ラッギンホルン(4010m)

  8月29日、夜中に階下のトイレに行ったついでに外に出てみると、空には満月に近い月が煌々と輝いていたが、山々は霧に包まれていた。 一昨日の天気予報でも今日は快晴ではなかったので少し気掛かりであったが、昨日とても良い思いをしたので、今日は多少の難があっても仕方がないと割り切れる心の余裕があった。 am4:30に起床し、身支度を整えて本館の食堂に行くと、幸運にも霧は晴れていた。 昨日同様イワン氏は約束のam5:00を少し過ぎてから食堂に現れた。 私達が寝た後も食堂で遅くまで飲んでいたのであろう。 今日ものんびりムードで朝食をしっかりと食べる。

  am6:00、昨日と全く同じ時刻に別館から出発。 幅の広い岩屑のハイキングトレイルを昨日と反対の方向に下る。 昨日のように空気が澄んでいないためヘッドランプを点けて歩く。 予想どおりヴァイスミースに登るパーティーが圧倒的に多いため、先行するパーティーのヘッドランプの灯は見えない。 5分ほど歩くと目立たない赤いポールが岩に立てかけてあり、そこからトレイルを外れて踏み跡の“アルペンルート”へと入る。 4年前の下見の時に何故この分岐に気が付かなかったのか不思議である。 踏み跡はかなり明瞭で、良く見ると所々に小さなケルンが積まれている。 大小の岩がごろごろしている裾野のような所をトラバース気味に緩やかに登っていく。 下からは見えない上の氷河から流れ出す小沢を6〜7回飛び石伝いに渡り、30分ほどでワイヤーロープが岩に取り付けてある実質上の取り付きに着いた。 ヘッドランプをしまい、ここでアンザイレンする。 イワン氏は長いストックを逆さまにしてザックにねじ込み、おどけながら「これは避雷針です。 これで貴方達には雷が当たらないからご安心を!」と言った。 すかさず私が「“サンダー”は日本語で“カミナリ”と言うんですよ」と教えると、氏は「それは面白い。 “カミナーリ”はイタリア語ではハイキングのことを意味するんですよ」と笑いながら答えた。

  ワイヤーロープを掴みながら急な岩場を登っていくと、トレイルの脇の岩陰に若い女性が一人で佇んでいた。 トイレにしてはまだ早過ぎるし、休憩するような場所でもなかったので、この先のルートが分からず進退極まってしまったのであろうか?。 イワン氏は彼女に声を掛けることもなく先へと進んだが、彼女も私達の後をついてくることもなく謎は深まった。 急な岩場をひと登りすると、平らな岩屑の広場となり、山小屋から45分ほどでその先に拡がる盆地状の小さな氷河の末端に着いた。 ここがガイドブックに記されているヴァイスミースヒュッテ(2726m)からのトレイルとの合流(分岐)点なのだろう。 氷河の取り付きにはアイゼンを着けたりしながら一服している10数人ほどの登山者達で賑わっていた。 おそらく殆どのパーティーはヴァイスミースヒュッテから登ってきたのであろう。

  私達もここでアイゼンを着けながら一服した後、傾斜の緩い雪渓のような氷河を登り始めた。 幅の狭い盆地氷河にはクレバスも無さそうで、単独行の人もいる。 右手には頂上に向けて切り立った屏風のような幅の広い岩壁が圧倒的な高さで聳え立ち、直登することを拒んでいる。 緩やかな氷河上を30分ほど登るとカールの底のような所に突き当たり、氷河の上端から左手の岩場に取り付いた。 アイゼンを外し急な岩場をひと登りすると、おびただしい数の大小の岩が堆積している所に着いた。 遙か足下にはちょうど朝陽が当たり始めたサース・フェーの町の家々が米粒のように見えた。 イワン氏に声を掛け、周囲の風景の写真を撮る。 ヴァイスミースやモンテ・ローザはすっきりと望まれたが、ドムは相変わらず雲の帽子を被っていた。

  右手に見える山頂に背を向けて、一旦左手の尾根の末端に取り付いてから、山頂に向けて真っすぐに延びる顕著な主稜線に向けてジグザクを切りながら登っていく。 アルペンルートのように踏み跡は明瞭で、確保が必要な所は皆無であり、面白いように標高が稼げる。 他にも似たような踏み跡があるようで、各々のパーティーが登り易いルートを選んで登っていくが、皆時間的に大差はなく主稜線直下の所で合流した。 主稜線に上がると、左手に寄り添うように聳えている隣接峰のフレッチホルン(3993m)が大きな姿を現した。 先日見たピッツ・トゥーポ(3996m)同様、4000mに僅かに満たない不遇な山だ。 但し、中にはアイガー(3970m)、ラ・メイジュ(3983m)、ビーチホルン(3934m)のような名峰もあるので、一概に標高だけとは言えない面もあるのは事実だ。

