カストール(4228m)

   9月4日、am5:30起床。 ベランダに出てみると真上には月が煌々と輝き、マッターホルンが月明かりでうっすらと見えた。 とりあえず晴れていることにホッとする。 部屋で朝食を食べてからam6:30にホテルを出発。 まだ薄暗いフィスパ川沿いの道をホテルから15分ほど離れた町外れのゴンドラの駅へ向かうと、朝焼けのマッターホルンの写真を撮ろうとする日本人の団体客が橋の上に大勢見られた。

   ゴンドラの駅に着くと、登山客はせいぜい4〜5人しかおらず、スキーヤーが20名ほど始発のゴンドラを待っていたが、まだ私達のガイド氏は来ていないようだった。 間もなく約束のam6:50になると、意外にもアルパインセンターのオルウェルさんが現れた。 どうやら土曜日で私達以外の登山客も多いので、混乱を避けるためにガイドと客をスムースに引き合わせるためにやって来たようだった。 ガイドとして小柄な若い方が「ボンジュール!」と声を掛けてきた。 どうやらこの方が今日の私達のガイド氏らしかった。 早速自己紹介をして握手を交わすと、氏の名前はサムということだった。 「フランス人ですか?」と訊ねると、フランスとの国境近くで住んでいるが、スイス人とのことだった。 サム氏と雑談を交わしていると、何と先日お世話になったイワン氏と昨日アルパインセンターでお会いしたウィリー氏が一緒にやって来た。 思わぬ再会に驚いたが、話を伺うとお二人とも今日はカストールのガイドをするとのことだった。 サム氏は昨日ゴンドラの中にサングラスを忘れてしまったらしく、慌ただしく出札口の係員達に聞き回っていた。

   いつの間にか出札口には100人近くの人(うちスキーヤーが8割位)が集まり、その中に二人の日本人の登山者の姿があった。 情報交換にとザイルを持っている方に挨拶すると、ツェルマットでガイドの仕事をされているという川島さんという方で、傍らにいた方はお客さんのようだった(後でこれは私の勘違いであることが分かった)。 結局サム氏のサングラスは見つからず、氏も不安そうで少々ナーバスになっていた。 ゴンドラの中で再び氏と雑談を交わすと、氏は34歳ということだったが、ガイド歴は意外と長く、11年ということだった。 住まいがフランスとの国境に近いので、ツェルマットとシャモニの両方でガイドをされているという。 日本人は過去に何度かガイドをしたことはあるが、日本語は難しくて全く駄目だという。 私達もフランス語は難しくて全く駄目だと言って、笑いながらお互いに慰め合った。 氏はガイド特有の風貌が全く感じられない優しそうな感じの好青年で、まるで友達のような印象すら受けた。 来年私がグランド・ジョラスを登りにシャモニに行く計画があることを話すと、すぐに「是非一緒に行きましょう!」と、まだ今日の山(カストール)も登っていないうちから話が弾んだ。 フーリーでゴンドラからロープウェイに乗り換え、さらにトロッケナー・シュテークで大型のロープウェイに乗り換える。 始発のロープウェイはサマースキーのゲレンデに急ぐスキーヤーで混雑していたため、イワン氏のパーティーも乗れなかったようだ。 ロープウェイを待つ間に、運良く他人の忘れたサングラスを借りることが出来たサム氏は「ニューサングラス!」と言って陽気にはしゃいでいた。 昨日から登山解禁となったマッターホルンの黒々とした南面の岩肌が大きく車窓から望まれ、間もなく登山口のクラインマッターホルン駅(3820m)に着いた。

