほどで再び緩やかな登りとなった。 淡いピンク色の空を背景にエギーユ・デュ・ミディも見えてきた。 このまま天気が変わらなければ、今日も快晴の一日となるに違いない。 背後のモン・ブランがモルゲンロートに染まり始めたので、再び氏に声をかけ、写真を撮らせてもらう。 氏も「ブティフル!、ブティフル!」と相槌を打っていた。

  山小屋から1時間少々でジェアン氷河を登り終え、ロシュフォール稜の岩場への取り付きに着いた。 ジェラー氏の指示でヘルメットを被り、10分ほどの小休止となる。 周囲を見渡すと取り付き点は上下に二箇所あるようで、途中で私達を追い越していったガイドレスのパーティーは下のルートを取ったが、氏はそれに追従することなく、クラストした急斜面をしばらく斜上し、上から取り付くルートを取った。 間もなく登ってきたアメリカ隊は、すぐに岩に取り付ける下のルートを取った。 恐らくそちらの方がノーマルルートで、氏は少しワイルドであるが、時間的に早く登れる直登ルートを取ったようにも思えた。 上から覆いかぶさるような急なミックスの岩場を、氏の的確なルートファインディングで岩の弱点をつきながらぐんぐん登る。 氏は現役のクライマーのような華麗な動きではないが、ベテランらしい確実な足の運びで私達を導いてくれる。 背後のモン・ブランの上空はますます青みを増し、アルプスの青空となっていった。

  am8:00前、ようやく頭上が明るくなり、稜線に上がる手前で不意にダン・デュ・ジェアンの頂稜部の巨大な岩塔が目の前に現れた。 まさに“巨人の歯”という呼び名がぴったりのその頂まではここから標高差で100mほどであろうか。 固定ロープのある山頂への一般ルートはここから左へと回り込んでいくようであった。 以前アイガーを案内してくれたガイドのゴディー氏であれば、「試してみますか?」と誘ってくれそうな気がした。 ありがたいことに稜線に上がってからも風はなく、岩塔の基部からはクレバスの発達した広大なヴァレー・ブランシュの全容とエギーユ・デュ・ミディ、プラン針峰が望まれ、その展望の良さに思わず心が弾んだが、まだまだこれはほんの序章に過ぎなかった。 日溜まりのように暖かい岩塔の基部でしばらく休憩しているとアメリカ隊のお二人が到着した。 「良い天気に恵まれ最高ですね!」と声をかけ、お互いの記念写真を撮り合うと、男性客(アンドリューさん)から「あとで写真の交換を是非やりましょう!」と思いがけない提案があり、とても嬉しかった。

  右側からダン・デュ・ジェアンの岩塔の基部を巻き、雪田となっている小広い稜線を僅かに進むと、絵に描いたような素晴らしい展望と芸術的とも言えるロシュフォール稜の核心部の雪稜が待っていた。 ヴァレー・ブランシュから大河のように流れ出しているメール・ド・グラス(氷河)を境に、左手にはシャモニ針峰群の無数の尖峰が屹立し、右手にはドリュを従えた憧れのエギーユ・ヴェルトとレ・ドロワットが荒々しさを競い合ながら屏風のように立ちはだかり、これから向かう稜線の先にはゴールのエギーユ・ド・ロシュフォールとその支峰のモン・マレー(3989m)、そしてその両峰を繋ぐ吊り尾根の間からグランド・ジョラスの白い頂稜部が僅かに望まれた。 幾重にも左右に屈曲したナイフエッジの雪稜には、色々な方向に向かって雪庇が張り出し、さながら芸術作品のようであった。

  ナイフエッジの雪稜に足を踏み出すが、風もなく雪が適度に締まっていることに加え、先行者のトレイルが綺麗につけられているので全く不安はない。 それどころか殿を務めていることを良いことに、歩きながらこの絶景の写真を撮りまくった。 危険なのは雪稜ではなく、実はこの私自身であった。 これほどまでに刺激的で極楽のような稜線漫歩が他のアルプスの高嶺にあることを私は知らない。 いつまでもこの時間が続けば良いとさえ思わずにはいられなかった。 振り返るとダン・デュ・ジェアンの尖塔がまるで鬼の角のように雪稜から突き出し、芸術的な風景にさらに磨きをかけていた。 再び岩稜帯となる少し手前の最後の急な下りで、ジェラー氏に確保してもらいピッケルのブレードを刺しながら慎重に20mほどの凍てついた雪壁をクライムダウンする。 ここが今日一番の難所であった。 下降点で上から降りてくる氏を待っているとアメリカ隊のお二人が稜線上に現れたので、遠くからお互いの写真を撮り合った。

