ツィナールロートホルン(4221m)

   8月30日、am6:30起床。 カーテンを開くと朝焼けのマッターホルンが見えた。 昨夜は雪にはならなかったようで、山肌の雪はだいぶ溶けて黒い地肌が少し見えた。 am7:00の天気予報では、今日は晴れ時々曇りで午後はにわか雨、明日も同じで明後日は快晴となっていた。 それ以降はまた晴れ時々曇りで午後はにわか雨という変わりやすい天気が続くようで、明後日が好天のピークのような状況だった。 滞在日はあと6日で、登りたい山はあと3つ。 2日間快晴の天気は続きそうにない。 久々の朝食のバイキングも上の空で、登る山の選択に悩む。 第一志望のヴァイスホルンはツェルマットからの移動に時間が掛かり、オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルンは第二志望ながら同じ山小屋に連泊して3日間で両方登れるメリットがある。 決断がつかないまま時間だけが経過し、am8:30にとりあえずアルパインセンターへ向かう。 生憎オルウェルさんは不在だった。 インターネットの山の天気予報でも明後日だけは快晴となっていた。 さんざん悩んだあげく、やはり第一志望のヴァイスホルンにしようと決め、クリスティーヌさんにガイドの手配を申し出たところ、意外にも彼女から「ヴァイスホルンヒュッテはルートのコンディションが悪く宿泊客が激減したため、昨日で今シーズンの営業を終え、管理人が山から下りてしまいました」という説明があり、今まで悩んでいたことは徒労に終わった。 尚、小屋は開いているので自炊なら宿泊は可能とのことだったが、ただでさえ厳しい登山であるのに加え、そのような状況では勝算はないので今回は潔く諦め、オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルンのガイド(明日・明後日)の手配を申し込んだ。 ガイド料はオーバーガーベルホルンが816フラン(邦貨で約73,500円)、ツィナールロートホルンが731フラン(邦貨で約65,800円)だった。

   ホテルに戻り、am10:00に相棒の妻と共に今日の目的地のB.Cのロートホルンヒュッテに向けて出発する。 メインストリートの途中のレストランの脇から狭い路地に入り、しばらく石畳の急な坂道を登る。 レストランの2階に取り付けられていた小さな指導標には『エーデルワイス45分・トリフト2時間・ロートホルンヒュッテ4時間30分』と記されていた。 標高3178mの所にあるロートホルンヒュッテまでは約1500mの標高差があるので、明日からのアタックに備えて時間を気にせずに登ることにする。 ロートホルンヒュッテまでのハイキングトレイルには、途中にエーデルワイスヒュッテというレストラン(1961m)とトリフトヒュッテ(2337m)という山岳ホテルがあり、体力や目的に応じて日帰りや泊まりのハイキングを楽しむことが出来るが、8月の終わりの平日のためか人影は少ない。 10分ほどで舗装は切れ、照り返しのきつい小さな牧草地を過ぎるとトレイルは涼しい樹林帯へと入り、崖の上に建つエーデルワイスヒュッテまではジグザグの急登となった。

   am11:00、コースタイムぴったりに45分でエーデルワイスヒュッテに着いた。 その名のとおり、(栽培された)ひょろ長いエーデルワイスが花壇に咲いていた。 すでにツェルマットの町は眼下に収まり、レストランのテラスからはドムとテッシュホルンが肩を並べて高さを競い合っている様子が望まれ、ブライトホルン(4164m)がとても大きく見える。 何も注文しないでテラスで寛ぐのも申し訳ないので、写真を撮って早々に先へと進む。 再び樹林帯に入り緩やかに登っていくと、谷を挟んで右手の崖に氷河から流れ出す水が滝となって落ちてくる所に出た。 滝を見ながらザレた岩場の急なトレイルを登り、橋を渡って谷の左岸に取り付く。 この辺りから森林限界となり、登ってきたトレイルを振り返ると、豆粒ほどに見えるゴルグラートの山岳ホテルの背後にモンテ・ローザ(4634m)とリスカム(4527m)の白い頂が見えた。 谷の左岸につけられた勾配の緩いハイキングトレイルを谷を遡るようにひたすら歩く。 上空は青空だが、谷の奥に見えるはずのオーバーガーベルホルン(4063m)は霧に包まれて望むことは出来ない。 トレイルの脇に咲く地味ながらも種類の多い高山植物を愛でながら黙々と歩を進めていくと、次第に霧は薄れオーバーガーベルホルンの頂稜部が不意に顔を覗かせた。 憧れの山との3年ぶりの対面に、始めて同峰を見た時のような新鮮な感動を覚えた。 慌てて写真を撮るが、有り難いことに徐々に霧は上がり、しばらく登ると今度は谷の右岸の奥にウンターガーベルホルン(3391m)の尖峰も見えてきた。 オーバーガーベルホルンの前山にしておくには惜しいほどの迫力がある山だ。 谷をさらに詰めると視界が開け、オーバーガーベルホルンの支峰のヴェレンクッペ(3903m)も望まれるようになった。