   駅舎の寒々しいトンネルを大雪原への出口に向かい、am8:10にアルパインセンターのガイドパーティーの中では最後尾でトンネルの出口を出発した。 雪のコンディションが良いとのことで、アイゼンは着けずにアンザイレンして歩き始める。 サム氏によると、山頂までは通常4時間ほどかかるとのことだった。 天気は予想以上に良くなり、雲一つ無い快晴となったが、風が少しあるためジャケットを着ていてちょうど良いくらいだ。 逆に風のお陰で雪は固く締まっていてとても歩き易い。 ブライトホルン(4164m)との分岐までは同峰に登る大勢の登山者によって踏まれた明瞭なトレイルを歩く。 大雪原の向こうにはリスカムの東峰(4527m)と西峰、ポリュックス(4092m)、そして目指すカストール(4228m)が重なるように望まれたが、その頂はどれも遙かに遠く、果して今日中に山頂を踏んで往復することが出来るのかと少しだけ心配になった。 太陽のある東の方角に進んでいくため陽射しがとても眩しい。 先ほどサングラスを借りることが出来て小躍りしていたサム氏の気持ちがあらためて良く分かった。 間もなく左手の奥にはお馴染みのダン・ブランシュ、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンのカルテットが顔を揃え、私達を見送ってくれた。 ガイドブックによれば、カストールの頂へは核心部のツヴィリングスヨッホ(双子峰と言われる隣接峰のポリュックスとの鞍部)付近から始まる本格的な登高までは登攀的な要素は全く無く、氷河上を緩やかに登下降するだけのようだった。 但し、歩行距離が長いため(往復で約15km)、風が強かったり霧が発生したりすると、他の山と同様に急に困難になるとも記されていた。 また登山口から山頂までの単純標高差は400mほどしか無いが、往復の累積標高差は700mとなっているため、帰路での登り返しを覚悟しなければならない。 この帰路での登り返しこそが、この山の最大の難所であることを後で思い知った。

   20分ほどでブライトホルンに向かうトレイルを左に分けたが、今日はまだ誰もブライトホルンに登っていないようだった。 ここから先は私達にとって未知のトレイルだが、すでに高度にも充分順応しているため緊張感は殆ど無い。 このままの天気が続けば今日も楽しいアルプスの一日になるに違いない。 間もなく前を行くイワン氏のパーティーに追いついた。 どうやら6人の団体のパーティーをイワン氏とウィリー氏で分担してガイドしているようだった。 68歳のウィリー氏から見れば、30歳のイワン氏はまるで自分の子供のような存在だろう。 イワン氏とジョークを交わし合いながらゆっくりと追い越す。 幅が2.5kmもあると言われるブライトホルンの長い稜線を左手に仰ぎ見ながらトレイルは緩やかな下りとなり、ますます快適な氷河トレッキングとなったが、下っている分だけこれから稼ぐ標高も増え、帰路の登り返しがあるので気が重くなる。 ブライトホルンは独語で“幅の広い山”という意味だが、一般的に登山対象となっている最高点(西峰)の丸い頂以外の稜線と中央峰を始めとする各ピークの縦走は、ヴァリエーションルートとして人気がある。

   1時間ほど歩いた所で前を行くパーティーに追いついたので、サム氏を呼び止めて休憩を取らせてもらう。 まだ背後のブライトホルンの長い稜線をやり過ごしてはいないが、目指すカストールはぐっと身近になり、次第にその秘めた全容を披露し始めた。 振り返ると、おびただしい山並みの奥に優美な裾野を引く大きな白い独立峰が見えた。 グラン・パラディーゾ(4061m)だ。 トレイルはここからまた一段と下り、標高はどんどん下がっていく。 先ほどの日本人のパーティーを含め、前を行くパーティーが3組ほど見え、これから辿るルートが手に取るように良く分かる。 頭上の岩壁にへばりつくように建っている小さな避難小屋を過ぎると、ようやくブライトホルンの長大な稜線は肩を落とし、代わってポリュックスの頂稜部が左上に望まれるようになった。 ツヴィリングスヨッホに向かう明瞭なトレイルも遠目に見えた。 先行していた4人のグループ登山のガイドパーティーを追い越す。 クライアントのうちの一人はGパン姿の少女だったが、後にこの少女と一緒にカストールの頂を踏むことになるとは思わなかった。 クラインマッターホルンを出発した時には遙か遠くに見えていたカストールも、ようやく眼前に大きく望まれるようになった。 さすがに4000m峰だけあって、近くから見上げるととても重厚な面持ちだ。 ツヴィリングスヨッホに登る手前で休憩となり、トレイルを少し外してアイゼンを着け、ようやく始まる登山に備えて行動食を充分に補給した。 その傍らを先ほど追い越した4人のグループ登山のガイドパーティーが通過していった。