  遠目には感じなかった重厚で荒々しいエギーユ・ド・ロシュフォールの頂が覆いかぶさるように眼前に迫り、明るい雪稜から再び日陰の寒々しい岩稜の登攀となった。 雪は殆ど無くなり、アイゼンを外す。 ルート上の岩はホールドも沢山あり全く難しくないが、正しいルートを行かないとすぐに行き詰まってしまうようで、先行していた二組のガイドレスのパーティーもルートファインディングに手を焼き、再び私達が先行することになった。 ジェラー氏のペースはちょうど良く、また疲労感も無いので全く順調であったが、頂上直下の長い1ピッチを先行した氏が上から何やら大声で叫んだ。 私達にはその言葉の意味をどうしても理解することが出来ず、しばらく立ち往生して上と下で叫び合う一幕があった。 結局氏は諦めてそのまま登り続けることとなったが、下山の際にその地点を通過すると、そこには氏がデポした短いスリングが2本置かれており、氏はそのスリングを肩からかけて登ってくるように指示したということが分かった。 スリングは仏語では『サーングル』とのことであり、今回は大事に至らなくて良かったが、やはり山で言葉が全く通じないということは危ないことだと痛感した。

  間もなく岩稜は急速に痩せて周囲が明るくなり、三方向からの尾根が合わさった顕著なピークに踊り出ると、ジェラー氏は無言で足を止めた。 紛れもなくそこはもうエギーユ・ド・ロシュフォールの山頂であった。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、メルスィー・ボクー!」。 憧れの頂に導いてくれた氏と力強く握手を交わして感謝の気持ちを伝える。 一人が立つのがやっとの狭い不安定な岩の頂ゆえか、十字架やプレートといった人工物は何も無かった。 時計を見るとam9:45であり、意外にも未明に山小屋を出発してから僅か4時間ほどの道のりであった。 高度感溢れる頂からの360度の展望は筆舌に尽くし難く、モン・ブラン山群の名だたる山々や氷河が隅々まで見渡せ、眼前に聳える姉妹峰のドーム・ド・ロシュフォール(4015m)の向こうには憧れのグランド・ジョラスの白い頂が大きく望まれた。 3年前にラック・ブランから仰ぎ見た同峰の北壁のストイックな姿とはまるで違う、重量感のあるどっしりとした山容であった。 もちろん一般ルートはこの稜線の先を辿る訳ではないが、今回も登頂が叶わなかった憧れの山に一歩近づけたような気がした。 「ブティフル!、ブティフル!。 ファンタスティ〜ック!、ファンタスティ〜ック!」と氏が感情豊かに連呼するので、私もつられて「ファンタスティ〜ック!」と思わず叫ぶ。 私達のすぐ後を次々と登ってきた二組のガイドレスのパーティーにも「コングラチュレーションズ!」と興奮しながら声をかけ、皆と握手を交わし合って登頂の喜びを分かち合う。 妻の顔も満足感に満ち溢れ、快晴無風の頂からの展望の新鮮さに、ただただ感激しているようであった。 南の方角には裾野を長く引いたグラン・パラディゾが遠望された。 今頃は西廣さん夫妻もちょうどその頂に立っているのではないだろうか。 良い天気に恵まれ、お二人も充分にアルプスの山を満喫されていることだろう。 辿ってきた芸術的な雪稜を上から見下ろす。ダン・デュ・ジェアンもだいぶ遠くなった。 明日登山予定のトゥール・ロンドは背後の雄大なモン・ブランとは比べものにならないほど小さな存在であった。 皆で記念写真を撮り合いアメリカ隊の到着を待つが、絶景の撮影を楽しまれているのか、なかなか山頂には姿を見せず、残念ながら山頂での記念写真を撮り合うことは出来なかった。 