  ガイドブックを読んだイメージでは、主稜線に上がってからは易しい2級程度の岩登りが連続するという感じであったが、稜線の傾斜は下から見上げていたよりも緩く、依然として微かではあるが踏み跡はあり、注意深くルートファインディングしていけば手を使わなくても登れる所が殆どであった。 ガイドレスでも充分登れそうなルートのコンディションに、すでに昨日同様登頂を確信した。 緊張感も薄れ、少しザレた斜面になった所で私が足を滑らせると、イワン氏がその音に反応して振り返った。 てっきり氏が注意を喚起するのかと思ったが、氏は笑いながら「こんな所で滑るなんて恰好悪〜い」と悪戯っぽく私をけなした。 しばらくすると今度は当の氏が足を滑らせた。 「しょうがないガイドだなあ〜、まったく!。 昨夜は飲み過ぎたか!」と氏は笑いながら言い放った。 昨日と同様に今日も楽しい雰囲気の登山であったが、唯一の心配は天気であった。 今日は麓から湧き上がる霧の上昇スピードが速く、すでに先ほどの盆地氷河の所まで霧が忍び寄ってきている。 あの霧よりも先に頂上に到着しなければ、楽しみにしている展望はお預けとなってしまう。 霧に見舞われたアルプスのデビューの山であるメンヒの山頂の思い出が頭をかすめる。 のんびりとはしていられない。 氏もそれを察してか、ペースは幾分昨日よりも速い。 氏が時々「ペースは速くないですか?」と声を掛けてくれるが、ここは妻にも頑張ってもらうしかないので「妻は少々バテ気味ですが、まだまだ頑張れます!」とその都度答える。

  まだ山頂らしき所は見えてこないが、左手に見える本峰より僅か20mほど低いフレッチホルンの頂が良い目標となる。 すでに下りてくるパーティーもあり、山頂はそれほど遠くないはずだ。 頭上に大きな杭のようなものが見えてきた。 あそこが山頂だと思ってラストスパートに入ったが、それはルートを外さないようにとケルンの代わりに置かれていた粗末な太い棒であった。 ヴァイスミースにはイタリア(南)側からも霧が頂稜部付近まで上がって来ている。 果して霧との競争に勝てるのであろうか?。

  am9:00過ぎにやっと山頂らしき所と人影が見え、「あと5分ですよ!」と昨日同様にイワン氏から声が掛かる。 間もなく山頂に立つ十字架がはっきり見え、am9:10に憧れのラッギンホルンの頂に辿り着いた。 眼前のヴァイスミース同様、反対のイタリア(南)側はすでに頂上直下の所まで雲海となっており、昨日見えた少し低い周囲の山々は全く見えなかった。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 氏と固い握手を交わし、私の早いペースに合わせてくれた妻を労う。 雲や霧のため展望は昨日よりも数段見劣りするが、何と言っても霧との競争に勝ったことがとても嬉しかった。 意外にも山頂は十字架一本分のスペースしかない狭さであり、先に到着した二組のパーティーが山頂を譲ってくれるのを待ち、霧が上がってこないうちに氏に記念写真を撮ってもらう。 簡素な丸い鉄パイプで作られた十字架にはキリスト様はおらず、代わりに1・9・7・4という4つの数字の形をしたプレートが横棒に溶接されていた。 十字架を立てた年を意味するものなのであろうか?。 山頂からはヴァイスミースの全容が良く望まれ、この頂が同峰を眺めるには一番の展望台であることがあらためて分かった。 また意外にも、すぐ隣のフレッチホルンの頂稜部には大きな氷河が見られ、クロイツボーデンのゴンドラ駅から眺めた痩せた山容とは全くその趣を異にしていた。 山頂は風が強く、また狭すぎて座ることも出来ないので、少し下がった風の余り当たらない岩陰で熱い紅茶を飲みながら一息つく。 相変わらずドムは雲の帽子を被り、遠くの山々もすっきりと望むことは叶えられないが、ヴァイスミース同様4年前に登れなかった頂を踏めたことで気分はとても爽やかであった。 妻にとってはこの頂が今シーズンの最後となる予定であった(私もここが最後になる可能性があった)ので、風は冷たかったが30分ほど登頂の余韻に浸りながら滞在する。 氏は手持ち無沙汰で他のパーティーのガイド氏達と雑談を交わしていたが、決して私達に下山を促すようなことはしなかった。