   am9:30、ツヴィリングスヨッホに向けて再び登り始める。 意外にも先行するパーティーは皆ヨッホ(鞍部)まで登らず、トレイルに従ってその少し手前から大きく右に折れ、山頂に向けて西側斜面を大きくジグザグを切って登って行った。 10分ほどでヨッホの直下に着くと、稜線の向こう側にドムが見えた。 ヨッホを境にルート上には陽が当たらなくなり、足元の雪面は固くクラストし、先ほどまでとは全く違う状況となった。 4人のグループ登山のガイドパーティーを再び追い越すと、トレイルは次第に痩せ、勾配も急になってきた。 今まで楽をしてきたのでとたんに息が切れる。 しばらく登ると一昨日降った新雪がうっすらとトレイルに積もり、さらに登りにくくなった。 突然下の方から叫び声がしたため、サム氏は足を止めた。 声の主は30mほど下にいる4人のグループ登山のガイド氏だった。 ガイド氏はしばらくの間何やら大声でサム氏に話しかけていた。 サム氏からの説明では、パーティーのうちの一人の体調が悪くなり、ガイド氏と一緒にここから引き返すが、逆に元気な一人を私達のパーティーに入れさせて欲しいという依頼があったという。 私は即座に体調を悪くしたのは、あのGパン姿の少女に違いないと思った。 登頂には全く支障がないとサム氏が判断したことなので快く了承することにした。 図らずも大休止となり、寒々しいトレイル上で下から登ってくる方を待つこととなった。 サム氏からの返答を受けてすぐに下から早足で登ってきたのは、何とGパン姿の少女だった。 「ボンジュール」と小さな声ではにかみながら挨拶してきた少女に、「ようこそいらっしゃいました!」と握手をして暖かく迎え入れた。 サム氏もおどけながら「インターナショナル・パーティー!」と付け加えた。 少女の名前はマヌエラちゃん、後で聞いた話では、ツェルマットの住人でまだ17歳の高校生だった。

   マヌエラちゃんを2番手にして、インターナショナル・パーティーは再び山頂を目指した。 間もなく眼前の双子峰のポリュックスの山頂に人がいるのが見えた。 同峰とカストールの標高差は約130mなので、特にこれから困難な所がなければ、あと1時間はかからないだろう。 彼女の参加でパーティーは4人となったが、逆にペースは少し上がったような感じがした。 彼女が私達に迷惑をかけてはいけないと頑張っているためだろうか?。 たまらず妻が「モア・スローリー!」とサム氏に声を掛け、ペースは元に戻った。 日陰となっている急な西側斜面を登り終えると、陽当たりの良い緩やかな斜面となり、右手に山頂らしき所が見えた。 今日は絶好の天気に恵まれ何の苦労もなくここまで登ってきたので、いつもより山頂での感動は少ないだろうが、アルプスで20番目となる新たな頂を踏める喜びに次第に胸が高鳴ってくる。

   しばらく山頂を見上げながら登っていると、先行していた日本人のパーティーが、非常にゆっくりとした足取りで稜線を下ってきた。 確保用の鉄のポールが立てられていた山頂直下の凍った急斜面を慎重に登って稜線上の鞍部に踊り出ると、意外にもそこから山頂までは50mほどの絵に描いたような美しいナイフエッジの雪稜となっていた。 稜線上の鞍部で日本人のパーティーと再会し、私がお客さんだと思っていた人に祝福の言葉を掛けると、『アクティブマウンテン/ガイド・峯岸』という名刺をいただき、「よろしければ後で事務所に遊びに来て下さい」と言われた。 山頂目前だったがサム氏に断りを入れ、狭い鞍部であらためて話を伺うと、お二人ともツェルマットに事務所がある『アクティブマウンテン』という旅行会社のスタッフで、今日は休暇を利用して登山を楽しまれていたとのことだった。 下山後の再会を約し、憧れの頂への最後の登りにかかる。 幅が70〜80cmほどしかない正に芸術的なナイフエッジの雪稜は、今までの単調な登りにアクセントをつけてくれたばかりでなく、山頂への素晴らしいフィナーレを演出してくれた。

   am11:05、クラインマッターホルン駅を出発してから僅か3時間足らずで憧れのカストールの山頂に辿り着いた。 サム氏、妻、そしてマヌエラちゃんと順番に握手を交わし、インターナショナル・パーティーの登頂をお互いに祝福し合った。 爽やかなアルプスの青空の下、眼前にはリスカムの東峰と西峰が大きく鎮座し、あの大きなモンテ・ローザの山塊をも隠していた。 振り返るとマッターホルンは遙か遠くになっていた。 頂上にいた一組のパーティーは私達と入れ替わりに下山していったので、図らずも4人だけの頂となった。 彼女は若者らしく携帯電話で写真を撮り、南側の僅かに雪の禿げた所で小さな石を記念に拾い、逆に妻は昨年・今年と相次いで亡くなられた山の先輩の坪山さんと大田さんの供養にと、下から持ってきた石を捧げていた。 私はいつものように仁王立ちして一人悦に入り、周囲の山々の写真を撮りまくった。 快晴無風の頂からの展望は申し分無く、ツェルマット周辺の山々のみならず、モン・ブラン、グランド・ジョラス、グラン・コンバン等のアルプス西部の山々やビーチホルン、ユングフラウ等も遠望され、今日辿ってきたクラインマッターホルンからの長いトレイルが、まるで楊枝でなぞったように大雪原に印されているのが面白かった。 ブライトホルンもいつも見慣れた山容とは全く違う姿で望まれとても新鮮だ。 マヌエラちゃんと写真を撮り合って雑談を交わすと、彼女は昨年ブライトホルンにも登った経験があるとのことで、今日はお父さんや叔父さんと一緒だったが、お父さんが途中で高山病になってしまったとのことだった。