  am10:00過ぎ、リクエストすればまだしばらく山頂に留まることも出来たが、ジェラー氏に促されて下山にかかる。 間もなくすれ違ったアメリカ隊のお二人は予想どおり満面の笑みで登攀を楽しまれていた。 途中、30mほどの長い懸垂下降をした時に、下からのコールがなかなか上に伝わらず苦労する場面もあったが、核心部の急な岩稜帯を下り終え、再び刺激的な雪稜をダン・デュ・ジェアンの基部を目指して意気揚々と漫歩する。 至福の時を過ごすとはまさにこのような状況のことを言うのであろうが、反面“自己満足のために大枚を叩いてこんな贅沢な遊びをしていて良いのだろうか・・・?”という妙な気持ちにさいなまれてしまった。 気温の上昇で霧が湧き始めたダン・デュ・ジェアンの基部でジェラー氏に何枚も記念写真を撮ってもらい、ミックスの岩場をジェアン氷河へと下る。

  ロシュフォール稜を無事下り終え、取り付きから氷河を10分ほど下った平らな所でジャケットを脱ぐ。 稜線上では暑さは全く感じなかったが、氷河上は強烈な照り返しでとても暑い。 さらに少しだけ下った後は、ゴールのトリノ小屋まで緩い登り返しが続く。 雪が腐って重たいが、急ぐ必要は全くないのでジェラー氏のペースは遅い。 pm1:30に山小屋に到着。 テラスで氏と再び固い握手を交わして、あらためて感謝の気持ちを伝える。 登攀具を解き、喫茶室で注文したサンドイッチを食べながら、相変わらずなかなか通じない英語でしばらく氏と歓談したが、結局氏はワインを一杯飲み終えると、昨日同様寝室に直行し、お昼寝をされていた。 体を労っているのか、習慣なのかは分からないが、なぜかそれがとても滑稽であった。 テラスに出て今日辿ったロシュフォール稜をしみじみと眺める。 昨日までは判然としなかったエギーユ・ド・ロシュフォールの地味な山頂が手に取るように良く分かった。 一方、断崖絶壁となっている山小屋の南(イタリア)側斜面では、融雪による落石の音が途絶えることはなかった。

  談話室で寛いでいるとアメリカ隊のお二人が現れたので、あらためて自己紹介をしながら歓談する。 クライアントの男性の名前はアンドリュー・レイソムさん(61歳)、ガイドの女性はキャシー・コーズリー氏(48歳)とのことであったが、お二人とも実際の年齢よりも若く見えた。 私達の英語はいつものとおり全くお粗末であったが、お二人とも根気よく耳を傾けて下さったので、私達が話したことは大体通じたようであった。 キャシー氏はガイド歴が23年というベテランであり、アンドリューさんとはアルプス以外にもヒマラヤのロブジェ・イースト(6119m)やチョ・オユーを始め、キリマンジャロ、その他数多くの名峰を一緒に登られているとのことであった。 一方のアンドリューさんはアルプスは今回で12回目で、若い頃には違うガイドとマッターホルンやツィナールロートホルン、その他数々の山を登られているとのことであった。 今シーズンはここに来られる前にモン・ブランをバリエーションルートから登ったり、プチ・ベルトの登攀を楽しまれていたとのことであり、お二人の山歴の凄さには脱帽であった。 意外にもキャシー氏はアンドリューさんにも負けないほど良いカメラを持っていた。 ただガイドをするだけでなく、素晴らしい風景とそれを背景にしたクライアントの登攀姿を写真に収める心配りが、プライベートガイドとして長年続いている理由の一つなのであろう。 帰国後に写真をメールで送り合うことを約して、お互いの住所やメールアドレスの交換をする。 本当に便利な時代になったものだ。 お二人とアルプスを始め世界の山々の話をしているとあっと言う間に時が経っていった。 今日は山も本当に素晴らしかったが、その印象も薄らぐほどお二人との偶然の再会とお喋りは楽しかった。

  キャシー氏は明日は曇天だと予想しいてたが、夜中にトイレに起きると空には沢山の星が見えていた。 遙か眼下のクールマイユールの町の明かりが夜空の星に負けずとても綺麗だった。