   間もなくトレイルの先にスイスの赤い国旗が見え、pm0:10にトリフトヒュッテに着いた。 ヒュッテの先は小広い草(湿)原のようになっていて、まるで山上のオアシスのようだった。 アザミやクロッカスの花々が群落をなし、すでに秋の始まりなのだろうか虫(コオロギ?)の音がうるさいほど響いている。 ヒュッテの傍らには荒々しいウンターガーベルホルンが聳え立ち偉容を誇っているが、オーバーガーベルホルンはさらにその奥に一段と高く望まれ、そのあまりの神々しさに“あの頂を踏むことなど本当に出来るのだろうか?”と不安が募る。 逆にもしそれが叶ったとしたら、どんなに素晴らしいことだろうと思った。 生憎ツィナールロートホルン(4221m)の頂稜部は奥まっていて見えないが、素晴らしいロケーションを誇るヒュッテの周りの草原でランチタイムとする。 座るのにちょうど良い岩が点在する草原は、昼寝でもしていきたいような心地良さだったが、夕方にはまたにわか雨が降るかもしれないので、30分ほど休憩しただけでトリフトを後にした。


ホテルのベランダから見た朝焼けのマッターホルン


エーデルワイスヒュッテ


ヒュッテのテラスから見たドム(中央左)とテッシュホルン(中央右)


ヒュッテのテラスから見たツェルマットの町


トリフトヒュッテへのトレイルから見たオーバーガーベルホルン


トリフトヒュッテ


   温暖化で後退しているガーベルホルン氷河の舌端を回り込むようにしてつけられた明瞭なハイキングトレイルをジグザグにひと登りすると、すぐにメッテルホルン(3406m)への分岐があった。 立派な指導標には『ロートホルンヒュッテ2時間30分・メッテルホルン2時間45分』と記されていた。 メッテルホルンは4年前に初めてスイスの地を訪れた時に知り合った田村さんから教えてもらったお勧めのツェルマットの裏山で、明日は妻が一人で登ってみるという。 日本でも単独行などしたことがない妻にとって、私以上に大冒険となるに違いない。 分岐を右に分けてしばらく登ると、今日の目的地のロートホルンヒュッテが遙か遠くの岩棚の上に米粒ほどの大きさで見えてきた。 まだまだ先は長そうだ。 気持ちを新たにして登り続けると、間もなくまた平らな湿原のような所に出た。 湿原には氷河から流れ出す小沢が何本にも枝分かれしてトレイルを横切っているため、何度か飛び石伝いに浅い沢を渡り、痩せ尾根のような顕著なモレーンの背につけられたトレイルに取り付く。 モレーンの背を登るにつれ、上下の湿原は昔の氷河の跡であることが良く分かった。 谷底のツェルマットは全く見えなくなり、僅かの時間でとても山深い所まで来たことを実感する。 再び少し霧が湧き始めたので、少しペースを上げて登る。 氷河から吹き下ろす風は冷たく、霧で太陽が遮られると途端に寒さが身にしみる。 トリフト氷河の舌端が見えた所からモレーンの背を外れ、大小の石がゴロゴロしている斜面にジグザグにつけられたトレイルを登っていくと、不意にマッターホルンの穂先がミッテルガーベルホルンの稜線の上から頭を出した。 思わぬユニークな景観に足取りも軽くなり、登るにつれて大きくなるマッターホルンに励まされながら単調なジグザグのトレイルを休まず登っていくと、再びゴールのロートホルンヒュッテが頭上に見えた。