ガイドのサム氏


クラインマッターホルンからブライトホルンとの分岐へ


大雪原から見たカストール(中央)


ポリュックス(左)との鞍部付近までは氷河上を緩やかに登下降する


   ツヴィリングスヨッホ(カストールとポリュックスとの鞍部)付近から見たドム


カストールの西斜面のスロープを大きくジグザグを切って登る


カストールの西斜面から見たポリュックス


山頂直下の絵に描いたような美しいナイフエッジの雪稜


山頂直下の稜線上の鞍部


アクティブマウンテン社の峯岸さん(右)と川島さん(左)


稜線上の鞍部から見たリスカムの西峰と東峰


カストールの山頂


山頂から見たポリュックス(右手前)とブライトホルンの3つのピーク


   山頂から見たオーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルン・ヴァイスホルン(左から)


   しばらくするとイワン氏達のパーティーが相次いで到着し、狭い山頂は一気に賑やかになった。 イワン氏とも握手を交わし、「次回は駅前のマクドナルドで会いましょう!」と、一週間前と全く同じ言葉で再会を誓い、am11:30に今シーズン最後の頂を後にした。 私が先頭になり、痛快なナイフリッジを下り始める。 ツヴィリングスヨッホへの下りは雪が腐って歩きにくいと思われたが、運良く午前中はずっとトレイルが日陰だったので、雪は締まったままで下り易かった。 あっと言う間にヨッホまで下り、先ほどアイゼンを着けた辺りでサム氏と先頭を交代した。 後は今シーズンの山行の想い出に浸りながら、氷河トレッキングを楽しむだけだ。

   再びトレイルに陽が当たってきたので、一同ジャケットを脱ぎ、緩やかな登り斜面を黙々と進む。 往きは風も適当にあり、雪の締まった快適なトレイルを歩いてきたが、帰りは気温の上昇で日向の雪は腐り、すぐにダンゴがついてしまうアイゼンを着けた足が鉛のように重い。 傾斜はきつくないが、だらだらとした登り返しは、すでに目標を失った身には堪える。 正午を過ぎると、真昼の強烈な陽射しによる照り返しも想像以上だった。 果てしなく続くロングトレイルは先が見えるだけに嫌になる。 お気楽な氷河トレッキングは一変して雪中行軍と化した。 30分も歩くと喉はカラカラに渇き、サム氏を呼び止めて水分を補給するが、休むのも嫌になるほど照り返しがきつかった。 テルモスの熱い紅茶は用を足さず、雪を拾って口に含むようになった。 風も全く無くなった氷河はまるで砂漠のように思え、ゴールのクラインマッターホルンが見えてきた時は正直ホッとした。 この山の最大の難所は、天気の良い日の帰路にあることを思い知った。 前を歩くマヌエラちゃんが突然手を振った。 きっと家族の姿が見えたのだろう。

   pm2:10、マヌエラちゃんのお父さんに迎えられ、クラインマッターホルンに到着。 お父さんとも握手を交わす。 お父さんがサム氏を食事に誘っていたので、氏に感謝の気持ちを込めて30フランのチップを手渡し、トンネルの入口でインターナショナル・パーティーは解散した。 登攀具を外し、観光客に紛れてトンネルの入口付近にあった『氷の洞窟』(無料)を見学してから、駅の真上にある展望台に上がって最後の展望を楽しんだ。


山頂に到着したイワン氏のパーティー


山頂から鞍部に向けてナイフエッジの雪稜を下る


カストールの西斜面を振り返る


強烈な陽射しによる照り返しで雪中行軍となった帰路の氷河歩き


山 日 記    ・    T O P