未明のエギーユ・デュ・ミディ


未明のモン・ブラン


モルゲンロートに染まるモン・ブラン


ロシュフォール稜の取り付きから見たモン・ブラン


ダン・デュ・ジェアンの頂稜部の巨大な岩塔


ダン・デュ・ジェアンの頂稜部の岩塔の基部から見たエギーユ・デュ・ミディ


アンドリュー・レイソムさん(右)とガイドのキャシー・コーズリー氏(左)


エギーユ・ド・ロシュフォール(右)とその支峰のモン・マレー(左)    グランド・ジョラス(中央奥)


“アルプスで最も優美な雪稜”と言われるロシュフォールのナイフエッジの雪稜に足を踏み出す


ロシュフォール稜を辿る私達のパーティー(キャシー氏の撮影)    左上がエギーユ・ド・ロシュフォールの山頂


ロシュフォール稜から見たエギーユ・ヴェルト


ロシュフォール稜から見たモン・ブラン


ロシュフォール稜から見た鬼の角のようなダン・デュ・ジェアンの頂稜部


ロシュフォール稜から見たシャモニ針峰群の無数の尖峰(左下がメール・ド・グラス)


ロシュフォール稜から見たエギーユ・ド・ロシュフォールの山頂


凍てついた雪壁の下降点でアメリカ隊のお二人と互いに写真を撮り合う(キャシー氏の撮影)


山頂手前の雪庇が発達した雪稜


山頂直下の岩場を登攀する私達のパーティー(キャシー氏の撮影)


エギーユ・ド・ロシュフォールの山頂


山頂から見たロシュフォール稜の核心部


山頂から見たグランド・ジョラス(右の雪の急斜面がボカラッテ小屋からの一般ルート)


山頂から見たモン・ブランと辿ってきたロシュフォール稜(右手前)


満面の笑みで登攀を楽しまれていたアメリカ隊のお二人


“アルプスで最も優美な雪稜”をダン・デュ・ジェアンの基部を目指して下る


刺激的なナイフエッジの雪稜を意気揚々と漫歩する


ロシュフォール稜から見たエギーユ・ヴェルト(左)・レ・ドロワット(中)・クルト(右)


強烈な照り返しで暑かったジェアン氷河に降り立つ


山小屋の談話室でアンドリューさん(右)、ガイドのキャシー氏(左)と歓談する


山小屋のテラスから見たダン・デュ・ジェアン(左)とエギーユ・ド・ロシュフォール(右)


同日のグラン・パラディゾ山頂での西廣さん夫妻


  【エギーユ・ド・トゥール】
  9月2日、am4:30起床。 今年のアルプス山行も今日で終わりだ。 昨夜はどうしたことか、興奮していてほとんど眠れなかった。 今日はシャモニを夕方に発ち、チューリッヒのホテルに泊まらなければならないので、ここから短時間で行けるトゥール・ロンド(3792m)を登る予定だ。 仏語で“丸い塔”を意味する同峰は、モン・ブラン三山(モン・ブラン、モン・モディ、モン・ブラン・デュ・タキュル)の前衛峰で、その山頂からはモン・ブラン三山が迫力ある姿で望まれるという人気のピークである。

  食堂に行くと今日も同じ山を登るキャシー氏とアンドリューさんの姿があった。 am5:30にアメリカ隊と健闘を誓い合って相次いで山小屋を出発する。 ヘッドランプの灯を頼りに、一昨日エギーユ・デュ・ミディから辿ってきたトレイルを戻るように緩く下る。 しばらくすると前を歩いていたアメリカ隊はなぜかトレイルを離れ、トゥール・ロンドとは正反対の右手の方角に向かって行った。 急遽予定を変更されたのか、それともどこかに朝焼けの写真でも撮りに行かれたのであろうか?。 下りの勾配が少し急になり、その分だけ帰路の登り返しがきつくなる(結果的にはここを往復することはなかった)。 山小屋から30分ほど下った後、ようやくトレイルを左手に外れ、まだ暗くて見えないトゥール・ロンドの方角に向かって緩やかに踏み跡を登り始めた。 間もなく東の空が白み始め、背後には天を突く槍の矛先のようなダン・デュ・ジェアンのシルエットがだんだんと浮かび上がってくる。 前方にようやくトゥール・ロンドのシルエットがうっすらと見えてくると、背後のダン・デュ・ジェアンやエギーユ・ヴェルトの上空が茜色に染まり始めたので、ジェラー氏を呼び止めて写真を撮らせてもらう。 昨日のモン・ブランの朝焼けに続き、今日もこの荘厳なアルプスの夜明けのシーンに立ち会うことが出来てとても嬉しかった。 まだ明けきらぬ空の下、朧げに見える幻想的なモン・ブラン・デュ・タキュルの東側の針峰群を右手に見上げながら、今日までの山行の余韻を味わうように傾斜の緩い斜面を取り付きのアントレーヴのコルに向けてゆっくりと登る。 間もなく正面に目標のトゥール・ロンドの頂稜部がはっきりと見え始めた。 振り返ると遠目にアメリカ隊がこちらに向かって歩いてくるのが見えてホッとした。 ペースは相変わらずゆっくりなので、歩きながら周囲の写真を撮り続ける。 今日も爽やかなアルプスの山の空気を肌で感じながら登ることが出来て幸せな気分だ。