   pm3:50、ツェルマットから約5時間を要してロートホルンヒュッテに着いた。 周囲の景観に溶け込んだ頑丈な石造りのとても味わいのある山小屋だ。 外見は硬派なイメージだったが、意外にも山小屋には男性のスタッフはおらず、若い女性3人だけで切り盛りされていた。 受け付けを済ませ、寝室に案内してもらう。 寝室は3階の屋根裏部屋だったが、こぢんまりとした10人ほどのベッドスペースがある室内には、効率良く荷物や衣類を置ける棚がつけられていて使い勝手が良さそうだった。 着替えをして2階の食堂に行くと、宿泊客が少ないのか誰もおらず、吐く息が白くなるほど寒かった。 注文した温かいスープと紅茶を飲んでも体は温まらず、フリースの上着を着込んだが、じっと座っていると体がどんどん冷えてくる。 ヒュッテが氷河の傍らに建っているためか、あるいは体力を消耗したためか分からないが、今までのアルプスの山小屋でこんなに寒い思いをしたことはない。 せっかく食堂でのんびり寛ごうと思っていたのに、とんだ耐寒訓練になってしまった。 テーブルに宿帳が置かれていたので、ホームページにツィナールロートホルンとオーバーガーベルホルンのガイドレスの登攀記録を載せていた日本人のパーティーの名前を探したところ、1か月ほど前にその方々の名前が記されていた。 暇つぶしに他にも日本人の名前がないか探したところ、今シーズンは他に2名の名前があった。 もちろん私達も宿帳に足跡を残したことは言うまでもない。 意外にも宿帳に記された目的の山は、オーバーガーベルホルンの支峰のヴェレンクッペが一番多かった。

   引き続き寒さに震えながらガイド氏の到着を待っていると、夕食の時間が近づいてきたのか、私達だけで占領していた食堂にも徐々に宿泊客が集まり始め、顎髭をたくわえた体格の良いいかにもガイドらしい風体の山男が入ってきた。 目が合うとすぐに「サカイさんですか?」と声を掛けられた。 ガイド氏にはすでにクライアントの情報が入っていたようだ。 早速自己紹介をして握手を交わし、妻のことも紹介した。 ガイド氏の名前はヘンドリー・ヴィリー、生まれも育ちも地元のツェルマットだという。 いつものように氏の年齢を訊ねると、偶然にも私と同じ44歳だった。 私達は外国語(英語)が殆ど喋れないことを謝ると、この日は最後まで氏の方から積極的に話しかけてはこなかった。 先日のステファン氏やイワン氏とは違い、ヘンドリー氏にはいかにも硬派な山男という雰囲気が漂っていた。 経験上、山の話題であれば片言の英語でも通じるので、氏と少しでも打ち解けようと、私のアルプスでの山の経験と思い出を語り、氏にも山の経歴等を訊ねてみると、やはり今まで知り合ったガイド諸氏とは違い、ヒマラヤの高峰も数多く経験されているようで、マカルー(8463m)とダウラギリI峰(8167m)を友人と登り、ローツェ(8516m)は山頂は踏めなかったが、登られたことがあるとのことだった。 他にも主なところでは南米のチンボラソ(6310m)やアコンカグア(6959m)にも登られた(もちろんバリエーションルートだろう)ということで、外見どおり現役バリバリの登山家だった。 少々気後れしたが、念のためスイスで一番好きな山を訊ねてみると、意外にもヴァイスホルンとのことであり、今年知り合った3人のガイド氏が口を揃えてヴァイスホルンを挙げていたことは大変興味深かった。 私も今回登る予定でいたが、山小屋が閉まったので予定を変更したことを話すと、氏は笑いながらフライパンを振る仕草をして「それはもったいない。 自炊も楽しいですよ」と言わんばかりだった。

   ヘンドリー氏と山の話をしていると夕食の時間となり、狭い食堂はいつの間にかほぼ満席となった。 私達のテーブルには明日ツィナールロートホルンに登られるというオーストリアから来たガイドパーティーがついた。 オーストリア隊のガイド氏はヘンドリー氏にドイツ語でルートの状況を色々と訊ねていたが、氏は嫌がらずに淡々と説明していた。 夕食はスープと生野菜の盛り合わせの前菜に続き、メインディシュはビーフシチューと塩味の濃いバターライスだったが、さすがに3人の女性陣が腕を奮ったものだけあり、とても美味しかった。 夕食後に氏から「明日はツィナールロートホルンとオーバーガーベルホルンのどちらを登りますか?」と訊ねられたので、「明日は明後日よりも少し天気が悪そうですね」と氏に投げかけると、「いや、明日は晴れますよ」とあっさり自信に満ちた答えが返ってきた。 仕方なく「ツィナールロートホルンの方が行動時間が短く少し易しそうなので、そちらを先に登りたいと思います」と言うと、「分かりました。 ただ両者の難易度はさほど変わりませんよ」とまた素っ気ない答えが返ってきた。 氏にとってはこの程度の山は朝飯前のことなのだろう。 明日のスケジュールを訊ねると、朝食はam4:00からで、出発は食べ終わってからということだけで特に時間の指定は無かった。 やっと体も温まり眠くなってきたので、pm8:30には床に就いた。


ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たメッテルホルン(茶色の尖峰)


ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たウンターガーベルホルン


   ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たモンテ・ローザ(左)・リスカム(中央)・ブライトホルン(右)


ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たヴェレンクッペ


ロートホルンヒュッテ


ヒュッテから見たヴェレンクッペ


ヒュッテの食堂


ヒュッテの寝室


   8月31日、am3:30起床。 屋外のトイレに行くと満天の星空だった。 果してヘンドリー氏の予報は当たるのだろうか?。 昨夜は適度の疲労により良く眠れたので体調は万全だ。 am4:00からの朝食は昨夜と同じテーブルで再びオーストリア隊と共にする。 身支度を整えテラスに出ると、氏からヘルメットを被るよう指示があり、先日の極楽登山とは違う緊張感に身が引き締まる。 氏とアンザイレンし、妻の見送りを受けてam5:00に憧れのツィナールロートホルンの頂を目指して出発した。

   まだ夜明けには遠く、ヘッドランプの灯を頼りに山小屋の背後にある氷河まで岩屑の踏み跡を登って行く。 待ってましたとばかりにオーストリア隊が私達の後ろにぴったりと続く。 10分ほどで氷河の取り付きに着き、アイゼンを着ける。 前方にはヘッドランプの灯は見えず、どうやら私達が一番手のようだ。 雪の表面がクラストしているため、アイゼンの爪を利かせながら勾配のそこそこある斜面をジグザグに斜上していく。 意外にも5分も経たないうちにオーストリア隊はついてこれなくなり、その後は彼らと下りで再会するまでルート上には私達のパーティーだけとなった。 ヘンドリー氏のペースは思ったよりも速くなく、今のところ充分についていけるので安堵した。 たぶん氏はペース配分について私に意見を求めることはないだろうし、またそんなことではこの山を登ることは出来ないだろう。

   30分ほど登った所で氷河を離れ、アイゼンを外して狭い急なクーロワール(岩溝)に取り付く。 短時間で200mほどの標高を効率よく稼ぎ、ほんの少しだけ心に余裕が生まれる。 3級程度の岩場を最初の部分だけは上からヘンドリー氏に確保されて登ったが、その後はコンテニュアスで氏にどんどん引っ張られ、足がついていけず途端に息が切れる。 このクーロワールは正にツィナールロートホルンへの登竜門で、氏は私の拙い技量を即座に見抜いただろう。 クーロワールを抜けると夜も少し白み始めた。 次はどのような試練が待っているのかと戦々恐々としていたが、岩の上に積もった雪でルートは予想どおりミックスとなっていたものの、確保が必要な所も無いばかりか次第に傾斜は緩み始め、間もなく山腹をトラバースするような感じの易しいアルペンルートの歩行となった。 気温は低いが風が無いため寒さは感じない。 危険な要素が無くなったため、氏は意識的にペースを落とし、先ほどまで不足していた酸素の補給も充分間に合ってきた。 良く見るとルート上には所々に小さなケルンや踏み跡が見られ、一般ルートを忠実に辿っていることが分かった。

   20分ほど極楽の歩行を続けた後、突然ヘンドリー氏は進路を90度右に変え、上に見える氷河に向けてミックスとなっている緩やかな傾斜の岩場を直登し始めた。 間もなく再び氷河を登ることとなり、取り付きでアイゼンを着ける。 気が付くと足下はぶ厚い雲海となっていて、その高さは3000mを超えていた。 東の空はすでに明けてきているが、南に小さく見えるマッターホルンや南西方向のオーバーガーベルホルンは満月の明かりに照らされて神秘的な姿を披露している。 時計を見るとam6:30だった。 テルモスの紅茶を素早く口に含み、写真家でもなかなか遭遇出来ないだろう素晴らしい光景に興奮しながら、ここぞとばかりに写真を撮る。 今日妻が登る予定のメッテルホルン(3406m)も山頂だけが雲海から頭を出し、まるで大海原に浮かぶ小島のようだった。 雲海の下にいる妻は、この風景はおろか御来光すら拝むことは出来ないだろう。 ヘッドランプをしまい、先ほどと同じようなクレバスの無い雪渓のような登り易い氷河を直登気味に登る。 所々で岩が露出しているがアイゼンを着けたままガンガン登る。 その間にも毎日繰り返されるアルプスの荘厳な夜明けは音をたてずに進行し、振り返ればマッターホルンやオーバーガーベルホルンもミシャベル連山の向こうにある太陽から漏れてくる光を受けて淡く染まり始めている。 筆舌に尽くし難い芸術的な光景だったが、写真を撮りたいという気持ちをぐっとこらえ、いつものように心のシャッターを切った。