  am9:40、体も冷えてきたのでイワン氏に促されるまでもなく私を先頭に下山にかかる。 確保が必要な危険箇所は全く無く、私の拙いルートファインディングでも正しいルートを外すことはあまりない。 ガイドレスのパーティーや単独行者もポツリポツリと登ってくるが、ヴァイスミースと比べると遙かに登山者の数は少ない。 だがこの山はコンディションさえ良ければ、アルプスでは貴重なガイドレスや単独でも登れる4000m峰であることが分かった。 いつの間にか霧は勢力を弱め、氷河の下りも全く問題ないように思えたが、イワン氏は「この時間帯は落石が多いので急いで下りましょう!」とアイゼンを着けずに少し腐った雪の上を小走りに下る。 あっと言う間に盆地氷河の末端まで下りきり、一服しながら赤茶けた岩壁を眺めるが、霧のためすでに山頂は見えなくなっていた。

  pm0:10、出発してから約6時間後に山小屋に帰着。 二日連続の“極楽登山”は最高の結果を出して無事終了した。 ツェルマットへ帰る支度を整えてから、食堂でイワン氏と祝杯を兼ねた昼食を共にする。 氏は今日もお気に入りの“ポパイ”を注文した。 昼食後氏にヴァイスミースとラッギンホルンの両山合わせてのガイド料970フラン(邦貨で約87300円)を支払った後、感謝の気持ちを込めて100フランのチップを手渡した。 昨夜の話しは冗談ではなかったのか、氏は再び次回はガイド組合を通さずにプライベートで一緒に登りましょうと提案した。 ガイド組合のマージンはそんなに高いのであろうか?。 氏のメールアドレスと携帯の電話番号を教えてもらい、とりあえず今回の山行中に撮った写真を送ることを約束した。 機会があればプライベートで氏にガイドを依頼したいと願ったが、果してこの希望は将来実現するのであろうか?。 待ち合わせ場所については、ツェルマット駅前のマクドナルドということで氏と笑いながら合意した。

  pm1:20、麓のサース・グルントをpm1:45に出発するバスに乗るため、イワン氏と一緒にゴンドラに乗って下ったが、麓の駅に着く寸前に無情にもバスは走り去ってしまった。 氏はてっきり私達がサース・フェーに滞在しているものだと思い込んでいたようで、ツェルマットに行くなら自宅のある途中のザンクト・ニクラウスまで車で送ってくれるということになった。 シュタルデンの駅の手前の三叉路をツェルマット方面に進路を変えてザンクト・ニクラウスの駅へと向かう。 氏の話では、このシュタルデンからザンクト・ニクラウスの間の山道では車両への落石による死亡事故が頻繁にあり、現在立派なトンネルを建設中であるとのことであった。 間もなく車窓から形の良い雪山が見えてきたので氏に山の名前を訊ねたところ、ブルネユール(3838m)という山で、氏にとっては故郷の山であるとのことであった。

  40分ほどのドライブを終え、ザンクト・ニクラウスの駅に到着。 イワン氏と最後の握手を交わして別れたが、一週間後に偶然再会することになるとはお互いに知る由もなかった。 pm3:10発のツェルマット行きの電車に乗り、pm3:45に同駅に着いた。 一旦荷物を置きにホテルに帰ると、意外にもサンモリッツのホテルと同様に支配人が私達をつかまえて、「2日間もホテルに戻らないので、山で遭難したのではないかと心配していました。 警察に捜索願いを出す寸前でしたよ!。 次回からはフロントに予定を話しておいて下さい!」と血相を変えてまくし立てた。 今まで他のツェルマットのホテルでそんなことを言われたこともないので私達も驚いたが、何か最近事件でもあったのであろうか?。

  部屋に荷物を置き、明日以降の打ち合わせをするためアルパインセンターへ向かう。 オルウェルさんからここ3日間の晴天で希望している三山(ヴァイスホルン・オーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルン)のルートのコンディションは大分良くなったと聞いて安堵したが、掲示板に貼られているインターネットの山の天気予報では明日・明後日と変わりやすい不安定な天気が続くようだったので、明後日に予定していたアタック日の順延を申し出たが、マッターホルンの登山が未だ解禁になっていないことでガイドがあぶれているのか、前回同様明日のam9:00に最終決定すれば良いとのことであった。 夕食の食材をマーケットで買っている間に天気は崩れ、雨が降ってきた。 やはりまだまだ安定した天候にはなっていないようだ。


盆地状の小さな氷河の取り付き


氷河の上端から岩場に取り付く


朝陽が当たり始めたヴァイスミース


岩稜にはアルペンルートのように明瞭な踏み跡があった


ラッギンホルンの山頂


山頂から見たヴァイスミース


山頂から見たフレッチホルン


山頂から見たモンテ・ローザ(左端)とアルプフーベル(右端)


山 日 記    ・    T O P