  山小屋を出発してから1時間少々でトゥール・ロンドの南東稜に突き上げる急な岩場が見えてきた。 ガイドブックによれば、この岩場を登って直接南東稜のフレッシュ・フィールドのコルに至るルートは落石が多いため登りには適さず、専ら下山ルートとして使われ、一般ルートはここからもう少し氷河を左に詰めたアントレーヴのコルから南東稜に取り付くと記されていたが、岩場が間近に迫った所でジェラー氏は足を止め、「ご覧のとおりルートの状態が悪いので、残念ながら今日はトゥール・ロンドには登れません。 代わりにあの山を登ります」と一言だけ説明して、背後の尖った岩峰であるエギーユ・ド・アントレーヴ(3600m)を指した。 ここから見上げた南東稜への岩場は確かに脆そうでガレていたが、あくまでここは下山ルートであり、登りの一般ルートの取り付き点であるアントレーヴのコルに行かずに登頂を諦めるのは不思議であったが、もともと今日は半日行程の“おまけ”の登山なので、ルートを熟知した氏の提案に素直に従うことにした。 意外にも氏の説明では、これから登るエギーユ・ド・アントレーヴのみならず、帰りのゴンドラの駅であるエルブロンネまで稜線を縦走していくとのことであったが、短時間でそんなことが本当に出来るのであろうか?。 ナイフエッジの岩稜が続くエギーユ・ド・アントレーヴの登攀はトゥール・ロンドより200mほど標高が低いため体力的には楽そうだが、技術的には難しそうに見え、このマイナーな山が一般的な登山対象となっていることも意外であった。 am7:00ちょうどにエギーユ・ド・アントレーヴの取り付きに着いたところでご来光となった。 多少薄雲は広がっているが、今日も良い天気になりそうであった。 ヘルメットを被りアイゼンを外しながらしばらく休憩する。 アメリカ隊のお二人も先ほどの岩場の手前に到着したが、しばらくそこで立ち止まった後にこちらに向かって登ってきた。 もともと今シーズンは一般ルートである南東稜が使えなかったのか、それとも地元のガイドである氏の意向に従ったのであろうか?。

  岩が複雑に堆積しているナイフエッジの岩稜は正しいルートを行けば全く難しくはなく、所々で踏み跡さえ見られた。 間もなくアメリカ隊のお二人が足下の取り付き点に着いたので、手を振りながらお互いに写真を撮り合う。 憧れのエギーユ・ヴェルトを正面に見据えながらの高度感ある展望抜群のナイフエッジの岩稜の縦走は、昨日同様“贅沢な大人の遊び”であった。 トゥール・ロンドに登れなかったのは残念であるが、見える景色に大差はなく、今回の山行のフィナーレを飾るには申し分なかった。 エギーユ・デュ・ミディの頂稜部に朝陽が当たり始め、今日西廣さん夫妻が予定されている同峰のバリエーションルートであるコスミック山稜が遠望された。 そろそろフィリップ氏と西廣さん夫妻が朝一番のロープウェイに乗って上ってくる時間となった。 私達同様お二人もミディからの壮大な景色に言葉を失うことであろう。 後続のガイドレスのパーティーが先ほどの岩場の前に到着したが、立ち止まることもなくそのまま一般ルートの取り付き点であるアントレーヴのコルへと向かって行った。 登りながら彼らの動向をうかがっていたが、結局どのパーティーも南東稜に取り付くことなく引き返し、ジェラー氏の判断が正しかったことがあらためて分かった。 山頂まであと僅か数ピッチとなる核心部の急な岩場とのコルにさしかかった時、ジェラー氏は躊躇無くコルから右側の斜面を下り始め、山頂直下の基部をトラバースしながら反対側の尾根に向かった。 ここだけは難しいのでパスし、反対側の尾根から登るのであろうか?。 念のため氏にルートを確認したところ、あっさり「1対1なら可能ですが、今日は二人なので山頂には登りません」という答えが返ってきた。 やはりこの山は見た目どおりに難しい山であった。 反対側の尾根まで岩屑の上に印された踏み跡に従って下り気味にトラバースを続けていくと、核心部を登り始めたアメリカ隊の姿が見られ、少々羨ましかった。