   間もなく頭上に顕著な稜線が見え始めると、左手には朝陽に輝く憧れのツィナールロートホルンの頂稜部が見えてきた。 am7:00ちょうどに雪庇の発達した稜線上に躍り出ると、雪庇の向こう側にはまるでピラミッドのように均整のとれた形をしたヴァイスホルンがどっしりと鎮座していた。 雪稜の先には目指すツィナールロートホルンの頂が要塞のように立ちはだかっている。 ダン・ブランシュ(4356m)も今まで展望台から眺めていた姿とはまるで違うストイックな面持ちで氷河から屹立し、オーバーガーベルホルンの隣に望まれるようになり、羨望の眼差しで眺めてい神々しい山々の領域に足を踏み入れていることを実感した。 有り難いことに傾斜の緩い雪稜には風も無く、山頂を正面に見据えながらの快適な稜線漫歩となった。 ヘンドリー氏の天気予報は当たったようで、雲海はその高さを維持したままで、爽やかなアルプスの山の朝をまるで氏と二人で独占しているような錯覚を覚える。 これだからアルプスの山はやめられない。 間もなく雪稜は痩せ、最後はナイフリッジとなったが、トレイルは明瞭で歩行には全く問題なかった。 ガイドブックの写真で見たガーベル(独語でフォークという意味)と名付けられた顕著なコルが頂稜部の岩塔の左下にはっきり見えた。 あとはあのコルから始まる核心部のルートのコンディション次第だ。

   小さなピ−クの手前で稜線を少し外れて斜めに下ると、再びミックスの岩場となった。 しばらくアイゼンを着けたまま岩場を登り、傾斜がきつくなりルート上から雪がなくなった所でヘンドリー氏からアイゼンを外すように指示があった。 今日はアイゼンを脱着する時が休憩タイムとなる。 上を見上げると、角張った大小の岩が複雑に重なり合い、先行しているパーティーも無いので、どこが正しいルートなのか全く分からない。 しかしながら氏は全く迷うことなく、巧みなルートファインディングでどんどん私を上へ上へと引っ張り上げる。 とても同じ歳とは思えない氏のパワーに脱帽する。 息が弾むが負けてはいられない。 傾斜が一段と増してくると、所々に地元のガイド氏らによって取り付けられたと思われる確保用のリングボルトが見られるようになった。 3級程度のクラック(岩の割れ目)の登攀が連続し、セルフビレイを取ってスタカットで登る。 ヘンドリー氏が上から「クラック!、クラック!(足を岩の割れ目にねじ込み、岩のへりをつかんで登りなさい)」と下から見上げている私に何度も繰り返し叫ぶ。 背中に当たる暖かい太陽の光が登攀の緊張感を和らげ、また氏が先行している間は休めるので、不足気味の酸素の補給も充分に出来て助かった。


妻の見送りを受けてヒュッテを出発する


未明のマッターホルン


満月の明かりに照らされたオーバーガーベルホルン


   南東稜から見たツィナールロートホルンの頂稜部(左の稜線の凹がガーベル・右上の凸が山頂)


雲海越しのモンテ・ローザ(遠景左端)と辿ってきた南東稜(手前)


   am8:00、山小屋を出発してから3時間でとうとう主稜線上のコル(ガーベル)まで辿り着いた。 ガイドブックの所要時間とぴったり同じだったので嬉しくなる。 意外にもヘンドリー氏から、ここで再びアイゼンを着けるように指示があったが、愚かにもコルに着いた安堵感からか、その理由について全く気に留めることはなかった。 ちょうど良い休憩となったので、行動食を頬張りながら写真を撮る。 コルは日溜まりのように暖かく、休憩場所としては最高だった。 氏も初めてここで食べ物を口にした。 相変わらず雲海は山や谷を埋め尽くしたままで空は見事な快晴だ。 同じような状況だった2年前のバール・デ・ゼクランのことを思い出す。 ここから山頂までの標高差はもう200m足らずで、ガイドブックにも山頂まで1〜2時間と記されている。 “もしかしたら、このまますんなり登頂出来るのではないか”という甘い考えが一瞬脳裏をかすめた。