  トラバースを終えて反対側の尾根に合流し、そのまま尾根をクライムダウンして再び氷河に降り立った。 “巻き道”を使ったため1時間少々でエギーユ・ド・アントレーヴの縦走を終えると、再びアイゼンを着け、次の目標であるエギーユ・ド・トゥール(3535m)に向けて、固く締まって歩き易い氷河を先ほど辿ったトレイルを目指して下る。 トレイルに合流してしばらく緩やかに下り、大きなクレバスを一つ跨いだ後に再びトレイルを外れ、エギーユ・ド・トゥールへの登りにかかる。 ここから山頂までの標高差は僅か200m足らずであろうが、眼前には45度位の急な雪壁が立ちはだかり、本当にここを短時間で登れるのだろうかと思った。 雪壁に近づいて行くと、運が良いことに理想的な“つぼ足の階段”があった。 この時間帯では雪が固くて足を深く蹴り込めないので、昨日の午後あたりに誰かがここを登ったのであろう。 ピッケルのブレードを刺しながら、リズミカルにコンテニュアスで登る。先ほどの岩稜の登攀よりも緊張感のある刺激的な登りだ。 このつぼ足の階段がなければ、登攀は困難でまた時間も大幅にかかったことであろう。

  20分ほど緊張感のある雪壁を登り続けるとようやく傾斜も緩み、山頂直下の岩場にさしかかった所でアイゼンを外し、間もなく大きな岩が堆積しているエギーユ・ド・トゥールの山頂に着いた。 もちろんマイナーな山ゆえ、周囲には私達以外の人影は全くない。 アメリカ隊も登ってくることはないだろう。 この山は周囲の針峰群と比べたらまるで丘のような存在であるが、昨日登ったロシュフォール稜や眼前のトゥール・ロンド、そしてその背後に悠然と聳えるモン・ブラン三山の眺めは格別であった。 的確な判断で登山を中止することなく臨機応変な対応で私達を楽しませてくれたジェラー氏に敬意を表し、妻と代わる代わるお礼を述べて固い握手を交わす。 溢れんばかりの達成感や充実感といったものは残念ながら湧いてこないが、二週間のアルプス山行の余韻を味わうには充分過ぎる登山であった。

  風も全く無く居心地の良い頂であったが、氏に記念写真を撮ってもらい早々に下山する。 縦走なので先ほどの雪壁は下らず、反対側の岩場をフランボーのコルに向けて下る。 氷河への取り付きの手前のガレ場の下降中に、握り拳ほどの石が音もなく転がり落ちてきて右手の甲に当たり、飛び上がるほど痛かったが、幸い打撲だけで済んだようで安堵した。 ゴールのエルブロンネの駅までの間にもう一つのピーク(グラン・フランボー)があったが、時間の関係でこれには登らず、その基部を左から巻きながら氷河を緩やかに登り返す。 

  am10:30にエルブロンネの駅に到着。 立ち入り禁止の柵をくぐり、イタリア側からの観光客で賑わっている展望台に上がる直前でザイルが解かれた。 一刻も早く帰りたいであろうジェラー氏をゴンドラの駅舎に待たせ、しばらくの間展望台からの景色を楽しむ。 国境を越えてエギーユ・デュ・ミディとの間を結んでいる3両編成のゴンドラは1台が4人乗りの小さなものであった。 観光パンフレットによれば、エルブロンネからエギーユ・デュ・ミディとの間は5kmであるが、展望をより楽しめるようにと、途中5ヵ所で数分間停車するため30分を要するとのことであった。 ヴァレー・ブランシュは歩いても良いし、ゴンドラに乗って上から眺めるのもまた良しで、今回のように往きが歩き、帰りがゴンドラというのが一番理想的なように思えた。 上から眺めたヴァレー・ブランシュはクレバスだらけであったが、クレバスが雪で埋まる冬のスキーシーズンに是非スキーで滑ってみたいと思った。 アイガーやメンヒの山腹の固い岩盤を掘削して作られたユングフラウヨッホの登山鉄道の発想も凄いが、広大な氷河の上に支柱もないゴンドラを架けるという発想も凄い。 ミディの展望台が近づいてくると、展望台の真下の赤茶けた岩の垂壁に命知らずのクライマー達が何人もへばりついている姿が見えた。 観光客にとってエギーユ・デュ・ミディは展望台であるが、クライマー達にとってそれはあくまでも山(壁)なのである。

  am11:30過ぎにミディの展望台の真下の駅に到着。 ジェラー氏から神田さんに携帯電話で下山の連絡を入れてもらう。 氏にあらためて延べ3日間の山行のお礼を述べ、30ユーロのチップを手渡す。意外にも氏の口から「ありがとう!」という日本語が返ってきたので驚いた。 恐らく、氏が喋れる唯一の日本語であろう。 再会を誓って氏と別れ、観光客に紛れて展望台へ上がる。 今日も天気が良いため展望台は多くの観光客で賑わっており、アルペンホルンの生演奏もやっていた。 穏やかなモン・ブランのボス山稜がすっきりと望まれ、先ほどエルブロンネの展望台から眺めた同峰の荒々しいブレンヴァ・フェースとは全く趣を異にしていた。 標高差で2700mほどあるシャモニの町が遙か眼下に見渡せ、山としては難攻不落のエギーユ・デュ・ミディであるが、ここに展望台を作ろうと考えた人々の気持ちが良く分かるような気がした。

  しばらく北側の展望テラスからの眺めを楽しんだ後、コスミック山稜の登攀ルートのゴール地点となる南側の展望テラスに行き、西廣さん夫妻のパーティーの到着を待つ。 間もなくミックスとなっている大きな岩塔の下に3人の姿が見えた。 フィリップ氏に導かれて現れたお二人は、胸のすくような登攀とモン・ブランを背景にした最高のロケーションを満喫されているようだった。 最後は鉄梯子で展望テラスに這い上がってきた3人を写真を撮りながら出迎え、登攀の終了を祝して皆で握手を交わし合った。 氏に最後の記念写真を撮ってもらい、憧れのエギーユ・ヴェルトとグランド・ジョラスに別れを告げ、神田さんが待つシャモニへとロープウェイで下った。

  pm2:00前にシャモニの町に到着したが、町は夏の陽射しに溢れ、9月に入ったとは思えないような暑さであった。 ホテルのロビーで私達の到着を首を長くして待っていた神田さんに3日間の土産話をしながら一同で祝杯を上げた。 フィリップ氏は相変わらずジョークを連発したりおどけたりで、場の雰囲気を盛り上げていた。 来年は氏と西廣さん夫妻が1対2でマッターホルンを登る計画も飛び出し、いつまでもお喋りを楽しみたい雰囲気であったが、帰りの支度をしてpm4:40発の登山電車に乗らなければならないので、神田さんにホテル、ガイド、交通費の精算をしていただき、慌ただしい幕切れとなった。 フィリップ氏と再会を誓って固い握手を交わし、多忙なスケジュールを割いて今回も色々と面倒を見ていただいた神田さんに一同お礼を述べ、相応のチップを手渡した。


未明のトゥール・ロンド


未明のエギーユ・ヴェルト


ダン・デュ・ジェアンとアメリカ隊


トゥール・ロンドへの取り付きとアメリカ隊


トゥール・ロンドを諦め、背後の尖った岩峰のエギーユ・ド・アントレーヴの取り付きに向かう


エギーユ・ド・アントレーヴの取り付きに着いたアメリカ隊と互いに写真を撮り合う


岩が複雑に堆積しているナイフエッジの岩稜は正しいルートを行けば難しくない


エギーユ・ヴェルトを正面に見据えながらの高度感ある展望抜群の岩稜の縦走は“贅沢な大人の遊び”だ


エギーユ・ド・アントレーヴの稜上から見たトゥール・ロンド


山頂への核心部を登るアメリカ隊


山頂への核心部を登るアンドリューさん(キャシー氏の撮影)