   am8:10にコルを出発。 いよいよ憧れの頂を目指してのラストスパートに入った。 コルからは稜線上ではなく、陽の当たらない裏側(西側)に回り込み、寒々とした西側斜面を斜上しながら頂上を目指すようだ。 ところが稜線の裏側に回り込むと状況は一変した。 先ほどまでの暖かな陽射しに恵まれ風も無い東側とは全く異なり、そこには強い風が吹き荒れていて、また岩という岩には2cmほどのエビのシッポがびっしりと張り付き、一面真っ白になっていた。 ヘンドリー氏が先ほどアイゼンを着けるように指示したのはこのためだった。 岩を攀じ登る時はこのエビのシッポを払わなければならないが、岩に固くこびり付いているためとても厄介だ。 素人の私はこの状況を見てすっかり絶望し、即座に“この先の核心部の登攀は私には無理だ”と判断し、恐らく氏からも「ここから先はルートの状態が悪く危険なので、残念ですがここで引き返すことにします」という決定が下されると思った。 しかし予想に反して氏は全く躊躇せず、高度感はあるもののまだ足場のしっかりしている岩壁を、強風をもろともせずにどんどん先へ突っ込んで行った。 行き詰まる所までは行こうというのか、それともこの程度のことはこの山では当たり前なのか?。

   強い風に凍えながらしばらく半信半疑でヘンドリー氏の後を追う。 登攀用の薄手の手袋はすぐに濡れてしまったが、スペアに替えてもすぐにまた濡れてしまうので、冷たくて我慢が出来なくなるまで交換せずに頑張る。 岩壁をしばらく斜上し、核心部の登攀に入った。 乾いていれば3級程度の快適な岩だが、ベルグラならぬエビのシッポのせいで、上から氏に確保されながらスタカットで登る。 1ピッチが長くなると、先ほどまで嬉しい休憩だった待ち時間が寒さで苦痛になる。 再び長いクラックの岩壁の下に着くと、そこには20mほどの長さのフィックスロープが垂れ下がっていた。 意外にも氏から、それを使って登るように指示があったので、これも地元のガイド氏らによって取り付けられたものだと分かった。 今日のような状況では本当にありがたく、芥川小説の『蜘蛛の糸』のワンシーンが頭に浮かんだ。 ロープにしがみつきながら、無我夢中で長い1ピッチを登り終え、次の1ピッチを登る前に上を見上げた時、ホームページの写真で見た独特の山頂の岩の形が目に入り、目を凝らすとその上に十字架のような物も見えた。 あと僅か50m足らずだ。 ありがたいことに風も収まってきた。 もうここまで来れば氏も引き返すことなく、何とか山頂まで連れていってくれるに違いない。 先ほどまでとは違い、何が何でもあの頂に立ちたいと願った。 登攀ルートは再び稜線に合流するようになり、周囲も明るくなってきた。 最後はあっけないほど易しい稜線上の岩登りとなり、小さなギャップを挟んで指呼の間に山頂の立派な十字架が見え、ようやく憧れの頂への登頂を確信した。