エギーユ・ド・アントレーヴを下り、氷河に降り立った所から見たエギーユ・ド・トゥール(手前)


エギーユ・ド・トゥールの取り付きへ下る


エギーユ・ド・トゥールへ登る


エギーユ・ド・トゥールへの登りから見たエギーユ・ド・アントレーヴ


エギーユ・ド・トゥールの山頂


山頂から見たヴァレー・ブランシュ


エギーユ・ド・トゥールから下り、グラン・フランボーの基部を左から巻きながら氷河を緩やかに登り返す


ジェアン氷河から見たダン・デュ・ジェアン(中央左)とエギーユ・ド・ロシュフォール(中央右)


ジェアン氷河から見たエギーユ・ヴェルトとドリュ(左の岩塔)


エルブロンネのゴンドラの駅舎でジェラー氏と


ゴンドラの車窓から見たエギーユ・ド・トゥール(左)とトゥール・ロンド(右)


ゴンドラの車窓から見たエギーユ・デュ・プラン


ゴンドラの車窓から見たエギーユ・デュ・ミディの南壁を登るクライマー


コスミック山稜を登攀中の西廣さん夫妻のパーティー


コスミック山稜の登攀を終えた西廣さん夫妻    背景はモン・ブラン


ホテルのロビーで神田さんに3日間の土産話をしながら一同で祝杯を上げた


  部屋に戻ってシャワーを浴び、散乱している荷物をトランクに詰め込んで、急いでチェックアウトを済ませる。 土産物で膨れ上がった荷物を背負いながら、相変わらず照り返しのきつい道路を日陰を拾ってシャモニ・モン・ブランの駅へと向かい、無事予定していた登山電車に乗ることが出来た。 シャモニの町と山々に再訪を誓い、スイスとの国境の峠に向かう車中でお互いの山行の土産話に花を咲かせる。 お二人とも出発前に比べてアルプス熱は確実に高まったようであった。 私も目標の山こそ登れなかったが、お二人の弾んだ声と日焼けした笑顔を見ていると、何か一つ仕事をやり終えたような満足感が湧いてきた。 

  今回は“アルプス合同山行”と称して友人の西廣さん夫妻と共に意気揚々と日本を出発したが、ツェルマット滞在時の未曾有の大雪のため、私にとってリベンジの山であったヴァイスホルンやグランド・ジョラスには今年もアタックすることが出来ず、また西廣さん夫妻も目標であったマッターホルンにアタックすることが出来なかったが、常に前向きな西廣さん夫妻に支えられ、想い出のヘルンリヒュッテを再訪したり、新雪のハイキングトレイルをラッセルして遊んだり、マッターホルンを登りにこられたMさんを含めた5人でブライトホルンを登ったり、昨年お世話になったガイドのイワン氏と再びヴァイスミースを登ったり、トリノ小屋では昨年マルコ・エ・ローザ小屋でお会いしたアンドリューさんとガイドのキャシー氏とのパーティーとの偶然の再会があったりと、いつものように記録には残らないが、とても記憶に残る山行となった。 そしてこれらの素晴らしい想い出の数々は、ツェルマットでお世話になったアクティブマウンテン社の田村さんと茂木さん、そしてシャモニでお世話になった神田さんらの心強いサポートがあってこそ生まれたものであり、現地のエージェントの皆さんには本当に感謝の気持ちで一杯であった。

  帰国後にガイドのキャシー氏からはトリノ小屋での想い出を綴ったメールが届き、またアンドリューさんからは、今回の分だけではなく、昨年のピッツ・ベルニーナ、ピッツ・パリュと合わせて2枚の素晴らしい写真入りのCDと手紙が送られてきた。 文面の最後には「来年もアルプスに行く予定なので、もし私達がアルプスに行かれる時は日程と行き先を是非教えて下さい」という一言が添えられていた。 未だに叶わぬ憧れの山々の頂に、いつの日か辿り着くことを夢見て、私のアルプスへの旅はまだ始まったばかりである。


山 日 記    ・    T O P