   am9:00、人待ち顔の十字架のキリスト様に迎えられ、憧れのツィナールロートホルンの山頂に辿り着いた。 再び眼前にはヴァイスホルンが大きく望まれ、ヘンドリー氏に連れてきてもらったのに、何か自分が凄いことをやり遂げたような錯覚に陥った。 ただ、羨望の眼差しで眺めていた神々しい山々の一つの頂に、今こうして立っていることだけは紛れもない事実だった。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 本当に頼もしい山男の氏に興奮しながらお礼を述べ固い握手を交わすと、意外にも氏から「今何時ですか?」と素っ気なく訊ねられた。 氏は時計をしていなかったのだろうか?。 「9時ちょうどです」と答えると、今度は「何時に山小屋を出発しましたか?」と訊ねられたので「5時です」と答えると、氏はなぜかとても嬉しそうに「フォー・アワー!、パーフェクト(それは上出来だ)!」と褒めてくれた。 エビのシッポの張り付いた十字架のキリスト様を抱きしめて、早速氏に記念写真を撮ってもらう。 今日は今まで感動を共にしてきた相棒の妻が隣にいなくて残念だ。 撮影が終わると氏は、あとはどうぞお好きにと言わんばかりに、少し離れた南側の陽当たりの良い所にどっかりと腰を下ろし、一人煙草を吸い始めた。 一方、私は憧れの山に登れたという達成感のみならず、素晴らしい展望を誇るこの山の頂に全く興奮が覚めやらない。 雲海に浮かぶマッターホルンの北壁は言うに及ばず、すぐ隣に聳えているオーバーガーベルホルン、ダン・ブランシュ、ヴァイスホルンの岩峰のカルテットの眺めが正に圧巻だった。 明日アタックするオーバーガーベルホルンの登攀ルートも良く見渡せた。 支峰のヴェレンクッペを越えていくそのルートは今日以上に遠く、また険しそうだったが、百戦錬磨の氏ならきっと私の夢を叶えてくれるだろう。 山頂から見える山に登りたくなるのが私の常だが、今回諦めたヴァイスホルンや計画外のダン・ブランシュにも無性に登りたくなってきた。 雲海に浮かぶ周囲の山々の写真を何枚も撮り、いつの日かその羨望の山々の頂に立つことを夢見て一人悦に入った。


主稜線上のコル(ガーベル)直下の3級程度の岩場


ツィナールロートホルンの山頂直下


ツィナールロートホルンの山頂


山頂から見たヴァイスホルン


山頂から見たマッターホルン


山頂から見たオーバーガーベルホルン(手前)とダン・デラン(奥)


山頂から見たダン・ブランシュとモン・ブラン(右奥)


山頂で寛ぐヘンドリー氏とドム(右)


山頂から見た雲海上のメッテルホルン(中央)


   am9:20、あっと言う間に山頂での時間は経過し、ヘンドリー氏はおもむろに腰を上げた。 夢から現実に戻る時が来たのだ。 キリスト様に別れを告げ、もう二度と来ることは叶わない憧れの頂を後にした。 いつものように私が先頭になり、一旦解けた気合を入れ直して先ほどの記憶を呼び起こしながら稜線上を辿る。 間もなく陽の当たらない寒々しい西側斜面に入るとルートも不案内になり、一気に緊張感が高まった。 岩場でアイゼンを着けているため足場が不安定で、全く気を抜ける所がない。 再び風も出てきた。 登りでは3級程度だった岩壁が凍結のため4級にも感じる。 だが一番心配だったのは、何度か懸垂下降で下りた時のことだった。 懸垂で私が下りた後にヘンドリー氏が繋いでいるザイルを岩に絡めるだけの簡易な確保でクライムダウンしてくるのだが、今日は他に登ってくるパーティーもなく、万が一氏が墜落して行動不能になった時に、一人で山小屋まで帰ることが出来るかどうか急に不安になった。 何も指示されていなかったが、登っている時以上に氏の動きに注目し、墜落に備えてザイルが弛まないように常に最適の状態に保つ。 しかしそんな素人のつまらぬ心配をよそに氏は巧みに下降を続け、私の不安も取り越し苦労に終わった。 核心部の下降を終えた所で、ようやくオーストリア隊が登ってきた。 彼らはこの段階ですでに私達より2時間ほど遅れていたので、途中(ガーベルのコル)で引き返したものとばかり思っていた。 スムースにすれ違いが出来る所だったので、オーストリア隊のガイド氏がヘンドリー氏に先の状況を色々と訊ねていた。 技術はあっても初めての異国の山のガイドは大変だ。 クライアントも相当苦労していることだろう。 二人を励まして見送ると、間もなく3人のガイドレスのパーティーも相次いで登ってきたが、その後はもう誰にも出会うことはなかった。

   am10:25、登りよりも長い時間を費やしてガーベルのコルに着いた。 相変わらず風もなく日溜まりとなっているコルで10分ほど休憩する。 ヘンドリー氏は再び煙草に火をつけた。 空はますます青くなり、雲海は未だにその高度を保ったままだ。 相棒の妻もそろそろこの雲海を突き抜け、メッテルホルンへ向かうトレイルの途中からこちらを眺めていることだろう。 今日は一緒に同じ山を登れなくて残念だったが、違った視点での情報交換が楽しみだ。 コルからの下降は岩も乾いているうえ、生きて帰れるという安堵感も加わって先ほどまでの緊張感は全く無くなり、またヘンドリー氏にも先を急ごうとする雰囲気が感じられなかったため、所々で氏に断りながら写真を撮らせてもらう。 ナイフエッジの雪稜も鼻歌交じりに通過し、大きく雪庇の張り出した広い尾根で最後の休憩をしてから、稜線を外れ少しザラメ状になり始めた氷河の斜面をどんどん下る。 登ったルートの一部をショートカットする形で登竜門のクーロワールを下降し、最後の氷河を取り付きに向けて真っ直ぐに下る。 氷河の取り付きでザイルが解かれると気が抜けてしまい、手袋を忘れてきてしまった。

   pm1:00前に山小屋に無事下山し、ヘンドリー氏とお礼の握手を交わすと、再び氏から「パーフェクト!、グッド・クライミング(今日は会心の登山でしたね)!」と労われ、明日のオーバーガーベルホルン登山に向けてのハードルを無事クリアーしたようだった。 着替えをしてから氏を食堂に誘って遅い昼食をとる。 天気が良いため食堂はとても暖かく、昨日の寒さが全く嘘のようだ。 氏の勧めで『レシュティ』(地元の家庭料理で、短冊状に切って焼いたジャガイモの上に、卵・ソーセージ・ホウレン草等を乗せたもの)を注文したが、町のレストランでもこんなに美味しいものを食べたことがない。 昨夜の夕食もそうだったが、この山小屋の女性スタッフは本当に料理上手だ。

   昼食後はヘンドリー氏との歓談もそこそこに明日に備えて昼寝を決め込んだ。 ふと、妻の安否が気になったが、石橋を叩いても渡らない性格だから大丈夫だろう。 夕方近くに目を覚まして山小屋の中をぶらぶらしていると、オーストリア隊のガイド氏と再会した。 今日の登頂を祝して雑談を交わすと、当初マッターホルンを登る予定でツェルマットに来たが、ルートの状態が悪くて登れないので、急遽ツィナールロートホルンを登ることになったとのことで、明日はツェルマットに下山してヘルンリヒュッテに行き、イチかバチか明後日マッターホルンにアタックするとのことだった。 ヨーロッパアルプスの一端が属するオーストリアにも素晴らしい山は沢山あるが、日本と同様に4000mを超える山がないので、オーストリアの登山愛好家もスイスの4000m峰には強い憧れがあるらしい。 私も将来、オーストリアの最高峰のグロース・グロックナー(3798m)やオルペラー(3478m)やハービヒト(3280m)といった名山に是非登りたいと話すと、「ここに連絡を頂ければ私か他の者が案内(ガイド)しますよ」と言って、『ポール・ホーバル』と記されたチロルのガイド組合の名刺をいただいた。

   pm6:30、夕食の時間となり食堂に行くと、今晩はフランスから来たというパーティーと同席することになった。 彼らも明日はオーバーガーベルホルンを登るとのことだったので、「私は全くの素人なんですが、今日は隣にいる素晴らしいガイドさんにツィナールロートホルンに連れていってもらったんです。 明日はオーバーガーベルホルンまで背負っていってもらう予定です」とジェスチャーを交えて話すと、片方のガイドらしき人が、「貴方のガイドさんはとても報酬が高い。 私は公認のガイドではないので、報酬はとても安いんです。 ただし安い分クライアントは大変なんですよ!」と隣にいる中年の男性客を見ながら笑い飛ばし、食卓は和やかな雰囲気になった。 夕食の献立はスープ(ミネストローネ)、菜っ葉のサラダに続き、メインディッシュはチキンソテーだったが、インゲンのベーコン巻きや冷凍ではないポテトフライも添えられ、とても3000mを超えた山小屋で作った料理とは思えないほど美味しかった。 食後はフランス隊のガイド氏がヘンドリー氏にルートの状況を詳しく訊ねていた。 多分彼も初めての山なのだろう。 私も明日のスケジュールを氏に確認すると、今日と全く同じでam4:00から朝食が始まり、食べ終わり次第の出発で良いとのことだった。 明日の長い行程に備えて早々に就寝したが、間もなく誰かが部屋に入ってきて私を起こした。 何か緊急の用事かと思ったが、その人はトリフトヒュッテで妻から託された手紙を届けてくれたのだった。 単独行の妻が無事だったようで安堵した。


南東稜から見たオーバーガーベルホルン(右)とマッターホルン(左)


南東稜から見たオーバーガーベルホルン(左)とダン・ブランシュ(右)


南東稜から見たヴァイスホルン


南東稜から見たメッテルホルン


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